こんな最悪の正月はないのだが、そんなこと言っていても始まらない。
とにかく皆さん今年もよろしく。
大晦日は久しぶりに紅白歌合戦をのぞいた。大友良英一派の活躍に喜び、「作曲 大友良英 Sachiko M」のテロップに感慨深く、美輪明宏はさすがと思い、泉谷しげるの自意識過剰のルサンチマンの相変わらずさに感心はせず、年が明けた。
で、年が明けて、飛び込んできたのが、首相官邸ホームページの、「安倍内閣総理大臣 平成26年 年頭所感」。
新年早々、ひどいものを読まされてしまった。
安倍総理が言うには、
「1年前」は、
「遅れる復興、長引くデフレと経済の低迷、主権への相次ぐ挑発、そして、教育の危機。就任6日で迎えた元旦は、みなぎる意欲と使命感の一方で、重責への緊張感でいっぱいであったことを思い出します。」という状態だったそうだ。
「それから1年」で、
「経済政策の大転換、TPP交渉への参加、震災復興の立て直し、オリンピック・パラリンピックの誘致、消費税。さらには、NSC(国家安全保障会議)と国家安全保障戦略を新たに創り、防衛大綱を見直す。「決断」と「行動」の365日は、長く厳しい道のりでありました。」
「長く厳しい道のり」。そりゃそうであるべきだ。やってはいけないことばかりをやってきたのだ。しかしあなたは、大して時間も掛けず、傍若無人にやってきたはずだ。
「アベノミクス」で経済がほんとうの意味で立ち直っていないことは、誰もが知っている。
「TPP交渉」は、やらないはずの公約を破った。
「震災復興の立て直し」、本気で民主党時代よりも進んでいると思っているのか。原発を再開することが、そうなのか。
「オリンピック・パラリンピックの開催」は、日本の破滅を早めるだけだ。
そして「消費税」の実行で、「格差」の残酷さを極めようとしている。
「NSC(国家安全保障会議)と国家安全保障戦略、防衛大綱」、これは長く培ってきた平和憲法の誇りをこの国から奪い取ろうとしている暴挙でしかない。
議席数にものをいわせ、ただごり押しで無茶をやってきた者に、いったい何の「決断」と「行動」があったというのだ。
安倍総理は言う。
「しかし、「強い日本」を取り戻す戦いは、始まったばかり。今後も、長く厳しい道のりを、緊張感を持って進んで行く覚悟を、一年の始まりにあたって、新たにしています。」
「強い日本」って、なんだ?
子供じみて虚勢を張り、強がってみせる者が「強い」のか。正しいことのためには、例え自分が頭を下げなければならなくても、人間の命を守り、過去の責任を認識し、不公正をただし、弱者を救済し、未来のために備え、その上で胸を張るべきではないのか。
安倍総理は言う。
「大震災から3度目の元旦となる本日も、避難生活の中で迎える方がまだまだいらっしゃいます。住宅再建を進め、次の元旦こそは、できるだけ多くの方に、新たな住まいで迎えていただきたい。東京電力福島第一原発の廃炉・汚染水対策を着実に進め、原発事故により避難生活を余儀なくされている福島の皆さんにも、一日も早く普通の生活に戻っていただきたい。その思いで、復興をさらに加速させてまいります。」
「普通の生活」とは何か。原発事故の前と後では、考えるべき基準は違う。ただ「戻っていただきたい」とのみ押しつける言葉が、私には脅迫のようにしか響かない。
安倍総理は言う。
「日本経済は、「三本の矢」により、マイナスからプラスへと大きく転換しました。しかし、20年近くにわたってこびりついた「デフレ」からの脱却は、いまだ道半ば。「強い経済」を取り戻すべく、引き続き、全力で取り組んでまいります。……その目指すところは、頑張る人たちの雇用を拡大し、収入を増やすことです。景気回復の実感を、中小企業・小規模事業者の皆さんをはじめ、全国津々浦々にまで、必ずやお届けしてまいります。」
表面上の「プラス」は、弱者を踏み台にした、見せかけに過ぎない。世界一の借金大国であるにもかかわらず、「強い経済」を夢見て、この国の抱える矛盾を増大させているだけだということに、なぜ気がつかないふりをするのか。これだけの「格差」の中で「収入を増やすこと」をただ夢見ることは、愚かでしかない。おそらく安倍首相も本当には信じていないはずの「圧倒的な経済的成功」が実現したとして、それがこの世界の抱える「負の矛盾」を利用したものでしかあり得ないこと、その妄想が取り返しのつかないリスクを抱えたものであることに、正常な神経の持ち主であるならば、自覚がないはずがない。
安倍総理は言う。
「一年の計は、穀を樹うるに如くはなく、十年の計は、木を樹うるに如くはなく、終身の計は、人を樹うるに如くはなし。
中国の春秋時代、名宰相と呼ばれた管仲の言葉です。」
そんな引用は無意味だ。自分の言葉がないことを露呈しているだけだ。「中国の春秋時代」と現在の世界に、どのような合理的な符合があると言いたいのか。
安倍総理は言う。
「目先の課題への対応も重要ですが、十年先、百年先の日本の未来を切り拓いていくことも、忘れてはなりません。そして、そのためには、小手先の対応ではなく、将来のあるべき姿を見定めた、真の改革が必要です。」
その言葉、そっくりお返ししよう。あなたのやっていることが「小手先の対応」なのだ。
安倍総理は言う。
「相互依存を深める世界において、内向きな発想では、もはや日本の平和を守ることはできません。日本が、これまで以上に、世界の平和と安定に積極的な役割を果たす。この「積極的平和主義」こそが、我が国が背負うべき「21世紀の看板」であると、私は確信いたします。」
あなたは何もわかっていない。あなたの言う「積極的平和主義」=「戦争のできる国家主義」こそが、最悪に「内向きな発想」なのだ。靖国参拝であなたに対してきっちり「批判」をしてくれている諸外国の人たちは、そのことをあなたに親切に伝えてくれているのだ。
安倍総理は言う。
「国民の生命と財産、日本の領土・領海・領空は、断固として守り抜く。そのための基盤を整えてまいります。」
はっきり言わせてもらおう。あなたのやり方では、それは無理だ。終戦後、もっとも強くこの国を守ってきたものは、あなたの嫌悪する「平和憲法」なのだ。
安倍総理は言う。
「人づくりこそは、「終身の計」。日本に生まれたことに誇りを持ち、高い学力と豊かな人間性を兼ね備えた人材を育んでいく。そのための教育再生を、着実に実行してまいります。」
あなたはなにもわかっていない。
「日本に生まれたことに誇りを持つ」まえに、「人間として生まれたことに誇りを持つ」べきだ。その意識がなければ、他の国の人々、他の生きものたち、未来や過去に生きる者たちに対して、豊かな想像力と知性で接することなどできない。責任を取ることもできない。
人間は「国民として生まれる」のではない。「人として生まれる」のだ。それが「民主主義」の基本だ。少なくとも私は、平和憲法からそのことを学んだ。そして世界中の人たちがその認識に頷いてくれることを、私は知っている。
安倍総理は言う。
「さらに、「国のかたち」を表す憲法についても、制定から68年になろうとする今、時代の変化を捉えた改正に向けて、国民的な議論をさらに深めていくべきであると考えています。」
なぜ「憲法」を変える必要がある? 根拠は何もない。あなたは何も根拠を示せていない。
安倍総理は言う。
「昭和26年の元旦。振り返れば、日本は、いまだ占領下にありました。その年に結ばれた、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約から、戦後「日本」の歩みが始まりました。」
何が言いたい? 占領下に結ばれた条約だから駄目だというのか? あなたは「敗戦」から学ぶものが何もなかったと言いたいのか? そのような認識で、戦争の犠牲となった方々、戦後の苦難を生きてきた人たちに対して、尊重する気持ちがあると言えるのか。
安倍総理は言う。
「そして、平成26年の元旦。現代の私たちもまた、日本の「新しい国づくり」に向けて、大きな一歩を踏み出すべき時です。」
「新しい」の内容は何もない。明治以降の「軍国日本」の状態に戻したいということ以外に、あなたは何も具体像を示せていない。
安倍総理は言う。
「戦後以来の大改革を進めるのは、簡単なことではないでしょう。もとより、困難は、承知の上です。 しかし、今あるのは、未来への希望です。なぜなら、先の総選挙と昨年の参議院選挙において、国民の皆さんの力によって、政治が大きく変わったからです。そして、経済も変わりました。さらに、社会も変わりつつあります。」
あなたはなにもわかっていない。
確かに国民のある層は、「未来への希望」からではなく、「生存の不安」から、「真の「変化」」を遠ざけたかもしれない。だがそれは、民主党の中途半端な施策に不安を覚えたことが、保守回帰を呼び起こしただけかもしれない。そもそも多くの国民は、民主党と自民党に大きな差を感じてはいなかった。現在の、最高裁・高裁が「違憲状態」以上の誤りと結論を出している、現在の間違った「自民党に利する」選挙制度が、自民党を「勝たせてしまった」だけである。
安倍総理は言う。
「国民の皆さんには、その「力」がある。私は、国民の皆さんと共であれば、いかなる困難も乗り越えられる。「誇りある日本」を取り戻すことができる。新年のスタートにあたって、改めて、そう思います。」
「国民の皆さんと共であれば」というが、世論の多くはあなたの意見に頷いていない。国民を巻き添えにしないでいただきたい。
「誇りある日本」の内容は何もない。あなたは何も具体像を示せていない。あなたこそ「内向き」だ。ほんとうに素晴らしい国家像を示しているなら、多くの国民が頷くだろう。他の国の人間も「さすがは日本だ」と敬意を持つだろう。あなたがやろうとしていることは、日本という社会がほんらい、あるいは戦後に育ててきた「良き部分」を、完膚無きまでに潰し、消し去ることだ。
安倍総理は言う。
「最後に、国民の皆さんの一層の御理解と御支援をお願い申し上げるとともに、本年が、皆さん一人ひとりにとって、実り多き素晴らしい一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。」
「御理解」も「御支援」もお断りする。私たちには、現在の政権を覆す以外に、「実り多き素晴らしい年」を獲得する方法はないはずであるからだ。
こんな書き込みは、いちいちやってられない。そういう必要のない世の中であってほしい。
とにかく皆さん今年もよろしく。
大晦日は久しぶりに紅白歌合戦をのぞいた。大友良英一派の活躍に喜び、「作曲 大友良英 Sachiko M」のテロップに感慨深く、美輪明宏はさすがと思い、泉谷しげるの自意識過剰のルサンチマンの相変わらずさに感心はせず、年が明けた。
で、年が明けて、飛び込んできたのが、首相官邸ホームページの、「安倍内閣総理大臣 平成26年 年頭所感」。
新年早々、ひどいものを読まされてしまった。
安倍総理が言うには、
「1年前」は、
「遅れる復興、長引くデフレと経済の低迷、主権への相次ぐ挑発、そして、教育の危機。就任6日で迎えた元旦は、みなぎる意欲と使命感の一方で、重責への緊張感でいっぱいであったことを思い出します。」という状態だったそうだ。
「それから1年」で、
「経済政策の大転換、TPP交渉への参加、震災復興の立て直し、オリンピック・パラリンピックの誘致、消費税。さらには、NSC(国家安全保障会議)と国家安全保障戦略を新たに創り、防衛大綱を見直す。「決断」と「行動」の365日は、長く厳しい道のりでありました。」
「長く厳しい道のり」。そりゃそうであるべきだ。やってはいけないことばかりをやってきたのだ。しかしあなたは、大して時間も掛けず、傍若無人にやってきたはずだ。
「アベノミクス」で経済がほんとうの意味で立ち直っていないことは、誰もが知っている。
「TPP交渉」は、やらないはずの公約を破った。
「震災復興の立て直し」、本気で民主党時代よりも進んでいると思っているのか。原発を再開することが、そうなのか。
「オリンピック・パラリンピックの開催」は、日本の破滅を早めるだけだ。
そして「消費税」の実行で、「格差」の残酷さを極めようとしている。
「NSC(国家安全保障会議)と国家安全保障戦略、防衛大綱」、これは長く培ってきた平和憲法の誇りをこの国から奪い取ろうとしている暴挙でしかない。
議席数にものをいわせ、ただごり押しで無茶をやってきた者に、いったい何の「決断」と「行動」があったというのだ。
安倍総理は言う。
「しかし、「強い日本」を取り戻す戦いは、始まったばかり。今後も、長く厳しい道のりを、緊張感を持って進んで行く覚悟を、一年の始まりにあたって、新たにしています。」
「強い日本」って、なんだ?
子供じみて虚勢を張り、強がってみせる者が「強い」のか。正しいことのためには、例え自分が頭を下げなければならなくても、人間の命を守り、過去の責任を認識し、不公正をただし、弱者を救済し、未来のために備え、その上で胸を張るべきではないのか。
安倍総理は言う。
「大震災から3度目の元旦となる本日も、避難生活の中で迎える方がまだまだいらっしゃいます。住宅再建を進め、次の元旦こそは、できるだけ多くの方に、新たな住まいで迎えていただきたい。東京電力福島第一原発の廃炉・汚染水対策を着実に進め、原発事故により避難生活を余儀なくされている福島の皆さんにも、一日も早く普通の生活に戻っていただきたい。その思いで、復興をさらに加速させてまいります。」
「普通の生活」とは何か。原発事故の前と後では、考えるべき基準は違う。ただ「戻っていただきたい」とのみ押しつける言葉が、私には脅迫のようにしか響かない。
安倍総理は言う。
「日本経済は、「三本の矢」により、マイナスからプラスへと大きく転換しました。しかし、20年近くにわたってこびりついた「デフレ」からの脱却は、いまだ道半ば。「強い経済」を取り戻すべく、引き続き、全力で取り組んでまいります。……その目指すところは、頑張る人たちの雇用を拡大し、収入を増やすことです。景気回復の実感を、中小企業・小規模事業者の皆さんをはじめ、全国津々浦々にまで、必ずやお届けしてまいります。」
表面上の「プラス」は、弱者を踏み台にした、見せかけに過ぎない。世界一の借金大国であるにもかかわらず、「強い経済」を夢見て、この国の抱える矛盾を増大させているだけだということに、なぜ気がつかないふりをするのか。これだけの「格差」の中で「収入を増やすこと」をただ夢見ることは、愚かでしかない。おそらく安倍首相も本当には信じていないはずの「圧倒的な経済的成功」が実現したとして、それがこの世界の抱える「負の矛盾」を利用したものでしかあり得ないこと、その妄想が取り返しのつかないリスクを抱えたものであることに、正常な神経の持ち主であるならば、自覚がないはずがない。
安倍総理は言う。
「一年の計は、穀を樹うるに如くはなく、十年の計は、木を樹うるに如くはなく、終身の計は、人を樹うるに如くはなし。
中国の春秋時代、名宰相と呼ばれた管仲の言葉です。」
そんな引用は無意味だ。自分の言葉がないことを露呈しているだけだ。「中国の春秋時代」と現在の世界に、どのような合理的な符合があると言いたいのか。
安倍総理は言う。
「目先の課題への対応も重要ですが、十年先、百年先の日本の未来を切り拓いていくことも、忘れてはなりません。そして、そのためには、小手先の対応ではなく、将来のあるべき姿を見定めた、真の改革が必要です。」
その言葉、そっくりお返ししよう。あなたのやっていることが「小手先の対応」なのだ。
安倍総理は言う。
「相互依存を深める世界において、内向きな発想では、もはや日本の平和を守ることはできません。日本が、これまで以上に、世界の平和と安定に積極的な役割を果たす。この「積極的平和主義」こそが、我が国が背負うべき「21世紀の看板」であると、私は確信いたします。」
あなたは何もわかっていない。あなたの言う「積極的平和主義」=「戦争のできる国家主義」こそが、最悪に「内向きな発想」なのだ。靖国参拝であなたに対してきっちり「批判」をしてくれている諸外国の人たちは、そのことをあなたに親切に伝えてくれているのだ。
安倍総理は言う。
「国民の生命と財産、日本の領土・領海・領空は、断固として守り抜く。そのための基盤を整えてまいります。」
はっきり言わせてもらおう。あなたのやり方では、それは無理だ。終戦後、もっとも強くこの国を守ってきたものは、あなたの嫌悪する「平和憲法」なのだ。
安倍総理は言う。
「人づくりこそは、「終身の計」。日本に生まれたことに誇りを持ち、高い学力と豊かな人間性を兼ね備えた人材を育んでいく。そのための教育再生を、着実に実行してまいります。」
あなたはなにもわかっていない。
「日本に生まれたことに誇りを持つ」まえに、「人間として生まれたことに誇りを持つ」べきだ。その意識がなければ、他の国の人々、他の生きものたち、未来や過去に生きる者たちに対して、豊かな想像力と知性で接することなどできない。責任を取ることもできない。
人間は「国民として生まれる」のではない。「人として生まれる」のだ。それが「民主主義」の基本だ。少なくとも私は、平和憲法からそのことを学んだ。そして世界中の人たちがその認識に頷いてくれることを、私は知っている。
安倍総理は言う。
「さらに、「国のかたち」を表す憲法についても、制定から68年になろうとする今、時代の変化を捉えた改正に向けて、国民的な議論をさらに深めていくべきであると考えています。」
なぜ「憲法」を変える必要がある? 根拠は何もない。あなたは何も根拠を示せていない。
安倍総理は言う。
「昭和26年の元旦。振り返れば、日本は、いまだ占領下にありました。その年に結ばれた、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約から、戦後「日本」の歩みが始まりました。」
何が言いたい? 占領下に結ばれた条約だから駄目だというのか? あなたは「敗戦」から学ぶものが何もなかったと言いたいのか? そのような認識で、戦争の犠牲となった方々、戦後の苦難を生きてきた人たちに対して、尊重する気持ちがあると言えるのか。
安倍総理は言う。
「そして、平成26年の元旦。現代の私たちもまた、日本の「新しい国づくり」に向けて、大きな一歩を踏み出すべき時です。」
「新しい」の内容は何もない。明治以降の「軍国日本」の状態に戻したいということ以外に、あなたは何も具体像を示せていない。
安倍総理は言う。
「戦後以来の大改革を進めるのは、簡単なことではないでしょう。もとより、困難は、承知の上です。 しかし、今あるのは、未来への希望です。なぜなら、先の総選挙と昨年の参議院選挙において、国民の皆さんの力によって、政治が大きく変わったからです。そして、経済も変わりました。さらに、社会も変わりつつあります。」
あなたはなにもわかっていない。
確かに国民のある層は、「未来への希望」からではなく、「生存の不安」から、「真の「変化」」を遠ざけたかもしれない。だがそれは、民主党の中途半端な施策に不安を覚えたことが、保守回帰を呼び起こしただけかもしれない。そもそも多くの国民は、民主党と自民党に大きな差を感じてはいなかった。現在の、最高裁・高裁が「違憲状態」以上の誤りと結論を出している、現在の間違った「自民党に利する」選挙制度が、自民党を「勝たせてしまった」だけである。
安倍総理は言う。
「国民の皆さんには、その「力」がある。私は、国民の皆さんと共であれば、いかなる困難も乗り越えられる。「誇りある日本」を取り戻すことができる。新年のスタートにあたって、改めて、そう思います。」
「国民の皆さんと共であれば」というが、世論の多くはあなたの意見に頷いていない。国民を巻き添えにしないでいただきたい。
「誇りある日本」の内容は何もない。あなたは何も具体像を示せていない。あなたこそ「内向き」だ。ほんとうに素晴らしい国家像を示しているなら、多くの国民が頷くだろう。他の国の人間も「さすがは日本だ」と敬意を持つだろう。あなたがやろうとしていることは、日本という社会がほんらい、あるいは戦後に育ててきた「良き部分」を、完膚無きまでに潰し、消し去ることだ。
安倍総理は言う。
「最後に、国民の皆さんの一層の御理解と御支援をお願い申し上げるとともに、本年が、皆さん一人ひとりにとって、実り多き素晴らしい一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。」
「御理解」も「御支援」もお断りする。私たちには、現在の政権を覆す以外に、「実り多き素晴らしい年」を獲得する方法はないはずであるからだ。
こんな書き込みは、いちいちやってられない。そういう必要のない世の中であってほしい。