ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

サラ・ボーンを聴きに

2011年09月07日 | 訪問記
ダブルの背広の似合いそうなシャコンヌの御仁は、久しぶりにRoyceに現れると、タンノイを鳴らすアンプの不調のことを申されている。
ふと、最近のタンノイが今もあの、音像の凝縮した『ⅢLZ』のサウンドを、新製品でも鳴らしているのか、急に聴いてみたくなったのは、9月の朝の気分である。
「現在の我が家の音も十分ですが、こちらのような音も良いですね」
と、申してくださっている希求を、幾つかのアンプで鳴らしてみると結果は鮮明になるのである。
御仁は、少々散らかっていますがどうぞ、と申されて、そのまま車が先頭を走り出した。
早い速度に追いつくとき、地殻の変動で段差の残っている国道四号線は、外気のうららかさに午前の太陽の輝きがまぶしい。
県境を越えて紆余曲折するころ、瀟洒な建物群の並ぶ一角に車は入っていった。
庭の緑まで真新しい、中央二軒目に車は入ると、そこも新築のもはや御殿である。
窓の大きい、明るい部屋の中央に、ガラスの庭を背景にタンノイはあった。
さっそく管弦楽の大きい編成をしばらく聴いて、次にサラ・ボーンを聴かせていただいた。
マイファニーバレンタインは、すこしくぐもった眠そうな唄い出しから油断させておいて、次第に1954年のサラは、本題に入っていく。10本の指のどれかを折ることに躊躇は無い。
テンダリーは、単刀直入に1955年のモノラル音源でありながらスピーカー面積を超えて上層から下方まで太く輝いて唄う。
ニューヨークの秋、サマータイムと、滑らかな虹色の高音が静かに伸びていくのを、黙って聴いた。
スターダスト、煙が眼に染みる、と聴いて、このあたりは1958年の録音でステレオサウンドになっているが、ビロードの光沢がいぶし銀のうえにピカッと鳴り、ベースのようなブルブルと揺れるノドを披露して、やはり10本の指のどれかにしたい。
ユービーソーに入る前に、集中して聴けるように周囲をはらっておきながら、58年の録音がはたして一番佳いのか、先人諸兄の意見を聞いてみたくなるほど、独特の仕上がりである。
デイバイディ、ミスティ、と聴いていくと、A列車で行こう、のまえに指が足りなくなりそう。
新しいタンノイは、トランジスタのデバイスによって、艶やかな低音部から高音部まで申し分のないサラ・ボーンが唄っている。
記憶にある、まぎれもないサラボーンである。
許可を得て、スピーカーの背後に回り、スピーカーコードを単独の位置に切り替え鳴らしてみると、また違ったバランスに変身したタンノイが、「どちらがお好み?」とたずねている。
現代のタンノイは、ニーズに柔軟に対応しているジョンブルの余裕に、ちょっと笑った。
シャコンヌの御仁は、両者の音の意味する違いを的確に言い当てながら、仕事では前者であるが、くつろいで長時間聴ける新しいフェーズに興味を示されて、どちらにするかアンプの修理を依頼している技術者と、アンプが戻ったら相談したいと申された。
当方が、かってに触ったことは、決して口外してはなりません、と念を押して、再び午後の用事のために、もときた道をとってかえすのであるが、ふと窓の外を見ると、なにやらダブルの背広の似合いそうな様子でシャコンヌの御仁は、生茶のボトルなどを差し入れてくださるところであった。











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