新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

「平和への誓いを新たにする日」 と・・・

2014-08-16 07:44:34 | 私の声
 八月に入ってからは、〝平和”〝戦争”ということばとそれに関する記事を、新聞やテレビを通して聞いたり見たりする機会が多い。聞いたり見たりするたびに、落着けないのである。なにか表面的に聞こえて虚しさが感じられる。ただ単に〝言っている‴だけに聞こえて。ことばを換えれば、言っていることがその人間(ひと)に超えられてこそ、深まり広まりて真に自身のためになるのだから。深まり広まったことばは、他者に役立たないはずがないの確信である。ことばとは裏腹に、人と人の関係が望ましくない方向に、向かっているではないか。現に兵器を作ることに知恵と費用を費やし、戦争があちらこちらで起き、止むことを知らないではないか。他国が攻撃してきたらと、そのときの準備をしている。そうじゃなくて、ともどもに平和になる手立てに関心が向けられたならば、もう関係が和み平らに。深まり広まりになる手立ては・・・なによりも、救われていない自身が、自身に感じられるかであろう。そうでなければ、ことばだけが自身の外で空転するしかない。どこまでもどこまでもだ。
 歎異抄のなかに、〝万事は皆なそらごと、たわごとで、まことがない”と。学びなき者には、真の平和を知らしむることはできないのである。どの人間(ひと)もどの人間も、どの国もどの国も、必ず平和になれる道は、すでに用意されているのだから。肉眼には見えなくても、あるんだよ。真に学べてこそ、平和の尊さとその手だてが得られるのだと。

コメントを投稿