ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




神奈川県庁本庁舎。神奈川県横浜市日本大通1。2002(平成12)年1月14日

『近代建築ガイドブック[関東編]』(東京建築探偵団著、鹿島出版会、昭和57年、2300円)では、「神奈川県庁舎。設計=神奈川県内務部(桑原英治ほか)、施工=大林組、建築年=昭和3年〈1928年10月〉、構造=鉄鋼鉄筋コンクリート造5階地階及塔屋付」。
県庁舎の建設はコンペ(「神奈川県庁舎建築設計図案懸賞募集」)の一等当選案が実施された。当時の県知事は池田宏(1881-1939)。ウィキペディアには「日本の内務官僚、都市計画家。都市計画法(旧法)の制定に携わり、内務省にあって「切れ者」という異名をとった。関東大震災後の東京市助役、京都府と神奈川県の知事(官選)も務めた」という人。都市計画についてはプロだった。関東大震災後、後藤新平が設立した「帝都復興院」の理事兼計画局長になっている。また都市問題、都市計画の著作が200余ある。コンペを言い出したのはこの人だったようだ。また、審査委員長の佐野利器(としかた)は建設にあたっても建設顧問として関わり、構造は当然して実際の設計にも彼の意向が反映していると思う。
コンペに当選したのは小尾嘉郎(おびかろう、1898-1974)。1921年に名古屋高等工業学校建築家を卒業して、東京市電気局工務課に就職した。電気局は電気の供給と市電の運用をする部署で、今の交通局だ。建築とはあまり関係なさそうだが、なにをしていたのだろう? コンペに一等当選して賞金五千円を得たのは勿論、その案で実際に建てられることになったのだから驚喜したに違いない。
コンペでは、主なプランは大方決まっていて、ファサードと塔屋のデザインが審査の対象になったともいう。「枢要な一県を統治する庁舎として、同時にわが国の表玄関として、穏健質実かつ厳然としておかしがたき『我国風』を表現した」と設計要旨に記しているという(『かながわの近代建築』(河合正一著、神奈川合同出版、かもめ文庫、昭和58年、630円)。当書には「一等当選案を基とし、当時の権威者佐野利器を顧問にして、神奈川県内務部建築技師・桑原英治が神奈川県庁舎建築事務所長となり、建築技師・渡辺利雄、同・池部宗薫が実施設計に当たり」とある。



神奈川県庁本庁舎(本町通り側)。2009(平成21)年7月26日

この建物は「帝冠様式」が他の県庁などに建てられていくきっかけになった大元だという。神奈川県庁については、塔屋が五重塔をモチーフにした点にあり、本体ははっきりした様式は特定しづらい。「折衷主義」? 近くによってよく見るとかなり装飾に飾られている。幾何学的なギザギザ模様、内部の照明器具などのアール・デコなど。「帝冠様式」は塔屋の屋根が日本風に見えることから言われだしたのだろう。しかし、これも反っていて瓦を乗せているわけではない。
神奈川県庁本庁舎のデザインに関する一考察』(日本建築学会計画系論文集2015.12、佐藤嘉明)によると、小尾嘉郎は修学中にライトに惹かれたという。塔屋もむしろ帝国ホテルの方形屋根からきているとしていて、なるほどと思う。



神奈川県庁本庁舎(塔屋と中庭)。2013(平成25)年4月19日

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