千代田ビル(旧梅田ビル)。中央区八重洲2-3。1985(昭和60)年11月10日
東京駅八重洲口の間近、外堀通りと中央通りを結ぶ横丁にあった。
「千代田ビル」というのは住宅地図での名称。「梅田ビル」が一般的なようだ。設計は岡田信一郎。「近代建築ホームページ」の「岡田信一郎―作品」のリストによると「梅田ビルヂング」の名称で昭和3年10月の完成。同じ年に鎌倉国宝館や上野公園の黒田記念館が完成している。
梅田ビルの外見の特徴は3列の出窓とアールデコの装飾なのだが、ファサードのデザインに設計者はどのくらいかかわるものなのだろう? 出窓にした分、壁面が敷地から引っ込んでいる。
丸い穴を開けた囲い。1985(昭和60)年11月10日
左:1985(昭和60)年11月10日、右:1985(昭和60)年4月14日
4月に撮影したときにはまだ1階でレストラン「シャンティー」が営業している。
玄関両脇の柱のレリーフが「これぞアールデコ」という模様だ。玄関上部の硝子に「千代田ビル/旧梅田ビル」の表示があったようだ。
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梅田ビル、カッコイイですね。
私はこのビルを見ることは出来ませんでした。
この手の古い中小規模ビルが生き残れない、
そんな今の風潮が嫌いです。
梅田ビルはデザインに遊びごころが感じられて、オフィス街には珍しい建物でした。
丸の内側は東京駅が修復され、以前に増して人通りがふえています。
京橋の第一生命は以前の第一相互館のデザインを模して建て替えられ、再開発中のビルも完成が近づいていますが、さて八重洲側はどうなることでしょうか。
この記事にリンクをはらせていただきましたので、よろしくお願いします。
私の写真は古い建物を取り始めたばかりの頃で、なんとか解体される前に間に合ったのはよかったのですが、ネットがかぶせられていたのが不満でした。今考えると梅田ビルの外観は、他に似たようなビルは見当たらず、アールデコの装飾など、見ていて楽しいものでした。「遊びごころ」ですか、なるほど!
幼少の頃遊びに行きましたが、ビル内は暗く当時の私は怖がっていたそうです(苦笑)。
凄く天井が高かったのを覚えています。
こうして改めて見ると他のビルにはない趣でしたね。明治屋ビルと共に残してほしかったです。
拙ブログで「千代田ビル(旧梅田ビル)」のページにリンクをさせていただきました。
自分が近代建築巡りを始めたころは既に取り壊されていましたので、貴重な写真を公開いただき感謝です。
http://chuta.cocolog-nifty.com/arch/2018/09/osn126-a3ef.html