ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




三吉橋。中央区新富2。1984(昭和59)年頃

銀座1丁目の橋の袂に立って、築地川の河岸に向かって立つ新富町の建物を見た光景。ここは築地川が中央区役所を半分囲むようにほぼ直角に曲がっている場所だ。関東大震災後に、この築地川の曲がり角と、京橋川と楓川との合流点との間をつなぐ運河が開削された。「楓川・築地川連絡運河」という。大震災後、暗渠化された川は多いが、大震災後に掘られたという川ごく珍しい。三叉になった川にやはり三叉の橋を架けたのが三吉(みよし)橋で、1929(昭和4)年12月の完成である。
現在の橋は1993(平成5)年に改修されたもので、4本ある鈴蘭灯は架設時のもの。



中央区役所対岸。中央区新富2。1985(昭和60)年4月14日

築地1丁目の中央区役所の前から築地川跡の首都高を隔てて新富町を見た光景。写真中央右寄りに築地菊栄ビル(旧松竹本社)、その右に築地橋。写真左端の看板建築は三長会、三菱電機の店は竹村商店。



須永ビル。中央区新富2-2。1985(昭和60)年4月14日

三吉橋の新富町の袂にあった建物。赤い日除けに「COFFEE SHOP SAGA」、建物左の袖看板に「TEA ROOM嵯峨」とあるから喫茶店だ。この店は現在のビル(やはり「須永ビル」)で、イタリアン・レストランとして続いているようだ。同じ家かどうか分からないが戦前の地図では「京橋家畜醫院」。
写真右のビルは松竹衣裳という会社。会社のHPによると、昭和32年に、松竹株式会社衣装部より分離独立し、主に歌舞伎・演劇・映画・テレビなどの衣裳の製作と賃貸、販売を行なう会社だ。ビルは創設時に建てたものだろうか?

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