ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

駿河の国の客

2009年09月30日 | 巡礼者の記帳
母屋にて、駿河の御茶を味わった。
そういえば当方が初めに茶を意識したのは、まだ小学校にあがるまえ、店先に奇妙な客が来たときの出来事からである。
戦後間もなくの或る日の昼下がり、奇妙な占い師が店先の上がり框に立つと、当方を指して、その子の『疳の虫』を取って進ぜるから、この茶をどんぶりに煎れてきてくださいと親に言った。
両親と姉の見ている前で、当方のモミジのような手は薄緑りの茶にしばらく浸けられて、やがて、摩訶不思議なことに、取り出されたその手のいたるところから、白い産毛のようなものがふわふわ湧き出して、その占い師は「ほら、出てきましたね、疳の虫です」と言うと、あっけにとられる親の前で、ピンセットで、どんどん摘み始めた。
占い師は、なにがしかの礼を懐にして悠々と立ち去ったが、虫を捕られすぎたのか、あれ以降。気弱になってしまったのが痛ましいことである。
連休の期間、駿河の国から到着した5人の客は、『直流直結音響増幅器研究家』様など、そうそうたる面々で、シナトラ一家のように個性と役割分担がパーツになっている音響占師軍団といった雰囲気がとても良かった。
そのうえ仙台市のマイクロバスによって、そこはかとなく教養を醸しておられる男女7人組もおみえになって、お帰りのあとには、コーヒー皿の上に大量のピーナッが残されており、あの史上不滅の名盤マッセイ・ホールの『ソルト・ピーナッツ』をタンノイで聴きたかったという伏せ字なのか?たんなる食べ残しか、豆の山を見てしばらく考えているが、53年にトロント市でアルトを吹いたチャーリー・チャンとはパーカーの伏せ字であるのは周知のことであったが。









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三河の客

2009年09月28日 | 巡礼者の記帳
カップルの顔は似ている。
バタバタバタッと、独特のエンジン音を響かせて白い車が入ってきた。
フォルクス・ワーゲンを駆って三河の國から道奥に分け入った、小澤征爾の若い頃と面影が似ているその客は、『フッターマン・アンプ』でジャズもクラシックも聴いていると申されている。
会社にロイヤルが置かれているが、ROYCEのタンノイはこれまで知っていた記憶のイメージと違う鳴り方であるそうな。
「ヴィレッジ・ヴァンガードが、タンノイで、このように聴こえるのが驚きです」
隣に座る女性の意見をその客は求めるも、知的な女性は涼しげに書物に目を落として、かたくなに発言を拒んでいるのがおもしろい。
タンノイのオーディオ音像を聴いて縷々感想を具体的に述べているその客が、自宅のシンボリックなメーターの付いたフッターマン・アンプでいったいマイルスやコルトレーンをどのように聴いているのだろう。
「じつは、」と言って、携帯の画面に映しだして見せた光景は、24畳はあろうかと思われる空間の壁一面を覆って衝立畳に起立している、数えるのも難儀な数のユニットが埋め込まれてあり、その他のウーハーのエンクロージャ-も含めると、手と足の指を折ってもとうてい足りない。
それがメーカー製ではなく自作であるということが、にわかに信じられないほど颯爽とした工芸的美箱の仕上がりである。
この客は、何故かの理由から既成の製品にあきたらず、自分でサターン・ロケットを作ってしまったものと思われる。
「思わず聞き惚れる、」とか、「目が覚める」などとその客がROYCEのタンノイを聴いて感想を漏らされても、それ以降はなんといったらよいか....楽しんでいただければ幸甚です、といった気分であった。
巨大なタンカーのようなオーディオ装置の舵を握って大海原を進んでいる人には、さらに大きなタンカーに乗って、船べりから話しかけるのが良いのである。
さもなければ、装置からどのような音が鳴っていようとも、賞賛や誹謗や感想など蚊に刺された象のようにして、おそらく彼のジャズは鳴り続けるに違いない。
....と思わせる、小さな携帯に写っている巨大な装置であった。お見事です。







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まぼろしの舞草刀

2009年09月27日 | 歴史の革袋
先日のこと、一関の市街地から北上川にかかる橋をわたると、美しい円錐形に裾野を伸ばす観音山がどんどん迫ってきたが、その山懐には、日本刀愛好者なら誰でも知っている『まぼろしの舞草刀』の発祥地がある、といわれているのを思い出した。
それまで伝統的に定規のように真っすぐだった刀身が、どうやらこの舞草刀から弓形に反りを見せて、平安後期の動乱に攻撃的破壊力をもつ新兵器として、設備を整えた鍛冶工房から量産されていくのであるが、周囲の地形には、鉱山や砂鉄の川が分布している。
この舞草刀の実物は、だれが持っているのだろう。
実用の刀と、観賞工芸用の美品があるのか、舞草刀として確認されたものは非常に少なく、しかしながら、眼力のあるひとが見ると、それとわかる特徴がある。
いまだにそれは、旧家の蔵の中に人知れず眠っているのかもしれない。
里見八犬伝の刀は、鞘を払うとサッと刀身に霜が浮かんで、先端から雫の玉がこぼれ落ちる、玉散る氷の刃だというので、そこであるとき上野の博物館に、正宗の名刀というものを見に行った。
正宗は、白さやから抜かれて薄明かりに銀色に輝いていたが、もしこれに、霜がかかって雫が落ちることがあれば、見ものだ。
タンノイの音も、ふっと霜がかかったように鳴るときがあってちょっと良いが、ナポリで生まれたアルド・チッコリーニの、昔コンクールで一位を取ったコンチェルト1番を、たまには聴く。






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OUR DELIGHT

2009年09月16日 | 巡礼者の記帳
夕刻、入ってきたその客は、肩まで銀髪を垂らしている。
はてな?
こちらは椅子に座ったまま、北回帰線と南回帰線の周囲の地理をぐるぐるまわして過去のデータの検索にしばらく時間を費やすと、彼は当方との間合いを計りながら、「ジャズを...」と催促してきた。
大型のバッグからバハマの葉巻を取り出し、名刺のかわりといって、漢字の印刷されたシールをメモ紙にはったものをよこしたが、あまりにも活字が小さかったので、そのまま既決ケースに当方は納めた。
『J・ウォーリントン』のひらめきがOUR DELIGHTを鳴らしているとき、自分の年齢は60と70のあいだであると、曲の隙間に二.三度くりかえすのだが、年輪は、最近の世情であまり意味がない。
――この周囲は八十、九十の剣客がごろごろ闊歩しているから、その年齢ではまだハナ垂れの.....と言うとその客は、なるほどと、バックから万年筆のいっぱい入ったケースを出して、ついでに差し出した写真に写っている、テレビでよく見る女性アナとの月見坂のにこやかなツーショットは、何を意味するのか。
さらにまた、
「きのう行った温泉でこんなものを....」と、そこの支配人の肩書きの名刺の裏に“よそのお客様の迷惑になりますのでお静かに願います”と達筆な走り書きがあった。
この客は、賑やかなディレッタントかもしれない。
いささかこちらが沈黙していると、先日『ハンク・ジョーンズ』氏のライブを聴きに行ったが、あんまり満員なので道端に出された丸テーブルで涼んでいたところ、ジョーンズ氏が出てきて、同じテーブルに座った、と言い出した。
「あなたの演奏は、とても良かったね。と感想を言ったら、カレはオレの手を握って『お褒めにあずかって光栄です』とこうきたわけ」
――すると英語も、かなり?
「いや、その程度のことは、ジャパニーズ・イングリッシュで、だいじょうぶ」
――普段も、丸テーブルに座るわけ?
「それが、オレは、あそこに五百回は行っているけど。もらったのはサインだけだな」
残念。
当方が、眼を丸くすると、またバックをもそもそさせて、そのサインというものを見せてくれたが、ついでにポンとテーブルに大判カメラが無造作に置かれたから、おやっと思った。
写真展の賞状なら、ふすま紙にして貼りきれないほど持っているそうである。
...こんど、その傑作を見せてもらいたいと、二度頼んでおいた。







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対馬がふるさとの客

2009年09月13日 | 巡礼者の記帳
夕刻に現れたその客が、温泉巡りを趣味としているのを不思議に思ったのは、当方にまだ未知の分野であるからだが、昔読んだ007J・ボンドもそういえば作戦終了後、痛めたボデイを回復するために温泉ハウスに行ったシーンがある。
そこで危ない目に遭ったのが、新しい物語の伏線だ。
R・ハンプトンの演奏する『12番街のラグ』が止ったとき、その客はソフアに足を抱え、爪のさきをちょっとこちらに見せて「この黒くなっているのが、温泉の硫黄分です」と言った。
焦茶色のネイルアート?を誇ったが、シェーファーやペリカンの万年筆を見せる客はいても、爪の客人は開業以来のことである。
―― 一関でも、湯量の豊富な『須川温泉』が有名ですが、ほかに何と言ったか、薬効の凄いところがあるとご老体が言っていました、ご存じですか。
「それは玉川温泉のことでしょう。じつは妻も、温泉が好きなのです」というと、携帯電話の画面をプチッとさせて、先刻まで居た清潔なプールのような青い温泉場の写真をこちらに渡した。
その画面を見ていて、一度行ってもよいかなと思い、日本で一番お勧めの温泉はどこでしょう?と尋ねてみた。
「やっぱり、草津温泉などかと思いますが、有名であることの弊害もあるのがいなめません」
気分良く温泉に浸かるための条件を、客は熟知しているのであった。
「おや、この音は、意外に楽しめますが、カセット・テープなのですね」
メガネの先を暗い床の方に向け、カセット・デッキのイルミネーションが変化して、ジャズがトミー・ドーシーに変わった。
もうすでに白亜紀の地層に眠っているかのようなミュージック・カセットだが、封を切っていない蔵出しのジャズ・カセットがときどき発掘されて、ケースのコンパクトな手触りは旅籠の畳の上のジャズに向いているのではないか、このごろ研究中である。
温泉の客と、カセット・デッキの性能のことなどで、しばらく盛り上がった。






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金田アンプの客

2009年09月12日 | 巡礼者の記帳
金田アンプを自家薬籠中にされて、盛大にマルチチャンネル・サウンドで名曲を楽しまれる宮城の御仁が登場した。
ふんわり浮かぶ飛行船と正反対の、空母のジェット戦闘機のようにタッチ&ゴーする速いロジックをみせるその人は、ひごろマネジメントで鍛えた思考回路のなせるわざか、コンクリートの敷かれたオーディオ室のサウンドも、そうとうスピードがありそうである。
ちょっとソフアに休憩されるや、『1Q84』なる書物とレコード2枚を取り出されて、本の34ページを指し、「ここに書かれてある曲のレコードがそれです、置いていきますからゆっくりどうぞ」と申されている。
いまはテレビ・ニュースでも登場する本の著者が、昔ジャズ喫茶を経営していたころ、レコードが7枚あれば店は事足りると言ったと伝聞があって、そのさい重要なことは選ばれた7枚のレーベル名であるが、聴かせる経営の基本サウンドを興味深いと思ったものの、当方には7枚の名前がいまだにわからないでいた。
いよいよめぐってきたヒントというか、おそらくその1枚はこの本のページに書かれたLPなのか?
彼の作品を読んだ記憶が思い出せないが、これまでの著作を要約すると、要するに結婚詐欺のバラードだと或る人が言っていたので、たいしたものだ、と思わないでもない。伝統の源氏物語につうじるなにかしらが有るのか。
いまテーブルにある、本屋でも品切れのベストセラーを見ていると、ふとPCMジャズ喫茶のラジオで流れた論客安原氏の部屋の写真が思い出されてきたが、理科実験室の上皿天秤のように等価な二人のジャズ談義を想像した。







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タンノイRHRの客

2009年09月06日 | 巡礼者の記帳
横浜から初秋の奥の細道に分け入って、芭蕉の句で有名な『山寺』を周遊されたM氏とその友人は、やがてROYCEに到着すると、ゆっくりソファに寛いでいる。
五年ほどまえにもお見えになったので、あの明晰なバックロードのタンノイRHRによってジャズを楽しまれていることを、当方は思い出した。
あのころロイヤルは壁の長手方向に置かれて、現在と違う音で浮世を遊泳していたが、スピーカーは、古典的なオールバックと七三の髪型のように、またはミニとロングドレスのように印象の変わる音像が、意外にアンプと違う変化をみせて聴きものである。
その音の違いを興味深く聴いているM氏の、ジャズに対してかいまみせる造詣の深さとプロモーターと見まがう顔の広さを尋常でないとひそかにあやしんでいた当方であるが、数多くのライブ演奏に足を運び、仕事場から直接会場にのりこむ時には、途中のレコード店でジャケを購入し(家にもあるのだが)楽屋で面会してサインをいただいている、たとえばそういう人であった。
タンノイでジャズを聴くM氏について、当方、自分のことはさておいて、どこか半信半疑のおももちで接していたので、このさい単刀直入に問うてみた。
「ふむ、そのことなら、わたしは初めは徹底的にクラシックを聴いていたのです。あるときからジャズにはまり、ジャズにふさわしいタンノイはどれか、オーディオ店とも相談して『RHR』を選んだのですが、あのでかいずう体の箱を運送屋さんが持ち込んだときには、うっかりカミさんに伝えていなかったので、大騒ぎでした。
しかし、このロイヤルを聴けば、フロント・ホーンの重要な効果が理解できましたので、考えが変わりました。それとラファロのベースがこのように聴けるのであれば、845アンプというものが、なにか射程の照準に入って来るような・・・」
ふとM氏はマイルスのことを話題にされて、ぜひ『Kind of Blue』を聴きたいとのことである。エバンスのピアノ、トレーンとアダレイのサクス、マイルスのトランペット、あの立体構造がいかなるデテールで描かれるのか、そのうえ本当にベースとドラムスが合体した楽器のようにのっしのっしと周囲の空気を揺さぶって去っていくのか、タンノイで聴く青墨のジャズをM氏の耳はどのように聴いたのか、やがて時は過ぎ陽の影は長くなった。
ひとときを楽しんだジャズの人達は、リップ・サービスも演奏のうちに、これまで聴いたどのヴィレッジ・ヴァンガードよりも、自分の理想で鳴っていると申されて、涼しく去っていった。






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田尻町の客

2009年09月05日 | 巡礼者の記帳
庭の柿の木の下に箒で字を書いて地面を掃くのも、民話の時代よりたしなみのうちである。
だが、いつもの年ならここかしこに散乱している柿の未熟実が、今年はなぜか非常に少ない。
何千と集まって石の下に巣を作って活況を呈しているアリ集団も、こころなしか大人しいようだ。
子供の頃、あることに閃いて、底の抜けた大甕を半分まで土に埋め、庭中の蟻を拾いあつめて片端からその甕に移住させた。
欠けた皿を幾つか伏せて棲家を造り、大小の各種類三百匹も採集したのである。
翌日、被せていた板を取って大甕の中を覗いてみると、種ごとに集まったらしい蟻が、伏せた皿を剥がす中にもぎっしり居て、エラソウなアリを中心にひたいを寄せ、黙々と何事か相談している。予想外に深刻な事態にそれは感じとれたので、予定を変え大甕を土から引き抜いて解放した。
コンラート・ローレンッだったか定かでないが、捕まえた野生のチンパンジーを大きな暗い箱の中に入れ、穿けていた観察用の穴を期待して覗き込むと、箱の中で妙なものが視界を塞いでいた。よく見るとそれは眼球であり、相手も穴からこちらを観察していた、と学者も困ったことにおおまじめである。
そこにめずらしくテナー・サクスを吹く田尻の御仁が登場し、ご自宅のタンノイ・ヨークのその後の具合を話してくださった。
アンプも300Bとは別に『211球』のほうを鳴らしているそうだが、そのときブッパッ!と鳴ったクオード405とヨークの組合せによる『BIRTH OF THE COOL』を聴いて、比べるようにご自宅の絶好調を言葉の端に漏らされるところが、そうとうな仕上がりと拝察した。
そのアンプは、どうやら迫SA氏の制作によるものであるところが隠し味である。
マイルスの50年代のスタジオ録音の映像を見ると、声をかけたら集まったという様子の猛者が、「オレは来てやったんだ」という態度でマイクを前に楽器とタバコを持って、自分のパートではすかさずフラッシュし、あとは知らんぷりで、プカプカとやっている。
マイルスが例のぎょろりとした眼で、その集めた猛者の全体を学者のようにクールに観察しながら要所をトランペットで締め、1950年の録音は終盤に向かっていった。
テレビで見る『爆学』の漫画家チームの制作もそうだが、ダビンチの若い頃働いていたヴェロッキオの制作工房や、運慶の受注した仏像を期日までに組み上げた人海戦術集団のパワーは、いつの時代も味があって圧倒的だ。






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涌谷町の客

2009年09月01日 | 巡礼者の記帳
ロイ・ヘインズのカルテットが62年、Impulseに録音した『アウト・オブ・ジ・アフタヌーン』のことは、いまでも語りぐさになっているが、優れた演奏を聴くほど、ブルー・ノート風につくられたジャケットに入れてみたいものだ。
それではと試みたデザインであるが、このジャケにディスクを出し入れすれば、いかにも演奏までそれふうに聴こえるのではないか、と思われるところがジャズである。
2曲目の(Fly Me to the Moon)も、カークの管の哀調にヘインズのドラムスが乱調乱打にこたえて、どこかインパルス時代のコルトレーンの演奏まで彷彿とさせ、これは歌詞の内容が投影しているのか、すごいサービスだ。
万葉調の歌詞は『わたしを月まで、はこんでくださって、星星の輝く静寂に解き放ち、木星や火星の、春をみせてほしい』となっているのだが....、えらいことである。
そうこうしているうちに登場したのが、涌谷からの客である。
銀色のベンツに乗ってお見えになった御仁は、かれこれ30年も『SG-520』というあのプリ・アンプを使っていると申され、一分の隙もない構えに余裕をみせておられるのは、ご自宅のJBLマルチ装置が申し分のないサウンドを聴かせているからであろう。
涌谷といえば、歌舞伎の仙台萩の物語で有名な、伊達騒動の一方の主役の領地であり、城郭など、町の様子はどのようになっているのかぜひ訪れてみたいところである。
520の御仁は、城山公園のことなど懇切にご説明くださった。







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