あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

奄美群島4島めぐり① 与論島(前半)(鹿児島)

2017-02-19 16:49:43 | 国内旅行
 立春を迎えたがまだ寒さの続く2月4日(土)~8日(水)、『[55歳以上限定]ゆっ
くりじっくり巡る奄美群島4島めぐり5日間』という阪急交通社トラピックス企画による
ツアーに参加した。

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 第1日 2017年2月4日(土)
 == 羽田空港から那覇空港経由で与論島へ ==

 自宅を5時40分に出て、池袋、品川経由で京浜急行の羽田空港国内線ターミナル駅に7
時26分に着く、第1ターミナル2階の日本航空16番カウンターの阪急交通社受付カウンタ
ーで受付を済ませる。今回の添乗員は大久保さん、参加者は15人前後かとみられた。


 8時50分発那覇行きJAL907便の777-200型機は9時05分に離陸する。まだ季節前なのか
機内には結構空席がある。

 羽田~那覇間は1,597㎞、快晴だが左側の席からは海上しか見えず、予定より10分早い
11時35分に那覇空港に着陸した。那覇の気温は20℃とのこと。

 乗り継ぎ便の間に空港内で軽く昼食を済ませる。

 那覇空港13時00分発与論空港行きJTA815便は、カナダのデ・ハビランド・カナダ社製の
双発ターボプロップ機DHC8=Q300という機種、搭乗人員は50人台のよう。


    


 13時09分に離陸して沖縄本島北部を北東へ119㎞、途中眼下に幾つも並ぶ石油タンク群
などを見下ろし、予定より7分早い13時33分に鹿児島県最南端の島、与論島(よろんじま)
の西端にある与論空港に着いた。狭い島にある与論空港の滑走路長は1,200mとか、到着し
た飛行機は逆噴射の急ブレーキを利かせて停止した。




 那覇で前泊したという札幌からの4人と合流して参加者は19人となり、待機していたバ
スに乗り込み13時55分にバスは出発する。ガイドの西あけみさん、ドライバーともども今
日明日担当してくれるという。

 与論島は鹿児島から南へ563㎞、沖縄本島の北23㎞にあり、周囲23㎞の隆起珊瑚礁の島。
1島全部が与論町(よろんちよう)で人口は5,390人、島の産業は畜産が主で黒毛和牛は
人口に近い5,300頭とのこと。

 現在はサトウキビの収穫期で忙しい時期で、ガイドの西さんも昨日はサトウキビの収穫
に従事したという。一昨年とその前年には2年続きで風速70mの猛烈な台風が襲来して、
島は大きな被害が出たようだ。

 河川のない与論島の海は、世界でも屈指の透明度の高さで知られ、サンゴやウミガメな
ど多く、島の周囲をコーラルリーフと呼ぶ環礁に囲まれたエメラルドグリーンの色鮮やか
海が広がり、60の美しい砂浜があるという。


 バスは島の西側にある与論町役場前を通過して、サトウキビ畑や珊瑚礁の海などを眺め
なながら進む。島の北側に回ると、明日訪ねる沖永良部島が平坦な島影を見せてくれる。


 島内一周道路を北から東へさらに南へと回り込み、最初の観光地は島の南東部にある与
論民俗村に行く。
        

 バスを下りたところに町木ガジュマルの古木があり、枝からたくさんの気根が地中に根
を下ろしている。



 与論民俗村は、昔の民家の建物や民具をそのまま残す菊さん一家の私設民族資料館。
    

        一本の板から切り出した手造りの枕
       
 ご主人の案内で幾つかの建物を巡り、古くから伝わる民具や建物の説明を受ける。



 島で唯一、技術を継承しているという芭蕉布織りの設備も拝見し、技術継承されている
93歳の菊千代さんもお元気に対応してくれた。


      
 庭にはまだ青いパパイヤが実り、町の花ハイビスカスなどが咲く。


 庭の一隅には、製糖工場が出来るまでサトウキビを搾るために馬に牽かせていたという
砂糖車と呼ぶ装置も残っている。



 別棟には売店↑もあり、芭蕉布製品や草木染め、パパイヤ漬、黒糖などを販売していた。


    

      
 15時10分に民俗村を後にして外周道路を北へ、東海岸の中ほどにあるグラスボート乗り
場に行き、小型のグラスボートに乗ってリーフ外縁に近い景勝地、百合ヶ浜周辺まで往復
の遊覧である。

 



 サンゴに埋め尽くされた砂浜からグラスボート・シーマンズ号に乗り、沖合に向かう。



 真ん中底部ににあるグラスファイバーの窓から見下ろす珊瑚礁の海は浅瀬が続き、底が
支えそうなくらい。

 水平線に見える濃い帯がリーフ(環礁)で、そこまでの水深は数10㎝~3mくらいのも
のでどこも浅い。

              
 百合ヶ浜近くにまで行くとたくさんの魚の遊泳が見られ、短時間ながらウミガメも見え
た。40分近く遊覧して浜辺に戻り舟を下りる。
    

    


 この浜辺にも売店があり、貝やサンゴなどの加工品を販売していた。







 バスは別の道を進んで西岸の役場前や茶花漁港横↓を通過しする。


 島の西端、与論空港の滑走路端に隣接した最初の宿、プリンシアリゾートヨロンに16時
45分に着いた。

 広いスペースに設けられた3ヶ所の宿泊棟はすべてコテージタイプで、中央部に本館が
ある。われわれは東側にある2階建て1棟4組ずつのコテージの決められた部屋に入った。


 さすがに南の島、夕食のレストランに向かった18時30分近くでも、まだ外は明るさが残
っていた。 向こうの建物がレストラン。


 ホテルのプライベートビーチ

                                  (歩数 9,600)




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小江戸川越七福神と蔵造りの街並みを巡る(埼玉)

2017-02-17 17:00:37 | ウオーキング
 1週間近くなりますが風邪の回復が遅れ、パソコンに向かう時間が疎遠のまま過ぎて
しまいました。

 順序が入れ替わりますが奄美4島巡りは後にして、今回は川越市内のウオーキングレ
ポートです。

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 2017年2月11日(土・祝)

 発足以来まる24年、25年目のスタートとなるカントリーウオークグループの第240
回例会に参加した。集合地はJR川越線と東武東上線の川越駅。今回は小江戸川越七福神
を中心のタウンウオークである。


 所用で休むがアドバイスに来た地元Kさんによると、今日は観光客が多いので昼食予定
地も人出が多いはずとのこと。昼食地を初雁球場に変えて、4組に分かれて10時15分
にスタートした。
 
 == 県道39号の東を回り初雁球場へ ==

 東口を出て線路に平行する車道を南へ、踏切の近くから東進して、最初の七福神、毘沙
門天の妙善寺(みようぜんじ)に入る。

 妙善寺は、寛永元年(1624)の創建とか。コンクリート造り2階建ての本堂は昭和
53年(1978)の再建、階段を上がって2階の本堂に参拝する。

 Kさんによれば、各七福神の寺には水琴窟(すいきいんくつ)があるという。妙善寺に
もあったが、そばを走る県道39号の騒音が大きいので、竹筒を通して水音を聞くように
なっていた。


 県道39号を北へ、白梅が見頃な菅原神社前を通過する。信号のある交差点から東へ、
仙波町二丁目を抜けて国道16号側に回り込むと、寿老人の天然寺(てんねんじ)である。

 創建は天文23年(1554)で、木造大日如来座像は建武2年(1335)などの修
理銘があり、市内に現存する仏像としては最古のひとつという。


 境内の白梅は満開、寿老人は本堂前の小さなお堂に祭られていた。
     

 コイの泳ぐ池や手水舎には豊富な湧水が注がれ、ここの水琴窟は良い音色を聞かせてく
れた。


 北東側近くにある川越観音・長徳寺にも回ってみた。りっぱな山門を入ると、正面の本
堂も大きい。

 長徳寺は、「新版武蔵風土記稿」によれば永正年代(1514)の名が過去帳に記され、
境内にはもと若干の土塁と堀があったといわれ、仙波氏の館跡(やかたあと)と推定され
ているという。

 6地蔵を祭る地蔵堂は瓦屋根とコンクリート造りのりっぱなもの。山門の横には、千体
地蔵尊が祭られていた。露座の川越観音は愛くるしい幼児のように見える。
      

 東側にはコンクリート造りの新しい大きな建物があり、その横から背後に抜けると畑の
隅に白梅の古木が見頃な花を見せていた。


 仙波町二丁目に戻って北へ、川越一中の門前にある大きなコブシの芽がかなりふくらん
でいる。光西寺前を通過して鐘楼門をくぐり、中院(なかいん)に入る。


 中院は、北側にある喜多院同様天長7年(830)に慈覚大師の創立とのこと。当初は
現在の東照宮の地にあったが、寛永10年(1633)の東照宮建造の折にこの地に移さ
れたという。



 境内には樹木が多く、3本のシダレザクラや格好良い松、キンモクセイの古木などが目
に付く。

 墓地には、川越城主秋元候の家老、大陽寺一族の墓↓や、島崎藤村の義母、加藤みきの
墓などがある。


 中院を出てさらに北へ、川越総合高正門前を通過して間もなく、国重要文化財で朱塗り
の八脚門、仙波東照宮の随神門を入る。


 仙波東照宮の社殿は、門を入り空堀の横を過ぎ、石段を上がった小高い一角に祭られて
いた。

 朱塗りの拝殿と弊殿も国の重要文化財。創建は寛永10年(1633)で、弊殿には後
水尾天皇の御染筆による「東照大権現」の勅額が掲げられているという。

 北に続く広い境内は、川越の代表的な寺院で大黒天を祭る喜多院(きたいん)。正月に
は参拝客で賑わうようだが、今日はさほどでもない。

 喜多院は、淳和天皇の勅願により天長7年(830)慈覚大師が創建、寛永15年
(1638)の川越大火後、3代将軍家光公が江戸城の別殿を移築し、その他諸堂も再建
したという。

 大本堂にあたる慈恵堂のほか、境内には多宝塔、慈眼堂、五百羅漢、客殿などが点在し
ている。
      

          
 多宝塔の横から北に抜け、時の鐘に似た塔の目に付くそば処の横を進み、恵比寿天を祭
る成田山(なりたさん)川越別院へ。

 千葉県成田市の成田山新勝寺の別院で、交通安全祈願で知られる。恵比寿天は、本堂と
大師堂の間の小さなお堂に祭られていた。
      

 北側の県道15号を横断して東北に進み、三芳野神社の参道を進む。この参道は、わら
べ歌「とおりゃんせ」の歌詞の発祥の地といわれているようだ。

 三芳野神社は、川越城の鎮守として寛永元年(1624)に再建されたとのこと。社殿
は修復中で、シートに囲まれていた。


 神社の北側が昼食地の初雁球場で、12時10分に着いた。だが、門が閉じて球場内に
は入れない。西側の塀付近にシートを広げて昼食とした。

 == 各自蔵造りの街並みを巡り本川越駅へ ==

 食事を終え、そばの川越城本丸御殿の周辺を見て回る。川越城は長禄元年(1457)
に築城され、県指定文化財の本丸御殿は、嘉永元年(1848)の造営。



 現在は玄関、大広間、家老詰所が残っている。邸内の紅梅が満開の花を見せる。


 御殿前の公衆電話ボックスは、利用者減少で電話機は1月中旬に撤去され、ボックス自
体も今月中には撤去すると記されていた。
      

 ミーティングの後に記念撮影をして、13時20分頃午後のコースに向かう。


 市立美術館前を左折して西へ、郭町交差点の先に川越城中の門堀跡が、数10mだけ整
備して公開されていた。


 市役所前から札の辻交差点周辺まで進むと、観光客がかなり増え、当初の昼食予定地、
元町休憩所も大勢の人が休んでいる。ここで15時までフリータイムをとり、各自自由に
近くの蔵造りの街並みや菓子屋横丁などを回ることにする。


 細い路地の菓子屋横丁も観光客で賑わい、色とりどりな菓子を眺めたり買い求めたりし
ていた。





 川越の中心部を南北に走る、中央通・県道12号の札の辻交差点から連雀町交差点周辺
まで、川越の代表的景観である蔵造りの家並みが続いている。

 重厚な蔵造りは、明治26年(1893)の大火を契機に築かれ、伝統的な町家群と近
代洋風建築などが連なる街並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 札の辻に近い蔵造り資料館から南へ、両側に並ぶ蔵造りなどの街並みを見て回る。電線
の地中化は済んでいるが自動車の交通量が多く、その間に多くの観光客の往来が続き、人
と車に注意しながら仲町交差点まで進む。

 東側に並行する通りに回って折り返し、先月修復を終えたばかりの川越のシンボル、
「時の鐘」の下を通過する。
      
 時の鐘は、江戸初期の酒井忠勝が城主(1627~34)の頃建設されたと伝えられ、
現在の鐘は、明治26年(1893)の大火の翌年の再建、高さは約16mで、環境庁の
「残したい日本の音風景百選」に選ばれている。

 県の登録有形文化財、埼玉りそな銀行川越支店の建物は、大正7年(1818)に第八
十五銀行の本店として建設された、ネオ・ルネッサンス様式の建物である。



 元町休憩所に全員戻り、15時過ぎに後半の七福神巡りへ。西進して新河岸川の高沢橋
際から右岸をすぐで、布袋尊の見立寺(けんりゆうじ)に入る。

 見立寺は、永禄元年(1558)小田原北条氏の重臣で川越の城将大道寺正政繁候によ
る開山とのこと。本堂内には、黄金色のりっぱな仏像が祭られていた。
      


 昼過ぎまで快晴で暖かだった空に雲が増え、気温も下がってやや寒々してきた。左岸沿
いに進んでお部屋橋を渡り、十念寺横を南下すると弁財天の妙昌寺(みようしようじ)が
ある。

 永和元年(1375)に池上本門寺の末寺として開山し、寛保元年(1741)に川越
城改修に伴い、現在地に移ったとか。

      
 弁財天堂は墓地横を下ったところにあり、水琴窟もその近くだった。


 少し戻って東へ、七福神の最後は福禄寿神を祭る、中央通に面した連雀町の連馨寺(れ
んけいじ)である。

 連馨寺は、天文18年(1549)川越城主大道寺駿河守政繁が母の連馨尼を追福する
ため開山したもの。のちに浄土宗の学問所である関東十八壇林のひとつに列せられ、葵の
紋所が許されるなどで栄えたという。

 現在は子育吞龍上人(どんりゆうしようにん)で親しまれ、さわると病気平癒祈願など
に霊感あらたかな、おびんずる様も人気のよう。
      

 ここで七福神巡りを終わり、さらに中央通を南下して西武新宿線の本川越駅に16時7
分に着き、散会となった。

(参加 18人、天気 快晴後晴、距離 11㎞、地図 (1/2.5万)川越、小江戸
 川越散策マップ、歩行地 川越市、歩数 19,500)





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所沢航空記念公園のロウバイが見頃に(埼玉)

2017-02-13 20:52:28 | 所沢だより
 2017年2月13日(月)

 当「gooブログ」の写真のアップロード方法変更に伴う不調や、4日(土)~8日(水)
は奄美4島巡りに出かけ、帰ってきたら気温の変化について行けず風邪に押され、それで
も11日(土)にはカントリーウオークグループの例会に出かけ、12日(日)は1日中
寝込むなどで、投稿が10日間出来ませんでした。

 その間、昨年末には早くも咲き始めた所沢航空記念公園のロウバイでしたが、新年にな
り寒い日が続いたためか開花が進まずにいたのが、ようやく見頃になってきたので、毎年
のことながら紹介します。





 所沢航空記念公園のロウバイ園は、公園の中心部にある放送塔の立つロータリーの南西
側、日本庭園の東側にあり、約100本のロウバイがあります。

    





    

        

 ここに植えられているロウバイは、下の説明板のような2種類です。、 






      

         








 ロウバイ園の西側から入って東に抜けて、ふり返りました。まだつぼみの多い木もあり、
しばらくは花を楽しめるのではないかと思います。

========================================

 ところで、画像をまとめてアップロードすると真っ黒な画面になる現象は解消されませ
ん。どうやら、Internet Ezplorer 10 以上のバージョンでないと、まとめてのアップロードが
出来ないように変更(改悪)されてしまったようです。

 私のは、もう6年以上前から使っている Internet Explorer なので、それ以前のバージョン
と思われ、個別アップロードという方法で1度に3枚ずつの写真をアップロードするしか
ないようなので、今回のロウバイもその方法で行いました。

 まとめてアップロードだと、1度に30枚出来たので10倍の手間になりますが、操作
自体は1クリック少なくて済むようになったので、多少の煩わしさはがまんするしかない
ようです。

 さて、当ブログは2月9日(木)に満11歳になり、12年目に入りました。この11
年間、たくさんの皆さんにご覧いただいたことを励みに、アップを続けて参りました。

 11年間にご覧いただいた方は、延べ1,091,479人の方々、ご覧いただいた延べ
ページ数は4,900,422でした。

 歳が歳なのでいつまで続けられるかわからず、投稿間隔も次第に延びるかもしれません
が、出来るだけ続けたいと考えておりますので、これからもご覧いただきますよう、お願
い申し上げます




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画像をアップロードすると真っ黒になる

2017-02-03 14:52:48 | Weblog
 2017年2月3日(金)

 きのう、所沢航空記念公園のロウバイ園に出かけた写真を掲載しようと、アップロード
したら、10数枚の写真がみな真っ黒になってしまいました。

 何回やっても同じ、おかしいと思って gooブログのメッセージを見たら、2月1日から
画像をまとめてアップロードする方法を変更したようですが、その結果、このようなトラ
ブルが発生したようで、今日になっても解決していません。

 したがって、このトラブルが解決するまでは投稿を休みます。

 また、明日4日(土)から5日間ほどは別の理由で投稿できませんので、次の投稿は2
月9日(木)以降まで1週間ほどお休みと致します。9日以降に新しい投稿をご覧いただ
きますようお願い申し上げます
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旅のスケッチ展を見て、さいたま市と上尾市境周辺を歩く(埼玉)

2017-01-30 18:26:50 | カントリーウオーク
 2017年1月28日(日)

 昨年12月の例会で案内を頂いていた、カントリウオークの仲間、Mさんの旅のスケッ
チ展の観覧に出かけた。


 JR高崎線の宮原駅に10時18分に着いた。西口から広い市道より一本北側の道路を
西進して、国道16・17号新大宮バイパスを横断して鴨川左岸に出た。


 東側は、枯れたアシ原の向こうに枯れ枝の斜面林が伸びている。西側対岸には聖学院大
学の校舎が望まれる。


 すぐ北の橋際を右折して東側の斜面林下に回ると、「三貫清水(さんがんしみず)」と
呼ぶ小さい湧水池がある。

 太田道灌が狩りに来た時、土地の人がこの清水をくんで茶をだしたところ、とてもうま
いと三貫文の褒美(ほうび)を下さったことから「三貫清水」という名がついたようで、
当時はもっと豊富な湧水だったと思われる。

 周辺の三貫清水の森では、10年前に姿を消した県のチョウ、ミドリシジミの復活を目
指して、食草のハンノキを植林したようだ。

 橋を渡り、農道を対岸の台地に向かうつもりだったが、右岸の空き地一帯は公園の造成
中で、綱が張られて横断できない。

 流れに沿って600mほど進み、北側の「秋葉道」と呼ぶ車道に回った。

 近くのT字路、戸崎(とさき)交差点を左折して南へ、すぐの十字路際に無住の寺があ
った。

 そばに集会所もあるが寺の名は不明。開放的な境内に大イチョウが立ち、南側には小さ
い不動堂がある。

 秋葉道を南西に500m足らず、うっそうとした常緑広葉樹に覆われた森は「戸崎の浅
間塚(せんげんづか)」と呼ばれ、上尾市の有形民俗文化財である。

 浅間塚は、江戸時代後期から造られるようになった富士塚のひとつ。高さ4.8m、直
径25mの円墳状の塚で、市内最大級の浅間塚とか。塚の上には浅間神社が祭られている。


 西側一帯は「花の丘農林公苑」だが訪れるのは後にして、南に少し進んで内野本郷の
「介護老人保健施設 ケア大宮」の東側にある「クラフト&ギャラリー 風画(ふうが)」
に行く。ここが、Mさんの旅のスケッチ展の会場である。


           

 埼玉県内の越谷、所沢、本庄、秩父などのほか、北海道小樽、岩手遠野、東京三ノ輪、
神奈川川崎、長野戸隠、兵庫神戸、広島鞆の浦や尾道など、Mんが各地に出かけて描いた
風景や街並み、建物などの水彩画が数10点展示されいる。


       


 私も歩いたり旅に出かけた際に見た、懐かしい場所も多かった。

 ゆっくり観覧後、隣の喫茶室で有機栽培のコーヒーをいただく。店のオーナー井出政男
さんは現代美術作家で、さいたま市内の遺跡の発掘調査に参加したのを契機に縄文中期の
土器の復元製作をはじめ、美術の視点から縄文の造形を考えておられるとか。

 昨年10月、新潟県の十日町市博物館に作品を出展した際には講演もされたようで、そ
の資料を頂いた。
      
 店内には、井出さん制作の装飾土器や茶器、腕などがたくさん展示されていた。


 1時間余りを経過して12時30分頃、スケッチ展の会場を出た。今日は快晴で暖かい。
1年前の同じ頃に観覧に来た時と同様に、近くを歩いてみることにする。

 北側の「大宮花の丘農林公苑」に入り、「みどりのふるさとセンター」を抜けて和風園
地へ。



 ソメイヨシノの下にたくさんパンジーが植え込まれているが、まだ彩りは寂しい。その
一角にある東屋(あずまや)のそばで昼食とした。

 食事を終え、南北に長い公苑内を北に向かう。すぐ北側の農産物直売所とレストランの
ある「花の食品館」のオープンは2月1日からで、まだ閉じていた。


 東に見えるこんもりした森は、先ほど訪ねた戸崎の浅間塚である。



 食品館に近い、バラ園のバラもまだ枯れ枝のまま。中心部にある「花の丘」と呼ぶ高み
に上がると、中央部の流れや吊り橋、周辺の雑木林などが一望だが、どこも枯れ枝で花の
彩りには乏しい。花あふれる陽春の風景が待たれる。


77



 北端にも別の高みがあり、北に上尾南高が、その左手遙かには外秩父の笠山(かさやま)
と堂平山(どうだいらさん)が望まれる。


 公苑を北に抜けて左に回り、公苑の西側沿いに延びる「西新井ふるさとみどりの景観地」
と呼ぶ平地林に、北西端近くから入った。

 落葉がいっぱいの遊歩道を南に向かうと、「林をきれいにしましょう」などの立て看板
がところどころある。樹林下にアオキが実を付け、逆光にカシなどの常緑広葉樹の葉が輝
いている。
        

     
 深い林間を進んで、中間より先辺りで東西に横切る道路に出た。少しの住宅の前を西に
抜けてT字路を北へ、すぐの十字路を西進して幅広い国道17号バイパス上尾道路を、清
河寺(せいがんじ)きよらか橋で越える。


 橋からは南に、さいたま新都心の高層ビルが望まれた。


 すぐ南側から西へ、畑に囲まれた小さな森の南端に小さな社殿があった。何神社か分か
らなかったが、中をのぞいたら稲荷神社のようだった。
       


 屋敷林を背にした農家の見られる高木集落を西進すると、無住の観音寺の前に出た。足
立坂東29番霊場で、仁王門の両側に立つ石造の仁王像はピンク色。



 正面の社殿は小さめながら端正な建物。東側墓地際には6地蔵など古い石仏が並んでい
る。


 さらに西進して県道216号に出て南へ、近くの秋葉入口バス停のある変則四差路際に
は毘沙門堂が祭られていた。


 南への道をすぐに右折して、中釘(なかくぎ)集落の永昌寺に行く。土塀に囲まれた寺
域の東側に、屋根付きで「吉祥門」の額のかかる鳥居があり、奥の階段上に「三尺坊」と
呼ぶ社殿が祭られている。

 三尺坊は明治初年(1868)の神仏分離令により、南西800mほどの秋葉神社から
移されたとか。三尺坊とは、静岡県にある秋葉山の秋葉三尺坊大権現を祭る火伏(ひぶせ)
の神らしい。


 土塀に囲まれた永昌寺の山門を入る。永昌寺は、戸田周防守により創建され、慶長11
年(1606)の開山という。



 周辺に民家もなく静かなたたずまいの境内、山門近くの両側に2つの6地蔵堂と古い石
仏が並ぶ。

 地蔵堂横の萬霊塔は文政3年(1820)、台高の↑地蔵塔には安永4年(1775)と
刻まれていた。ほかでは見たことのない、変わった形態の石像もある。
     


 ここから、東に向かって折り返すことにする。周辺は畑なのにひとつだけあるハス池ら
しい前を通過し、墓地の向こうにこんもりした常緑広葉樹の見える法光寺へ。




 山門を入り右手に立つその木は、「法光寺のシイノキ」と呼ばれるスダジイで、さいた
ま市天然記念物に指定されている。

 高さ15m、目通り4.53m、根回り7.4m、枝張りは東西20m、南北に20.5
mあり、堂々とした幹と良好な樹勢は見栄えも良い。

 南東側の近くには、阿弥陀寺がある。境内に樹木は少なく、本堂の横に庫裡(くり)が
連なる民家風の造り。

 阿弥陀寺は天正7年(1579)の開山とされ、江戸時代には周辺が阿弥陀寺村と称す
るほどの大きな寺だったらしい。

 享保(1716~36)の頃には寺子屋教育が始まり、阿弥陀村と周辺3村の子供らに、
住職が読み書きそろばんを教えていたとも伝えられているようだ。


 県道216号を斜めに横断してさらに東へ、広い畑作地を通過して清河寺(せいがんじ)
集落に入り、その名のもととなる清河寺へ。

 参道の両側にはよく刈り込まれた梅の古木が並ぶが、まだつぼみのまま。新しい山門を
入ると、正面の大本堂も新しい。山門近くの鐘楼もどっしりとした造り。

 清河寺は、代々鎌倉公方(くぼう)足利氏に篤く崇敬された臨済宗の古寺とか。「新編
武藏風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」によれば、かつては七堂伽藍をたて連ねた
大寺院だったという。

 境内には「福聚海無量」と記された書庫風の建物があり、鐘楼の前には6地蔵など9基
の地蔵が並んでいた。


 東側の森に回ると、県の天然記念物で樹高32m、根回り14.3m、幹回り8.5m、
推定樹齢650年以上という「清河寺の大ケヤキ」が立っている。
     
 上部は切られて枝張りはさほどでないが、根元のどっしりした張り方やコブに年代を感
じられる。

 東側の畑には、見頃になったロウバイが何株も咲き競い、そばの紅梅もかなりの花を見
せていた。


 16時近くなったので、今日はここまでとして駅に向かうことにした。南進して六差路
の清河寺交差点を横断し、すぐ先のY字路を右に入って新大宮バイパスを横断する。

 すぐ南東のこんもりした一角は、古墳時代の墳墓の一形態である方墳と考えられ、県指
定史跡の「方墳大塚古墳」である。

 規模は、底辺21mと25mの方形で、頂上部は一辺9.5mの正方形、高さは約4m
という。県内の古墳は円墳が多く、方墳は数少なく貴重なものらしい。

 その手前を西進してすぐ、JR川越線の新しい駅、西大宮駅北口に16時15分に着い
た。


 今日のさいたま市の最高気温は16.7℃、快晴にも恵まれ寒中とは思えぬ暖かなカン
トリーウオークだった。

(天気 快晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 上尾、歩行地 さいたま市北区・
 西区、上尾市、歩数 2,1500)




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「多摩郷土誌フェア」を見て、立川駅の南側を巡る(東京)

2017-01-25 17:02:40 | ウオーキング
 2017年1月22日(日)

 新聞で知った「第29回多摩郷土誌フェア」という催しに出かけた。
  

 JR中央線立川駅に11時37分に下車し、6分後に駅を出た。

 北口から7分ほどの立川市女性総合センターアイム1階の健康サロンが会場である。


      
 会場は狭いが、東京・多摩地区の稲城市以外の25市と、檜原村(ひのはらむら)と奥
多摩町を除く瑞穂町、日の出町の2町の合わせて27市町が、各自治体で発行した書籍や
パンフレットを販売するもの。書籍は全部で1千種類を超えるという。



      

 入口でもらった図書目録は96頁あり、自治体別におすすめ図書、購入方法、販売図書
一覧などが記載され、あとから市役所や博物館、郵送などでの購入もできるようになって
いる。

 私は、ウオーキングの参考になりそうな3市(三鷹市、国立市、あきる野市)のマップ
を求め、無料のガイドマップやパンフレットなども幾つか入手した。


 12時10分に会場を出て立川駅まで戻る。今日は快晴で暖かなので、コピーを用意し
てきた「多摩あるくマップ」(けやき出版発行・改訂5版)に記載の、立川駅南側のコー
スを歩くことにした。

 賑やかな駅前から、南北に走る多摩モノレールの高架下を西に抜けて南西に進み、まず
は柴崎町一丁目の諏訪神社の山門を入る。


 諏訪神社は、弘仁2年(811)の創建といわれる古社。ケヤキを背にした社殿は平成
13年(2001)の再建とか。拝殿の屋根下両側には、稲荷神社と八幡神社も祭られて
いる。



 杉並木の間を南に延びる参道の両側には、毎月第4日曜日に開催という「多摩骨董市
(こっとういち)」の店がたくさん並んでいる。それらをのぞきながら南側の大鳥居を出
た。


    

 すぐ先のY字路際に古い門が保存され、奥に石碑もあるが説明板は無く、どこの門だっ
たのか何の石碑かは分からない。


 その先の路地を西に少し入ったところに、ケヤキの古木が立っていた。「八幡神社の大
ケヤキ」で、建長4年(1252)に植えたと伝えられているとか。
      
 当時の参道はこの西を走り、ケヤキは昭和30年(1955)当時には周囲6m、高さ
28mあったが、その後の台風被害などで上部の幹が折れたという。でも、現在も立川市
内最大級の樹木のよう。

 東側に御輿蔵(みこしぐら)が6棟並び、そばのロウバイが花を見せていた。
  

   
 南に進んでY字路を右折して、柴崎町四丁目の普済寺(ふさいじ)に行く。桜並木の参
道の手前に、高さ7~8mはあろうか、これまで見たことのない大きな石灯ろうが目に入
る。
      


 桜並木の参道を進んで2階建ての山門を入る。
 


 新しい石造りの太鼓橋を渡ると、正面に新しい大本堂が構え立ち、右に接する寺務所や
近くの鐘楼も皆大きい。
      

 普済寺は、文和2年(1353)に立川次郎宗恒の居館跡に菩提寺として建立したとの
こと。立川氏は武蔵七党の日奉氏の一族だったという。

 平成3年(1991)に本堂など3棟を火災で焼失し、その後本堂や寺務所、鐘楼など
を再建したようだ。本堂には「常照殿」の掲額が上がっていた。

 「国宝 六面石幢(ろくめんせきとう)」の案内矢印に従い、本堂裏手の墓地に回る。
西側眼下に桜並木の続く多摩川の支流の残堀川や、JR中央本線の橋脚などが望まれる。


 本堂の南側に回り込んだところにコンクリート製の覆屋(おおいや)があり、その中に
六面石幢が保存されていた。小さい覆屋なので、広角にしても石幢の下部は撮れなかった。
      
 六面石幢は立川市で唯一の国宝で、緑泥片岩(りよくでいへんがん)の六面に仁王像と
四天王像が刻まれ、傘石と台座で固定されている。延文6年(1361)の造立で、寺の
安泰と信徒の繁栄を願って建立されたという。


 本堂前には格好の良い松が、山門近くにはイチョウの古木が2本立つ。
  

 山門前には閻魔堂(えんまどう)と地蔵堂があり、地蔵堂にはたくさんのお地蔵さんが
祭られていた。


 普済寺を出て東へ、段丘下に向かって下って都の女性相談センター多摩支所前を過ぎ、
根川緑道の「きんたいはしあと」に出た。


 13時半を過ぎていたので昼食をと思い、南側を走る都道29号バイパス・新多摩街道
に回り、近くの松屋で牛飯を食べる。

 根川緑道に戻って東に向かうと、かなり水量のある流れのあちこちにカルガモが泳いで
いた。


 緑道はケヤキなどの広葉樹の下にササなどの植栽が続き、気持ちよい遊歩道になってい
る。


      
 南北に走る多摩モノレールの柴崎体育館駅南側で通りを横断し、東側の立川公園に行っ
たが、3月下旬まで整備工事中で入れない。


     
 公園の白梅がかなり開花していた。そばの市民体育館↓横を南に抜けて根川緑道に戻る。


 根川緑道は、もと根川の跡に昭和48年(1973)~49年と、平成4年(1992)
から5年の改修整備を行ったもの。現在の流れは人工的な水路だが、豊富な高度処理水を
用いて小川や水辺を再現し、かつての根川の環境作りを目指しているという。


 緑道沿いには、かつてのこの地周辺の情景を詠んだ詩碑が、ところどころに設けられて
いた。
    
 これは若山牧水の詩碑で、「多摩川の あさき流に石なげて あそべば濡るる わが袂
(たもと)かな 牧水」と記され、明治44年(1911)に刊行の歌集「路上」に発表
されたものという。

 新多摩街道と都道16号の下を東に抜けると、市営球場と陸上競技場沿いとなる。





 流れが広くなって池のようになったところにも、たくさんのカルガモが泳ぎ、コサギら
しいのも1羽一緒にいた。


 野球場付近からはもとの根川当時に植えられたソメイヨシノの並木が続き、川幅も広が
って昔の根川の面影が感じられる。


 緑道にあったマンホールのデザイン。市街地にはない独特のものかもしれない。
   

 陸上競技場の北東端付近に、貝殻坂橋と呼ぶ古い吊り橋が架けられていた。そばに説明
板があり、ここは慶安年間(1648~51)から貞享元年(1684)まで、甲州街道
が多摩川を渡る「万願寺(まんがんじ)の渡し」があったという。



 すぐ南側は、その渡し場があったと思われる幅広い多摩川左岸堤防で、現在は「是政・
昭島コース」と呼ぶサイクリングロードになっている。


      
 橋を渡って都道256号に上がり、すぐ西の交差点を渡って錦町六丁目の住宅街を北進
する。職業能力開発センター跡地らしい広い空き地の北側を東へ、広い通りを横断して先
に進む。


 立川聖苑の横にあった光西寺に短い階段で上がり、開扉されていた本堂に入って参拝す
る。階段上の白梅の古木が咲き始めていた。


    


 寺の前を下ると、東京都の矢川緑地保全地域である。湧水を水源とする矢川の水路沿い
に、湿性植物保地域や林床保護区域、サンクチュアリーなどのエリアが設けられ、湿地や
樹林地が広がる。



 矢川の湧水は、先ほどの根川同様に立川段丘のがけ下から湧き出す水で、湿地にはナガ
エミクリやミクリ、ヤナギなどが生育するなど豊富な樹林が残り、この流れにもカルガモ
やサギが泳いでいる。
 

    
 北西に1.5㎞ほどの、立川駅周辺のビル街とはうって変わった豊かな自然環境が残さ
れていた。


 西側の広い通りに戻って北へ、JR南武線の西国立(にしくにたち)駅近くまで進んで
左折し、錦中央公園や立川市民会館「たましんRISURUホール」前を通過する。



 JR立川駅南口に16時07分に戻り、6分後の中央線上り快速電車に乗る。

 風の冷たい昨日と違い快晴で暖かな日和となり、市街地近くに残る歴史ある社寺と、知
らなかった緑道や緑地に残る自然環境を巡るウオーキングだった。

(天気 快晴、距離 8.5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 立川市、歩数
 18,000)




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浅草で昼食をして浅草寺へ(東京)

2017-01-23 16:49:36 | Weblog
 2017年1月21日(土)

 長女と次女から久しぶりに一緒に昼食をしようと誘われて、連れ合いと浅草に出かけま
した。

 東京メトロ銀座線の田原町駅に下りて、地下をつくばエクスプレスが走る都道462号
・国際通りを北に向かうと、3日前の夜のNHK総合TV「探検パクモン」の探検先「新
宿 謎の巨大ビル」とよく似たビルが、前方に見えてきました。
     
 そばに行ったらソフトバンクのビル、やはり「探検バクモン」で訪ねたNTT DoCoMoビ
ルと同様、携帯電話の設備やアンテナがあるのではないかと思われます。

 近くの交差点からは、東に東京スカイツリー(634m)が望まれます。
  

 国際通・浅草1交差点を東へ、次の交差点を左折してすしや通り北に向かい、浅草演芸
ホール前まで進むと、目的の「まるごとにっぽん」のビルはすぐ近くです。
     
 このビルの1階から4階が「まるごとにっぽん」で、その上の5階から13階は「プレ
ミア浅草リッチモンドホテル」になっているよう。
 
 「まるごとにっぽん」とは、「地方のいいものやいいことを浅草に」というコンセプト
で、この中はすべて「にっぽん製、にっぽん産、にっぽんのこと」で、見て、知って、買
って、食べて楽しめるという店舗や展示などのフロアになっています。

 今日の目的の4階は、「ふるさと食堂街 緑道」と名付けられた食堂街になっていて、
7つの店舗があり、その中の「Hayama Natural Table Bojyn(ハヤマ ナチュラル テーブル
ボジュン)」という店に、開店したばかりの11時ちょうどに入りました。


 店の入口に出ていた、この店の料理のこだわりについての説明。


     
 1番奥の南東側コーナーにある席に案内されたので、ここからも東京スカイツリーがよ
く見え、東側間近には「浅草の観音様」こと浅草寺(せんそうじ)の本堂も望まれます。


 親子2人ずつが、各々鶏肉料理と豚肉料理を注文しました。まず、何れにも付いている
野菜サラダが。お代わり自由なので、後でもうひと皿もらいました。
    

 メインディッシュの豚肉料理


          こちらはもう一つのメインの鶏肉料理。
         

     パンとご飯も選べますが、4人ともパンにしました。
    

 すべて出揃った私の料理、↓飲み物は何とかいう名のミックスジュース。
   
 
 料理は確か1,400円と1,600円、ミックスジュースは300円。1時間余りで食
事を終えて店を出ました。

 ほかの6つの店の前も一巡して、どんなメニューか確かめました。愛媛の新鮮料理、肉、
魚料理の店、京もつ鍋の専門店、広島のお好み焼き、和風創作料理のカフェダイニング、
福井直送の海の幸を使った食事処、黒毛和牛の鉄板焼レストランです。

 和風創作料理の店の横のテラスは植え込みになっていて、出られるので出て、外の冷た
い空気を吸いながら植え込みを眺めました。




 テラスからは下の3階のテラスも見下ろせ、そこには足湯が設けられているようです。
     

 4階を一巡したので、エスカレーターで3階に下りてみました。ここは「たいけん広場
 浅草にっぽん区」と呼ばれ、「日本全国の知られざるまちの魅力が体験できる」フロア
とか。


 その一角では「日本三大つるし飾り」の展示があり、静岡県東伊豆町、福岡県柳川市、
山形県酒田市のつるし飾りが並んでいました。


       

                

       

   
   この展示は、2月12日(日)まで開催されています。

 ほかのコーナーも回りました。


 こちらは、全国20市町村のおすすめふるさとコーナーで、各々の特産品やパンフレッ
トが並んでいます。


     昨年大地震に見舞われた、熊本県菊池市も。 
    

 ほかに、北海道鷹栖町、青森県西目屋村、山形県村山市、栃木県足利市、茨城県筑西市、
福井県丹南五産地、静岡県浜松市、愛知県豊橋市・東三河、兵庫県姫路市・播磨圏域、高
知県高知市、大分県豊後大野市、鹿児島県薩摩川内市、沖縄県大宜味村などです。

 2階は「くらしの道具街 和楽」と呼び、暮らしに関するこだわりものづくり品が並ん
でいます。


 こちらは信州木工館と呼ぶコーナー。






 よろいかぶとの並ぶここは、もらってきたパンフレットを見ても何のコーナーか分かり
ません。




      岡山県倉敷市の「はぎもの舎」は、暮らしの物作りの店のよう。
     
     
     はぎもの舎に飾られた金色の草履、お値段は12,000円。
    





     右は水引で造られたエビ。
    

 湯呑み


 1階は「楽市」と呼び、「にっぽんの食」が並ぶ食品フロアー。


 地元浅草の八百屋さんほか、和菓子や甘味処、コーヒーや紅茶、おにぎり、米沢牛、か
まぼこ、ハチミツ、梅干し、秋田のきりたんぽなどが並んでいました。


 浅草寺の近くなので、浅草寺での待ち合わせの際の時間待ちや、参拝後の時間がある時
などに立ち寄って見ると、興味ある品や食べ物、催しなどが見つかるかもしれません。も
ちろん、ここを目的に来ても時間の経過が早いかも…。

 ちなみに、「まるごとにっぽん」の詳細はこちらのウェブサイトを。

 まるごとにっぽんを出て、南側の五重塔通りを進んで浅草寺に向かいました。



 西参道から入った浅草寺境内。右手の五重塔は修理中で大きなシートに覆われて見えま
せん。修理完了は今年9月末の予定のよう。左側の紅梅がかなり見頃になっています。
    
 
 1月2日(月)の隅田川七福神巡りの帰途に寄った時には、大変な参拝客で本堂にお参
りするのはあきらめたので、今日は本堂に上がって参拝することにしました。


 今日も堂内はかなりの人出です。

 
 拝殿前からの仁王門の眺め。


 眼下の線香台の周辺の人混み。


 正面の仲見世通りも大勢の人で賑わっているので通過するのは止めて、2日同様東側に
回ることにしました。


 仁王門に下がる大きなちょうちん。


 仁王門の東南側には、「二尊仏(にそんぶつ)」と呼ぶ露座の金銅座像が。

 右は観音像で左は勢至菩薩像、像高は2.36m、蓮台を含めると4.54mになると
か。上野国(群馬県)館林在の高瀬善兵衛という人が、かつて奉公した日本橋の米問屋の
主人父子を弔うために貞享4年(1687)に造立したようです。


 その先には、松尾芭蕉の「花の雲 鐘は上野か 浅草か」で知られる「時の鐘」の下が
る鐘楼と弁天堂があり、そばのフユザクラでしょうか見頃になっています。


 鐘楼のそばには、松尾芭蕉の「くわんをんの いらか見やりつ 花の雲  はせを」と
記されているという句碑があるのですが、風化してしまいそばで見ても判読できません。
       


 今日は北風が冷たいので、ほかを回るのはあきらめ、アーケードのかかる新仲見世通り
を南に抜けて、東京メトロ銀座線の始発駅、浅草駅に下って14時前に帰途につきました。




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武蔵五日市七福神巡り(東京)

2017-01-19 18:48:23 | ウオーキング
 2017年1月18日(水)

 続いていた寒波が幾分緩み、最高気温は10℃くらいと予想されたので、武蔵五日市七
福神巡りに出かけた。

 五日市は東京の奥座敷に位置し、古くは山と平地を結ぶ商業地として栄え、現在は秋川
渓谷の玄関口として多くの観光客で賑わっている。歴史と自然に彩られたこの街に、平成
22年(2010)の新春から誕生したのが「武蔵五日市七福神」である。

 JR五日市線の終点、武蔵五日市駅に9時39分に着いた。


 改札前のコンビニで弁当を求め、駅に接した五日市観光案内所に行くが、水曜日は休み
でドアは閉じている。9時45分に駅を出た。


 町中にあるマンホールのデザインは、旧五日市町時代のものと、あきる野市になってか
らの2醜類がある。
    

               

 駅前のT字路から東に延びる都道7号・五日市街道を少しで、舘谷の家並みを抜ける旧
道に入り、最初の七福神、弁財天の正光寺(しょうこうじ)へ。

 正光寺は秋川流域で唯一の時宗の寺院で、嘉元3年(1305)の開創と伝えられてい
るとか。どっしりした本堂は平成14年(2007)の再建という。

    
 琵琶を弾く弁財天像は、方形屋根のお堂に祭られていた。
  

 北側の五日市街道を横断し、すぐに三内橋で秋川の支流を渡る。秋川左岸沿いを少しで、
大悲願寺への道標に従い左の細道を上がる。

 JR五日市線の踏切近くからふり返ると、正光寺周辺や背後の山並みなどの展望が一望
できる。

 踏切を越えれば大黑天の大悲願寺(だいひがんじ)は近い。山門の前に、白梅がチラホ
ラと咲き出していた。


 大悲願寺は、建久2年(1191)に源頼朝の命を受けた平山季重(すえしげ)が建立
したとのこと。15世僧正秀雄(しゆうゆう)は伊達政宗の末弟で、その縁で訪れた政宗
が境内に咲く白萩に心を引かれ、後日所望した書簡が残っているという。

 多摩新四国八十八ヶ所第59番札所で、東国花の寺百ヶ寺第11番寺院でもある。


 山門を入った正面の「無畏閣(むいかく)」と呼ぶ観音堂にには、国重要文化財の阿弥
陀三尊像が安置されているとか。正面欄間の彫刻も見事なもの。
    


 書院造りの本堂は右手にあり、元禄8年(1695)の建築で都の有形文化財。歴史を
感じられる大黑天は、本堂右手の玄関の中に祭られていた。
        

 玄関前の縁台には、乾燥中の切り餅が並んでいる。


 うっそうとした杉木立などに囲まれた広い境内には、四国霊場八十八か所のご本尊の石
像が巡拝できる、新しいお砂踏み霊場が設けられていた。
        

 ちなみに、私はこの大悲願寺には以前に2度ほど来たことがあり、第二次大戦末期には
新宿中村屋の創業者である相馬愛藏(そうまあいぞう)と国光(こっこう)夫妻が疎開し
ていたことを、臼井吉見の大河小説「安曇野」で読んだことも思い出す。

 山門前を南へ、JR五日市線の先で急石段を下り、五日市街道の旧道に出て駅に向かう。

     
 近くの民家のナンテンとキンカンが鮮やかな彩り。三内橋の手前で右折して五日市線に
平行する旧道へ。ロウバイの咲く民家もある。
           

 北からの都道3号に合して五日市駅前に戻り、五日市の中心街を抜ける都道33号・桧
原(ひのはら)街道を西進する。

 「五日市ひろば」と呼ぶ小公園の道路際に「五日市の市神様(いちがみさま)」の説明
板があり、五日市の市のことが記され、傍らに大きな自然石が祭られていた。
    

 すぐ先の「寿美屋」と呼ぶそば店の横のお堂が、恵比寿天の下町(しもちょう)地蔵堂。

 そばに「子育地蔵尊」の説明板があり、地蔵尊は五日市下町女人27人により元禄12
年(1699)に造立されたとのこと。傍らにそのことが刻まれた台石らしい自然石があ
る。
       
 お堂内には、その子育地蔵ともう一つの地蔵さんが見えたが、恵比寿天は確認できなか
った。


 五日市郵便局の先のT字路に阿伎留(あきる)神社への道標があったので、立ち寄るこ
とにした。細い通りを南進し、左カーブする地点の南側一帯が阿伎留神社の深い森になっ
ていた。

 阿伎留神社は、延長5年(927)の延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちよう)に
記された、武蔵国多摩8座の筆頭に挙げられた「式内社」と呼ぶ古社。鎌倉時代以降は源
頼朝、足利尊氏、後北条氏から神領が寄進され、徳川家康からは御朱印10石を寄せられ、
以後代々の将軍からの朱印状12通が残っているという。

 現在の拝殿、本殿は明治21年(1888)の完成、大鳥居を入って正面の神楽殿↓も
立派な造り。


 御輿蔵(みこしぐら)には、きらびやかな神輿(みこし)が10基近く並んでいた。
    

 森に囲まれた境内には幾つもの摂社が点在しているが、大鳥居近くのこの「占方神社」
の名は私にとっては初めてのよう。
        
       
 桧原街道に向けて戻り、すぐ手前に平行する細道を西進、少し下がってさらに進んで福
禄寿を祭る玉林寺(ぎょくりんじ)へ。

 玉林寺は定和3年(1347)の開山、本堂は弘化5年(1847)の建立で、内陣に
は草木花鳥や龍を描いた48枚の天井絵があるという。


 山門前に新しい仁王像が立ち、境内はよく整えられた植栽が多くて気持ちよい。



 中央部には石庭もあり、福禄寿は新しいお堂に祭られていた
     

               

 先ほどの下町地蔵堂と、次の番場地蔵堂の朱印所もここになっている。3つの御朱印を
頂き、番場地蔵堂への道も教えていただいた。

 西側の小さい山門を出て、広い墓地の間の斜面を北に向かって上がる。墓地の右手斜面
上部には大きな新しい石像が見えるが、何の像かは分からない。
     


 墓地の上部、白壁の間の門を出た上の新しい小さなお堂が番場地蔵堂で、毘沙門天が祭
られていた。
        

 玉林寺境内に戻り、東側の山門を出て西へ、スイセンの咲く秋川左岸沿いに少しで佳月
橋際に出た。石積みの場所があったのでここで昼食とし、弁当を広げる。
        


 12時42分に食事を終え、佳月橋を渡って小和田集落の西端に入った。上の写真は橋
からの上流側、下は下流側の眺め。


 南に高い斜面に向かって少し上がり、「秋川渓谷リバーティオ」の看板に従い西に向か
う。家並みが終わって間もなく、杉木立の中に木造のコテージの並ぶ秋川渓谷リバーティ
オがあった。


 その先は舗装が切れて細い山道となり、薄暗い杉並木の下を進んで行くと秋川右岸から
次第に離れて高みに上がって行く。
     

 道がこの先続くか不安になりながらも進むと下りとなり、「この先工事中で通行止」の
看板もあった。

 ダメなら戻ろうと下ったら、「かたらいの路 秋川丘陵コース」の案内図があり、すぐ
先の橋で秋川支流を渡れるようになっていてひと安心。
     

 その先にももう一つ橋があり、いずれも鉄製の欄干の塗り替えを終えたばかり。これが
工事中だったと分かる。


 すぐ先の斜面を上がると、桧原街道にかかる沢戸橋の西に出た。街道は90度右カーブ
して本郷集落を直進し、右手に「喜正」と記された造り酒屋が目に入る。


 その先のT字路を左へ、次のT字路を左折して戸倉小際に出た。


 その北側から「寺坂」と呼ぶ急坂を上がり、水道タンクのある都水道局戸倉給水所前を
進み、布袋尊を祭る光源寺(こうげんじ)の山門前に着いた。傍らに「都史跡 戸倉城跡」
の説明板が2つ並んでいる。


 光源寺は、室町幕府の初代将軍、足利尊氏が開基という禅寺。尊氏が擁立した後光厳天
皇がまだ親王のとき、南朝方に追われて5年ほど隠れ住んだ旧跡といわれているという。


 にこやかで大きな布袋像は、山門を入った左手に露座で祭られていた。本堂は正面にあ
り、山を背にした境内は閑静なたたずまい。

 山門を出て東側の斜面には、都指定天然記念物「光厳寺のヤマザクラ」が4本立つ。

 一番南のサクラは、幹周5.33m、枝張り東西25m、南北18mで、樹齢は400
年以上と推定される巨樹。地元では「光厳寺の大桜」と呼ばれ親しまれているという。
  

 ほかの3株は手前の招魂碑近くに立ち、いずれも幹周2m以上の古木である。

 光厳寺からの下り道、東方の谷間に五日市の家並みや、遠くにはビルも望まれる。


 西戸倉集落を北に下り桧原街道を横断、坂下集落を抜けて閑静な秋川左岸の旧道に回ろ
うとしたが、家並みが途切れた先を下るも橋が無い。桧原街道に戻り、街道を進むことに
した。

 どうやら坂下集落のY字路で橋とは違う道に入ったようだ。でも、桧原街道も川側に歩
道があり、車の交通量も少ないので煩わしさは感じない。

 1㎞足らずで十里木(じゅうりぎ)交差点に出た。桧原街道を左に分けて都道201号
へ。すぐ先の十里木駐車場際に、武蔵五日市七福神のたすきを掛けた大きな石像が立って
いた。
       


 秋川が大きく90度カーブする近くで落合橋を渡り、秋川の支流、養沢川の左岸沿いに
ある落合集落へ。日本酒の直売や料理を味わえるやまざき酒舗前を通過する。


         
 間もなく、養沢川↑の広い河原に最後の徳雲院(とくうんいん)が見えてきた。都道か
ら階段を下り、すっかり陽が陰って寒々しいが開放的な境内に入る。


 徳雲院は、戦国時代に先ほどの光厳寺の21世、雲英台東堂和尚の開山とされるが、昭
和9年(1934)以前は無住のときが長かったという。

 境内は梅が多いが、まだ枯れ枝のまま。本堂横の庫裡(くり)で最後の寿老人の御朱印
をいただき、記念にとタオルも下さった。

 本堂内には肝心の寿老人が見えないので聞くと、階段近くにあるという。庫裡の外の温
度計は3℃だった。


 梅の木の多い東側に回り、階段を背にした小さいお堂に祭られた新しい寿老人に参拝し、
15時ちょうどに七福神巡りを終える。
       

    
 墓地のミツマタがたくさん花を見せ、モクレンらしいつぼみもかなりふくらんでいる。

 往路を十里木交差点まで戻り、桧原街道側にある十里木バス停に行くも、次のバスは
15時39分までない。

 さらに1.5㎞余り戻って本郷集落の戸倉バス停に15時32分に着き、今日のゴール
とした。

 9分後に来た西東京バスに乗り、JR五日市駅には15時50分に着いた。

 最高気温は10℃近くかと思われるが、風も無く日中の日差しは暖かに感じ、ほかに七
福神巡りの人に会うこともなく、山里の集落と五日市の町中をめぐる静かな七福神巡りだ
った。

(天気 快晴後晴 距離 12㎞、地図(1/2.5万) 五日市、歩行地 あきる野市、
 歩数 25,700、累積標高差 約690m)


 いただいた記念色紙。色紙代は300円、御朱印は1か所200円ずつで、1月末日ま
では各寺院で押印してもらえる。
  






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西武秩父駅発 三峰口駅行き臨時SL列車に乗る(埼玉)

2017-01-08 18:23:11 | 鉄道
 2017年1月7日(土)

 昨年12月12日(月)に発売された、新春の今日と明日の2日間運転される臨時SL
列車の、今日の乗車券を息子が2枚買い、予定が空いていたら利用しないかと誘われたの
で、久しぶりに秩父鉄道のSL列車で三峰口駅まで往復することにしました。
      
 この乗車券は、臨時SL列車に乗れるとともに、西武線の全線乗り降りも自由(多摩川
線をのぞく)な1日乗車券で、今日と明日(8日)用に各々300枚を限度に発売されま
した。

 臨時SL列車は秩父鉄道の協力により運行されるもので、秩父鉄道の蒸気機関車が牽引
する客車列車「SLパレオエキスプレス」が、西武秩父駅から秩父鉄道の三峰口駅行き臨
時列車として出発し、三峰口駅からは折り返して秩父鉄道の秩父駅まで運行されます。

 運転時刻は以下の通り
[下り]西武秩父線 西武秩父駅 12時19分発 → 秩父鉄道 三峰口駅 12時50分着
[上り]秩父鉄道 三峰口駅   14時03分発 → 秩父鉄道 秩父駅  14時33分着

 秩父鉄道から西武秩父駅への臨時SL列車の入線時刻は11時29分ということなので、
間に合わせるために西武秩父駅着には11時01分に着きました。

 ホームに下りたら、北側を走る秩父鉄道の線路からSLの汽笛が聞こえます。急いでホ
ームの後端から見下ろすと、三峰口寄りの次の駅、影森方向に回送するSLを先頭に4両
の客車と補助の電気機関車502号(黄色)が見えました。


 西武秩父駅の改札を出て下り方向の踏切近くに進み、入線してくるSL列車を待ってい
たら、予定通り11時29分頃、補助の電気機関車に牽引された秩父駅に向かって入って
きました。




 西武秩父駅ホームに入った臨時SL列車の先頭部。




 戻った西武秩父駅前は、東側の秩父鉄道御花畑駅に向かう途中にあった仲見世の建物が
改装中で、この春から温泉も出来てオープンする予定のようです。


 駅前から西南には、秩父の盟主ともいうべき武甲山が逆光ながら望まれます。


 ホームに戻って臨時列車の先頭部へ。

 ちなみに、このC58363号蒸気機関車は昭和19年(1944)2月に川崎重工で
製造され、国鉄での現役時代は東北地方を中心に活躍したとのこと。

 昭和47年(1972)に現役引退後は、埼玉県吹上町立吹上小(現在の鴻巣市立吹上
小)の校庭で余生を送っていたのを、昭和63年(1988)3月に開催されたさいたま
博覧会にあわせて「SL運行を」の越えに応えるために抜擢され、「秩父路のバイオエク
スプレス」として復活したのです。

 今年は運行29年目を迎え、秩父路観光になくてはならないSLとなっています。
       

 最後部は補助電気機関車502号


 その前が、私が乗車指定された4号車です。


 車内にはまだ乗客はわずかでしたが、出発時刻にはほぼ満席となりました。車両は指定
されますが座席は自由席です。


 予定通り12時19分に列車は出発して、連絡線ですぐに秩父鉄道の線路に入って三峰
口駅に向かいます。

 西武秩父駅から三峰口駅までは12㎞弱ですが、この間の5駅には停車せずに29分か
けて走行するので時速は25㎞足らず、外の景色もゆったりと楽しめました。

 沿道あちこちの撮影ポイントには、カメラマンや見物の人の姿が見うけられます。


 12時50分、予定通り秩父鉄道の終点・三峰口駅に入ります。ホームに入ると右(北
側)に、SLを方向転換する転車台が望まれました。



 三峰口駅に到着した列車。


 到着ホームでは、秩父太鼓のメンバーが歓迎の太鼓を演奏中。


 蒸気機関車はすぐに列車から解放して、奥の引込線に回送してホームより南側の側線に
入って給水と点検に向かいます。


 ホームから改札に向かう乗客。折り返し時刻まで1時間13分あるので、駅前の売店や
食事などに行くよう。


 引込線の奥まで進んだSLは、すぐに折り返して給水ポイントのある側線に後退運転で
入ってきます。


 私もそれを見て、三峰口駅の改札を出てそちらに向かうことに。

 この駅前から左手(西方)に少しで給水所がありました。

 給水中のSL


 給水中に、補助電気機関車も来た時の最後尾の4号車から、帰りの最後尾になる1号車
の後ろに連結するため、付け替え作業が行われます。


 電気機関車は、引込線の先端まで行って折り返して列車が停車中の線路に入り、1号車
の後部に連結されました。


 SLは給水作業と点検が続きます。ここでは帰路のために1トンの水を補給するとか。


 給水と点検後、機関車は13時25分に転車台に入って方向転換するので、転車台のあ
る秩父鉄道車両公園に向かいます。引込線の先端近くの踏切から見た臨時列車(右)と、
西武線から乗り入れて待機中の西武の車両(中)、それに待機中の秩父鉄道の車両(左)


 駅と車両公園の配置図


 車両公園に回ると、こちらには貨車中心に5両、転車台の先には客車と電気機関車が5
両、いずれも引退後の車両が展示されています。




 転車台のそばに行き、先頭部から転換作業を見ることに。


 13時25分前後、SLが転車台に向かってきました。


 転車台に入り始め。



 転車が始まり、時計方向に180度回転して方向転換します。






     
      転車終了

      後退運転で転車台から離れ、引っ込み線に向かいます。
     

 引込線の先端部から側線に入り、先頭部の先に向かいます。


 転車を見終えたので、駅に戻ることに。給水地点付近からの構内の眺め。

 左手背後の山は武甲山です。 

 駅前に戻って構内のそば店で、卵そばを食べて遅い昼食としました。

 食事を終えて改札を入ると、駅舎側ホームからは展示車両のうちの電気機関車が望まれ
ます。


 13時56分、下り急行電車電車「秩父路5号」が到着しました。


 14時03分の上り臨時SL列車発車直前の先頭部。

 
 折り返しの上り列車4号車の車内。予定時刻に発車しました。


 通過する影森駅構内からの武甲山。


 14時33分に秩父駅に到着して、SL列車の旅を終えました。下りホームに到着した
14時34分発三峰口行き電車。


 一旦改札を出て、次の上り電車の時刻を確かめ、駅ビルにある売店を一巡してから14
時51分発上り電車で長瀞(ながとろ)駅に向かうことにします。

         
 SL列車内でもらった記念乗車証は、長瀞~三峰口間の1日フリー乗車券になっている
ので、これを有効利用することにしたからです。

 長瀞駅に15時13分に到着したら、向こう側のホームに、回送中のSL臨時車両が待
機しているのが見えました。


 帰路は1時間10分余り後の西武線直通電車に乗る予定にしたので、北側のロウバイで
知られた宝登山(ほどさん)山ろくにある、寶登山神社(ほどさんじんじゃ)への参拝の
みとすることにして、長瀞駅を出ました。

 ちなみに駅舎は、「関東の駅百選」に選定されています。

 駅前通りを北へ、国道140号との交差点際に立つ寶登山神社の1の鳥居。
 

 この先は神社への広い参道となり、緩やかに上って10分前後で2の鳥居をくぐり、う
っそうとした森に覆われた拝殿に向かって急階段を上がります。


 寶登山神社の拝殿に参拝して、今年の安穏などを祈りました。


 拝殿に施された極彩色の彫刻や絵


     

 寶登山神社は、秩父神社、三峯神社とあわせて秩父三社のひとつで、鎮座から1900
年を迎える伝統ある神社。日本武尊が東国遠征の途中、ここで神の使いの山犬に助けられ
たとの言い伝えがあるとか。社殿の彫刻は平成21年(2009)に修復されたようです。

 16時を過ぎて陽が傾き、境内も寒々としてきましたが、参拝客はまだ何組か見られま
す。


 摂社の稲荷神社などにも参拝して、駅に向かって往路を戻ります。2の鳥居付近の大き
な絵馬風の板。
    

 そばの売店で甘酒を頂き、駅に向かって緩やかに下ります。


 長瀞駅に戻り、16時25分発西武線直通の池袋行き急行電車で帰路につきました。

 この日の秩父市内の最高気温は9℃前後でしたが、快晴で風も無かったので、寒さは気
にすることなく過ごすことが出来ました。




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2017年新春初歩きは隅田川七福神巡りへ(東京)

2017-01-03 13:01:21 | 江戸・東京を歩く
 2017年1月2日(月)
 
 新春2日は、毎年参加しているNPO東京都ウオーキング協会の「第15回江戸東京七
福神めぐり」に出かけた。

 昨年までは7コースあったが今年は3コースのみに、その中の隅田川七福神に参加する
ことにした。集合は東武スカイツリーラインや東京メトロ銀座線、都営浅草線の浅草駅に
近い、隅田公園内の水上バス乗り場近くの広場。
     
 隅田川右岸にあるので、隅田川の流れや浅草駅に入る東武の特急スペーシア、東京スカ
イツリーなどが望まれる。


 9時半近くから出発式が行われ、挨拶とコース説明の後に準備体操をして、9時37分
にスタートした。



 隅田公園を北に抜けて隅田川の言問橋(ことといばし)を渡り、左岸近くの道を少しで
最初の三囲(みめぐり)神社に入る。



 三井寺の僧・源慶が弘法大師創建の由来を持つ荒れた祠(ほこら)を再建時、出土した
神像の回りを白狐が現れて3回巡り消え去ったのが「みめぐり」の名の起こりとか。

 祭られている七福神の大黒神と恵比寿神は、越後屋(現在の三越)に祭られていたもの
という。


 広い境内には石碑などが多く、京都・太秦(うずまさ)の木島(このしま)神社に原形
があるという、珍しい三角石鳥居などが見られた。


 北北東に少し、隅田川の桜橋近くには布袋尊の弘福寺(こうふくじ)がある。

 黄檗宗(おうばくしゅう)の寺なので、山門や本堂は中国風の独特の造り。


 境内右手にある咳(せき)の爺婆尊像は、寛永年間(1624~44)に風外和尚が修
行中に両親を偲(しの)んで刻んだもので、屋外の石像だから風邪にも強かろうと風除け
の信仰を集めたとか。現在は石造のお堂に祭られている。
     


 北に接するのが弁財天の長命寺。3代将軍家光が、鷹狩り途中の腹痛をこの寺の井戸水
で薬を飲んで快癒したことから「長命水」の名をいただき、寺号も長命寺としたという。
弁財天は、開帳されて本堂内に祭られていた。
     

 都道461号・墨堤(ぼくてい)通りを進んで東側の旧道に回り、向島百花園(むこう
じまひゃっかえん)の門を入る。


 福禄寿尊は左手奥の小さな社殿に祭られているが、込んでいて尊像は拝観できない。
     

 隅田川七福神は、文化元年(1804)にここ百花園に集まった、江戸の町民文化を代
表する文化人たちの発案で始まったとのこと。

 福禄寿尊は、開祖の佐原鞠塢(さはらきくう)が、百花園の草花にちなみ本草の神とし
て愛蔵し信仰していたものという。


 普段公開されている園路は閉ざされていて、今日は巡ることは出来ないので、門の近く
の木々や咲き出した紅梅などを眺めるに留める。


         

 西北間近には、寿老神の白鬚(しらひげ)神社が祭られている。祭神の猿田彦命は道案
内の守り神ということから、お客を案内する千客万来、商売繁盛の信仰が生まれたようだ。

 参拝客が多く、ここも寿老神を拝顔することは出来なかった。

 白髭橋から延びる都道306号を横断して、隅田二丁目の岐雲園(きうんえん)跡の公
園でトイレ休憩となる。

 岐雲園は、幕末に目付や外国奉行として外交に尽くした岩瀬忠震が、河水を引いた汐入
の池のある別荘風の家を構えの跡とのこと。将軍継嗣問題で大老井伊直弼と意見を異にし
て免ぜられ、ここで隠遁生活を送り風雅な生活を楽しんだという。いまその面影は全く見
られない。


 さらに都道461号・墨堤通りの東に平行する細道を北進する。途中の正福寺の一角に、
首塚地蔵尊ののぼりの立つ地蔵堂があり、たくさんのお地蔵さんが祭られていた。


 荒川右岸の堤防際を走る東武スカイツリーラインの線路が近づき、最後の七福神、毘沙
門天を祭る多聞寺(たもんじ)はすぐ近くにある。

 かやぶきの山門前から大変な人が並び、山門をくぐるのも順番待ちしている。山門は明
和9年(1772)の建立、墨田区最古の建造物として区の登録有形文化財である。

 何とか山門を入ったが、本堂までさらに参拝の列が続いている。山門を入った辺りで拝
礼して参拝に変えた。

 ここで七福神は巡り終えたが、隅田川左岸沿いを隅田公園まで戻るフルコースを選ぶか、
ここで終えるかが選択できる。私は、この後はフリーで歩きたいので歩き終えることとし
て、11時半近くに多聞寺を後にした。


 ほぼ同じ道を500mほど戻り、隅田二郵便局前を通過して墨堤通りへ。長く連なる中
層住宅に沿って少しで、隅田川左岸沿いに延びる東白髭公園に入り、近くの隅田川神社に
参拝する。



 境内には水神社など摂社もあり、白梅が早くも咲き出していた。
    

 そばの案内板によれば、荒川下流の鐘ヶ淵を越えて大きく曲がったこの地は、隅田川の
落ち口(終点)で、かつてはうっそうとした森が広がり、「水神の森」とも「浮洲(うき
す)の森」とも呼ばれ親しまれていたという。

      
 正面に逆光の東京スカイツリーを見ながら公園の南端まで進み、白髭橋から延びる都道
306号を横断する。
     

     
 墨堤通りを南下して少し先で西に入り、隅田川左岸沿いを走る首都高6号線の下の遊歩
道を進む。
     



 桜橋近くで東に回り、先ほど参拝した長命寺の北側の道路に出た。

 短い遊歩道沿いにジュウガツザクラ↑とフユザクラ↓が咲き、野口雨情がここに来遊した
時に詠んだ「都鳥さへ夜長のころは 水に歌書く夢も見る」の詩碑がある。
    
     

 そばに、古くからの名物「長命寺の桜もち」の店があるので入り、6個入りの桜もちを
購入する。
   

       


 西側、首都高の高架下部壁面には、広重が描いたこの辺りの風景のタイル画が埋め込ま
れていた。
    


 その横を隅田川左岸に出て、X型の歩道橋、桜橋を渡り右岸に回る。


 橋の中央部2か所に、平山郁夫画伯が描いた「双鶴飛天の図」の石刻があった。


     
 右岸沿いの隅田公園を、対岸の東京スカイツリーを間近に見ながらさらに南下する。


 言問橋下を南に抜けたところで公園を離れ、浅草寺に寄ることにして都道319号を西
に向かう。

 途中の中華店で昼食をして、馬道交差点の先で北側背後から浅草寺境内に入った。正月
2日とあり、多くの参拝客で境内はごった返している。



 本堂への参拝には、南側の仲見世通りをかなりの時間をかけて並ばねばならない。今日
はあきらめ、東側の二尊仏↓などの石仏や、弁天堂に参拝するに留めた。


 弁天堂の本尊は白髪なので「老女弁財天」と呼ばれ、関東三弁天(湘南・江ノ島、千葉
県柏市の布施弁天と合わせ)のひとつとか。


 鐘楼の鐘は、元禄5年(1692)5代将軍綱吉公改鋳(かいちゅう)の江戸時代の
「時の鐘」で、芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か浅草か」で知られた鐘という。


     
 仲見世通りに劣らず混雑する新仲見世通りを抜けて、東京メトロ銀座線の浅草駅に13
時43分に着き、今日の私のゴールとする。



(天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、歩行地 台東区、墨田区、
 歩数 16,000)





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