ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

Just Walking In The Rain

2013年05月22日 | 徒然の記
大町通りについては、昭和は遠くなったかも知れないが、端から順に並んでいた店舗を思い出すと趣がある。
そこに住んだ記憶に有るのは、昭和の四十年ころの六年間だが、プラモデル時代と重なっている。
個性的な旦那衆の経営で、生活に欠かせないありとあらゆる店が軒を並べ、夕方六時にたいがい揃って閉店していた。
夜の大町通りは、街灯に照らされたガランとした舗装した路を遠くまで見通せるなかに、連れ立って酔客が歩いている。
夜も更けて10時になると、望楼スピーカーが「蛍の光」をけっこうな音量で鳴らし、大町の空から、通りや民家の屋根に降ってくる。
それで、きょうも終わった、と当方は思わされたものである。
たまたま勉強部屋の窓の下がパチンコ店の駐輪場になっていて、日中は人込みの喧騒と強烈な軍艦マーチや銀玉のゴーツと流れる音が部屋の中にまで鳴り響いていた。
それで、プラモデルを組み立てていた記憶に、塗装シンナーの匂いと街の喧騒はセットである。
この大町通りの商店街の気分を装飾する重要なスピーカーが街灯に付き『黒い花びら』『紅いハンカチ』『クワイ河マーチ』など流行の音楽が通行人の頭上に降ってくる。
さらに個々の店舗や映画館、パチンコ店の音楽なども響いているにぎにぎしさ。
ジョニー・レイの『Just Walking In The Rain』も鳴っていたハイカラぶりを思い出し、かってにちょっと歌詞を作り替えてみた。
小雨なら 傘無しで
かまわず大町を歩いていて ずぶ濡れになった  
焼き鳥に オンザロック   
こころは うきうき
小雨なら 傘無しで
曲がった道も まっすぐに
どんどん 歩いていけばいいさ
きのうのつづきに あすもある
夜の大通りの ウインドウに
いろいろな明かりに輝く
商品を選んでいる人が
いま手に取ったものを 誰に買った?
小雨なら 傘無しで
僕達がどう出会ったか考えたよ 
どうもそれが思い出せない?
ははは、
手に取ったものを それで眺めている?
狭いメインストリートに、自由気ままに、自動車や通行人の喧騒と音楽を空気のようにして大勢の人が住んでいた街である。
そうこうしているとき、松島T氏がひさしぶりに登場された。
おや、連れの婦人のバケットに、生まれたばかりの幼児が?
当方、その方面にうとく、ともかくマランツ♯7のボリュームをいっぱいに絞ってみたが、一万四千番代の勲章であるのか音量は少しも低くならない。
「こんど、仙台から店舗を新しい場所に移しました」
T氏はまたまた変身されて、写真のお店は広く明るい大きな窓のレストランに、オーディオ装置も備えてあるが、それはアルテックAー7のように見える。
ひょうひょうとして、喜楽を表情に見せないT氏であったが、周囲のオーディオ人の現況と活躍振りは必要に応じ要約され言葉に出てきて、ジャズのかたわら、楽しませて頂く。
一緒に喫茶の外に出ると、モスグリーンの乗用車は「まだ三万キロのものを譲っていただきました」とは、うらやましい。
そのときバケットの幼児がむずかって、御婦人は「音楽を聴いていたときはおとなしかったのにネ」
よく心得ている幼児客、というのであろう。




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春宵の客

2013年05月18日 | 巡礼者の記帳
夜の母屋の電話が未知の韻律の声を伝え、会ってみようと思った。
では、これから店を開けましょう。
まもなく登場した人は、ウサギの印の小さな菓子箱を当方に差し出すと、待ちかねたようにパイプタバコを喫しはじめたが、あるいは当方がパソコンでゲームを為ながら考え事するように、音楽の合間にパイプの紫煙は似合っている。
ビールが良ければ差し上げましょうかと言うと、もう一方の、テレビで見る時事コメンティーターに良く似た人物が「いや、酔うと河内弁が現れますから」と固辞した。
その男性は、ベルリン・フィルのベートーヴェンが鳴るとすかさず「第九の4楽章です」とパイプの御仁にささやいて、
「カラヤンは第九を3回録音しているが」と応じている言葉は大きな音のうねりにかき消された。
「この♯7は、いつ頃に制作のものでしょう」
「電源は、どのように」
パイプの御仁はゆったりと、あまり喜楽を表情にみせず、ご自宅のオーディオ機器についてわずかに説明のある型番も、当方には異星人のものである。
「聴いているのは黒いビニールのレコードですが、光学装置によって左右の溝をひろっています」
これはいかん。ますます、その鳴っている音響がすんなりとこなかった。
だが、良い音でもいずれにしても、我々はそれを季節の収穫として並んだ自分の抽出しのいずれかに仕舞っていくのがオーディオの道草である。
春宵、紫アゲハかシジミ蝶の飛翔かを楽しんでパイプを燻らす旅の空があった。
「お近くを通過のさい、お立ち寄りください」
御仁は帰り際に親切に言葉を残してくださった。




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江刺市の客

2013年05月12日 | 巡礼者の記帳
江刺市の客は、言う。
「わたしもむかし、東新宿の某オーディオ店で働いたことがありました」
輪郭の太いメガネをちょっとはずすと、正面のタンノイに照準をあわせるようにして、しばらく耳を傾けておられたが、となりの御婦人に言っている。
「このスピーカーは、低音と高音が一つに重なっている。うちの音とくらべてどお?」
ご自宅では、JBLのランサー101を永年聴いているそうであった。
「そういわれても、違いが有るのかどうかもわからないの」
メガネの似合うご婦人は、春の日溜りのように柔かく、答えている。
ライカのケースのような小型カメラを見せてもらった。
「これは、フイルム入ってる?ときかれるけれどじつはデジタルカメラなんです」
カメラの好きな設計者が、銀塩フイルム時代に気分を合わせたセンスが郷愁をさそう。
前に駐車した車といい、日常がさまざま工夫されている人に違いないと思った。




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二本松

2013年05月09日 | 亀甲占い
箱庭の一部改修を終え休憩しているとき、入ってきたのは融通無碍の御仁である。
しばらく見かけなかったが、腰だめに話してくるあいかわらずのサードギヤが決まっている。
これをどうぞ、と差し出された紙に、原稿用紙いっぱいの地図のような記号と、流暢なサインが有った。
彼が、だいぶ以前に訪問した川向こうで、なにかの紹介状をしたためてもらったことは聞いたが、真贋まぎれもない書そのものであるという。
――ほほう、どれどれ。
見ると、字の太さ、インクの色、大文字のBの崩しかたなど、増田孝氏ほど権威ではないが、真蹟とみてよい。さては丸テーブルの原稿用紙の上に2本並んでいるうちの、右のモンブランを用いたようであるが。
――あの訪問からしばらくたちましたが、その後JBLの様子は?
「先日、二人の女性を伴ってジャズと珈琲を楽しみに行きました」
――ふむ、それで
「ちょっと用事で席を空け、戻ったら二人の女性の姿は無かったのですヨ!」
――*?
「奥を見ると二人は丸テーブルに座して、マスターと話しているではないですか」
通常、それをなんというのか。
「わたしは、しかたなく一人でジャズを聴きました」
物理現象では単なる空間移動だが、心理学では次の解釈をしたい。
――おそらくあなたに箔を付けようと、歓迎役をなさったということです。
「はあ」

あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒





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The Eagle has landed

2013年05月06日 | 諸子百家
五月の連休の終わりに千葉のジャズ愛好家と、モールス信号熟練のお客がお見えになって、「そこで購入してきました」と『インドの哲人レーザーデスク500円也』を見せていただいた。
われわれたいていの映画は見ているが、J・ヒギンズの『鷲は舞い降りた』は1975年に刊行され、ベストチャートで6ヶ月連続一位の人気小説である。
映画では、チャーチル宰相誘拐に英国の寒村に潜入したクルト・シュタイナにむけて、ドーバー海峡をフランスから伝書鳩を飛ばし、潜水艦到着日時を知らせる重要なシーンが有った。
無線通信機ではなくハトを使う理由は何か。
当時の暗号電信はドイツではパソコン型の『エニグマ』が有名で、三枚ローターを連結換字する傑作であったのに、連合国はこれをすかさず解読して終戦までとぼけていた。
まさか、263=17,576換字のエニグマが解読されていようとは。
このような大がかりな機械は、とても携帯できなかったはずである。
チャーチルの同時代に、山本五十六提督へ真珠湾攻撃の御前會議通達を知らせる無線を船橋無線塔から発信したトンツートンも、どうも解読されていたらしい。
戦後になって、アメリカ公文書館はこの解読ペーパーを公開している。
当方もむかし趣味で暗号表を作ったものであるが、あっさり解読されたうえ、「換字が間違っています」とまで指摘されるオチがついた。
”The Eagle has landed”は1969年にアポロ11号が月面に着陸した時のコード。





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『曾良旅日記』

2013年05月05日 | 歴史の革袋
芭蕉の『奥の細道』に随行した河合曽良の直筆記録は、1978年重要文化財になった。
夕方仙台ニ着。 其夜、宿国分町大崎庄左衛門。
未ノ尅、塩竈ニ着、湯漬など喰。
雨強降ル 馬ニ乗リ、加沢 三リ、皆山坂也 一ノ関黄昏ニ着 合羽モトヲル也 宿ス。
十三日天気明 巳ノ尅ヨリ平泉へ趣 一リ、山ノ目 壱リ半、平泉ヘ以上弐里半ト云ドモ弐リニ近シ 伊沢八幡壱リ余リ奥也 
などのような記述も探せばそこに見られる。
芭蕉の一行と同じコースを、磐井橋傍の宿から平泉の方向に旧国道4号線を行くと、途中の右手に小さな駅がある。
それが当方小学生のとき利用した東北本線山目駅である。
この駅から塩竃の海浜学校に一泊体験で、多くの学童と集団で茶碗2杯の米と出発した大事件が有った。
大広間に大勢でメザシのように並び就寝するとき、メガネの校長先生が言う。
「いいかな、電気を消すよォ」
波の音がザワーッと耳に響いて、なかなか寝付けなかった。
現在、この駅は最新型の駅舎に変わり昔の面影はないが、非常にコンパクトで正面に改札と電子券売機、左右に腰掛が八席並んで、パリの地下鉄の待合室風のおしゃれである。
漱石の『草枕』などを広げ、じっと蒸気機関車の到着を待つ気分は、おそらく止まった時間が一服の絵でさえあろう。
それにしても気がついたが、子供の頃あれほど広く感じた周囲の空間が、まるで地球が半分に縮んでそこに時間がある様子は不思議である。
サークルを一周しようとハンドルを傾けると、広場に先客がいて、攻城機のような黄色の大型工事車両が「わたしは動きませんヨ」と頑張っている。
楽しみにしていたのに仕方がない。ついでといってはなんであるが、山あいの道を昔の記憶をたどって住宅地に分け入ってみると、車は舗装された一本道を上手に回って戻ることが出来た。
この道を通ったのは、子供の時ハトを飼っている人を探して以来、半世紀ぶりであったが、すばらしい。
その翌日、青森から帰路をとった三河湾の御仁が、ROYCEに立ち寄ってくださった。
そのさい拝見した写真によって、これまでナゾであった滑走路型スピーカーの工夫された背面を見ることができたが、後面開放型の湾曲した形状に、ユニットの配線が写っている。
これによって当方は、ますます音楽の様子が雲を掴むように遠くなったが、御仁は丁寧にさまざまの既成の装置を凌駕した自信を静かに滲ませているのが、一縷の希望である。
フッターマンアンプをマルチにご使用になって、そのうえ勤務先に「たしかタンノイ・ロイヤルもありましたね」と申されるほどの人の、再生音響がわるかろうはずはない。




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