ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

奈良の山あれこれ(141)牛 廻 山

2016-07-25 08:37:10 | 四方山話

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(141)牛廻山(うしまわしやま)<1206.8m>「牛も物資も越えた二つの峠の間にある山」

奈良県吉野郡十津川村永井から西川沿いに東へ、国道425号線が和歌山県田辺市の竜神温泉に通じている。この「十津川往来」が両県境を越すところを「牛廻越え」という。また十津川村平谷からは上湯川に沿って龍神村丹生ノ庄に抜ける道がある。この道が両県境を越える辺りは「引牛越え」と呼ばれる。いずれも、両村の間で成牛、仔牛などの交易が行われた名残りという。牛だけでなく、紀州と和州物資交流の道、高野山と熊野を結ぶ信仰の道でもあった。牛廻山はこの二つの峠の間にある。 

私たちが登ったのは丑年で、「干支の山」にちなんで登った。十津川から425号線を西に25キロ、十津川村最奥の迫西川集落を過ぎて県境が近くなる辺りが「牛廻越え」、峠の地蔵が立つところが蟻ノ越である。大峰南部から熊野に続く山々が紫に霞んでいる。急勾配の林道を南に歩く。牛廻山はこの尾根とほぼ直角に交わる別の尾根(蟻ノ越からさらに北へ続く県境尾根)との交点のすぐ西の隆起である。尾根上の古い登山道に登り、山腹を捲くと1177mピーク。ここが二つの尾根の交差点で登山道は右(西)に直角に折れる。のんびり尾根道を歩き、ゆるく下ったコルがヒヨキノタワで小さな石の導き地蔵さんが立っている。しばらく先で左に小径を辿ると、あっけなく展望のない頂上に着いた。 

竜神へは踏み跡に近い道になる。イバラのからむ植林帯を抜け大峠山を越す。密集した丈の高いヤブを漕いでいくとミノ又山である。南斜面の倒木帯を過ぎるとなだらかな大久保山。ここから林道と登山道が何度か複雑に交差する。赤テープに助けられながら植林帯の急坂を下り、小又川に架かる橋を見たときは、間違いなく目的地に着けたと正直ほっとした。

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奈良の山あれこれ(140)石地力山

2016-07-22 09:45:50 | 四方山話

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(140)石地力山(いしじりきやま)<1140m> 「涯無東山

昔は「涯無」とも書かれた果無山脈…なんと夢をかきたてる魅惑的な名前だろう。「大和青垣の山々」(奈良山岳会編、1973)には『十津川の桑畑から紀州田辺の牛の鼻まで二十里」とは土地の人いう果無山脈の全容である。桑畑から発した果無山脈は果無東山、果無西山、安堵山、和田森と紀和両国を分けて二十余キロ連なり、なお南西へ笠塔山、虎ヶ峰とその名の通り果てしなく続いている』と記されている。その東部の最高点が石地力山である。

冷水山からは幅広い尾根となって明るい疎林が続く。ピークともいえない林の中にカヤノダンを示す小さい標識があった。密生したスズタケの中の急な下りを抜け出すと、南側が大きく崩落している公門の崩(ツエ)を通り、公門谷ノ頭に来る。ここでは釈迦ヶ岳から笠捨山に続く、大峰山系南部の山々が眺望できた。

尾根の幅が広くなり踏み跡が錯綜してくる。筑前タワの北側は倒木が積み重なるような斜面で、正面に釈迦ヶ岳はじめ大峰南部の山々がよく見えた。美しいブナやヒメシャラの林の中、はっきりした道となってP1117、P1158など小さなピークを上下していく。ブナ平を過ぎて少し登ったところにすばらしい展望地があった。

『南側が開け、眼下に蛇行する熊野川が光る。大齊原の大鳥居が小さく小さく見える。大雲取、小雲取の山並みも私を招いているようだ。(山日記より)』

僅かな登りで石地力山(1139.5m)である。伐採された西側斜面が開け、振り返ると朝から歩いてきた峰々が延々と続いている。

冷水山は稜線の右肩に小さく頭をのぞかせている。その右手には牛廻山、護摩壇山が見え、山座同定に忙しい。

急坂を下るとスギ林の中の果無峠に到着。十津川から本宮へ通じる小辺路の最終行程・果無越えで、西国三十三カ所をかたどった観音さまの第十七番目が安置されている。角の取れた宝筺印塔もあった。「十津川へ6.5キロ」を示す標識に従い、杉植林の中の整備された道を下り、果無集落を通って十津川の畔の蕨尾に下り着く。朝から8時間半(冷水山から7時間半)の行程だった。

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奈良の山あれこれ (139) 冷水山

2016-07-05 08:44:15 | 四方山話

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(139)冷水山(ひやみずやま)<1262m>  「果無山脈最高峰」



奈良と和歌山の県境を東西に走る果無山脈の最高点である。山脈を代表する山として果無山とも、この山で山脈が南西に曲がるために最西とみなして果無西山とも呼ばれる。かっては和歌山側の竜神(田辺市)からも、奈良側の十津川からの登路も長く苦労する山だったが、現在は広域林道「龍神本宮線」によって短時間でアプローチできるようになった。


私たちも果無山脈縦走の折、丹生ノ川沿いの「ヤマセミの郷」で一泊。翌朝、この広域林道を利用した。ところどころに落石がある安堵山の山腹を絡み、黒尾山との鞍部、登山道に出会ったところで車を降りる。すでに標高1000m、ひんやりとした冷気が体を包む。真っ青な空の下に大塔山系の峰々がずらりと並んでいる。木の階段を少し上った小広い展望所から、背丈を超すスズタケを切り開いた道になる。少しの急登で笹原を抜けると1222mピークを越え、ブナやリョウブの自然林の中を行く。ふわふわの土を踏んで疎らに雪が残っている道を行き、黒尾山頂(1235m)に立つ。いったん下って登り返すと、一等三角点が埋まり「果無山脈最高峰」の山名板がある山頂である。

南北が開け、和州、紀州両側の重畳たる山並みを望むことができた。車を降りてから山頂まで1時間だった。

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奈良の山あれこれ (138)護摩壇山

2016-06-14 18:00:04 | 四方山話

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(138)護摩壇山(ごまだんざん)<1372m>  「平家の滅亡を告げた山」

この山から伯母子山へ十津川と野迫川の村境となる山稜が続いている。山名は次の伝説による。源平屋島の戦いで敗れた平維盛は、西国に落ちた一門と別れて高野山に隠れたあと、滝口入道に導かれ熊野に向かう。この山頂で護摩を焚き行く末を占うが、煙が空に昇らず谷に下るを見て平家の運命を知る。そして那智に至り熊野の海に入水した。一説には、護摩を焚いて一門の将来を占ったのは清盛ともいう。

山頂山頂近くまで高野竜神スカイラインが通り、駐車場と護摩木を積み上げたユニークな形の展望塔「ごまさんスカイタワー」がある。塔の横から広い階段状の遊歩道を登ると、10分程で山頂に着く。

休憩舎と「和歌山県朝陽夕陽100選」の標識があるが、展望は殆どない。護摩壇を象った大きな山名板に和歌山県最高峰の表示があるとおり、山頂は奈良、和歌山両県にまたがっている。 

タワー横まで車で入り、護摩壇山頂上を経て東の稜線伝いに歩くと、NHKのTV無線中継塔が立つ耳取山 (三角点名・丸山、標高1382m)がある。

ここは展望にすぐれ、眼下に深い谷に沿って龍神へ続くスカイライン、その左に1304mピークなどの山、その左に鉾尖山の鋭峰、正面遠くには果無山脈などがよく見える。本峰に引き返して、休憩舎横を左に折れ南側の尾根を下る。スカイラインを横切ると「森林公園ワイルドライフ」の大きな広場である。

ここから自然観察路に入り、1304mピーク山頂の休憩舎にくるとタワーから護摩壇山、耳取山とつづく稜線が正面に見える。

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奈良の山あれこれ (137) 伯母子岳

2016-06-13 08:09:40 | 奈良散歩

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(137)伯母子岳(おばこたけ) <1344m>  「熊野古道古辺路の最高点」

高野山から東南20キロほど、吉野郡十津川村と野迫川村の境にある展望の良い山である。山頂の東に伯母子峠があり、熊野古道・小辺路が越えている。かっては南高野街道ともいわれ、高野山と熊野を結ぶ重要な峠越え道で、二つの霊場に詣でる人々で賑わった。この峠はまた、昭和5年4月初旬、郡山中学(現郡山高校)生二名と教諭一名が遭難した悲劇の舞台でもある。

1977年、妻と二人で歩いた。護摩壇山の手前で「十津川温泉へ40キロ」の標識がある(奥千丈)林道に入る。登山口から整備された「護摩壇山伯母子岳遊歩道」を尾根通しに行く。口千丈山から標高差80mほどガラガラの急坂の下り。ついで1322mピークを越す。二、三のアップダウンで分岐があり「伯母子岳登山道。800m」という標識からやっと山道になり、標高差わずか100mの急坂を登る。最後は灌木帯を抜けミヤコザサの中を登ると草地の頂上についた。一面のカヤトの原で、東に遠く大峰の山々、特徴ある行者還、大普賢、八経ヶ岳…。南の果無山脈、今辿ってきた尾根道の向こうに護摩壇山が見える。登山口から5キロ、1時間45分だった。

9年後の2006年3月、高野山から小辺路を歩く途中、大股から杉林の中を小一時間登って、小広い平地になっている萱小屋跡に来る。道は自然林の中を行くようになり、ふわふわの落ち葉を踏んで行く。

檜峠は「弘法大師が捨てた箸が檜になった」という伝説の残るところである。平坦な道になって夏虫山分岐を過ぎると、目指す伯母子岳のなだらかな山容が近づいてくる。

「護摩壇山遊歩道」の標識を直進して、10分あまりで「小辺路での最高点・伯母子岳山頂」に着いた。大股から2時間30分。

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