「お前自身の不信によるもの」ということばだったようだ。このことばに、値遇(であ)えれば値遇えるほどに、私はより私として私させていただき、その方はその方としてその方させていただける道だったのだから。ややもすると、「私自身の不信によっている」ということばを見失い、「不信」が忍び寄り、この私を乗っ取り、混乱にならせていただける「不信」である。救われたがっているこの身にとって、細胞の一つ一つに沁みこませておきたいことばである。「私のことば」「その方のことば」が分けられていないならば、私自身は不信の虜になり不信に陥っているときといえよう。「私のことば」「その方のことば」という厳然たる事実がないがしろになっている自分に、気づかせていただけよ! 呼びかけられている今である。「その人間(ひと)のことば」に腹が据われれば据われるほどに、おのずとともどもに救われずにはおれない道であるからして。
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