山脇邸。文京区千駄木3-7。2000(平成12)年5月3日
ブロック塀と下を板張りにして瓦を乗せた土塀で遮られて平屋の建物は屋根しか見えない。『たてもの応援団>山脇邸〈茶室睡庵〉』には、「茶人であった山脇善五郎氏の築地の家が関東大震災で被災したため、震災直後、ここに建てられた茶室を持った住宅。……設計者は数寄屋師の笛吹嘉一郎で、材料一切を京都で刻んで運んだというだけに、繊細な造りとなっている。」とあり、ぼくは知らない人物だが「昭和のはじめに山脇巌とともにバウハウスに留学した山脇道子さんの実家でもある。」ということだ。
また、『東京都の近代和風建築』(東京都教育庁編集、2009年)では、大正13年竣工。「笛吹嘉一郎は京都で大河内山荘をはじめ多くの数寄屋建築を手がけ活躍した人物」とある。
山脇邸の後ろに見えるアパートは「足利銀行帯月寮」。このお屋敷町には銀行家も住んだというからその跡地に建てたものだろうか。現在は取り壊されて駐車場になっている。下の写真右奥へすぐのところに「足利銀行思斉寮」というのもあったようだ。
山脇邸。1989(平成1)年2月26日
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丁寧な文章、貴重なお写真に感動しきりです。
今後も楽しみにしております。
よろしくお願い致します。