新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

「思いやり」と言っている、その真相

2015-03-01 08:37:42 | 私の声
 これまで、よく聞いてきたし言ってきた「思いやり」と言うことばであるが、今じわりじわり私事になって尋ねさせていただいている。言うは易しであっただけに、言うは易しに気づけないまんま、言いっ放しになっていたのであろう。「思いやり」と言うことばの深みに味わわせてもらえたのは、もう一人の独りの人間(ひと)との関わりがあってこそである。その関わりは、どちらかと言えば、快いとは言えないようなことばと、その声の音色に、聞かせていただけたのである。その人間(ひと)に生じたある感情・ネガな評価のようなものは、私なりにうなずけても、私は私として全く別の世界で動いていたことは、はっきりしてきたのである。今後、他者との関係において、寛容さ・思いやれそうな手応えが身に覚えた。この体験は、不愉快さからのがれられる妙法と言える。年月と熟考の末、「思いやり」の真相に値遇(であ)わせてもらえたのだった。本日このとき、借りものではなく、わが「思いやりの妙法」の誕生になった。
 「親しみあふも深い業縁に違ひない。されど憎しみあはねばならぬといふことは一層深き業縁である。」(歎異抄・金子大榮氏のことば)に通じておりふと思い出されてきた。また、懐が豊かになれた貴重な体験学習になった。これまでの学びには、「障り」が不可欠になっていた。障りに育まれあってきたし、これからも・・・・・・・。