ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



蔵前別館。台東区浅草橋3-5
1987(昭和62)年6月7日

前の道路は蔵前橋通りの南を東西に通っている、一方通行だがわりと広い道路である。区立育英小学校のはす向かいになる。大きな看板がかかっているので、ぼくは料理屋か旅館のような印象を受けたのだが実際はどうなのかは知らない。あるいは呉服店かなにかかもしれない。現在は看板を下ろしてしまったが建物はそのままだ。
一見して昭和初期に建てられた看板建築に見える。撮影当時は蔵前別館の前の通りを西へ行ったすぐの忍岡高校入口交差点の周辺は、戦前のままの木造の家が立並んでいたから、この家も、と考えたわけだ。しかし、この辺りから東側は空襲で焼き払われていた。昭和22年の航空写真ではまだ家は建っていない。どうやら昭和25年頃に建った看板建築ということになる。

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コメント
 
 
 
なつかしいです (まめたん)
2011-08-04 12:12:44
以前、育英小学校の事で投稿させて頂きました。この建物は憶えてないのですが、おかず横丁(鳥越商店街という名前でした)などなつかしいです。蛙の置物があるのですが、いまでも残っているのには感動しました〓 おかず横丁のちかくに三味線堀アパートも昔のまま残っていました。当事は1Fはスーパーでしたが。スミマセン、懐かしかったもので。これからも懐かし東京見られるといいですね〓
 
 
 
>まめたん様 (流一)
2011-08-05 10:22:03
まめたんさんは、最近、浅草橋・鳥越の辺りを歩かれたのですね。まめたんさんが育英小学校に通っていた頃は蔵前橋通りでさえ、ビルなどは少なかったのではないでしょうか。でも東京の他の地域と比べると、古い家はまだしも残っているほうだと思います。
おかず横丁の蛙がまめたんさん子供の頃からあったとは! この蛙もけっこう歴史がありそうですね。
 
 
 
この頃の蔵前別館 (<鈍速>)
2014-02-25 21:07:02
ブログ主様、初めまして。
昭和37年生まれで、この蔵前別館のある場所から徒歩2分ほどの所に1996年まで住んでいた者です。
このお写真の蔵前別館、大変に懐かしいです。
現在は添付しましたURLに有ります様に(私のブログです)、看板を下ろし外壁を薄茶色に塗ってひっそりとした一般民家になっています。
とっくに他界した父から生前聞いた話では、ここは行商人宿だそうです。
ちなみに、別館というくらいだから本館がどっかにあるんだろう?と思うのですが、残念ながらまだ謎のままです。
 
 
 
<鈍速>”様 (流一)
2014-02-26 12:59:58
商人宿でしたか。最初に見たときは旅館かと思ったのですが、看板には「旅館」とか「宿」の表示がないので、はて? と迷ってしました。写真では袖看板のほうはまだ新しそうで、しまわれていますが暖簾もあるので、撮影時にはまだ営業していたのかもしれませんね。
 
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