あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

新緑の所沢航空記念公園 日本庭園とその周辺(埼玉)

2017-04-29 22:13:46 | 所沢だより
 2017年4月29日(土)

 みどりの日の今日、午後は不安定な天気となり雷雨に注意との予報が出たので、11時
過ぎになりましたが市内ウオーキングに出て、所沢航空記念公園まで往復することにしま
した。


 西武新宿線の航空公園駅東口近くに展示されている、YS-11旅客機のそばのハナミ
ズキ。


 その横から南東に延びる所沢航空記念公園の西側園路沿いのケヤキは、新緑に覆われて
います。
     


 堀割を南北に走る道路の東側、市立図書館に近い側のケヤキの新緑。下の写真のケヤキ
は、ほかの木に比べると遅めの芽吹きのよう。
     

 堀割の上を橋で越えて日本庭園に向かいます。庭園の北側の園路沿いに並ぶクスノキの
新芽。


 日本庭園入口手前のケヤキ。


     入口を入って右手、南側の葉桜となったソメイヨシノ。
     

 その下辺りに咲くツツジ。


 近くの東屋(あずまや)では女性が一人、ジッと座っていました。


 東屋の南側斜面から流れるせせらぎ周辺。


 斜面のところどころには、ツツジやシャクナゲなどが。


        

                   
            

    

 日本庭園の一角にある茶室・彩翔亭前からの池の眺め。



      池の対岸には、まだスイセンが咲き残っていました。
       

     

 彩翔亭の前のボタン。


       

 池の南東側斜面にもシャクナゲが咲き、ミツマタもまだ花を。
 

        

 東側の出口から日本庭園を出て、公園の中央部にある放送塔のロータリー回って帰路に。
公園の北側、防衛医科大学病院辺りの市道沿いは、新緑のケヤキ並木が続いています。
     
   毎年この時期に眺めてはいますが、ケヤキの新緑は気持ちのよいものです。




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二子玉川の静嘉堂文庫美術館へ(東京・世田谷)

2017-04-28 18:40:18 | Weblog
 2017年4月26日(水)

 連れ合いに誘われ、世田谷区にある静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)美術館で開催中の
展覧会の観覧に出かけた。

 西武池袋線から、東京メトロ副都心線、東急東横線、みなとみらい線直通のFライナー
と呼ぶ急行、特急並み電車で自由が丘まで行き、東急大井町線に乗り換え、12時過ぎに
二子玉川駅で下車する。

 西口にある高島屋横から北へ、二子玉川小の横を通過して丸子川沿いを西進し、国分寺
崖線(がいせん)の中腹にある静嘉堂文庫美術館への門を入った。


       
 近くには下草のアヤメが花を見せ、小さい流れを渡って右へ、緩やかな上り坂を進む。
     

           

 渡った流れの上流は、湿地のようになっていた。
 

 さらに、豊富な樹林の間を上がって行く。


 静嘉堂文庫の2つの建物が見える広場まで上がると、ロータリーのツツジが鮮やかな彩
りを見せる。
    

 右手にある文庫の建物は、大正13年(1924)の建築とか。 


 静嘉堂文庫は、三菱の第2代社長岩崎彌之助と、彌之助の長男で第4代社長の岩崎小彌
太により設立されたもの。その収蔵品は、東洋固有の文化財を愛惜した彌之助により本格
的に収集され、さらに小彌太により拡充されたという。

 彌之助の収集は、和漢の古典籍のほか絵画・彫刻・書籍・漆芸・茶道具・刀剣と広範囲
で、それに対して小彌太は、東洋陶磁を系統的に収集しているとのこと。

 美術館は、昭和20年(1945)の小彌太逝去後、その遺志により夫人から財団に国
宝など主要作品が寄贈され、さらに夫人の逝去後に同家に残る美術品と施設が寄贈され、
平成4年(1992)新館↓が建設され、今日観覧する静嘉堂文庫美術館が開館されたの
だという。


 現在の展示は「挿絵本の楽しみ~響き合う文字と絵の世界~」で、その狙いをリーフレ
ットでは以下のように紹介している(期間:4月15日~5月28日)。

 私たちは、古くから文字と絵を使って情報の伝達をしてきました。「挿絵本」は、まさ
にその2つの要素が支え合って大きな力を発揮しているものです。そこには、人々の知識
(情報)に対する多様な要望が反映されています。本展では、主に中国の明(みん)・清
(しん)時代(14世紀半ば~20世紀初め)と江戸時代の多彩な挿絵本をご紹介します。

       美術館の入口に掲示されていた案内
      

 会場内は、以下のようなコーナーに分けて展示されていた。
錦絵の中の文字  Ⅰ.神仏を巡る挿絵  Ⅱ.辞書・参考書をめぐる挿絵  Ⅲ.解説
する挿絵  Ⅳ。記録する挿絵  Ⅴ.物語る挿絵

 会場は撮影禁止なので、入手したリーフレットから展示作品の一部を紹介する。





          
       重要文化財 渡辺崋山「芸妓図」(実物はカラー)


 最初の「本草図譜」は、Ⅲ.解説する挿絵の作品ひとつ、真ん中の「環海異聞」はⅣ.
記録する挿絵、最後の渡辺崋山の「芸妓図」もⅢ.解説する挿絵の作品のひとつである。

 これら展示作品を一覧してみて、文字だけでは内容が分かりにくいものも、挿絵がある
ことで、より容易に理解できることがよく分かった。

 特に、Ⅳ.記録する挿絵では、司馬江漢(しばこうかん)の西遊旅譚や、間宮林蔵の東
韃紀行、松浦武四郎の手塩日誌と知床日誌、大槻玄沢の環海異聞など、私が名前を知って
いる人が記した作品があり、旅の記録でもあり興味深く観覧した。

 当ブログも文字と写真を併用することで、皆さんに内容をより分かりやすく理解しても
らえるのではないかと、この展示を見ることで再認識できたので、今後もそのような方向
で継続したいと考えている。

 観覧を終えた後にロビーから眺めた、敷地内や周辺の風景。






 観覧を終えたら14時前後になっていた。館を出てもう一度眺めた入口周辺の植え込み。




 まだ昼食前だったので、駅に向かって食事の出来るところを探しながら戻ることにした。
構内を下って門を出てさらに下って南東へ、丸子川の下山橋を渡る。
     
 往路の丸子川沿いは結構車の交通量があり、歩道もなく危険なので、南に向かう静かな
通りを進むことに。

 南側のマンション沿いの通りも緑が豊富で、シャクナゲがあちこちに咲きモミジなどが
柔らかな彩りを見せる。
       

        





      通りより奥にあるマンションへの道も豊富な緑が。
     

 左折した通りのわずかな歩道


      すぐ先を右折した南への通りには、「きしべの路」の名が。
      

 突き当たりにスーパー・マルエツがあり、そこを左折して東に延びる道は「砧(きぬた)
線跡歩道」と呼ばれ、新玉川線の前身である玉川電気鉄道(1907年開通)の砧支線跡
で、1924年に瀬田河原一帯から採取した砂利を、関東大震災からの復興が進む東京市
内へ運ぶためにつくられた路線だったという。
     
 平行して南側には、都道11号・多摩堤通りが走っているので、自転車と歩行者専用道
にしているよう。

 この通りも緑が多く、車を気にせず歩けるので安心な道だ。通り沿いに咲くベニバナト
チノキ。
       

     

 住宅地を北に延びる通りを幾つか見ながら東進したが、これもそのひとつ。


   この通りのマンホールには、ここを走っていたらしい電車のデザインが。
    

        旧中耕地駅跡の表示もある。
       

 高架になっている国道246号・玉川通りの下を抜けると南側は高島屋なので、店内を
東に抜ける。


   東側の通りに出るドアノブは、タツノオトシゴだった。
    


 二子玉川駅前まで戻ったが、適当な食事処がない。そばの二子玉川ライズと呼ぶ複合ビ
ルのひとつタウンフロントへ。案内所で聞いて7階のレストラン街に上がり、ピッツェリ
ア ドオーロ ローマというイタリアンレストランに入り遅い昼食をする。


 私の注文したのは、桜エビと菜の花のトマトソース(1,180円)


 連れ合いは、ずわい蟹とブロッコリー・マッシュルームのクリームソース(1,180円)
       

 店を出たらもう16時に近い。寄り道は止めて帰路も往路と同ルートの電車で戻った。

 なお、静嘉堂文庫美術館のサイトはこちらから。

========================================

 当記事は翌日から書き始めたのですが、パソコン用の椅子に長く座っていると腰痛にな
り、何日かに分けたためにアップするのが遅れました。


 なお蛇足ながら、当ブログは前々回の投稿から「gooブログ」の有料版である「gooフォ
ト」に変更しました。

 なぜ変えたかというと、gooブログで使える画像容量の3GBを越えてしまったからで
す。開設以来11年2か月余りにアップした画像枚数は38,655枚となり、次の画像
をアップしようとしたら、画像容量を超えたというメッセージが出て、アップできなくな
ったのです。

 そのために画像容量が1TB(テラバイト)と飛躍的に増える有料に移行せざるを得な
くなり、すぐに契約手続きをしたのでした。

 有料サイトの月額使用料は477円(税込み515円)となり、もう10年も続けられ
る年齢ではないので、あとは画像容量を気にせず投稿できますが、いつまで投稿できます
やら…。ともあれ、投稿がストップするまで今後とも引き続きご覧下さいますよう、改め
てお願い申し上げます




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「写真が語る所沢市の昭和」写真展を開催中(埼玉)

2017-04-25 21:19:09 | 所沢だより
 2017年4月25日(火)

 所沢市の中心街にある、所沢市中心市街地活性化拠点施設である「野老澤町造商店(と
ころさわまちづくりしょうてん)(略称「まちぞう」)」↓で、『あの日あの時 写真が語る
所沢市の昭和』という写真展が、4月22日(土)~5月31日(水)の間、開催中です。




    

 この写真展は、昨年12月に新潟県長岡市の(株)いき出版から刊行された『写真アルバ
ム 所沢市の昭和』↓に掲載された写真の中からピックアップした写真を展示しています。
       

 私は昨日観覧に訪れたところ、写真集の編集・執筆を担当された「野老澤郷土誌伝承人」
こと三上博史さんが居られ、この写真展の写真の選定もされたと伺いました。

 写真集には、私も16枚の写真を採用していただき、今回の写真展にはその中の2枚が
展示されていました。

 写真展の会場内は撮影禁止でしたので、展示された2枚については、手持ちの私の写真
で紹介します。

 これは西武池袋線の狭山ヶ丘駅、昭和45年(1970)1月25日撮影です。

 「丹頂鶴(たんちょうづる)」と呼ばれた、屋根の赤い公衆電話ボックスを覚えて居ら
れる方は、結構年配の方かと思います。

 こちらは、現在の所沢市役所が建設される前の周辺の写真。昭和54年(1979)
12月25日の撮影。

 道路の左手の草地が市役所の敷地で、背後の白い建物は所沢郵便局、右のアンテナ塔の
あるのは当時の所沢電報電話局(現NTT東日本)、道路の右側(撮影地)は現在の市立
図書館の敷地です。

 会場には、いき出版の写真集に掲載された写真が引き伸ばされて多数展示されています。
平成になってもう29年、懐かしい昭和時代の所沢をふりかえったり思い出したり出来ま
すので、昭和時代から市内にお住まいの方、あるいは当時所沢市に在住されていた方など、
足を運んでご覧になってはいかかでしょうか。会期はまだ1か月以上あります。

 会場周辺の地図と住所など、場所は所沢銀座通りの元町交差点際です。

                         ダイエー↑は現イオン
     

 なお、「野老澤町造商店」のサイトはこちらからご覧下さい。




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新緑の将軍塚から水天宮、荒幡富士などを巡る(埼玉・所沢)

2017-04-24 21:31:09 | ウオーキング
 2017年4月23日(日)

 爽やかな快晴なので、狭山丘陵周辺の新緑や花に期待して出かけた。コースは、所沢市
発行の「ところざわウオーキングナビ2 中央エリア」の「荒幡富士・市民の森と史跡探
索コース」である。

 自宅を11時37分に出て、コースの出発地・西武池袋線西所沢駅からコースに入る。

 線路の北側を並行する道を1㎞ほど進む。踏切を渡り、南陵中の南側十字路を左折して
久米(くめ)の住宅へ。畑のハナミズキが花盛りで、畑の向こうの屋敷林の新緑がみずみ
ずしい。


 台地を下って、別の車道に合したところにある時宗の長久寺へ。開山は鎌倉末期の元弘
3年(1333)前後のよう。


 山門を入った左手のお堂に、江戸中期の廻国(かいこく)行者、平塚常陽が安永3年
(1774)に建てた廻国供養塔があり、所沢市指定文化財になっていた。
       


 本堂の右手に一遍上人(いっぺんしょうにん)像が立ち、背後の大きなドウダンツツジ
が開花していた。
    

 境内南東側には、愛知県の豊川稲荷から明治44年(1911)に分神されたという、
豊川稲荷神社も祭られている。

 南東側近くの三差路を南に少しで、柳瀬川の勢揃橋(せいぞろいばし)を渡る。橋は、
新田義貞が鎌倉攻めの時に数万の兵を勢揃いさせたことから名付けたとされるとか。流れ
には、ナノハナがたくさん花を見せていた。


 松が丘東交差点の先で松が丘一丁目の住宅地を南に抜けて木の段を上がり、狭山丘陵の
東端に位置する八国山緑地の、うっそうとした落葉広葉樹林帯の遊歩道へ。
     

 少し先に「元弘青石塔婆所在痕」碑があり、背後の盛土上に「将軍塚」碑が立っていた。
新田義貞が鎌倉攻めの時に陣を敷き、指揮をとったとされる場所。
       

 かつてはこの辺りから駿河、甲斐、伊豆、相模、常陸、上野、下野、信濃の八か国の山
々が望めたことから八国山(はちこくやま)と呼ばれたという。

 東京都と埼玉県との都県境となっていて、稜線上の遊歩道の両側には豊富な広葉樹林が
続く。みずみずしい新緑のこずえでウグイスが元気にさえずる。


 送電線下を過ぎた左手に、上空に青空の広がる広場があった。その名も「青空広場」で、
木の下で憩う人も見える。

     
 再び新緑に覆われた林間となり、ところどころにヤマツツジが咲いていた。
    


 左手に「ほっこり広場」に下る道を分け↑、木漏れ日の続く林間を進む。
     
 道標に従い木の段を下って松が丘の住宅地の急な階段も下る。傍らの民家の、シャクナ
ゲやムラサキモクレンが咲き出していた。
    

         

 松が丘中央バス停のそばにある松が丘中央公園に13時13分に入り、ベンチで昼食を
した。


 バス道路の北側の細道を入ると、すぐ先に佛眼寺がある。門前に寛政元年(1789)
の青面金剛塔と文政3年(1820)の三十三度供養塔が並ぶ。
     


 本堂の前に金色の一願観音像が立ち、左手には花の残るシダレザクラがある。
     



 庫裡(くり)の横では、キクモモが鮮やかな花をいっぱい見せていた。
     

 その横から坂を上がり、西に延びる稜線の樹林下に祭られている久米水天宮へ。壇ノ浦
の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を祭る宮で、安産・繁栄・商売繁盛に御利益がある
という。


 1月5日の初水天宮にはだるま市が立ち、多くの参拝者が訪れるとか。拝殿の扉の前に
は、奉納された小さなだるまが20個余り並んでいた。
 

 林間に接した北側は鳩峰(はとみね)八幡神社。延喜21年(921)に京都・石清水
(いわしみず)八幡宮を分祀したと伝わり、本殿は県内に少ない室町初期の建築で、埼玉
県有形文化財である。


 元弘3年(1333)に新田義貞が鎌倉討伐の折、参拝して戦勝を祈願したと伝えられ、
参拝時に兜(かぶと)をかけたという「兜掛けの松」があったようで、その史跡碑がある。
       


 東側の道路に戻って北に下り、久米の住宅地や畑の間を西進する。独特の造りの、市の
吾妻支所や吾妻まちづくりセンターの東側から南側に回り、樹林に沿って西進する。


        民家の庭のモミジがやわらかな彩り。
       

 西武園に至るバス道路を横断して次のT字路を左折して南へ、荒幡(あらはた)の住宅
地を上がって行くと、東側に近くの光蔵寺や浄水場のタンクなどが望まれる。


 路傍の民家のシダレモモが、きれいな花を残していた。


 荒幡小の校門前に出て北西に上がり、南西へと回り込む。高台なので北から西への展望
が開け、霞む奥武蔵の山並みや小手指(こてさし)方面の家並みなどが一望できる。


                           武甲山 



 ピークの北側斜面一帯に、広い草地が現れた。「ドレミの丘公園」で、平成17年
(2005)に寄贈されたこの丘一帯を、市が整備して公園としたよう。

 今日のコースの中で、このような気持ちよい展望地があるとは知らなかった。

     
 その先左手は再び新緑の広葉樹林が続き、右手斜面には大きなヤマツツジが咲いていた。



 間もなく荒幡富士で、山ろくには浅間神社が祭られている。明治17年(1884)か
ら15年かけて、荒幡村の住民や近隣の村々の有志などが造った人工の小富士で、富士塚
としては最大級とも言われているよう。



 ツツジ咲く登山道を1合目から10合目山頂へと上がると、狭山丘陵をはじめ、新宿の
高層ビルや所沢市街中心部、小手指駅周辺などが望まれる。
    

         





 見通しの良い冬期などは、大山や丹沢山塊、富士山や奥多摩、秩父の山々も望めるよう
だが、今日は好天ながら遠望は利かなかった。


 そばの林間にある「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」↑に入り、狭山丘陵に生
息する動物や植物などについての展示を一巡して観賞した。




    
 周辺は「荒幡富士市民の森」と呼ばれ、さらに広葉樹林が続く。萌芽(ほうが)更新中↑
で青空の見える樹林横を進んで東屋(あずまや)で最後の休憩。そばのモミジもみずみず
しい新緑の彩り。
    

 北に下った住宅地は何本かの道路が入り交じって迷い、東に少し回り道した。コースの
ゴール、西武狭山線の下山口駅に15時42分に着いた。

 この先も自宅まで歩くことにして県道55号を東へ、400mほどで北側の仏蔵院に上
がる。
    
 門前のシダレモモが見頃、本堂前のヤエザクラもほぼ満開になっていた。



 山門を入り左手のモミジもよい彩り。近くには、江戸期のものらしい石塔が数基並んで
いた。


 西側の道路を上がって三井団地を東に抜け、県道4号の梨子ノ木戸(なしのきど)交差
点を横断し、16時33分に帰宅した。

 今日回ったところは、何れも何度か訪ねていたがこの時期は初めてで、豊富な新緑と花
の彩りを充分に楽しむことが出来た。

(天気 快晴、距離 11.5㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 所沢市、
 東村 山市(少し)、歩数 22,800、累積標高差 約350m)




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新緑の大宮公園と周辺の展覧会へ(埼玉)

2017-04-19 21:05:49 | Weblog
 2017年4月19日(水)

 今日は、カントリーウオークの仲間、Tさんなどのグループの水彩画展の観覧を主目的
に、JR埼京線で大宮駅まで行き、正午に駅の東口を出た。


 賑やかな駅前から一宮通りを抜けて、武藏一の宮・氷川神社の長い鳥居の中ほど、二の
鳥居に入る。
     

 参道にはケヤキが多く、新緑がみずみずしい。


 三の鳥居近くまで進んで、参道の右手にあるさいたま市の「氷川の杜(もり)文化館」
に入る。


 建物までの間は、よく育ったモウソウチクの林になっていて、ところどころにタケノコ
が顔を出していた。
     

          建物近くでは、アセビが花を見せている。
         

 ここが、Tさんたち「大宮スケッチ会 第10回 作品展」の会場である。


 会場では、会員19人が2点ずつ、合わせて38点の水彩画が展示されていた。


 この会は、埼玉県内外の風景スケッチを楽しむ会で、県内を主に東京や周辺の県などで
描いた作品がほとんど。


 観覧後は、以前来たときと同様に氷川神社と大宮公園を回ってみることにして、三の鳥
居から境内に入る。

 右手に、埼玉県内に25あるという造り酒屋から奉納された各々の銘柄の菰樽(こもた
る)が並んでいた。

 「明治天皇御親祭150年祭」を祝って、埼玉県酒造組合の組合員である蔵元が奉納し
たようだ。

     
 その先の池の周囲も新緑に覆われている。朱塗りの橋を渡り氷川神社の仁王門をくぐる。


 拝殿に参拝して、これからも元気に過ごしてあちこちに出かけられるよう祈願した。


 東側の門から神社を出て、背後の県立大宮公園に回る。(財)日本さくらの会の「さく
ら名所100選」に選定されている公園内のソメイヨシノは、葉桜になっている。


      でも、北側のボート池近くのヤエザクラが咲き出していた。
     

 まだボートの浮かんでいないボート池の西側を回って西北端まで行く。


    

 赤松林の斜面を上がり、県立「歴史と民俗の博物館」に入り、企画展「縄文の暮らしと
願い空間」を観覧する(入館料400円、撮影禁止)。
      

 こちらは正面ロビー周辺。


 この企画展では、縄文時代後期・晩期の「建物」「水辺」「墓地」など様々な生活空間
に視点を合わせ、現代よりもはるかに自然に密接し、適応しながら祈りと祭りに心を砕い
た当時の暮らしの具体像を紹介するという目的で、県内各地の遺跡から出土した土器や土
偶、鉢や櫛など多くの実物や、遺跡の状況などが紹介されていた。

 企画展示を見た後、一般展示室も一巡する。展示室の一部は撮影可能で、こちらは企画
展に関わり多い縄文時代関係の展示。


 観覧後、博物館のミュージアムショップ併設の食堂で遅い昼食をして、14時過ぎに館
を出た。

 往路とは反対のボート池の東側の林間を戻る。こちらにも新緑の木々が多く、よく育っ
た木々がやわらかな彩りを見せている。 これは花咲くクヌギ


       クスノキ
      
 モミジ


 午後になって風が強まり、ボート池はかなり波立ってきた。


 氷川神社に近い日本庭園まで戻ると、日影にシャガがたくさん咲いている。


    

 ツツジもよい彩りに。






 帰りは氷川神社参道の朱塗りの橋の、東側を戻る。


         

 二の鳥居近くまで戻り、氷川の杜文化館を出たときにやはり観覧に来たカントリーウオ
ーク仲間のKさんから勧められた、さいたま市立博物館での企画展「さいたまの酒造り」
も観覧することにして博物館に入る(入館無料、撮影禁止)。
     

           

 企画展では、「1 酒のつくりかた 2 酒造りの歴史 3 さいたまで酒を作る・売る
 4 人々と酒 5 埼玉県の酒造りの今」という構成になっていて、酒造りに関する道具
や文書などの資料、さいたま市内の酒造りの紹介などについて展示されていた。

 常設展示室も一巡して館を後にする。一宮通りを経て、大宮駅に戻ったのは15時40
分だった(往復 5㎞)。





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続カタツムリ歩行で東松戸駅周辺を巡る(千葉)

2017-04-17 16:12:21 | カタツムリ歩行
 2017年4月16日(日)

 快晴で首都圏でも25℃前後になるとの予報の今日、続カタツムリ歩行の第43回例会
に参加した。集合はJR武蔵野線と北総鉄道の東松戸駅。Iさんと一緒に9時58分にス
タートした。


 駅の東北側に回って北総鉄道の高架下を少し進んで、新興住宅地の中にある中央公園へ。
広い芝生地が広がり、その中に若木のソメイヨシノの並木があるが、花の残る木は少ない。


 東側にあった「Arche Charite(アルシュ シャリテ)」とよぶマンションは、建物に対し
て敷地がかなり広く、緑が豊富で公園のよう。


 グランドなどのある東松戸ゆいの花公園の横から、北総鉄道の堀割の上を越えて南に向
かう。400m余り進んで、松戸市と市川市との市境を延びる平地林沿いの細道に入る。


 ところが、市民農園の先で道が途切れた。木の茂る斜面をやぶこぎして上がると↑、広
い畑に沿って土の道があったので進んだが、やはり畑の南端で道は途切れ、その先の林に
は入れない。畑を戻り、東側の車道に回った。






 この道の両側にはナシ畑が多く、みな花盛り。ブルーベリー畑もあり、先着のDさんな
どが持ち主と話していたので先行する。
       

 南東側のT字路で国道464号に入ると交通量が多いが、細い歩道は付いている。南西
に向かう国道沿いもナシ畑が続き、梨園の建物や看板も多い。


    

 市川市から松戸市に戻った辺りのナシ畑では、家族総出で授粉作業をしていた。


 帰宅後に地図を見直したら、進んだ国道の反対方向、大町の周辺はナシ畑ばかりで、市
川市のナシの本場のようだ。

 JR武蔵野線の堀割を越えて国道に分かれ、武蔵野線の西側に平行する車道を北進する。

 咲き残るソメイヨシノもあるが、一帯は広々とした畑作地帯で車も少なく、駅周辺の高
層マンションなどの建物群だけが場違いな感じ。




 畑の中にはブロッコリーのナノハナが咲き、倒れたキャベツから出たナノハナも咲いて
いる。


       
 駅近くまで戻り、紙敷(かみしき)の古くからの住宅地に入る。民家の庭にグミらしい
花が、畑にはタンポポが咲く。
    

 空き地となった湯浅家の門を入り、敷地を横切ってショートカットして胡録神社に行く。

 正面に胡録神社の拝殿があり、左手前には小さめのお堂の八坂神社も祭られていた。気
温が上がりのどが渇いたので、小休止して水分補給をする。
       

 鳥居横にある紙敷向消防センターの建物は、ほかの消防団の建物に比べて頑丈な感じの
造り。鳥居を出てすぐの民家には、郵便局の古い赤ポストを転用した緑のポストが立って
いた。
       

     
 緑豊富なこの家には、小花の桜が咲いていた。紙敷のこの辺りは湯浅姓が多いようで、
あちこちに「湯浅」の標札が目に付く。

 近くの畑に「紙敷貝塚」の標柱が立っていた。昭和35年(1960)に坂詰仲男博士
の調査により、縄文時代中期(約4,500年前)から後期晩期と続く長い間、人の住んだ
跡のある遺跡と確認されたという。
 


 東松戸駅の南西側、駅にほど近いところにある傳法寺へ。本堂前の大きなシダレザクラ
に残る花はわずか。10日ほど前はさぞかしきれいだったろうと思われた。
     

 西に回って交通量の多い県道58号・市川柏線に出た。北総鉄道の高架下を抜けて西に
回り込み、広龍寺に西側の山門から入る。


 よく整えられた境内に咲き残るソメイヨシノもあるが、法事の方々が立っておられたの
で拝観は止めてすぐに門を出た。


 門前には幾つもの石塔が並び、その中央部に大きな庚申塔が立っていた。
     
 帝釈天を主尊とする庚申塔では県内最古のもので、嘉永5年(1852)の銘があり、
塔身高191.5㎝、中央に帝釈天像、その足下に2童子、泥石には瑞雲と3猿、2鶏が
刻まれていた。


 さらに少し西北に回り込み、ゴールの春日神社には11時53分に着いた。拝殿横には
芽吹き始めたイチョウの古木が、石鳥居のそばにはまだ枯れ枝のケヤキの高木が立ってい
た。
     


 拝殿の左手で昼食を済ませ、記念撮影とミーティングをして、12時50分に散会した。

 
 散会後は、ミーティングで男性のIさんが説明された訪ねた寺社などの中で、行かなか
った場所を回ることにした。午前同行のIさんも回るというので一緒に神社を出た。

 神社の階段を下りて東へ、最初の十字路を左折して北西すぐ近くにある真隆寺に行く。

 午前中に回った2つの寺と同様、ここも日蓮宗の寺院。新しい山門を入ると正面に本堂
がどっしりと構え、右手には六角堂がある。




 本堂や庫裡(くり)の前の庭木はきれいに手入れさ、境内のソメイヨシノは葉桜に変わ
っていた。


 次の三差路を左折して西へ、一帯は紙敷集落の古くからの農家の広い屋敷が続き、重厚
な門を構えた長屋門の家もある。

 その先の豊富な木々に囲まれた旧斎藤邸には、かやぶき屋根の古民家が残るが、門は閉
ざされ、両側の生け垣の上からのぞいても、かやぶき民家の全体像は見えない。

 庭を含めて公開を期待したい。

 近くに野菜販売の無人小屋があり、ダイコンやキャベツ、ジャガイモなどのほか、タラ
の芽もあり、Iさんは求めた。
    

 そばの民家のムラサキモクレンは、たくさんの花を見せている。



 少し先に、かやぶき屋根にトタンを被せた家もあり、玄関先にフジの古木が花芽をふく
らませていた。


 先ほどのタラの芽を育てたらしい畑を過ぎると、家並みが途絶えて畑が増える。
    
 花咲くクヌギ並木の続く土道を過ぎ、次のY字路を右に入り、以前は田んぼだったらし
い雑草地の間を流れる潅漑用用水路沿いに出た。

 花を残した若木の桜並木が続き、上流側の橋を渡って対岸の交通量の多い道路を越えて、
段丘下に回った。少し東進すれば、段丘上に次の目的地の河原塚中があるはずだが見当た
らない。

 Iさんがスマホで位置を確認したら、どうやら目的地より先の別の流れ沿いに出たらし
い。入るべきY字路を見逃し、少し先まできてしまったようだ。近くに見えた寺院からも
場所を確認し、河原塚中の建物も見えた。

 学校に向かうため、流れを渡り返して東方へ。周辺の堤防にはナノハナが咲き競い、流
れにはカルガモの親子が泳いでいた。
    

 縄文時代早期末~中期(約7,000年~4,500年前)の遺跡という「下ノ宮遺跡」
の標柱の立つ囲まれた整理地の横を過ぎる。
       


 平地林を背にした畑の、シダレザクラや若芽の木々を見ながら進んで調整池の横を通過
し、台地上の河原塚中に東側の校門から入る。
    

 校舎の北側に、下部をコンクリートタイルで補強した円墳のようなのが残されており、
これが最後の目的地、河原塚4号古墳だった。

 古墳時代後期初当の円墳で、直径約20m、高さは約2.5m、周溝内からは土師器
(はじき)、壺(つぼ)や甕(かめ)どが発見されたという。見た目の高さは10m前後
はありそうで、高さの数値は違うように思われる。そばのシダレザクラはほとんど散って
いた。


 下の道路に戻り、ソメイヨシノの咲き残る民家前からY字路を右に入って、JR武蔵野
線に平行する県道51号を南下し、14時27分に東松戸駅に戻る。14時34分発府中
本町行き武蔵野線上り電車で帰路についた。

(天気 快晴、距離 5+3.5㎞、地図(1/2.5万) 松戸、歩行地 松戸市、
 市川市、歩数 16,700)





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春の装いあふれる西武球場前駅から小手指駅へ(埼玉・所沢)

2017-04-15 13:17:53 | ウオーキング
 2017年4月14日(金)

 快晴となったので、咲き残る桜に期待して、所沢市作成のウオーキング地図の西エリア
①「小手指ヶ原(こてさしがはら)古戦場と狭山湖(さやまこ)の逆コースを歩くことに
した。

 西武狭山線の終点、西武球場前駅に下車して、10時42分にスタートする。県道55
号を跨道橋を超えた北側斜面のソメイヨシノは、まだきれいな花を残している。



 すぐ先の斜面に幾つもの堂塔の立つのが狭山不動尊で、国重要文化財の勅額門から入る。

 門は、もと東京・芝の徳川家2代将軍秀忠の御廟、台徳院に寛永9年(1632)に建
立したものとか。傍らには、太田道灌が城塞を構えた城山城趾から移植したという、樹齢
500年のご神木のイチョウが立っていた。

 その上の御成門も同じ台徳院に建立されたもので、やはり国重要文化財。格天井(ごう
てんじょう)の中央に、天女の描かれた円い鏡天井のあるのは珍しいらしい。


 緩やかな参道を上がって行くとあちこちのソメイヨシノが花を残し、萌えだした新緑が
気持ちよい。
     

 さらに上がると総門の先に第一多宝塔がある。弘治元年(1555)に大阪・高槻市の
畠山神社に建立したと伝えられ、桃山時代の特色をよく表していて形も良く、埼玉県文化
財になっている。
     


 総門のすぐ上が本堂で、建物の周囲にはたくさん石灯ろうが並び、前の草地にはニホン
サクラソウが咲く。
    

 総門下を左手(西)に回ると、第二多宝塔が建っている。室町中期の永享7年(1435)
に兵庫県東條町の槣鹿寺に建立されたもので、室町中期の様式をよく残しているという。



 近くの羅漢堂山門際にはシダレザクラが咲き残り、鐘楼の先にはヤマザクラが咲いてい
た。奥の弁天堂の傍らのシダレザクラも見頃である。


     

         

 第二多宝塔の横から立ち並ぶ灯ろうの間を進んで、境内西北側の桜井門から狭山不動尊
を出た。ちなみに桜井門は、奈良県十津川(とつかわ)の桜井寺の山門として建立された
もの。ちなみに桜井寺は、幕末に尊皇攘夷志士の一派、天誅組(てんちゅうぐみ)の本陣
として利用されているようだ。


 桜井門を出て、東京都民の水がめのひとつ狭山湖の東南側岸沿いを北に進む。この先一
帯は県立狭山自然公園で、湖岸のソメイヨシノや広葉樹のやわらかな新緑が気持ちよい。



 湖の堤防上に延びる遊歩道や広い芝生地などには、ミツバツツジやソメイヨシノが花を
見せる。


 堤防の南端、休憩舎のそばから真っ直ぐに伸びる堤防上の遊歩道を進む。





 右手斜面には桜や新緑が広がり、所沢市街中心部の高層マンション群などが望まれる。





 広い湖面を囲む広葉樹林もやわらかな新緑に覆われ、取水塔の向こうには、奥多摩の大
岳山周辺の山並みが霞み見えた。



 堤防の北端近くからは、堤防の下部、東北側斜面に咲き残るソメイヨシノがたくさん見
下ろせる。



 堤防の北端にも休憩舎があり、その先のソメイヨシノや広葉樹の芽吹きがなおも続いて
いた。






 県立狭山自然公園を後にして、交通量の多い車道を横断して東へ、わが家の水道の給水
元である所沢市西部浄水場横を過ぎる。

 すぐ先の「とことこソーラー北野」にはたくさんのソーラーパネルが並び、発電出力は
1,053㎾とか。

 ここは市の産業廃棄物処理場だったところで、満杯になった上に土で覆って活用してい
るもの。


 南側は市の第12号保存樹林になっていて、ブナ科やヒノキ科の樹木が多いよう。その
先には特産狭山茶の茶畑が現れ、周辺にも狭山丘陵の新緑が広がる。



 下り道となり、行く手にこの先行く全徳寺の大屋根や小手指駅周辺の高層マンションな
どが見える。近くの畑の隅にたくさんのフキノトウが並んでいた。

 すぐ先が藤森稲荷神社で社殿は小さいが、傍らに市の保存樹木のフジの古木があり、ガ
ッチリしたフジ棚の上に枝を伸ばしていた。
     


 周辺の民家には花が多く、多彩な彩りが楽しめ、大きなこいのぼりが風を受けて泳ぐ。
     

 細道を北に、突き当たりが上から見えた全徳寺である。開創は永禄年間(1558~
70)で、新しい本堂は平成元年(1989)の再建のよう。

 境内の大きなソメイヨシノは散り、葉桜に衣装を変えていた。


 本堂前の草地には、先祖代々の菩提を供養するK家が、平成14年(2000)に奉納
した十六羅漢が並んでいた。


 県道179号を横断してすぐ先のT字路を東へ、周辺の民家の広い庭先にも花が咲き、
ケヤキやモミジの彩りも気持ちよい。


 南北に走る交通量の多い車道を横断して、戦前は県社だった北野天神社に入る。

 北野天神社は、景行天皇の時代に日本武尊が東征の折、この地に2神を祭り、以来武蔵
国の縁起式内社入間郡5座のひとつに数えられていたという由緒ある神社。

 その後長徳元年(995)に菅原道真の子孫が武蔵守となり、京都の北野天満宮を祭っ
て以来、北野天神と称せられるようになったとか。武家の信仰も厚く、源義家や頼朝、足
利尊氏、前田利家などによりしばしば社殿が造営され、現在の本殿は安永年間(1770
~)のものという。

 拝殿前のソメイヨシノがまだかなりの花を残し、南側の参道際には日本武尊お手植えの
「尊桜(みことざくら)」の4度目のひこばえという、ヤマザクラらしい木が斜めに枝を
伸ばして咲いていた。


     
 入ってきた西側参道北側の民家には、大きなシダレザクラが咲く。参道の先をさらに西
に少し戻って北へ、咲き出したブルーベリー畑や点在する民家や畑の間を進む。



 北野総合運動場の近くを北西に進むと、北野中の西側にこんもりした森が見え、「小手
指ヶ原古戦場」碑が立っていた。
       
 この辺りは、鎌倉末期から南北朝時代にかけてしばしば合戦が展開されたところ。特に
歴史的合戦は、元弘3年(1333)に上野国(こうずけのくに)新田庄(にったしよう)
(群馬県太田市)の新田義貞の鎌倉攻めで、迎え撃つ鎌倉幕府軍と小手指ヶ原で30余回
も打ち合い、のち幕府軍は分倍河原(東京都府中市)から鎌倉に退き滅亡するに至った。

 背後のこんもりした小高い塚は白旗塚で、源氏の末裔(まつえい)である新田義貞が陣
を張り、源氏の象徴の白旗を立てたと伝承されるという。
   
 塚の山頂には、2つの祠(ほこら)と「白旗塚浅間神社」碑が並んでいる。

 すぐ北側には所沢市立埋蔵文化財調査センターがあり、市内で出土された文化財が時代
別に整理公開され、平日のみ観覧できる。


 また、国指定天然記念物のミヤコタナゴなどが水槽で飼育され、公開されていた。
    


 北側の民家に大きなキクモモが花盛り。そばの畑の小麦はもう穂が出ていた。
       

 近くの誓詞橋(せいしばし)交差点で国道463号を渡り、北側の歩道を少し東進して
茶畑の横から畑道を北へ。茶畑の向こうにゴールの小手指駅周辺のマンション群が望まれ
る。



 畑の中に大きなソメイヨシノが花を残し、北側の平地林は淡い新緑の彩りを見せている。
ソメイヨシノの北側を東進して所沢西高のグランド前を通過する。



 西武池袋線の小手指車両基地が近づき、水の無い大きな調整池の横から線路際を東進す
る。わずかに残る桑畑の向こうの平地林も、淡い新緑に覆われていた。


 ゴールの西武池袋線小手指駅南口には、14時20分に着いた。


 あちこちに咲き競う花を見たり撮ったりしたので予想外に時間がかかったが、好天で暖
かく春の彩りを満喫した。

(天気 快晴 距離 8㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 所沢市、歩数
 15,600) 




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所沢航空記念公園の日本庭園も春の装いに(埼玉)

2017-04-13 16:36:03 | 所沢だより
 2017年4月13日(水)

 3月に申請していたマイナンバーカードが出来たとの通知があり、受け取り時刻の予約
をして市役所に行き、受領後に南側の所沢航空記念公園に回り、久しぶりに日本庭園に入
ってみました。

 西側の門を入った両側にある何本かのミツバツツジや、左手のシャクナゲが花を見せて
いました。






 南側のケヤキやモミジ、ヤマザクラなどの林も春の彩りです。






     



 南側からの東屋(あずまや)や茶室「彩翔亭(さいしょうてい)」とその周辺。


 南側樹林下のミツマタも見頃です。


    



 斜面上部に咲く白い花。




    

     
          色濃いヤマザクラのよう。
         


 ミツバツツジはあちこちで咲いています。




 西側からの池


     

 北側に回り池の南側斜面を眺めます。




      



 池の東南からの彩翔亭。


 東側にある竹林の下では、シャガが開花していました。
  

 東側出入口から日本庭園を出て、公園の中央部にある放送塔の南東側の花の丘に回ると、
ナノハナ畑の向こうにシダレザクラやソメイヨシノが花を残していました。












 公園の中央部南側から公園を出て国道463号の遊歩道を西進し、西新井交差点からイ
オンや所沢駅などの方向に向かいました。




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所沢市内にまだ咲き残るシダレザクラ(埼玉)

2017-04-12 18:30:08 | 所沢だより
 2017年4月12日(水)

 昨日は1日中雨、気温も10℃に達しない真冬並みの寒さなので、ウオーキングにも出
ずに家に閉じこもったままでした。

 今日は晴天が戻り、少し風が強いながらも気温も上がったので、名残の桜を探しながら
の市内ウオーキングに出かけることにします。

 西武新宿線の新所沢駅と航空公園駅との間、線路の東側に回り、防衛医科大学校の北側
にある国立障害者リハビリテーション病院と国立職業リハビリテーションセンター(略称
リハセン)のある広い敷地の東側、正門周辺のソメイヨシノは、まだかなり花が…。











 ここが正門





 正門の右手(東側)のケヤキは、芽吹きが始まっていました。




 

 正門の南側辺りは、もと東京電力の営業所のあった建物ですが、その先北東側の広いエ
リアは防衛医科大学校で、グランド周辺のソメイヨシノも花が残っていました。








 防衛医大のグランドと南側の眺め。右手のアンテナ塔は東京交通管制部のもの。東京上
空の空路の交通整理に使われています。


 グランドの東側には校舎があり、校舎に沿った桜も花が残っていました。




 防衛医大とリハセンの東側を南北に走る道路に出て北へ、その道路の東側一帯の広いエ
リアは米軍通信基地になっていて、10本以上のアンテナが立っています(写真は省略)。

 北に少しで、リハセン構内の桜並木が望まれます。ここもまだかなりの花ですが、手前
の道路際にあるゲートは閉じていて入ることはできません。


 さらに北進する道路際にも、若木で白花の桜が何本か続いていました。
  

        

    



 次のT字路を越えて美原中の横を通過した北側一帯は所沢市立体育館。東側入口付近か
ら続くのはヤマザクラだろうか…


     

 歩道にはケヤキ並木の高木が続き、この辺りの木にも芽吹きが。


       

 所沢北高の北側を回って県道6号・川越所沢線に出て西へ、スーパーヤオコーやコープ
前を過ぎたうなぎ屋さんのシダレザクラ。


       

 北所沢町交差点で県道に分かれて左折し、「松葉道」と呼ぶ市道を新所沢駅東入口交差
点に向かいます。その松葉道の完成記念碑のそば、民家の若木のソメイヨシノは満開。




   少し先の民家には、ほかではかなり前に散ってしまったムラサキモクレンが。
     

    

 西武新宿線新所沢駅を自由通路で越えて西口へ。緑町中央公園東側のUR都市機構新所
沢団地にある若木のソメイヨシノも見頃です。


 道路の反対側、緑町中央公園で最も古木と思われるソメイヨシノの花は、かなり散って
いました。

 
 今年の市内のソメイヨシノも、今日明日辺りで見納めとなりそうです。   




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所沢 散り始めた東川沿いのソメイヨシノ(埼玉)

2017-04-10 21:10:30 | 所沢だより
 2017年4月10日(月)

 この春の所沢市内花巡りの4回目は、市内中央部を西から東に流れる東川(あずまがわ)
沿いに出かけました。

 東川沿いのソメイヨシノの並木は、西武新宿線の所沢駅~航空公園館駅間で川を越える
鉄道橋の少し下流から始まります。
     

    

 川の堤防にはナノハナも増えており、この辺りにはショカッサイもたくさん咲いていま
した。


      下流に向かって左岸(北側)沿いの道路を進みます。
     

 すぐ近く、川の北側にある熊野神社に寄って参拝しました。


     鳥居の上には、悪疫払いの龍のわら人形が巻き付けられています。
    



 さらに下流に向かって進みました。


       

     



 レンギョウも満開に。


     

          

 シダレザクラは、わずかしかありません。


       



 花のピークは過ぎて、流れには花筏(はないかだ)がいっぱい。










      この辺りからは、右に左にカーブが続きます。
     





        岸辺にひとつだけあった石仏。
       







 川沿いの家のハナモモ。


     

         



 桜並木の開始点から1.2㎞余り進んだ加実橋まで来たので、まだこの先にも桜並木は
続きますが右岸を引き返すことにしました。




    左岸の少し向こうにある倉方(くらかた)人形店には、こいのぼりが…
     

 今日は市内の小学校の入学式のようで、桜をバックに記念撮影の家族が見られました。





 往路を戻り、所沢駅方面を回って帰途につきました。




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