Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

大晦へ

2011-12-31 | Weblog
昼間に電車に乗ると人が少ない! さすがは年の瀬。稽古納め。そして梅ヶ丘へ移動。忘年会。ホットプレートを持参したので、思いつきで肉を焼いてみたりする。入れ替わり立ち替わり延べ何十人の人が顔を見せてくれたのだろうか。こんな年だったが、と、挨拶はいつも留保つきだが、賑やかに夜は更ける。
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気がつけば十二月もあと2日

2011-12-30 | Weblog
やり残したことを消化していくがなかなか捗らない。……午後、演出者協会理事会。〈第二回日韓演劇フェスティバル〉については、言わねばならないことを言う。私が言っているのは経緯の透明化と原則論だけだ。以前から心配していたことばかり。今からでもやれることはやらなくては。……西川信廣さんと久しぶりに話す。憐さんの『お隣りの脱走兵』のことや、諸々。93年の暮れに私が初めて海外に行った先は北京で、フェスティバル参観団の一員だったのだが、そのとき西川さん、瓜生正美さんと一気に親しくなった。その話題もまたお二人との間には出てきた。それにしても八十八歳の瓜生さん、「心臓と肝臓は二十代並みと医者に太鼓判を押されている」そうで、お元気で嬉しい。……夜、同協会忘年会。ちょっと前まで流山児さんや宮田慶子さんと司会を担当していたのだが、それも若手に譲って楽ちんである。賑やかなようだが昨年より微妙に人が少ない気がする。やはり不況なのだ。この忘年会の会費は、二十代2千円、三十代3千円、四十代4千円というふうにスライドしてゆく。来年からは私も最高額の5千円になる。夏井君を励ましたり、新婚の篠本氏をひやかしたり(というより本人が自慢しているのだが!)、仙台で踏ん張っている渡辺ギュウさんの話を聞いたりしているうちに夜は更けるが、終電は逃さず帰る。
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映画『“私”を生きる』

2011-12-29 | Weblog
土井敏邦監督の新作『〝私〟を生きる』は、99年の国旗・国歌法制定、石原都知事就任を経て、都教委による教員に対する「日の丸」「君が代」の強要=〈10・23通達〉以降の趨勢に抗った三人の教師たちが、どのようにたたかったかを描いている。副校長が隣に座って監視する中での卒業式での「君が代」起立の強制が、「中国で日本兵が民間人を虐殺することを強制させられた体験に繋がる」と思ったという根津公子さんの実感、「嘘をついて生きていけない」という言葉が、胸に刺さる。私たちは鈍感になってはいないか。
「少数派」に表現の自由を認めない、傲慢かつ感情的で論理性のまったくない「保守」の自称「一般市民」たちは、おそらくこの国を覆う「不安」に支配され、あるいは彼ら自身が受け止めて逆らえない「現実」に疑義を呈する想像力を持たないために、無自覚に「少数派の排斥」に手を貸している。授業で従軍慰安婦や同性愛の問題を取り上げることさえ禁じられ、つるし上げを食らうという日本の実態、「反抗分子」をやめさせるために、緊急保護者会を開き、子供たちを誘導しようとする愚かな人たちに囲まれ、それでも諦めない人たちの姿は、この国の多くの「少数派」がどこでも晒されている現実だ。
教師にも権利がある。教師たちも「子供たちに教える権利」を奪われたということになるのだ。教員たちの言論の自由を奪い、意見をくみ上げることを法律で阻むことに、なんの意味があるのか。そもそも、強制されなければ敬うことのできない国旗や国歌など、意味がないではないか。
映画の中で取り上げられたお三方とも、尊敬できる人たちである。教員にも生徒にもひとしく人権はあるというのは、当たり前のことのはずだ。人間が作った最高の文化が「平和」である、という土肥先生の言葉は素敵だ。お二人の女性教員は一度は自殺を考えるほど追い詰められた。そこから立ち直り、自ら振り返って「不幸でなくなる」という体験の道筋を伝えようとする根津さんの姿が眩しい。
日本の保守化・右傾化はそのまま国民を愚鈍にしている。こんな国だから、滅びに向かっているのだとよくわかる。少数派に対する「いじめ」を許容して恥じない社会。橋下新大阪市長の撒き散らす教育改悪へ向かう喧伝が政治的に利用されようとしている今、この映画の存在意義は大きい。観て、怒りに震える。同時に、励まされる。ドキュメンタリーというものの果たすべき役割を確実に満身に湛えた、いま、観るべき、見せるべき映画である。
http://www.doi-toshikuni.net/j/ikiru/index.html
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エアポケットのような一日

2011-12-29 | Weblog
いつの間にか今年も終わろうとしている。机に向かうのに疲れて出かけた下北沢の街もどこかさびしい。工藤千夏さんの新作を四時からスズナリで観る。吉祥寺で稽古、今日だけは夜のみだ。一週間経たない間に皆にいろいろと成長が見られて嬉しい。誘われていた忘年会には行けなかったが、久々に大西が帰京し顔を見せたので、稽古後に有志で飲む。演劇人は酒飲みが多いと思われているが、稽古や本番が終わってから飲み始めるので、そんなに長時間飲むわけではないことが、多い。終電車に間に合わないような輩については、別の話だが。……特に目の前に迫っているもののない、慌てて何かをするではない、穏やかなのか寂しいのかわからない一日。
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荒んだ世の中は戦争に向かいやすい、か

2011-12-28 | Weblog
政府は安全保障会議で、武器輸出三原則の緩和を決めた。戦闘機などの国際共同開発・生産への参加と、国連平和維持活動(PKO)などで使用した装備品の人道目的での供与が解禁されるという。戦争を放棄したこの国の憲法に反していることを看過していいのか。……斎藤憐作・渡辺美佐子出演のリーディング『ジョルジュ』を観る。松橋登さんの年齢を超越した二枚目ぶり。渡辺美佐子さんの言葉は、確実に肉体に内在化していて、見事である。ピアノの演奏も素晴らしい。……稽古。本格的に〈ビューポイント〉メソッドの過程に入る。終えて、リアン・明子と台湾料理。来日以来バタバタしていたがやっと落ちついて話ができる。しみじみとありがたい夜。……翌日はまた昼前から詳細な打合せ。創作のために語り合うことの豊かさ。そして稽古。
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斎藤憐さんを偲ぶ会

2011-12-27 | Weblog
稽古。終わってすぐ座高円寺。「斎藤憐さんを偲ぶ会」。開会の挨拶をする。リーディングにも一瞬出る。『上海バンスキング』チームの演奏、串田和美さんらしい演出。超多忙のはずの笹野さん、小日向さんらも参加、豪華メンバー。そして吉田日出子さんの登場、その歌声に私たちは一瞬、夢の中にいるような気持ちになる。日出子さんが後ろに映された憐さんの姿の映像を見て、一瞬、止まる。串田さんに肩に手を置かれて「だって、かわいそうなんだもん」。……憐さんの高校の同級生の談話にあった、かつて憐さんが『泣いた赤鬼』の「青鬼」役をやったという話に、いつもは冷静なFさんが涙していた。そうだ、確かに憐さんは自ら「青鬼」を買って出る人だった。……ああ、今になっても、いまだに憐さんがいなくなったという気がしない。
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吉祥寺の日々

2011-12-25 | Weblog
稽古。終えて、稽古場から歩いて二十歩の吉祥寺シアターで、SCOT『別冊 谷崎潤一郎』。……やきとんをさくっと食べて帰る。均一料金、箸を使って食べる料理は出さないシンプルな老舗。クリスマスイブだが繁盛している。……今年はクリスマスというものに本当にリアリティがない。自粛ということではないよ。そもそも何も関係ないという気持ちが明瞭になっただけだ。コンビニの前でケーキを売っているバイトの子たちが寒そうだ。……自転車通勤には寒い日だが、さっと帰れていいという気もしている。実際、さっと帰れる。……アメリカ政府はフェイスブック推進バックアップで個人情報を掌握しようとしているのだという意見を聞いて、一瞬そうかとも思うが、何か違う気がする。
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年の瀬に稽古開始

2011-12-24 | Weblog
午前十時、珍しく稽古場に一番乗り。リアン(Leon)・明子との稽古。今回はゴンゾこと宮島健も久しぶりに参加。彼は二十年以上前に外国人バージョンの『ニッポン・ウォーズ』で、日本人三人だけ参加のうちの一員なので、そのときリアンと共演している。時の経過をしみじみとうけとめ、ゆるやかに稽古が始まった。……名古屋の加藤智宏さんから『東京アパッチ族』を打ち直して整理してくれた台本が届く。矢野健太郎さんが中心に作業してくださったとのこと。ありがたい。十二年半も前のものですが、来年の七ツ寺共同スタジオでの上演にはどのような姿のものになるか楽しみ。東京公演もしてほしいなあ。
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先生でなくても走る十二月

2011-12-23 | Weblog
午前中、新宿で日韓演劇センター会議。将来の話をする感覚が今までと違う。やはり震災後、である。……午後、座高円寺で斎藤憐作『アメリカンラプソディ』再演。初めて観る。作者にいろいろ突っ込みたいのだが、もういないのだ。……なにしろ演劇人が集まる劇場。ついでに打ち合わせ、渡しもの、相談ごと、などなど。いっぱいいろんな人と顔を会わせる。……夜、ババ・タラフマラ解散公演『三人姉妹』。八年掛けて磨きあげてきた作品で疾走する三女優は素敵。このメンバーではこれが最後って、そりゃもったいない。小池博史さんの劇団での三十年はもうすぐ終わる。……夜も9時から来年2月に私が演出する東京演劇アンサンブル『荷』美術打合せ二回目。……酔客の間を縫って帰宅。今夜来日したLeonと明子の携帯に電話するが繋がらない。Jet lagだろうから、かけ直さない。3月後半上演のLeonと私の共同演出『ALL UNDER THE WORLD』公演に向けての稽古も明日からスタート。FB上で「doki doki」と呟くBenに「Welcome back to Rinkogun!」。
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「学生版日本の問題」

2011-12-22 | Weblog
学生劇団6本を観る。どうやらほとんどの作・演出担当が先の「小劇場版」を観て「同じようにならないように」という気持ちが働いたらしい。そこにかなり勘違いがあると思う。A組三本はまったく「日本の問題」ではなく「私の問題」でしかない。「問題」=「深刻さ」という思い込みもあるようにみえる。〈四次元ボックス〉がダンスで頑張っていた。B組は出入国管理についての〈劇団けったマシーン〉が「問題」を明らかにできてはいた。皆、私が学生の頃に比べると「まとめ方」にこだわっていて荒削りではない。学生たちだと思えば細かいことを言っても仕方がない面もあるが、いずれも2011年という現在の作品という感じがまったくしないのが不思議でならない。小劇場版に続いて松枝プロデューサーの仕掛けに乗ってみたわけだ。皆さんとお話したが、学生たちは大人びているのか子供っぽいのかがよくわからない。考えてみると皆、息子とそう年齢が変わらないのだ。……森田芳光監督亡くなる。残念。彼の映画は八十年代は必ず封切りのさい観に行った。やはり『家族ゲーム』がベストだろう。『の・ようなもの』は妙な映画だった。『ときめきに死す』『それから』もどこか何かが足りないような気がしたがそれが狙いかもと思わせたのが印象深い。『バカヤロー!』シリーズなどで若手監督を育てた実績もある。彼の脚本映画『ウホッホ探検隊』に私は河原で踊る舞踏ダンサーで背景(?)に出ている。当時助監督だった篠原哲雄君に呼ばれたのだ。四半世紀前の暑い夏だった。……中津留章仁さん紀伊國屋演劇賞受賞。めでたい。去年は岸田戯曲賞の選考会で『奇行遊戯』を推しまくったがダメだったけれど、今年はもう彼の勢いは止められないだろう。
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民主党、お前はもう死んでいる

2011-12-21 | Weblog
八ツ場ダム工事再開だと。ふざけるのもほどほどにしてほしい。既に山のような裏切りを重ねてきたわけだが、公約をここまで守らないでいて政党といえるのか。何もかも政権を取るためのまやかしだったのか。国民の不安やあきらめに覆われた情況に乗っかって、何をしてもいいと思っているのか。解散総選挙しかない。……民主党、お前はもう死んでいる。と、記してみたが、やはり「もう」ではないな、「とっくに」だな。つまりこの国は現在、ゾンビの支配する国である。……机に向かうが雑務が終わらない。ぎりぎり書類を間に合わせて家を出る。夜、劇団ミーティング。さまざまな意味で過酷だった一年を振り返る。
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戯曲セミナー研修課

2011-12-20 | Weblog
劇作家協会戯曲セミナー研修課の講座。かなりの長時間にわたる。公式な仕事なので詳細は記さないが、受講者が既に各所で頭角を現す実力派たちだけに、密度の濃い時間。現在は座高円寺で行われている基礎科の後に、この研修課ができてまだ日が浅いが、今後が楽しみである。……金正日の死。表に出るということは、かの国で既に対応は決めてあるのだろうが、ざわざわとした不安。マスコミが後継者は誰だとか取り沙汰しているのは勝手にすればいいのだろうが、まあ単純に考えても、社会主義を標榜する国で、国家のトップが世襲というのはヘンだろう。……昨日の書き込みの東洋現像所は東京現像所の間違いだったようだ。いずれにせよ、デジタル化の趨勢は止まらないだろうけれど。
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日曜日

2011-12-19 | Weblog
週明けまでにこなさなければならないことが多く、また突発事項もあって、とにかく籠もって仕事。いろいろな会にも顔を出せなかった。……野田首相が韓国の李明博大統領と会談、元従軍慰安婦の問題について「優先的な解決」を迫られ、賠償や謝罪について相変わらず「解決済み」「法的には決着済み」と解答。一方で「人道的見地から努力する」と「上から目線」の物言い。ソウルの日本大使館前に設置された元慰安婦を象徴するとされる少女ブロンズ像について、野田首相は「早期に撤去を」と要請、李大統領は「日本政府が慰安婦問題に関心を見せれば起こらなかった」「誠意のある措置がなければ第2、第3の像が建つ」と返した。日本の政治家たちがぞんざいな態度を変えないとしても、まずはこの国の子供たちに歴史を正しく伝えることが先決だと思う。……イマジカ=東京現像所が、希望退職者募集とのこと。従業員数を半減するらしい。映像デジタル化の影響ということか。もはや「フィルム」の存在を知らない世代が出てきているのかもしれない。所在地は五反田、あの川沿いの場所が、一時はアジア唯一のドルビー技術を持った施設として、映画の「最終仕上げ」にやってきたアジアじゅうの映画監督・技術者が集結する場所だったのは、二十年近く前である。エドワード・ヤンや侯孝賢のみならず、各国の若手の映画人たちもぞろぞろあの近辺を歩いていた。五反田というか東京は、「東洋のハリウッド」になる唯一のチャンスを、むざむざ見過ごしたのだ。映画は一例に過ぎない。目の前のバブルに踊った日本は、未来に対する誠実さが足りなかったのだ。多くの「現在」の現象は、その結果だ。
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日の短さ

2011-12-18 | Weblog
ドイツ戯曲のリーディング『キック』。こういう「報告劇」形式のテキストをリーディングでやるとなると、これはかなり厳しく正確さを要求されるものだと思う。「読む」のではなく「肉声」にするためには、何が必要か。沼津でのリーディング参加以来、いろんなことを考えている。……いろいろな人と話。……Iさんにクジラをご馳走になる。素晴らしい自家製愛犬カレンダーもいただく。じつは私も、猫派か犬派かと問われれば、圧倒的に犬派なのです。……読まなければならないものが山積。とにかく前へ。……福島第1原発1号機の使用済み核燃料プールの冷却装置から水漏れ、一時的に冷却できなくなったという。「冷温停止」の虚偽は明らか。
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外と内の寒さ

2011-12-17 | Weblog
昨日「暖かい」と言ったことを撤回しなきゃ、というしかない、寒風の到来。……今日も机に向かっているうちに時間ばかりが過ぎていく。……それでも意外に暖かさが戻った夜、〈こゆび侍〉を初めて観る。宮崎駿テイストのファンタジーを狙っているのか衣裳などアニメからそのまま出てきた感じだ。主演の女の子はたいへんかわいらしいが、劇団員ではないらしい。二十代後半の集団である。今週観た三十代劇団たちに比べると格段に話はわかりやすい。いつもそうなのかどうかは知らないし、そこに微妙な世代間差があるのかどうかもよくわからない。……帰路、夜の電車の車内で感じるのは、だいの大人がだらしないこと。なんというか他人に対するデリカシーのなさ。他の国ならもっと人に対して丁寧だ、というか、他者の怖さを知っている。感覚が麻痺している子供社会。……現実の厳しさには直面しているはずだ。だが、とにかく三十年前なら当たり前だったレベルでさえ、ハングリーさがない。それはそれで今の時代の苦しさということなんだろう。……息子がニューヨークタイムスの記事「Japan May Declare Control of Reactors, Over Serious Doubt(日本政府が原子炉制御成功を宣言しても、その裏には重大な疑問)」を原文で読みたいというので携帯に転送する。受験に関係あるのかどうかは知らない。壊れた原子炉を抱える福島原発の「冷温停止状態」が嘘っぱちなのは誰もが知っている。「冷温停止」という用語は通常は健全な原子炉に対して使うもので、原子炉が十分に安全で格納容器を開いて中の燃料棒を取り出すことが出来る状態を示すものである、「冷温停止宣言」は福島原発があたかも収束に近づいているというような誤解を招きかねない、というのも既に周知の事実。アメリカが「地震や津波が再び襲って、東電の間に合わせの原子炉冷却システムを使用不能にしてしまう可能性」をしきりに指摘するのは、日本産業への不信を煽るためでもあるだろうが、間違っているとは言えない。この文中で九州大学原子力工学科の工藤和彦教授が「冷温停止」について言っている、「私が知りたいのは、本当にそんなこと言ってしまっていいのか、ということです」という通りなのだが、それは教授自身にも、私たちみんなにも、かかってくる。他人のせいにはできない。実は、まったく今現在、日本という国に対する信用そのものが問われているのだ。これはファンタジーではなく、現実である。
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