日曜日にウォーキング娘の例会で「鹿背山(かせやま)城跡と大仏鉄道跡 」を歩いた
時に、鹿背山不動さんで昼食休憩をしました。
お不動さんは建武元年(1334年)の石不動で、現在は岩屋にお不動さんが祀られ
古くから信仰を集めています。残念ながら見ることができませんでした。
立派な大師堂もあり、裏山には「しょんべんたれ地蔵」と「春日のおばはん」と名付け
られたお地蔵さんがあるというので、ご対面すべく食後みんなで登っていく。
しょんべんたれ地蔵です。鎌倉時代後期の磨崖仏でなかなか大きな石に彫られています。
パンフレットによると、7日間お参りすると夜尿症が治るといわれてます。
お地蔵様が代りに「夜尿症」が治るそうです。お地蔵さんのお腹に小さな窪みがあり、
水が流れた跡が赤く残っています。
しょんべたれ地蔵の後方に少し登ったところに「春日のおばはん」地蔵がある。
これは室町時代の作です。
立っているところが興福寺・春日明神の鬼門筋にあたり、これを守るお地蔵様といわれ
ています。
お地蔵様のお腹がぷっくらと膨れていて中年女性のように見えることから
「春日のおばはん」の愛称で親しまれています。
ウォームスに参加されたおばさんたちも、しきりにお腹を笑いあいながら
なぜていました。
なかなかユニークなネーミングのお地蔵さん巡りのひとときでした。
今日はウォームスの例会で天理の桃尾の瀧から大国見山へ紅葉ウォーク。
途中携帯の電池切れで、モブログができませんでしたが、大国見山の途中に
大親寺という静かなお寺に寄り道したのですが、紅葉と苔むした境内がとても
気に入り印象に残りました。
明日詳しいことをアップします。
虚空蔵町より南椿尾を歩く一行です。これより少しずつ山に入っていきます。
これからの予定は、南椿尾から椿尾の磨崖仏を見て北椿尾経由で城山に登り、
城山で昼食休憩をする。帰りのコースは一気に下り名阪道路の下を潜り中畑
より興隆寺町に出て再び南椿尾に戻るという、一周コースになる。
今回は主催者のたなかさんから、ムカゴを採り大会も組み込まれており、一番
大きなムカゴを採った方にささやかだけれど、素敵な賞品を贈呈が用意されて
いるので、山歩きの途中皆さん山芋のツルを見つけては盛んに採取していた。
山間の畑には、色鮮やかな千日草もたくさん見られた。
9月に対面した椿尾の磨崖仏の一部です。この辺りには3,4体かたまって
見ることができる。室町末期から江戸時代中期にかけて彫られたそうです。
木漏れ日を浴びて、お地蔵さんが微笑んでいるように見えます。
皆さん思い思いにムカゴや、落ち栗拾いなのでのんびり歩いていきます。
この分だとお昼は予定より大分遅れて1時前になりそうです。
奈良や大和郡山の市街地が望める所まで、それでも大分上まで登ってきました。
やっと長い車道から離れて、城山の登り口の地道に入りました。
山道を入ったらすぐ山頂かと思っていたら、けっこう巻き道なのでなかなか山頂
までたどり着けません。食パン1枚の朝食だったので結構空腹を悩まされる。
12時45分倒れ掛かった3,4本小さな赤い鳥居を潜るり石段をあがると、
小さな空間にでる。4,5人座ると一杯になるような場所、そこが山頂でした。
せっかく頂上に辿りついたのですが、潅木に囲まれ見晴らしは全然ありません。
この城山は頂いた資料によると、筒井順慶が築いた椿尾(つばお)城跡らしい。
食後自己紹介やミーティングのあと、13時40分に下山する。
名阪道路に挟まれた中畑集落に架かる陸橋の下を潜り、集落を横切ると再び
名阪道路にかかる大きな赤い陸橋を潜り興隆寺町に出る。
上空は気持ちいいほどの秋晴れです。
朝通過した南椿尾に戻って着ました。時刻は15時過ぎになっていた。
ここにたどり着くまで一人の方が両足に痙攣を起こされて、モーム娘会員の
4人ほどが最後尾でフォローしていたので、先頭とどんどん離れだした。
櫟本駅まで歩くとまだ2時間ほどかかりそうなので、近くの森本町のバス停
まで送り届けた。
事情を説明をリーダーに電話連絡し、我々4人もこの地で解散することにした。
私は櫟本駅に自転車を預けているので、一人寂しく戻った。
秋晴れの下、皆さんとわいわい言いながら、のんびりと楽しく歩けた。
ところで「むかご大会」は盛況に終わったのでしょうか?
昨日は古道紀行の10月例会「城山の道ー椿尾の里を訪ねて」に参加して
里山歩きをしてきました。
コースはJR櫟本駅ー和爾下神社-高塚遺跡公園ー南椿尾ー北椿尾-城山-
椿尾城跡-興隆寺ー弘仁寺ー東大寺山古墳ーJR檪本駅
集合解散地の櫟本駅はレトロな駅舎でした。
駅へは家から真東8kmほどの距離なので、自転車で駆けつける。
本日の参加者は20人ほどで、歩く距離は15km。高低差は450m。
赤ボタンを押し、4万分の1にすると全体が。
駅から少し歩くと上ツ道(かみつみち)にでます。
細い道沿いに古い民家もあります。櫟本分署跡なども訪ねる。
辻には道標や、新しい辻札などで町並みの説明がされたいた。
和邇下神社にも立ち寄る。この一帯は古代豪族・和邇氏の本拠地和邇の里です。
神社の参道は自動車の通り道になり、途中左折すると本殿に行きますが上らず、
両側に木々が生茂り薄暗い道を進むと、雑然とした場所に柿本寺跡があった。
柿本寺跡から和邇町に続く、気持ちのいい散策道です。
6世紀後半の櫟本高塚遺跡に、高塚公園が造営され休憩所や立派なトイレもあり
そこで休憩をする。10時20分これから「城山・528m」に向かいます。
グループでは立ち寄らなかったが、そばまで来ていたので少し走って覗いた。
虚空蔵山に抱かれるよう場所に十三参りで有名な「虚空蔵さん」弘仁寺です。
小高い丘の上にあり、なかなか静かないいお寺です。紅葉の頃がいいかも。
椿尾の里にはいります。畑の柿も秋の深まりを感じさせてくれます。
ここは先月もウォーキング娘の例会で、七曲から下って通った道です。
雲ひとつない秋晴れの清清しい里山歩きを満喫しています。
めざす城山はまだまだ遠い~です。
「七曲峠を下る 前編 後編 」
今日は古道紀行の10月例会「城山の道ー椿尾の里を訪ねて」に参加して
里山歩きをしてきました。
コースは櫟本駅ー和爾下神社-高塚遺跡公園ー南椿尾ー北椿尾-城山-
椿尾城跡-興隆寺ー弘仁寺ー東大寺山古墳ー檪本駅
先月ウォーキング娘で歩いた箇所と一部重複しましたが、絶好の秋日和の下
のんびり歩きで、先週のシマントで固まった身体をほぐしてきました。
詳しい紀行は明日アップいたします。
今日は道中で見かけた「秋の実」をおみやげにいたします。
ご存知「アケビの実」
「ウリ坊みたいなカラスウリ」
「朱も鮮やかなカラスウリ」
カラスウリの花・夕刻から夜への華麗な変身
いつもお世話になっているanikobeさんのブログ「カフェテラス」より
紹介させてもらいました。
今日より私の大好きな10月です。やっと秋らしい季節になったようです。
10月は誕生月でもあります。まもなく満66歳を迎えます。
14日には四万十川100kmウルトラマラソンに出場。完走を目指します。
夏場3ケ月に千キロの走りこんだ成果を、シマントでは発揮したいですね。
残り10日ほどは最終調整をし、風邪など引かないよう注意して臨みたいです。
9月に歩いたウォーキング娘の例会を、9月27日に七曲峠を下る①と
してUPしてから、またまた日が過ぎてしましましたが、ようやく後編をUP
することが出来ました。ウォーキング娘のファンの方すみませんでした。
受け取り地蔵
下之坊永照寺の婆羅門杉に見送られて、いよいよ本日のハイライトの七曲峠に
向かいます。山道を徐々に高度を上げて登って行きます。
峠の手前に「受け取り地蔵」があり、大きな石龕の中に抱かれていました。
なぜ「受け取り地蔵」と言われ信仰されているかというと、お地蔵さんの前に
平たい石が対で置かれています。(上部左の写真)昔はこの石に棺桶を載せて
葬儀が営まれ、後の広場で(上部右の写真)法要し土葬していたとのことです。
ですからこのお地蔵さんは「受け取り地蔵」として崇められていたようです。
そういえば、なかなか薄暗く妖気が漂うミステリアスなゾーンでしたわ
受け取り地蔵より少し横に「七曲峠」の標識がありました(標高600m程)
古道「伊勢街道」の文字が書かれているのを見ると、昔は法隆寺郡山方面から
登り、福住、伊賀方面に歩いていく古道だったのでしょうね。
以前は道には倒木、草が生茂り荒れ放題の廃道になっていたのですが、今年
5月に地元の有志の方が道の補修、整備をしてくださり古道として復活した。
お蔭で九十九折れの細い山道だったのですが、迷うことなく楽に下ることが
出来ました。「福住いにしえ会」や地元の皆さんありがとうございました。
七曲峠を下ったら名阪道路に出てきた。名阪道路は時々通行するのですが、
このように陸橋から見下ろすのは初めてです。不思議な気分です。
橋を渡り静かな山間の中畑集落を歩きます。時刻は正午をまわりましたが、
昼食予定の米谷町の上之坊までは、また少し登って行かなければならない。
エンジェル・トランペット
坂道沿いに立派な石垣のお屋敷がありました。
その塀の向こうにエンジェル・トランペットの花が顔を覗かせています。
12時25分やっと上之坊に。お寺の境内でお昼です。
昼食後お寺を少し上がった所に、米谷共同墓地がありそこからの眺めがいいと
言うことで、皆で登って生きました。天理市街や生駒連山の山並みが望めた。
共同墓地はまだ新しく、10区画ほどあり整備中に掘り出された古い年代の
石仏なども区画毎にたくさん集められていた。
上之坊で昼食休憩1時間ほど取ったあと、13時35分に椿尾に向けて出発。
南椿尾の磨崖仏です。室町末期から江戸時代中期にかけて彫られたそうです。
けっこう大きな岩に彫られています。お顔の輪郭もまだ確りしていますね。
椿尾集落まだむかし静かな佇まいを残し、山肌には栗林も藪越に見れる。
なかなか立派な栗の実です。途中何人かは落ち栗のイガを踏み潰し、実を取り
出したりして楽しんでいます。ムカゴを見つけては集めています。
今夜は栗とムカゴで晩御飯が出来ると、頼もしいご婦人も。
里の秋を満喫しながらのんびり下ります。
北椿尾の地福地で3時の休憩です。ここにも石仏がたくさんありました。
甘い物を少し補給して出発です。
11月の例会で紅葉の正暦寺に来る時に、また出会う柳茶屋です。
ここは北山辺の道との合流点です。電話Bの横に小さな時計台がありました。
農産物の販売所もありここで最後の休憩。はやビールでお疲れ会をしている
人もいたが、ゴールは少し先の窪之庄南のバス停で、皆さん4時過ぎに到着。
ここから西に2kmほど進むと郡山市になり、自宅まで8kmほどだったので
練習がてら走って帰りました。
次回は11月25日(日)奈良町そして白毫寺から紅葉の正暦寺へと歩きます。
のんびりと紅葉を味いながらの散策なので、皆さんのご参加お待ちしています。
本日の練習
第二阪奈までの折り返しコースでしたが、今朝は結構肌寒くあまり汗もかかず
絶好のランニング日和でした。 1時間20分 13km
10月の走行距離 13.0km
07,1~今月累計 1561.0km
10月は誕生月でもあります。まもなく満66歳を迎えます。
14日には四万十川100kmウルトラマラソンに出場。完走を目指します。
夏場3ケ月に千キロの走りこんだ成果を、シマントでは発揮したいですね。
残り10日ほどは最終調整をし、風邪など引かないよう注意して臨みたいです。
9月に歩いたウォーキング娘の例会を、9月27日に七曲峠を下る①と
してUPしてから、またまた日が過ぎてしましましたが、ようやく後編をUP
することが出来ました。ウォーキング娘のファンの方すみませんでした。
受け取り地蔵
下之坊永照寺の婆羅門杉に見送られて、いよいよ本日のハイライトの七曲峠に
向かいます。山道を徐々に高度を上げて登って行きます。
峠の手前に「受け取り地蔵」があり、大きな石龕の中に抱かれていました。
なぜ「受け取り地蔵」と言われ信仰されているかというと、お地蔵さんの前に
平たい石が対で置かれています。(上部左の写真)昔はこの石に棺桶を載せて
葬儀が営まれ、後の広場で(上部右の写真)法要し土葬していたとのことです。
ですからこのお地蔵さんは「受け取り地蔵」として崇められていたようです。
そういえば、なかなか薄暗く妖気が漂うミステリアスなゾーンでしたわ
受け取り地蔵より少し横に「七曲峠」の標識がありました(標高600m程)
古道「伊勢街道」の文字が書かれているのを見ると、昔は法隆寺郡山方面から
登り、福住、伊賀方面に歩いていく古道だったのでしょうね。
以前は道には倒木、草が生茂り荒れ放題の廃道になっていたのですが、今年
5月に地元の有志の方が道の補修、整備をしてくださり古道として復活した。
お蔭で九十九折れの細い山道だったのですが、迷うことなく楽に下ることが
出来ました。「福住いにしえ会」や地元の皆さんありがとうございました。
七曲峠を下ったら名阪道路に出てきた。名阪道路は時々通行するのですが、
このように陸橋から見下ろすのは初めてです。不思議な気分です。
橋を渡り静かな山間の中畑集落を歩きます。時刻は正午をまわりましたが、
昼食予定の米谷町の上之坊までは、また少し登って行かなければならない。
エンジェル・トランペット
坂道沿いに立派な石垣のお屋敷がありました。
その塀の向こうにエンジェル・トランペットの花が顔を覗かせています。
12時25分やっと上之坊に。お寺の境内でお昼です。
昼食後お寺を少し上がった所に、米谷共同墓地がありそこからの眺めがいいと
言うことで、皆で登って生きました。天理市街や生駒連山の山並みが望めた。
共同墓地はまだ新しく、10区画ほどあり整備中に掘り出された古い年代の
石仏なども区画毎にたくさん集められていた。
上之坊で昼食休憩1時間ほど取ったあと、13時35分に椿尾に向けて出発。
南椿尾の磨崖仏です。室町末期から江戸時代中期にかけて彫られたそうです。
けっこう大きな岩に彫られています。お顔の輪郭もまだ確りしていますね。
椿尾集落まだむかし静かな佇まいを残し、山肌には栗林も藪越に見れる。
なかなか立派な栗の実です。途中何人かは落ち栗のイガを踏み潰し、実を取り
出したりして楽しんでいます。ムカゴを見つけては集めています。
今夜は栗とムカゴで晩御飯が出来ると、頼もしいご婦人も。
里の秋を満喫しながらのんびり下ります。
北椿尾の地福地で3時の休憩です。ここにも石仏がたくさんありました。
甘い物を少し補給して出発です。
11月の例会で紅葉の正暦寺に来る時に、また出会う柳茶屋です。
ここは北山辺の道との合流点です。電話Bの横に小さな時計台がありました。
農産物の販売所もありここで最後の休憩。はやビールでお疲れ会をしている
人もいたが、ゴールは少し先の窪之庄南のバス停で、皆さん4時過ぎに到着。
ここから西に2kmほど進むと郡山市になり、自宅まで8kmほどだったので
練習がてら走って帰りました。
次回は11月25日(日)奈良町そして白毫寺から紅葉の正暦寺へと歩きます。
のんびりと紅葉を味いながらの散策なので、皆さんのご参加お待ちしています。
本日の練習
第二阪奈までの折り返しコースでしたが、今朝は結構肌寒くあまり汗もかかず
絶好のランニング日和でした。 1時間20分 13km
10月の走行距離 13.0km
07,1~今月累計 1561.0km
9月23日(日)にウォーキング娘の9月例会で、天理・福住町から新装なった
七曲峠を下り、米谷町、椿尾町を経て帯解界隈まで歩いてきました。
七曲峠は福住町別所地域から奈良市中畑町方面に向かう約3キロの山道ですが、
荒れ果て廃道となっていたのを地元有志が集まり、3月に道を塞いでいた倒木
や雑草を取り除き、4月にも整備作業を行い復興して下さったそうです。
お蔭で快調につづれ折れの山道を、迷うことなく歩いて下ってこれました。
遅くなりましたが、今日、後日と2日間に分けてアップします。
七曲峠
二万分の一にボタンをクリックしていただけると全体のコース地図が分かります。
天理駅から福住方面のバスになったのですが、参加者は30数人と大人数だった
ので、小型バスは貸切状態の満員でした。
福住の町を歩き出してすぐに、素敵な阿弥陀笠石仏像が道端で出迎えてくれた。
タケチャンマンさんの話によると、以前はすぐ下の川の近くにあったのだが、
河川工事で移動されて現在の場所に置かれたそうです。
鎌倉後期応長元年(1311)の作だそうです。700年前とは凄い
阿弥陀笠石仏像から数分歩いた所に氷室神社がありました。
ここの神社には大きな楓の木が生茂っていたのが目に付く。
晩秋には見事な紅葉が見られるそうです。
この神社は日本書記にも登場する「氷室」で、有名で氷室で冬の間天然氷を切り
だして、夏まで保存して奈良朝廷に献納していたそうです。
地元の有志で近くに氷室小屋を復元して、2月に人工の氷を収納し、7月に取り
出すてみると、3分の1ほど溶けていたが氷塊は残っていたそうです。
TV番組のダッシュ村でも、同じような方法で氷室作りをしていたのを思い出
しました。結果はダッシュ村も同じで大部分が解けてなくなっていました。
氷室神社から北へしばらく行きますと、十王石仏が道の左手にあります。
その横に小さいお堂があり、中に如意輪観音と弘法大師像が祀られていました。
幕末の作らしいですが、伊勢街道を往来する志士達にも目に留ったのでしょね。
福住町から長閑な野道を歩いて、別所の集落に向かいます。
この辺りは氷室があったように、高原なので稲の刈り取りは少し早いようです。
陽射しはあるのですが、先週の猛暑を忘れさせるほど歩きやすい気候です。
石垣の続く集落のとある一軒に、石垣の中から大きな石柱が飛び出していた。
みんな立ち止まり何のための石柱なのかと、首をひねります。
圧倒的に男性のシンボル説が多いようでしたが、狭い道路なので石垣保護の為の
標識がわりだと、まともな意見もありましたが皆さんの意見は如何ですか
町歩きが楽しいのもこのような、具象に出会う時ですね。
2kmほどの道のりは1時間かけてのんびり永照寺の山門に到着しました。
出迎えてくれたのは、樹齢800年の婆羅門杉です。
圧倒される大樹です。
門前の案内版には、寺の本尊である十一面観音像が聖武天皇と婆羅門僧の合作。
インドではバラモンとはの最上級の階級のことで、婆羅門杉と呼ばれています。
この永照寺(下之坊寺)で私が、興味を引かれたのは本堂裏側の斜面に埋もれて
少しだけ姿を現している小さなお不動さんでした。
婆羅門杉の石段の前に石龕があり、その中にも不動石仏が祀られていたが、この
裏山の苔むしたお不動さんの我慢強い姿は感動ものでした。
明日は後半、「七曲峠から奈良市内へ」をアップします。
本日の練習
今日は夕方、軽めの練習をサイクルロードで行う。 5km
曇りぞらだったが、久し振りの蒸し暑さで夕方でも汗だくになる。
9月の走行距離 326.0km
07,1~今月累計 1548.0km
今日はウォー娘例会で奈良市の郊外大和茶の里、田原をのんびり歩いてきました。
時折小雪が舞う寒い1日でしたが、風がないので歩くには丁度の天候でした。
JR奈良から日笠町までバス、そのあと太安万侶の墓から、国見山を登り、東大寺
二月堂お水取りの松明調進の道を下り奈良駅までのロング歩でした。
広い田原の里を右に左に、折り返したりして歩きました。
そのほとんどが茶畑道で、気持ちのいい風景を堪能しました。
昭和54年に発掘された太安万侶の墓地です。この地が一躍脚光を浴びこの辺鄙な
土地にたくさんの観光客が訪れるブームでした。
大和郡山には古事記のもうひとりの編纂者である稗田阿礼を祀る賣太神社(めた)が
あるので、こちらにも訪れる人が増えたのを記憶しています。
山道、田園の畦は山菜のの宝庫で、ふきのとうがとり放題で皆さんビニール袋に
いっぱい取っていました。また土筆やからし菜、せりなど女性群は夢中で採取し
行軍は大幅に遅れました。のんびりと寄り道歩きはウォー娘の特徴でもあります。
当初国見山の山頂で食事をする予定だったが、12時も過ぎてもまだ登り口を
少し登ったところだったので、途中の見晴らしのいい場所での昼食になった。
休憩後、少し長めのコンクリートの急坂を登りきりピークにでると、頂上までは
気分のいい落葉道が続き10分ほどで山頂に到着した。
正面には生駒山や、手前にはホームグランドの矢田丘陵が見えていた。
矢田丘陵にある国見台展望所からは、この国見山が正面に見える。
頂上で少し休憩をしたあと。もと来た道を矢田原に戻り、お水取りの松明調進の道
である鉢伏峠経由の長い長い旧道を下り奈良市内に下りてきました。
みんなは終着点の鹿野園にでたが、私は東海自然歩道を進み奈良公園をへて奈良駅
に戻り帰宅しました。矢田原から2時間半ほどの道のりでした。