70km 9:09 80km10:51(1:42) 90km12:10(1:09) 100km 13:47(1:37)
長楽寺(但馬大仏)でおはぎのお接待いただきスタートです。
この先まだまだ登りが続きます。ここから6キロ先のあけぼの山荘までは正念場です。
75キロ地点で10時間4分。ゴールの制限までは4時間弱で25キロなので、通常だと
楽勝でゴールなのですが、さすがにこの登りは歩いているランナーが目につきだします。
ここで歩きだすと、91キロの最終関門に捕まるので、厳しいですが頑張りどころです。
真夏に坂道特訓の練習を繰り返したので、その成果の見せ所です。歯を喰いしばり、
足を踏ん張りジグザク走りで坂を登ります。昨年同様なんとか歩かず走りきりました。
後半はどうしてもエイドでの休憩が多くなってきます。
一覧表で分かるように、各エイドの食べ物も豊富です。
この他に有難いことに、ランナーを勇気付けてくれる私設エイドもあります。
今回は前半腹具合が悪く、プリンとヤクルトばかり頂きました。
後半はさすがにお腹もすきだしたので、お寿司やおにぎりなども食べる。
この大会の有名なエイドでの食べ物は、流しソーメン、お好み焼き、おはぎ、カレー
昨年はお好み焼き、カレーは食べなかったので、今年はしっかり頂きました。
美原高原(あけぼの山荘)の登りを何とかクリアーして、長坂への7キロの下りでピッチを
取り戻し、やっとキロ7分ペースで最終関門の小北保育所(91km)飛び込む。
長楽寺から16キロ、頭の隅には完走までのタイムを繰り返し計算しつつ走っていたので、
結構苦しい走りになった。最終関門の17:30には、40分ほどしか余裕がなかった。
ゴールの制限19時までには1時間半ほどあるので、完走への手ごたえをやっと掴む。
このあと一二峠で悲劇が待っているとも知らず、このエイドでつい長居をしてしまった。
小北保育所のエイドでまだ明るいがペンライトを貰って、最後4キロの登りである一二峠
に向かいます。
一二峠のエイドには昨年応援メッセージをくれたNさんのお母さんが駆けつけてくれると、
先日お葉書をいただき、どんなことがあってもここまでは走ってこなければと思っていた。
私のゴール予想を13時間前後と書いていたので、一二峠には5時頃からきて待っていて
下さったようです。予定より大幅に遅れてたので、一二峠のエイドに私が到着した時には、
30分ほど前に夕食の支度があるので、自宅に帰られたとのエイドの人の話でした。
後日完走のお祝い葉書を頂いただき、そのことを知りました。申しけないことでした。
Nさんもランナーで、地元のこの大会に昨年は44キロの部を完走されていて、今年は
奈良マラソンも申し込まれていて、奈良での再会をお約束しました。
完走(フィニシャ)賞は村岡はメダルではなく、実用的なバスタオルです。
一二峠のエイド(95キロ)に18時に到着、あと5キロは下りなのでラストスパート
すれば30分ほどで何とかゴールできる見通しもあり、安心しきって休憩をしていた。
さぁラストスパートをと立ち上がったとたん、あの嫌な悪寒が突然襲ってき、歯の根も
あわず身体中ががたがた震えだし、思わず身体を抱きかかえてうずくまった。
いつも緊急時に服用するセデスがポッシェト入れているのを思い出し、2錠服用して椅子に
座って5分ほど震えが治まるのをまっていた。幸い発熱症状は今のところないようだ。
もともと私は慢性腎炎の持病があり、激しい運動は留められていたのですが、それほど気に
もせず、25年間ずっとマラソンを生活の一部として取り入れていた。
腎機能の数値が悪くなれば、人工透析をしなければならないので、その一歩手前までは
マラソン人生を送りたいと密かに決心している。昨年私と同じように20代で慢性腎炎に
なった姉は、昨年からとうとう人工透析生活を送りだしたので、久し振りにマラソンでの
悪寒はショックでした。
ゴールがすぐそこまできているので、残り5kmは悪寒をだましだまし、歩いてでもゴールをと
走り出そうとしたとたん、今度は射添のエイドで手当てした左足の肉刺が破れて激痛。
弱り目に祟り目です。歩いたり走ったりしている内に身体も温まったのか、薬の作用も
あり、なんとか震えも治まり暗闇のなか、ペンライトの灯りをたよりにゴールを目指す。
結局ゴールまでの5km50分ほどかかり、無事ゴールできました。制限時間13分前。
こんなぎりぎりのゴールは数多くでている大会では初めての経験でした。
ゴールしたら会場はどんどん片付けが入っていて、エイドの食べ物もなくがっかりです。
完走の余韻にひたるまもなく、19時半のマラソンバスで帰るので、着替えもそこそこに
バスに飛び乗り帰ってきました。
今回天候は、ほぼ1日中曇り空だったので、昨年みたいに途中頭から何度も水を被ること
もなく、絶好のマラソン日和だったので、走りやすく助かったです。
100kmは生半可な距離ではないですね。長丁場のウルトラだけに、なかなか波乱万丈
のレースになりましたが、それを克服しながら走るのがウルトラの醍醐味です。
来年は70歳になるので、当初から決めていたようにラストウルトラとして我が故郷高知
シマントで走り納めをしたいと、早くも来年に照準をあわせています。
オールスポーツコミュニティの
写真館で、
勇姿(?)が見れます。
ゼッケン検索で、1094 を入力してください。(今月末まで表示)