母屋にて、駿河の御茶を味わった。
そういえば当方が初めに茶を意識したのは、まだ小学校にあがるまえ、店先に奇妙な客が来たときの出来事からである。
戦後間もなくの或る日の昼下がり、奇妙な占い師が店先の上がり框に立つと、当方を指して、その子の『疳の虫』を取って進ぜるから、この茶をどんぶりに煎れてきてくださいと親に言った。
両親と姉の見ている前で、当方のモミジのような手は薄緑りの茶にしばらく浸けられて、やがて、摩訶不思議なことに、取り出されたその手のいたるところから、白い産毛のようなものがふわふわ湧き出して、その占い師は「ほら、出てきましたね、疳の虫です」と言うと、あっけにとられる親の前で、ピンセットで、どんどん摘み始めた。
占い師は、なにがしかの礼を懐にして悠々と立ち去ったが、虫を捕られすぎたのか、あれ以降。気弱になってしまったのが痛ましいことである。
連休の期間、駿河の国から到着した5人の客は、『直流直結音響増幅器研究家』様など、そうそうたる面々で、シナトラ一家のように個性と役割分担がパーツになっている音響占師軍団といった雰囲気がとても良かった。
そのうえ仙台市のマイクロバスによって、そこはかとなく教養を醸しておられる男女7人組もおみえになって、お帰りのあとには、コーヒー皿の上に大量のピーナッが残されており、あの史上不滅の名盤マッセイ・ホールの『ソルト・ピーナッツ』をタンノイで聴きたかったという伏せ字なのか?たんなる食べ残しか、豆の山を見てしばらく考えているが、53年にトロント市でアルトを吹いたチャーリー・チャンとはパーカーの伏せ字であるのは周知のことであったが。
そういえば当方が初めに茶を意識したのは、まだ小学校にあがるまえ、店先に奇妙な客が来たときの出来事からである。
戦後間もなくの或る日の昼下がり、奇妙な占い師が店先の上がり框に立つと、当方を指して、その子の『疳の虫』を取って進ぜるから、この茶をどんぶりに煎れてきてくださいと親に言った。
両親と姉の見ている前で、当方のモミジのような手は薄緑りの茶にしばらく浸けられて、やがて、摩訶不思議なことに、取り出されたその手のいたるところから、白い産毛のようなものがふわふわ湧き出して、その占い師は「ほら、出てきましたね、疳の虫です」と言うと、あっけにとられる親の前で、ピンセットで、どんどん摘み始めた。
占い師は、なにがしかの礼を懐にして悠々と立ち去ったが、虫を捕られすぎたのか、あれ以降。気弱になってしまったのが痛ましいことである。
連休の期間、駿河の国から到着した5人の客は、『直流直結音響増幅器研究家』様など、そうそうたる面々で、シナトラ一家のように個性と役割分担がパーツになっている音響占師軍団といった雰囲気がとても良かった。
そのうえ仙台市のマイクロバスによって、そこはかとなく教養を醸しておられる男女7人組もおみえになって、お帰りのあとには、コーヒー皿の上に大量のピーナッが残されており、あの史上不滅の名盤マッセイ・ホールの『ソルト・ピーナッツ』をタンノイで聴きたかったという伏せ字なのか?たんなる食べ残しか、豆の山を見てしばらく考えているが、53年にトロント市でアルトを吹いたチャーリー・チャンとはパーカーの伏せ字であるのは周知のことであったが。