冬青(そよご)風

常緑樹の森の下に佇み、かたい葉が風にそよいで、ソヨソヨと音をたてる。
ソヨゴの語らいを聞いていただければ幸いです。

ぐっと秋めいて

2010年10月29日 23時12分16秒 | 民俗公園周辺


 明日は台風14号が紀伊半島沖を午前中に通過するので、自宅横の百日紅の木々が
 伸びすぎて2階の窓や外壁までかぶさってきていたので剪定をした。
 ついでに花壇や庭先にの小物の整理をして万が一の強風にそなえました。



 昼前に終わり民俗公園まで練習にでかけるが、ウルトラ後左足の脹脛のはりがとれず、
 思った走りがでなかった。まだ1週間あるが来月の吉野川ハーフマラソンまでには、
 調整しながら間に合わせたいものです。

 民俗公園の大好きなケヤキもしっとりとした色合いで、紅葉の準備も始まっていた。
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一気に秋深し・斑鳩の里

2010年10月27日 22時46分10秒 | 斑鳩の里

 暖かい高知から帰ってきたとたん、昨日は木枯らし1号が吹き震えるような寒さには
 驚きました。例年より1週間も早いそうです。我が家では朝から暖房が入れられていた。
 10月にはいってからも夏日つづきだっただけに、寒さがいっそうこたえます。

 2週間にわたって母の看護をしてきました。長兄とバトンタッチして帰るころには、
 象の足のように鬱血して、浮腫んでいた足も時間とともにゆっくりですが、5、6割方
 治りだしたが、何せ百歳の老体だけに一気に良くはならないのですが、腰の痛みも
 徐々によくなり、リハビリにも気力が出てきたようだ。
 帰る頃には気分的には余裕が出来たのか、車椅子で院内散策も希望するようになった。
 来月20日過ぎから再び月末まで看護に行く予定ですが、その頃には退院もでき自宅で
 看護できればと・・・、願っています。 
 
法輪寺・柿  法起寺・秋桜



 先週末より風邪気味でしたが、久し振りに奈良に帰ってきたので斑鳩の里を走ってきた。
 昨日ほどではないが、それでも結構風も冷たく、冬装備でのランニングでした。
 午前中は青空もでていたが、低温で一気に晩秋の気候でした。
 塔を切る撮るコスモスと柿の風景が、いっそう秋を深めていました。
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はや、入院からひと月

2010年10月21日 13時41分57秒 | Weblog
母が骨盤骨折で入院してはやひと月を迎えました。
この頃は元気をだいぶ取り戻して、当初のように「このまま治らないのだったら死にたい…」
言わなくなって、笑顔も多くなり介護のしがいもあります。
以前から耳が遠かったが、今回の入院騒動でショックを受けたのか、全然聞こえなくなり筆談での会話になる。
アイパットばりに活躍しているのが、母が手てにもっている、アナログボードが活躍している。
週6日リハビリ室で社会復帰を目指している。
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龍馬に大接近!

2010年10月17日 10時45分38秒 | Weblog


高知に帰って来て5日目母の病状も少しずつ安定しだし、歩行リハビリにも取り組みだした。
やっと介護の余裕もでき久しぶりに桂浜までランニングでくる。
龍馬ブームで龍馬像前は混雑していた。今年も像の横に櫓が組み立てられ、龍馬と同じ目線で太平洋が見ることが出来る。
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2週間高知に滞在します。

2010年10月13日 23時18分56秒 | まご まご


            あっくんとリオンに、2週間も会えないて寂しい。

 明日から2週間、9月中旬に転倒して骨盤骨折した母の看護に高知に帰ります。
 兄弟妹4人で、1週間から10日間隔で交互に高知に帰り、入院中の母の看護をしている。
 入院3週間たち少しずつ元気を取り戻し、歩行リハビリにも取り組めるようになった。
 退院までまだ1月ほどかかりますが、100歳という年齢を考えるとなかなか大変です。
 母が1日でもはやく自宅にかえれるよう、しっかり看護してきます。 

 2週間も家を空けるのは久しくなかったので、可愛い盛りの孫と会えないのは寂しい。
 
 時折モグログ発信しますが、2週間コメント欄閉鎖しますあしからずお願いします。
 
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安倍文殊院は莫山石碑の宝庫

2010年10月12日 21時16分42秒 | 奈良のいろいろ


 今日は莫山さんに会いたくて桜井・安倍文殊院に行ってきました。
 桜井まで電車で移動して、文殊院から明日香路を走ってきました。
 今日も9月上旬なみの暑さでしたが、乾いたさわやかな風が吹きいい練習ができた。
 


 東門の入口に莫山さんの石碑がで~んと迎えてくれます。
 平成16年に建てられたそうです。これから百年経ればもっと味がでてくるでしょうね。
                        

                        陰陽師、安倍晴明を祀る「晴明堂」の前に莫山さんの石碑です。
                        天文観測を行い吉凶を占った天文観測の地だそうです。




 安倍仲麻呂望郷詩碑です。平城遷都1300年祭を記念し、安倍仲麻呂の望郷詩碑を
 榊莫山師の揮毫により建立しました。 莫山先生生存中の最後の石碑なのでしょうね。

 一山に3つも石碑を残す文殊院さんには、莫山先生とは深い絆があるのでしょうね。
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花アルトキハ ・・・ やっと練習再開

2010年10月11日 21時36分50秒 | 奈良のいろいろ


 ウルトラで右の親指の爪を痛めて、10日ほど靴を履けなかったのですが、先日から
 やっともげ欠けた爪の下から新しい爪皮もでき、古い爪も剥れて痛みもなくなった。
 ので、村岡山岳ウルトラから2週間ぶりに練習を再開しました。

 奈良県立図書情報館で先日亡くなられた莫山先生の業績を偲び「書道界の風雲児
 榊莫山さん逝く」を開催しているとの、情報を知り練習がてら出かけました。
 朝から陽射しもつよく、情報館までは1時間ほどでしたが、久し振りにいい汗をかく。
 3階 ふるさとコーナー横書架 に、著書 約30点 ほどが展示されていました。
 期間は平成22年10月7日(木)~ 21日(木)です。


 莫山先生の風貌のように、ひょうひょうとした詩書画が好きで何度か阪急百貨店での
 展覧会や、書画集なども買い求めていました。
 当ブログでも何度も、莫山先生の揮毫された石碑など訪ねてアップしています。

 私の推薦する二上山の麓(大阪側)万葉の森・古代池の休憩所の石碑です。
 莫山先生の「莫山夢幻」の本の中に、この石碑のことを書かれていた。大好きな
 書体と言葉だったので、どうしても出会いたかったので訪問した。(08.3.2
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秋祭り

2010年10月10日 23時20分04秒 | まご まご


 「10.10.10 」10並びのおめでたい日に、満69歳の誕生日を迎えました。
      昨日は孫のあっくんの満5歳の誕生日 で、Wでお祝いをしました。



 昨日からの雨で秋祭りが心配していたが、朝方には雨も止み秋祭りも無事行われた。
 例年布団神輿の担ぎ手として1日中校区を練り歩くのですが、今年は娘達は用事があり
 祭には参加出来なくなり、急遽あっくんが参加する子ども神輿の応援にまわったので、
 孫のお守を兼ねて、ずいぶん楽で、楽しいお祭となりました。 


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伊能忠敬の地図を歩く

2010年10月09日 22時16分59秒 | Weblog


 やっと奈良県に「完全復元伊能図 全国巡回フロア展」がやってきました。
 雨の振りしきるなか、一番のりで開催されている奈良大学の体育館に
 行ってきました。体育館いっぱいに広げられた大図214枚は圧巻でした。
 北海道から九州までの大日本沿海興地全図の上に足跡を残してきました。



 第6次測量ルートでは江戸を文化5年(1808年)1月に出発し、奈良・
 大和郡山から大阪、淡路島に渡り、四国沿岸をくまなく歩いている。



 大和郡山の地図には、郡山城、小泉城、矢田寺も絵図には書き込まれている。
 うれしいことに、ちゃんと斑鳩三塔の姿もしるされていた。



 故郷高知では、浦戸湾をはさんで桂浜、種崎、仁井田村の地図もしっかり確認。
 八幡浜細長い半島・佐田岬への海岸線は、精密な測量地図だったので興味深く
 感心しながら拝見した。
 


 大図の他、中図(8枚)、小図(3枚)も体育館の隅に配置されていた。
 日本列島の沿岸部を15年ほどに渡り、隅々まで測量して江戸時代にこれだけの
 地図を作り上げた伊能忠敬の業績は驚嘆しますね。

  開催は明日までです。


 
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村岡ウルトラ汗走記③(75km~ゴール)

2010年10月05日 22時06分27秒 | マラソン汗走記

70km 9:09 80km10:51(1:42) 90km12:10(1:09) 100km 13:47(1:37)

 長楽寺(但馬大仏)でおはぎのお接待いただきスタートです。
 この先まだまだ登りが続きます。ここから6キロ先のあけぼの山荘までは正念場です。
 75キロ地点で10時間4分。ゴールの制限までは4時間弱で25キロなので、通常だと
 楽勝でゴールなのですが、さすがにこの登りは歩いているランナーが目につきだします。
 ここで歩きだすと、91キロの最終関門に捕まるので、厳しいですが頑張りどころです。
 真夏に坂道特訓の練習を繰り返したので、その成果の見せ所です。歯を喰いしばり、
 足を踏ん張りジグザク走りで坂を登ります。昨年同様なんとか歩かず走りきりました。
 


 後半はどうしてもエイドでの休憩が多くなってきます。
 一覧表で分かるように、各エイドの食べ物も豊富です。
 この他に有難いことに、ランナーを勇気付けてくれる私設エイドもあります。
 今回は前半腹具合が悪く、プリンとヤクルトばかり頂きました。
 後半はさすがにお腹もすきだしたので、お寿司やおにぎりなども食べる。
 この大会の有名なエイドでの食べ物は、流しソーメン、お好み焼き、おはぎ、カレー
 昨年はお好み焼き、カレーは食べなかったので、今年はしっかり頂きました。

   

 美原高原(あけぼの山荘)の登りを何とかクリアーして、長坂への7キロの下りでピッチを
 取り戻し、やっとキロ7分ペースで最終関門の小北保育所(91km)飛び込む。
 長楽寺から16キロ、頭の隅には完走までのタイムを繰り返し計算しつつ走っていたので、
 結構苦しい走りになった。最終関門の17:30には、40分ほどしか余裕がなかった。
 ゴールの制限19時までには1時間半ほどあるので、完走への手ごたえをやっと掴む。
 このあと一二峠で悲劇が待っているとも知らず、このエイドでつい長居をしてしまった。

 小北保育所のエイドでまだ明るいがペンライトを貰って、最後4キロの登りである一二峠
 に向かいます。
 一二峠のエイドには昨年応援メッセージをくれたNさんのお母さんが駆けつけてくれると、
 先日お葉書をいただき、どんなことがあってもここまでは走ってこなければと思っていた。
 私のゴール予想を13時間前後と書いていたので、一二峠には5時頃からきて待っていて
 下さったようです。予定より大幅に遅れてたので、一二峠のエイドに私が到着した時には、
 30分ほど前に夕食の支度があるので、自宅に帰られたとのエイドの人の話でした。
 後日完走のお祝い葉書を頂いただき、そのことを知りました。申しけないことでした。
 Nさんもランナーで、地元のこの大会に昨年は44キロの部を完走されていて、今年は
 奈良マラソンも申し込まれていて、奈良での再会をお約束しました。


  完走(フィニシャ)賞は村岡はメダルではなく、実用的なバスタオルです。

 一二峠のエイド(95キロ)に18時に到着、あと5キロは下りなのでラストスパート
 すれば30分ほどで何とかゴールできる見通しもあり、安心しきって休憩をしていた。
 さぁラストスパートをと立ち上がったとたん、あの嫌な悪寒が突然襲ってき、歯の根も
 あわず身体中ががたがた震えだし、思わず身体を抱きかかえてうずくまった。
 いつも緊急時に服用するセデスがポッシェト入れているのを思い出し、2錠服用して椅子に
 座って5分ほど震えが治まるのをまっていた。幸い発熱症状は今のところないようだ。

 もともと私は慢性腎炎の持病があり、激しい運動は留められていたのですが、それほど気に
 もせず、25年間ずっとマラソンを生活の一部として取り入れていた。
 腎機能の数値が悪くなれば、人工透析をしなければならないので、その一歩手前までは
 マラソン人生を送りたいと密かに決心している。昨年私と同じように20代で慢性腎炎に
 なった姉は、昨年からとうとう人工透析生活を送りだしたので、久し振りにマラソンでの
 悪寒はショックでした。
 ゴールがすぐそこまできているので、残り5kmは悪寒をだましだまし、歩いてでもゴールをと
 走り出そうとしたとたん、今度は射添のエイドで手当てした左足の肉刺が破れて激痛。
 弱り目に祟り目です。歩いたり走ったりしている内に身体も温まったのか、薬の作用も
 あり、なんとか震えも治まり暗闇のなか、ペンライトの灯りをたよりにゴールを目指す。
 結局ゴールまでの5km50分ほどかかり、無事ゴールできました。制限時間13分前。
 こんなぎりぎりのゴールは数多くでている大会では初めての経験でした。
 ゴールしたら会場はどんどん片付けが入っていて、エイドの食べ物もなくがっかりです。
 完走の余韻にひたるまもなく、19時半のマラソンバスで帰るので、着替えもそこそこに
 バスに飛び乗り帰ってきました。
 
 今回天候は、ほぼ1日中曇り空だったので、昨年みたいに途中頭から何度も水を被ること
 もなく、絶好のマラソン日和だったので、走りやすく助かったです。
 100kmは生半可な距離ではないですね。長丁場のウルトラだけに、なかなか波乱万丈
 のレースになりましたが、それを克服しながら走るのがウルトラの醍醐味です。
 来年は70歳になるので、当初から決めていたようにラストウルトラとして我が故郷高知
 シマントで走り納めをしたいと、早くも来年に照準をあわせています。
 

  オールスポーツコミュニティの写真館で、勇姿(?)が見れます。
           ゼッケン検索で、1094 を入力してください。(今月末まで表示)
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