ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




旧東京医学校本館。文京区白山3-7。1989(平成1)年5月7日

小石川植物園(東京大学理学部附属植物園)の西端に建っている擬洋風の建物は「東京医学校本館」として現在の東大構内に建てられたもの。「明治9年(1875)に竣工した木造二階建の建物で、明治政府が諸官庁の建築工事を管掌させた工部省営繕局の設計になる」(国指定文化財等データベース)。『日本近代建築総覧』では「東京大学医学部本部(旧東京医学校)」の建物名で、設計者は「西郷元善」となっている。龍岡門を入った右手に建てられたという(近代建築写真室@東京>旧東京医学校本館)。
「明治44年(1911)に前半部が赤門脇へ移され、史料編纂掛(後半部は神田錦町の学士会館)の建物となる。この際の平面規模の縮小と共に、屋根の上の搭屋、車寄の上の手摺などの形状が変更され現在見るような姿となった」(東京大学総合研究博物館>小石川分館)。このときの建物はグーグル古地図の航空写真で確認できる。同地図の明治の地図では「第一醫院本室」と記載されている。
「昭和3年(1928)以降は営繕課や施設部の建物となる。昭和40年(1965)に解体され、44年に理学部附属植物園(小石川植物園)内の現在地に再建され、45年に国の重要文化財の指定を受ける」。
平成13年(2001)11月に、「東京大学総合研究博物館」の「小石川分館」として開館した。



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彰栄保育福祉専門学校。文京区白山4-14
1988(昭和63)年3月13日

彰栄保育福祉専門学校は、一般に「幼稚園の先生」と言っていると思うが、「幼稚園教諭」を養成する専門校。学校のHPによると、「122年前アメリカから派遣された1人の婦人宣教師により作られた幼稚園教諭養成塾から始まります」ということで、「1896年(明治29年)東京幼稚園保姆養成所として開設。後に東京保姆伝習所と改称」したという、歴史がある学校だ。彰栄幼稚園は1898年(明治31年)の設立。1917年(大正6年)に「保姆養成学校」として東京府の認可を受ける。1954年(昭和29年)に「東京保育女子学院」と改称し、1976年(昭和51年)に専修学校となり「彰栄保育専門学校」と改称した。現行の名称は1992年(平成4年)から。
写真の本館?は、『日本近代建築総覧』に「東京保育女子学院、建築年=昭和7年、RC3階建、設計・施工=清水組、外壁一部タイル張、竣工時写真有り」で載っている。
周囲は空襲で焼き払われた地区で、本館も火が入ったと思われる。現在、写真の門は改修されて、レンガの門柱と飾の入った門扉、および塀になっている。あるいは昔のものに復元したのだろうか。

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京華女子中学・高等学校
文京区白山5-13。1988(昭和63)年3月13日

京華学園は「京華女子中学・高等学校」、「京華中学・高等学校」、「京華商業高等学校」の3校があり、それらを統括するのが「学校法人京華学園」ということなのだろう。キャンパスは二つに分かれているが、いずれも白山通り沿いでごく近くにある。京華女子中学・高等学校は私立の中高一貫の女子校。
京華学園は1897(明治30)年に本郷龍岡町に「京華尋常中学校」として創立されて、一昨年に創立120周年を祝っている。1909(明治42)年に「京華高等女学校」を設立。このとき校舎は白山(当時は小石川原町)に建てた。昭和6年に校舎(木造2階建?)が火災で焼失。ということは関東大震災では倒壊しなかったわけだ。それを建て直したのが写真の校舎で、1933(昭和8)年1月に完成した。『関根要太郎研究室@はこだて>京華女子中学高等学校』によれば、「木田保造により再建された鉄骨鉄筋コンクリート製校舎」で、設計者も「木田保造率いる木田組」ではないかと推定している。
木田保造(1885-1940年)については、ぼくは初めて知ったが、やはり『関根要太郎研究室@はこだて>木田保造について』に解説されている。函館の東本願寺函館別院(1915年)を手掛け、当時まだ工法が確立していなかった鉄筋コンクリート造で完成させている。函館には木田が施工した建物が10余棟が現存し、建築界にはかなりの貢献をした人らしい。

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