ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

聴く鏡

2010年12月01日 | 訪問記
『聴く鏡』の御仁は、目の前の丸テーブルに居て、薬師寺の座像のようにおごそかにかまえている。
店内にあるマルチシステムから放たれるジャズという名の即興音楽を、十年ぶりに訪問し拝聴している当方は、ありがたい気分に浸っているが、それもこれも、融通無碍の人物が急にやってきて、ぜひとさそわれ、さきほどドアを二枚くぐったのである。
この店には四辰図のようなフェーズの音があると人は言い、そのひとつは、店内の明るい照明におだやかな音量で鳴る音、つぎにほの暗い時間帯にみられる透明で闊達な音、次に、研ぎ澄まされた音の切っ先が飛び交って、指で掴めるような空圧が左右の鼓膜をエキスパンドする強烈至極の音、そして結界の丸テーブルに居て聴く天上の音とあるそうだが、もうひとつ忘れてならないのが街の七不思議の一つに数えるひとのいる、己の心に聴く謎の『鏡の音』である。
さて、融通無碍の御仁は、きょうの昼、急にやってくると、当方が古くて新しいパソコンの部品構成に悩まされている隙を突くように、「これから『聴く鏡』という著作にサインをもらいに行くので、よろしければ様子をたまにはごらんになってはいかがですか」と、それももっともなお話であった。
これまで十年もその姿を知らない謎の人物について、お客の噂のまぼろしが語られ、エスピレチンのように虚空を切っている。
昨日も「秋田から電話したところ、いきなりガチャリでした」と現れた客はいうが、はたして本当にジャズは鳴っているのか。
休みがちも趣味のうちであるが、一度、音をきいておけばそれで良い。
まだ客の居ない午後一番に店内に向かった当方は、ジャズを聴く客席の位置をどこにするか選んでいると、あいにくマリソン・ライターがそこに置かれていた。
「こちらにきてください」
書籍にサインをもらったらしい融通無碍の人物が奥の丸テーブルで呼んでいる。
いわゆる結界に、一歩踏み込んでいくと、『鏡の御仁』はJBLという仏閣の奥の間に、仁王のように鎮座してジロリと当方を見て無言である。
にじり寄って下座に、よろしくお願いしますと辞を低くし、なにも返ってくる言葉がないので、かってに判断し椅子を引いた。
それから時計の長針がかれこれ10分も移動するあいだ、互いは黙っていた。
融通無碍の御仁は、まったく会話がないのでおそれをなしたか、さっきひとり姿を消すしまつだ。
しかしジャズを聴く者はいざとなれば、誰も沈黙は、じつは得意である。
御仁は、厚く積んだ原稿用紙に太いモンブランの二本を載せたまま、じっと何か見えないものを見ている様子だが、以前会ったのはかれこれ十年も前のことなので、おそらくこちらの記憶がないと思うが、当方も先日、東京から来たと申される客に「道でかの人物と会ってもせっかくだが、見分けができないかもしれない」と当方が言うと、驚いた客は、「この雑誌に写真が載っていますから置いていきます」と、親切であった。
しかし、そのような適当な写真に、だまされてはいけない。ここに来るとき見てきたそれと、いま見る本物の実像は、まったく違うではないか。
その様子は体躯もがっしりし、眼光するどく、くちを直線に結んでゆったりとかまえ、微動だにしない。それを撫愛想ともいえるが、健康そのものである。
しかたなく無言のまま、御仁を前にしたなんとも良い気分に浸って、周囲の壁面をのんびり眺めジャズを楽しんだ。
この結界の一角は、背後にレコードの再生ルームがあり、いわば宗易の待庵の二畳ともいい、これまでも貴重な歴史をきざんだ重厚な空気がただよって、ほの暗いなかに周囲を取巻いて利休好みのような由緒の有り難い品々がいっけん無造作に並べてある。
雑然としながら魅力的に、ポートレートや記念サインや壁の片側の千冊積みの書籍など、御仁の歴史がそこからも眺められ、せっかくこの店を訪ねる遠来の客が、チラとも覗けず、はてはシャッターの下がった入り口を見たばかりで、再び新幹線で帰る人も多いそうであるが、やはりその期待が再訪を促すのは、音ばかりではないのか、と漠然と感じる充満したものがそこに御仁とともにある。
客席から見て腰板壁に隔てられたこの空間については、客席のすぐ側にあるにもかかわらず、古代中国の科挙ともまがう御仁の詮議がまずあって、なかなか座れないとroyceに来るお客は申されているが、皆、払われるようになかば呆然とし、憮然と応対の感想をのべている。
かりに、当方のように、望んだわけではないがかってに座って、あいかわらずブスッと沈黙している鏡の御仁をまえに、くるりと九十度曲がってきこえてくるJBLマルチ装置の音を平然と楽しく聴いていると、タンノイは至高の音ではあるが、なるほどこのような究極といってよいシーンのJBLに、思わず内心、ニッコリだ。
そのうち、気がつけばサクスの音色があたらしく空気を染めはじめて、柱の向こうに掲げてあるジャケットをサッと覗きにいくと、やはり『modern art』で、ペッパーがサクスを横に半傾像している。
席に戻りつつ「これは駅前のタルのマスターのお気に入りで、喫茶の壁におおきく引き伸ばした写真を貼っていたんだよね」と独り言をもらしてしまった。
タルのマスターは、すばらしい。
するとなにかしらぬがややあって、目の前に菓子皿がすうっと置かれた。
お茶受けとは豪勢なジャズ喫茶だ、と感心して、しばらく席を外して戻った融通無碍な御仁に「あなたが来たときもこのような菓子が出るわけ?」とお尋ねすると、
「いいえ、ぜんぜん...」と笑っている。
菓子とは子供扱いか、と内心不思議でいると、ドアの方が賑やかになって、車椅子の客が入ってきた。
迎えに行った鏡の御仁が我々の丸テーブルに誘導し、交わされる話が耳に入る。
この客は、これまでJBLのマルチ装置を標榜して研鑚を積んだいきさつを当方に言った。
「座標軸がわからなくなると、いつもここに足を運んで来たのですが、ここの珈琲はおいしいですね」と、カップを太い指で摘んでいた。
そこで菓子皿をその客のほうに押しやっておいて、当方もカップの深い色の珈琲を覗いてみると、次々入ってくる客の応対に忙しい鏡の御仁はしばらく戻ってこなかったが、ふたたび突然こちらの前に、まえより大盛りになった菓子皿がもう一個置かれたので、ぎょっとしていると、鏡の御仁はこんどは麦煎餅をビニール袋から取り出したその片手を、にゅっと目の前に突き出して当方に食べろという。
裏千家でもなんでもよいが、日本一のジャズ喫茶の突き出されたお茶受けというものを目の前にして呆然としていると、鏡の御仁は云う。
「こちらの土産の煎餅だが、秋田名産で、いくら食べても腹にもたれないんだよ」
いわゆる茶席の亭主のような解説があった。
声の柔らかい「鏡の御仁」の顔を見ると、さきほどまでの構えた様子はどこかに消え、意外に人なつこい笑顔で、ニコニコしているではないか。
この御仁は、そういう笑顔もできるのである。
いやはや、アート・ペッパーさまさまの、タルのマスター効果というものであろう。
そこにまた、ジャズ幾星霜という様子の客が入り口を開けドア越しに、黒ずくめの当方を見てなぜかニコッとしたが、丸テーブルにいるこちらを受付役かなにかに見えてしまったのかな。
その客は、もう一つある丸テールに座ろうとしたのであるが、どこからともなく吹く風にあっさり一般席に連れ去られてしまった。
その様子から気がついたのは、まずはじめに正面で正しくジャズを聴きなさいという延喜式の初めのことわりのようなものと思うが、当方も、特段の用事があるわけでもなく一般席でかまわなかったのであるけれど。
ところで、鏡の御仁の重用するモンブランの万年筆について、キャップの頂辺にある白い星形はモンブラン山頂の冠雪である。
むかしあるとき、隣に掛けている女性にそのキャップの模様を見せて話していると、ふーん、と女性は覗き込んでいる。
そこに突然人が現れたので、その女性はなぜかあわてて一メートルもサッと当方の側から離れた。
それ以来、どうもモンブランの雪についてはあやしいと、記憶がいっている。





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