「自分を大事にする」ってところは、自分勝手なところであろう。日常生活では、自分勝手をしていながら、平気な関係だ。平気かどうか。何とかしたいと思っても、その手だてが分からずに、マンネリ化に甘んじているようだ。言っても聞いてもらえない、等と相手に対する不満をため込み続ける。時には爆発したり、黙り込んだりと。つまり殺し合いだ。家庭内も学校教育も職場も。ところが、自分勝手になっている自分に焦点が当たると行動が変われるのだ。もう、放ってはおけなくなる。学ばずにはおれなくなるのである。聞いてくださる人間(ひと)が必要だった。聞いてやるから言いなさい、と言うような人間の前で語る気は起きない。そのような人間には、聞いていただけないのが分かっている。聞いていただこうと言う行動になり、聞いていただけた、にならせていただけた人間に出会えた有難さ。カウンセリング研修会に足を運んだ所だった。その人間こそカウンセラーと私には呼べる。教えようとしていたのではなさそう。新しい世界が広がった瞬間だった。有限な自分を見させていただけた。自分が有限だったとは、初めて思い知らされた思いがけない出来事に遭遇できた。カウンセリングの学びの厳かさ!。自分の想いを語る、つまり自分を大事にするところは、聞いていただけて、「自分が大事にならせていただけた」と言えるところ。この世に生まれてきたのは、このいのちに願われているものに値遇うためだった。アメリカの哲学者・ロジャーズは、「成長への資質」と言うことばで遺してくださっている。「より真なるものを、求め求めてやまない過程の象徴でしょうか」と、日本に初めてカウンセリングを伝えられた、友田不二男氏のことばである。
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