冬青(そよご)風

常緑樹の森の下に佇み、かたい葉が風にそよいで、ソヨソヨと音をたてる。
ソヨゴの語らいを聞いていただければ幸いです。

春遍路2(松尾峠を越え札掛の宿へ)

2007年03月15日 23時00分58秒 | 歩き遍路・3順目高知編


延光寺近くの寺山の民家の庭先で出会ったさくら草の鉢植えのです。
なかなか華やかな雰囲気で、春を感じさせれれます。

     

宿毛の町に入り貝塚の史跡公園で休憩する。公園には先客の近所のおばあさんが
休まれていた。おばあさんは話好きでお遍路のことなど聞いてくる。
この場所でよく足休めをしていると、春になったとたんに深浦のへんろ道を通る
お遍路さんが多くなったとも話された。

     


松尾峠登り口へは貝塚から3kmほどですが、丘陵歩きの風情あるいい道です。
峠の登り口に明日のトレッキング・ザ・空海に使われる竹杖の束が200本ほど
立てかけられていた。峠から少し奥に入った子安地蔵堂にお参に寄る。
縁側に「おへんろさん食べてください」と箱に文旦が入れられていた。
最後の一個を有難く頂く。地蔵堂の周りや、この峠道の途中には文旦がたくさん
栽培されている。地蔵堂の中は通夜もさせてもらえるようだ。



袋を被された文旦畑の傍を通り、いよいよ松尾峠の急な登りに入る。
前回は05年の11月に逆打ちをされていた山下正樹さんを激励するため、今日
泊まる札掛の宿まで峠越えで歩き、翌日また二人で松尾峠を越えて延光寺まで
歩いたのを含めて、今回でこの峠を歩くのは5回目です。



松尾峠の途中の休憩所からの展望です。宿毛湾が眼下に見渡せる。
汗をかいた身体に、風が心地よく感じられます。

     

身体の不自由な高見さんが中心になって、お遍路さんや村の人達が建てた松尾大師
堂です。いつもお堂の周りは綺麗に手入れされています。
大師堂には閂がされていますが、施錠はしていないので閂を明けお参りします。



この峠は県境でもあり、土佐の国と伊予の国の石碑も建てられている。
東屋もありこれより1.5kmほどはよく手入れされた尾根道はとても快適です。
松尾峠を挟んでのへんろ道は、土佐側の道は男性的で、伊予側はがらりと変わって
女性的と対照的です。

   
峠を下ると一本松の町に入ります。山際の道では満開の辛夷が迎えてくれます。
山肌にはツツジの木々にも薄紫の花も咲いていました。もうすっかり春です。



延光寺を12時に出て今夜のお宿札掛の宿まで20km。5時前に到着しました。
宿は篠山神社の鳥居の横にあります。昔の遍路宿を改築して営業されている。
ここから番外霊場篠山神社までは標高1000mの山道を10kmほど歩きます。
往復20kmで1日行程なので、足の弱い人はこのの鳥居の横の社に札を掛けて
参拝したところからこの地名も付けられたとのことです。ここは遥拝所でもある。
篠山神社は昔は40番の奥の院として、また霊山として参拝者の多い神社でした。

     

女将さんの岡田さんとは1年半ぶりの再会です。岡田さんはこの宿を始められて
はや3年目を迎えれました。岡田さんも歩き遍路経験者で大阪で住んでいた時には
曼陀羅のオフ会メンバーの常連さんのひとりでした。
保存会の地図・宿一覧表には、「遍路が営む遍路宿」と紹介されています。
岡田さんは歩き遍路をされていた時に、遍路宿との交流を通じて自分も遍路宿を
してみたいと色々探されて、この土地にご縁もいただき遍路宿を営まれました。
松尾大師堂の再建にも何日間もお手伝いをされ、その山下にある札掛にご縁を
頂いたのもご縁のひとつではないかと、お話されていた。

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春遍路1(打ち始めは延光寺より)

2007年03月14日 23時40分04秒 | 歩き遍路・3順目高知編


3月8日から3月11日まで宿毛より宇和島まで歩いてきました。
道中記はモグログにて簡単にお伝えしましたが、今日より詳しくアップします。

今回のお遍路は、往復夜行バスでの日程を組み、3日間で延光寺より宇和島市内
まで歩く。11日には空海ウォークに合流して、柏坂を一緒に歩く予定を立てる。

夜行バスのチケットも早々と確保して用意は万端だったのですが、意外な落とし
穴が待っていました。
仕事を終え一度自宅に帰り、掛かり付けの接骨医に行き、痛めている左足首に
テーピング治療をしてもらい、OCATバスターミナルに21時半につきました。
電光掲示板を見ると宿毛行きの標示なく22:55の高知行きのみ点滅していた。
慌てて封筒から切符を取り出して時刻を見ると宿毛行きは21:15に
なっていた。切符を買ってから一度も封筒から取り出さず、私の頭には往復とも
22時との思い込みが刷り込まれていたのだ。このような勝手の思い込みはちっと
も治っていないのには、さすがにショックでした。
慌てて高知行きの夜行バスに切り替えを頼んだが、満席で駄目でした。
仕方がないので明日に出直そうかと戻りかけたが、そこで閃きました。
最近高松に行く機会が多いので、その時は三宮から深夜フェリーで四国に移動
していたのを想い出し、6時過ぎのしまんと1号で宿毛に行くことにした。

急遽三宮に移動して、0:30のフェリーに乗り込みました。
高松東港を1時間遅れで入港したので、高松駅でも待ち時間も30分ほどで
予定通り特急しまんと1号に乗車して、10寺半頃平田駅に着きました。
平田駅で下車し国道を歩かず、土佐くろしお鉄道沿いの小川の歩きました。
そこの田圃には菜の花が満開で、花へんろ気分満喫です。



国道から延光寺への自動車道の入口の高台に、当ブログにもよく登場する「海や
山や」があります。昨年の10月以来の訪問です。  

    

延光寺に向かうまえに海や山やで朝昼兼用の食事。
相変わらず豊富な品揃え目移りします。
開店前だったがちいこさんも話相手をしてくれて食事をいただいた。
コーヒーをよばれながら話が弾む。
昼前なりお客さんが立て込んできたのでお暇する。
海や山やからは歩いて5分ほどの、延光寺に向かいます。



山門に一礼して境内に入る、今回の以降お遍路では姉の病気平癒祈願を
念じてお参りをすることになった。
姉は私と同じ様に学生時代に腎臓病で1年入院生活を送り、その後養生をしながら
なんとか普通の生活を送っていたのですが、とうとうこの3月に腹膜透析の手術を
して、今後は毎日6時間毎に点滴透析をしなければならないので、行動がせばまり
困難で不自由な生活を強いられる。

腎臓病で一番の恐怖は透析生活を余儀なくされることです。
私の心の底にもそのことが重しとなり沈殿している。
私は腎機能が低下したしたら(2ケ月1度検査治療をしている)その時点で
マラソンは即中止することにして、それまでは見てみない振りをしていただけに、
姉の腹膜透析は辛いできごとでした。

うっかりミスでバタバタした移動で始まった今回のお遍路でしたが、延光寺を
今まで以上にお勤めを済ませて、松尾峠に向かいます。

本日の練習

 昨晩よりは風がないぶん、冷え込みもそれほど感じず走れた。
 サイクルロード夜間走 4往復 6km

 
 3月の走行距離 40km
 

         07,1~3月累計 225.0km



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松尾峠展望台

2007年03月09日 15時22分46秒 | 歩き遍路・3順目高知編
延光寺から2時間半。宿毛の貝塚に到着。
良い感じの遍路を歩くこと40分やっと松尾峠登り口に、
わっさかわっさかよじ登って汗だくで休憩中。
現在3時半。
海風が極楽!

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海や山や

2007年03月09日 11時37分14秒 | 歩き遍路・3順目高知編
延光寺に向かうまえに海や山やで朝昼兼用の食事。
相変わらず豊富な品揃え目移りします。
開店前だったがちいこさんも話相手をしてくれて食事をいただいた。
コーヒーをよばれながら話が弾む。
昼前なりお客さんがきだしたのでおいとます。

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菜の花遍路

2007年03月09日 11時06分13秒 | 歩き遍路・3順目高知編
昨晩トラブルがありバスに乗り遅れたので、
フェリーで高松にでてしまんと1号で平田駅で
下車し延光寺に向かっている。
菜の花 畑です。

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明日より春遍路に

2007年03月07日 22時55分10秒 | 歩き遍路・3順目高知編


 くろんど園地 冬の猫 タケチャンマンさんよりの頂き猫です。
 アキに見送られて・・・(アキにとてもよく似た猫です)お遍路に。

   
 
 明日(8日)仕事を終えてから、夜行バスでお遍路に出立します。
 前回(昨年10月)打ち止めた39番延光寺より、打ち始めます。
 朝8時頃に平田分岐で下車して、「海や山や」さんに立ち寄り延光寺に。
 その日は松尾峠越えにて、一本松の札掛の宿に泊まります。
 翌日から2日間はトレッキング・ザ・空海に参加しみなさんと一緒に歩きます。

 1日目は宿毛・愛南コース 15km 2日目は柏坂遍路道コース 10km
 10日の夜には、早坂先生の講演会と月岡佑紀子の演奏会を聴きます。
 11日にはDE・あ・い・21の会場でおかだとよいちさんの遍路絵展拝見。
 月岡さんとは5月の高野山のまんだらコンサート以来の再会なので楽しみです。

 柏坂ウォークが3時頃に最終地嵐坂ポケットパークに到着したあと、そこから
 宇和島まで20kmほどの距離、途中から夜間歩行になりますが歩きます。
 宇和島バスセンターの夜行バスの出発が22:30なので充分時間があります。

 昨日のブログで描きましたように、左足の捻挫の影響が長時間歩きで出るかも
 しれないので、様子を見ながらあまり無理をせず歩くつもりです。
 道中モブログでお遍路の様子をできるだけアップしますが、頂いたコメントに
 お返事が出来ないかもしれませんが、よろしくお願いします。
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4日目 打ち止めは延光寺

2006年11月06日 07時24分10秒 | 歩き遍路・3順目高知編
06年10月20日(金) 快晴 最終日 

いよいよ4日間歩いた、区切り打ちのお遍路も最終日になりました。
今日は8km先の39番延光寺だけなので朝風呂に入って、9時過ぎ出立。
宿毛市内からは延光寺へは逆打ち方向になるので、観自在寺に向かう
お遍路さんと朝から3人ほどと出会いました。

         

延光寺にむかう途中、車の方から接待をいただきました。
中村のSさんで、先日歩き遍路を結願されたそうです。

Sさんもお遍路中はたくさんの方からお接待をいただき、
地元に住んでいるので車で出かける時は、ジュースなど
小袋にいれて、歩き遍路さんにお接待をさせて貰っている。
お遍路で受けた温かい心を、少しでもお返したいと始めた。

ビニール小袋には飲み物、みかん、あめなど
重たくないように心遣いをしてくださっていた。
歩き遍路をされた方だけの細やかな配慮でした。

来週に高野山にお礼参りに行かれるので、
ぜひ町石道を歩かれるようお話したところ
ぜひ歩いて高野山に参りたいたお話された。

Sさんありがとうございました。
今回はいつにもまして、お接待をいただき
とても勇気付けられました。

         

延光寺の門前のへんくつやさんの名前が「民宿寺山」に変っていたので、
辞められたのかと思ったら、あの有名なおじいさんがお店におられたので
お話を聞くと、息子さんが民宿を継がれたのでここの地名の「寺山」を
とって息子さんが変えられたようで、話しっぷりではおじいさんには不満
の様子でした。へんくつやと二枚看板でいまも営業していると言っていた。

延光寺を打ち終り、長い土佐修行の道場を完了しました。
また心あらたに、新年から菩提の道場に向かえられようお願いをする。
11月から仕事もまた始まりそうなのですが、お大師さんに呼ばれて、
また出発できるのを楽しみにして待っています。



延光寺のそばの居酒屋「海や 山や」さんでお昼をいただきます。
お昼は週4日営業で水・土・日はお休み、それ以外は営業されている。
夜の部の居酒屋と食事は毎週水曜日が定休日です。
当ブログで何度も紹介していますが、延光寺にお参りのおりでも
お昼(11:30~14:00)に寄ってやってください。



お店のカウンターには20種類ほどのおかずが並べられ、
カフェテリア方式で好きなオカズを、何品でも自由に選べる。
魚は土佐清水市までお父さんが、毎日自分で仕入れに行っている。
おかずに野菜類も多いので、肉の苦手な私にはとても助かります。
とにかく美味しくて、安いので大好評です。私のお昼膳です。

昨晩道の駅宿毛で別れたshinさんに、明日よければお昼を一緒に
海や山やで食べましょうとお誘いしたら、延光寺を打ち終えて
立ち寄ってくれた。1時間ほど個室の方でゆっくり食事をした。



shinさんは結願後、高野山にお礼参りに行くといっていたので、
是非町石道を歩くようアドバイスすると、和歌山港より歩いて
行きたいとのことで、一緒に高野山まで案内する約束をする。

松尾峠を越えて、一本松に向うshinさんをお見送りをする。

       

お仕事が一段落した海山ちいこさんと、1時間ほど積もるお話などする。
「猫好きの竜馬さんに、お土産」といって猫のストラップをくれました。
甥っこのためにガチャガチャをした時に、猫のストラップだけ別に取って
置いてくれたそうです。早速泣き猫の方を携帯電話につけました。



15時発の平田駅より特急で、高知に戻るためお別れする。
見送りに出てきたちいこさんが、庭の花壇に案内してくれた。

「竜馬さん、この花しっちゅう?」と、白い花を指指しました。
「猫好きやから、しっちゅうやろ」と念を押された。
「・・・・知らん」初めて目にする花でした。

「ネコノヒゲ」別名キャッツウィスカーというらしい。
なるほど突き出た花の姿が、「猫のひげ」のようでした。
猫好きには嬉しい花でした。またひとつ花の名前を覚えました。

次回39番から打ち始める時に、お昼を頂くことを約束してお暇しました。
このあと実家で一泊して奈良に帰ります。
マラソンとお遍路で1週間過ごした四国の旅もやっと終わります。

本日の練習

夕方、サイクルロード走 3往復 6km。 足重たし。


本日の練習 6.0km 11月累計 34km 
         6~10月累計 907.5km
 


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宿毛へ歩く(歌ヘンロ小屋3連発)

2006年11月05日 10時33分47秒 | 歩き遍路・3順目高知編


 06年10月19日(木)快晴 竜串~宿毛 その3 大月~宿毛

14時 大月道の駅に着きました。
駅の道にふさわしい9号ヘンロ小屋が正面から迎えてくれました。
屋根のひさしに大きな三日月が飾られていた。黄金色に輝いています。
大月町名や月山神社をモチーフに月のイメージでデザインされたそうです。
荷物を下ろしてshinさんと休憩します。shinさんはアイスクリーム、私は

先客がお二人いました。お遍路さんではなく、バス待ちのおばあさんでした。
ヘンロ小屋を目にした時、ターミナルの待合室と思えるほどしかり同化していた。
歌先生の製作の狙いもそこにあったようです。小屋の横にバス停でもあるので、
バス待ちや休憩の人達と、お遍路さんのの会話も弾みそうですね。
私たちもバスが来るまで、おばあさんたちと色々お話をしました。
お遍路さんと地元の人々とのふれあいの場になるヘンロ小屋もいいもんですね。



ベンチも湾曲した三日月。手前の荷物置場も小さな三日月。子どもも喜びそうな
可愛いベンチです。なんとも開放的で、遊び心がありいいですよ先生。



大月郵便局で記念貯金をする。今回の区切りで3日間で6局打ちました。
下ノ加江〒、足摺岬〒、土佐清水〒、姫の井〒、大月〒、小筑紫〒。
キャッチフレーズの局印は「四国最南端(かつおの絵柄)足摺岬郵便局」もう
1種類は同じ局でかつおの絵柄のところが足摺岬の椿でした。
「さかなのまち 土佐清水郵便局」ここは近年ブランドとしてサバが有名です。

民宿幡多郷の横に「大月2号ヘンロ小屋」があります。
地元の皆さんで、近くの山の竹を切り出し手作りで完成させたそうです。
全てモーソー竹の組み合わせでつくら、年月がへていい味がでています。
ここには、二度ほど山下さんたちと柏島に行く時に、自動車で訪ねています。
お店も閉まっていましたので、立ち寄らずに通過しました。



大月の郵便局で時間をとったので、先行しているshinnさんを早足で追いかける。
散髪屋さんの店先で、「お遍路さん がんばって!」の声を聞く。
声の主たちは、ずらり整列したアンパンマンファミリーでした。
街角ウォッチャーとしては見逃せない素材でした。

弘見の坂を走りながら下っていると、乗用車の女性から声を掛けられた。
「大月郵便局の者ですが、さきほどお釣を間違えて少なく渡したので追いかけて
きました。すみません」と、500円玉を渡された。
「それにしても早く歩かれているのですね」とびっくりされる。
お釣りを少なく渡したといわれていたが、私が確かめずお皿に500円玉を取り
忘れてたに違いないが、局の責任みたいに謝られたので、申し訳なかったです。

        

   やっとshinさんに追いついて暫く一緒に歩いていたのだが、
   このあと私は新四国曼荼羅55番札所鳳彩寺に参拝するので、
   今晩道の駅宿毛でテント泊されるshinさんとお別れする。

   日も暮れだしたので、小筑紫の県道から少し離れた場所に
   鳳彩寺があるので、またまた早足ですすんでいると、また
   前方に自動車が止まっていて、そこに見覚えのあるお顔が
   朝大浦でお会いした井上区長さんでした。
   「宿毛まで用事があり車を走らせていたら、どこか見かけた
   お遍路さんと思いみると、竜馬さんだった。急いでいるので
   したら宿もまで車で送りますよ」と車のお接待をいただく。

   これから鳳彩寺に行かなければならないのでお断りする。
   小筑紫郵便局に立寄り記念貯金をしたついでに鳳彩寺の
   場所をお尋ねすると、分かりぬくい場所にあるのでと、
   住宅地図をコピーして教えてくださった。ありがとう

   鳳彩寺は小高い山際にあるお寺で、新築されたばかりの
   新しい堂宇でした。今日は法事があったのかお客さんが
   お土産を片手に帰り仕度していたので、本堂は慌しかった。

       

   まだ歩いています。宿毛湾に日が沈みだしました。
   今日も朝日を拝み、夕日に感謝しながら歩けました。



17時、宿毛の道の駅にやっと到着です。
道の駅の入り口に、歌先生の立派なヘンロ小屋・茶堂(泊まり屋)がありました。
2階建てです。宿毛のロータリークラブの寄贈だそうです。

今回お遍路に旅立つ前日西宮の曼荼羅で、へんろオフ会があり歌先生も参加されて
いましたので、宿毛の茶堂に出会うのを楽しみにしているとお話しすると、
「このデザインは幕末から明治初年にかけて建築された泊り屋の再現です。
泊り屋とはかつて高知などに多くあり、若者文化をつくっていました。
このようにヘンロ小屋も「かつて文化を育てた建築の再現」という意義がある」
と話され、是非立ち寄ってゆっくりしていってといわれました。



二階に上がる階段があります、靴を脱いで上がります。
二階は8畳ぐらいの広間になっています。四隅には扉がなく吹き抜けです。
日除けのすだれが掛けられている。海のそばなので海風がここちいいです。

今日1日で歌先生のヘンロ休憩所を3つも訪ねました。
2ケ所でゆっくり休まさせてもらいました。ありがとうございました。
先着していたshinさんが、テントベースを確保して茶堂に来てくれました。
明日お昼ごろに、延光寺の近くの「海や山や」で再会を約束して出立。

     

宿毛市街地まで後2キロ。ラストスパート。対岸に市内の明かりが見えている
のですが、入り江ぞいをぐるりっと回るので遠いこと。
やっと松田橋を渡り、今夜の宿秋沢ホテルに投宿したのは18時半を過ぎていた。

素泊まりでしたので、近くのお店で夕食をとる。
入浴後、ロビーで無料でインターネットが出来たので、ブログのチェックや
遍路中に頂いたコメントにお返事や、仲間のブログに書き込みなのしていると
あっというまに22時を過ぎていた。
今日掛け連れしたshinさんからも、ブログにお礼のコメントが届いていた。

今日も長い、長い1日でしたが、明日は1寺のみ8kmほどの歩きなので
ゆっくり出発します。


本日の練習

今日は全日本大学駅伝を見ながら、早々とブログをアップできたので、昼前に
民俗公園まで走ってきた。久しぶりに10km1時間走ができた。

本日の練習 10.0km 11月累計 28km 
         6~10月累計 901.5km
 



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月山へんろ道を歩く その2(月山神社~赤泊・西田家)

2006年11月04日 11時23分38秒 | 歩き遍路・3順目高知編
   

06年10月19日(木)快晴 竜串~宿毛 その2 赤泊・西田家

月山神社をお参りをすませて、10時出発。
大浦のへんろ道で出会ったた東京のshinさんと一緒に歩きます。
月山神社から月ヶ丘までは、山の中のアスファルト道を1kmほど歩くと、
道路の左手に大月へんろ道の→の看板に出会い、野道に入っていく。
大月へんろ道の尾根を高度を少しづつ上げながら歩きます。
すると突然視界が開け、太平洋の雄大な景色が望めた。

   

峠の尾根をしばらく歩き、一気に急坂を下り赤泊の浜に出る。
浜への出口は水が涸れた川底の丸石を踏みながら歩く。

山下さんの話では「ゴロゴロ石の海岸を少し歩いてもらい、海を見ながら休憩を
する絶好のポイントで、赤泊の浜は新たに復元した大月へんろの目玉になる」

山下さんのお話のように、遍路道の途中に海岸や浜辺に出会うときはほっとして
嬉しくなります。海の情景には母の胎内に抱かれている安らぎがあるのですね。
白波の打ち寄せる海岸線は3,400mほどの小さな入り江ですが、上がり口が
分からず突き当たりの島影まで行くが、上り口らしき道が無くまた浜を引き返す。
歩きぬくい石浜を半分ほど戻った所の堰堤に、ミニの軽トラが止まっていた。

ここでこれからお伺いする西田さんに電話をすると、その堰堤を登れば道路に
出れる。その先から赤泊にでるへんろ道が続いているとのことで、ほっとする。
西田さんは電話で、「浜の途中に堰堤に上がる→看板などつけていたが、波や
風に何度も浚われて無くなり、何かいい方法がないか考えている」と話される。

   

町道を姫の井に向う。この道沿いの赤泊の集落に西田さんのお家がある。
西田さんのお宅は祖父以前から善根宿をなされていた。
庭先で農作業をされていた西田さんが、私たち二人を見つけお家に招いて頂く。

西田忠雄さんは昨年定年退職され、現在中村市内のご自宅と生家の赤泊を半ば
行き来されてる。今回ご縁を頂いた西田さんと山下さんは、大月へんろ道復元
作業でお知り合いになられた。今回訪問するにあたり山下さんの紹介を頂き、
事前にお手紙を差し上げていて、訪問日に赤泊の生家まで来ていただいていた。
今回大月へんろ道を歩く目的のひとつは、西田家の米俵に入れられた古い遍路札
を拝見するのを楽しみにしていたのです。

お伺いした時間がお昼前だったので、持参のお弁当など食べながら善根宿をなされ
ていた昔のお遍路事情などして頂く。我々のお弁当の貧弱な様子を見られ、自分で
作られたお米を炊いた温かいごはんや、おかず、味噌汁など用意した下さった。

食後隣の居間に用意して下さっていた、米俵いっぱいに詰まられていた古い遍路札
と、ファイルされた年代の古い遍路札が10枚ばかり座卓の上に並べられていた。

     


西田さんのお話しによると、大月町史に掲載された遍路札の調査結果で、文政8年
(1825)から明治43年(1910)までの約一万枚。地域別に見るとやはり
四国が多く、次いで岡山、兵庫、大阪、京都、愛知、大分分布は北海道、青森から
鹿児島まで全国の各県に及ぶ。

当時、お札を集めていれば火事災難から逃げられると言われていた。  
またこの地方では「千人の巡拝者を泊めると、一回の巡拝をしたと同じご利益が
ある」とされていたようだ。
通常、遍路札は米俵に入れ屋根裏で保存された。西田家にはこの俵以外に2俵分
保管されているが、何度かの雨漏りにもあったようで米俵は黒く変色し、札はくっ
つきあい団子状態になり、三分の近くは判読不能だったという。

これだけの物が消えずに残っていているには驚かされました。
和紙と墨で残された遍路文化、それぞれ手書きで上手に書かれた遍路札は、
現在の印刷されたお手軽な遍路札にない美しさがありました。

お札の上部に穴が開いているので尋ねると「昔はお札は糸を通して部屋の四方に
吊るし、お守りにしていたこともあったようです」と話された。

西田さんはお遍路文化、大月へんろ道整備など精力的に活動されています。
先日も竹林寺で歌ヘンロ小屋プロジェクト高知支部発足会で、パネラーの
一人として、歌先生や山下さんとともに出席されていた。

西田さんは「月山へんろ道が復元されるまでは、赤泊の道を通るお遍路さんは
ほとんどいない、私が見かけるのは年に数人程度だったが、復元後山下さん等の
啓蒙のお蔭で、へんろ道を歩かれるお遍路さんが少しづつ増えだした。 私も見か
けたらお接待をさせて貰ってしています。是非皆さんに海と山が楽しめる大月
へんろ道を歩いてください」と笑顔を話されていました。

西田さん、本当に貴重な資料を見せていただき、その上お接待の昼食まで用意して
いただき、本当にありがとうごさいました。
遍路仲間やネットにて、月山へんろ道の啓蒙に協力させていただきます。



一緒にお伺いしたshinさんも、西田さんのお宅で拝見できた遍路札には、
カルチャーショックを受けられたようで、感動の面持ちでした。

「今日の日にお遍路を再開したことにより、竜馬16さんにお会いしたご縁で、
西田家の遍路遺産にも巡りあえ、これもお大師さんの引き合わせです。」

姫の井でへんろ道は321号線と合流します。
合流点に姫の井郵便局があり記念貯金のために立ち寄る。
窓口の可愛い局員さんが、冷たいジュースを差し出して下さった。
局長の後田さんが出てこられ、お遍路さんにお接待です。と笑顔。
お遍路、郵政の話で盛り上がり、退室時にはタオルまでお接待頂く。
お遍路中にこれまで郵便局で飲み物のお接待をいただいたのは、
徳島の阿波川端局、高知の影野郵便局と姫の井局3局です。

休耕田にはコスモスが、お遍路さんを温かく迎えてくれています。



看板好きのお遍路が見つけた、本日のおまけの画像です。

   春遠 冬場の歩きに見つけたら嬉しくなるかな?
        春、遠からず・・「はるどう」

大月道の駅まであと少しです。歌先生の大月ヘンロ小屋が待っています。

本日の練習

午後より平城宮跡で特別公開されている「第一次大極殿正殿」の見学のあと、
奈良市中町で山の仲間である安川さんの個展に行ってきました。
帰宅後、コスモス回廊、靴団地、サイクルロードと周回走をする。6km。


本日の練習 6.0km 11月累計 18km 
         6~10月累計 891.5km
 

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月山へんろ道を歩く その1(竜串~月山神社)

2006年11月03日 00時27分27秒 | 歩き遍路・3順目高知編
06年10月19日(木)快晴 竜串~宿毛 その1 大浦



今日も宿毛までの40km以上の長丁場になりそうなので、朝食の代わり
お握り弁当を用意してもらい龍串の民宿を5時過ぎに出発。
日の出が6時半過ぎなので、まだまだ辺りは薄暗く楽しみにしていた竜串、
見残しの岩礁見学の寄り道も諦めざるをえなかった。

貝ノ川あたりより朝日も顔を出す。今日も朝日が拝めることに感謝して歩く。

     

   叶崎灯台付近の海岸の風景は、幡多十景のひとつであるらしい。
   入り江、島影、岩礁、朝日に輝く海。幡多十景を見ながら歩く。



歩き始めて2時間半。小さな灯台が見えだした。叶崎灯台です。
叶崎トンネルの手前で一人歩きのお遍路さんの姿を見かけたが、
トンネルを通らず高見に続く山道の方に歩いて行かれた。
トンネルが出来るまではあの山道を皆さん歩いたのでしょうが、
早朝で車も少ないので、私はショートカットのトンネルを歩く。

     

叶崎から月灘を経て4kmで大浦の分岐に来ました。
左に折れると、大きな手製の看板に「大月へんろ道」に出会います。
この手製看板は、姫ノ井の国道に出るまでよくお目にかかりました。
大月へんろ道を復活させた、大浦や赤泊の皆さんのご奉仕の賜物です。

お遍路仲間の山下正樹さんから今回大月へんろ道を歩くにあたり、
大月へんろ道復活にご尽力を頂いた大浦の井上区長さんや、赤泊の
西田さんを是非訪ねて、色々お話をお伺いしてくるよう申し受けていた。



正面に海が臨める大浦の歌先生の14番目のヘンロ小屋で、朝食休憩しています。
(同行二人の地図では、月山神社を過ぎて展望台の横に⑭マークがついていますが、
それは間違いで大浦集落入り口でへんろ道の入り口付近にあります。次版から訂正)


歌先生のお話によると、このヘンロ小屋は「大月へんろ道保存会」のメンバーや
大浦、才角地区の方々が中心となって手作りで、間伐材の調達や製材作業などを
持ち寄り作られたそうです。大浦漁港を見渡す絶好の位置にあります。
宍喰ヘンロ小屋と同じように、目の前に海を見ながらゆっくり休憩ができるいい
場所でした。波の音をきき、海風に包まれながら疲れを癒されるので最高でした。

朝食のお握りを食べていると、井上区長さんが来られて小屋のお話をして下さる。

「最近では保存会が復元した大浦から月山神社を経て、赤泊を通り姫ノ井に通じる
旧へんろ道を利用する歩き遍路が増えており、道沿いにできた遍路小屋で海を眺め
ながらしばし足を休めるお遍路さんもおおくなった。」

確かに山下さんの熱意の推薦もあり、我々曼陀羅ネット仲間も大月周りで歩く人が
増えている。かくゆう私もその一人なのですが。
建物の入り口は先生のヘンロ小屋の特徴である文字看板が、
「支えあいを意味する「人」の字にデザインのように、歩き遍路の方と地元の方と
の交流の場にもなればと期待しています。」と、熱く語ってくれました。

食後休憩をしていると、近所のおばあさんがこられ「お餅をたべるか?」
と聞かれ「はい」と返事。お家に戻りあんこ餅を2個お接待してくれました。
そして「山で飲みな」とビニール袋に飲み物いれて置いていかれた。
お礼に納め札をお渡した。後からビニールを開けると缶ジュースが3本、
3本もですよ・・入っていました。置いてもいけずザックに納めました。
いっぺんに3本ももらったのは初めてでした。
これから山道を登るので重たくなるので少し困惑してしまいました。

     

1時間ほど休憩所でゆっくりしてしまった。
ではでは月山遍路道を歩いて、月山神社に向かいます。
月初めに山下さんや、へんろ道保存会の皆さんが、草刈作業をしてくださって
いたので、ずいぶん歩きやすく助かりました。ありがとうございます。
へんろ道の木々のあちこちに、月灘小の児童の絵等描かれたへんろ手札が嬉しい。

先月17日に読売新聞「お遍路さんは今」シリーズで「道が結ぶ人、地域、自然」
で大月へんろ道の作業されている山下さんと、歌先生の記事が掲載されていた。

     

山下正樹さんが4,5年前に柏島の黒潮実感センターに2年ほど勤めていた時に、
大月町史を調べていて、旧遍路道の存在を知りそれからへんろ道の復活が始まる。

大浦地区の浅井常幸区長に 復元を相談したところ、すぐに地元有志が集まり作業
が始まった。お年寄たちに案内役を依頼、 木々の伐採や雑草の刈り取り、崩れた
道の修復に汗を流した。夏場の草刈など、遍路道のメンテ ナンスも数回に渡って
続けられた。現在も新聞記事のあるように修復整備が続けられ歩きやすくなった。

山のへんろ道を歩いていると、叶崎で見かけたお遍路さんの後姿を発見。
追いついてお話をすると、テントを担ぎながらの通し打ちのお遍路さんでした。

         

へんろ道を抜けると自動車道に合流、道なりに歩いていると月山神社に到着。
お参りをすませて休憩中に、大浦のヘンロ小屋でお接待して頂いた缶ジュースと
お饅頭をお遍路さんに逆接待をする。お遍路さんは東京のshinさんでした。
相手も喜んでくれたが、こちらも軽くなり喜びました。めでたしめでたしでした。

shinさんはお遍路中、竜串で音楽イベントの手伝いで10日間ほど逗留して
今日よりお遍路を再開されたところでした。お話を聞くとなかなか話題豊富で、
お遍路中にモブログ発信もされていた。自ら中年野宿遍路と名乗っていた。

すっかり打ち解け、お互い波長もあいこの日1日一緒に宿毛の道の駅まで歩いた。
辺境の地で、地元の信仰の篤い月山神社を10時出発する。

 明日は大月へんろ道を海辺に下り、赤泊の西田さんを訪ねます。

本日の練習

今日はあっくんの満1歳のお誕生会のため、山口から来られているご両親と、
奈良に出むき奈良町にある勝南院文助で、食事会をしていたので遅くなった。
夕方帰宅後、矢田山団地まで用事があり走っていく。 6km。

本日の練習 6.0km 11月累計 12km 
         6~10月累計 885.5km
 


コメント (8)
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