❝言葉は用(はたら)いている”って感じられたときが、お有りだろうか。なんのことか、どお言う意味なのか、と。おそらく分かりづらいでしようね。日常生活を送っているだけの身においてはね。日常生活においては、言葉は単なる目的を果たすための手段になっているからである。目的を果たすためには役立っているのだ。それだけの体験しかできずに生きているから、言葉が用(はたら)きである体験をせず仕舞いになっている。この言葉の用(はたら)きこそが、人間が人間にならせていただけるかに、ひとえにかけられているところと言える。この言葉の用きは、肉眼にはみえない。ところが、見えない・見えにくいものが見えてくる学びを、カウンセリングと名付けられる。見えて観させていただけた体験に優る歓びはない。この体験は日常会話では、およそできない。雑になっている関係であるから。言葉は声にならないところでは、その用きには値遇(であ)えない。そして、声になった言葉を聞いていただき、聞かせていただけたとき、値遇わせていただける体験になれる。人間としての奥深さが養われてゆける。ともどもに、育まれ合う学びしませんか。あなたに具わっている成長への資質は、目覚めたがっているに違いない。目覚めたとき、目覚めたがっていたんだなぁって、気づくでしょう。
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