冬青(そよご)風

常緑樹の森の下に佇み、かたい葉が風にそよいで、ソヨソヨと音をたてる。
ソヨゴの語らいを聞いていただければ幸いです。

春へんろ 7 (奈半利から神峯寺)

2006年03月24日 20時06分43秒 | 歩き遍路・3順目高知編
今朝は昨日とガラリと変り、快晴

今日のお遍路は半日の予定の楽な歩きだ。
それでも20km。ホテルなはりを朝食抜きで6時半スタート。
お昼頃には神峯寺を打戻り、くろしお鉄道「唐の浜駅」より
高知駅へ。市内の筆山に眠る親父さんのお墓参りと、墓掃除を
して種崎の母ののところに帰る予定。

          

奈半利川を渡り田野町に入る。道の駅「田野駅屋」で朝食。
缶コーヒーと残り物のパンで軽く済ませてていると、野宿遍路
の若者が出発しようとしていたので、挨拶交わす。

幕末の時代に尊王攘夷論を唱えた土佐勤王党のために、命をかけた
二十三士の眠る墓。福田寺に寄り道してお参りをする。
お墓参りにきていた老婦人が近づいてきて、「お遍路さん、わざわざ
お参りして頂き有難うございます」とお饅頭とお金のお接待を頂く。

お礼に納め札を渡そうとすると、「その納め札は27番さんに行か
れるのでしたら、私の分として納めてください」と爽やかな笑顔で
話された。きっちり代参させてもらいますと、お別れする。

朝から元気をいただき、気分よく歩かさせてもらう。
国道を離れて安田に入り、27番の登り口に8時に到着する。
坂の途中で歩き遍路さんが休んでいたので、挨拶をして登っていく。
そのあとタクシーバスが何台も上がっていく。

45分で駐車場に到着。駐車場の横に新しい休憩所が出来ていた。
以前はプレハブの粗末なお店だったが、立派になっているのには
満足な朝食を摂っていなかったので、また田舎饅頭をワンパックを買う。
お店には、にわぜんきゅうさんの本やグッズがたくさん陳列されていた。
新しい絵葉書本「いつも見ています」、「負けないで」の2冊購入する。

2回目の歩きをする時、その頃一緒に住んでいた母が、半袖の白衣を
縫ってくれたので、それを着てお四国を歩いた。母と一緒に歩いている
気持ちでした。27番を打つまで背中には、梵字と南無大師遍照金剛が
書かれていなかったので、私の好きな神峯寺で白衣の背中に書いて頂く。
その白衣は結願後母に進呈した。書いていただいた人はお留守だった。
神峯寺は私にとっては思い出深いお寺のひとつです。

今回神峯寺でもうひとつの楽しみは、お大師さんが修行で腰をかけた岩の
存在をネットで知った。その岩に行きたかったので、納経所場所を尋ねたが、
大師堂の上の道を神峯神社の方角に在るらしいと、詳しいことはご存知なかった。

田野でお接待を頂いた人のご健康をお祈りさせてもらう。大師堂でお参りをすませた後、
神社への道は「四国の道」になっているのだが、歩かれた様子がないほど荒れていた。

神社の付近をうろうろ捜す。が、灯明岩はあったのだが見つからず。
神社の上の道を登っていくと、、「空と海の展望台」にでる。高さは15mほど。
展望台にあがってみるとさすがに絶景です。水平線が丸るく見える。
少し頑張って上がってこられても、損はさせませんよ。
神社に戻り見つけられないまま駐車場まで下って来ると、掲示板に
腰かけ岩のイラストが、神社からの枝道の奥にその存在が・・・。
さすがに、また坂道を登っていく気力もなく退散。次回の楽しみに取っておこう。

3分の2ほど下った所に、山肌を削り広い聖地した場所の存在が気になった。
近くの製材所で訊ねる、神峯寺の山肌がもろくなりいつ崩れてもおかしくない
状態なので、お寺が下に降りるための土地とのことらしい。今すぐではなく、次々代の
ために壮大な準備をされていると。そういえば本堂の横に、崩落の注意かきがあった。
先般の台風で横峰寺への道が寸断されたので、神峯寺でもそのような事態を考慮
されているらしいと話されていた。山の上のお寺さんもなかなか大変ですね。

            手に入らなく「とうのはまへんろくん」のピンバッチ

唐の浜駅に10時半につく、ごめんなはり線に初めて乗車することができた。
吉川あたりまで海岸線を走るので、見晴らしがよい風景が展開される。
3泊4日の高知東部のお遍路が無事終わることができた。
次回は唐の浜から雪蹊寺あたりまで、5月頃には歩きたいとおもいます。

コメント (2)
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