ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

青葉城下

2009年02月26日 | 徒然の記
冬の朝、ロ短調でシェービングする。
ふと先日のFM番組の記憶が思い起こされて、エッセンスで繋がっていく話に耳をそばだて、時の針が早かった。松岡正剛や、オーディオ・マニア立花氏のとき、伊藤喜多男師など、どのような展開になるのかな、と思う。

この間、伊達藩にいて、所用の合間に激戦のファミレス峠の茶屋で五品690文のお膳をいただいて、また深夜のスーパーにて寿司パック200文処分也に感涙?した。
青葉城の石垣の道を車で走っていると、物陰から間合いを計って白黒の車が登場して驚いた。
そういえば昔のモノクロのテレビ画面に、鞍馬天狗が白刃を一閃のコマーシャルがあった。
『人の噂に、昨日も聞いた、きょうも見た。
風をバッサリ、エスピレチン。
ぴゅー........』
シンプルで、ナレーションが良かった。

マランツ#7はいろいろ試した結果、GE管に落ち着いた。
ジャズの太い音には、よさそうである。



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TAKE THE A TRAIN

2009年02月20日 | 巡礼者の記帳
「ハーレムのシュガー・ヒルに行きたけりゃ、A列車にお乗りなさい」
『A列車で行こう』は、アニタ・オディも良いが、D・エリントンのオープニングがニューヨーク、マンハッタンを晴れやかに驀進していく。
どれひとつ同じ演奏のないA列車に、いろいろ乗ってみようと到来盤にSPU-Aを乗せると、S.・グラッペリや3丁のヴァイオリンが63年パリ録音のフレンチ・サウンドである。
九人メンバーのドライブは、タンノイにとっていつもの百人編成のオーケストラにくらべ室内楽の分量であるけれど、D・エリントンは、精力的に楽しんでいる。この録音が終わったら、ムーラン・ルージュに繰り出すのかな。
そこに以前、一青窈のCDを聞かせてくださった客人が、タンノイで『ラ・カンパネラ』を聴きたいと申されている。
シフラのピアノが一方に寄って、調べてみるとマランツ#7の一番管が消えているのを差し込んだ鏡で見た。
ここに挿した12AX7は気に入っていた貴重管なのに、大事件である。
さて、困った。
次のA列車はやってくるか。





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My Funny Valentine

2009年02月17日 | 徒然の記
玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 青丹よし ひなにはあれどそらにみつ すずめのうたの雨の下 ここときけども みればかなしも

「スズメがすごいですね」
定休日に玄関に廻ったお客が言っている。
見ると、冬枯れた木の枝に雀が大挙して、何事かフル・コーラスをさえずっている。
その枝の下の路面は、客の帰った後楽園スタンドのように汚れている。
秋にも、柿の実に野鳥が群がるので、下に停めた車が汚れてガックリだ。
車の上に繁ってあおい、ささやかな陽除けのアーチを満足していたが、いささか激しい汚れに、この秋バッサリ切った。
しかし、スズメは大挙してかよってくる。
雨降りに、傘を差してゴシゴシ、デッキブラシを車の屋根に使いながら、柿本人麻呂の歌をかさねるとどうか...。

到来したエリントンのMy Funny Valentineをタンノイで聴いてみる。





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モラヴィアの拓本

2009年02月09日 | 巡礼者の記帳
キー・ボードをたたくことは忘れても、夕餉にはゴールドの喉越しをたしなむ人も多かろう昨今。
ローマに生まれたアルベルト・モラヴィアの作品に積もった埃を月桂樹の枝先で払ってみると、
映画になった作品は、いまから考えてもフレームが特異だ。
1954年にジーナ・ロロブリジーダが主演したLa Romana(ローマの女)
1960年にブリジット・バルドーが出演したLe mepris(軽蔑)
1960年にソフィア・ローレンと ジャン・ポール・ベルモンドが出演したLa Ciociara(ふたりの女)
1963年にカトリーヌ・スパークが出演したLa Noia(倦怠)
「17才よさようなら」の主題歌であるArrivederciは、1956年にサンレモのジャズ・フェスでチェット・ベイカーが吹いた。
あのころ駅前を左に曲がった映画館に、期末試験をものともせず入ったが、さすがに学生服の人は見なかったのが、淋しい。が、正しい。
星座映画館のスピーカーとアンプはどのようなものであったかと思っていたときの夜に、竹刀の筒のようなものを下げて登場した御仁に憶えがあった。
いま民話の里「遠野」に行き、江戸時代の祖先の石塔から拓本を採ってきましたと申されて、和紙を六枚、濡らした要領を話してくださった。
千葉のご自宅には『タンノイ・ヨーク』が鎮座して、家に戻って聴くと、心からホッとしますね、とタンノイに魅せられた人である。
PABLOのZootを聴きながら『寺垣スピーカー』の原理や音質のことなど、最新の情報を縷々御説明いただいた。



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ブロムシュテットの田園

2009年02月01日 | 巡礼者の記帳
いよいよ満を持して、タンノイ・ロイヤルによってブロムシュテットの『6番田園』を聴いた。オケは東独逸の至宝ドレスデン管弦楽団。
田園の旋律は、ジャズでいえばロリンズのセント・トーマスに似て節回しが印象的なぶん、あまり何度も聴いてはどうか。
ワルター・コロンビアの分が悪いと思われるところは、あまりにも抜群な節回しで、戸惑いの余地がなく研究心やちょっとした疑心も湧かない。こうなっては3年に一度、間隔を伸ばして聴く板となる。
この東独の至宝といわれるオケは、ベルリン・フィルのように大音量で急旋回し急停止するほどではないが、馬力もあり、ウイーン・フィルとは違うつややかさで、かつコントラベースもぬかりなくズズズンと激しい。パートのコントラストや音色がすばらしいと思われ技倆に感心した。
ブロムシュテットは5楽章の最後まで、次はどうかな?と飽きさせなかった。
田園については、クリュイタンスやイッセルシュテット、ベームなど耳にするが、こうなっては、うっかりしたことは言えない。ますます寡黙になってしまう人生だ。
そこに、一見往年の吉田秀和氏か?と思われる人物が登場した。
もうすこしリラックスしていただきたいと、冬の室内は少々寒いので、あらたに強制フアンのストーブを備えたところ、この音がアナである。
この御仁いわく、仙台の某レコード店で「ロックに染まったのであればあと一歩、ジャズも良いですよ」と、それからジャズに開眼なさったそうで、「ケニー・ドリューのダーク・ビューティをタンノイで聴きたい」と申されていたが、うっかりあやまってシュタルケルのバッハをかけると、がらりと姿勢が変わられて、つまりやっぱり、そういう人物であらせられたのである。




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