ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




佃島の船溜り。中央区佃1。1989(平成1)年10月29日

佃・月島の観光拠点は住吉神社と船溜りと思うのだが、最近は西仲通りでもんじゃを食べるのがメインになっているようだ。佃島の堀は隅田川を住吉神社の北から入って南に曲がり、佃大橋の手前で行き止まりになっている。名称は佃川支流。佃川は佃大橋の通りになって消滅した。写真正面が佃小橋と佃島小学校、右の木の間にあるのが波除稲荷。
現在は、船溜りの回りをテラス風にきっちりと整備してしまった。写真では漁村の面影がいくらかは感じ取れるのだが、今はほとんど公園である。



船溜り。佃1-7。1988(昭和63)年1月17日

佃小橋からの撮影。1枚目の写真では建替え中の家が昔の姿で写っている。水辺の家は漁師小屋のようにも見えるが、現在はすべてなくなっている。
『改定東京風土記 城北・城東編』(サンケイ新聞社、昭和41年)には『町全体が掘に囲まれ、河岸や路地には網を干す棒やサオがたくさん立ち、午後には網を干すので町にはイソのにおいと魚のにおいがただよう。つくだ煮も、ここから生まれたのである。』と記述されている。昭和39年に佃大橋が開通したが、その頃の様子である。昭和の終りまではなんとかその雰囲気は感じ取れたようだ。



佃島町会事務所。佃1-7。1988(昭和63)年1月17日

2枚目の写真の水辺の家とその後方の家との間の路地。洗濯物を干したり車を置いている場所は網を干す所だったのだろう。

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