あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

所沢市西郊の大きなハクモクレンが見頃に(埼玉)

2017-03-22 18:48:41 | 所沢だより
 2017年3月22日(水)

 一昨日の市内ウオーキングで、あちこちのハクモクレンが見頃になっていたので、あそ
こも見頃ではないかと思い、今日の市内ウオーキングは西方に向かいました。

 途中、小手指町(こてさしちょう)3丁目辺りの民家のハクモクレンも満開です。


        こちらはコブシのよう。
       

 小手指ヶ原交差点で国道463号バイパスに入って西へ、誓詞橋(せいしばし)交差点
近くまで行くと、北側の畑の向こうに見えてきたのが目的の大きなハクモクレンです。


 誓詞橋交差点を右折して北へ、所沢西郵便局に向かって少し進むと、右手の畑の先に大
きなハクモクレンが近づいてきました。
 

 農道を少し入らせてもらい、近くまで寄って眺めました。ほぼ満開のようです。


 こんなにたくさんの花、全部ではいったいどのくらいの数なんでしょうか…。




 もう一度全体を眺めましょう。畑の中にただ1本だけ立っているので、のびのびと枝を
広げているのが何より。





 個人の方の畑のためか、所沢市の天然記念物でもないので、推定樹齢も枝張りや幹回り
などの数値も全く分からないのが残念ですが、ほかでも見たことのない大きなハクモクレ
ンです。

 畑の北側には、大きなログハウスが見えます。あの家からもよく見えることでしょう。


 農道の足もとには、小さなナズナがいっぱい。


 そろそろ引きあげることにして、車道際に戻ってもう一度眺めました。手前の緑の花は
麦、左手奥の建物は国立病院機構・西埼玉中央病院です。


 蛇足ながら、所沢西郵便局の横から北に進んだ住宅地に咲くミツバツツジ。
   

       
 この横を抜けて西武池袋線の踏切りを渡り、小手指車両基地の横を折り返して小手指駅
方面に向かいました。




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続カタツムリ歩行後 「元禄まつど村」と「21世紀の森と広場」へ(千葉・松戸)

2017-03-21 17:17:49 | ウオーキング
 2017年3月19日(日)午後

 「続カタツムリ歩行」で松戸市千駄堀の香取神社にゴールして、散会後の帰路の最初は、
ミーティングで事務局のDさんなどがゴール前に訪ねたという、すぐ近くの「元禄まつど
村」にIさんと行く。

 ほかの参加者のほとんどの皆さんも、Dさんに誘われすぐ後に来た。

 元禄まつど村は、この地の中舘重機の社長、中舘金一郎さんの私設資料館で、日曜・祝
日のみ開館され、平屋2棟の建物に「開運鳥」「かぼちゃ」「古民具」の三つの展示コー
ナーがある。

 入口に近い「開運鳥コーナー」は、村長の中舘さんが、知人から奇妙な形をしたキバナ
ツノゴマの種をもらい、何か作れないか思案の末、皆さんに多くの幸運を運んでもらいた
いと作った「開運鳥」を展示している。



 その横は「民芸カボチャコーナー」で、ご自身の畑で作ったカボチャに、ユーモアたっ
ぷりの顔を描いたもの。小渕、森、小泉、安部など歴代の総理にも贈呈されて、すっかり
有名になったよう。




 中庭を挟んだ反対側の建物全体が「古民具展示コーナー」で、江戸時代から昭和30年
代(1955~)にかけての約3,000点の古民具や農具、生活用具、置物などが所狭し
と並んでいる。

 外には、平成20年(2008)以前の旧称「千駄堀民芸資料館の」看板が残る。





     

        
 貴重な文化遺産もあれば、何10年か前に故郷にあった品、最近のものでは初期の携帯
電話やカメラなど、興味深い品々の数々はどこを眺めても見飽きない。




    




 民芸カボチャを歴代総理に送った際の記念写真も何枚かあり、中舘さんがデザインした
らしい地酒のびんも並んでいる。20分ほど、皆さんとゆっくり観覧した。
       

 皆さんは南側の八柱駅や新八柱駅方面に向かったが、私は折り返して、ゴール前に寄れ
なかった円能寺に向かう。近くの民家の庭先に、大きなサンシュユが咲き残る。
     

 香取神社の東側の変則四差路際に、天保12年(1841)造立の青面金剛碑が立って
いた。
        

     
 堀割を走るJR武蔵野線の上をこ線橋で越えると、すぐ東側が円能寺である。



 室町時代の文安4年(1447)の開山で、松戸七福神の福禄寿が本堂左手に祭られて
いる。


 その手前のお堂は、江戸期享保年間(1716~36)造立の虚空蔵(こくぞう)菩薩
を祭る虚空蔵堂だろうか、表示は何も無い。



 境内は樹木が豊富で、ボケや桃、アセビなどが花を見せていた。
   

 寺の北側を下り「21世紀の森と広場」の西側を南口に向かうと、JR武蔵野線の線路近
くに台地を背にした広い敷地の安蒜(あんびる)家があり、りっぱな長屋門が残っている。

 天保11年(1840)の建築で、下総地方西部の長屋門では最古のものの一つ。松戸
市内に現存する長屋門の中でも規模が大きく、建築年代や施工大工が明確で、江戸末期の
建築技術を伝える貴重なもの。松戸市有形文化財である。



 再び広大な自然公園「21世紀の森と広場」に、先ほど出た南口から入る。


     
 近くの草地でサンシュユが花をいっぱい見せ、西側の梅林の梅もまだ花が咲き残る。


 
 「里の茶屋」と呼ぶ建物の東側に回るとナノハナ畑が北に延び、彼岸の陽光を受けて満
開の花が明るい彩りを見せていた。



 千駄堀池南岸の演奏会場では「和太鼓の公演」が続いており、今日は10組の太鼓連が
演奏を披露するようだ。



 その横から東に回り、「広場の橋」の下を東に抜ける。東側に広がる「光と風の広場」
でも、多くの家族連れなどが憩いのひとときを過ごしていた。



 橋の東側沿いに進んで中央口を出た。その先にある大きな円形の「森のホール21」の北
側を回り、新京成の線路沿いに北西に進む。



 スタートした新京成電鉄の常盤平駅に14時28分に戻り、5分後の電車で松戸駅に向
かった。

(往路からの通算距離 8㎞、歩数 17,200)




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続カタツムリ歩行で新京成線 常盤平駅周辺を歩く(千葉・松戸)

2017-03-20 20:45:44 | ウオーキング
 2017年3月19日(日)

 彼岸入りして2日目の今日は、「続カタツムリ歩行」の例会に参加した。集合は新京成
電鉄の常盤平(ときわだいら)駅。駅前のコンビニで弁当を求め、10時ちょうどに東口
を出た。

 駅周辺の常盤平一丁目を東北に抜けて、最初は参道がクスノキの大木に覆われた金ヶ作
(かねがさく)熊野神社へ。

 金ヶ作は、もと武州川越藩の郷士石川家5代目彦次右ヱ衛門が、当地の新田開発の元締
めとして天明2年(1782)に入植したが、翌年の浅間山噴火による降灰で田畑が大被
害を受けたため、氏神様として紀州熊野本宮の御魂を拝受してここに熊野神社を創立した
とのこと。現在の社殿は平成9年(1997)の再建のよう。


 その左手背後には、以前の本殿らしいのが残っていた。


     
 境内には熊野本宮のご神木であるナギの木が移植されていて、参拝者はナギの葉をそっ
と懐に入れて帰るのが常だったという。ここで、今年初めてのウグイスのさえずりを聞く。


 少し東へ回ると、屋敷林を背後にした古くからの農村風景が残り、畑にはスイセンが咲
き、屋敷のコブシがかなり開花している。
        




 すぐ先が、南側に広い樹林を残す祖光院で、樹林を背にして松戸史跡七福神の恵比寿天
と大黑天が祭られていた。
       

 祖光院は曹洞宗の寺で、熊野神社と同様、川越から入植した石川家により文政8年
(1825)に創建されたとのこと。



 樹林横のヒカンザクラが見頃で、庫裡(くり)の前の紅白のボケも開花し始めていた。
    

 東に延びる参道には、弘化4年(1847)造立の青面金剛塔が2基並んでいた。


 寺の東側を南北に走る県道57号の東側一帯は「金ヶ作自然公園」で、豊富な樹林が残
されている。
     

 だがここには、あの東日本大震災による東京電力福島原発の爆発による放射能で除染さ
れた土が何か所も埋設されているようで、埋設後に測定した放射線量測定値を示す一覧表
が掲示されていた。


 公園の東北端の交差点を西進すると、北側の広い畑の向こうに豊富な平地林が残ってい
る。畑の一隅では、大きなハクモクレンが開花し始めていた。



 その樹林の中心部に、大きな住宅が見えたので門前まで行ってみた。先着していたKさ
んによると、ここがこの地一帯を開拓した石川家とのこと。どうりで広い敷地のりっぱな
屋敷だったのだ。



 屋敷の外の白梅がまだ満開の花を残し、そばの花壇にはパンジーが咲き競う。


 門前から延びる道路際には、畑の堆肥に使うらしい落葉が集積されていた。


 西進する道路の南側にもヒノキやケヤキなどの豊富な樹林が残っている。「囲いやまの
森」と呼ばれ、松戸市の保護地区に指定されていて、南北200m、東西100mの約2
㏊あり、ウグイスやコジュケイ、コゲラ、シジュウカラなど野鳥も豊富なよう。

 この森では里山ボランティアが、こどもたちの自然観察や森体験などの活動をしている
という。説明板を見ていたら、ウグイスのさえずりが始まる。そういえば、最初に訪ねた
熊野神社の北側なのだ。


 すぐ先には自家野菜の販売所があり、新鮮なダイコンやカラシナ、ミカン類などを販売
していた。


          
 交通量の多い県道51号を横断し、その先の点在する住宅と畑の間の細道を南西に進む。
大きなハクモクレンがかなり開花し、そばの牧場では3頭のポニーが遊んでいた。


 T字路に出て広い通りを北西へ。西側一帯は新しい大きな建物の千葉西総合病院である。



 相対する天真寺の本堂は近代的な造り。法事中なのと樹木など少ないのですぐに去る。
境内の早咲きの若桜が見頃になっていた。


 隣接した奥の方に、集合住宅だろうか「パークヴィラ陽春館」と呼ぶ大きな建物が見え、
その入口付近に何本かのミモザがいっぱいの花を競っていた。


 すぐ先で高木小の東側を北に抜けると、スギやカシに囲まれた参道の上に八坂神社が祭
られている。


 狭い境内の左手には、八幡、稲荷、山、天、大杉、愛宕、疱瘡(ほうそう)の各神社が、
2枚の石碑に文字で刻まれ祭られていた。


 次の交差点の手前には、自由宗教 一神会の大きな社殿が見えたが、信徒以外は入場禁止
になっていたので、入口から眺めるに留める。

 そばの消防訓練センター西側の細道を南進して、広い敷地の「21世紀の森と広場」に北
口から入る。

 1993年に開園した「自然尊重型都市公園」で、千駄堀(せんだぼり)地区に残る貴
重な自然を生かした50㏊以上の敷地は、自然、文化、レクリェーションの三つのテーマ
で整備されているという。

     
 樹林の間を南東に進み、バーベキューなどで賑わう「こもれ陽の森」の横をV字状に折
り返す。


 広葉樹林を緩やかに下り、公園の中心部を南北に走る広い道路の「森の橋」の下
を西側に抜けた。
     


 湿地帯の先に大きな千駄堀池が広がり、周囲を豊富な樹林に囲まれている。







 池の南側の野外演奏会場では、10時から15時まで「和太鼓の公演」が開催されてい
て、たくさんの観客が暖かい日差しを浴びて演奏を楽しんでいた。


 正午が近いので演奏は聞くのは少しだけにして、さらに南に回り南口から公園を出た。

 JR武蔵野線の東側、千駄堀集落の台地下の住宅地沿いを少し折り返し、林間を台地に
向かって上がる。円能寺の前を通過して、ゴールの香取神社には12時20分に入った。


 境内左手には、千駄堀天満宮の小さな社殿も祭られている。



 昼食後に記念撮影とミーティングをして、13時前に散会となる。

(天気 晴 距離 5㎞、地図(1/2.5万) 松戸、歩行地 松戸市、歩数 11,000)

 このあと、帰路の行程は次回アップします。





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武田氏ゆかりの寺へ彼岸の墓参に(埼玉・小川町)

2017-03-19 21:58:36 | Weblog
 2017年3月18日(土)

 毎年春と秋の彼岸には、父母の眠る埼玉県小川町の輪禅寺(りんぜんじ)に墓参に行っ
ているのですが、昨年秋の彼岸は思いがけず腹痛で取りやめたので、今日は1年ぶりです。

 墓に行く前に、菩提を守ってくれている弟の自宅に向かう途中、八和田(やわた)小学
校前の高台から外秩父の名峰、堂平山(どうだいらさん・876m)と笠山(かさやま・
837m)を眺めました。左が堂平山、右が笠山です。

 私は、ここ八和田小学校(最初は国民学校)と中学校(現在はない)に9年間通ったの
で、当時はいつも見ていた風景です。

 ちなみに、私が初めて山に登ったのが笠山で、昭和26年(1951)5月5日のこど
もの日でした。友人2人と歩いて4㎞の小川町の中心街を抜けて、さらに槻川沿いの道路
を15㎞前後行ったはずでなので、往復では30㎞を越える行程だったかと思われます。

 小学校近くの道路にあった小川町のマンホールは、町の花・フクジュソウのデザイン。
  

小川町上横田(かみよこた)にある輪禅寺は、曹洞宗の禅寺です。山門の格好良い松。
     

 山門前には幾つかの古い石仏が並んでいますが、そのひとつ。左側がかけてしまったよ
うですが文字が刻まれています。
        

              こちらは寛政6年(1794)造立のもの。
             

 山門を入って左手の、ハクモクレンが花を見せ始めていました。


 その横には、まだ咲き残る白梅が。


 右手には、最近作られた千体観音堂があります。


    奥に整然と並ぶ千体の観音像は焼物作りで、高さ20㎝くらいでしょうか。
     

 参道を挟んで相対する辺りには、古いお地蔵さんが2体並んでいます。


 正面の本堂、左手前のソメイヨシノのつぼみはまだ固いままでした。

 輪禅寺は、武田信玄の甥(おい)武田信俊が父・信実(信玄の異母弟)の冥福を祈るた
めに造営したと伝えられているようです。

 武田家は、天正10年(1582)天目山の戦いで織田信長軍に敗れて滅亡したのです
が、信俊は織田郡の乱入寸前、夫人と母を伴い甲府を脱出して信州に身をひそめたとか。

 その後、徳川家康が甲州入りして武田の旧臣の採用を呼びかけ、信俊も登用されて天正
19年(1591)に2000石の城主として武州金窪(児玉郡上里町)に赴任し、着任
後、亡父の菩提寺としてここ輪禅寺を創建したようです。

 輪禅寺は、信実の法名「輪禅寺殿玉輪一機大居士」にちなむ寺号なのです。

 本堂の左手が墓地になっていますが、その中心部の一帯が武田家の墓域になっていて、
初代信実、2代信俊をはじめ10代信禄までの墓が並んでいます。




 信俊の孫である4代信貞は振農殖産に力を注ぎ、上横田地区においても大沼や濁沼(に
ごりぬま)など大小9か所のため池や用水路を築造して、36余町歩の水田をに用水を送
り、干害の憂いをなくした名君で、りっぱな農地の基礎ができあがったとのこと。

 上横田には多くの沼があることは知っていましたが、武田の殿様が作られたとのことは、
今日本堂でいただいた「八和田公民館だより」の「史跡探訪 武田氏と輪禅寺」記事コピ
ーで知りました。上に記した武田家と輪禅寺のことも、同じ記事の内容を引用させてもら
いました。

今日は少し風がありましたが暖かな日となり、よい墓参日和でした。




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狭山丘陵西端の六道山公園や山ろくの社寺などを巡る(東京)

2017-03-14 16:38:19 | カントリーウオーク
 2017年3月12日(日)

 前日の冷たい風も治まり穏やかな晴天に恵まれた今日は、カントリーウオークグループ
の例会に参加した。

 集合はJR八高線(はちこうせん)の箱根ヶ崎駅。この駅での例会はちょうど20年ぶ
りだが、駅舎は橋上に改築され、駅前広場も広くなっていた。4組に分かれて10時05
分に東口をスタートする。


 駅前広場のマンホールデザイン

 
 == 瑞穂町郷土資料館などを経て六道山公園へ ==

 駅前で都道166号を横断し、古くからの住宅地を北北東に進んんで突き当たりの円福
寺へ。

 天正元年(1573)の創建で、江戸時代には寺領11石の朱印状を拝領したという。
小さい惣門の先にどっしり構えた山門があり、正面の本堂も大きい。

 寺には、室町時代制作で都指定有形民俗文化財の「紙本着色観心十界図」が所蔵されて
いて、国内では13点のみのものという。瑞穂町には東京だるまを製作している店が5軒
あり、境内で1月にはだるま市が開かれるとか。

 観音堂横の白梅とサンシュユ、カワズザクラが見頃の花を競っていた。


 西側の都道166号を少しで左に入り、残堀川源流の狭山池(さやまいけ)公園に回る。

 「多摩川50景」に選ばれている親水公園で三つの池があり、カメラマンが二つの池で
カワセミを狙っていた。


 二つの池の間に弁天堂が祭られ、近くには慶応元年(1865)にそばの石橋のたもと
に建てられたという、常夜灯が残されていた。
     

 東に回り、鎮守の森になっている小さな独立峰の頂上にある狭山神社の急石段を上がる。
旧箱根ヶ崎村で一番古い村社とのこと。


 神社の森の西側斜面下部は「さやま花多来里(かたくり)の郷」。都内最大のカタクリ
群生地で、今月下旬には20万株というカタクリの花が見られるようだが、いまはまだ葉
だけなのが残念だ。
    

 東側の神社下交差点で日光街道に入って北へ、次の交差点のすぐ先にある瑞穂町郷土資
料館「けやき館」に行く。
     
 広場には樹齢300年という大ケヤキが立ち、ヤドリギが幾つか見える。ケヤキの下に
は、江戸末期に村人が捕らえた伝説があるというニホンオオカミの像がある。
        


 館内に入り、瑞穂町の自然と生きもの、狭山丘陵の雑木林のジオラマ、瑞穂町の歴史や
文化、民家などに関する展示を一覧した。
     

 北側広場の隅には、隣の耕心館の旧所有者だった細淵家が昭和20年代(1945~)
に数年間営んだ煉瓦(れんが)製造に使用したという、高さ18.2mの煉瓦造りの煙突
が保存されていた。
     

 そばの趣ある枝折り戸(しおりど)をくぐり、その耕心館の庭園に入る。園路の回りに
100種を超える山野草が植えられていて、ユキワリソウやコンロンソウなど幾つかの花
が開花し始めていた。
    


 2階建ての大きな主屋(おもや)は、茶会などに利用できる和室や喫茶室、コンサート
や展示会に利用できる大広間などがあるよう。


 土蔵の1階には、きらびやかで数え切れないほどのひな飾りや吊しびな、豪華な衣装な
どが展示されていた。


          

 日光街道を少し戻り、神社下交差点の手前で狭山丘陵の山腹沿いの遊歩道に回って東北
へ。西側の茶畑にある数本の白梅が見頃。


 すぐ先の山ろくに、太平洋戦争中に陸軍が作ったというコンクリート製の頑丈な防空壕
が残っていた。

 狭山飛行場の軍需物資を米軍の空爆から守るためで、住民のためのものではないらしい。

 右側に続く広葉樹林や、左に見頃のカワズザクラなどを見ながら田保谷と呼ぶところま
で進む。


 設置されていた案内図を見て、ここからは狭山丘陵の三角点広場に向かって上がること
にする。
     


 少し上がると展望広場、ベンチがあったので小休止した。北西から西方に秩父の武甲山
や奥多摩の川苔山、大岳山などの展望が得られるが、今日は霞んではっきりしない。


 急坂をひとしきりで傾斜が緩み、標高194.0m1等三角点のある三角点広場に上が
った。1等三角点「高根」と呼び、明治29年(1896)に設置されたよう。狭山丘陵
の最高地点でもある。
    
 当時は360度の好展望点だったのだろうが、現在は広葉樹に囲まれて展望は全く得ら
れない。


 紅葉樹林の中を東に延びる遊歩道は幅広くなり、傾斜も緩む。堀割下を走る車道を狭山
懸橋(さやまかけはし)で越え、1㎞足らずで昼食地の六道山(ろくどうやま)公園に
12時12分に着いた。

 広い芝生地の周辺はサクラが多く、古くから桜の名所として親しまれているとか。標高
は192mあり、高さ13mの展望台からは富士山や秩父連山、新宿の高層ビル群など一
望できるようだが、工事中で上がることは出来ない。少し下の芝生地で昼食とする。


 == 岸田んぼに下り、山ろくの社寺を巡る ==

 いつものようにミーティングと記念撮影をして、13時15分に全員一緒に出発した。


     
 稜線上の林間を600m前後進み、標識に従い南に下ると「岸田んぼ(きしたんぼ)」
と呼ぶ谷地田が広がる谷間に出た。


 岸田んぼは、丘陵の谷から流れるわき水を利用した田んぼを復活させ、江戸中期の民家
を復元した「里山民家」を拠点に、里山体験や環境・文化学習が行われており、田んぼで
は古代米も栽培されているという。

 田んぼやビオトープ池の周辺を回って里山民家の一角に戻り、母屋(おもや)や蔵、作
業小屋、納屋、井戸小屋などをゆっくりと見学する。



 かやぶき屋根の大きな母屋は江戸中期の名主格の農村住居で、狭山丘陵南麓の民家を新
築復元したもの。
     

     
 蔵は、江戸後期の平入り2階建て漆喰塗(しっくいぬり)土蔵で、狭山丘陵地域の蔵を
新築復元したものとか。1階には、古い唐箕(とうみ)などが保管されていた。



 母屋の土間では狭山茶の手もみ作業の実習中、作業小屋では、数回の学習の最終日に仕
上げたという、わら製の宝船造りが終わったところだった。

 南に下った岸四丁目には、須賀神社があった。寛永10年(1633)に別の場所に創
立し、現在の社殿は昭和32年(1957)の再建という。


 南側の三差路際には、古いかやぶき民家を修復したらしい、この地にふさわしい感じの
民家の建物が目に付く。


 三差路を西に少し進んだ辺りにも、養蚕農家の名残が感じられる古民家が残っていた。


 西側の殿ヶ谷(とのがや)集落に入り、狭山丘陵を背にした阿豆佐味(あずさみ)神社
へ。創建年代は不明だが寛平年間(889~98)に再建したと伝えられ、延喜式神名帳
(えんぎしきじんみょうちょう)に記載される多摩郡8座のうちの1社とのこと。江戸時
代には12石の朱印状を拝領しているという。


 近くの三差路際に、村山土佐守(むらやまとさのかみ)の新しい立像が立っていた。
     
 村山土佐守は、武蔵七党のうちのこの辺りの村山郷(ごう)に住んんだ人物。中世豪族
としての村山氏最後の人で、ここ殿ヶ谷に居館があったと伝えられているという。

 最後に訪れたのは、狭山丘陵山ろくの斜面に立つ福正寺。文保2年(1318)に開山
した鎌倉建長寺派の古寺で、狭山観音霊場第25番札所である。

 まずは惣門に続く大きな山門に目を奪われる。

 山門の左手、円通殿と呼ぶ観音堂は村山土佐守が再興したもので、橦木造(しゅもくづ
くり)という珍しい構造。現在のものは天保12年(1841)頃の再建という。



 山門の正面の法堂は修復中で、その前に樹齢700年という多羅葉樹(たらようじゆ)
が立っていた。町の天然記念物で、紙のない時代にはこの葉に字を書いて、現在のはがき
のように使われていたとか。
     

 西側の墓地際には、近年の建築らしい奈良・興福寺五重塔の7分の1という五重塔があ
る。
     

 さらに山すその旧道を西進して、瑞穂町役場の南側を過ぎる。都道5号の横断点には、
瑞穂町歌を記した箱根ヶ崎時計台があった。
     

 ゴールのJR八高線の箱根ヶ崎駅には、15時35分に戻る。急ぎ改札口に上がり、4
分後の川越行き下り電車に間に合った。

(参加 15人、天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 青梅、所沢、歩行地
 瑞穂町、武蔵村山市、累積標高差 上り・下り各約210m)




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JR東日本駅からハイキングで下野薬師寺周辺を巡る(栃木)

2017-03-06 18:28:53 | ウオーキング
 2017年3月5日(日)

 啓蟄(けいちつ)の今日は、最高気温は3月下旬並みになるとの予報。久しぶりに、J
R東日本の「駅からハイキング」で3日間開催の終日、「梅花はなやかな下野薬師寺と道
の駅しもつけ」に出かけた。


 自宅を出てちょうど2時間ほど、9時13分にJR宇都宮線の自治医大駅に下車する。
東口のテントで受付を済ませ、9時25分にスタートした。


 東に真っ直ぐに伸びる駅前通りを進み、二つ目の信号を左折する。突き当たりが自治医
科大学の正門。


 下野市(しもつけし)のマンホールデザインは、極めてシンプルなもの。
  

 そこを右折しすぐに左折、自治医科大の敷地の東側沿いをしばらくは北に進む。構内の
マンサクが見頃になっていた。


 南側にはクヌギなどの落葉広葉樹林が2か所ほど残り、そこも自治医大の所有地のよう。



 自治医大の敷地横を北端まで進み、左からの車道に合して東に向かう。梅林や麦畑の横
などを過ぎ、三昧場(さんまいじょう)と呼ぶアシの茂る池があった。



 下野(しもつけ)薬師寺の僧侶が身を清めて修行したところという伝説があるとか。江
戸時代の絵図にも記され、当時は湧水もありきれいな湿地だったと考えられるという。

 その先を右折して南へ、近くの畑ではもみ殻を焼いている。



 今日のコースの主要ポイント地、下野薬師寺跡はすぐ先にあった。まず目に付くのは数
10本の梅。紅梅白梅がちょうど見頃である。


 下野薬師寺は、7世紀後半の天武天皇の頃に創設されたと考えられている国指定史跡。
8世紀中頃には、僧の資格を得るための場である戒壇(かいだん)が設けられ、奈良の東
大寺、九州の筑紫観世音寺とともに日本三戒壇院のひとつに数えられ、東国随一の寺とし
て隆盛を極めたと伝えられているとか。


 史跡の北側には、発掘調査の成果により平成12年(2000)に複製された、回廊の
北西隅部の建物があった。8世紀前半に建造されたと考えられる瓦葺きの建物の一部であ
る。

 南西側は安国寺(あんこくじ)の六角堂。かつての下野薬師寺の戒壇跡と伝えられる場
所で、江戸時代は釈迦堂と呼ばれ、文化2年(1805)に刊行された「木曽路名所図鑑」
により確認できるという。
     


 今日は年に一度の「下野薬師寺史跡まつり」の日。

 ふるさと歴史の広場では、弓矢体験、梅ジュースの無料配布、ミニ新幹線の運転、かん
ぴょうを使ったふくべ細工絵付け体験、お囃子(はやし)の演奏などが行われていて、多
くの下野市民が訪れ賑わっている。




    




 史跡地の南西隅にある安国寺では、住職の講話の後、本堂内で雅楽の演奏が始まった。


 安国寺は暦応2年(1339)、足利尊氏が古代の国分寺にならい全国に安国寺を建立
した際、下野国には薬師寺が存在するので安国寺を建てることなく、そのまま安国寺と寺
名を改称したと伝えられているとか。

 現在の本堂は明治38年(1905)の再建、近世以前の建物は六角堂と山門の一部の
みという。


 少し戻り、国史跡範囲の南西側にある下野薬師寺歴史館(入館無料)に入る。

 下野薬師寺のガイダンス施設で、館内には発掘調査で見つかった瓦などの出土物、寺に
関する文献資料、復元模型などが展示されていた。


 安国寺前を東進するとすぐ、突き当たりは薬師寺八幡宮である。貞観17年(875)
の創建と伝えられ、現在の社殿は寛文2年(16762)に領主・佐竹右京太夫により再
建されたもの。栃木県指定有形文化財である。

 平成14年(2002)に大改修を終えたようで、再建当時の色彩を甦らせている。

     
 境内には学問の神・五條天満宮、勝負の神様・千勝神社、八幡の金精様なども祭られて
いる。

          
 本殿前の下野市名木30選のイチョウや、参道の市指定天然記念物で樹高約20m、目
通り周囲4.8m、推定樹齢600年というケヤキなどが目に付いた。
             

 社務所前には、葉書の木があり、この木の葉に字を書いて前のポストに投函すると、後
日祈願してもらえるという。
     

 八幡宮の参道を出た南側は、天狗山雷電神社。京都の賀茂別雷神社から祭神を勧請した
もので、五穀豊穣や殖産の守り神として厚く崇敬されているようだ。


 近くのケヤキだろうか、かなりの高木にたくさんのヤドリギが付いていた。
   


 南側の県道310号に出て、広々とした田園地帯を東へ、新国道4号の高架下を抜けて、
「道の駅しもつけ」に11時28分に入る。

 駐車場は広くて車も多く、道の駅としてはかなり大規模のよう。


 建物の前で恵比寿、大黒の福の神がにこやかに迎えてくれる。

    
 建物に入ると地元の野菜を初め、農産物加工品、地酒や菓子など品数豊富で、たくさん
の人で賑わう。




 建物を出て南側の長いベンチに腰を下ろし、暖かい日差しをいっぱいに受け、広々とし
た田んぼなどを眺めながら昼食にした。


 正面入口側に置かれた交通マナーを記した大ダルマの横から、12時03分に道の駅を
後にした。


 新国道4号下を西に抜けて、国道沿いに少し南西へ。北側台地上に広い境内の寺が見え
る。

 その寺、龍興寺に向かってV字状に回り、境内に上がる。

 下野薬師寺の別院として白鳳8年(680)に建立、鑑真和上(がんじんわじょう)が
天平宝字5年(761)に龍興寺として開基したという古寺。

 弓削道鏡(ゆげのどうきょう)は宝亀元年(770)下野薬師寺の別当職として着任し
たが、2年後に没したという。

 本堂を中心に、広い境内には幾つもの建物や塔、仏像、古木などが多く、それら多くの
傍らに説明板が立っていて、理解しやすいようになっている。

     
 本堂の左手に立つシラカシは、栃木県天然記念物で樹高20.5m、目通り周囲3.6
m、推定樹齢は500年という。


 その木の下には、宝亀元年(770)に当寺の別当として左遷された、弓削道鏡の墓と
伝えられる墳墓がある。近くのヒカンザクラが花を見せ始めていた。


 平成の大修理で再建したという、西側の山門を出る。


 北側の墓地には、天平勝宝6年(754)に来朝し、唐招提寺や東大寺、当寺などを建
立し、天平宝字7年(763)に76歳で没した唐の高僧・鑑真和尚の遺徳を偲んで、弟
子たちが建立したといわれる鑑真和尚碑がある。
     

 そばのボダイジュは、和尚の杖が成長したものといわれ、下野市名木30選に選定され
ている。
        

 西側の県道145号に出て、薬師寺郵便局前の細道を西に向かうと、数mの盛土上に龍
興寺の二月堂が再建されていた。

 当初の二月堂は、東大寺二月堂の形式を踏まえて建立されたようだが、長年の風雪で傷
み東日本大震災で被災したため、人間国宝・西岡常一棟梁の弟子、菊池恭二棟梁により再
建されたとのこと。ちなみに、全国で二月堂を有する寺は、東大寺と龍興寺のみという。


 次の十字路を南へ進むと、もみ殻を散布中の田んぼがある。


 その先を西進して下野市農園横を進み、さらに南下して駅に通じる駅前通りに出た。


 新しい住宅地にある祇園原公園横を通過して、ゴールの自治医大駅に13時26分に戻
った。好天で暖かくて風も弱く、絶好のウオーキング日和だった。


(天気 快晴後晴 距離 9㎞、地図 駅からハイキング地図、歩行地 下野市、歩数
 17,500)









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所沢航空記念公園など梅が見頃に(埼玉)

2017-03-04 16:53:53 | 所沢だより
 2017年3月4日(土)

 ひな祭りの昨日3月3日(金)、市内ウオーキングで所沢航空記念公園に向かいました。
西武新宿線の新所沢駅と航空公園駅との間、少し新所沢駅寄りの弥生町にある長青寺(ち
ょうせいじ)の山門から中をのぞいたら、本堂前の紅梅が目に付きました。




    

 航空公園駅東口を通過して所沢航空記念公園に入り、中央部南側にある梅園に行くと、
ほとんどの梅が見頃になっていました。


 花の下では、近くの保育園児らしい幼児が昼食中。




    

 紅梅も見頃に


    

 梅園には30本くらいの梅の木があり、紅梅、白梅、ピンク色などあります。








 枝垂れ梅は1本だけで、もう少しで満開になりそう。


        



 こちらの木の下にも、梅見を楽しむ家族らしいグループが。






 航空記念公園を後にして所沢駅前を通過し、わが家の近くにある六所(ろくしょ)神社
前まで戻ってきたら、社殿に上がる階段横のカワヅザクラが見頃になっていました。


    

    

 階段の右手にある紅梅と白梅も花盛り。


    

 社殿の左手にある御輿蔵(みこしぐら)の前のヒカンザクラはもう少しで見頃か…。


    

 明日は啓蟄(けいちつ)、春の花が次々に咲き競う日も近いことでしょう。








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奄美4島めぐりの旅⑤ 奄美大島北部の観光をして帰路へ(鹿児島)〈後半〉

2017-03-03 15:46:31 | 国内旅行
 2017年2月8日(水)
 == 奄美大島の北部を観光して帰路につく == 〈続き〉 

 12時09分に大島紬村を出て、6分ほどで用安(ようあん)海岸に面した宿泊施設や夏の
マリンスポーツが楽しめる「ばしゃ山村」に着く。レストラン「AMAネシア」に入り、オ
プション昼食として予約していた旧笠利町の郷土料理「笠利の鶏飯(けいはん)」をいた
だいた。
    
 鶏飯(けいはん)は、奄美群島で作られる郷土料理。日本各地に郷土料理として存在す
る「とりめし」と同字異音だが、「とりめし」が丼物や炊き込みご飯に近いのに対し、こ
の料理はだし茶漬けに近い食べ物である。


 食後のフリータイムには、用安海岸に出て砂浜を散策する。
   






 建物に戻ってレストランに隣接した「島おこし市場」と呼ぶ売店に入り、土産物を幾つ
か求めた。






     
 店の前には、奄美特産のミカンやアダン、大きなソテツの群生地などがあった。


 13時20分にばしゃ山村を後にして太平洋岸を北へ、奄美市に入って奄美空港横を過ぎ、
奄美大島の東北端に近いあやまる岬に30分余りで着いた。

 あやまる岬は、奄美で最もメジャーな景観スポットとして知られ、奄美十景や新鹿児島
百景に選定されている。

 小高い丘にある展望台からは、左手に奄美大島最北端の笠利崎。正面に太平洋、右手に
土盛海岸を一望できる大パノラマが広がる。














 また、岬の砂地にはたくさんのソテツが群生しており、奄美各地に群生するソテツのほ
とんどが山や赤土に群生しているようだが、砂地に群生する規模としては奄美一とみられ
ているという。




 関東では晩秋に実るムラサキシギブが、もう色づいていた。
   

 広々とした展望を楽しみ、14時17分にあやまる岬を去る。これで今回のすべての観光を
終え、同じ道を戻って14時30分頃奄美大島空港に着いた。



 帰路は奄美大島空港15時30分発羽田空港行きJAL658便、ボーイング737-800型機。従来
の737型機より新型主翼の採用、燃料積載能力の向上、空力特性の改善など大幅な改良が
施されているようだが、大きな特徴は翼の先端につけられた大きなウイングレット。

 このウイングレットを装着することで、燃料効率の向上や航続距離の延伸などの効果が
大きくなるという。


 予定より遅れて15時38分に奄美大島空港を飛び立った。羽田までの飛行距離は1,267㎞、
帰路も右側席だったので、九州や四国、本州などの展望は得られない。
  

     
 17時を過ぎて房総半島上空に入り、富津岬↑や木更津付近を通過し、予定より5分早い
17時10分に羽田空港に着陸した。


 17時42分発京浜急行のエアポート急行に乗り、品川駅からはラッシュで込むので少し遠
回りだが山手線内回りで池袋に向かう。ところが途中山手線内の事故で一時停車して、15
分ほど車内で待たされる。池袋で夕食を済ませ、帰宅したのは21時を過ぎていた。
                                 (歩数 5,500)








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奄美4島めぐりの旅⑤ 奄美大島の北部を観光して帰路へ(鹿児島)〈前半〉

2017-03-02 17:42:07 | 国内旅行
 2017年2月8日(水) 
 == 奄美大島の北部を観光して帰路につく ==

 最終日は、奄美大島の北部を占める奄美市の中心街、名瀬(なぜ)の山羊島ホテルにて
5時50分に起床した。部屋の窓を開けると、昨夜は遅く到着して見えなかった名瀬港の様
子が眺められる。



 7時過ぎ、ホテル1階のシーサイドレストランでバイキング朝食をする。
    

 ホテルのロビーには、ひな飾りがあった。



 出発前に、ホテルの庭の一隅で飼育している山羊を確認する。8時30分に観光バスでホ
テルを出発した。




 今日のドライバーはとくさん、ガイドは浜田さんとのこと。今日の気温予想は15~19℃
という。

 奄美大島の人口は約6万2千人、国内の島では佐渡島に次ぐ大きさの712㎢あり、周囲
約461㎞という。年平均気温は21℃、1月にはヒカンザクラが咲き、3月には泳げるよう
で、3月3日にはには海開きがあるとか。

 樹木はシイ、カシ、タブなどの常緑広葉樹が多くて杉はなく、落葉や紅葉は見られない
が、ハゼやウルシのみ12月から2月にかけて紅葉するという。

 今日最初の観光は、名瀬の中心部から南南西にある金作原(かねさくばる)原生林。奄
美群島の政治・経済・教育・文化の中心地、名瀬の市街地を抜けて、車の交差が難しい林
間の1車線の道路を次第に高度を上げながら進み、9時16分に着いた。


 金作原原生林の標高は300m台とか。奄美の中でも天然林が半分も残っているところのよ
う。
     


 その原生林に設けられた遊歩道を進むと、道路上を大きなヒカゲヘゴに覆われたところ
があった。


 ほかにもクワズイモやリュウキュウバラなど珍しい木や草が生い茂り、イタジイ、イジ
ュ等は樹齢100年を越すであろうといわれているとか。


 また樹林内には、国指定天然記念物のルリカケス、アカヒゲ、オオストン、オオアカゲ
ラ、アマミノクロウサギ、ケナガネズミ等固有種の鳥類、動植物類が生息しているという。
ハブもいるので、林の中には入らぬようにとの注意もあった。

 遊歩道や車道のところどころに、赤い布が下がっているところがある。この下にはハブ
の捕獲器が設置されているという標識のようだ。
    

 9時50分に金作原原生林を出て、往路を戻る途中、10時30分に名瀬運動公園に立ち寄り
10分足らずトイレ休憩タイム。公園内には、陸上競技場、野球場、テニスコート、プール、
ソフトボール場などが設けられていた。



 名瀬の市街地に戻り、国道56号を東北に進んで龍郷町(たつごうちょう)に入る。役場
には、来年の大河ドラマに決まった西郷隆盛の「西郷どん」ゆかりの地を示す垂れ幕が下
がっていた。



 太平洋側に出て間もなく、龍郷町赤尾木の大島紬村(おおしまつむぎむら)に11時15分
に着いた。

 大島紬村は、奄美大島の特産物である本場奄美大島紬の生産の全工程の見学や泥染めな
ど各種体験できる施設。

 1万5千坪という広いエリアに広がるハイビスカスやブーゲンビリアなど南国亜熱帯植
物を観賞したりしながら、幾つかの建物を一巡して製造工程や売店などを回れるようにな
っている。


 最初にプチ美術館を少しのぞいてから、泥染め技術保存館↑へ。大島紬の染色は泥染め
というシャリンバイの抽出液と泥土に含まれる鉄塩類の媒染により、独特の渋みある黒色
に染色されるとか。


 建物の中でその行程の説明を受けた後、そばの泥田で職人さんが作業する工程も見た。




      


 園内に咲く花や葉、見頃になったヒカンザクラなどをがめながら次の建物に進み、機織
り機の並ぶ部屋で緻密な機織り作業の模様を見学する。


     大島紬の製品の一部
    




 その建物の先から橋を渡って戻るように進むと、かやぶき屋根の高倉が保存されていた。

 高倉は、南方の米作地帯に穀倉として作られたものが奄美に伝わったとみられ、湿気や
ネズミの侵入を防ぐ工夫がなされていて、奄美独特の古代建築だという。


 その先の建物↑は売店になっていて、最高級の大島紬や大島紬を生かしたオリジナル紬
商品、土産品などが販売されていた(内部は撮影禁止)。          〈続く〉








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奄美4島めぐりの旅④ 徳之島を観光後フェリーで奄美大島へ(鹿児島)<後半>

2017-03-01 15:47:46 | 国内旅行
 2017年2月7日(火)
 == 徳之島を一周して観光後フェリーで奄美大島へ ==(続き)


 12時35分に犬の門蓋(いんのじようぶた)を後にした。サトウキビ畑の横や、徳之島子
宝空港入口交差点などなどを通過して、島の東北端近くまで進み、「尚子ロード」記念碑
前を過ぎる。

 尚子ロードとは、2000年のシドニーオリンピック女子マラソンの金メダリスト、高橋尚
子さんゆかりのコースが、ここをスタートとして31.2㎞設けられているとか。

 この辺りは、高橋尚子さんがシドニーオリンピックの前にトレーニングしたゆかりの場
所のよう。


 碑のすぐ先にあるホテル サンセットリゾートに12時52分に着き、レストランで昼食を
した。
    


 このホテルは、企業や大学の陸上競技部、野球部などの合宿に利用されているようで、
それらを歓迎するパネルや、来訪した人たちのサインがたくさん壁面に掲示されたいた。


 13時36分にホテルを出発して、バスは8分ほどで徳之島の西北端のムシロ瀬に着いた。

 ムシロ瀬は、その名のように海岸にあたかもムシロを敷き詰めたように巨岩が連なり、
サンゴ礁の多い奄美群島では珍しく花崗岩の浜が広がっているところ。



 確かに花崗岩の巨岩が並んでいるが、ムシロというよりはもっとゴロゴロした岩場とい
う感じ。中に独特の形をした岩が幾つもあり、その岩場に打ち寄せる豪壮な波も見事なも
の。




 ムシロ瀬の付近には、大島紬の染料に使うシャリンバイがたくさん自生していた。


 14時ちょうどにムシロ瀬を出て、北岸を回る県道629号を東進して徳之島町に入る。中
心部で手々(てて)小前を通過する。この小学校は、校区外からでも通学できる徳之島町特
別認可制度実施校で、当該からの留学も勧めているという。

 その辺りからは北に、奄美大島の南西にある加計呂痲島(かけろまじま)らしい島影が
望まれる。


 10分ほどで島の東北端のソテツトンネルに着いた。

 ここはかつて島の畑がソテツで区切られていたころの名残が見られる場所。約350年前
のものと見られるソテツトンネルを遊歩道で抜けると、海を一望できる展望台がある。





 展望台からは、東シナ海と太平洋が交じり合う壮大な海の景観が広がり、南西には島で
2番目に高い天城岳(533m)などの山並みも望まれる。



 すっかり青空が広がり、ゆっくりと展望台からの雄大な眺望を楽しんだ。




 14時40分に出発してバスは島の東側、太平洋岸沿いを南下する。島の東部中ほどの井之
川集落まで進み、第46代横綱・朝潮太郎記念像に行く。
     
 戦後の復興間もないころ、初代若乃花と並び大相撲の歴史を作り上げた偉大な横綱で、
後に高砂部屋親方となった朝潮太郎関はこの地、井之川の出身。

 背景には世界自然遺産候補にもなっている徳之島の最高峰、井之川岳(644.8m)が望
まれた。


     
 小公園になっている広場の海側には、「西郷南州翁逗留地」の標識が立ち、そばの階段
を上がった上には、やはりこの地出身の喜劇役者である「八波(はっぱ)むと志記念碑」
もあるようだが、そこまでは上がらなかった。

 15時25分に朝潮関銅像を後にして、さらに南下して徳之島町で最大の街並み亀津に戻り、
「おみやげのふじた」という総合土産店に入り、買い物タイム。



 今回はザックだけで容量も小さいので、菓子など少しだけ求めた。
    

 これで徳之島観光を終わり、16時ちょうどに「おみやげのふじた」を出て、亀津の町を
北に抜けて間もなくの亀徳新港のフェリーターミナルに行く。


 近くまで来ていた乗船予定のフェリー「クイーンコーラル8」は、予定の16時30分より
5分遅れて入港した。


 船内に入り、やはりガラガラの2等船室の大部屋に入り、夕食用の弁当を受け取る。17
時ちょうど出航予定の船は、遅れて17時18分に亀徳新港を離れた。次の奄美大島の名瀬港
までは約3時間30分の予定である。


 出航後間もなく甲板に上がり、傾く夕日を背にして去りゆく徳之島を眺める。




 船室に戻ってしばらくは横になり、19時近くになってロビーで弁当の夕食を済ます。
    

 予定より少し遅れて、20時35分に奄美大島の玄関口、名瀬港に着いた。すっかり暗くな
り、港周辺の様子はあまり分からない。

 迎えのバスに乗り、最後の宿、名瀬港の北東側にある山羊島(やぎしま)の山羊島ホテ
ルには21時近くに到着した。                     (歩数 9,500)




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