あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

西武鉄道 小手指車両基地に新型通勤車両「40000系」が入線(埼玉・所沢)

2016-09-28 22:44:33 | 鉄道
 2016年9月28日(水)

 昨日午前、かかりつけの病院に受診に行くために西武池袋線の小手指車両基地横を通っ
たら、本線に近い車両基地の2番線に新型通勤車両「40000系」の最初の1編成が入線し
ていました。


 この40000系車両は、2016~2019年度に導入を予定している80両の最初の編
成で、運転開始は2017年春からのようです。


 この車両では、客室内から中づり広告をなくし、その代わりに広告用デジタルサイネー
ジ「Smileビジョン」というものを設置し、17インチディスプレイを2面横に並べて、
1両で12~16面を設置して視認性の向上を図るとのこと。


 ほかに、通勤車両としてだけでなく観光車両としても利用できるよう、一部の編成では
「ロング・クロスシート転換車両」も導入されるというのが特長です。


 また、西武鉄道の通勤車両では初めて、長距離区間でも安心して利用できるよう、4号
車にはトイレが設置されているようです。

 下り側先頭車の車両番号は40101です。

 車両内には「SEIBU FREE Wi-Fi」と電源コンセントも導入して、乗客の移動時間の快適
化も図られているとのこと。


 運転形態としては、相互直通列車で座席指定制車両としての運行も予定しており、西武
線~東京メトロ副都心線~東急東横線~みなとみらい線直通列車で初の座席指定制列車と
もなり、西武線内では通勤車両としては初の座席指定列車としても運行されます。



 新しい車両の、2017年春からの営業運転開始が待たれます。



 この時間、小手指車両基地の最奥部にに入線していたのははかに、特急列車ニューレッ
ドアロー10000系と車両洗浄作業中の6000系(東京メトロ有楽町線・副都心線直通車両)
のみでした。



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上野の森美術館と東京藝術大学大学美術館へ(東京)

2016-09-26 21:33:52 | Weblog
 2016年9月25日(日)

 カントリーウオークの仲間、Kさんからチケットを頂いたので、8日ぶりに青空の見え
た今日、東京・上野公園にある上野の森美術館に観覧に出かけました。

 11時30分過ぎにJR山手線の上野駅で下車して、公園口から会場に向かいます。




       
 
 会場の上野の森美術館入口


 この美術展は、「第29回 上野の森美術館 日本の自然を描く展」と呼ぶもの。今回は全
国から4,586点の応募があり、2,791点が入賞・入選したとのこと。

 それら入賞・入選作品を、会期の9月8日(木)~27日(火)までを4期に分けて展
示するので、今日は最後の4期の作品が見られました。

 会場内は撮影自由なので、観覧しながら撮った作品を幾つか紹介します。






      

      

          



 子ども部門のコーナーも




 その先にも一般の入賞・入選作品が


           これは木目込み作品のよう        
          



 なお、当展覧会のリーフレットには、受賞作品が以下のように掲載されていました。


 「日本の自然を描く」といっても、ふつう言っている自然だけでなく、静物や人物、な
かには外国の風景などもあり、バラエティに富んだたくさんの作品の観賞を楽しみました。

 同じ上野の森美術館内の別の小さい展示室では、「第二回 日本木彫刻展」というのを開
催中で、無料で観覧できるというので、こちらにも入りました。
          
  
 なお、会期は9月29日(木)まで。この会場も撮影自由です。


       

       

           

       

                

          


 作品の多くは仏像ですが、他の作品を含めて精巧な木彫の素晴らしい作品ばかりでした。


 上野の森美術館を出て、遅くなった食事をすることにして上野駅方向に戻ることにしま
した。

 西側の木々の間から、清水観音堂が望まれます。


 遊歩道から見返す上野の森美術館の入口付近。


 入口に近いところに小さい墓地が見えていたので回ってみたら、都指定史跡「天海僧正
毛髪塔(てんかいそうじょうもうはつとう)」でした。

 天海僧正は、江戸初期の天台宗の高僧で、諡号(しごう)を慈眼大師といい、比叡山で
天台宗を学び、江戸崎不動院(茨城県江戸崎町)や川越喜多院(埼玉県川越市)などに住
んで徳川家康の知遇を受け、家康が没すると日光病の基本構想をたて造営を指導したとの
こと。

 寛永20年(1643)に108歳で亡くなり、ここ旧本覚院跡に供養塔が建てられ、
のちに毛髪を納めたこの塔も建てられたようです。

 上野駅公園口に戻り、駅舎に接した「ぶんか亭」(2階)に上がって遅い食事に。
     

 注文したのは季節お勧めの「北海道 味覚の秋」でした。
    

 食事を終えたのは14時半近く、店にはもうお客さんはほとんどいません。


 この後、同行の連れ合いの希望で東京藝大の美術館に行くことにします。公園口そばの
東京文化会館付近にはこんなのぼり旗が何本も。
       

 その東京文化会館と国立西洋美術館の間を進んで、大噴水のある池の南から西側に進み
ました。噴水はお休み中、向こうに見えるのは東京国立博物館本館。


 東京国立博物館構内の西側に見えるのは、江戸時代の鳥取藩池田家江戸上屋敷の表門だ
ったもので、黒門とも呼ばれ重要文化財に指定されているようです。


 上野公園内の「芸術の散歩道」と呼ぶ遊歩道には、東京藝術大学の学生の卒業、終了作
品が幾つか展示されていました。そのひとつ「うその肉」、今年の作品です。
     

 散歩道際のベンチも芸術作品のよう。


 こちらは「流されるままに」と呼ぶ作品、やはり2016年作品
    

 次の交差点際に残る、京成電鉄の旧博物館動物園駅の建物。


 近くの東京藝術大学 大学美術館に入り、3階展示室で開催中の「台東区コレクション展」
を観賞しました(10月16日(日)まで開催、入場無料)。
       
 台東区コレクション展は、台東区と東京藝術大学との芸術・文化交流の一環として、藝大
学生の卒業制作や大学院生の終了制作の作品を台東区で収蔵していて、その作品群の中から、
「法隆寺金堂壁画」と「敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)壁画」の模写作品を中心に展
示するものでした。

 ここは撮影禁止で作品は撮れないので、もらったリーフレットに掲載の2枚を。

 模写 敦煌莫高窟壁画第285窟 北壁 仏三尊二舗(第6・5区)〈西魏〉

             
              模写 法隆寺金堂壁画6号壁 阿弥陀如来

 これら壁画の模写作品は、学生が現地で制作したものと思われ、昭和50年代後半から平
成14年頃までの年代が記されていました。いずれも原寸大に模写していて、莫高窟では高
さ2m以上のものも多く、近年では観光客の増加などで模写できないのではないかと思われ、
いまでは貴重な作品といえるのではないでしょうか。

 ほかに、「台東区長賞受賞作品」と呼ぶ、東京藝大の優秀な卒業作品の制作者に贈られる
「台東区長賞」を受賞した作品の一部の展示や、「法隆寺金堂壁画」と「敦煌莫高窟壁画」
模写に関連して、台東区立書道博物館所蔵のなかから、敦煌莫高窟出土の「壮士」の古写本
なども展示されていました。

 観覧を終えて館の南側に出ると、シイではないかと思われる古木が目に付きます。
     

 帰路につくことにして、上野駅に向かいます。噴水池ではちょうど大噴水が。


       



 南東側の木立の下に立つ野口英世像


 世界遺産登録が決まった国立西洋美術館前の広場を抜けることにします。


 広場には、ロダンの作品が何点か展示されています。まずは「考える人」
        

    

 「カレーの市民」


     

 美術館広場を抜けた上野駅近くからは、東京スカイツリーの上部が望まれます。
    

 16時35分頃JR上野駅に戻り、山手線電車で池袋方向に向かいました。




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あちこちでヒガンバナが咲き競う(埼玉・所沢)

2016-09-24 21:43:02 | 所沢だより
 2016年9月24日(土)

 秋分の日も過ぎて秋の彼岸も後半になり、明日は彼岸明けですが、市内を歩いてみると、
あちこちでヒガンバナが咲き競っていました。

 今日、所沢市内のほんの僅かなところで目にした、ヒガンバナです。



        

    

         ほかの葉の間から花を見せるヒガンバナ
        

      
     

             白ハギと咲き競っているお宅も。
            

        

 北野保育園の敷地内にも咲いていました。




 後ろはムラサキシキブ


 東川(あずまがわ)の上新井調整池の東南側に残っていた畑の北側には、毎年ウメモド
キと一緒に咲いていましたが、今年も同様です。


       

 ところがなんと、お気づきでしょうが背後に工事用の移動フェンスが置かれ、間もなく
この畑は別の用途に転用されるようです。

 これは帰路に撮ったのですが、往路の時にはフェンスはまだ置いてなかったので残念…
          

          

     フェンスの見えない方角からもう少し。
    

        

            

     近くの上新井会館に接した畑にも。
    

 これらの花も、数日すると見ごろを過ぎてしまうのでしょうね…




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朝霞市中東部の台地をカントリーウオーク(埼玉)

2016-09-22 15:13:06 | カントリーウオーク
 2016年9月19日(月・祝)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第236回例会に参加した。集合
は東武東上線の朝霞(あさか)駅。秋雨前線の停滞で小雨模様だが、10時6分に(西側
にある)南口をスタートする。

                         駅前の日付は、なぜか明日↑の表示

 == 「朝霞の森」から越戸川沿いを ==


 本町二丁目を南西へ、ケヤキ並木の広い通りに出て西進し、朝霞郵便局の先から南側に
広がる「朝霞の森」に入る。

 米軍キャンプドレイク跡地の一角を整備したもので、広い草地になっていて、ところど
ころにプラタナスなどの古木が残り、ススキも咲いていた。


 公園の東側と南側は未利用地で、金網に囲まれた広葉樹林である。


 草地を南進して西に抜け、朝霞西高と朝霞一中の間を進み、緑地の南を東進して朝霞中
央公園に入る。野球場の外野フェンス沿いを回り、朝霞八小の北側にある広沢観音堂に行
く。

 観音堂はがけ下に祭られ、そばに広沢の池がある。


 台地上のかつて雑木林だったところの地下水ががけ下に湧き出たもので、東に流れて別
の流れと合流して越戸(こえど)川となり、古くから下流の根岸台や新倉(にいくら)の
水田の潅漑用水として利用されていたという。池の周囲にたくさんのヒガンバナが咲いて
いた。
    

 暗渠(あんきよ)になった流れの上の道路を東に向かう。流れが現れた橋際から南に回
り、東武東上線の下を東に抜けると越戸川左岸に出た。三面護岸張りで趣に乏しいが、流
れはかなりきれい。
     

        
 川沿いの遊歩道を進んで左岸から右岸に回る。沿道にはアサガオやツキヌキニンドウが
咲き、左岸にはハギが多く、花が咲き競う。斑(ふ)入りのススキも穂を見せていた。


    
 再び左岸に戻ると、狂い咲きのサクラが咲く。対岸の流れ際には、手づくりの小さい池
も見える。


 根岸台七丁目で越戸川を離れて台地に上がり、昼食地の公園を目指す。だが、住宅地の
通りを入ったら少し手前だったようで、グランドに出て下の道に下る。東側から木の段の
続く斜面林を上がり、昼食地の根岸台自然公園に12時10分に着いた。


 東屋(あずまや)があるが、雨が止んでいたので木のベンチで食事をする。だが、食事
を終える頃には再び雨が落ちてきた。

 == 根岸台と岡集落の寺や古墳、城跡などを巡る ==


 公園の草地には健康遊具が幾つかあり、東側には落葉広葉樹の斜面林が残る。
     

 昼食後ミーティングと記念撮影をして、13時ちょうどに根岸台自然公園を後にした。


 西側の車道に出たところ、Kさん宅の保管庫に、県有形文化財・考古資料の板石塔婆
(いたいしとうば)が多数保管されていた。正安3年(1301)銘のものは梵字(ぼん
じ)で表した不動曼荼羅と五輪塔が刻まれた非常に珍しい双式(2体)のもの(写真中央
の2体)。
    

 Kさん宅にはつるべ井戸が残り、カリンがたくさん実をつけていた。
    

 西進して根岸台四丁目の台雲寺へ。本堂には、鎌倉末期から室町初期鋳造と考えられる
鉄造阿弥陀如来像が祭られているようで、県内でも数少ない貴重なものらしい。



 北側の根岸台三丁目には金剛寺がある。かやぶき屋根の山門を入ると、「朝霞高尾山」
とよぶミニ高尾山が盛土上に祭られ、境内にはタヌキの置物が多い。


 本堂横に市の保護樹木のシイが高く枝を広げ、「三徳わらべ地蔵」↓や六地蔵が祭られ
ていた。
    

 西側の根岸台二丁目を回り込み、国指定重要文化財の「旧高橋家住宅」を訪ねる。

 旧高橋家住宅は江戸中期の18世紀前半の建築と推定され、江戸時代のこの地域の一般
的農家のたたずまいと推定され、敷地内には納屋、倉、井戸小屋、木小屋などの附属建物
のほか畑や雑木林が広がり、武蔵野の農家の景観を今に伝えている。

 主屋(おもや)の「ザシキ」と呼ぶ一番大きな部屋。

 ザシキの隅には、月見だんごやススキなどが供えられていた。
   

     主屋の南西端は「ディ」呼び、床は丸竹を敷いた珍しい造り。
    

 婚礼など集まりの時に使う膳腕や火鉢などを収納していた倉は、昭和22年(1947)
の建築とか。



 移設された古民家を公開しているところは多いが、このように附属建物や周辺の環境が
そのまま残されているのを見たのは初めて。武蔵野の農家の面影を残す貴重な歴史遺産と
いえよう。

 西北の岡三丁目に幾つかの交差点を経て回り込み、新興住宅地の背後にある「湧水代官
水(だいかんすい)」に行く。

 江戸幕府編さんの「新編武藏風土記稿」には「代官水」の名があり、昔から地域の人に
潅漑用水などに利用されてきたとのこと。
     
 代官水は標高14~21m㍍のがけ線の谷頭から出ているようで、「湧水点」の標識の
下に湧水が確認でき、ほかにも数カ所から湧出しているようだ。

 さらに曲がりくねった車道を北西に進んで朝霞二小の横を入り、柊塚(ひいらぎづか)
古墳歴史広場へ。

 柊塚古墳は北側に黒目川を望む武蔵野台地の東端にあり、約1,500年前に造られた
この地の有力者の墓で、県指定史跡となっている。

 前方後円墳のようだが前方部は耕作などで削られ、径48m、高さ8mの後円部だけが
よく保存されていて、墳丘は豊富な木々に覆われていた。

       
 広場の北側にはハギやオミナエシ、ススキ、フジバカマ、コスモスなどが咲き、眼下に
蛇行する黒目川の流れなどが望まれる。


 歴史広場のトイレは、家形埴輪を形どった造り。


 朝霞二小前を北から東へと回り込んで下り、黒目川の笹橋際に出た。地形図上「積水化
学工場」と記された東南側一帯は、工場が移転したようで空き地になっていた。


 黒目川右岸堤防上を北西に進み、次の花の木橋の手前一帯の城山公園に入る。豊富な緑
に覆われた岡の城山(おかのしろやま)は、約8,000~4,500年前の縄文時代の遺
跡であるとともに、中世に築城された平山城跡といわれており、県の重要遺跡に選定され
ている。

 城主や築城者は不明のようだが、城跡には空堀や土塁がよく保存された一の郭(くるわ)
から四の郭まであり、虎口(こぐち)、堀切、搦手口(からめてぐち)などにより構成さ
れているという。南側からうっそうとした広葉樹の下の遊歩道を西北に上り下りして、西
側の城山通り出る。


 城山通りを西南に少しで次の三差路を左折し、林間を下って朝霞市博物館に入り観覧を
兼ねて小休止した。



 ラウンジの外に水車が回り、常設展示室を一巡すると朝霞の古代から現代までの歴史資
料や模型、絵図などが展示されていた。


 展示の中では、発掘された土器や川越街道脚折宿(すねおりしゅく)↑のミニチュア、
黒目川の水車による伸銅作業の様子↓などに興味をひかれた。


 東洋大学朝霞キャンパスの横を進んで黒目川右岸に上がり、桜並木に沿って進む。

 次の水道橋で川を離れて北西に緩やかに上がり、ゴールのJR武蔵野線北朝霞駅に16
時4分に着いた。


 ほぼ1日傘が離せなかったが、2つの寺と湧水池、古民家や古墳、城跡、そして博物館
も訪ね、朝霞市中東部の歴史の一端を垣間見たような気のする歩きだった。

(参加 16人、天気 雨、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 朝霞
 市、和光市(少し)、歩数 24,600)




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続カタツムリ歩行で北総鉄道の矢切駅周辺を歩く(千葉)

2016-09-20 22:03:36 | カタツムリ歩行
 2016年9月18日(日)

 夏休みで8月は休会した「続カタツムリ歩行」の9月例会に参加した。集合は北総鉄道
唯一の地下駅である矢切(やぎり)駅。

 改札を出た地下コンコースには、平成9年(1997)初めまで使われていたという
「矢切の渡し船」が展示されていた。10時ちょうどにスタートして地上に出る。


 地上の駅前広場には、「水上勉氏旧居跡」碑がある。作家村上勉は昭和32年(1957)
9月~34年10月までこの地に居住し、直木賞候補作となった「霧と影」を執筆したと
いう。
       

 南北に走る県道1号・松戸街道を北へ、最初の交差点を左折して西側に平行する下矢切
の住宅地の道路を進む。次の十字路の南西際にたくさんの石仏が並んでいた。

 屋根掛けの真ん中に、塔身高1.96m、寛文8年(1668)造立の庚申塔が立ち、
道路側には穂賀裸佳(ほがらか)地蔵菩薩像と呼ぶ、「豊かな稲穂の人生を祝い美しく微
笑みの日々に生きる」などの思いを込めた新しいお地蔵さんが立っていた。
       

 交差点の北西側が矢切神社。永禄年間(1558~70)に城主里見氏が、国府台(こ
うのだい)城の大堀に大六天を奉安したのがはじめのよう。


 境内には、45貫目(約186㎏)などとても持てない大きな力石が6個並んでいた。
    

    
 この通りでは、二つのマンホールふたが目に付く、一つは矢切の渡しのデザイン、もう
一つはコアラのデザインだが、松戸市とコアラとの関係は?。
        
 帰宅後調べたら、松戸市はオーストラリアのボックスヒル市(現在はホワイトホース市)
と姉妹都市になり、市の木としてユーカリを選定し、市の木に登るコアラのデザインとな
ったようだ。


 次の矢切小そばの交差点の手前を西に入ると浄安寺があり、境内はよく整えられた豊富
な植栽に囲まれ、フヨウの花が咲き残り、ブラシノキの花が咲いていた。
    

 矢切小の前を西進して西端辺りを南へ、西側に斜面林が近づく辺りを南下して下矢切に
入り、西蓮寺に上がる。

 境内には何色かのケイトウが咲き競い、本堂の背後に回ると「野菊の墓文学碑」が見え
るが、鉄柵があり入れない。
       

 北側の道路から「野菊園」と呼ぶ小公園に上がり、道路上を歩道橋で越えて「野菊の墓
文学碑」の前に行く。

 碑には、伊藤左千夫作品「野菊の墓」でこの辺りから見た情景が記され、碑文は歌人、
土屋文明の筆にによるものである。

 碑の近くに「史跡 国府台の戦争」の説明板があり、天文7年(1538)と永禄7年
(1564)の2度、この地国府台で大きな戦争があり、敵味方千人以上の戦死者がここ
に屍(しかばね)をさらしたことなどが記されていた。

 そばには、近くから移設されたらしい宝永3年(1706)銘の如意輪観音の石仏が安
置されていた。
          

 野菊園の西側は江戸川沿いの低地になっていて、川向こうの葛飾区方面のビル群などが
望まれ、歩道橋際には、矢切地区の整備事業に寄与されたという渋谷金蔵氏の胸像がある。


       
 下の道路に下るとヒガンバナが咲き出していた。そばのY字路を左に上がったところが、
一見(いっけん)寺とは見えない民家風の妙法寺があり、手前に小さい石塔が立っていた。


       

    
 下矢切集落をさらに南進すると、民家の塀にカボチャような花が咲いていた。そのまま
進むと県営栗山浄水場に突き当たる。

 ちなみに、栗山浄水場の給水区域は松戸市、市川市、船橋市で、水源は江戸川からとの
こと。浄水場に沿って西側の塀際を進む。構内に祭られていた小さな社は水神様だろうか…。


 浄水場の西側一帯は栗山特別緑地保全地区となっていて、豊富な斜面林が北側から続き、
浄水場の南西端辺りには「栗山古墳」の標柱が立っていた。

 標柱には、約1600年~1200年前、この地を治めていたと思われる有力者の墳墓
群(ふんぼぐん)であることや、古墳からは人や馬の形をした埴輪や円筒埴輪のかけらが
見つかったことが記されていた。

 この辺りと思う神社と寺が見つからないので少し戻ったら、斜面林を下る道があった。

 かなり竹に浸食された林間を下ると、手前の石段上に栗山日枝神社↑が、南側に接して
本久寺↓があったが、両者とも由緒などは記されてない。


 栗山日枝神社からは、南西方向に東京スカイツリー周辺のビル群などが望まれた。


 林間を戻って浄水場の南側を東へ、浄水場の東側には大きな取水塔が目に付く。ドーム
状の給水塔は1937年の建設、高さ31.9m、内径15m、貯水容量は3,534㎥
あり、日本土木学会から土木遺産に認定されているという。
     


 南側の栗山集落に入って住宅地を次第に下り、段丘下に出た。そばに県の江戸川左岸流
域下水道の市川ポンプ場↑があり、この辺りからも東京スカイツリーが望まれる。
     
 蛇足ながら、スカイツリーの高さは634m、昨日夜のNHK総合テレビ「ブラタモリ
高尾山」では、高尾山(599m)より高いことが話題になっていた。

 少し早めだがゴール方向に向かうことにして、南東への緩やかな上り道へ。途中の民家
の門前に、たくさんの花や植木が並んでいた。




 ゴールの国府台天満宮に着いたが、まだ早くて誰もいないので、すぐ先の総寧寺まで往
復することにする。天満宮の横の斜面に紅白のヒガンバナが咲き競う。
    

 寺の辺りと思われるところに墓地があるが寺は無く、国府台共同墓地の表示があり、道
路際に古いポンプ井戸がある。
          

 戻ることにして往路を引き返したら、西側の家の向こうに寺の屋根が見えたが回らずに
進み、11時54分に国府台天満宮に着く。

 でもまだ誰も未着で、私としては初めてのゴールへのトップ到着だった。間もなく皆さ
んが揃う。

 国府台天満宮は、文明11年(1479)に当地の鎮守として太田道灌が建立したと伝
わり、もとは別の場所にあったのを、明治8年(1875)に大学校設立で買い上げられ
ここに移されたとか。境内では、1月17日に以前はこの地域で盛んに行われいた「辻切
り」行事が行われるが、現在残るのはこの神社での辻切りだけになってしまったという。
    
     
 拝殿の西側には、市川市保存樹木で幹回り4.06m、樹高16mの大ケヤキがどっし
りとそびえ立っていた。


 食事を終えて記念撮影後のミーティングでは、事務局のDさんが6月に出かけたフラン
ス、アビニョン近郊に連泊して周辺を歩き、日本人に出会って歓待を受けたことなどや、
絵地図作家・村松 昭さんの絵の展覧会の案内、このグループのメンバーKさんほかのオ
ペラコンサートの紹介などの話があり、13時20分に散会した。


 帰路の私は、午前中回らなかった里見公園とじゅんさい池緑地方面を回ることにする。

    
 国府台天満宮の西側斜面に咲き競う紅白のヒガンバナを見ながら北西に少し戻り、折り
返すように住宅地の西南に回って、国府台台地の西端にある里見公園に北側から入った。


 西側には斜面林が江戸川左岸沿いに伸びているが、その切れ目から江戸川を挟み東京ス
カイツリーや周辺のビル群などが望まれる。


 緑豊富な園内西側を南に向かう。野外ステージの下で子どもたちとお母さんなどが、バ
ーベキューパーティをして楽しんでいた。



 うっそうとした老木の茂る小さい丘などの間をさらに進む。

    
 詩碑や彫刻のある辺りからも、東京スカイツリーやその南方の展望が広がる。



 東に回るとバラ園があるが、花はわずかしか残っていない。
    

 南側には「紫姻草舎」と呼ぶ古い日本家屋があった。「からたちの花」「砂山」などの
作詞で知られる北原白秋が、大正5年(1916)から約1年、対岸の東京・小岩に住ん
で創作を続けた建物を、復元したものとか。白秋は近くの真間(まま)に住んだことがあ
り、小岩に移住後も対岸からこの里見の風景をこよなく愛していたという。



 バラ園の東側には円形花壇や古木の藤棚などがあり、その横を回って公園の南東側入口
から出た。


 入口付近には、「国府台城跡」の説明板があり、城の来歴や国府台合戦のことなどが記
されていた。

 東に延びる道路を進むと、「式正織部流茶道(しきせいおりべりゆうさどう)」の説明
板があり、古田織部(ふるたおりべ)により創始された流派を継承した秋元瑞阿弥(あき
もとずいあみ)のことなどが記されていて、そばのかやぶき屋根の建物はゆかりのものと
して保存しているように思われた。


 県道1号・松戸街道に出て左折、すぐ先を右折して国立国府台病院の北側を東進して台
地を下り、「じゅんさい池緑地」に南端から入った。



 じゅんさい池緑地は、国府台と国分(こくぶ)の2つの台地の間に深く入り込んだ古く
からの国分沼を、昭和50年(1975)から6年かけて整備復元したもので、面積は約
8万5千㎡あるという。



 南北に細長い池の西側は以前に歩いたので、今日は東側、国分台地の下の遊歩道を進む。
台地下には幾つかの歌碑もあった。


       


 北側の小さい二つの池の周辺は自然環境ソーンとして、水生植物や斜面林の一部の保護
に努めている。その中間の遊歩道を抜けて北端から公園を出る頃には、雨が本降りとなる。

 国府台小や五つの寺の集まったエリアの北から松戸街道に上がり、矢切駅には14時
20分に戻り、帰路につく。

 午前中は傘を差したりすぼめたり、午後もさほどの雨にはならずに歩き終えることが出
来た。

(天気 曇一時雨、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 松戸、歩行地 松戸市、市川市、
 歩数 14,400)




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中欧5か国の街並みで見かけた吊り看板

2016-09-16 22:23:35 | 中欧5か国旅行
 2016年9月16日(金)

 今日は久しぶりにJR山手線に乗り、品川駅東口にあるかかりつけの歯科医院まで出か
けて、半年ぶりの定期検診を受けてきました。

 8月は1度も山手線に乗る機会が無く、7月17日(日)の続カタツムリ歩行に参加し
た時以来なので、ほぼ2か月ぶりでした。

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 中欧5か国の旅の次のテーマは、3か国4都市の街並みで見かけた吊り看板です。

 最初に訪れたオーストリアの首都ウィーンでは、王宮や公園などの観覧が多くて、街並
みをあまり散策しなかったので、目に付いた吊り看板はありませんでした。

 最初は、5月30日(月)に観光したチェコの古都チェスキークルムロフで見たもの。
これはホテルの看板


      レストランとペンションのよう
     

          お家のイメージは不動産屋さんかな?
         

      チーズ店だろうか…
     


          
           この2つは何か分かりません。     
               

       

 きれいに並んだ5つの店


 ふり返ってもう一度


      ブドウのようですが…
     

          このホテルに泊まっている宿泊者の国の旗?
         
                         右から3つ目↑は日の丸のよう 

      

 右の店はジュエリー関係


      アートギャラリー
     

 次は5月31日(火)、チェコの首都プラハで。

          カフェかな
          

            
         チェコ語では、なんと読むのか全く分かりません。  
        

   

 ダチョウのように見えますが…

     
     小さな劇場だろうか 
    

           レストラン
          

 6月1日(水)、スロバキアの首都ブラスチラバでは。

          

       

     看板ではなくて街灯だろうか?
    



       とんかつ屋さん?
      

 6月1日(水)と2日(木)にハンガリーの首都ブダペストにて。


       レストラン
      

          アンティークショップ
         

              楽器店?
             

           ワイン樽かな
          

      

     握手の指もとにはバラの花が
    

 こちらは時計店


      レストランとピッツア店
     

           ここは、最後の夕食をしたレストランです。
          

 フリータイムがあまりなかったので、撮れたのはこんなものでした。




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中欧5か国の街並み⑤ ブダペスト郊外 エステルゴムとセンテンドレ 

2016-09-12 21:39:10 | 中欧5か国旅行
 2016年9月12日(月)

 今日、市内ウオーキングで所沢航空記念公園を回ったら、この秋初めてのヒガンバナ
を見ました。1週間後の19日(月)は彼岸入りなのですね。
     

           


=======================================

 中欧5か国の街並みの最後は、6月2日(木)午後に訪れたハンガリーの首都ブダペ
ストの郊外、エステルゴムとセンテンドレです。

 エステルゴムは、ブダペストの北西約60㎞にあり、スロバキアとハンガリーの国境
を流れてきたドナウ川が、向きを変えてハンガリー国内に入るところに位置します。

 9世紀にマジャル族がここに定住し始め、イシュトバーン一世が997年に初代ハン
ガリー王となり、以来ハンガリーの都として栄えたのですが、13世紀半ばにモンゴル
の襲来で壊滅的打撃を受け、ブダへ遷都が行われたとのこと。

 しかし1715年にカトリックの総本山が置かれ、宗教上重要な町となり今日に至っ
ているようです。

 訪れたのは、そのカトリックの総本山であるエステルゴム大聖堂でした。 


 教会正面上部に描かれていた儀式の彫刻。


 大聖堂に入り内部を拝観しました。


 大きな主ドーム。


 「聖母マリアの昇天」と呼ぶ祭壇画は、1枚のキャンバスに描かれたものでは世界最大
の祭壇画のようです。
     

 こちらは、大聖堂内にあるバコーツ礼拝堂の天井。


 バコーツ礼拝堂は、赤い大理石で造られていました。


     祭壇は何か所かにあり、それぞれに聖壇画が描かれています。
    

        

 大ドームの下には関係者が描かれていました。

 SHIERONYMUSという人のよう。

    
     こちらはS.GREGORIUSと記されています。


                           銀細工を施した祭壇

     



      大きなパイプオルガン
     

 大聖堂を出て、展望台からドナウ川を眺めてバスに戻ったので、町の中の観光はありま
せんでした。


 再びバスに乗り、次の目的地センテンドレには16時35分に着きました。センテンド
レはブダペストの北方約20㎞にあり、14世紀にオスマン・トルコの襲撃から逃れてき
たセルベヤ人やギリシャ人達が来たのが始まりで、後にはトルコの支配下に置かれました
が、17世紀にはセルビア人など約6,000人が定住したようです。

 定住者の多くは手職人や商人たちで、この町に独自の文化や習慣、建築様式を植えつけ、
20世紀になるとこの町に魅了された芸術家が多く移り住むようになり、町には小さい美
術館や博物館が多いとのこと。

 バスの駐車場から、旧市街の中心部にある中央広場に着きました。


 中央広場の中央に立つ十字架は「商人の十字架」と呼ばれ、18世紀後半に建築された
ものとか。
     

 中央広場には5つの通りが集まっていました。こちらもそのひとつ。


 広場に面したカフェテラス


 通りに並ぶ商店の間口は狭く、店にはこまごまとした土産品などの商品が所狭しと並べ
られていました。


 それら商店を眺めたり入ってみたりしながら、駐車場の方に向かいます。


 公衆トイレのある建物付近の道路上に、なぜか傘がたくさん。
 



 通りの右手100mほどにはドナウ川が流れていましたが、川沿いの道路からの町並み。


 この建物はレストランかカフェのよう。


 小さい街並みの観光を1時間ほどで終え、最後の宿泊地ブダペストに向かいました。




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中央5か国の街並み④ ハンガリーの首都ブダペスト

2016-09-10 18:13:46 | 中欧5か国旅行
 2016年9月10日(土)

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 中欧5か国の旅の最後に回った首都は、ハンガリーのブダペストです。旅の玄関口ブダ
ペスト東駅には6月1日(水)の20時過ぎ、スロバキアの首都ブラスチラバからの国際
列車ユーロシティで到着しました。

 ブダペスト東駅の外観。


 駅舎は、1884年の完成とか。完成当時は、ヨーロッパで最もモダンな駅舎とされて
いたようです。




 ブダペストは、ハンガリーの中央部北寄りにあり、北に約50㎞余りでスロバキアに接
し、町の中心部をドナウ川が流れ、右岸(西)のブダは歴史的建造物が多く、左岸(東側)
のペストは商工業地区になっていて、人口は約173万人とのこと。

 「ドナウの真珠」「ドナウのバラ」などと呼ばれるブダペストは、世界で最も美しい町
の一つともいわれているとか。

 ペストの中心部やや南にあるブダペスト東駅からバスに乗り、夕食をするレストランを
経て対岸のブダの中心部より北(上流)にあるホテルに向かう車中からの眺め。








 翌日、6月2日(木)朝は雨になりましたが、午前中ブダペストの世界遺産観光へ。ホ
テルからドナウ川沿いに中心部のドナウ川ににかかる「くさり橋」に向かいます。


 くさり橋のそばからブダの丘陵上にある王宮の丘に上がり、バスを下りて王宮の丘で最
も賑やかな場所という三位一体(さんみいったい)広場に向かいました。


     三位一体広場の中央に立つのは、18世紀に造られたという三位一体像。
     
     18世紀に流行したペストがはやらぬよう、魔除けとして建てたもの。

        三位一体広場の北側はマーチャーシュ教会です。
       

           屋根には、カラフルなモザイク模様が。
          

 マーチャーシュ教会の北東側には「漁夫の砦(とりで)」と呼ばれる建造物がありまし
た。1896年の建国1,000年記念に建造されたものです。


 雨にもかかわらず観光客がいっぱい。右手の騎馬像は、ハンガリーの初代国王・聖イシ
ュトバーン像


 漁夫の砦からは、東側眼下にドナウ川や対岸のペストの街並みが一望ですが、雨でやや
視界が利きにくいのが残念でした。






 この後、三位一体広場に面した刺繍店に入っての買い物とフリータイムがありました。
刺繍店前からのマーチャーシュ教会。
     

 店を後にして、ペストの街並みを見下ろす遊歩道を進みます。


 遊歩道を少し下ってバスに乗り、下流のエリザベート橋の西側段丘上にあるゲレルトの
丘に上がり、上下2つの展望台からもう一度ドナウ川やペスト方面を展望しました。

 これらは上の展望台から。やはり、雨で視界は良くありません。


 くさり橋周辺


 少し下ってバスに乗り、エリザベート橋を渡ってペスト側に回り、川沿いをくさり橋の
少し先まで行って戻り、このインターコンチネンタルホテルの横からアンドラーシ通りを
東から東北へと進みます。
     

 通りの突き当たりの英雄広場前でバスを下りました。

 真ん中に立つのは建国記念碑で高さは35m、左手正面は広場に面した建つ国立西洋美
術館です。

     
 
 建国記念碑の周囲に並ぶのは、かつてハンガリーの主要民族だったマジャル族の隊長や、
他の部族の部族長の騎馬像。


 建国記念碑を囲む列柱の間には、歴史に残る国王やハンガリー独立や自由のために戦っ
た近代の指導者などの像が並んでいます。


 国立西洋美術館と、広場を挟んで相対するのは現代美術館です。


 広場周辺の建物。


 英雄広場の南西側から地下鉄1号線に乗って始点駅まで行き、近くのレストランで昼食
をしてから、バスで北郊のエステルゴムとセンテンドレに向かいます。バス車中からの街
並み。
   

 ドナウ川左岸沿いにある、国会議事堂の横も通過しました。


 午後、エステルゴムとセンテンドレの観光を終えてブダペストに戻り、夕食後の20時
からは、ドナウ川から町を眺める貸し切りのナイトクルーズ船に乗り、まずは下流に向か
います。
 
 20時を過ぎてもまだかなり明るく、ナイトクルーズという感じではありません。


 市街地中心部より上流にあるドナウ川の中州、マルギット島の横を通過しました。


 右岸(西側)ブダ側の眺め。





 
 左岸(東側)ペスト地区で、一番の見どころ国会議事堂。


 右岸、王宮の丘に建つ王宮にライトが灯りました。


 くさり橋の下を通過、ドナウ川に架かる最初の堅固な橋として19世紀半ばに建造され
たとか。ドナウ川に架かる橋の中で、ブダペストのシンボルともいえるもの。




 くさり橋から2つ下流の橋の先まで進んで折り返してきた頃には、王宮の輝きもだいぶ
増してきました。


 ライトに映える国会議事堂。

 1884年から20年の年月をかけて建設されたとのこと。 



 世界一美しいと国会議事堂と言われる議事堂の横を通過して間もなく、20時50分過
ぎにドナウ川のナイトクルーズを終えました。

========================================

 ちなみに、今日、9月10日(土)19時30分~21時にNHKBSプレミアムで、
『関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅「ハンガリー」』が放映されたので、ご覧になった方も
おられるかと思います。

 この番組では、出発と帰着駅が、当ブログの最初に紹介したブダペスト東駅で、10日
間のハンガリー国内の鉄道の旅を終えての締めのシーンでは、ブダペストのくさり橋を歩
く関口さんの姿や、「漁夫の砦」に建つ初代国王・聖イシュトバーン像が紹介されました。
                  
                                    (続く)




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中央5か国の街並み③ ドイツ・ドレスデンとスロバキアの首都ブラスチラバ

2016-09-06 18:11:22 | 中欧5か国旅行
 2016年9月6日(火)

 今日も蒸し暑く、所沢のアメダスデータでは最高気温32.5℃になり、残暑が続きま
すが、明日からは雨模様のよう。全国各地で次々に来襲する台風の影響で集中豪雨も報じ
られていて、気が抜けません。

========================================

 中欧5か国の街並み、今回は5月31日(火)に訪ねたドイツ東部の古都ドレスデンと
翌6月1日(水)に巡ったスロバキアの首都ブラスチラバです。

〈ドイツ・ドレスデン〉 

 ドレスデンはエルへ川沿いに広がり、「エレベのフィレンツェ」とも呼ばれるる街並み
は世界遺産に登録されていますが、観光したのは1時間余りで雷雨模様だったこともあり、
あまり街並みを撮ることはできませんでした。
 
 プラハからのバスをエルベ川のアウクストゥス橋近くで下り、そばのテアーター広場へ。
川のそばにあるのは、カフェやレストランなどを営む建物のよう。こちらではあまり見か
けない寄棟(よせむね)造りの屋根です。  

 
 広場の南側にはドレスデン王宮が。


 北西側は改装中のゼンパーオーパー(オペラ)(ザクセン州立歌劇場)。


 これも広場に面した建物だが、何の建物だったか確認できません。


      こちらはカトリック宮廷教会。
      

 アウクストゥス橋の横から対岸(北側)の新市街方面を眺めます。
 

 川沿いを東に進むんで、ブリュールのテラスと呼ぶ展望台から流れを眺め、その先のド
レスデン美術大学のそばまで進みました。これが大学とは思えぬ建物です。


 大学の手前を右折してミュンツガッセ通りを南に向かうと、ブラウエン教会の塔が望ま
れます。
     

 教会の南西側はノイマルクト広場です。
   

 ノイマルクト広場を先に進んで王宮に向かいました。


 ドレスデン王宮のひとつ、シュタルホーフという建物の外壁には、高さ8m、長さ102
mにわたって歴代35人の国王などの行進する姿が、マイセン磁器タイル約2万3千枚を
用いて描かれていました。


 この騎馬像は、FRIEDRICH D.STREITBARE という人物のようで、生年代は1381年
-1428年と記されています。
       

 左から右へと王の年代は新しくなっていて、こちらは新しい方からふり返ったもの


 この後、ツヴィンガー宮殿を一巡してドレスデン観光を終え、プラハに向かいました。

〈スロバキア・ブラスチラバ〉

 翌6月1日(水)、連泊のプラハのホタルからバスで南東に約337㎞進んで、12時
半過ぎにスロバキアの首都ブラスチラバの新しい斜張橋、SNP橋のそばでバスを下りま
した。

 ブラスチラバはドナウ川の両岸に広がり、オーストリアとハンガリーとの国境を接して
いて、人口は約41万人というコンパクトな首都とのこと。

 9世紀頃から長い間ハンガリー王国の一部になり、16世紀半ばにはハンガリー王国の
首都となり、1563~1830年の間は、この地の聖マルティン大聖堂でハンガリー王
11人の戴冠式が行われ、その一人マリア・テレジアは好んでブラスチラバ城に居住した
ようです。

 バスを下りたSNP橋際から望むブラスチラバ城。


 SNP橋際から旧市街の中心部に向かって北に進みます。小さな広場の左端に見える塔
が戴冠式を行った聖マルティン大聖堂。


     





 細い通りの途中のレストランで昼食をして、さらに先に進みました。




 この近くで、6歳のモーツアルトが家のまで演奏をしたという「モーツアルトの家」の
前を通過します。


     正面に見えるのは、旧市街の城壁に幾つか設けられていた門の中で
     ただ一つ残るミハエル門。
     

        旧市街の中心部にあるフラヴネー広場へ。 
       

      こちらの塔のある建物は旧市庁舎、現在は市の歴史博物館です。
     

 少しのフリータイムに周辺を巡ってみました。これは広場から延びる別の通りか…。     
     



 ある建物のアーチをくぐると、中の広場では小学生のグループが集まりを終えたところ。


     

 広場の北東側に並ぶ露店。観光客向けの土産物を販売していました。


 広場から東南へ延びる通りへ。次の交差点際のこの時計店の前の路上には、ブラスチラ
バで最も人気のある「下水道の掃除人」と呼ぶオブジェがあります。


 さらに進んで、フヴィエズドラヴォヴォ広場の東端に出ると、目の前にスロバキア国立
劇場(オペラ座)の建物が。


     
 オペラ座前から、豊富な緑陰に覆われて西南に延びるその広場を進みました。
        



 

 広場の北側は、ゆっくりくつろげるカフェテラスなどが並んでいます。




 広場の終わりの三位一体像のあるところまで進んでSNP橋近くまで移動し、バスに乗
ってドナウ川のほとりの高台にあるブラスチラバ城へ。


 ブラスチラバ城は何度かの改築の後、1635~46年にかけての改築で現在の外観が
ほぼできあがったとか。四隅に塔があるので「ひっくり返したテーブル」と呼ばれている
ようです。









 門を入った広場にはモラビア王国のスヴァトプルク王の騎馬像があり、その周辺や南側
の展望台からは、ドナウ川やその向こうの市街地、オーストリア方面などが一望できます。 


 ブラスチラバ城の観光を終えて、ブラスチラバ中央駅からユーロシティと呼ぶ国際列車
でハンガリーの首都ブダペストに向かいました。              (続く)




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残暑の中にも忍び寄る秋の気配(埼玉・所沢)

2016-09-03 18:49:28 | 所沢だより
 2016年9月3日(土)

 今日も所沢のアメダスデータでは最高気温31℃を超えたようで、市内ウオーキングを
していても、何度となく顔の汗をぬぐいながらの2時間でした。

 でも、少しずつ秋の気配は感じられるようになり、わが家近くまで戻った畑の周辺など
で見つけた小さな秋の彩りです。

 畑の隅にニラの花が咲き出すと、私は秋の近いことを感じます。


         収穫の近づいたサツマイモ畑の中にも。
        

     

        オクラはもう盛りの時期は過ぎ、残り花が少しだけ。
        

 ゴマの実は、かなり大きく成長しました。


     

 ニンジンはこれから。


    

         夏の間咲き続けていたオオタデは、まだ元気です。
        

                

 ヒマワリの花は、盛夏の頃より小さめになったような気がします。


    

        

 オシロイバナはもうすぐ咲きそう。


     民家の前で、道路と塀の間に延びてきたケイトウ。
    

         同じ民家に咲き残る、サルスベリはまだ豊富な花を。
        

 8月22日(月)の台風9号の短時間集中豪雨では氾濫した、東川(あずまがわ)沿い
のハギが咲き出しました。


       

               少し下流の畑にあるモモの木に、ひとつだけ実が。
              

       柿の実も色づき始めました。
       

 「くぬぎ山」と呼ぶ斜面林のクリの木は、実が大きくなっています。


    

 わずか400mほどの道筋で見つけた、小さな秋の彩りです。
 



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