ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

J・D・サリンジャー

2010年01月29日 | 徒然の記
サリンジャーが『ライ麦畑』をリリースした51年のころのニューヨークは、アーリー・ハードバップの熱気を『ディグ』などに聴くことが出来るが、そのころ当方は幼稚園にも上がっていなかったのか。
彼は、軍隊でノルマンディ上陸作戦もやっていたとは驚きだ。
日本でその翻訳が出版された64年は、マイルスがウエイン・ショーター、H・ハンコック、ロン・カーター、T・ウイリアムスとベルリン・ジャズ祭に奔放でスリルなサウンドを聴かせ、コルトレーンは、マッコイ、ギャリソン、エルビン・ジョーンズと『A Love Supreme』カルテットのピークを演じていた。
本を読んだその頃、鯛焼きが1個10円で、学校帰りにたまたま一緒に店に入ったのは良いが、「あれっ」とサイフを忘れて彼女に払ってもらった。
「その話は100回も聞きました」と、周囲に言われるが。

サリンジャーを追悼して1961年3月のマイルスを聴く。







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福岡の客

2010年01月22日 | 巡礼者の記帳
ジャズを聴かれたお客が誰かに似ていると、首まで湯に浸かりながら考えて思いつかなければ、次の新しい方がお見えになるので面影は薄れて行く。
テレビの輸入車紹介番組で楽しそうな松任谷氏と似ていたが、もっとほかに誰か。
将棋が趣味であることが名刺の裏のメモにあり、よく似た人を思いだし、ほっとした。
むかし、盲腸炎のような病気で県立の6人部屋にお世話になったとき、隣のベッドの人が、見舞い客とたびたび将棋を指していた。
夜はカーテンを閉めひとり黙々と指し手を研究する駒音がする、将棋三昧の人である。
そのうち、訪問者と聞こえてくる会話から、県の団体棋戦も近い有段の腕前であるとわかり、いちど対局をさそわれたが、とんでもないと断った。
並の人でないというなら、ぜひ一勝を入院の記念にしたいものであるが、あの堅陣に勝てるチャンスは最初の手合わせにあるのではないか。
そのころパソコンの本を読みながら時間はたっぷりあるのでベッドにのんびり暮らしつつ、一勝をあげる方法論が愉快になって、将棋のことは隠していた或る日、だいたいの手筋がわかってきたので「並べるだけですが」と言いながら、盤を挟んで名人に対峙してみた。
端歩を突き、スジを外す手を指して中盤もまたみょうな手を指しては、そうとう油断してもらっているとわかる。
そのうち、いっきに形勢は傾いたか「あれっ」と名人が駒組みに眼を凝らしたときには、堅陣もついに王が危うくなっていた。
「四段のわたしと勝ったことを、他人に言ってもよいですよ」と申されるが、やはりそれからまったく歯が立たず、二度と勝つことはなかったのであり、将棋は用兵がすべて盤上に明示されて、坂田三吉の「銀が泣いている」という言葉のように、腕に差のあることは部分ではどうにもならない。
わざわざ足を伸ばされタンノイを聴いたF氏は福岡にお住まいで、オーディオの好きな仲間達と湯布院に行った話をされたが、湯布院には、タンノイとパラゴンのおいてある喫茶店があって温泉客に喜ばれているそうである。
システムエンジニアのご職業は全国を網羅し、ROYCEのことは銀座のクラブで耳にされたそうだが、システム-3やNCRの話が出て、懐かしかった。
そのあと久しぶりに松島氏が登場されて、伊達藩の店の月曜を定休にされること、花泉K氏が喫茶店?を経営される準備をされているらしいこと、ちかごろはあの国産大型車ではなく奥方の小型車で、もっぱら回遊されている話などを伺ったのであった。





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花巻市の二人の客

2010年01月20日 | 巡礼者の記帳
ワグナーの『指輪』は、25年といわれる構想が結実した、長大な四部作の歌劇である。
若いバイエルン王が『白鳥城』を完成させ、そのころトリスタンとイゾルデを発表したワグナーを住まわせようと、作曲環境に最高の場を提供したのもつかのま、わずか一年で諸般の事情が勃発したワグナーは、あっさりこの城を去っているのが信じられない。
この白鳥城を一関でみれば、蘭梅山のてっぺんにあるようなところで、裾野からゆるやかに螺旋状に坂道を登ってしばらく歩くと、やがて攻城機でも歯が立たないような城壁がそそり立っている。
1864年のそのときのワグナーは、年表にこれといった作品の名が見えず、もっぱら新しい環境に遊んで忙しかったのであろうか。それとも指輪四部作の構想の中間点に重要な意味があるのか。
夕刻、花巻からお見えになった二人の客は、言葉少なにスコッチウイスキーなどを嗜んで、若い頃、四年ほどテネシー州に留学していたと申されて、ジャズ・ボーカルから聴こえるテネシー訛りをなつかしがったりされている。
連れの女性が淑やかにレコードジャケットを巻舌で発音し、一瞬のそれがとても良い声で驚いた。
「仙台にいたころは、ジャズ喫茶に通いましたが、自宅ではボーズの装置でクラシックを聴いています」
そこで、クラシックもいろいろと鳴らしているとやがて陽も陰ったので、では本日はこのへんで、と申し上げたところ、「リクエストしても良いですか」と申されて、選ばれたレコードはワグナーであった。
このように、いったん切り上げたとき、さっと希望のリクエストがあって一幕を閉じるのも、またショーである。
「ノイシュバンシュタインに行ったのは、たしかアヤちゃんが高校生の頃、だったね」と、お二人は当時を回想していた。
或る意味において、タンノイ・スピーカーの魅力は、『指輪』の鳴りを念頭にするワグネリアンのための装置でもあるが、コジマが、のちのちバイロイト祝祭劇場の上演にこだわった特殊な効果を聴くために、アンプやカートリッジの選択は大切なのかもしれない。
ワグナーを鳴らしてみると、細部のパースペクティブや、ビロードのソプラノとバリトンやオーケストラの厚みなど具体的な様子で、現在あるおおむねの頂きが浮かんで聴こえるのがおもしろかった。





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伊勢崎市の客

2010年01月17日 | 巡礼者の記帳
群馬県にある『伊勢崎市』は埼玉県に隣接し、いにしえより利根川の水運に栄えて21万人の群雄が割拠している県下有数の工業市である。
利根川は中世、坂東太郎と異名の江戸湾に注ぐ長大な川であったが、たびたび洪水を起こし被害も看過できなかったから、江戸中期に河川の大工事がおこなわれ、現在は進路を千葉の銚子沖に取って長い旅をしている。
「わたしの装置は、インフィニティで、それほどのものではありません」と申されるお客は、伊勢崎市からお見えになって、標準語をたくみにして笑みを浮かべ気さくにお話しくださっている。
築城10年の居宅に住みなれたこのごろになって、夢うつつに、本格的なリスニングルームをコンクリートに造作した御自分がそこにジャズを聴いている姿を見るという。
そこで、片雲の風に誘われて奥の細道に進路をとり、ROYCEの鳴りはどうかと草鞋を脱いだのであった。
春や秋なら過ごしやすいコンクリートルームも、極寒の1月ではちょっと勝手の違うところがお気の毒であるが、音響的には音漏れの心配なくついボリュームをあげて盛大に鼓膜を振動させ、あまつさえコーヒーの液面に波紋が広がることもあるのか?
タンノイの音に、「安心して聴ける、雄大な音ですね」と申された。
その記憶のお話が、いろいろおもしろいので、つい傾聴する。
「冬日、雪を踏んで店のシャッターを開け、一日のおわりに再びドアを出るとき、ふと雪の地面を見ると、じぶんの付けた朝の足跡が一筋そのまま残って、きょうは誰もこなかった」
という川向うの著作が、なかなかのものですね、と妙なところに感心しているが、「家二軒」の句の蕪村の寂寥感と一茶の微笑があって、たしかになかなかの感性ではある。
このように、只者でないお客に遊ばれて、きょうもジャズは暮れていった。





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宇都宮の客

2010年01月16日 | 巡礼者の記帳
「ニューオリンズに、行ってみました」
――それは、すばらしい.....。
『SPU』のトレースするLP盤より以前の、ジャズの始まりのことは黙って傾聴するばかりだが、インダス河やナイル河にも最初の一滴のあつまる源流があるように、歴史の源の地に立ってみたい。
当方のタンノイも、コアキシャル構造の奥にあるという穿孔に、振動する宇宙のみなもとがあって、透明人間のように間近で空気の流れるさまを見て、300Bの蒼い放電の辿り着いた音の起立を見たいと思うことがある。
いま眼の前にいるお客の横顔は、漫画家の蛭子氏がスタンドの灯りの下で作画に集中しているときの、なにか言葉をかけるのもはばかられる緊迫がある。
ぽつりと、「まもなく定年を迎えるのです」ともうされて、めでたいことですという当方に、「それがどうも、いまだ慶びなのか判明しない気分で」いくばくかある未鮮明に対峙し、想像のおよばない境地にあるようだ。
ご自宅にはそうとうの物量の蔵書があると言い、山のように積まれた本の景色を想像した当方は、温かい鍋でもつついて堅い結晶になっているジャズの思い出を聞きたいものであったが、二時の新幹線に乗ると宣言されて、ニューオリンズとは海を隔てたジョンブルのサウンドがコンクリートの中で寒流を吹き出しているのを眺めていた。






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松飾りを取って

2010年01月09日 | 歴史の革袋
石造りの街並みに似合って、バッハの『無伴奏チェロ組曲』が鳴る。
無伴奏チェロ組曲は、1700年代の32才からケーテンの宮廷楽長のとき作曲されたシンプルで典雅な楽想の数時間にわたって千変万化する物語で、多くの人が金庫の宝石箱に入れているといわれる音像である。
フルニェのボーイングは、街並みの散策に似て延々と歩みを進めていくが、昨日テレビで見た道後温泉の一角の、風合い優雅な構造にも似合っている。
それは、たっぷりと湯がかけ流されている午後の光沢の開けた景色に、建造物が延々と連なっているかのような演奏だ。
演奏者がトゥルトリエでもシュタルケルでも、この楽譜の音符がいったん嵌合を解いて無びゅうに流れ出すと、サンサーンスやベートーヴェンではない光沢を放って、タンノイの二台の中央に現れてくる。
あのフィレンッエからこの冬の栗駒温泉の秘湯の岩風呂に、無伴奏チェロ組曲が空間移動して、静かに降り積もっている時間と雪にさっと陽が差して微睡みから醒め、たっぷりとした湯に首までつかって、広がる風景を見ながらレコードから針を上げたい。
そのとき電話が鳴った。
「群馬県の高崎からです」と、相手は話している。
『タンノイの音』という、温泉の秘湯の湯あみのようなものが、もしや、おおげさな看板になっているのか?
――あのね、わざわざ足を伸ばされるほどのものではありません。
すると受話器のむこうで緊張していた相手は急にゆるやかな声になって、高速道路の雪はいかがですかと言っている。
元日の深夜に、大崎八幡のおみくじの自動販売機は売り切れていたと電話のお客が言ったが、正月二日におみえになった天才開発者のモー・エジ氏は、『ナカミチ700』を指して、「あのアジマス三ヘッド構成ですが、わたしのアイデアでもあるのです」といいながら二.三の警句を話されていた。
たゆみない製品開発の情熱が、独自の発想で帰結している音を、ぜひ聴きに、秘密研究室を急襲してみたいと、あいかわらず考えているが。
「これから秋田に行きますが、秋田にはめったにお目にかかれないコンサートグランドピアノが備わっているホールがありまして」
ますます、いったいどのような音を開発中なのか、つのる疑問を残して淡雪の中をモー・エジ氏は去った。
バッハがロシア伯爵の不眠症にかんがみ、ゴルトベルク氏の演奏のためのハープシコード変奏曲を書き上げたのは、無伴奏チェロから少し後の1720年代のことである。
いまそれをグールド氏の演奏で聴くピアノ版は、本来の睡眠と違った興味に囚われるかもしれないが、バルヒャのチェンバロで聴けば、特有の甘い音が、睡眠に効果的かもしれない。
バッハは、たいへん忙しい人であった。






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サテン・ドール

2010年01月07日 | 巡礼者の記帳
『サテンドール』は正月の凍った大気を熔かしながら、オスカー・ピーターソンとR・ブラウンのセンスが、地上から1メートルを浮いて流れてゆく。
そのとき「だいたい3時間です」と申されて秋田から雪道をジャズの旅に現れた2人は言った。
タンノイの38センチウーハーと1Kヘルツホーンの同軸ユニットは、ちょうどブラウンとピーターソンのようなコンビネーションで、ときどきシグベンのスティックがシュンシュンと鳴ると、「どこでも聴いたことないタンノイである」と、一服の景色について講評があった。
なんでもきょうはさらに遠征を伸ばし、オートグラフのあるという『リバーサイド』という名の店を訪ねていくという。
ご自宅のJBLのほかに、タンノイという難解な装置にチャレンジするのであろうか。
4号線を南に向かい、途中から左に折れて川沿いにあるらしい目的地を、『セシル・テイラー』をバックにして、あれこれ話し合った。
いかなる音の風景か、ご報告があるやもしれない楽しみな御一行である。






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三つのサブ・カルチャーの客

2010年01月04日 | 巡礼者の記帳
郷里の大船渡から、神戸ナンバーの車で登場したその客は、「あす神戸に帰るのです」と言って、一時をジャズで過ごした。
神戸までの道程について、到着目標時間から逆算して十七時間ほどあてるそうである。
御自分のことをてらいなく話されたその客は、船大工の父の元で幼年期をおくると、一関で学業を修め、関西のメーカーでいま存在感をいかんなく発揮している。
最近のニュースにクロースアップされる中国について、第一線はどう考えているのか、その客は市場性や国家観など分析し、意外な説を開陳し当方の膏肓を開いてくれた。
ジャズを聞くオーディオについて、投資と効果がよくわかる話は技術者らしい筋道がたって、どちらかといえばタンノイの一群を風水のように扱っている当方と、全く違った文化を感じるが、聴いているジャズが同じレコードというのは不思議である。
話が興に乗ると、大船渡弁が関西弁になって、タンノイの鳴らすペッパーが必死にサイドを勤めているおもしろさ。




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五戸町の客

2010年01月03日 | 巡礼者の記帳
東北道を北上し、雄大な裾野をのばす岩手山を左に見てしばらく爽やかな風景を楽しんでいると、突然高速道は細くなり、道の名前も変わったことに気が付く。
その道の先に青森県があって、右に進めば八戸港であり、左にいくと十和田湖や奥入瀬渓流がある。
そして中央にあるのが『五戸町』で、それからまたしばらくいくと5千年前の縄文人の生活が発見された『三内丸山遺跡』である。
突然電話をよこした客は、仙台で使用していたオーディオセットや生活用品を別便で郷里の五戸町に送ると、単身のんびりジャズ喫茶めぐりをしながら、一関に入った。
学業を修めて、しばらく伊達藩の城下町で経験した浮世のこもごもをジャズをバックに聞くのは楽しい。
郷里にはスペンドールがあると言っていたが、御自分のJBLと鳴き比べつつオーディオ生活がはじまるのか。
五戸町は国産旅客機『YS-11』を設計した木村博士の郷里でもあり、記念館がある。子供の頃、プラモデルの解説本でお世話になったかたである。
「夏になったら、また来てみようかな」とローランド・カークのようにマフラーを膨らませた車をブロローンといわせて、メガネの縁を光らせた彼は北に向かった。
ローランド・カークは、車のエンジンで言うと、3本のマフラーからジャズを排気する偉人であり、見た目の風変わりとことなって、スピーカーから聴こえるサウンドは、あるときはリリシズムさえ漂わせてすばらしい。
タンノイは、風変わりなカークの外見とことなるスピリットを発見させる。






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1953年のライトハウス

2010年01月02日 | 巡礼者の記帳
ハーモサ・ビーチにあるクラブ・ライトハウスのことは、昔、古書店で手に入れた『ハング・オン・ラムゼイ』で1965年の雰囲気を楽しんだが、ハワード・ラムゼイ・オールスターズの1953年におこなわれたライブの様子が気になって、ときどき棚から抜き出すLPである。
正月おみえになった方は、声楽やピアノの音が時に庭から漏れ聞こえた記憶があるが、いぜん、青森の彫刻家についてご下問があったことを思い出した。
おそらく当方にリップサービスであったか、「最近、趣味で写真を写しています」と申されて、ちょっとワインを口に含まれた。
ウエストコースト・ジャズが、写真の顔ぶれでズシン、と響いてくるおもしろさは、圧倒的ボリュームで聴くと爽快であるが、この席では、タンノイもさすがに遠慮して蚊の鳴くような音であった。





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正月

2010年01月01日 | 徒然の記
森より大きなイノシシは出ない。
もしこの庭にイノシシが現れれば、それは現実の縮尺で象のような大きさである。
竜安寺を見たとき、こじんまりしたスケールに拍子抜けした。
二千十年の正月、
タンノイのむこうに、百人のオーケストラを感じ、サラ・ボーンの熱唱を聴けば、
森より大きなイノシシは出る、と
タンノイは言っているのか。




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