野良時計のあるお家の横に風格ある屋敷があった。
そこは「高園茶屋」というお休み処で、茶房で食事もいただける。
このお家は100年ほどの歴史があり、広い店内は天井も高くゆっくり寛げる。
ママさんはお話好きで、隣の野良時計のことなど、詳しく教えてくださった。
ママさんお勧めの“のだてコーヒー” をいただく。手作り羊羹がセットで680円。
抹茶淹れで泡立てた同店オリジナルの一杯。まろやかでとても飲みやすかったです。
茶房の奥は座敷になっていて、手入れの行き届いた広い庭が見渡せる。
室内は落ち着いた雰囲気で、食事などもそこでもいただけるようになっている。
モブログをするために座敷に上がらせてもらい休憩をする。
そこの床の間に思いがけなくも、龍馬さんの掛け軸が
。
足元はやっぱりブーツを確りはいていました。
40分ほど高園茶屋ゆっくりして、 「土居廓中(どいかちゅう)」にある武家屋敷を訪ねる。
北の方向に自転車で5分ほどのところにありました。
静かな通りは土と瓦で造られた「瓦の練塀」や、土用竹を利用した生垣まもられていた。
お遍路で室戸から安芸に歩いていた時に、海辺の民家によく見かけた「水切り瓦」を壁面に設けてお家が、
内陸部であるこの土居廓中の武家屋敷にも見られた。よく考えれば江戸時代はこの辺は海辺だったんですね。
武家屋敷から少し歩くと、安芸城址に出会う。一豊の家老として安芸城を任されたのが五藤為重の城です。
小さな堀のなかには蓮がたくさん咲いていた。広場にはお城を模した書道会館がある。
城址は小高い丘にあり、そこからは安芸市内が見渡せました。
天気が怪しくなり雨も少しふりだしたので、急いで井ノ口にある
岩崎弥太郎の生家に向かう。自転車で15分ほどかかりました。
岩崎弥太郎は、現在の三菱グループの創始者として知られた人物です。
龍馬が海援隊で「武より財」に才能があるのを見抜き、海運業に力を入れ
「東洋の海上王」と呼ばれるまでに活躍する。
明治18年52歳の若さで亡くなりました。
岩崎弥太郎の母は、弥太郎の開運を祈願して20キロ離れた井ノ口から
神峰寺へ日参した話は有名です。
あの真縦って呼ばれる坂道を21日間通われた母の愛は凄いものがありますね。
やがてこの母の願いはきき入れられて、弥太郎は成功したが、後にこのことを
知った弥太郎は神峰寺へ山林を寄進し、報恩をしている。
南條範夫の小説「暁の群像(上下)」に、このエピソードや波乱万丈の物語が
詳しく書かれています。
本日の目的でもある、新四国曼荼羅霊場60番札所閑慶院さんに向かいます。
幸い雨もやみ井ノ口村の山間に自転車を漕いでいきます。
安芸市内より7kmもあり、少し辺鄙な場所にあるお寺です。
閑慶院さんで頂いた栞には「夕焼けこやけの寺」と書かれています。
作詞 中村雨紅(東京) 作曲 草川信(長野)の童謡ですが、
お二人とは何か繋がりがあるのでしょうか?
♪ ゆうやけこやけで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る・・・♪
そのような情景を感じる山里の静かなお寺です。
閑慶院の本堂に上がらせてもらい、ゆっくりお勤めさせてもらう。
ここの奥さんがとても気さくで、お話好きな方で安芸の歴史や
名所旧跡の話を次から次へと語ってくれる。
これから高知に帰ると話すと、「お腹も空いているやろから、
汽車で食べて」お寿司とお茶ボトルをお接待にいただく。
電車ではなく
「汽車」というフレーズにとても温かみを感じました。
汽車と聞いて郷愁を覚えるのは我々の年代のものだけでしょうか?
ほんとうにありがとうございました。感謝合唱。
帰宅してさっそく岡倉石朗さんの絵葉書でお礼状をだしました。
ちなみに次の札所新四国曼荼羅霊場61番は我が故郷
豊永にある、定福寺です。3年ほど前にもうお参りを済ませています。
自転車
を駅に返却して、安芸でのお遍路と観光は無事終わりました。
なかなか充実した1日でした。くろしお鉄道で高知駅に向かいました。
明日は雨になるようですが、お遍路にもどります。
本日の練習
久しぶりのサイクルロード走。西日を浴びながらの夕方の練習でした。
ヘビィハンドスを持って練習も久しぶりだったので、自棄に重たく感じた。
本日の練習 6.0km 7月累計 155.5km
6,7月累計 316.0km