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Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

官邸前デモという「直接行動」

2012-10-30 | Weblog
6月29日(写真)に行ったきり「官邸前」で行われている毎週金曜日夕方の反原発デモには出ていないが、その場に参加する人の数が少なくなったとは聞く。地味というか、さびれたというか、一時は二十万人が集まったとは思えない様子だと。新作『星の息子』には、その「さびれたデモ」のシーンがあるのだが、「原発反対」「子供を守れ」と、原発はここにあるわけじゃないのに、総理大臣の、しかも(場合によっては留守かもしれない)家に向かって訴えることに、虚しさを覚える人が多くいても仕方がないと思う。劇中、ツイッターを利用して素性を知られぬままにデモの指揮をする人物が出てくるのだが、そういう、「リーダー」の顔が見えない、見えなくて構わないと考えられることの多い時代だからこそ、「匿名性の高い指揮者」の存在を出すことにもリアリティがあると思っている。……「直接行動」とは何だろう、と思う。デモを「直接行動」と呼ぶ人もいる。そうでない人もいる。確かに官邸前のデモは「直接」を求める人には食い足りないだろう。例えば、沖縄で、普天間のゲート前に行けば、今日にも牛歩運転で実質一時間ゲートへの車輌進入を阻止できたり、高江に行けば、オスプレイパッドを建設しようとする防衛職員や業者を直接的に止めたり、確かにより「直接的」な行動をすることができる。しかし「直接」であるにせよ、それだけでは相手を「完全に止める」ことはなかなか困難だ。……ともあれ、「より直接的な行動」を求める人は沖縄に行った方がいい、ということではない。もちろん一人でも多くの人に沖縄の反基地運動の支援に行ってほしいが、本来の意味での「直接」の成否は、個々の人間が、それぞれの自分の人生の現場に於いて、もっともその人の「芯」に触れる部分に響いた行動ができているかどうかだ、とも思うからだ。結局は、自分の現場は自分で持て、ということでしかないような気がする。自分自身に働き掛ける。直接スイッチを押していく。自分に対して有効なスイッチと他者に対してのそれが、同一であるとは限らない。表現をする者は、そうした操作のオーソリティーであるべきだと考える人もいるだろう。たぶんそう志すことは間違ってはいない。だが、なかなかそうもいかない。自分の現場だからこそ、転げ回って、どんなに泥を被ってでも、見つけなければならないものがあるはずだ。それはほんとうに見つかっただろうか。それがなければ、どこか遠くに行って、「その場所では直接的な行動ができた」などと安易に言ってはいけないし、「これは自分の人生だから間違いなく直接の自分自身のアクション」とも限らないような気がするからだ。何ごとも無駄弾ではないかも知れないが、自分の主体的な営為と思っていたことが、実は知らず知らずの間に匿名性の高い指揮者の誘導に従っていただけだ、ということだってあり得るからだ。「誰にでもできる」ことの「直接姓」と、「その人にしかできない」ことの「直接姓」と、両方がある。それぞれに重要性がある。それぞれに救われることもあるし、場合によってはそれぞれに裏切られる。
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東北での「SHINSAIリーディング」

2012-10-30 | Weblog
2012年3月11日にニューヨークを中心に米70ヵ所を越える地域で開催された、「SHINSAI Theaters for Japan」。ニューヨークで東日本大震災の報に触れた演劇人たちが、互いに声をかけあって立ち上げた、短編戯曲のドラマリーディング企画だった。それに応えて、同企画に提供された日米の劇作家の作品を全て日本語でドラマリーディング上演した8月5日、座高円寺での「SHINSAI Theaters for Japan in Tokyo」。そして11月4日、劇作家協会東北支部によって、盛岡劇場タウンホールで、「3.11を越えて、戯曲リーディング」として、そのいくつかを選んで上演することになった。当日は劇作家協会東北支部による「戯曲大会」の2日目であり、前日には全国イベント「劇王」の東北での審査会、岩手芸術祭戯曲部門入賞作の発表およびリーディングも行われる。……私も参加するつもりだったが、とてもその余裕がない。盛会を祈っている。以下が、その内容である。
写真は、8月5日「SHINSAI Theaters for Japan in Tokyo」フィナーレ。東北からくらもちひろゆき、大信ペリカン両氏も参加している。

11月4日プログラム……「SHINSAI Theaters for Japan」に感謝して
1.「はっさく」(抜粋)
作=石原 燃 出演=トラブルカフェシアター(岩手)
2.「北西の風」
作=篠原久美子 出演=劇団ユニットラビッツ(福島)
3.「血の問題」
作=坂手洋二 出演=沼山華子 えとまさる(青森)
4.「子は人の父」
作=フィリップ・カン・ゴタンダ 訳=吉原豊司 出演=なかじょうのぶ(宮城)
5.「日本流エチケットの手引き」
作=ダグ・ライト 訳=常田景子 出演=劇団ゼミナール(岩手)
6.「さようなら」(抜粋) 
作=平田オリザ 出演=劇団プロデュースチームウィルパワー(秋田)
〈ポストパフォーマンストーク「震災支援と演劇」〉
震災後に作られた演劇は、どのように変わったのか? それとも変わっていないのか? そして、震災支援の中での演劇の役割は? あるいは、支援される側の演劇人の思いは? 被災地からのそれぞれの距離感を考える。出演=篠原久美子 はせひろいち 高村明彦 他、各県代表 司会=くらもちひろゆき
問い合わせ先 劇作家協会東北支部 くらもち
MAIL: abusann@fa2.so-net.ne.jp
http://www.jpwa.org/main/activity/region/66-gekiou-x/177-touhoku
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現場からの呼びかけ

2012-10-29 | Weblog
高江N4の新しいオスプレイパッドはまだ一つも完成したわけではない。今月上旬に現場監督が「あと十日」と言った時点から、まだ完成させてはいない。ブラフだったのかもしれないが。ここが正念場であるということなのかもしれない。現場はギリギリの状態になっているのに、直接何もできないのがつらい。……去年2月の写真を見て、N1中心の攻防だったあの頃と、今年7月からの急展開の違いを考える。ほんとうに、消耗させられる現実の、連鎖。……とにかく、高江に行ける方は、行っていただきたいと思います。辺野古も午前8時から午後4時まで、座り込みが行われていて、情報の拡散希望が届いている状態。

以下、高江からのメッセージ

連日の工事が続いていますが、沖縄を揺るがす問題が山積で、あっちの現場へもこっちの現場へもみんな奔走しています。でも、こんなに酷い状況が続き抗議の声が高まっているにもかかわらず、高江の工事が続いていることの異常さ、ではないでしょうか。
明日も高江では、みんなが歓迎していないオスプレイのための着陸帯工事に「待った!」をかけるべく、夜明け前の暗い時間から集まります。どうぞ、ご参集下さい。

午前5時から現場に集合しています。業者、防衛局が早くなっていることに対応してのことですが、異常な事態です。人数がまったく足りていません。重点的にこちらに人が送れるよう、行くことができるよう、ご配慮ください。午前5時は、まっ暗な状態です。懐中電灯などの装備やシッカリとした足元、ご準備ください。

『高江音楽祭』が開催されます。11月6日(火)勝井祐二+SoRA。20日(火)七尾旅人。27日(火)遠藤ミチロウ。カフェ山甌(やまがめ)にて。当日夕方、北部訓練場ゲート前にてミニライブ。

http://takae.ti-da.net/

http://henoko.ti-da.net/e4135507.html?fb_action_ids=374254099327520&fb_action_types=og.likes&fb_source=aggregation&fb_aggregation_id=288381481237582
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新作『星の息子』

2012-10-28 | Weblog
午前中に東銀座でITI=国際演劇協会の理事会。どうやら私が最年少か、下から二番目だろう。ここには五十歳以下がいるのか? 高萩さんも白髪が増えたなあ。ノーベル賞莫言さんの翻訳で話題の焦点にいる菱沼さんの自然体、ダンディ。無報酬の仕事に、みんなが集まっている。来年は私も復活させたいと思ってきた、古典芸能ワークショップも復活するかもしれない。細かいことに一生懸命な大人たち、素敵である。だがこれからはもっと細かいことが求められる。難儀な時代だ。今年は劇作家協会の世代交代の荒療治をした私だが、この協会の場合、「世代交代」の前に「世代交流」を実現させたいと心から思い、超世代交流のアイデアを「紛争地帯の演劇」リーダー・林さんに耳打ち。
午後一時前から十時まで稽古。諸々の事情で虫食いの時間帯が続いたので、フルタイムの稽古は久しぶり。舞台監督は、初めて組む金安凌平さん。彼の俳優時代から長いつきあいだが、ちゃんと仕事するのは初めてだ。心底稽古を面白がってくれているのが嬉しい。初めて組むもう一人は、水津聡さん。富良野塾のベテランである。二十年カンパニーを背負ってきたという以上に、演劇への関心の強さとしなやかさは、この人が自分で築いてきたものだろう。
ヒロイン佐和子を演ずるのは、渡辺美佐子さん。彼女抜きでは考えられない企画である。この人でしかできないことを、きちんとお見せしたいと思う。
最終場を中心に、もう少し台本に手を入れる。
沖縄の劇のようだが、前半は、なかなか沖縄に行かないし、今回は私のこれまでの沖縄を舞台とした劇と違って、必ずしも「沖縄のこと」を中心的に描こうとはしていない。では、何を描きたいのか。それは、私自身も幕を開けてみないとわからない、と言っておこう。

以下は、マスコミ等に送られた、劇の解説文です。

「人は死んだら星になる」って言ったのは、誰だっけ ……。
やんばるの空を飛んでいいのは、鳥と虫と、自由だけ。
『天皇と接吻』『沖縄ミルクプラントの最后』につづく、「戦後史」と「今」の集大成。

沖縄・やんばる地方では、オスプレイも飛来する米軍ヘリパッド基地建設や自然破壊に反対して、住民たちが座り込みの抗議活動をしています。いわゆる「活動家」はおらず、みんな生活者です。応援している人達もそうです。今回の設定では、反対運動の住民たちが建てたやぐらに、女性たちが立てこもって、工事車両の搬入を身をもって遮っています。そのうちの一人、夜空とやんばるの森の樹々に囲まれ、空中に浮かぶような場所から星を見上げる女、佐和子。彼女は今年初めて沖縄に来ました。彼女は回想します。自分はどうして孤独な人生を送るようになったか。四十年前の「沖縄復帰闘争」の時代、誰と出会い、何を喪ったか。そして長い間、過去に縛られ、自分に対して禁じていた想念を、解き放ちます。それは、彼女自身の人生を取り戻す旅の始まりでした……。

井上ひさしさんの「幻の次回作」は、終戦直後の沖縄を舞台にした『木の上の軍隊』だったという。ガジュマルの樹の上に二人の兵士が登ったまま降りてこないという設定だと聞いた。私もこれまで沖縄関連の戯曲を書き、劇中でガジュマルの樹の上に多くの人を登らせてきたが、今の沖縄を見るとき、キジムナーも棲みそうなガジュマルの自然の力、神秘に抱擁されるのではなく、殺伐としているかもしれない鉄骨のやぐらの塔の上にいる、二人の女が幻視されてきた。これは振り出しに過ぎない。そして、もちろん描くのは沖縄のことだけではない。機は熟した。これは、「書きたい劇」であると同時に、「書かなければならない劇」である。


燐光群『星の息子』

座・高円寺 秋の劇場17 日本劇作家協会プログラム

作・演出○坂手洋二

11月16日(金)~28日(水) 座・高円寺1

渡辺美佐子 円城寺あや 中山マリ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋 水津聡 杉山英之 松岡洋子 樋尾麻衣子 鈴木陽介 横山展子 桐畑理佳 田中結佳 福田陽子 宗像祥子 永井里左子
照明○竹林功
音響○島猛
舞台監督○金安凌平 
美術○じょん万次郎
衣裳○大野典子
演出助手○城田美樹
文芸助手○清水弥生・久保志乃ぶ 
ちらし絵○沢野ひとし
制作○古元道広 近藤順子

21・24・28日は託児サービスあり。

アフタートーク
17日(土)小熊英二
20日(火)扇田昭彦
22日(木)竹下景子

http://rinkogun.com/Next.html
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普天間の凧とパレスチナの人形

2012-10-27 | Weblog
普天間での「ヘリパット抗議のたこ揚げ」について政治家や役人からいろいろと、したり顔の批判が出ているようだ。たこは危ないからやめろと言うのだ。まったく本末転倒である。そもそも市民のための公園でたこ揚げもできないような接近した所に基地があるのがまずおかしいのだ。凧を視認して操縦をまちがえるようなプロのパイロットはいない。そして、あの大きなオスプレイのローターにたこ糸が絡まって墜落することもありえない。回転部分に触れたら、人間の胴体も真っ二つだろうと、多くの人達が言っているとおりだ。すべては「ためにする」禁止の言い訳である。沖縄国際大学のヘリ事故の後は障害物浮遊についての米軍基準があるからこそ高度越えアドバルーンでの抗議というか抵抗をしたのだ。米軍に対して「自分で作ったルールを守りなさい」ということである。そもそも「行き過ぎ」論じたいがおかしい。「抗議は重要だが、過激になりすぎると不測の事態が起きかねない」という人がいるが、「不測の事態」は今まさに基地の町でとっくに起きているのである。……二年前の『3分間の女の一生』で竹下景子・円城寺あや・大西孝洋と共演する「三分間人形劇」を一緒に作った秋葉ヨリエたちが、昨年東北の被災地でも上演した短篇人形劇(もちろん三分なんてことはないですよ、三十分)を持ってパレスチナへ行くことになった。私も映像をちょこっと見ただけで内容はよくわからないのだけれど、人形劇ならではの、あまり言葉に頼らない表現のものなのだろうと思う。「パレスチナで人形劇。東北被災地に捧げた短編を、戦争被災国の地で上演させて頂きます」というメッセージ。今月28日から11月4までの旅。ヘブロンのイエスシアターとベツレヘムのハンダラ文化センターなどで上演される。
直截な言葉で語ることのみでなく、凧や人形といったものが、いろいろな現場に存在することじたいに、いろいろな可能性があると思う。

人形劇情報は以下の通り。写真はそのポスター。

glasio bluo's puppet performance in Palestine 2012
***Free Intermission***
Yes Theatre (Hebron)
10・30(Tue) 5pm Performance (30min)
10・31(Wed) 2pm Workshop for Educators
5pm Performance (30 min)
Handala Beit Jibrin Cultural Center
Al-azzeh Camp, Bethlehem
11・1(Thu) 5pm Performance (30min)
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古代の人間は、岩盤に描いた絵がゆらめく炎に照らし出されると、生き物のように見えると知っていた

2012-10-26 | Weblog
洞窟の壁画がアニメーションのようになることが発見されたという。
フランスの研究者の最新の研究によると、フランスの洞窟壁画が、連続した動きのある絵であることが判明したのだ。
たとえばフランスのショーヴェ洞窟の壁画で、パイソンのような動物が描かれているが、走っていることを示すかのように8本の脚が描かれている。
脚が残像のようになっているのだ。
一つの絵にいくつもの動物を描いている場合、たいまつの炎を動かすことで、動いているように見せる技術も使っていた可能性がある。

『屋根裏』(ハヤカワ演劇文庫)のワンシーンでの、私の仮説は的中していた!

以下のサイトで見られます。(動画にもしてある)
http://maash.jp/archives/15921

    ……………………………………………………     

   
        兄、呼びかける。

兄 おおーい。

        その声が反響する。
        やがてそれも消える。
        鍾乳洞のように水滴がしたたる音が残る。
        ライターを翳してみる、兄。

兄 向こうには何がある。
帽子の男 さあ。

        兄、闇の奥に足を踏み入れ、姿を消す。
        やがて兄の声がする。

兄の声 ……誰だ。……隠れるな。出てこい。
      
        空間にライターを翳す兄、舞台前に出てくる。

兄 (見つめて)みんな絵だ……。壁画か。
帽子の男 人類が最初に落書きをしたのは、洞窟だと言われています。
兄 ……。
帽子の男 有史以来、一度も太陽に触れたことのない洞窟です。

        ライターの炎が風に煽られ、影が揺れている。

兄 馬にマンモス、トナカイ、クマ……。生きているようだ。
帽子の男 古代の人間は、岩盤に描いた絵がゆらめく炎に照らし出されると、生き物のように見えると知っていました。

        兄、帽子の男を見ている。

帽子の男 人は刻みつけるんです。自分が生きていたしるしを。
兄 君は誰だ。
帽子の男 ……。
兄 絵か。
帽子の男 壁に描いてあるのは、絵ばかりではありません。

        兄、壁の一画に刻まれているものを見つける。

兄  (読む)自分の意志で一人でいることを選びとった一日は、流されて過ごす一年の長さに等しい。
帽子の男 ……それは。
兄 弟だ。弟が高校の時、文集に書いた。
帽子の男 あなたも描いてみればいい。
兄 ……。
帽子の男 失くしたものがあれば、壁に拡げて。
兄 ……。
         
        溶暗。
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オスプレイ降り立つ高江ヘリパッドLZ-17

2012-10-25 | Weblog
沖縄を飛ぶオスプレイの横暴に、どう怒りを抑え、気持ちのやり場のなさから逃れるかに、悶々として一日を過ごす。……訪米中の仲井真・沖縄知事は、断固たる抗議を行っているように報道されているがほんとうにそうなのか。彼は普天間飛行場の「県外移設」を言う。日本から出て行け、ではないのだ。オスプレイの配備見直しといっても、北部のことには言及していない。それどころか、彼が会ってきた米ブルッキングズ研究所のマイケル・オハンロン上級研究員は「辺野古移設は現在の政治情勢では実現不可能だ」と指摘した上で、「キャンプ・シュワブや北部訓練場に小規模のヘリパッドを建設し、在沖海兵隊の大半をグアムではなく米本国のカリフォルニアの基地に移転することが解決策になる」と強調したという。「北部訓練場に小規模のヘリパッドを建設」とは、何なのだ。いま高江に作ろうとしている新たな六つのヘリパッド=オスプレイパッドでは足りないのか。沖縄の民意は、それだって絶対に阻止するのだ。知事も従わねばならない。さもなければ、五年間の高江住民のたたかいを愚弄している。あまりにも人を馬鹿にした話だ。写真は現在オスプレイパッドが作られようとしている高江N4地区の、既にあるヘリパッド「LZ-17」の標識。ここには既にオスプレイが降りてきている。夜間訓練の次は編隊訓練か。許し難い。
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普天間基地佐真下ゲート前の「あんず食堂」

2012-10-24 | Weblog
今日はオスプレイ夜間訓練開始の報に、ちょっと夜は気持ちが煮詰まってしまった。昼間は伊江島でオスプレイがブロックをぶら下げた訓練というのもやって、それはほんとうに危ないし、住宅街の上を飛んだそうだから、下にいた方々の気持ちを思うと、いたたまれない。基地が住民に与える一種の「屈辱感」のようなものは、理解しがたい人にはなかなか伝わりにくいものかもしれない。横田基地の騒音が理解できない石原慎太郎のような輩には、とくにわかるまい。夜間飛行のオスプレイは写真で見ると左右の翼の端にそれぞれ赤と青の灯がともっていて、なんだか非現実的な絵柄だが、じっさいやつは沖縄の空を飛び、高江にも那覇新都心にも行ったようだ。そろそろ夜間も来るだろうとは思っていたが、ほんとうに来たのだ。平良夏芽氏によると「夜間訓練のヘリパイロットは暗視メガネをつけている。だから明るい光が当たると目が眩む。少し大きめの懐中電灯を照らすとMPがすっ飛んでくる。民間地で懐中電灯を空に向ける。ただそれだけで夜間訓練を阻止できるかも知れない。どこにも違法性は無い!」とのこと。
……青年劇場『普天間』今年11月後半からの公演の稽古が始まっているという。この劇に登場する家族のモデルは佐真下ゲート前で「あんず食堂」(写真)を営むNさんご一家である。あんず食堂は沖縄そば以外の定食(なかみ汁等)もあるが、ボリュームがある上に、ものによっては小さいそばもついてくる。そして、私は食べていないが、かき氷などの甘味が安い。かつて私はこちらでは、ソーキそばと焼きそば、じゅーしー(炊き込みご飯)を食べた。おいしい。昼食時はとくにいつもほんとうに繁盛している。しかしこの店のすぐそばでオスプレイが動いていると思うと、ほんとうに落ち着かない。
……青年劇場『普天間』は、某地方の根拠なき伝聞情報に基づくブログで「もともと5時間の脚本を、昨秋の公演では3時間に、そして会場の関係で休憩を含め2時間45分程度に縮めており」という誤った情報も出回ったが、さすがに私も「5時間の脚本」を書いた覚えはないし、ほぼ半分にしないと上演できないようなものを書くはずもない。デマは困ります。確かに上演バージョンよりは長いが、オリジナル戯曲は、未来社から刊行されていますので、ぜひ読んでいただきたいし、決して長くもないことも、確かめていただければと思う。

「普天間」戯曲は
 http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624700966
オスプレイの夜間飛行記事(沖縄タイムス)は
 file:///Users/G415/Desktop/沖縄タイムス%20%7C%20オスプレイ、配備後初の夜間飛行.webarchive
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沖縄・北谷でのリーディング 詳細が決まる

2012-10-23 | Weblog
沖縄での「私の村から戦争が始まる~沖縄やんばる・高江の人々が守ろうとするもの」リーディングのチラシができた。「非戦を選ぶ演劇人の会」が、5月に伊丹、7月に東京で上演した台本を、舞台となる沖縄の演劇人たちが演じる。オスプレイ関係の情報は、当然リニューアルされることになる。演出は東京公演(演出・鵜山仁 演出補・永井愛)にも出演した、藤木勇人さん。作者の一人である清水弥生が、演出補として沖縄に行き、手伝うことになった。清水は公演前に高江にも寄るはずだ。高江の皆さんにも観ていただきたいと思っている。出演者は北島角子さんなど豪華だが、劇場のHPはデータで記してくれていないので、チラシを拡大してみてください。津嘉山正種、占部房子、宮城康博、比嘉モエル、四人の皆さんは、東京公演に引き続き出演。

「私の村から戦争が始まる ~沖縄やんばる・高江の人々が守ろうとするもの~ 」
2012年11月6日(火)19:00開演(18:30開場)
出演:津嘉山正種/占部房子/藤木勇人 ほか沖縄演劇人30名余
会場:ちゃたんニライセンター・カナイホール 沖縄県中頭郡北谷町字桑江467番地の1 電話:098-936-3492
入場料 一般1000円 高校生以下500円
主催・同町自主文化事業実行委員会
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時の流れと日焼けの色

2012-10-22 | Weblog
この国は、憲法違反の「一票の格差」を是正する気がないのだろうか。参院衆院とも裁判所の結果が出たなら何を迷うことがあろう。改革に着手するべきだ。次の選挙に間に合わせなければならないのではないのか。……選挙といえば、社民党、新党きづな、新党大地・真民主、政治団体「減税日本」らが、超党派の議員グループ「国民連合」を設立するという話を聞いたが、ほんとうなのだろうか。「少数野党」が「ぶら下がり与党」の可能性をつかみたくて野合しているのだとしたら、あきれ果てた話だ。個人的には、投票したい政党がないのに選挙とは、ひどい状況なのだが。それにしても「近いうち解散」と言いだしておいて幹部の足並みが揃っていない民主党とは、なんなのだ。……九月後半、十月上旬と、岡山・犬島、沖縄の普天間・高江と、陽差しの強いところにずっといた。写真は、犬島への連絡船に乗ろうとしている私。まだ白い。ここらの日程あたりから、アウトドアと机に向かう交錯が激しくなってきて、光を浴びたぶん日焼けし、現在に至る。だが、屋内に籠もる日々が続いている今、だんだん色が褪せ始めている。えらく遠い日のような自分の「使用前」の写真を見て、時間とのたたかいに、気合いを入れる。
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本文を読まずに論争に加わっている人もいるらしい

2012-10-21 | Weblog
つまらない誤解があるようで面倒だ。私は「橋本市長の肩を持つ」気はない。お断りしておく。週刊朝日『ハシシタ 奴の本性』問題について、私はその記事の持っている「差別性」に言及してきた。橋本市長が何か言ったからではなく、ましてやそれに迎合したわけではなく、本文を読んで「これはだめだ」と思ったのである。ただそれだけである(詳しくは昨日、一昨日のブログを見てほしい)。それにかこつけて、あるいは何かの言い訳のごとく、ついでのように橋下市長を批判してもつまらない。橋下市長に対していろんな意見を持っていたとしても、「ためにする」批判はむしろ相手を過大評価していることになる。もう一つ付け加えておけば、具体的な「被差別の問題」の内容に言及する以前に、「差別」を「仕組みとして持っている」ことで、既に駄目な記事である。だから私は具体的な「被差別の問題」については触れていない。それだけである。更に付け加えておけば、相手が「朝日」だったから批判しているわけでは、もちろんない。良くない記事があるから良くないと言っているだけである。……今回の件に対する反響として、ふだんリベラルだったり冷静であったりもするはずの人が、シンプルに終わらせるべき問題を、よくわからないやり方で見当違いの方向に増幅しているように見受けられるケースがある。情けないと思う。この件の繋がりに見える形で「水掛け論」「泥仕合」に発展するのは無意味である。とくに「橋本市長を批判する」=「週刊朝日を擁護する」と受け取られるのが、最悪だろう。佐野氏=週刊朝日が間違っていることは、明白だからである。
本文を読まずに論争に加わっている人もいるらしい。というか、売り切れなのか、巷ではこの記事の載った「週刊朝日」は入手しづらくなっているそうだ。記事本文を今後も読むことがない人達に「誤解」を残さないためにも、この件については「佐野氏=週刊朝日が間違っている」以上ではないことを、確認したい。
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表現の自由を守りたければ、差別はやめなさい

2012-10-20 | Weblog
昨日、週刊朝日の佐野眞一氏らによる『ハシシタ 奴の本性』について私が言っていることは、まずシンプルに〈他者の「本性」を決めつけるのは「差別」である〉ということである。その記事に、認識・論理として誤謬があるということを指摘している。「橋下大阪市長についての内容云々よりも、佐野氏自身の考え方について、かなり疑問が出てくる」と記したとおりだ。
誰かを捕まえて「あなたの言動はこのように悪い」と言うのは構わない。「あなたの言動がなぜ悪いかを、論理的・客観的に証明する」ことを試みるのもオーケーだ。だが、「あなたのDNAは間違っている、だからあなたはひどい本性の持ち主だ」「おまえの「血脈」をたどって、おまえの悪い本性をあぶり出したぞ」というのは、論理として破綻しているし、最悪の「差別」である。橋下氏が言うとおり「(記事は)血脈主義や民族浄化主義につながる危険な思想」であり、「差別を助長し、社会的に許されない」と思う。「実父の出身地を巡る記述で人格否定につなげている」とすれば、佐野=週刊朝日側の「考え方」じたいが、確実に間違っているということだ。
「表現の自由」は守られねばならない。「事実」を知ることも大事だ。だが恣意的な組み立てに当て嵌めて、論理的ではない「因果関係」を言うことは間違っている。相手がどんなに悪辣な権力者でも、「差別」はいけない。
週刊朝日も朝日新聞も、「不適切な記述があった」などと、謝罪した。とにかく間違っているのだから、それを認めることは必要だ。連載も中止のようだ。それは私の知ったことではない。間違ったことを撤回し、誤りのない内容で書き続けることができるなら、それを強制して止めることはない。「表現の自由」というものは、誰にでも、どの立場にでも、あるのだ。連載中止で「責任を取った」と考えるかどうかは、当事者の勝手である。どうやら佐野眞一氏は逃げ腰で、今回の対応について、週刊朝日編集部に下駄を預けたようだが。
「橋下」は、字としては「はしもと」ではなく「はしした」と読むこともできる。だが、大阪市長である「橋下徹」は、「はしもととおる」であり、「はししたとおる」ではない。週刊朝日=佐野氏の『ハシシタ』という題名は、それを恣意的に「下」=「した」と読ませることにより、「下」という漢字そのものが持っている「低い」「劣っている」というニュアンスを、「差別」を補完するために使おうとしている。これは、「言葉」に対しても、失礼である。
私は、『ハシシタ』という題名をつけることを「やめろ」と言っているのではない。表現の自由は、ある。題名じたいは直接的には「性質」には言及していない。私は、その題名をつけた人が、「差別」のためのコンテキストでそうしていることを指摘し、それが「間違っている」と言っているのだ。
今回の顛末がお粗末なのは、これが「表現の自由」の問題にさえなっていないからである。週刊朝日=佐野眞一氏が、間違っていて、愚かである。それだけの問題だ。「表現の自由」の問題と考えている人達は、過大評価をしている。
それどころではないのに、あれこれ勘違いされるのが面倒なので、記した。
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他者の「本性」を決めつけるのは「差別」である

2012-10-19 | Weblog
数日前交通事故に遭われた若松孝二監督はそのまま意識不明に陥っておられたのだった。そして、訃報。「重傷」だとは聞いていたが、そこまでとは。ご冥福をお祈りいたします。その「怒り」の何分の一かでも受け継ぎます。……井上淳一さんのFB訃報書き込みをシェアしてお悔やみを記したが、井上さんがいったんその訃報じたいを消された。いたたまれなかったのだろうかと思ったら、近しい人達の中での情報提供の順序についての相談の上だったらしい。……私は若松監督と『水のないプール』で組んだシナリオライターであり演劇人である故・内田栄一氏とは、同郷ということもあって、懇意にさせていただいていた。その内田さんが亡くなられて、もう十八年。内田さんの劇団〈東京ザットマン〉(後に〈銀幕少年王〉)の主軸俳優だったのが、今は〈燐光群〉の川中健次郎である。それにしても、若松さんと内田さん、それぞれに私が影響を受けたのは、間違いない。
週刊朝日10月26日号に掲載された佐野眞一氏の橋下徹大阪市長についての連載『ハシシタ 奴の本性』第一回は、橋下市長についての内容云々よりも、佐野氏自身の考え方について、かなり疑問が湧く。終わりの方に、こうある。「この連載で私が解明したいと思っているのは、橋下徹という人間そのものである。 / もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。 / そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べ上げなければならない。 」。誰かの「本性」を、その人間の「両親や、家のルーツ」に求めるのは、佐野氏のいう「身元調査」ではない。「差別」である。しかも表紙にあるように、「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」ということであれば、これは蒙昧である。「DNA」という言葉は、明瞭にメタファーやアイロニーで使われるのでなければ、科学的な意味で受け取るしかないからだ。そう受け取ってよいというのか? 私はこの数年の橋下市長の言動の多くを批判する立場だが、この佐野氏の文については、橋下市長の「言論の自由は保障されるべきだが、一線を越えている」という発言が、正当なものと受け取れる。そもそも私は、ある人物に対して、どのような「本性」があるかどうかというような考え方を、取らない。「本性」という考え方が嫌いである。あえて「本性」という言葉を使うとしたら、よほど相手を攻撃したいときだろうが、いい結果を招かない気がする。誰かが自分自身の「本性」について勝手に思索するのは、自由である。だが、自分でない誰かについてその「本性」を語る者は、おおむね「差別」の第一歩を踏み出している。佐野氏が今回、自分の失敗に気づいて撤回するのか、このままほんとうに「本性」「両親や、家のルーツ」について、「差別」を発展させてしまうのかは、私にはわからないが。……そして、表紙について佐野氏に責任があるのかどうかはともかく、「DNA」と「本性」を持ち出した時点で、「週刊朝日」は、メディアとしては「自殺」している。
確かな「表現」をする者は、どのような「対象」を描こうと結果として「自分自身の歌」をうたうことができるものだ、という考え方がある。若松さんや内田さんはそれができる人だ。それが本息であれば、「描く」とは、「関わる」ことである。そこでうまれた「歌」は、「差別」とは相容れないはずだ。そうだ。若松さんも内田さんも、「差別」とたたかった人である。
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「事故にあったヤンバルクイナを発見したらこちらへ」

2012-10-18 | Weblog
あまりに悔しく情けないことばかりで、憤る。がっかりする。みんな怒っている。当然だ。……だが私は仕事をしなければならない。沖縄どころか東京のデモにも行けない。……これは高江の電柱に貼ってあった看板の写真。「事故にあったヤンバルクイナを発見したらこちらへ」。矢印の下には電話番号。ヤンバルクイナやリュウキュウヤマガメは県道でクルマに衝突しがちだということなので、救急のため貼られているのだろう。そもそも県道があるのが悪いということになるし、これはこれでシリアスなことなのだが、この看板はどこか人の気持ちをほっこりさせてくれる。今日を堪えて明日に向かおう。事故にあった人間、壊れてしまったたましいも、何とか応急処置してくれるところがあればいいのに。……短いようだがこのブログは本来150字で始めたのだ。最近が長くなりすぎるのだ。長く書かねばならないことが多すぎる。だがほんとうは短くスタイリッシュにしたい。無理だ。不条理だ。(300字越えました)
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フェンスにFuck You!!

2012-10-17 | Weblog
また、起きてはいけないことが起きてしまった。オスプレイが我が物顔に沖縄本島上を飛び回ったその日の深夜(というか未明)に起きた事件。米兵二人の沖縄女性に対する強姦致傷容疑逮捕、の報。ひどすぎる。オスプレイの暴れ方は平気で飛び回ることによって「大丈夫」だと安全をアピールしたかったのではないかという人もいるが、そんなことがあるものか、要は「既成事実づくり」の一環でしかないだろう。そして米軍は同じ日に、さらにまた憎むべき「既成事実」を歴史に刻印した。許し難く、いたたまれない。アメリカは兵士たちに、自分たちがどう思われているかを、しっかり伝えていないのだ。そして、ヤマトの沖縄に対する「差別」もまた「guilty」なのだということを、私は忘れない。

……そんな今の気持ちにぴったり来るようだが、また別の深い意味で発せられた、「フェンスにFuck You!!」。辺野古浜のキャンプ・シュワヴとの間に強引に設けられてしまった「フェンス」を借景してのパフォーマンスを収めた石川真生さんの一連の作品が展示されることになった。私もちょとだけ応援させていただいたのは、「パフォーマー募集!」という真生さんのリクエストに応え、高江への支援に向かった三人を、真生さんの待つ辺野古浜に派遣したことである。俳優である円城寺あやさんはともかく、石原燃と清水弥生という二人の劇作家が、どのような「フェンスにFuck You!!」を見せたのだろう、気にかかるというか、心配というか……。

Mao Ishikawa Photography OfficeのNaoko Uchimaさんは、「人と人との間に隔たりを作ってしまう「フェンス」の存在に、うんざりしています」とコメントしている。それは真生さんと共有する視点であろう。

情報は以下の通り。

石川真生写真展「フェンスにFuck You!!」/Mao Ishikawa Exhibition "Fences, Fuck You!!"のお知らせです。

日時:2012年11月9日(金)~18日(日)11:00 - 21:00(入場無料)
場所:沖縄県中頭郡北谷町美浜9-20 アカラギャラリー 
地図:http://goo.gl/maps/27qJU

【トークイベント&ミニライブ】
日時:11月11日(日)15:00~  (入場料 500円)
本シリーズ出演者が参加し、各自の表現について1分間のスピーチを述べます。また、作品に登場しているミュージシャンの糸満もりと(マルチーズロック)と越路よう子(越路姉妹)によるスペシャルミニライブを開催致します。

【趣旨】
沖縄県名護市辺野古(へのこ)の砂浜には米軍基地、キャンプ・シュワブと民間地域を隔てる境界線のフェンスが建っている。この海に米軍の飛行場を建設すると日本政府が発表して15年になるが県民の強い反対で建設には至っていない。そのフェンスが頑丈なものに建て替えられるという。2010年12月、建て替え前のフェンスを見に行った。突然、パッ!とひらめいた。
「こんなきれいな海に飛行場を造るなんて、ばかじゃない。フェンスにFuck You !! 反対運動には参加できないけど、自分で表現することはできるよ、という人にフェンスの前で表現してもらおう。年齢も人種も関係なく、堂々と顔を出していいという人に出てもらおう!」
思い立ったが吉日。直ちに友人、知人に声を掛け、出てくれる人を募った。フェンスの建て替え工事と重なってその過程も見れる撮影になった。「これはブラックジョークです。ハデにぶちかましてくださいね」と頼んだので、みなさん、本当にハデにぶちかましてくれました。(石川真生)

【作品について】
2011年に発表した「日の丸を視る目」シリーズと同様、参加した出演者らと石川真生によるコラボレーションともいえる待望の新シリーズ34点を展示致します。ミュージシャンやアーティストなど、海外からの参加者も含めた個性豊かな20代~50代の参加者が、それぞれの表現を披露しています。地元沖縄での初公開と同時に写真集「フェンスにFuck You!!」発売記念イベントとなります。

【石川真生プロフィール】
石川真生は1953年に沖縄県国頭郡大宜味村生まれ、現在は豊見城市を拠点に活動。1974年に、ワークショップ写真学校「東松照明教室」で学び、その後、一貫して、沖縄と沖縄人に関わる人々に焦点をあて写真を撮り続けている。また、写真家としてだけでなく、映像作品への出演や、執筆、講演なども行っている。
これまで、東京、大阪、奈良、名古屋など、国内の主要都市で展示会を開催。2010年にスイスでグループ展、ロンドンで個展を開催。2006年、ニューヨークのコーネル大学で個展、2009年沖縄県立美術館でグループ展「アトミック・サンシャイン」、2008年東京国立現代美術館企画展「沖縄・プリズム 1872-2008」、2005年アメリカ、ブラウン大学「沖縄ソウル」展、2004年ニューヨークのP.S.1コンテンポラリーアートセンター(MoMA翼Aメリカ近代美術館)「永続する瞬間・沖縄と韓国、内なる光景」、横浜美術館「ノンセクト・ラディカル」、2003年オーストリアのグラーツ市美術館のカメラ・オーストリア特別企画展などに参加。
2010年の英国ロンドンでの個展を皮切りに、テートモダンをはじめ大英博物館などヨーロッパやアメリカの美術関係者に衝撃を与え、高い評価を受ける。その長年の実績により、日本を代表する写真家として海外でも注目を集め、2011年に『FENCES, OKINAWA』でさがみはら賞を受賞。今年2月には、東京・横浜において『港町エレジー』(1980年代撮影)や『日の丸視る目』(2011年未来社出版)など、新旧作品による4展示会を同時に開催するなど、近年、さらに精力的な活動を続けている。 
今秋には、オーストリアのウィーン大学日本学科で開催される「復帰40年 沖縄国際学会」にゲストスピーカーとして招待が決定。沖縄からの視点を「写真」で表現し、海外へ向けダイレクトに発信し続けており、今後のさらなる活躍に期待がかかる。

【主な著書】
「熱き日々 in キャンプハンセン!!」(あーまん企画、1982年)
「港町エレジー」(自費出版、1990年)
「仲田幸子一行物語」(自費出版、1991年)
「沖縄ソウル」(太田出版、2002年)
「ノンセクト・ラディカル現代の写真III」展示会カタログ(横浜美術館、2004年)
「LIFE IN PHILLY」(Gallery OUT of PLACE、ZEN FOTO Gallery、2010年)
「FENCES, OKINAWA」(未来社、2010年)
「日の丸を視る目」(未来社、2011年)

*ご質問やプレス用イメージをご希望の方は、下記にお問い合わせ下さい。
〒904-0115 沖縄県中頭郡北谷町美浜9-20(アカラ内)
TEL: 098 926 2764  担当 内間直子   
アカラギャラリー http://www.bokunen.com/gallery.html
石川真生ウェブサイト(英語のみ) http://maoishikawa.com/

【「フェンスにFuck You!!」で石川真生とコラボした34組のみなさん(順不同 肩書きは撮影当時のものです)】
比嘉美由紀(ひが みゆき)/販売業
平川彩絵(ひらかわ あやえ)/セラピスト
小野千尋(おの ちひろ)/フーテン
山里満寿代(やまざと ますよ)/バイオリン教師
比嘉秀治(ひが ひでじ)/会社員
坂井友紀子(さかい ゆきこ)/歯科助手
糸満盛仁(いとまん もりと)/ミュージシャン
内間直子(うちま なおこ)/コーディネーター
宮下和幸(みやした かずゆき)/クラブ経営
伊波大志(いは たいし)/沖縄唯一の闘牛アナウンサー
吉濱翔(よしはま しょう)/美術家
西平守智(にしひら もりとも)/ハルサー
豊里友行(とよざと ともゆき)/写真家
知花竜海(ちばな たつみ)/ミュージシャン
円城寺あや(えんじょうじ あや)/俳優、東京在住
石原燃(いしはら ねん)/劇作家、大阪在住
清水弥生(しみず やよい)/劇作家、東京在住
うちま ゆみこ/shanti shanti
吉山森花(よしやま もりか)/美術家
中野勇二(なかの ゆうじ)/アパレル、東京在住
アンジー ブリッツキー/英語教師
越路よう子(こしじ ようこ)/ミュージシャン、横浜在住
新垣愛(あらかき あい)/ブライダルカメラマン助手
タイラジュン/写真家
平良真寿美(たいら ますみ)/カフェ経営
ミキネ デザキ/高校教師
並里幸太(なみさと こうた)/そば屋
赤嶺知晃(あかみね ちあき)/フリーター
「ストロベリーナプキン。」 ナースえりぃ(名嘉恵利子)/太郎婦長/あきとし助手/たいち医院長(名嘉太一)/ナース れん/ナース えま/会長
名嘉睦稔(なか ぼくねん)/画家
DJユニット「CHURASHIMA NAVIGATOR」 SINKICHI/NuーDoh
玉那覇任(たまなは しん)/アナーキスト
木下裕也(きのした ゆうや)/反仕事
金城大吉(きんじょう だいきち)/フリーター
新垣誠(あらかき まこと)/コミュニティー・オーガナイザー
パトリック・ゲルドーシ/写真家、フランス在住
池原えり子(いけはら えりこ)/大学院生、在米うちなんちゅ
ジャン松元(じゃん まつもと)/写真家
伊禮若菜(いれい わかな)/写真家

ポスター写真:石川真生 題字:名嘉睦稔 デザイン:名嘉太一
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