函嶺洞門と千歳橋の間の国道沿いに新玉の湯(しんたまのゆ)という旅館があった。撮影時にはすでに廃業していたが、半年後には解体された。現在はその跡地で函嶺洞門のバイパス工事が進んでいる。バイパスは函嶺洞門の箇所だけで、そこを二重にしてお互いに一方通行にするのかもしれない。洞門内では大型バスどうしのすれ違いが困難なのだろう。
新玉の湯が「あらたまのゆ」ではなく、「しんたまのゆ」だと知ったのは、『 Dialogue with Ruins …> 新玉の湯』に載っていたパンフレットの英語表記「The Shintamanoyu」によってだった。 『Japanese Old Photographs In Bakumatu-Meiji Period』の古写真(目録番号:4536)の説明文に「明治20年頃開業した新玉の湯である。塔ノ沢村の総代堀貞蔵が、玉の湯旅館を読売新聞社主子安峻に譲渡し、新たに建設したもの」とあり、「新」が付いているがかなりの老舗である。玉の湯旅館というのは、現在の福住楼のところにあった「洗心楼玉の湯」のことらしい。