先日彦根~敦賀65kmを走って、四万十川ウルトラのステップ2も無事クリアー
でき、これから夏場3ケ月1000kmの走りこみをこなして四万十川を目指し
たいのですが、その間に参加への難関があります。
本日より四万十川100kmウルトラマラソンの申し込みが始まった。
北のサロマ湖ウルトラと人気を2分する四万十川ウルトラです。
1500人限定なので、人気の大会だけに参加者が多いので抽選になります。
私は2回大会、9回大会に出場していますが、その間何度も抽選に外れています。
今回は青空屋ご夫妻も出場を目指して、1年間しっかり練習を重ねているので、
是非3人で抽選に通り一緒にゴールを目指したいものです。
03年の四万十かウルトラマラソンの汗走記です。
第9回四万十川ウルトラマラソン 2003.10.19
10月18日(土) 晴れ
昨日朝便のバスでで3時頃高知到着し,その日は市内の実家で泊まる。
受け付け会場の中村市に行くのは昼前の電車で間に合うので、朝風呂に入って
ゆっくりくつろぐ。
普通列車の車中には、あちらこちらにランナーの姿がみられた。
窪川駅で乗り換え中村駅に着いたのは14:51。3時間の列車旅であった。
駅前で10分ほど待ってマラソン専用巡回バスでBH清流まで行き、荷物を部屋に
置いて再び巡回バスに 乗り受付会場の安並運動公園に行く。
受付を済ませてSさんにいただいた餞別で、大会ロゴ入りの「ウルトラランニング
Tシャツ」を 4800円で買う。このTシャツはなかなかの優れ物で、発汗吸収
偏光使用でレース中汗で濡れる こともなく、100kmをこの快適なTシャツ
1枚ですませた。(62kmLSで着替えは用意していたが。)
受け付けを済ませてホテルに帰ると、同室になる佐賀県からこられていた
Nさんと挨拶をかわす。
Nさん(56歳)はウルトラフリークで年間3大会ほど走られている猛者。
私の走った大会や、走っていない大会の情報など楽しく語りあった。
二人とも近くの商店街で行われる「ウエルカムパーティー」には出向かず、
明日の用意をして 9時過ぎには床に着く。
10月19日(日) 晴れ
3時起床。4時朝食。心配していたようにご飯は半分しか食べられず、その
不足分を持参のサプリメントと アミノバイタル、バナナなどで補う。
巡回バスでかがり火で照らされたスタート会場の蕨岡中学に4:30に着く。
雨の心配がない分心も軽い。 気温も思っていたほど冷え込んでおらず一安心。
体育館からグラウンドに出て、そこに待機しているトラックに、62km地点の
カヌー館(レストステーション)行きの荷物とゴール行きの荷物を預けて、応援
太鼓とかがり火に鼓舞されながらスタート地点へ行く。
スタート→10km地点 1:01:01 1:01:01
5:30いきなりスタートの号砲。
やはりスタートはカウントダウンの歓声が欲しい。
スタートしてからはまだ真っ暗な闇夜を走ります。あちらこちらに闇夜を照らす
かがり火や、車や オートバイの照明のなか足元を注意しながらゆっくり走る。
5kmほどまでNさんと喋りもって走る。37分ほどでまずまずのペースです。
だんだん山道に入っていく頃には空もだいぶ明るくなってきました。道路も狭く
なって左側には川の流れが 近づいてきます。
こんな早朝にもかかわらず民家から出てきてくださり元気な応援をもらう。
Nさんと別れて少しスピードアップする。
10km → 20km地点 2:04:36 1:03:35
竹屋敷をすぎいよいよ洞ヶ森への上りに入ってくる。
だらだらとしたゆるい上りが16kmぐらいから 勾配を上げていくにつれ、
歩きだすランナーも目につきだした。
頂上付近まではくねくねと九十九折れ、遥か上方までガードレールも見え隠れ
している。嗚呼あの上まで・・・・
。
前回は頂上まではかなりしんどい思いをしていたのだが、今回は楽なペースで
上って行けた。
頂上近くになると山の下の景色がよく見えてきます。下方にはまだたくさんの
ランナーが走ってくるのが ぞろぞろ見えてくる。
20kmのチップの計測ポイントです。2:04:36予想よりタイムがいい。
10kmラップも1:03:35で山道を登ってきた割に上々。
もうすぐ峠のエイドに出る。
20km → 30km地点 3:02:12 57:36
エイドでバナナとあんぱんをほうばりスタート。こらからは32kmの
四万十川に出合う堀切までは 一気の下りが続くのだが、後半の足へのダメージを
考えて 「ゆっくりゆっくり」といいきかせて慎重に走っていく。
ところが25km地点あたりより腹具合が悪くなりだして、WC地点を捜しながら
スピードをあげざるを 得なくなり飛ばす。
(結果10kmのラップもkm6分を切っていた。)
30km → 40km地点 4:03:24 1:01:12
途中2ヶ所ほどトイレがあったのだが先客が2、3人おり諦める。
周期的に襲われる刺しこみに野糞ポイントも必死で捜すが適当な個所がなく、
7kmほど走った 32kmのトイレに待ち人がおらず掛けこむが、トイレの
中には先客がおり、入ったばかりなのか なかなかでてこず、こちらも我慢の
限界にも達していたので思わずトイレの扉を激しくたたく。
(失礼)
5分ほどしてやっと先客が出てくる。ホテル、会場と2度トイレはすましていた
のだが、 今回もやっぱり神経性の下痢がでたみたい。
すっきりして走り出してすぐに四万十川本流の合流地点にでる。
このあたりまで下りきってしまうと、まわりの景色がゆったりのんびりしてきて
「やっと四万十や!」と8年ぶり(’95年の第2回大会)の四万十川のご対面
に歓声をあげる。
37kmの昭和大橋で対岸にでて暫く国道を走る。
昭和大橋にはたくさんの応援の人が ランナーに声援を送ってくださっていた。
(翌日知ったのだが、「海や山や」のちいこさんのご家族が 皆さんで応援に
朝早くから駆けつけてくださっていたのだ。)
40km地点の計測地点も 4:03:24 10kmラップ も1:01:12
とエイドの休憩をひくと キロ 5:30ペースで楽に走れている。
40km → 50km地点 5:18:35 1:15:11
足に疲れがくることもなく快調に走れ、フル地点も 4:15:02と難なく
クリヤーできた。
再び左岸にでて木々が生い茂った山際が、日差しも遮りとても快調な走りが続き、
この分だと50kmを充分5時間以内でクリアーできると、ひとり悦にはいって
いた。49km地点の集落に入った時に 思わぬ災難がまちうけていた。
その時は日陰を走っていたので、キャップを脱いでポーチに入れていた。
柿の木の下を通過したとたん、後頭部に激しい痛みを感じた。
蜂に刺されたのだ。もう1度続けて痛みを感じた。一瞬スズメ蜂かと胆を冷やす。
払い除けたかったがしゃがんでやりすごすと、蜂も飛んでいった。
少し様子をみながらその場を離れる。 後続のランナーがその様子を見ていて、
近くに応援に出ていた人に連絡してくれた。
大きな蜂が5,6匹柿の来のまわりを飛んでいたとのこと。 ちょうど60kmの
部の大会役員を乗せた車が通りかかり、救護車の手配を頼んだ。
その時役員から朝越してきた峠でも20人ほどのランナーが、蜂に刺され救急車が
きたとのことを知らされる。 (翌日TVニュースで知ったのだが、2人は気の毒
にリタイアーして救急車で運ばれたとのこと)
気分が悪くなったらいけないので、救護車がくるまで休憩する。
民家の人々がアンモニアを塗ってくたり、アロエを摘み取り頭に貼り付けて介護
してくれた。刺された個所の痛みは治まらないが、心配していたほど気分も悪く
ならず、なんとか最悪のリタイアーは回避できそうなの雰囲気になった。
15分ほど待っても救護車が来なかったので待ちきれず、とりあえずこのマラソン
のハイライトである 54kmの半下沈下橋までゆっくり走りながら行くので、
救護車は右岸まわりで半下沈下橋で待っていて欲しいと、手当てしていただいた
人々に頼み、お礼をいってこわごわスタートする。
50km → 60km地点 6:36:40 1:18:05
首筋に時折刺された後遺症なのか、ひっぱるような硬直を感る。
何とか頭を押さえながら沈下橋にくる。
沈下橋の上は涼しい風がはしり、いやな気分も一心される。
身体にぶつかってくる風がなんともいえず 心地よいものでした。
橋を渡りきるとここはすぐUターンするのだが、救護車がまだ来ておらず係員に
理由を 話してまたしばらく待機5分ほどして救護車がきて診断治療してくれる。
とりあえず大丈夫みたいなので、8km先のレストステーションでもう一度手当
てをすることで出発する。 ここでも15分ほどのロスタイム。
沈下橋を過ぎると小さな小山なのだが、ここがなかなかの難所で50kmを
走ってきた足にわずかな 傾斜がとてもきつい、前回はほとんど歩いてしまった
が、今回は大勢の歩く人を横目に不思議なぐらい 走って登れた。
これもしっかり走り込み練習をしたおかげだ。
60km → 70km地点 8:03:54 1:27:15
62kmのレストステーションのカヌー館が見え出す。
第一目標がここまで走るのことだったので、飛ばす。
カヌー館の入り口ではスタッフが双眼鏡でこちらのゼッケンを確認してくれて、
中の荷物預かりの人に無線で連絡してくれてスムースに手渡してくれた。
ボランティアの活躍はほんとにありがたいことです。
とりあえずいろいろな食べ物が並んでいるエイドを通りこし、救護室に入って
大きくふくらんだ後頭部を 冷やして治療してもらう。
預けた荷物から7分膝のスパッツと靴下に履き替え、(予備の靴と、ランニング
シャツは履き替えず)おにぎり2個と味噌汁、バナナを軽く食べて12時15分
再スタート。
ここから70kmまでの8km間が今回のレースで1番しんどかった。
これまで通り過ぎた1kmごとの距離表示はすぐ来たのだが、1kmが嫌になる
ほど遠っかた。km6分ペースが7~8分にスローダウン。
70km手前から以前走った時と違ったコースになっている。(’99年より
新コース) 二つ目の沈下橋である岩間の沈下橋をわたる。
半下の沈下橋よりスケールが大きく川の流れも ゆったりしていて、渡る風も
ゆるやかでとても気持ちいい。写真をとってもらい70kmのエイドをめざす。
70km → 80km地点 9:21:11 1:17:17
橋を渡り終えて今度は戻ってこず対岸沿いをしばらく走ります。
しばらく行くと斜線のきれいな大きな茅生大橋がみえてくる。
この橋を渡って再び対岸に戻ります。ここの橋の上からの大きく蛇行して流れる
四万十川の眺めは、広々とした河原がゆったり横たわり何とも言えないくらい
美しく心を和ます風景です。
四万十楽舎前71.5km地点は4つ目の関門。閉鎖時間は10時間11分です。
関門まで2時間弱くらい あるので余裕をもって通過です。
なんとかゴールが見えてきだした。が、km7分にペースダウンしてエイドでの
休憩が長くなってくる。
中村市をスタートして、十和村、西土佐村をへて80km付近で再び中村市に
戻って来た。
80km → 90km地点 10:30:42 1:09:31
80kmの久保川から86kmの川登の集落あたりまで西日が強くなりだして、
汗もかきだす。
85.5kmのエイドでおにぎりと味噌汁、梅干をたべ11時間台での完走が
確信できたのでほっとしていたら、急に嫌な悪寒がしだした。
いつもはゴール後に襲われる激しい悪寒が、この地点で早くもきたので慌てる。
持参してきたセデスを1錠のみ、暫く椅子に座って体を摩擦する。
なんとか治まり出発。
中村市内に入り道幅が広くなり走りやすくなる。
早く90km地点まで行きたく、最後の馬鹿力を発揮しランナーを次ぎから次ぎ
へとごぼう抜きしていく。
心配していた蜂に刺された後頭部の痛さも少し治まる。
90km → 100kmF 11:35:48 1:05:06
90kmを過ぎても不思議なくらい足、膝にも痛みを覚えず快調なスピードで
km6分で突っ走れた。
まだこんな余力がある自分が信じられない。
過去のウルトラでは75~95kmの間はどうしても脚力、体力がなく歩いて
しまっていたが、1000kmの練習の鍛錬の成果をまざまざと感じた。
残り表示があと4km、あと3kmと少なくなるにつれ、地元の応援の人も
だんだんと増えくる。
応援も「頑張れ~」から「お帰り~」に変わってきて、ゴールが確実に近づい
てきてるのを感じだす。
最後の2km手前の坂道を登りきり、一気に下りゴールの中村高校に突入。
場内アナウンスでゼッケンNoと名前、参加県名をアナウンスしてくれる。
ゴール正面には大画面のスクリーンがあり、画面にはゴールする自分の姿に
何度もガッツポーズをして、栄光のゴールテープを切りました。
ゴールタイムは11時間35分48秒。
蜂に刺されるというアクシデントがありながら、ゴールができたのでなにより
うれしかった。
メダルを掛けてくれた女子高生にデジカメで記念写真をとってもらう。
ゴール後心配していたお決まりの悪寒が襲ってきたので、慌ててセデスを2錠
服用して体育室で着替えもそこそこにして、毛布にくるまり20分ほど暖をとり
横になる。熱も下がり巡回バスでホテルに帰る。
風呂に入り一人で食事をしていたら、同室のNさんも完走メダルを首にかけ戻っ
てこられる。
夜はお互いに完走を祝して乾杯などして、レースの話に夜遅くまで話こむ。
快い疲れで熟睡。
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49km地点 足なが蜂に左後頭部2ヶ所刺される。
救急車待つがこず 15分ロスタイム
54km地点 半下沈下橋で救急車 応急治療 15分ロス
62km地点 レストステェーション
救護室手当て 着替え軽食 25分ロスタイム
費用 参加料 15,000円
交通費 10,800円 (ナンバ -- はりまや橋 往復バス代)
5,660円 (JR高知駅~ ろしお鉄道平田駅 往復)
2.260円 (特急券 中村→高知・片道)
宿泊代 21,840円 (JTB宿泊パック 宿泊のみ2泊 )
総費用 55,560円