ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




旧磯野家住宅。文京区小石川5-19。2009(平成21)年9月2日

春日通りの茗荷谷駅前交差点から湯立坂を下り始める右(東)に、大谷石の石垣が続く。「旧磯野家住宅」の屋敷である。施主は磯野敬(いそのけい、1868-1925年)という千葉県夷隅出身の明治の実業家で衆議院議員もやった人。「山林王」と言われたというから事業はそういう方面だったのだろう。(『ウィキペディア>旧磯野家住宅』)
建築に際して磯野は北見米造という棟梁を選んだ。当時北見は21歳だったという。北見への注文は「寺と仏像が似合い、地震に強く、火事で燃えない家」というもので、北見は「構造は寺院式、組み方は耐震式、外回りは耐火式」に決めた。1909(明治42)年から8年かけて1912(大正元)年に竣工した。関わった職人は100人になるという。完成したときは壁と屋根に張られた銅板が光り輝き、「銅(あかがね)御殿」と大評判になった。(『出会いたい東京の名建築』三舩泰道著、新人物往来社、2007年、2000円)



国指定文化財等DB』には、「磯野は建築趣味を有していたようで、晩年の大正11年には、東京帝国大学建築学科の聴講生となり、野田俊彦の紹介により、建築学会准員にもなっている。」とある。野田俊彦は、当ブログ前回に、大塚女子アパートの設計者として出てきたばかりの名前だ。

今はどうなっているか知らないが、撮影時は屋敷の南東に駐車場があり、そこから母屋の正面が眺められた。

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