くノ一その一今のうち
佐助に脅かされ、服部課長代理に皮肉をとばされたわりには平穏な日々が続いている。
緊張を孕んだ平穏……ちょっと堪える。
今日も表面的には無事に『吠えよ剣』の収録が終わり、無事にまあやを送り届けたので事務所である総務二課の部屋でお茶を飲んでいる。
「ほい、どっちだ?」
力持ちさんが両手をグーにして突き出した。
「え、なんですか?」
「コンビニで買い物して、お釣りを握ってるんだけど、どっちだと思う?」
なるほど、デスクの上にはレジ袋が置いてある。
「あ、わたしボンヤリしてました?」
佐助の一件以来、まあやのガードには少し……いや、けっこう気を遣っている。
マネージャーに引き継ぐところで、わたしの仕事は終わりなんだけど、今日は事務所まで送り届けた。本当だったら、事務所どころか、まあやの家まで付いて行きたいところなんだけど、お互い事務所の顔もあるし、課長代理も「今のところは、それでいい」と言う。
「さあ、どっち?」
「……右です」
「ち、当たっちゃった」
「丸わかりです」
「そうなの?」
「はい、表情に出てます」
お祖母ちゃんに仕込まれ、この手の事はお茶の子さいさい。
お祖母ちゃんは、自分で握ったり、お茶碗の下に隠したり、いろいろやってくれたけど、六つの頃には、ほぼ完ぺきに当てられるようになった。ただ、お祖母ちゃんの訓練には他の狙いもあったんだけど、それは、またいずれね。
人間、物を隠すと――ここに隠した――という意識が強くなって、それが出てしまう。
どういうところに出るかは言えない。
「じゃ、わたしのは、分かるかなあ……」
伝票処理が終わった金持ちさんがティッシュペーパーを丸めながらやってきた。
「おお、真打登場!」
「ヒューヒュー」
パチパチパチ
金持ちさんも嫁持ちさんも、おどけて、金持ちさんのために場所を空ける。
「ええ、どうぞ」
「それじゃあ……エイ!」
金持ちさんは、わたしの目の前で素早く握った両手を上下左右に交差させて、わたしの前に示した。
「どっちでしょうか?」
「……わたしの後ろ、たぶんデスクの上」
振り返って、予想通りデスクの上にあったティッシュを示した。
「あれえ、ポーカーフェイスには自信あったんだけどなあ」
「だって、金持ちさんが名乗りを上げると、力持ちさんも嫁持ちさんも、わたしの視界から外れましたよね。それって、わたしに表情を読まれないためです。そして、交差した手は、上下方向に振られた時、大きく、わたしの視野の外まで振られました。視野から外れた時に後ろのデスクに投げたんです」
「ほう……さすがは風魔」
「ティッシュ持ち出した時点で予想はつきましたけど」
「そうだね、落ちても音がしないもんな。やっぱ、読まれてるよ金持ち」
「でも、表情からは読めなかったでしょ?」
「はい、さすがは会計担当です」
「ぬふふふ」
「でも、お風呂でやったら分かります」
「え、そうなの?」
「はい、表情が出るのは顔だけではないですから」
「な、なるほど……」
フフフ……先輩を負かして、ちょっとリラックス。
ありがたい、先輩たちは、わたしの苦しさを分かって解してくれている。
さ、社長に報告して、今日は帰ろう。
コンコン
隣の社長室(百地社長もこっちに来るようになって社長室をもらってる)をノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
「おう、ご苦労様。ところで、どっちだ?」
社長は、握った両手をわたしの前に突き出した。
「え、社長もですかぁ?」
「百地流はすごいんだぞぉ(⊙ꇴ⊙)」
目を、それこそ目いっぱい開いて、鼻の穴も膨らませて誤魔化したつもりかもしれないけど、丸わかり。
「左です」
「ほれ!」
社長が左手を開いた。
「ウッ(꒪ꇴ꒪|||)」
一瞬気が遠くなって、目を開けた時には社長の姿は無かった。
『ワハハハ、見たか、百地流忍法〔握り屁〕じゃ! まだまだ修行が足らぬ! 励め! そのいち!』
わたし、ここに居て大丈夫なんだろうか?
思わないではなかったけど、エレベーターで一階に下りるころには笑いがこみ上げてきた。
西の空は茜に染まって、思いのほか足どりが軽くなったのに驚いて地下鉄の駅に向かったよ。
☆彡 主な登場人物
- 風間 その 高校三年生 世襲名・そのいち
- 風間 その子 風間そのの祖母(下忍)
- 百地三太夫 百地芸能事務所社長(上忍) 社員=力持ち・嫁持ち・金持ち
- 鈴木 まあや アイドル女優 豊臣家の末裔鈴木家の姫
- 忍冬堂 百地と関係の深い古本屋 おやじとおばちゃん
- 徳川社長 徳川物産社長 等々力百人同心頭の末裔
- 服部課長代理 服部半三(中忍)
- 十五代目猿飛佐助 もう一つの豊臣家末裔、木下家に仕える忍者