ムッチャンのイレギュラーマガジン・特別号(改)
『竹島は竹島の竹島だ!②』
前号と同じタイトルで恐縮です。前号は、どこか筆先が鈍いので続編です。
もし、あなたが芝居を観ていて、いきなりこんな台詞を叫ばれたら、どうお感じになるでしょう。
わたしは数年前、高校生の芝居を観ていて、急にこの台詞を聞き、いっぺんに冷めてしまいました。しばらく前号の続きになります。
芝居は、おおよそ以下の通りです。
民族系の高校に通っていた生徒が、公立高校に転校します。おおざっぱに言うと「新しい自分を見つけるため」です。
転校した公立高校も、沈滞した空気でした。
主人公の高校生は、楽しく活気のあるクラスにしようと、文化祭の取り組みを提案し、当初はその子の提案通り事は進みかけたように見えます。
ところが、のらないクラスメート、白ける仲間。元の民族系の学校の友だちからは「戻って来いよ」と言われ、親は無関心……であったように記憶しています。本人も父親を好きではありません。父は、民族の話、特に竹島の話題が出るたびに「竹島は竹島の竹島だ!」と逃げています。
本もよく書けていて、演技も巧みでした。登場人物や話題に上る人物の描写がうまく、その一人一人を取り上げても別に本が一本書けるほどの豊かさをもっていました。
「よう出来てるなあ」途中までは感心して観ていました。
ところが、突然主人公は「竹島は竹島の竹島だ!」と、叫びます。原本は方言で書かれていますが、地域や学校を特定されないために標準語にしました。
主人公は、友達などから、いろんなことを言われ、追い込まれ、そして「自分は自分だ、ごちゃごちゃ言うな!」という気持ちをこの言葉に託したそうです(あとからうかがった話)
いわば個人の独立宣言のような心の叫びなのですが「竹島」が出てくることが腑に落ちません。
前述しましたが、これは好きではない父が自棄(ヤケ)になって自分の殻に閉じこもるときの言葉です。本の作りとしても矛盾した台詞です。自分の独立宣言に嫌いな父の、それも嫌な時に発する言葉を使うでしょうか。
しかし、感動的な独立宣言であるために、観客は思わず拍手してしまいます。
ここだけを採ると『竹島棚上げ論』に拍手したことになります。
この芝居は、いろんなところで上演されました。A新聞が文化欄で大絶賛しました。どこからもクレームは付きませんでした。コンクールの審査員であった大劇作家であり大演出家であった某氏は、こうおっしゃったそうです。
「こんな芝居を観せてくれてありがとう!!」
ほら、みんな感激して、だれも文句言わないじゃないか、という空気がありました。
それを、この審査委員長は太鼓判を押してしまったのです。六十年以上も生きていると、日本の文化人のアホラシサといい加減さが身に染みています。古いところでは終戦後、日本をアメリカの50番目の州にしてほしいという手紙をマッカーサーに送った御仁がいました。
戦後の代表的大文豪の志賀直哉は1946年に雑誌『改造』に発表したエッセイで、日本語は「不完全で不便」であり、そのため「文化の進展が阻害されて」いるから、これを廃止して代わりに「世界中で一番いい言語」であるフランス語を採用してはどうかと主張しました。
簡単に言えば、戦争を起こしたのは日本語のせいであるという論旨です。
中国の文化大革命も当時の文化人の多くが礼賛することで、日本人に間違った中国観を持たせました。わたしは、この審査員氏と同じ組織にいますが、脱退を考えています。
とにかく、かくも日本人の大半は国際的に重要な情報発信に鈍感なのです。
わたしは、この芝居を超えて、こういうことに危うさを感じない感性に危機感を持ちます。外国人が観れば、日本は竹島棚上げ論に賛成と受け止められます。
その危うさを感じたので、わたしは当該の高校演劇連盟の会長である某校の校長に電話を入れました。校長はご不在でしたが、学校は私の伝言を正確に伝えていただけました。
いつも、わたしのメッセージやメールは完全にシカトされる、高校演劇連盟の常任委員長の先生から長文のメールが来ました。
――あれは(「竹島は竹島の竹島だ!」という台詞)は、主人公の独立宣言を父の言葉を借りて言ったもので、竹島棚上げ論ではありません――という意味の内容を長文にしただけのものです。
うがった見方かもしれませんが、会長以下常任委員、当該校の校長、顧問も危うさには気が付いていたのでしょう。そうでなければ、普段完全にシカトすることに決めている私のところに、長文の、しかも作品の内容理解を捻じ曲げてまでの釈明メールが来るはずがありません。
この作品は、国内でもっとも権威のある高校演劇コンクールに参加することになっていました。平たく言えばミソを付けられたくないないのでしょう。
彼らの尺度は、中身の問題ではないのです。世間で問題にされるかどうかなのです。後述しますが、高校演劇には時に危うい表現があります。世間が問題にしないので、それをもって良しとしています。
竹島のことなど、どうでもいいのです。自分たちの代表が無事にコンクールに出ることしか頭にありません。こういうことが間違った世論を形成し、国際社会に間違ったメッセージを発することへの認識が欠如しています。
地上波ではありませんが、国営放送の電波にものりました。視聴者も少なく、前述したように、うっかり観て居ると感動的な台詞にしか聞こえません。
A新聞に載った以上に危ういことです。映像は記録に残ります。記録は加工したり一部を取り上げることも可能です。いつどこで、どんなタイミングで利用されるか分かりません。
もっと前ですが、舞台で日の丸を毀損するということをやった高校がありました。このシーンを観た実行委員長の先生は鑑賞そっちのけで始末書の原稿を書きはじめました。でも、結果的には誰も苦情を言いません。
日本人はおおらかなのだ……では済まない問題が隠れているように思います。かつて長野オリンピックで、こともあろうに韓国と北朝鮮の国歌を間違えて流したり、某国の国旗を間違えて(この国は縦用掲揚と横用掲揚ではデザインが違います)掲揚したり、国歌を「選手団の歌」国旗を「選手団の旗」とアナウンスし、国の内外から問題や疑問として取り上げられました。
この芝居は前述したように「竹島に関しては棚上げ論でいいと思っている」というメッセージとして受け止められます。戦後竹島周辺では、韓国警備隊に拿捕された日本漁船約328隻 抑留された船員は3929人、死傷者は44人にのぼります(光文社、Wikipedia資料) 日本は棚上げ論でいいようなメッセージは慎むべきでしょう。
ただ、わたしは、これを書くことによって、上演した当時の高校生たちを責める気持ちも意図もありません。本自体は、この部分を除いてよく書けています。
わたしは、この台詞の不自然さ不穏当さに気づき注意や指導をしてやる大人たちがいないことに問題と危機を感じているのです。
わたしは無名の劇作家ですが。作品や言葉に対しては人並みの感性を持っているつもりです。このことは鑑賞直後に書こうと思いました、上演した高校生たちが非難されないために、彼らが卒業するまで掲載を控え、今年の4月に掲載したものを加筆修正しました。さらに今日一歩踏み込んで加筆しました。
2015 5 15 劇作家 大橋むつお
『竹島は竹島の竹島だ!②』
前号と同じタイトルで恐縮です。前号は、どこか筆先が鈍いので続編です。
もし、あなたが芝居を観ていて、いきなりこんな台詞を叫ばれたら、どうお感じになるでしょう。
わたしは数年前、高校生の芝居を観ていて、急にこの台詞を聞き、いっぺんに冷めてしまいました。しばらく前号の続きになります。
芝居は、おおよそ以下の通りです。
民族系の高校に通っていた生徒が、公立高校に転校します。おおざっぱに言うと「新しい自分を見つけるため」です。
転校した公立高校も、沈滞した空気でした。
主人公の高校生は、楽しく活気のあるクラスにしようと、文化祭の取り組みを提案し、当初はその子の提案通り事は進みかけたように見えます。
ところが、のらないクラスメート、白ける仲間。元の民族系の学校の友だちからは「戻って来いよ」と言われ、親は無関心……であったように記憶しています。本人も父親を好きではありません。父は、民族の話、特に竹島の話題が出るたびに「竹島は竹島の竹島だ!」と逃げています。
本もよく書けていて、演技も巧みでした。登場人物や話題に上る人物の描写がうまく、その一人一人を取り上げても別に本が一本書けるほどの豊かさをもっていました。
「よう出来てるなあ」途中までは感心して観ていました。
ところが、突然主人公は「竹島は竹島の竹島だ!」と、叫びます。原本は方言で書かれていますが、地域や学校を特定されないために標準語にしました。
主人公は、友達などから、いろんなことを言われ、追い込まれ、そして「自分は自分だ、ごちゃごちゃ言うな!」という気持ちをこの言葉に託したそうです(あとからうかがった話)
いわば個人の独立宣言のような心の叫びなのですが「竹島」が出てくることが腑に落ちません。
前述しましたが、これは好きではない父が自棄(ヤケ)になって自分の殻に閉じこもるときの言葉です。本の作りとしても矛盾した台詞です。自分の独立宣言に嫌いな父の、それも嫌な時に発する言葉を使うでしょうか。
しかし、感動的な独立宣言であるために、観客は思わず拍手してしまいます。
ここだけを採ると『竹島棚上げ論』に拍手したことになります。
この芝居は、いろんなところで上演されました。A新聞が文化欄で大絶賛しました。どこからもクレームは付きませんでした。コンクールの審査員であった大劇作家であり大演出家であった某氏は、こうおっしゃったそうです。
「こんな芝居を観せてくれてありがとう!!」
ほら、みんな感激して、だれも文句言わないじゃないか、という空気がありました。
それを、この審査委員長は太鼓判を押してしまったのです。六十年以上も生きていると、日本の文化人のアホラシサといい加減さが身に染みています。古いところでは終戦後、日本をアメリカの50番目の州にしてほしいという手紙をマッカーサーに送った御仁がいました。
戦後の代表的大文豪の志賀直哉は1946年に雑誌『改造』に発表したエッセイで、日本語は「不完全で不便」であり、そのため「文化の進展が阻害されて」いるから、これを廃止して代わりに「世界中で一番いい言語」であるフランス語を採用してはどうかと主張しました。
簡単に言えば、戦争を起こしたのは日本語のせいであるという論旨です。
中国の文化大革命も当時の文化人の多くが礼賛することで、日本人に間違った中国観を持たせました。わたしは、この審査員氏と同じ組織にいますが、脱退を考えています。
とにかく、かくも日本人の大半は国際的に重要な情報発信に鈍感なのです。
わたしは、この芝居を超えて、こういうことに危うさを感じない感性に危機感を持ちます。外国人が観れば、日本は竹島棚上げ論に賛成と受け止められます。
その危うさを感じたので、わたしは当該の高校演劇連盟の会長である某校の校長に電話を入れました。校長はご不在でしたが、学校は私の伝言を正確に伝えていただけました。
いつも、わたしのメッセージやメールは完全にシカトされる、高校演劇連盟の常任委員長の先生から長文のメールが来ました。
――あれは(「竹島は竹島の竹島だ!」という台詞)は、主人公の独立宣言を父の言葉を借りて言ったもので、竹島棚上げ論ではありません――という意味の内容を長文にしただけのものです。
うがった見方かもしれませんが、会長以下常任委員、当該校の校長、顧問も危うさには気が付いていたのでしょう。そうでなければ、普段完全にシカトすることに決めている私のところに、長文の、しかも作品の内容理解を捻じ曲げてまでの釈明メールが来るはずがありません。
この作品は、国内でもっとも権威のある高校演劇コンクールに参加することになっていました。平たく言えばミソを付けられたくないないのでしょう。
彼らの尺度は、中身の問題ではないのです。世間で問題にされるかどうかなのです。後述しますが、高校演劇には時に危うい表現があります。世間が問題にしないので、それをもって良しとしています。
竹島のことなど、どうでもいいのです。自分たちの代表が無事にコンクールに出ることしか頭にありません。こういうことが間違った世論を形成し、国際社会に間違ったメッセージを発することへの認識が欠如しています。
地上波ではありませんが、国営放送の電波にものりました。視聴者も少なく、前述したように、うっかり観て居ると感動的な台詞にしか聞こえません。
A新聞に載った以上に危ういことです。映像は記録に残ります。記録は加工したり一部を取り上げることも可能です。いつどこで、どんなタイミングで利用されるか分かりません。
もっと前ですが、舞台で日の丸を毀損するということをやった高校がありました。このシーンを観た実行委員長の先生は鑑賞そっちのけで始末書の原稿を書きはじめました。でも、結果的には誰も苦情を言いません。
日本人はおおらかなのだ……では済まない問題が隠れているように思います。かつて長野オリンピックで、こともあろうに韓国と北朝鮮の国歌を間違えて流したり、某国の国旗を間違えて(この国は縦用掲揚と横用掲揚ではデザインが違います)掲揚したり、国歌を「選手団の歌」国旗を「選手団の旗」とアナウンスし、国の内外から問題や疑問として取り上げられました。
この芝居は前述したように「竹島に関しては棚上げ論でいいと思っている」というメッセージとして受け止められます。戦後竹島周辺では、韓国警備隊に拿捕された日本漁船約328隻 抑留された船員は3929人、死傷者は44人にのぼります(光文社、Wikipedia資料) 日本は棚上げ論でいいようなメッセージは慎むべきでしょう。
ただ、わたしは、これを書くことによって、上演した当時の高校生たちを責める気持ちも意図もありません。本自体は、この部分を除いてよく書けています。
わたしは、この台詞の不自然さ不穏当さに気づき注意や指導をしてやる大人たちがいないことに問題と危機を感じているのです。
わたしは無名の劇作家ですが。作品や言葉に対しては人並みの感性を持っているつもりです。このことは鑑賞直後に書こうと思いました、上演した高校生たちが非難されないために、彼らが卒業するまで掲載を控え、今年の4月に掲載したものを加筆修正しました。さらに今日一歩踏み込んで加筆しました。
2015 5 15 劇作家 大橋むつお