ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

この日・あの山 (1月21日)

2017-01-21 05:00:01 | 山日記

1972年1月21日 葛城山(天商高耐寒登山付添)<省略>

マレーシア・キナバル山

ボルネオ島ににあるキナバル山は標高4095.2m。マレーシアだけでなく東南アジアの最高峰で、周辺の地域とともに世界遺産に登録されています。奇岩や岩盤の特異な山岳風景で、ウツボカズラなど珍しい動植物にも接することができました。
2005年1月に日本山岳会の仲間二人と和子の4人で登頂し、2007年1月21日には千日山歩渉会の仲間たち11名と再び登りました。このときは登山リーダー兼ツァーリーダーで、かなり消耗しました。
ここでは2005年の山行を記しました。2007年の山行については下記のページをご覧ください。
http://mountainpenguin.web.fc2.com/kinabalu2007/kinabalu2007.html

2005年1月21日 キナバル山(日本山岳会・森沢義信さん、久保和恵さん、芳村嘉一郎と和子<会員外>)

21日 コタキナバルへは関空からわずか4時間半のフライトである。ボルネオの青い海と白い砂浜を見下ろす頃、すぐ近くの雲の上に、角を幾つも突き出すような幅広い山が見えた。あれがキナバルかと思ったら、間をおかずアナウンスがあった。話に聞き写真で見てはいたが、実際に異様な山容をこの目にすると、期待と不安が交錯する。空港で現地女性係員の出迎えを受け、専用車でクンダサンへ向かう。椰子の木茂る海岸沿いから、山越えの道路になると前方にキナバル山が次第に大きく見えてくる。

峠のような所で車を停めてもらって、写真を撮る。さらに先に屋台の土産物屋がたくさん並んでいるところがあり、ここでは展望台に登って、金色に輝く夕暮れのキナバル山を間近に眺めた。
 夕焼け雲がたなびき、空には満月近い月がかかっている。車はキナバル公園への道を見送って峠を越え、いつの間にか輝き始めた町灯りを見下ろして走る。町から再び1キロほど登った、丘の上に立つホテルが今宵の宿。夜の間ずっと、外で雨が降るような気配がしていて、雨具を着て山を登る嫌な夢を見た。


*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 

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この日・あの山 (1月20日)

2017-01-20 05:00:35 | 山日記

1998年1月20日 葛城山 <省略>

2009年1月20日 伊勢・朝熊ヶ岳(和子と)

伊勢志摩国境に位置する朝熊ヶ岳(555m)は神宮の鬼門鎮守、また死者の鎮魂の場とされた信仰の山である。「伊勢に参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と言われ、低山ながら日本名山図会にも描かれた。一等三角点は最高峰の経ヶ峰山頂より西650mにある。伊勢参宮を済ませ伊勢志摩スカイラインに入る。ゲートの人は余程話好きなのか、それとも暇なのか、私たちが山に登ると聞くと「頂上まで車で登れる」と詳しく分岐の説明をしてくれた。寺から歩くと「3~40分はかかりたいへんですよ」ということだった。好意はありがたいが、竜王社への分岐を見送り、金剛証寺の駐車場に車を置く。

仁王門の石段を登って境内に入る。赤い太鼓橋が美しい姿を写す池があり、茶店横の広場にザック姿の団体が群れていた。その横を通り抜け、さらに一段高みにある本堂にお参りする。右手の奥の院への道に入ると、眼病にご利益のある明星堂があり、金網を張った井戸に目を写して祈願する。さらに進むと大きな冠木門があり、その下に「八大竜王・経ヶ峰参詣道」という背の高い標識と近畿自然歩道の道標が両側に立っている。門を潜り、右手下に卒塔婆の群れを見下ろしながら、山道にに入る。

ごろごろした小石の転がる急坂と、勾配のやや緩い道が二度ほど交差すると左100mで経塚群、直進は岳道を示す道標がある。この岳道は古くからの金剛証寺への参詣道で、峠までは各山麓の村からいくつかの岳道が通じている。やや遠まわりになるが経塚群を経て行く。

短い急登で林を抜けると、「国史跡・朝熊山経塚群」の柱が立ち、枯れたススキの穂の中に五輪塔や多宝塔などさまざまな形の石塔が散在している。この冬の枯れ野の風景は、あまりにもうら寂しく、もの悲しく、不気味でさえある。何枚か写真を撮って追われるように先を急ぐ。緩く登りつめて少し下ると、左から伸びてきた舗装路に出た。有料道路ゲートで聞いた車道のようである。

少し登ると左からの別の舗装路と合流する。ここの分岐は変形の十字路になっていて、山頂まで300mの標識がある。右は寺へ下る道だが、斜め左は舗装の車道、直進する形の地道はどちらも山頂に通じている。山道は急坂ではあったが、ひと頑張りで竜王社の建物横に出た。回り込むと広場になった山頂で、並んだ鳥居の奥に八大竜王社、

その西側に山頂碑が立っている。地元有志の浄財によるというが、正面に「朝熊ヶ岳山頂」、右側面にこの場所の緯度経度と標高、左側面には「一等三角点は直線で西650m」にあることが記された、赤色石製の立派なものである。

広場の反対側には無線中継所の建物と電波塔がある。ベンチに腰を下ろし、東に拡がる伊勢湾を見下ろしながら午後のコーヒーを楽しんだ。

少し歩き足りないので、予定通り一等三角点まで往復する。広場西側の小径を下っていくと、左に踏み跡が何箇所か分れるが、ともかく直進する。舗装路と合流して、すぐまた林の中に入る。クロモジ、サカキ、アカガシなどの林の中で、下草にはウラジロが多い。再び舗装路に合流したところはT字路になっていて、右手から「朝熊岳道」が登ってきている。

ここが朝熊峠で「二十二丁」を示す町石とお地蔵さん、その上が台地には竹製のベンチが置いてあり、北側の展望が大きく開ける。

湾に流れ込む河口や点在する近くの町が見えたが、帰ってから調べてみると、川は五十鈴川で二見ヶ浦辺りの景色のようだった。

更に真西へ続く、今度は宇治岳道を進む。所々で古い石垣に囲まれた森もあり、内宮から続く道と聞くと、思いなしか神々しい雰囲気が漂う。猟犬が騒ぐ一軒家の前を通り、地図にはない電波塔の立つ小広場にでる。三角点は確かにこの辺りで、その先は下り道になる。うろうろ探すうちに、♀ペンが右手の小高い処に登って三角点を見つけて、少し鼻を高くする。一等だが無展望で殺風景なので、記念写真を撮ってすぐすぐ引き返す。念のため、ずっと舗装路を登るが思ったより登りでがあった。道の両脇には木の名をつけた札が付けられている。アサマリンドウの花はここで発見されたそうだが、アサマツツジの名札もあった。分岐にきて右の地道に入り、なだらかに下る。やがて経塚群分岐で登って来た道と合流。後はあっという間に、冠木門に帰る。

左の奥の院へ向う。車道が勘吉台展望台に向かって右に大きく曲がるところで、逆U字型の白い門の上に赤い建物がついた極楽門を潜る。

その先は両側にずっと背の高い卒塔婆の列が続く。『江戸期以降、宗派を問わず葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する「岳参り」「岳詣(たけもうで)」などと呼ばれる風習がある』(Wikipedia)。今も近在ではこの風習が守られているようで、新しいものではまだ一か月も経っていない、今年に入っての日付の卒塔婆もあった。故人の愛用の品や、花束などが供えられ、ここもなんとも寂しく不気味な雰囲気だ。

ずらりと並ぶ卒塔婆の通路を急いで抜けて奥の院に詣り、すぐに引き返す。

開山堂の前の空海が掘ったという蓮間池や、庚申堂などを見て仁王門を潜る。内側には仁王ならぬ観音像が安置されていた。曇り空だったが展望もまずまずで、見所の多かった山歩きに満足して、今宵の泊まり相差の宿を目指した。

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 

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この日・あの山 (1月18日)

2017-01-18 05:00:34 | 山日記

1976年1月18日 信楽・鷲峰山(千日山歩渉会)

奈良より直通の信楽行きバスで、原山下車。曇天で小雨模様。村の中の道を登っていくうちに雪となる。両側が茶畑の急勾配の道は、村を抜けた辺りでようやく緩やかになる。ここまでで早くも一汗かく。この辺りより青空が拡がり、捲道を辿ってマンガン廃鉱跡で休憩。ここから谷沿いの道となり、木馬道と石段のジグザグを数回くり返すと案外早く金胎寺に着く。マイクロウェーブのある空鉢岳への稜線に立つと、凄い風。曇空だが、琵琶湖の水面が光ってみえるはど遠望が利く。最高峰は見送り、621Mの頂上で展望を楽しんだ後、多宝塔のある広場でカップヌードルの昼食。

再び粉雪が舞い落ちたが、行場巡りに出発する頃には又快晴となる。事務所横の木戸を潜って、迎えの行者までは捲道。ここから下って、東、西の覗き、胎内潜り、五光の滝、千手の滝を経て再び登りとなる。

鐘掛、小鐘掛、平等岩、蟻の戸渡りを過ぎて辻へ戻る。一周4キロで2時間かかり、大峰より距離が長い。子供たちは元気で、特に岳志は、親馬鹿かも知れぬが岩登りの素質があるように見えた。金胎寺で小憩後、元の道を膝がガクガクするほどの早足で降りる。真っ赤な夕陽が生駒山をシルエットにして沈むのを、バスの窓から眺めながら帰途に着いた。

原山9:45…マンガン廃鉱10:45~11:00…金胎寺11:15~30…頂上11:45…金胎寺11:50~12:45…行場巡り12:50~15:00…金胎寺15:15…原山16:05 


2004年1月18日 槇尾山~猿子城山(千日山歩渉会9名)
【コースタイム】槇尾山公園口駐車場9:25…五つ辻09:50~10:00…十五丁地蔵10:55…猿子城山11:20~11:25…ボテ峠12:00~12:45<昼食>…バンヤ峠13:00…追分13:10…虚空堂13:37…捨身ヶ岳13:55~14:00…藏岩14:10~14:40…槇尾寺山門15:10…駐車場15:25 

猿子城山は標高約705m。西国第四番札所・槇尾山施福寺の裏に連なる連山の一峰で、楠木一族の山城があったところである。今年初の例会に、干支にちなんだこの山を選ぶ。昨日は、関西では久しぶりの雪だったが、今朝もあちこちで道路が凍結している。170号線天野山トンネルを過ぎる頃から山や田圃に雪が残っていて、スリップ事故で破損した車も二台見た。施福寺への道を慎重に登り、雪が残るグリーンパーク駐車場に車を置き、身ごしらえをする。

公園口から根来谷沿いに登る。前に会で槇尾山に来たのは95年だから、もう8年にもなる。その時に比べると道も広くなり整備が進んでいる。登るにつれて次第に雪景色となり、稜線の五ツ辻に出ると見事な霧氷で歓声があがる。

露岩の散在するトラ尾と呼ばれる尾根道を登る。ときどき梢からシャワーのように落ちていた雪が、陽が昇るにつれてドサッと音を立てて落ちるようになる。林を出はずれて展望の開けるところにくると、真っ青な空から暖かい太陽の光が降り注ぎ、雪面からの反射が眩しい。

緩やかな道になり、左から西国巡礼旧道を併せて大きく右に回っていく。再び急坂の短い登りが終わると、雪を被った十五丁石地蔵の前に出た。三国山へ向かう道と分かれ、左折して猿子城山に向かう。急坂を登り返すと、松や檜に囲まれて展望のないピークに「猿子城山」の山名板があった。記念写真のシャッターを押した途端、頭上から大きな雪の塊に直撃されて身体中真っ白になった。

転げ落ちそうな急坂をグングン下って勾配が緩むとボテ峠に着いた。ダイヤモンドトレールの標識や案内図、ベンチもありメインルートらしくなる。ちょうど正午になり、雪のある小さな広場で昼食にする。谷を挟んで向かいの尾根に槇尾寺塔頭の赤い屋根が見える。午後は小さな谷に下ってからバンヤ峠に登り返す。十字に道が分かれる追分に下り、数字の減る丁石とお地蔵さんを見ながら行く。左に西国巡礼道を分けて勾配が緩むと虚空堂の下に出た。急な石段を登った虚空堂横から山頂を示す小さな道標に導かれて、胸を突くような急坂を登る。ときどき露岩の上にでて左側に開ける展望に慰められる。「601m槇尾山最高峰」捨身ヶ岳の山名板の前で写真を撮り、すぐに藏岩に向かう。

少し下った鞍部から広い岩稜を登って岩の上に立つ。快晴の空の下に遮るもののない大展望が拡がる。東には暖かい日を浴びた岩湧山から金剛山に続く尾根、西には関空方面、北にかけて大阪湾岸に連なる市街の上に六甲、遠く霞むのは淡路島か四国の山か…。岩の上でのんびりコーヒータイムを楽しんで、反対側の急坂を下る。本堂に手を合わせ、好天に恵まれ、思いがけぬ雪景色と大展望で幸先のよい今年のスタートが切れたことに感謝して家路についた。 

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 

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この日・あの山 (1月17日)

2017-01-17 05:00:03 | 山日記

1988年1月17日 三輪山と巻向山(千日町ハイキング同好会)

神の山三輪は正月の山行にふさわしい。大和平野から仰ぐ端正な山容は、見慣れているが、神域に踏みいるのは、夫婦とも初めてである。狭井神社に参拝後、和と御弊でお祓いし合い、社務所で借りた入山許可証ともなる白いタスキを首にかけて、七五三縄の下をくぐって入山する。

苔蒸した階段状の石道を少し登ると、予想外に幅広く、傾斜の緩い明るい尾根道となる。ただし、松や杉、檜の大樹に遮られて展望は全くきかない。暫くでじめじめした暗い谷あいの小道となる。細い滝があり、行場らしく脱衣場建替えの為の木材が積まれている。滝の横から短いジグザグの登りとなり、再び尾根に出、少し傾斜が強まる。頂上直下は広い斜面で、七五三縄を張った黒い磐座石がいくつかある。467mの頂上には林の中に日向御子神を祀る神社と石の椅子があるだけで、頂上らしい解放感もわかず早々に下山する。<神域の山内は撮影禁止>

暗い域から「大美和の杜」へ出ると、春のような暖かい陽射しがさんさんと降りそそぎ、青空に今降りてきた山頂が遥かに高く浮かび上がっている。(写真は三輪山を背にして大和三山、左に三輪大社大鳥居)

1時間ほど腹ごしらえと休憩に費やし、三輪の奥、万葉に名高い巻向山に向かう。「山の辺の5道」をたどるときに通る巻向の道を走り抜け、笠明神への途中から林道に入る。舗装はあるものの、かなりの急カーブ、急勾配が続き、やっと「奥の不動寺」に着き門前に駐車する。ここから、すでに花崗岩の露出した斜面が見える。

ひと登りで奇妙な形の岩が立つ白山の稜線にでる。小規模だが、こんな近くにロックガーデンに似た風景が見られるとは、意外だ。ここからは、龍門、三輪、遠く二上山が見渡せる。大和平野の一部も見える。巻向への尾根道を辿る。栗や楢など灌木林の中の踏跡は、予想よりはっきり続いているが、二、三回ゆるい起伏を越した後、山頂近くなって道が入り乱れているところがあり、ルートが定まらず、しばらくプッシュを漕ぎ、ロスする。

567.1mの山頂には、龍王からの縦走路、長谷寺へ下る道などが集まってきているが、ここも林に固まれていて展望なし。三角点の標石の上でコーヒーを沸かして休憩。ここは、万葉の弓月が岳にあたる南東峰らしい。下りははっきりした谷沿いの道を下る。苔の付いた杉の大木や、檜の植林の側を行くと上りに縦走路から望見された林道となり、やがて駐車場所に帰り着いた。

1993年1月17日 播州・高御位山(ご近所のY夫人、和子と3人で)

三が日が過ぎると休日は雨続きで、今日が待ちわびた初登りとなる。加古川バイパス高砂北からすぐの公園墓地に駐車。久しぶりの青空に心を弾ませながら出発する(9:45)。山裾のバス道を10分程で、長尾の村に着く。舗装の切れた村はずれから、まっすぐに高御位山目指して細い道が上っている。すぐ岩道になり、急登だが案外に登りやすい。10分程でかなり上に見えていた送電線の鉄塔に着く(10:07)

大きな岩盤の上からは目の下の池を散りばめた田園風景、その向こうの臨海工業地帯の煙突、瀬戸内海と島々の姿と大展望が開ける。10分程、景色を眺めて出発。ここからは快適なスラブ状の砂岩の登り。ふり仰ぐ頂上は、大きな岩が取り巻いて要塞のように見える。200M程で右に捲き道があったが、頭上のマイクロウェーブ反射板目指してそのまま岩場を直登する。



登り切った稜線は頂上の西端で、天の御柱という大きな石造物が立っていた。100Mほど稜線を右に歩き、高御位神社奥宮に参拝〈10:45)。宮前の「神霊降臨の地」の立札にある大きな岩上に立つと、360度の大展望が広がった。

南に淡路島や家島半島の浮かぶ瀬戸の海、北に千ヶ峰や雪彦山など折り重なる山々(ただし、愛想のよい宮司さんに聞いてみても、山の名は分からなかった)。存分に展望を楽しみ縦走に移る。

登ってきた分岐まで引き返し、平坦な尾根道の灌木帯を行き、下りになる露岩の所で早目の昼食を取る(11:18~50)。人の多い山で、食事の間も大勢の人が行き交う。黒い雲が厚みを増して来たので、先を急ぐ。小さいがビラミダブルなピークを幾つか越えるが、時々、疎らな雑木林の中を行く他は殆ど見通しのよい稜線を爽快な気分で歩く。特に左手、海側の展望はずっと開けていた。

鹿島山の東峰と西峰も小さな突起で分からぬうちに通り過ぎ、左に廻り込んだ最後のピークまで来て振り返って、始めて識別できた。此処から観ると、偶然だが鹿島槍に似て立派な双耳峰である。この辺りからバラバラと霰がちらつく。ここからの下りは、岩梯子と名付けられた広いスラブ状の岩場で、1DOM程の距離だが30度位の傾斜がある。しかし、フリクションがよく効いて快適な下り。降りきると展望台があり、すぐ神社の階段になった。鹿島神社は予想外に壮大で、合格祈願の人々で混み合っていた(13:10)。石灯寵に置かれた破魔矢や達磨が珍しい。参道の店で名物の柏餅を買って、バス道を駐車地点に帰る(13:50)。304M(高御位)の低山ながら、ちょっぴりアルプス気分が味わえ、図らずも正月に相応しい初詣でまで出来て、大いに満ち足りて帰途に就いた。

1999年1月17日 信貴山~高安山(千日町ハイキング同好会) 省略 

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あの日・この山 (1月16日)

2017-01-16 05:00:10 | 山日記

 

 

2005年1月16日 鳥見山から貝ヶ平山へ(千日山歩渉会18名)

6台の車に分乗して7時に出発。名阪国道・針ICを出て369号線を香酔峠に下る頃から、雨は雪に変わる。この天候のせいか鳥見山公園駐車場には他の車が見当たらず、貸し切り状態だった。身支度を調えて、長い列になって動き出す。足元にはうっすらと雪が積もっている。小雪が舞う中を稜線にでたが、無展望なので展望台には寄らず、そのまま頂上へ向かう。今日は風はないが気温が低く、汗もでないうちに雪景色の山頂に着く。

ヒノキ林の緩い下りで一時少なくなった雪が、コルから登り返すと次第に深くなってくる。先行者の足跡がない、ふわふわした純白の雪を踏んで登る爽快さを久しぶりに味わう。雪の重みで道にふさがっていた木の枝が跳ね返ったり、手掛かりにした樹から落ちた雪を頭から被ったりしながら歩く。

真っ白な木々が重なるように続き、青空が背景ならどれほど美しいかと残念に思う。勾配が強くなって、虎ロープが張ってある岩混じりの箇所を二度過ぎる。

香酔山への分岐を右に分けると、まもなく見覚えのある鳥見山頂上だった。山名板を囲んで記念写真を撮り、アイゼンを着けて元の道を帰る。

 

湿った雪やその下に隠れた枯葉が、アイゼンの歯に絡んで団子になるので、ひっきりなしに足踏みしたりストックで叩き落とさなければならない。面倒なのでぶら下げて歩く人もでる。ロープのある急坂は滑りやすく神経を使う。雪が止み、正面に疎らに雪を付けた鳥見山のゆったりした姿が見えた。風が出てきて飛ばされた雪がシャワーのように降りかかる。笹原の尾根の下りは、雪が溶け始めて泥まじりになっていた。正面に雪をまとった曽爾の山々、右手に竜門岳や音羽三山を見ながら下る。展望台に登ると、先日よりずっと白くなった音羽三山、眼下に榛原の町と伊奈佐山、盆地に浮かぶ大和三山、雪雲に覆われた金剛・葛城、ぼんやりと影のような二上山と、まずまずの展望が楽しめた。

鳥見山公園の東屋で昼食後、ゆっくりコーヒータイムを楽しんで帰途につく。去年に引き続き、雪の「干支の山」で楽しい新年例会を行い、幸先のよいスタートを切ることができた。

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 

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