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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

誤訳日本の神話・1『天地のはじめ(アメツチノハジメ)』

2021-01-14 12:04:12 | 評論

日本の神話・1
『天地のはじめ(アメツチノハジメ)』 
 

※ 始まりにあたって

 わたしは、かつて日本史の教師でした。

 わたしが生徒であったころは、日本史の教師はずっと日本史で、古いノート一冊あれば事足りました。気楽な商売でした。一年生の担任になっても日本史とか世界史が自分の持ち教科であれば、一年の地理などは持たずに、二三年生の授業だけを持っていて、自分のクラスにはホームルーム以外は顔を見せない、どうかするとホームルームも生徒任せで、月に数回しかクラスに顔を見せない先生もおられました。
 自分が教師になると大違い。たいてい、複数の小教科を兼ね、ノートも、その年その年の教科書に合ったものを作り(教育基本法だったか指導要領だったかに、授業は教科書によらねばならないとあります。それ以上に教科書を大切にさせる=授業に教科書を持ってこさせるため)、なんとか授業のカタチと水準を維持していました。
 そのため、自分の専門と思っていた日本史は手薄なものでした。

 それで、この歳になって、ちょっと振り返ってみようと思い立ちました。

 振り返ってみるにあたっては、記紀神話から始めようかと思います。

 地震などの災害で避難した時に、日本人の行儀の良さは有名です。戦後の学校教育の成果……いえ、もっと昔、日本書紀には中国に渡った日本人がリーダーの指示に従い、行儀よく並んでいたという記述があります。

『倭』という日本の古名は中国が付けました。背の低いやつらという意味ですが、もう一つの意味は――従順な奴ら――という意味です。集まれと言えば集まり、待っていろと言われれば大人しく、いつまでも待っています。列に並べと指示があれば世話を焼かすこともなく並んで次の指示を待ちます。こういうことを知っていると、日本人や日本の歴史への親近感が違います。明治以降の悪い教育のせいとは思いません。日本と日本人の祖型というか原風景を感じるには良い方法だと思うのです。しかし、一年間三単位~四単位の時間配当で神話は、せいぜい一時間ほどしか割けません。高校生活でたったの一時間、つまり一生で神話に思いを巡らすのは一時間しか持ちようがないのです。
 で、長ったらしい前説を言い訳にして、好き放題に神話を騙って……語ってみようと思った次第であります。

 天地(あめつち)のはじめ


 その昔、世界の一番始めの時、天界で御出現になった神さまは、お名前をアメノミナカヌシの神といいました。
 次の神さまはタカミムスビの神、その次の神さまはカムムスビの神、この三人の神様さまは皆お一人で現れて、すぐに居なくなりました。
 次に国ができたてで水に浮いたサラダオイルのように、またクラゲのようにふわふわ漂つている時に、泥の中から葦が芽を出してくるようなスピードで現れた神さまは、ウマシアシカビヒコヂの神、次にアメノトコタチの神でありました。この神さまがたも皆お一人で御出現になつて、すぐに居なくなってしまいました。
 それから続々と現われ出た神さまは、クニノトコタチの神、トヨクモノの神、ウヒヂニの神、スヒヂニの女神、ツノグヒの神、イクグヒの女神、オホトノヂの神、オホトノベの女神、オモダルの神、アヤカシコネの女神、それからイザナギの神とイザナミの女神とでした。このクニノトコタチの神からイザナミの神までで、神代七代と言います


 最後のイザナミにいたる神さままでは実体がありません。ただ名前が出てくるだけです。

 いろんな面倒くさい解釈がありますが、わたしはハッタリだと思っています。いわばイザナギ・イザナミの出現にモッタイを付けるためのイントロの役割にすぎません。映画や舞台でも、主役がいきなり出てくることはありませんよね。

 このイントロにあたる部分は、たいていの神話や宗教の伝記にはあり、聖書などノアが出てくるまでアダムとイブから何十人も出てきて、箱舟のあとノアの子孫からキリストが出現するまで、長編小説が二冊書けるほどの人物とストーリーがあります。
 まあ、キリスト教はユダヤ教という土壌を持っているせいもありますが、日本の神話は、わずか神代七代に過ぎません。スカートで言えば膝上5センチ程度で、シンデレラほどの長さはありません。まあ、女子高生のスカートほどの軽やかさです。無ければ上着だけのスッポンポンで、どうにもなりませんが、ベルばらのマリーアントワネットほどの仰々しさでもありません。
                        
 寝っ転がってポテチを齧りながら読んでいける軽さでやっていこうと思います。自分のイメージに合わない所は、好き放題に付け加えたり、膨らましたりしようと思います。最後まで行きつけるかどうか分かりませんが、とりあえず、始まりでした。

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全国高校等学校演劇協議会・八戸北高校『手のひらの雪ひとつぶの溶けるまで』を思う

2018-09-18 21:57:10 | 評論

 懐かしの『手のひらの雪ひとつぶの溶けるまで』

 初出:2011-08-10 21:03:11

 

 あれは……1971年の浦和大会か、1972年の東京大会のいずれかでしたが、最優秀賞に、八戸北高校の『手のひらの雪ひとつぶの溶けるまで』が選ばれました。

 今日、全国大会の終了に気づき、ふと40年前のこの作品が思い出されました。全国大会には、つごう10回ほど行ったのですが、記憶力の悪いわたしは、最優秀受賞校というのは、この学校の、この作品しか思い出せません。

 春おそい東北の町に、一組の男女の高校生がいました。

 たしか女の子が、町の外……たぶん県外……東京だったような気がします。そこに女の子は越していくことになり、男の子は、さりげなく(今の言葉では「さりげに」と誤用します)お別れを告げにきます。「好きなんだ」などという直裁な言葉はありません。互いの身の回りの、さりげない話題に終始します。今の感覚では「もどかしく」感じると思います。そして、もどかしい話の中に二人を取り巻く環境や問題、そして、想いが伝わります。二人の間にも、観客にも……そして、手のひらの雪ひとつぶの溶けるまでの僅かな時間に、互いの想いが結晶します。溶ける間に結晶するというとても叙情的な劇でした……

 出会いがあり、たどたどしい、もどかしい、粉雪がふわふわと降るように展開していく物語。「別れ」という結末は、最初から予感されました。しかし、そこにいたる物語の中は、言葉にはならない優しい想いと思いやりに満ちていました。

 信じがたいことですが、純粋な東北弁で全編が語られます。河内(大阪のど真ん中)原人のわたしには半分も意味がわかりません。会場にいた東北の観客の人以外は皆同じだったと思います。でも、ホワホワと想いは伝わってきました。

 クスっとした笑い。ゆったりとした展開。ギャグも、奇抜な展開も、アクロバットのような身体表現もありません。しかし、起承転結の、芝居のチョウツガイになる部分は、言葉が分からなくてもしっかりわかりました。ラストは、ちょっぴり涙と、割れんばかりの拍手の中に幕が降りてきました。

 書いているうちに、「天皇はんのみかん」や「紙一枚」 そして、わが大阪の日比野諦観先生がお書きになった「海の見える離れ」 都島工業高校の「天国どろぼう」などの作品が思い出されてきました。そうそう、町井陽子先生の「山の動く日」……榊原先生の「外向168」なんかも思い出されてきました。いずれもドラマの構造が確かで、登場人物の彫りが深かったですね。

 ロートルのわたしは、昔の作品群が懐かしく思い出されます。

   大橋 むつお

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高校演劇・小規模演劇部のマネジメント21世紀『保存版』

2017-04-13 12:39:01 | 評論


 高校演劇・小規模演劇部のマネジメント21世紀
(保存版)
  初出:2015-02-20 07:24:57       大橋むつお     


☆高校演劇への提言

 古いブログを整理していて、この記事を見つけました。私が、積極的に高校演劇に関わっていたころのものです。
 削除するには惜しい内容ですので、整理して残すことにしました。

 いろいろ書いていましたが、コンクールの審査と、小規模演劇部経営の問題、創作劇に絞って残しました。

 
☆審査基準のない高校演劇

 野球部の三大要素は「走」「攻」「守」です。打って走って守らなければ野球はできません。もっと分かりやすく言うと、ピッチャーがキャッチャーのミットまで球を投げられなくてはなりません。ベースを走って回れなければなりません。三割くらいの確率で打者はヒットを打てなければなりません。

 演劇の三大要素は「俳優」「戯曲」「観客」であります。演じる俳優がいて、演じるための戯曲があって、それを観る観客がいなければならず。野球の走・攻・守と同じく三つとも重要です。
 ですが、伝統校と言われる演劇部でも、観客席にも相手役にも声が届かない俳優が大勢います。戯曲は創作劇がほとんどで、一般的な演劇の感性から見ると大そう見劣りがします。
 そうではないと言われるかもしれませんが、高校演劇が一般化しない(高校演劇の名作というものが一般はおろか、高校演劇世界の中でも認知されていません。観客がひどく少ない)ことを見ればあきらかです。
 高校のダンス部や軽音の名門校をYouTubeなどで検索すると、多いものだと何万件ものアクセスがあります。演劇部で何万件ものアクセスを得ているところは、まずありません。

 日本で二番目に演劇部が多い大阪の演劇部を例にとるとここ十年間の平均で、およそ90。演劇部員数は、約700人です。これはコンクール参加校数からの類推です。同じ自治体の弓道部員は約600名。人口的にはほぼ同じ規模といえるでしょう。

 つまり、あまり隆盛であるとは言えないと思います。

 隆盛にならない最大の原因が、コンクールの審査にあると考えています。


 完全に把握できていませんが、高校演劇のコンクールには審査基準が無く、審査は審査員の『演劇観』に丸投げされています。

 数ある高校の部活の大会やコンクールで審査基準がないのは、知っている限り演劇だけです。
 その弊害は別のブログで述べていますので、簡潔に要諦を記します。

 審査基準が無いと、審査は審査員の主観に任されます。大きな弊害が二点あります。

①主観で観ていると、自分の「演劇の素敵さ」にハマらないとこれはダメと思い、無意識に「落とすポイント」を探します。実際講評を聞いたり合評会のレジメを読んでも、こんなとこにケチつけるかというものを見かけます。
 逆に、自分の「演劇の素敵さ」にハマると、無意識に「挙げるポイント」を探します。実際、こんなところを誉めるかというところにでくわします。

 つまり、同列に観なければならない作品群をダブルスタンダードで見てしまうのです。オリンピックや、アジア大会などで、特定の国に甘い、あるいは辛い審判がなされ、時に観客からブーイングがおこることがあるのをご存じでしょうか。
 ルールや採点基準が厳格になされていてもおこるのです。審査基準が無い危うさを分かっていただけるでしょう。

②事実上審査員は平等ではない……と書いたら驚かれるでしょう。通常コンクールの審査は、一般にその規模に応じ3~7名で行われます。そこには年齢、キャリア、現場にいるかどうかなどで、微妙な差が出ます。一般的にはキャリアのある先生。プロ演劇人の感性に引きずられがちです「あの人が言うんだから、ま、そうかな」になってしまいます。


☆審査基準試案

 今、多くの高校生の演劇コンクールには審査基準がありません。これまでのコンクールでは審査結果に疑問が持たれたところもありました。そこで、出来うる限り単純で、客観性が担保される審査基準を作ってみました。

①作品にドラマ性があるか
 ドラマ性とは、葛藤と読み替えてもいい。いわば、人間の物理的・心理的イザコザ。それが、作品に書けているか。この評価は既成、創作を問わない。作品の種類によってはエモーションと理解してもいい(能や音楽劇の場合、並のドラマツルギーで評価できないことがある)

②観客の共感を得られたか
 劇的な感動(人間が葛藤することや、その変化への観客の感動)を観客に与えられたか。

③表現に対する努力は十分であったか
 演出、演技、道具、音響、衣装、照明、などが作品を表現する上で、効果的になされていたか。

 以上の三点(③については項目別)に10段階評価を行い、最高点と最低点を除外して平均値を出す〈予選では10段階評価のみで、最高点・最低点の除外はやらない〉上位1/3の作品につき、さらに論議し、最優秀以下の受賞作品を決定する。その場合、一定の点数に至らない場合(例えば満点を100点とした場合、80点に満たない)上位コンクールへの出場権は与えるが、最優秀の称号は与えない。

 本選以上では、審査員に顧問審査員・OB審査員なども加え7名程度とし、点数集計において、最高点と最低点は除外し、平均値を出す(予選は審査員が3名なので、これは当てはめない)

※審査の点数化へのこだわり
 審査をしていて「これはだめだ」と思うと、無意識に「落とす理由」を探します。言うならば「減点方式」で、辛い審査になりがちです。実際「そんな理由で落とすか」ということがありませんか?
 逆に「これはいける」と思うと、無意識に「上げる理由」を探します。言うならば「加点方式」で、甘い審査になりがちです。実際「そんな理由で上げるか」ということがありませんか?
 だから、全ての出場校を、最初は0点として、上記の項目について加点していくのです。これで無意識な主観による「加点」「減点」が、かなり防げます。

 点数化しない限り、同じコンクールで「甘い加点」と「辛い減点」のダブルスタンダードに陥る可能性が高くなります。


☆こんなお便りをいただきました

 審査基準 (東京某区審査員)2014-11-09 10:01:04共感いたします。

自分は中学校演劇部の指導員をさせていただいていることから、数年前から区のコンクールの審査もお願いされるようになりました。

長くなるので詳細は省きますが、審査基準は自分で考えねばなりませんでした。

自分の好みが審査に影響しないようにするため、発声・動き・感情表現・演出・衣装と小道具・音響・装置・照明をそれぞれ1~5項目について採点するようにいたしました。

まだまだ改良の余地のある審査基準ですが、真摯に取組んでいる部員たちの思いに応え、皆が納得できる基準を作っていこうと思います。
 

 関東は、わたしの居る地方とは違い、学校ごとのコーチではなく、行政区(市や区)ごと指導員の方がおられ、他よりは相互のフィードバックや指導方針についての意見の交流ができるようになっています。他の地域でも参考にしていい制度と思います。中学や高校の演劇に対する運営の有り方が、連盟に一元化されておらず、いろんなところから声が挙げられる仕組みになっているようです。
 そんな指導員の中にも、審査について同じ意見をお持ちの方がおられるのは嬉しくも、心強くかんじましたので、コメントの扱いではもったいないので、とりあげさせていただきました。


☆これからの小規模演劇部の有り方

 演劇の基本は、役者・観客・戯曲の三つです。

 小規模演劇部というのは、このうち役者が少ないクラブを指します。少ないのなら少ないなりのやり方があります。
 登場人物が少なく、道具があまりなく、音響や照明に変化のない芝居です。世の中探せばそういう本はいくらでもあります。
 たとえ大人数の芝居でも、やりようによっては少人数でやれます。野村萬斎さんが、たった5人ほどでマクベスをやられました。わたしが書いた『ロミオとジュリエット』のオマージュも登場人物は5人です。三谷幸喜さんの『ベッジパードン』は、3人で、11人の登場人物をこなしていました。
 著作権の切れた古典など、上演許可もいりませんし、レジー(脚色)も自由です。扱いとしては創作劇の範疇に入ると思います。そういう工夫をするためには、普段から戯曲を中心に本を読んでおくなどのインプットが必要です。
 たとえば『犬のおまわりさん』という童謡があります。何気なく口ずさんでいるうちに『犬のおまわりさん』という登場人物4人の芝居ができました。ハイジを動画サイトで見ていたら、あのあとクララはどうなったんだろうと思い『クララ ハイジを待ちながら』という2人の芝居が書けました。『にんじん』の著作権が切れたので、これを大橋流に書き直そうとも企んでいます。

 要は、感度のいいアンテナを絶えず張っておくことです。

 TPOにあった芝居をしましょう。文化祭や新入生歓迎会では本格的な長い芝居は不向きです。コントやAKBの『なんとかをやってみました』でいいと思います。観客の状況を考えて演目は決めた方がいいでしょう。

 一定の技術は身に付けましょう。

 野球に例えれば、ボールが投げられること、ボールがキャッチできること。ホームベースから一塁まで普通に走れることぐらいの技術です。この技術は年に数回の講習会などで身に付くものではありません。演技に関しては演劇部は体育会系と思ってください。
 野球部などは年単位のスパンで、練習・調整をやっています。演劇も基本は同じストイックで長い訓練が必要です。その気になれば一年ほどの試行錯誤で、自分たちに合ったメソードが見つかります。本屋さんに行けば基礎練習の本は何冊かあります。
 個人的には、スタニスラフスキーの『俳優修業』 リー・ストラスバーグの『メソード演技』などがお勧めです。

 高校野球、軽音、ダンス部などが隆盛なのは、時代の流れもありますが、一般の観客の鑑賞に堪えるものを見せてくれるからです。狭い高校演劇の中で自足していては未来がありません。

 以上、演劇の三要素に従って、小規模演劇部の有りよう、いたしようについて述べました。


☆連合演劇部の可能性

 生徒の絶対数が減ってきているので、一校単独で部活が維持できないところが出始めています。部活の花形と言われる野球部にも、そういう学校が出始めています。
 管理や監督の問題が生じますが、もう考え初めてもいい時期なのかもしれません。OHPや、コンクールへの参加に、合同演劇部の参加を考えてもいいのではないでしょうか。

 基本は、高校演劇の灯を消すな。で、あります。



☆芝居を観ましょう

 と言うと、仲間の芝居は沢山観ている。という声が聞こえてくるかもしれません。
 わたしが言うのは、一定水準以上のプロの芝居です。高校の部活で、自分がやっているプロの試合や作品をもっとも観ていないのが、演劇部です。プロ野球を観ない高校野球など考えられませんね。
 でも、プロの芝居は高く、また、その多くは東京に一極集中しています。チケットも10000円を超えるものがザラにあります。
 そこでお勧めするのが、DVDで出されているものです。劇団新感線は、物理的にも「すごいなあ」と思って観るしかないほどスケールが大きいですがヒントになるものは、いっぱいあります。三谷幸喜の作品などは、登場人物も比較的少なく、より参考になります。『なにわバタフライ』『桜の園』これは、なんとAKBのヘビーローテーションから始まっています。観客の掴み方が非常にうまいです。『笑いの大学』『ホロヴィッツとの対話』などお勧めです。また、仲代達也の『授業』も秀逸でした。『授業』は、昔、高校生がコンクールで演ったこともある、案外、高校生でもチャレンジ出来る作品です。さあ、100円握ってTSTAYAに行こう!




    2017 4 14   劇作家 大橋むつお 

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ劇評『チンチン電車と女学生』

2014-06-23 10:52:19 | 評論
タキさんの押しつけ劇評
『チンチン電車と女学生』



 これは悪友の映画評論家・滝川浩一が身内に流している劇評ですが、もったいないので転載したものです。


映画ではありません。大阪の劇団・往来の舞台です。

 ベースは戦時下の実話、男達が次々徴兵される中、広島電鉄の車掌(後に運転手)の役目を担うべく、一日の半分を女学校、残り半分を勤労に当てる目的で集められた少女達の物語。
 今日が最終日だったので、しばらく再演は無いと思いますが、もし、今後“劇団往来/チンチン電車~”と見かけたら、絶対観劇にお出かけ下さい。おわかりの通り、反戦芝居ではありますが、一切の政治・イデオロギーを超えて、普遍的な、極自然な人間模様を描いた芝居です。
 私、演出の鈴木氏が「若いキャストが戦時下の様子が解らず、今一、リアルにならない」なんぞとこぼすもんで、うちの店で飲みながらウーダラカーダラ喋っておりましたら「今のそれをみんなの前で喋ってくれ」との無茶振り。「アホか」と言いつつ、結局、ウダウダみんなの前で喋ったのが公演の一週間前、そんな縁で本日ようやく見てまいりました。

 2幕 全19場、途中インターミッションを挟んで3時間弱の音楽芝居(ミュージカルとは違います)
感想一言で見事。私のウダウダ講演なんぞ全く必要なかったと、芝居を見ながら勝手に赤面していました。みんな、戦時下の若い男女として、厳然として舞台上に顕在し……こんなもん、公演一週間前にちょっと話を聞いたから出来るものではありません。
 この芝居の初演は4年前、当時のメンバーが今回どの位残っているかは知りませんが、誠に見事な舞台でした。
 私、今回が初見でしたから、講演するについて脚本を読ませてもらいました。 本読みの段階で、すでにウルウル来る程、良く出来た台本でしたが、舞台はさらに上を行きました。 予め本読みしていましたから耐えられましたが、これがなんの予備知識なしに見ていたら、冒頭一曲目の歌でボロボロに泣いていたはずです。事実、私の周りのお客さんは、その一曲目でハートを鷲掴みにされていました。
 なんのストーリーも始まっていない、まさに冒頭の一曲目です。歌う彼女たちの内実が現れていなければあり得る反応ではありません。これはある種の奇跡であります。
 講演させてもらった縁で打ち上げにも参加、キャスト以外の人達と話しましたが、皆さん同じ感想でした。芝居は“ナマモノ”ですから、一回一回出来は違います。公演最終回とあって、最高の舞台に立ち会ったのかもしれません。それはそれで、得難い経験をしたと思います。戦時下の若者たちの苦悩と、厳しいながらに抱く希望。国の情勢は日増しに落ち込んでいく日常、それでも懸命に前を向いて生きぬこうとする姿は問答無用に感動的です。

 そんな日常、昭和20年8月6日 午前8時15分……セミの声がうるさい、良く晴れた広島の青空に、いきなり、もう一つの太陽が現れるのです。
 人々のいかなる想いも営みも……一発の原爆で蒸発し、吹き飛んでしまう。
 絵空事ではなく、その現実が舞台上に再現されていました。
 私達日本人は、未だに先次大戦を総括していません。総括したからええっちゅうもんでもありませんが、例えばアメリカなんぞは勝った立場で実に都合の良い総括をしています。しかし、今の日本人のように思考停止しているのは論外です。物事を相対化するつもりはありませんが、“絶対的評価”なんぞ有る訳も無く、時代の要請、民族としての要請その他、時と立場で結論は違うでしょう。しかし、この事を考え続ける姿勢は持ち続けるべきだと思います。
 偉そうにブッとりますが、私だって人様に言えた義理ではありません。そんな自分の無様を思い知らされる芝居でも有りました。 本作、中心は広島電鉄の作った女学校に通いながら働く少女たちの日常がメインではありますが、その家族、学校の先生たち、市井の人々、これら総てが世界を形作っています。今回、ヒロインの淡い恋心を向けられる兵士の役を演じる加藤義宗(加藤健一の息子さん)が、オーバーに叫ぶ事なく、かつ、全くブレない演技で好感。父ちゃんに似ず、顔が小さく、足の長い今時の若者。おおよそ戦時下の日本男児にはあるまじきスタイルながら、そんな事は全く感じない。それを言い出せば女の子たちもみんな今時の可愛い女性たちながら、戦時下の少女以外に見えない。
 久方振りに「下手の横好き」の芝居心をくすぐられました。もし、可能なら、戦時下 物資横流しで儲けるオッサン(そんな役は登場しない)の役ででも参加したいものであります。 現実、そんな贅沢な時間の持ち合わせは有馬線が、その前に瞬殺で演出・鈴木氏に拒否されるでしょう。 キャスト70人(ワオ!!!)スタッフ合わせて100人以上の大所帯、スポンサーが付かなければなかなか再演は難しいでしょう。これまで大阪と広島だけでの公演ですが、心から日本中で見て欲しい作品です。どなたかスポンサーに心当たりがおありでしたら、紹介してあげて下さい。



『はるか ワケあり転校生の7ヵ月』  
 7月発売予定。出版社の都合で、また発売が延びました。もうしわけありません。(税込み799円=本体740円+税)
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』    
    

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 青雲書房直接お申し込みは、下記のお電話かウェブでどうぞ。定価本体1200円+税=1296円。送料無料。
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評『X- MEN days of future past』

2014-06-01 07:02:57 | 評論
タキさんの押しつけ映画評
『X- MEN days of future past』



 この映画評は、悪友の映画評論家:滝川浩一が個人的に身内に流しているものですが、もったいないので転載したものです。


久し振りに映画館にやってきました。先週は、奴がれの体調を気遣っていただき、まことに申し訳ないやら有り難いやら。ありがとうございました。

 とはいえ、早起きしての移動は辛い……もとい、眠たいよ~~〓
 では、本編……おっと、その前に、先日の「OLD BOY」、いかにも韓国オリジナルのごとく書いてましたが、なんと! 原作は日本の漫画でありました。なんとも面目無い、全く知らん作品です、これじゃマンガ読みの自称は引っ込めんとあきまへんなぁ。
 さて、本間に本編です。結論:面白いから絶対お薦めです。華五重丸です。但、“タイムパラドックス”は忘れて下さい。特に理系の皆様方、心されよ。 2023年、ミュータントも人間も最悪の未来。巧い設定ですが、ターミネイターとマトリックスの世界観のミックスです。
 まぁ、この二作の設定以外はあり得ませんから致し方なしです。量子理論(と言っても、突っ込みいれないて下さ
いよ、私にだって理解の外ですから)からすると、時間も空間も一定不変ではありません。無限数の未来パターンが存在します。だから、絶望的な現在を過去に戻って訂正出来るかってえと……これはダメなんですね。映画の中にも「川の流れに一石を投じても流れは変わらない」ってぇセリフが有ります。過去の因果を訂正すると、そこから別な時間軸による未来が始まり、新たな世界が築かれる訳で、過去に干渉しようとした現在が変わる訳ではありません。その点「マトリックス」は機械による仮想現実(夢みたいなもんですね)世界だから、何らかの変更は可能。ターミネイターも本作と同じ問題を抱えていますが、こっちはスカイネットとの戦いに決着が付いていないので理論破綻の一歩手前で踏みとどまっています。 それを言うなれば、本作も最終決着寸前のタイミングと言えなくもありませんが、映画が暗示する結論は有り得ない。
 
 ウルヴァリンが過去へと旅立って、無事帰還する訳ですが、本来、そこにはもう一人のウルヴァリンが存在します。……まぁ、そこんとこは巧い設定に成っていて納得出来る作りには成っています。
 てなヤヤコイ話になるので、この件は無視して映画の結論を丸呑みする事にいたしませう。
 ここさえクリアしたら、元々の本編シリーズとファーストジェネレーションのオールスター揃い踏み、言うならX- MEN AVENGERSみたいな話です。ミスティークは当然ジェニファー・ローレンス、今作、H・ジャックマンと彼女が主役ですから、たっぷり演じてます。全身メイクですが、まさしく名演技です。さすがであります。
 新顔にビショップというエネルギーを吸収放射できるミュータントが登場、なんと「最強の二人」のオマールが演じています。スキンヘッドではなくドレッドヘアだったので、パンフを見るまで判りませんでした。 もう一人、ミュータントの強敵センチネルの開発者にピーター・ディンクレイジ……ご存知無いとは思いますが、現在、CSで放映中の「ゲーム・オブ・スローンズ」のティリオン役でゴールデングローブ賞/エミー賞いずれも助演男優賞を取っています。スローンズの中で私の最大贔屓がティリオンです。オリジナルキャストの中にも彼のファンが多数、殊にジェニファーは殆どオタク状態であったとか……。
 ヒュー・ジャックマンは必ずどこかで裸の上半身を曝すが、今回の鍛え方は尋常の域を出ている。後ろ姿だがオールヌードも一カ所、まるでギリシャ彫刻が動いているようでした。撮影前からトレーニングを始め、撮影中も毎日鍛えていたそうで、恐らく最高の出来上がり時点で件のオールヌードを撮ったのでしょう。同性からみても、思わず溜め息が出る肉体美でした。 念のために断言しときますが、私、H◇M×では有馬線!、天地神明に誓って単なる女好きです!(何を強調しとるやら アハハ)
 本作、製作費2億5千万$(この類の最高額と言われてます)先週公開 全米9千万$ですから、まぁ、製作費は国内で賄うでしょう、後の世界興収は純利益決定!さぞかし笑いが止まらんこってしょうね。
 さて、本シリーズ、続編がすでに決定されとりまして、再来年“X-MENアポカリスム”翌年“ウルヴァリン3”さらに翌年、タイトル不明ながらウルヴァリンは絡むらしい。
 さて、H・ジャックマン……どこまで付き合うんでしょうねぇ。X-MENのコミックは、全世界5億$の売上高だそうで“ワンピース”の約2倍……ちょっと想像を絶します。今作には明確な原作があるらしく、次回作の“アポカリスム”と1、2を争うコミックだそうです。さすがに知りません。マンガ読み滝川(さっき称号返上を言うたやろに)のウィークポイントはまさにアメコミ、されど、あんまり読み続ける気にはならんのよね。  例えばですよ、X-MEN3でマグニートーは“キュア”を打たれて能力を失った筈が、何の説明も無く蘇っている。アメコミのご都合主義……日本でいや、“北斗の拳”のケンシローの出自が二転三転しているようなものです。好きだったから単行本27冊分、最後まで付き合いましたが、せめて“羅王”の死で終わった方が良かったと思っている人の方が多い筈です。 その点、アメコミは問答無用……知ってます?アメコミのX-MENシリーズではスパイダーマンは2度程死んでいます。
 ご都合主義……面白かったら付き合いますが、程度を過ぎるとあ~あ〓であります。

 以上、アメコミを追っかけ無い理由の言い訳でありました。まぁ、映画は一本一本が面白けりゃええので、原作なんざ知った事っちゃございません。
 ただ、原作コミックの隅から隅まで知り抜いているオタク連中の深い(????)話題について行けないのには、理屈抜きで……少々、グヤジイ~のであります。

 チャンチャン〓

 全く話変わりますが、これを打ちながら“舞台・真田十勇士”をみとるんですが……これ、新感線でやるか、せめて中島台本ならもっと面白かろうに、マキノノゾミじゃねぇ……しかも、マキノさん、否定するでしょうが中島台本の方法論と井上演出のコピー ムムム 言い過ぎですか? ま、お後がよろしいようで、チャンチャン………アハハハハ〓



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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評『相棒Ⅲ/プリズナーズ』

2014-05-05 07:24:39 | 評論
タキさんの押しつけ映画評
『相棒Ⅲ/プリズナーズ』



 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に、身内にながしているものですが、もったいないので転載したものです。


相棒Ⅲ

 在る意味、“シリーズ相棒”の総ての要素を持っている作品と言えます。密度の高いミステリーと政治性、対する杉下右京の緻密さと何者に出会っても揺るがない秩序に対する忠誠心が描かれる。 “相棒”の劇場版として自信を持ってお薦め出来ますが……。

 監督/和泉聖治、脚本/輿水泰弘という、シリーズ生みの親コンビ、相棒の裏も表も知り尽くした二人、さすがにプロットの組み立て、ストーリーの見せ方は見事である。
 が、正直に言わせて貰うなら、“ネタが早く割れ過ぎる”と感じる。これが、シリーズ途中から脚本参加した古沢良太なら、もっと捻ったストーリーテリングを見せてくれたと思える。すなわち、監督/和泉、原案/輿水、脚本/古沢ならもっと面白かったはずだと考える。
 相棒はA・クリスティー的展開(人によってはE・クイーンやクロフツを上げるが、あくまで基本はクリスティーだと考える。クイーンやミルン的な世界観は各脚本家の味付けによる。古沢良太はクイーン的な捻りと衝撃的短絡にこだわりが有ると思っています)の世界です。そこに、極めて日本的な人生観や政治風土、組織論理が絡まるから、リアルな現代日本のドラマとして屹立できる。
 推理ミステリーの常道として、事件の手掛かりは、物語の始めから観客の眼前に提示される。
 しかし、それをその時、観客に“これは証拠だ”とか“伏線だな”と思わせてはならない。敢えてそうするなら、それは、観客を違った方向にミスリードする罠でなければならない。観客は、提示された怪しい情報/状況を“これは真正?罠?”と考えるのが面白い訳なのだが……本作の場合、考えるまでもなく、“これは伏線だ”と断定出来る。しかも、一番初めに出くわす情景がそうなのである。
 これによって、杉下・カイトが抱いている嫌疑が肯定されてしまう。罠だと考えた場合、タイミングが早過ぎて、今これを見せては不利にしか成らないからである。
同じく、杉下達が、この島に乗り込む理由となった事件にしても、ここまでやってしまう意味がない。 わざわざ不利益を呼び寄せる事にしかならず、もっと穏当な手段があるし、やるならやるで、この島で行われている事業(民兵訓練)から考えて、方法は山程存在する。
 これらを納得させる為には、これしか無かったという状況が提示されなければならないが、残念ながら、その点はスルーしてある。 さほど時間のかかる作業ではないが、後日、テレビ公開される時の時間割が過度に意識される結果だと断定できる。元々テレビマンである監督/脚本コンビだからこそのストーリーテリングなのである。この点が惜しまれる。この為、ラストの杉下コンビと主犯との間で交わされる会話も、その一言一句まで予想出来てしまう。
 相棒もテレビ12シーズン、劇場版3本、スピンオフ2本という巨大サーガとなり、いささか予定調和に陥る傾向があるようだ。鉄砲フリークとして疑問……冒頭、島での訓練が映される。川の中から静かに浮き上がる民兵達(最近、傭兵物でお約束のシーン)川から様々な武器を持って出てくるが、数人がショットガンを手にしている。敵中への隠密侵攻、乃至、威力偵察訓練なのだろうが、この水浸しのショットガンが火を吹く……??? 見たところ、軍用銃ではなく狩猟用の銃に見える。こんなもん、ほんまに水に浸けても使える? 雨が降っていてすらカバーが必要なのに? それと、島で指導を勤める隊員達の身体が全く軍人のそれでは無かったのも興醒め。せめてそれらしいガタイの役者を使ってほしかった。こういう細部から、映画のリアルはすべり落ちて行く。


プリズナーズ

 これだけ恐ろしい映画もそうは無いでしょうねぇ。白昼、二人の女の子が姿を消す。犯人らしき人物が早々に捕まるが、これが真犯人なのか否かがトコトン最後まで解らない。見事なストーリーテリングです。 プリズナーズとは、行方不明の子供だけを指すのではなく、主なキャラクター総てが現実に、また、過去の事象に捕らわれている事を指すタイトルです。
 映画の内容から、一切ストーリーには触れられないのですが……今年のハリウッド作品は(本作の全米公開は去年末ですが)聖書題材やキリスト教題材の物が多数作られています(テレビドラマで“ベン・ハー”のリメイクがあったし、秋には“十戒”のリメイクも公開される、現在公開中の作品の中に、臨死体験した幼児が天国を見るっつな物がある)。本作も間違いなく聖書関連スリラーです。
 敬虔な信徒が、ある時点を境にデーモニッシュな存在に変化する。極、普通の人間が、ある一線を越えた途端に暴走する。これだけなら、良くあるハリウッド映画だとも言えるが、本作の中にいきなり蛇が出現する……これは間違いなく宗教絡みの作品である証拠です(エデンの園でイブを誘惑する主体)
 リバタリアニズム、“完全自由主義”位が訳文ですかね。要するに国は最低限の秩序を保証せよ、後は我々が自ら守るって事です。アメリカの銃規制が進まないのも、国民皆保険が実現できないのもこの考え方によります。国家による思想/経済/身体に対する拘束はこれを拒否する。その自分がよって立つのはキリスト教信仰なのです。本作中、あるキャラクターが自ら狂気の行動と意識しつつ、そうせざるを得ない……その時、自らの狂気と正常世界の繋ぎ糸として“主の祈り”を口ずさむ、主の祈りは、本作のそこいら中に出てくる。毎回意味する所が違う。
 毎回言いますが、こんなキリスト教的知識がなくとも理解できる作品ではありますが。これを知っていればより深く本作を理解出来ます。加害者/被害者の苦悩ばかりではなく、刑事/ロキ(J・ギレンホール)の懊悩にも思い至ります。敢えて言います。キリスト教/リバタリアニズムに染められた“アメリカ”がわかっていなければ本作の3/2は理解できません。 およそ2時間30分の本作、これを長いと感じるか短いと感じるか……それはあなたの“アメリカ理解”“キリスト教理解”の度合いによります。不遜な言い方でゴメンナサイ。本作は日本人に対しては観客を選ぶ作品だと言えます。 これを見て「長い」「下らん」「面白くない」と思った方は「アメリカの現状況」が解らない方々です。
 剃刀の刃でも、鉄砲玉でも、気にくわなければ送って下さい。私の結論は変わりません。  H・ジャックマン/J・ギレンホールが素晴らしいのは言うモノがな、二人の子供の母親V・デイビスとM・ベロがリアル、何よりM・レオの存在感が圧倒的! おっとT・ハワードも捨てがたい。 解ってくれる人とだけ、この喜びを分け合いたい。轟々たる非難の声を予想しつつ……やっぱり、そう言い切ります。理解できないと思ったら見ないで下さい。所詮、理解できない人々の悪口など……聞きたくもありません。



『はるか ワケあり転校生の7ヵ月』
 6月発売予定。出版社の都合で発売が伸びました。もうしわけありません。(税込み779円=本体740円+税)
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』    
    

 青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説! 

 ラノベとして読んでアハハと笑い、ホロリと泣いて、気が付けば演劇部のマネジメントが身に付く! 著者、大橋むつおの高校演劇45年の経験からうまれた、分類不可能な新型高校演劇入門ノベル!

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 高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。
 60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。

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高校ライトノベル・タキサンの押しつけ時事放談続『カミの怒り・続!!!』

2012-12-18 17:16:10 | 評論
タキサンの押しつけ時事放談・続
『カミの怒り・続!!!』


 これは、友人の映画評論家 滝川浩一氏が個人的に流しているものですが、まことにもっともと思われるので、本人の了解を得て転載したものです。なお、滝川氏は、かつては紙屋の営業を10年以上やった、紙のベテランでもあります。


 本日、大阪市環境局事業部一般廃棄物指導課から、あまりにもアホすぎて口の塞がらない通知が来た。

 平成23年度のゴミ処理量が115万トン以下とピークから半減した。それを「我々の努力の結果」だと、ついては27年度の処理量を100万トン以下とするため、来年10月から「資源化可能な紙類の焼却場への搬入を禁止(?!?!)」するそうである。
 これって、悪い冗談か?ゴミの総量が減っているのは景気低迷で産業規模が全て停滞しているからに過ぎず、環境局様のアリガテェご指導の賜物なんかじゃありはしない。 国からの助成金目当てなのか何なのか知らんが、紙の知識の無い一般市民を騙すんじゃねぇってんです。

 全部について語るとあまりにも長くなるんで「資源化可能」としている物に関して言うと、 新聞紙と外装用段ボール以外、製紙メーカーにとっては紙屑でしかありません。
 一覧表にリサイクル可能としている、 「折り込み広告」「雑誌・パンフレット・書籍」は紙質・印刷・表面加工などが多岐に渡るため「叩解」過程で無駄が出やすく、新聞紙等に少量混ざる程度なら処理出来るが、大量に入ると厄介物でしかない。
 
 ちり紙交換のおっちゃん達が回っていた頃を思い出して頂きたい。

 よほど原料市場が高騰していなければ雑誌は引き取らなかったでしょう?写真集や絵画集なんかの紙は、紙質としては最高ですが まず引き取らなかった筈です。叩解しにくいからです。
 段ボールも全て原料になる訳ではありません。アルミコートや樹脂コート品はさすがに省いてありますが、それ以外に まず段ボールには外装と内装の二通りの種類があり、外装用は良いのですが内装用は叩解後 繊維が短い為「スラッジ」というゴミになります。さらに外装用でも、長らく放置して日焼けしたようなものは使い物になりません。同じくスラッジになります。これは専門家でなけるば見分けがつかないでしょうから、まぁ 段ボールについてはメーカーに諦めて貰いましょう。
 シュレッダーしたものも搬入禁止になってるんですが、シュレッダーのなかには「感熱/感圧紙」やCDなどのディスクがまざっている可能性が高く、同じ理由でOA紙も敬遠されます。液体用紙パックも似た理由で敬遠されます。 製紙メーカーでスラッジに成ったものがどうなるかってぇと、どっかの山の中の廃棄場に捨てられてじわじわと水分を排出するのです。 現状、焼却炉の性能も処理量も驚く程に進歩しています。
 訳も解らず 細かく分別する手間や、細別回収に税金をかけるのではなく、焼却炉が古ければ そちらの刷新にかけるべきなんです。 昔から、廃品回収で買い上げてくれる物以外はまずリサイクルできません。それを わざわざ税金を使って市民に強制するのは、明らかに別の理由が絡むからです。 「地球温暖化」のデマが未だに声高く叫ばれています。新聞紙上にも「マイ箸」なんてな運動(?)が恥ずかしげも無く未だに掲載されていて困ったものですが…我々は、事の本質ないし その裏になにが隠されているのかにもっとこだわる必要があると思います。

滝川 浩一の「カミの怒り・Ⅱ」
 
 何やら 怒りにまかせて書いたらえらい反応が返ってきました、個人メアドに 地区や子供会で古紙回収しているが、ほんならどないせえ言うんや…との問い合わせが数件あったので、回答します。
 まず、役所は無視しましょう。近所に製紙メーカーはありませんか? 下級紙板紙といって「チップボール」「黄板紙」なんかを抄造(紙を漉いて作る事)している所があればベスト!次いでは段ボール用紙のメーカーですが、段ボール用紙メーカーは大手になるので町会単位の話には乗りにくいでしょう。そんな場合はメーカー出入りの古紙屋さんを紹介してもらいます。  
 商談の仕方ですが、町会ないし子供会で此処まで作業して渡すが、幾らで引き取ってくれるかというふうに交渉します。 やるべき作業の理想を書いておきます。とても其処までまで出来ないって場合はできる所までを相手に提示します。
(1)新聞紙……折り込み広告、日焼けしたものの除去。あくまでも本文紙(折り込みにも本文紙と同じ紙質の物がありますがそれはO.K.)だけをまとめる。この場合、出来るだけ折り畳まず全紙広げた形で結束しておく。
(2)雑誌……週刊新潮やビッグコミックのような物に限る。フラッシュのような写真誌、少年ジャンプのような背が糊付けになっているものは不可。まず、中央をとめているホチギスの針を除く。雑誌を開いて引き剥がしていけば良い。表紙、グラビアページを除き、本文紙だけを、これも開いた状態で結束する。
(3)段ボール……まず、外側にフィルムを貼ったもの(その部分だけ剥がせるなら剥がした残りはO.K.)、樹脂コーティング(耐水用の物に多い)、は除く。外装用、内装用の区別は素人にはむりなので、これは諦めるか メーカーに相談すれば何らかの回答がある筈。 次に製函が金属ピンでされている場合は取り除いておく(カッターで切り取ればよい、鎌があればなお良し)、発泡スチロールを貼ってあるものは、引き剥がすのではなく、これも切り取る。テープ類は勿論剥がしておく。段ボールは全開にする必要はないが、二つ折りにはしておく。 (3)ボール紙のケース……これも段ボールに準じる。ただ、特殊な印刷の物があるので、これは専門家でないと分からない。あまりにもゴテゴテ印刷してあったり、明らかにアルミ張り(金色をしていても…日本酒やドリンク剤のケースに多い)のものは除いておく。お菓子ケースで未包装の菓子が直接入っているもの(例えば“きのこの山”など)は、菓子に直接触れる内側に必ず樹脂コーティングしてあるのでこれも不可。これら以外なら、金属ピンなどを除いて、開いて結束する。
(4)事務用紙……コピー用紙やコンピューター用紙は本来良質な原料に成りうるのだが、 条件が難しい。まず、感圧紙や感熱紙の混入は絶対不可!これが混ざると抄造の最終段階で熱ローラーを何重にも通る(水分調整と平滑調整のため)時に染みになったり膨れの原因になる。シュレッドしなければ発見しやすいが、事業内容が記載されているので難しい。シュレッドしたものは まず間違いなく異物が混入していると見るのが常識、しかも長細く切ってあるならまだしも、最新のシュレッダーはそれをさらに粉々に切る能力があり、あまり細かいものは繊維が短くなるので原料としてはよろしくない。事務用紙はインクジェット通常紙で、できればシュレッドしていない物が望ましい。この条件はまず不可能です。
(5)液体容器用紙……紙その物は100%ヴァージンバルプだが、物によっては紙に耐水薬剤が入っている物がある、これはプロでも見ただけでは判別不能。リサイクルマーク付きの容器にもその類が有るので、これはやめておくのが良心的。 さて、ここまでやりますと、私の経験では新聞故紙引き取り価格5〜6円/㎏当時、10〜13円で引き取ってもらえました。また、メーカー、業者によりますが、完全分別してあれば折り込み広告やカラーグラビアページも引き取ってくれたりします。ようは専門家とキッチリ話をする事が重要です。後、原料として処分出来るのはアルミ缶とスティール缶位。銅なんかは高価で引き取ってくれますが家庭にはまずありません。 まぁ、こんな所です。
 個別に疑問が有れば判るかぎりお答えします。 ペットボトルがボトル容器に再生されたり、繊維に成ったりすることはありますが、極一部です。回収された大半は中国に輸出されたり、産業廃棄物として結局焼却されています。役所に渡すと、産廃業者に渡した段階でリサイクルされた事に成って、最終どのように処分されるのか確認などしません。こんな大嘘に真面目に付き合ってやる義務も義理もありません。燃えるゴミ袋にプラスチックを入れて後ろ暗い気持ちに成る必要は全くございません。


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高校演劇・驚異の第33回 高校・中学校軽音楽系クラブコンテスト

2012-08-15 23:10:58 | 評論
驚異の第33回高校・中学校軽音楽系クラブコンテスト

 この8月の10日から19日まで、松下IMPホールで第33回 高校・中学校軽音楽系クラブコンテストの予選が行われる。近畿一円から130校あまりの軽音楽系のクラブが集まって大盛況である。
 参加校数は、演劇部の近畿全体のそれを下回るが、大阪の高校に限って言えば、大阪府高等学校演劇連盟のコンクール参加校を僅かに上回る88校である。また平均部員数も、おそらく演劇部のそれを大幅に上回り、100人を超える軽音部も珍しくない。
 予選が行われた、松下IMPホールはキャパ800を超え、そのホールが9日間毎日満席になる。
 そして、本選に当たるグランプリ大会は、12月24日舞洲アリーナで行われる。舞洲アリーナの収容人数はよく分からないが、10000程はあるであろう。パンフを見ても16000人の軽音楽!!とうたってある。
 高校演劇の近畿大会はオフィシャルな発表はされていないが、観劇した印象では二日間で、延べ1000から1500の間と思われる。軽音のおおよそ1/10といったところであろう。

 高校生の身体表現文化は、明らかに演劇部などから離れ、軽音やダンス部に移行している顕著な現れだと思う。高校演劇連盟、なかんずく大阪の連盟は、考えるところに来ているように思える。高校・中学校軽音楽系クラブコンテストの参加校の大半は大阪の高校である。

 こういう反論が返ってくるかもしれない。 高校・中学校軽音楽系クラブコンテストの主催者は産経新聞と三木楽器である。手弁当の連盟とは比較にならない。
 しかし、逆に言えば、ここまで産経新聞と三木楽器を33年間にわたって主催たらしめた軽音楽にそれだけの魅力があると言える。

 もう一つ驚いたことは、審査基準がしっかりしていることである。
 テクニック面では、リズム、楽器アンサンブル、歌唱力、ボーカルアンサンブルに分けて配点。
 全体評価でも、プレゼンテーション、応援度、総合力に分け、総合計200点で点数化している。応援はともかく(上演中に応援されてはたまらない)高校演劇としても見習うべきものがあると思う。

 巨視的に見れば、高校生の身体表現文化がマスとしては大きくなってきており(軽音、ダンス、吹奏楽の隆盛)喜ばしいことなのであるが、高校演劇をお里とするわたしは危機を感じる。

 もう一度の繰り返しになるが、大阪の参加校数は、軽音が演劇を超えてしまった。
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タキさんの押しつけ映画評9・おおかみこどもの雨と雪/メリダとおそろしの森

2012-07-21 19:56:29 | 評論
おおかみこどもの雨と雪/メリダとおそろしの森


 奇しくも、成長と葛藤の物語が二本揃いました。しかも「メリダ~」は、タイトルからも判る通り、女の子が主人公(ピクサーアニメ始まって以来)、 日本じゃ 「ナウシカ」以来、野郎は脇役に追いやられ、ヒロイン中心の系譜が出来上がって久しい。あの「紅の豚」ですら、結局の所、女性の手のひらの上でした。
 こんな点でも日本のアニメは30年以上アメリカに先んじてます、エッヘン…いやまあ、威張る話やおまへんなあ。 両作品は家族の成長を描き、「おおかみこども~」は13年間の、「メリダ~」は2日間の物語です。どちらも感動ストーリーで、極めて良く出来上がっています。但し、ちょいと不満もあります。 
 先に、それに触れるとすると、まず「おおかみこども~」の方は、作画の出来の悪いシーンが有ること、恐らく外注に出されたのだと思われるが、明らかに荒れた画のシーンが有り、集中が切れる。
「メリダ~」の方は、さすがに世界最高のアニメスタジオ、手書き・CG共に欠点無し、メリダのびっくりするような赤毛の質感、重要キャラクターの熊の存在感、等々素晴らしいの一言。
 ただ、「メリダ~」への不満は、これは日本語タイトルの付け方と予告CMの作り方に問題が有るのですが、まず、本作の原題は「BRAVE」 勇敢なっちゅう意味です。「おそろしの森」は大して恐ろしくはありません。昔のスコットランドがバックグラウンドに成っています、イギリスの森は、神秘的ではありますが、ドイツ・東欧の「黒き森」のように恐ろしさをあまり内包しません。不思議なもので、アニメで作るのですから、いくらでもおどろおどろしく作れそうなものですが、これがそうはならないんですなぁ。自分の運命を変えるべく、森の魔法使いに魔法をかけて貰うのですが、その魔法のせいで戦争になりかける、魔法は、かけられて二日目の夜明けを迎えると解けなくなる。さあ、これからどんな大冒険が……ありゃりゃ~こいつは少々期待したのと違う。ふ~ん、そうなるんかいな位のお話…決してつまらない訳ではないが、予告編から想像したのはもっとスペクタクルな冒険なので、ちょいと期待をはずされる。

 粗方の責任は、作品ではなく、CMの作り方にあるのですがね。その点「おおかみこども~」は、家族の13年間を描き、自分の生きるべき道をいかに見出すか、じっくりと語って行く。やがてやってくる選択の時は、物悲しくもあるが、それは一家の問題に止まらず、もっと大きな自然への回帰、もしくは自然自体が自ら失われたものを修復しようとする営みとの出会いとでも言えるシーンに成っています。家族のお話から、もっと大きな世界を垣間見せるのは、宮崎駿のストーリー世界の作り方と同じ、細田守が宮崎駿の後継者だと言われる由縁です。「メリダ~」は、その点、短時間の物語ですが、その分時間が限られサスペンスフルなストーリー構成に成っています。
 いずれも、最大の見せ場を語るとネタバレになるので難しいのですが、日米の、全く違うストーリーながら、出来ればどちらも見て欲しい。この二作は、互いに補完しあっているように思えてなりません。奇しくも同じ日に封切られたのは、何かの「縁」があるような気がします……。
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タキさんの押しつけ映画評・8「ヘルタースケルター」

2012-07-16 07:43:30 | 評論
タキさんの押しつけ映画評・8「ヘルタースケルター」

 いやいや、すげぇでんす。見ないでいいよ、じゃなくって「こんな映画は見ちゃいけない!」一本。  いや本間、久し振りでんなぁ、ここまでたった一言で切って捨てられる作品は。いやぁ、ヒデエもんでした。
 原作と監督、どちらにより責任が有るのか(原作は今読んでいるところ。嫌いな絵柄なので進まない)よう判りませんが、設定は古いわ、セリフは臭いわ、……兎に角、薄っぺらい作品で、見ていて苦痛。上映127分が3時間位に感じられ、映画中盤で「まだ終わらんのんかい」とイラつく。
 原作は16年前の連載らしいが……知らんなぁ、こんな漫画。私ゃ自他共に認める漫画読みでんす、どんだけ嫌いな絵柄でもエポックメイキングな作品は大概読んでいるつもりだが、まぁったく知らんなぁ。今、半分位読み終えたが、今作の出来の悪さの半分は原作に責任が有りそうだ。 売れっ子モデルがしゃぶり尽くされ、消耗して行くが、それでも自分の姿(自己を曝す…ではなく、あくまで外面だけ。しかし、姿を曝すのは、いかに取り繕っても、自分の内面を曝す事になることを理解していない)を世界でしか生きて行けない。

 そんな悲惨で虚飾に満ちた女の物語だが…描き方が、全く薄っぺらなステレオタイプ。4~50年前ならいざ知らず、16年前にこんな設定・構築の作品がエポックメイキングであった筈がない。それをまた、なんで今頃、わざわざ映画化してみせるのか、これまった理解不能。あまりにも類型的かつ安っぽいストーリーテリングなので、主人公に共感も、嫌悪感すら感じられない。蜷川監督の写真家としての感覚なのだろう、被写体を美しく見せる事が重要であって、世界(人生)の一部を切り取って、そこから真実を覗かせる事には関心が無さそうである。蜷川実花にとって「これが真実だ」と言うなれば、もうなんにも言えない、問題外である。ステレオタイプなのはストーリーだけではない、衣装のセンスもなんだか古いし、色使いも見ていて苦痛(特に“赤”)…なんとまあ、あんたホンマにファッション写真を撮っているプロ? そういえば、前作「さくらん」も、目に辛い映画でした。
 原色で塗りつぶした映画と言えば、中島哲哉(バコと不思議な絵本/嫌われ松子の生涯)を思い浮かべるが、本作に比べれば目に優しい。
 兎に角、スクリーンの中に、生きている人間が一人もいない、リアルのひとかけらも無い。これをリアルと認める事は、主演・沢尻エリカの内面が、この映画の通りなのだと認める事で…どうでもいいが、そりゃあ あまりにも沢尻エリカに対して残酷な話ってもんでしょ。エリカちゃんの裸は、それなりに綺麗だが、全く“エロ”を感じない、これじゃ全く無意味じゃんか。沢尻エリカの裸を見に来ている観客も居ただろうが、はてさて、堪能したんでしょうかねぇ。
 昔(60年代末)、アメリカ製ホラーポルノに、美容整形医師の妻が顔に傷をおい、それを治す特効薬が、人間の脳下垂体からしか作れないってんで、次々美人を殺しては首を切り取るという駄作がござんしたが、本作はまるっきり同じ範疇の作品でんなぁ。
 
 長々悪口を書いとりますが、結局一言、「見る必要無し」

 どころか「こんな映画は見ちゃいけない」一本。蜷川実花は、このまま行くと、角川春樹と並んで、邦画界の癌になりそうでんなぁ…そう言えば、親父の蜷川ゆきお(漢字忘れた)の演出も、一人よがりな所があるし(所詮、四季で二流の下の役者でしたからねぇ)、こりゃあ、“血”ってもんですかねぇ、やだやだ。
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タキさんの押しつけ映画評・6『アメージングスパイダーマン&臨場』

2012-07-01 09:19:40 | 評論
タキさんの押しつけ映画評・6

☆アメイジングスパイダーマン
 いやはや、10年前のサム・ライミバージョンが「滓」に見えます(実際、カスでしたけどね アハッ)  以前有った映画シリーズをリセットして新たに作り直すのをリメイクと区別してリブート(再起動)とか申しますが、別にそんなことはどうでもよろし。
 今回、3Dを見るつもりやったんですが、時間の関係で2Dになりました。結果、大正解。スパイダーマンが飛び回るシーンが3Dにうってつけだと思ったのですが、画面を見る限りそう効果的なシーンは有りませんでした。3Dはきれいさっぱり無かった事にしましょう。
 画像が良く出来ているのは当然として、今作はストーリーとキャスティングが抜群です。前シリーズに比べ、今作は初期スパイダーマン原作を充分にリスペクトしており、これこそが原作ファンが本当に見たかったスパイダーマンだと断言出来ます。サム・ライミバージョンを見た時に「なんでこんな半端な話にしてしまう?」と不思議に思ったり、フラストレーションが生じたものですが、今回は大丈夫でした。大体が前シリーズのパンフレットには、その辺の話は皆無(そらそうやろね)でした。
 なら、原作を知らないと楽しめないのかっちゅうとそんな事はゴザンセン。そこいらはストーリーが上手いのと、キャストの格が違います。見事なものでございます。これ以上は止めときます、華丸オススメ!
 バットマンが「私と公の間で悩めるヒーロー」だとすれば、スパイダーマンは「極私的な悩み」の中にいます。その分、スケールの小ささが指摘されたりするのですが、ここで発揮されるのが役者の上手さ、キャラクターの掘り下げと抜群の演技力でリアルワールドを構築しています。
 唯一不満をぶち上げるとすれば、スパイダーマン以外に怪物が目視されているのに、スパイダーマンだけが警察の捕捉目標となる事で、これは原作の設定と同じですが、50年前の原作発表時はそれで良くとも、現在では不自然です。その点バットマンには物語の中に理由が組み込んであるので、まんま受け入れれば良いのですがスパイダーマンにはそれが納得できる工夫がいります。ところが、無いんですなぁ本作には…ここまで作っておいて、なんでこの点だけマヌケなんでしょうねぇ?

☆臨場
どうか最後まで一気に見ていただきたい。ラスト1/3くらいから納得の作品になります。導入部はまぁったくアキマヘン、どないもナリマヘン。実際見ていて「なんでこんなん作ったん?」と?マークが10個程、私の頭上を飛び回っておりました。
 冒頭の殺人現場、リアルの対局にある…っちゅうかまるっきりのウ・ソ…ようまあこんなヒドいシーンが取れたもんで、恐らくは現実に同じシチュエーションの事件が有ったから配慮したのかもしれないが、それはこの映画の意味を半減させる事になる。殺人・事故・災害…実際に遭遇した人々には忘れ去りたい事実である。しかし、映画がそれに配慮してリアルに撮らないならば、その映画は存在の意味が無くなる。悪趣味にそっくり同じに設定する事もないが、見ていて嘘っぱちにしか見えない映画で何が表現できるというのか?
 しかも、本作はテレビシリーズを見ていないと魅力が半減する。シリーズのお約束が判っていないと充分に楽しめない。キャラクターのアクがあまりにも強い為、映画で初めて見ると面食らう。それにしても松下由樹と平山浩行の下手くそ加減は呆然とする。高嶋政伸は359度歪んではまり込んでいるのだが、松下・平山はテレビでの演技すら忘れてヤッツケで演技している、全く度し難い。
 主演の内野・平田満・長塚京三がガップリ組み合う辺りから見応えが出てくるのだが、本作はもっと巧く作れた筈である。脚本・演出に半分ずつ責任があるとおもうが、キャストにも責められる部分がある。松下・平山の救いがたさは別格として…あっもう一人、若村麻由美もド下手で、彼女の演技力の無さは定評あるのになんでキャスティングしますかねぇ。柄本佑がなんでこんなに鈍臭いのかも不明、この人天才なんですけどねぇ…やっぱ監督の責任っすかねぇ。この作りで、最終的に見られる作品に仕上げた内野・平山・長塚のお三方を褒め千切るのが正しい評価だと思います。
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劇団すせん・駅 約束の・・

2012-07-01 07:11:46 | 評論
劇団すせん・駅 約束の・・

 間口4間、奥行き3間ほどのこぢんまりした、平戸間の舞台で、観客席の最前列と舞台との距離は1間ほどしかない。
 舞台と、観客席の結界は、舞台の地ガスリ1枚だけで、テレビのスタジオに似ている。
 セットは奥に「立原」と、ささやかな看板が掛けられた田舎の駅。中央下手寄りに駅の出入り口。壁面は、出入り口を除いて紗幕になっており、裏からの照明で様々な色合いになる。また、時に月が映し出され、狭い舞台空間を叙情的な空間にしている。舞台ばな上手寄りにベンチがある。このベンチと観客席のかぶりつき(最前列)との距離が1間しかない。

 わたしは、芝居を観るときは、上手の最後尾と決めている。観客の反応ごと芝居を観るためである。しかし、その日は道を間違え、小屋に着いたのは、開幕5分前で、最前列の席しか空いておらず、わたしは上手の一番前に座るハメになった。
 本ベルが鳴って、明かりが入ると、ビックリした。ベンチに老人が座っていて、その距離は1間。電車の向かい側のシートほどの距離でしかない。

 このテーマの主題は「待つ」ことの切なさと、人の心の深さにある。深さは、心の傷と言っても、優しさと言ってもいい。

 老人が「待って」いて、数十秒後に駅の出入り口から電車の到着音がして、男がフラリと出てくる。
 肩から画材を入れた鞄を提げ、所在なげにあたりを見渡す。
 特段の目的があって、駅に降り立ったわけではなく、いつしか老人との会話になる。この田舎の駅には、日に何本の列車が停まることもなく、次の列車に乗らなければ、男はその日のうちに帰ることもできないことが、老人との会話で分かり、男は困惑する。男は一応絵を描くという目的を持っている。すぐに帰るわけにもいかず、しぶる老人の家に泊めてもらうことになる……。

 芝居は、明くる日になり、男を追って女がやってくることにつながる。男は私学の美術の教師で、学校に無断で、絵を描きに飛び出して来たことが、同じ職場の体育教師の女と老人の会話から知れる。
 女は、男の無責任さと、弱さをなじるが、男のことを憎からず思っている。女は、村に一軒だけの万屋に泊めてもらい、男の絵の仕上がりに付き合う。

 芝居の途中ベンチの老人の横に、スーツ姿の男が座る。ネクタイをせず、その下の開襟シャツの襟をスーツの襟の上に出していることで、どうやら、昔の人間の幻影であることが知れる。
 良平という、この男の前に和服の若い女が現れ、二人は結婚する仲であると分かり、話しは適度に飛躍して、良平の出征になり、それまでに、良平が国民学校の教師で、子供たちに自由で満足のいく教育ができないことを嘆いたりする。
 出征にあたり、良平は新妻の「しの」と1年の新婚生活しかなかったことや、妻が良平の子どもを身ごもっていることなどが分かり、良平は妻と引き裂かれるように出征していく。
「ボクは生きては帰れないだろう」
 良平は、そう言葉を残して出征していくが、昭和24年に復員すると、皮肉にも行方が分からなくなってしまっていたのは「しの」と、その子どもの方であった。
 以来、良平は、帰らぬ妻子を駅前のベンチで待ち続けている。その良平が老人であることは、比較的容易に知れる。
 男と女は、そんな老人の人生を知り、共感すると共に、「待つ」ことの崇高さと、確かさを知り、互いに通い合わなかった気持ちに気づき、二人の気持ちをより確かなものにしていく。
 男は、最初、村の適当に景色のいいところを描こうとするが、老人の人生を知り、絵のテーマを変える。
 絵は、老人が復員して妻子と再会する穏やかな絵になっているのだが、その絵の中味はラストまで、観客には、明らかにされない。
 絵の中味が分かるのは、老人の葬儀の日である。
 男と女は、老人の人生に共感し、感化されることで結婚に踏み切り、女のお腹には男の子どもが宿っていることが語られる。
 最後に、万屋の婆さんが、ベンチに、その絵を掛け、絵の中味が観客に初めて分かる。
 婆さんが、最後にベンチに語りかける。
「しのさん。これで約束は果たしたからね……」

 あまり、正面から反戦をむき出しに語ったりせずに、「待つ」ことに、やるせなくもピュアな人間の有りようを見せてくれたことに好感が持てた。
 反戦や憲法改正反対を正面から言われることは、もう十年以上前に終わった前世紀でヘキエキしている。演技的には隙間の見える舞台ではあったが、観客の多くは自然に、この「待つ」世界に同化、共感していた。

 ただ、何人かの観客は、途中で居眠りをしていた。
 ドラマが静かな進行であったせいもあるが、演技的な弱さが原因であると、わたしは感じた。
 役者が、人の台詞を受け止めて、それで内的な葛藤や、変化を表現するようには演じられてはいない。

 最初のシーンで、男が駅によそ者として着いたときに、老人は男の登場前(役として、自分の「待つ」を阻害される前に反応し、男が立つはずの場所に目線を送ってしまった。
「ああ、ダンドリ芝居かなあ……」
 ほぼ的中した。役者は台詞は喋るが、相手の台詞を聞いて、やまれずに出てきた台詞ではなく、ダンドリで、他者と関係なく情緒の外形だけを作って表現しているに過ぎない。
 男が、老人に絵を見せたとき。万屋のお婆さんが絵を見たときに心が動いていない。キャンパスには何も描かれていないのではないかと思ったが、ラストで絵を見せられたとき、「ああ、ほんまに描いたあるんや」と思った。きちんと描かれた絵に対しても、このリアクションの弱さである。芝居の中味での葛藤も、同程度であったと申し上げておく。

 細かいことであるが、パンフレットに載っていた「太平洋戦争」の呼称である。「太平洋戦争」とは米軍の呼称であり、正確には「大東亜戦争」である。
 これは単なる、重箱の隅ではない。「太平洋戦争」と言った場合、アジアでの戦争が欠落してしまう。この用語の使い方は重要であると思う。
 また、2000万人を死においやったとあるが、この数字の根拠はどこにあるのだろう。我が国の戦争犠牲者は、国の発表では300万人である。当時「元亀天正の兵器」と軍人自らが言った装備で、2000万人を殺せたのであろうか。
 また、中国やアメリカの普通の認識では、日本軍による犠牲者の数は3000万人というのが並になっている。
 先の大戦を扱う場合、当事者の大半が鬼籍に入っている現状では、かなりしっかりした調査が必要である。分からなければ、分かっている範囲で、作劇するべきであり、井上ひさし氏などは、この枠からはみ出ることは無かった。「父と暮らせば」などを読めば明白である。

 そして、この『駅 約束の・・』には、そんな描写は、ほとんど無い。非常に抑制のきいた、「待つ」ことの叙情的な清らかさと、人としての想いが静かに表現されている。パンフ原稿を演出が見落としたのだろうと思う。

 最前列で観た、勝手な感想であるが、劇団がお持ちになっている、人の想いや優しさを、掌(たなごころ)で慈しむように作っていこうという姿勢は、大変共感が持てた。
 しのと良平の描写が、やや類型的であるので、そこに手を加えられれば、この作品はいっそうの光を放つであることだろう。
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タキさんの押しつけ映画評・5『ベルセルク 黄金時代篇Ⅱ ドルドレイ攻略』

2012-06-24 07:16:28 | 評論
ベルセルク 黄金時代篇Ⅱ ドルドレイ攻略

これは、友人の映画評論家ミスター・タキさんが、個人的に身内に流して、互いに楽しんでいる映画評ですが、あまりに面白くモッタイナイので、タキさんの許諾を得て転載したものです。

 例によって原作ご存知でない向きにはあんまり楽しめないアニメであります。
 3部作で、本作は二作目とあってまだなんとも言えないのですが、今回は原作の説明など、やってみす。  舞台は……そう、我々の歴史で言えば中世終わり頃のヨーロッパ、イギリスとヨーロッパ大陸が地続きの世界を想像して頂ければ、大体この作品のバックグラウンド。
 主人公はガッツと言う名の戦士、戦場で吊された母から産まれ、傭兵に育てられて幼い頃から戦働きに出て、懸命に生き残ってきた。
 原作の冒頭は、妖精パックを道連れに、巨大な剣を駆使してこの世ならざる者達を狩って回っているガッツの物語から始まる。 本作は、青年(とはいえ10代後半)となったガッツがグリフィス率いる“鷹の団”と出会い“蝕”(後に彼がこの世ならざる者「使徒」を追うようになる原因)を生き残るまでを描く。
 
 この世界では、ミッドランドとチューダー王国の間で百年戦争が繰り広げられていた。ガッツとグリフィスは敵同士であったが、ガッの戦いぶりを気にいったグリフィスに入団を勧められる。一匹狼のガッツは即座に拒否するが、1対1の果たし合いに敗れ、以後 “鷹の団”の切り込み隊長となり、グリフィスにとってなくてはなら右腕と成って行く。しかし、グリフィスを知れば知る程 「この男とは対等でありたい」との想いが消しがたくなり、チューダーに対する戦勝を期に団から抜ける決意をする。止めるグリフィスを今度は果たし合いで破り、剣で奪われたものを剣で奪い返して一人旅立つ。
 グリフィスにとってガッツを失った事は考えられる以上の痛みをもたらし、彼は心の隙間を埋める為 王女を抱く。 これが王の知る所となり、グリフィスは投獄され容赦ない拷問を受ける事となる。鷹の団も国王の罠にかかるが 何とか逃亡し、野に在ってグリフィス奪還を目指す。
 旅の空で この事情を知ったガッツは鷹の団と合流、グリフィスを救出するが 時既に遅くグリフィスは不具者となり果てていた。絶望の内に団から離れようとするが、自由にならない身体ゆえ 浅い沼地で立ち往生してしまう。そこで無くした筈の“ベヘリット”と出会う。
 “ベヘリット”とは、御守りとして様々な人々が持っているのだが、実は「異界」の扉を開く鍵であり。一度手にすると、無くしても必ず持ち主の所に戻って来ると言われている。グリフィスのベヘリットは中でも特別な物で「覇王の卵」と呼ばれる。
 グリフィスの絶望に応えて異界が開き、4人の黒き天使が降臨し、「それでもお前の渇望が止まぬなら、命同様に大事な者を捧げるか、それとも亡者の列に加わるか」 と問う。折からグリフィスを案じて追って来ていた団のみんなの前で、グリフィスは言う『……げる』と。鷹の団に地獄が降りかかり、全ての団員に生け贄の烙印が刻まれ、一人また一人と使徒に喰われて行く。最後まで生き残ったのはガッツと女戦士キャスカ(グリフィス不在の鷹の団を統率してきた。この直前にガッツと結ばれる)
 グリフィスは5人目の黒き天使フェムト(翼ある者)として再生し、身動きできないガッツの目の前でキャスカを犯す。絶体絶命の窮地に、謎の剣士が“蝕”の中に乱入し二人を救い出す。蝕を逃れはしたものの、生け贄の烙印は消えず、二人は使徒に追われ、悪霊に付きまとわれる運命を背負う。精神に病んだキャスカは、ガッツの子を早産するが、その子供はフェムトの精を受けて魔物と成っており、何処かへと虚空に消える。助けてくれた謎の騎士から黒き天使と蝕の意味を教えられたガッツは、キャスカを 団の中で一人蝕を免れた少年兵リッケルトと世捨て人の鍛冶屋一家に預け、一人 黒き天使と使徒を求めて旅立つ。(今シリーズはここまで)
 現在は数々の戦いの末に見つけた仲間達と共に、キャスカの安住の地(と考えられる)パックの産まれ故郷であるエルフヘイムを目指している。(現在36巻) シリーズ1の時にも書いたが、コアなファン以外 映画館に通う必要はない。3作出揃ってディスクになったらレンタルするか、衛星放送に乗るのを待てば宜しかろう。
 
 これも(1)の時に書いたが、尺が足りずショートカットになっている。カットされた部分は今作の方が大きく、替わりにアニメオリジナルの場面が挿入されている。(1)ではそこまで感じなかったが、今作での変更は物語の中身を薄くしている。やはり、一本最低2時間とするか、90分4部作としなければ無理が出る。贅沢を言っているのは理解しているが、劇場用シリーズアニメでその程度の尺を持っている作品は現実に有るので出来ない事もなかろうと思うのだが……。
 これで終わるとあまりにも寂しい。そこで、ファンの皆様に朗報を一つ。旅に出たガッツがすれ違う馬車の中にパックの姿有り!
 と言うことは、今後“蝕”以後の「ベルセルク・サーガ」が映画化される可能性があるという事です。
 待てよ、本シリーズが不入りだとそんな企画は流れる……?!
 いかん!前言撤回! 皆さ~~ん!メッチャ面白いアニメですぅ! 今すぐ見に行って ディスク化されたら購入しましょう。ちなみにシリーズ第一作はもうディスクが販売されてます。宜しくお願いしま~~す。
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劇団往来『あした天使になあれ』

2012-06-24 00:16:03 | 評論
劇団往来『あした天使になあれ』

あっぱれ、やっつけ芝居!
 
 一週間ほど前に、往来の演出家鈴木君と共通の友人である映画評論家のタキさんから聞いていた。
「往来の台本、まだ決定稿できてへんらしいで」
「ほんまかいな!?」

 で、どうなんだろうと思いながら京橋駅から、会場の「大阪ビジネスパーク円形ホール」に向かった。
 ツゥイン21の双子ビルを抜け、会場に入ると旧知の劇団員が場内案内に立っていた。
「なんや、今度は、本あがるの、遅かったそうですなあ」
 その劇団員は、アンチョコで宿題をやった生徒が、先生に見とがめられるように答えた。
「そうですねん、本あがったん、三日前ですわ」
「ハハ、それは大変でしたなあ」
 軽く会釈して席に着いて気がついた。

――三日前ちゅうことは、初日の前の日か……!?

 普通、こういうことを関係者は、アケスケには言わないものである。
 わたしも、礼儀上書かないつもりでいた。
 一ベルが鳴ると、ベテラン俳優の乃木さんが舞台に現れた。上演前に関係者が観客に言う、お決まりの挨拶を兼ねた注意事項かと思った。
「ええ、音の出る携帯電話なんかのスイッチ……」から始まった。
「演出効果のため、非常灯は消します。万が一異常が有った場合はご安心ください。まっさきに役者が逃げます。みなさんは、その後につづいて……」と、笑わせてくれる。そして、言ってしまった!
「えー、実は、このお芝居の本は、本番の前日にできあがりまして……」

 で、わたしは、正直に書いている。あっぱれやっつけ芝居!

 この芝居は、同名の映画とのコラボ作品である。映画の方は鋭意制作中であるそうな。舞台劇の映画化も映画の舞台化も多いが、両方同時進行というのは珍しい。

 中味は、大阪にあるミュージカルを主体としたアマチュア劇団「アップルパンチ」の劇団員と、その周囲の人たちの、どこか抜けた明るくもおかしい、人間のオモチャ箱のようなコメディーミュージカルである。
 劇団の代表者は、芸名と同じ要冷蔵(かなめれいぞう、と読む)は、劇団員の恋やイザコザに振り回され「劇団内の恋愛は御法度!」
 と、言いながら、劇団員の看護婦……看護師に心を寄せている。看護師も憎からず思っているが、こちらもなかなか言い出せないでいる。
 その間に、劇団員三人が東京のオーディションに受かり、大地真央と共演できることになり、勇んで東京に向かうが、これが真っ赤な詐欺。詐欺にあったとも言えず、スゴスゴと大阪にもどってきた三人は、みんなに合わす顔もなく、夜の稽古場に戻ってくる。そこには、若い劇団員のカップルが稽古場をラブホ代わりに使おうとしていたり、三人を詐欺にかけたペテン師がドロボウにはいろうとしたりして鉢合わせ。
 他にも、劇団員の家庭問題、職場の問題、ミス花子氏が大将……オーナーシェフをやっている「まんぷく亭」などが出てきて、中味はまさにまんぷくの二時間半である。
 
 そう、二時間半の尺の長さである。
 ここに、この本の第一の苦しさがある。普通二時間半ならば中入りが入るが、ぶっ通し。おそらく本番の直前まで、芝居の長さも分からなかったのであろう。わたしも本書きのハシクレなので分かるのだが、本の刈り込みが出来ていない。エピソードは、劇中の劇団員の病院の産婦人科の患者二人のエピソード、職場の体験学習に来る子供たち。院長のシンポジウム、これが笑いがいかに健康に良いかと笑わせてくれた後に、子ども二人の漫才、ミス花子氏のソロ、デュエット、カルテット、クィンテット、コーラス、それにダンスがついててんこ盛り。
 ヤマが三カ所ほどあり、その都度、観客はフィナーレと思い拍手しかけるが、「まだかいな」とばかり話が続く。やっぱり刈り込んで、せめて二時間以内に収めるべきであったろう。

 十数行前に「どこか抜けた明るくもおかしい」と書いたが、役者の芝居がまさに、これであった。
 場面によって、出来にバラツキがあり、演技としてどこか抜けている。ダンドリ芝居や引き出し演技になっているところも多々あり、芝居が空回りして、観客に伝わりきっていない。
 しかし、芝居は「これでもか、これでもか」と、しつこいくらいに明るく、押しつけがましい。
 で、それが不快に感じられないところが、往来のオモシロサである。
 ラストは、この強引なしつこさに観客は飲み込まれ、舞台の役者に合わせて満場の手拍子。観客席を見ると、心から喜んでの手拍子、「かなんなあ」と思いながら、その強引さが楽しくて拍手している人。
 いやはや、あっぱれな、やっつけ芝居であった。

 並の劇団が、これをやると、観客は引いてしまうだろう。しかし往来という劇団は、ヌケヌケとそれをやってしまう。こういう強引さは、わたしは好きである。

 帰りにツィンビルの中を通ると、高校生とおぼしき若者たちがビッグバンドジャズをやっていた。素人のわたしが聞いても上手いのだが、会場は、あまり温もっていなかった。ジャズであるのにスゥイングできていないのである。映画『スゥイングガールズ』の中で、彼女たちは、立派にスゥイングしていた。わたしは、この作品が好きで、彼女たちの「ラストコンサート」のDVDも持っている。時に音を外したりするが、観ている観客はスタンディングオベーション。椅子がないので立っているが、気持ちはスタンディングオベーションである。
 彼女たちのスゥイングのノリと同質のものを感じた好演であった。
 しかし、次回は、きちんと本を書き上げ、時間をかけて稽古した芝居を見せていただきたいものである。 

 ささいなことであるが、劇中「女性警官」のことを「婦人警官」と呼んでいた。これは非難では無い。わたしは「女性警官」よりも「婦人警官」の呼び方に親しみを感じる……と言えばお叱りをいただくだろうか。「看護師」も、どうも耳になじまない。ちなみにパソコンで変換すると「看護し」しか出てこない「看護婦」は一発で変換できる。「看護婦さん」も素直に一発変換……と、ラストは、パソコンの変換機能の話でしめくくり。
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タキさんの押しつけ映画評『SNOW WHITE & 愛と誠』

2012-06-17 21:58:05 | 評論
タキさんの押しつけ映画評5『SNOW WHITE & 愛と誠』

これは、友人の映画評論家ミスター・タキさんが、個人的に身内に流して、互いに楽しんでいる映画評ですが、あまりに面白くモッタイナイので、タキさんの許諾を得て転載したものです。


SNOW WHITE
 画像綺麗し、ドラマチックで見応えあるんですが、はっきり言わしてもろて失敗作です。
 ナンジャカンジャ詰め込み過ぎて焦点が絞り込めていない。
 
 最も要らない持ち込みが「ジェンダー」
 
 一瞬監督は女か?と思った位。お伽話をフェミニズム視線で語らないで頂きたい。
 監督はCM畑の人で劇場版長編は初めて。アイデア豊富な人だとは判るが、 取捨選択が出来ない、乃至理解していない。
 それと影響を受けた作品からパクって来ているのが丸分かりで、こいつは洒落にならない。原作はグリム童話だが、映画のタッチはトールキン(指輪物語)である。 原作(初期の“童話”と言うより“民間伝承”に近い物)の中の「ドイツ的」なるものは、悉く「イギリス的」なるものに置き換えられている。見ていてまずここが居心地悪い。ドイツ民話に付き物の「黒き森」はまるで「指輪物語」の“障気の沼”か…漫画「ベルセルク」の幽界の入り口の森。いやいや、有り得ない話じゃない。この人「もののけ姫」からパクっているし、他にも漫画で見たシーンが散見できる。「ベルセルク」を読んでいる可能性は90%以上と見た。
「黒き森」を抜けて、妖精の住まう聖域から「白き森」に至るシーンでは、まるでドイツからイギリスにテレポートしたかの如く。
 ここから一気に舞台はイギリスに成ってしまう。 アーサー王伝奇やら六王朝時代のイングランド伝説、果てはギリシャ神話設定にエリザベート・パトリ(処女の血に浸かるのが不老の方法だと信じていた異常者)、 トドメはジャンヌダルクと来たもんだ! これだけ節操が無いと見ていてなんとも落ち着かないし、何だかしんどい。
 トドメが三点。
 まず、シャリーズ・セロン(女王)が予告編やスティールを見ている限りでは美人なのだが、本編を見ているとまるでオバサン、一応理由は有るのだが、やはり女王は美人でないと説得力が無い。これはこれで良いのかもしれないが、映画のあちこちで引っ掛かるので、せめて…と思う次第、私がシャリーズ・セロンのファンだからではない(ギクゥ!)。
 第二点、白雪姫がクリステン・ステュワートだから余計にそう思うのだろうが、初め、白雪姫を追い、後 守護者になるエリック(クリス・ヘムズワース)と“トワイライトサーガ”の狼男が重なって見える…こんな設定までパクっている。
 第三点、ラストが気に入らない。せっかく魔女を倒したのに、変わって女王についた白雪姫が、形は違うだろうが、女として魔女の怨みを引き継いだんじゃないかと思わせるイメージが有る事。
 以上、余計な事を考えず見ていれば、そこそこ見られる映画かな? と、思わないでもないが、それでも何か乗りにくい作品であることに変わりは無いと思う。見てきて反論の有る方は、教えていただきたい。

愛と誠
 あっあ愛とまま誠ォ~~! あっはっはははははははぎゃあっははははひはははひ~~ひ~~ くっ苦しい~!勘弁して~~~~~!
 久方振りに映画を見ながら腹筋を鍛えさせてもらいましたワイ! この企画建てたん一体誰? この仕上がり
でOK出したん誰だんねん。見ていて途中から笑うのさえ忘れましたわいな。359度歪んで、もしかしたら面白いの? シュールリアリズム作品なんか? 武井咲ちゃん、カワユス~、演技?…あっは!学芸会以下ですわいな。確かにショックではありましたわいな、初めてエド・ウッドの映画を見て以来のね。あっはっはは はぁ~
 ぷすん……。
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