Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

高知の散髪屋は大衆路線だ

2023-02-27 | Weblog

高知の散髪屋は大衆路線だ。

しかも看板は「衆」の字が部分的にハサミになっていてお洒落だ。

唐突に甦る、昨年晩夏の土佐の思い出。

今年も高知に行くことになりそうだ。きっとそうなる。

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天丼のことも忘れてはいない

2023-02-25 | Weblog

カツ丼のことばかり書き込むから、他のものは食べないと思われているといけないので、事務所そばの天ぷら屋さんがランチに出す天丼のことを記しておこう。

ここはもう三十年くらいは知っているが、サービスのランチタイム以外に入ったことがないのである。年に一回も入ってはいないという気もするが、さすがに顔は覚えられている。

天ぷら専門店にしてはそう高くはないのだろうが、地元に定着した常連さん中心の店である。新宿や渋谷ではこの値段では食べられないだろう。

いっとき(二十年近く前か)、かき揚げ天ぷらをバンズに挟んだ「天ぷらバーガー」を売り出したりして心配したが(一度だけ食べた)、すぐに発売はやめた。さすがに。

おやじさんの体調が心配だが、年末、久しぶりに入って、相変わらずであり、こだわりは健在だった。

 

サービスのランチタイム以外に入ったことがないといえば、井の頭通り沿いの水道道路に面した「天多呂」も、そうである。いつか夜に入ってみたいものだと思ったが、その勇気が出なかったということもあるけれど、機会がなかった。何年か前に、もう、店はなくなってしまった。

 

私は劇団旗揚げ公演にも天丼を登場させている。その頃は今以上に、滅多に食べられるものではないと思っていたから、天丼に対する思いが溢れる、ある台詞は、今とはまた違う意味に響いていたはずだ。

天丼というものは、やはり、タレが甘いので、純粋天ぷらファンからは軽蔑の視線を浴びている面がある。某うどんチェーン店では、うどんでなくご飯を注文して、トッピング用の天ぷらを載せて、天丼用のタレを自分でかけて食べることができるというところがあるらしい。それを知ってからまだそのチェーン店に入っていない。なんとなくそれはやってみたくないような気がするのだが。

 

 

 

 

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すごかったカツ丼

2023-02-23 | Weblog

ここしばらく、カツ丼のことばかりふれているようだが、そして、タマゴでとじないカツ丼のことを推奨しているようだが、この二、三年で、断トツだったのは、福島の、このカツ丼である。

 

一昨年にも書いている。

https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/13a857189abb6087c89b1e61f4d9229a

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東京タワーの先にある食堂で、ビフカツを

2023-02-20 | Weblog

東京タワー方面に歩いた話は、記した。

東京タワーの近くにある食堂で、二度、昼飯をとった。

二度目は、上野敏彦さんが推奨されている〈大越〉という洋食店で、ビフカツを。

ビフカツといえば、京都か神戸、と勝手に思っている。

私は大昔、京都大学生協食堂のビフカツ定食に感動したことがあるが、また、かつて、廉価版とは思うがステーキ用の冷凍牛肉をいただいたことがあって、それを自分でビフカツにして食べたことがあり、それを使ったカツ丼がまた……という記憶がいろいろあるような気がするものの、実際の日常生活では、滅多にビフカツを食べることも、それを使ったカツ丼も、食べることはない。

そんななりゆきで、上野さん推奨〈大越〉の初体験は、ビフカツということになった。

正しい大衆洋食屋のビフカツであった。ソースは、西の人間の思うものとは、やや違う。コールスローが付け合わせなのが、なかなか良いと思った。

今回は、カツ丼についての書き込みをした流れでもある。カツ丼を最初に思いついた人は、どう考えてそのアイデアに至ったのだろう。というか、カツレツついうものを最初に思いついた人は……。と、考えていくと、きりがない。

 

というか、今、書かねばならないものがまだ終わらず、とりとめもない感じになりかけていて、ここでもうすこし頭を整理させるために、気持ちの切り替えとして、あえてこの稿を記している。そういうこともあるのである。

 

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東京タワーの真下にある食堂

2023-02-19 | Weblog

東京タワー方面に歩いた話は、記した。

東京タワーの近くにある食堂で、二度、昼飯をとった。

一度は、『福島で酒をつくりたい』 (平凡社新書)の著者で、最近お世話になっている上野敏彦さんと落合い、昔ながらの喫茶店で、オムライスと、水出しコーヒーを。東京タワーの、ほぼ、真下である。

ケチャップのかけ方は独特だが、懐かしいオムライスであった。

そしてこの店のランチには、上野さんご推奨の、チャーシューメン定食というものが、あるのである。喫茶店なんですけど。

私の東京タワー界隈再発見は、上野さんというメフィストフェレスの導きによるものである。

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おのれの現実を知る過程

2023-02-19 | Weblog

このポーズをして、どこの部分に痛みが走るか、負担がかかるか、人によって違うのだが、おのれの現実を知る過程ではある。

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久しぶりにアメリカで 『屋根裏』 が上演されます

2023-02-17 | Weblog
久しぶりにアメリカで 『屋根裏』 が上演されます。
来月、3月4日開幕。
 
16年前、オフ・ブロードウェイで〈The Play Company〉によりアメリカ版『屋根裏』が上演されたときの出演者・ Michi Barall (写真中央)が、若者たちと一緒に新版を作り上げるという。
詳細は、追って公表します。
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「進化」を否定するのではない

2023-02-17 | Weblog

私の出身地・岡山が「ソースカツ丼」文化圏であることは、かねてからお伝えしてきた。

「ソースカツ丼」にもいろいろある。

「卵とじカツ丼」ではない、という意味では、ソースが洋風でも和風でも、「ソースカツ丼」と考えてきた。

「卵とじカツ丼」を誹謗する気持ちはない。「煮カツ丼」よりも「煮ていないカツ丼」に軍配を揚げただけだ。

すぐれた「卵とじカツ丼」が実在することも、私は知っている。

 

さて、私の最近のお気に入りは、新潟の「タレカツ丼」であった。

それは、信州駒ヶ根あたりがさらっとした「ソースカツ丼」で攻めているのとも、微妙に違う行き方だ。

店によっては、山椒を振りかけることが推奨されていたりするのも、新機軸だ。

 

「ソースカツ丼」圏でも、カツの下にキャベツの千切りがあるかどうかという、流派の違いがある。

「味の付いたカツ」だけでいいのか、タマゴがないのはいいとして、さみしすぎるからキャベツを敷きたい、という地域の方々の悲鳴が、丼の中から聞こえるときもある。

だが、私は、「カツだけ」も悪くない、と思うのだ。

昨今、「ソースカツ丼」は、「カツだけ」派が勢力を増していた。と、思う。

 

さて、ここにきて、「卵とじカツ丼」ではないけれど、丼ご飯の上にタマゴを敷いて、その上に味の付いたカツを置く、という、新流派が登場した。

「卵とじカツ丼」が「タマゴの上に載せカツ丼」に「進化」して、人々に対して、「タマゴとカツの相性」を忘れてやしませんか、しかも「味付けは和風だしというかタレで」という構えである。

私も決して純粋「カツだけ」派としてだけ、日々を過ごしたいと思っているわけではない。「タマゴとカツの相性」に惹かれる自分を否定できないときもある。

 

そして、時の推移の中で、「タマゴの上に載せカツ丼」というものが登場していることを知った。

都内に数軒現れているという。

渋谷の店に行った。行列がすごかった。そして、人気に乗じて、年を越したときに価格を5割上げたという店である。

この「タマゴの上に載せカツ丼」には、なんと、玉葱が入っていない。「純粋タマゴ派」なのだ。結果は、悪くないと思った。

お薦めもしたいと思った。

だが、純粋「カツだけ」派である自分も、捨て去れない。否定できない。

 

「進化」を否定するのではない。

それまでなかっただけで「新しい」「進化」という評価を与えるのではなく、純粋「カツだけ」派もまた、まだ道半ばであり、さらなる飛躍もありうると思うからだ。

 

締切はどうした、と言われても、頭を切り換えるためにこんなことを書きこむことは、許してほしい。そして、この話は終わらないのだ。でも、今日はここまで。この世のいろいろな出来事から、いっとき逃避して、カツ丼のことだけ考える時間も、あってもいいじゃないか。というだけのことである。

 

 

 

 

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対応していくしかない

2023-02-16 | Weblog

最終的に本日正午になった締切の書類のためのあれこれで、ここ半月は忙殺、というか、他のことをしていても気が抜けない状態にされていた。何しろ一刻一刻、立て付けが変わってしまうのである。対応するしかない身は、辛い。ともあれ、後は、結果を待つのみである。

おかげで立ち遅れている締切のある原稿が、二つ。

とにかく、相手があることで、事情が明確でないにもかかわらず対応していくしかないということは、日常にも多くあり、とにかく、こなしてゆくのである。

 

 

 

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東京タワーへの道

2023-02-11 | Weblog

学生時代三年通ったはずの大学だが、東京タワーがあることは知っていても、東京タワーまで歩いてみようとしたことは、一度くらいしかなかったはずだ。

この秋からは、三度、東京タワー方面に、歩いた。

なんだか四十年の時間を、取り戻した感じ。

まあ、だからなんなんだ、という種類のことなんだけど。

 

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川上未映子さんの『夏物語』

2023-02-08 | Weblog

必要があって、川上未映子さんの『夏物語』を読む。

第二部の方が圧倒的に読みやすい。その読みやすさが、どういうことなのかを、考えている。第二部は、村上春樹的な会話と地の文の繋がりの法則、そして翻訳可能文体の特徴を備えているわけだが、それだけだとは思いたくない。

例えば、「(子どもの頃)海と、港の違いがわからなくて」という台詞が見事に効果的に立ち上がってくるためには、それを誰が誰に言うかということの選択と必然の説得力が備わっていなければならない。それにはこれだけの長さ(650ページ)が必要だったということだろう。子どもの頃の時間と現在の共存する文字空間が、批評性を備えた立体像に到達できたことを、読む者も自然に祝福できる。

さいきん、身近なところでも出産があったばかりだが、「子どもをうみだす」ということがどういうことなのか、あらためて、考えさせられる。

以上、覚え書きとして。

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四十年

2023-02-05 | Weblog

レポート等、採点を終えた。これで今年度の大学の業務は、終わり。

自分なりの価値観を持っている学生たちの一人一人は、頼もしくもあるし、自分の手の届く範疇で考える面もある。

出立する地点はどうであれ、未来と彼方は、開かれている。

これからの時代がどうなるのか、悩ましい。

自分が卒業して来年で四十年である。我が身を振り返りもする。

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焼酎的 というコトバは、ない

2023-02-03 | Weblog

グループ LINE に文字を打ち込んで送り、ふと見ると、「焼酎的」というコトバがある。

あー。

「象徴的」と記そうとしてミスタッチだったのだ。

慌てて削除し打ち直して再投稿。

 

いやはや。

「焼酎的」というコトバは、ない。

ないはずだが、

私の潜在意識が指を動かしたのか。

いや、じつは「焼酎的」というコトバは、今、生まれたのだ。

私という人間が「焼酎的」に生きているということの無意識の反映なのだ。

「焼酎的」とは、いったい何の象徴なのだろう。

 

写真は、私がもっとも飲む焼酎。徳之島産の「島のナポレオン」。

黒糖焼酎で最安値である。

 

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