ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

クリプシュホーンの音

2009年03月29日 | 訪問記
憶えのある剣客達は、3ウェイ・オールホーンと聞いて、心にさざ波のたつ気分で、タンノイも、JBLも一瞬忘れる。
もう試みた人も、いまだかって無い人も、あの剛毅の冒険的システムに、ブルー・ノートのセッションをあてはめて、指の動きの見えるようなベースの唸り、風圧のドラムスのあいだから降ってくるシンバルの青い光、反射し楓の音響板を叩くピアノ線の音符。完成された想像の立体音響を思って仕事の手が止まる、それは美化された難しいオールホーンの音である。
五味康佑さんが、自宅に拵えたコンクリート・ホーンから鳴った音を聞いて即座に失敗を認め、金槌を握って打ち壊す比喩が落差の無念を物語っていたおそろしいオール・ホーン。
だが、理想のオール・ホーンの音は必ずある。
ウイーンフィルやベルリンフィルの音を、タンノイよりもさらにこれまで以上に聴こうというなら、まぼろしのウーハー・ホーンの登場を待つのか。
このように待つのが楽しい或る日のこと、ふとした用事で訪れた某所の装置を聴いた。
「ジャズのことは、さっぱり...」などと申されながら、眼の前の大画面にうら若い女性の海辺のプロモーションビデオが次々と流されるかとおもえばまた、その屋のあるじの行動を追うと青いキュウリのお新香と御茶の手配にも忙しい。
「おいしいお新香ですね」と言ったら、ハイと、ラップをかけた持ち帰りパックを奥から作ってきて、いったいどうなっているのだ?
すると、こんどは壁面の大きなスクリーンに、ビートなにがしとその屋の主人が席をならべて映しだされて、『テレビタックル』という番組に遠征出演されたときのものといわれるが、普段と様相を換えていささか斜に構えてニコリともせず受け流している主人の演技力に、ビート某氏は持て余し気味に頭を抱えてついにテーブルに額を落としているところが価値であると思った。
それが普段、誰でも承知しているあいそのよろしいご主人の笑顔であるが、刀を納めている仮の姿であるともみえ、対比の妙にますます感心した。
そのとき、一瞬、風が通るようにさりげなく、あの3ウエイ、オール・ホーンの粋とうたわれているクリプシュ社のマホガニー・キャビネット装置が鳴った。
流れたのは、聴き覚えのあるエヴァンス・トリオによる日曜のビレッジヴァンガード・セッションである。
まさかこの時刻に、本当に装置を鳴らすとは予期していなかったので、わずか5分ほど鳴らされた静かな『ワルッ・フォー・デビー』の音符の、そこにぱらぱらと散った様子に、マッキントッシュ・アンプのブルーのイルミネーションを見ながら、やっぱり完成されたオール・ホーンは良いね、と思った。
このような箱に仕組まれたオール・ホーンシステムは設計者の粋である。
折り曲げホーン部に低音用15インチ口径ウーファーを用いているところがタンノイと似ているが、フロント開口部をつくらず、壁面をホーンの延長にするしくみのポール・W・クリプシュが考案した独自のフォールデッドホーン設計だ。
この装置でオーケストラなどを聴けば、映像のビート某氏のようにこちらも頭を下げたくなるようでさえあるが、このようなシステムを備えて、ガラス窓の向こうの渓谷の春夏秋冬を眺めている日常こそ、粋の極みなのかもしれない。




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春暁

2009年03月23日 | 歴史の革袋
ジャズ的に聴く『唐詩選』は、唐代の蒐集された名曲465選の、タンノイで鳴らすブルー・ノートのようなものであるが、春に歌を詠む世の習いにかんがみ、孟浩然の五言絶句『春暁』をながめてみる。

春眠 暁を覚えず 処処 啼鳥を聞く
夜来 風雨の声 花落つることを知らずいくばくぞ

孟浩然がアート・ペッパー的に春暁を鳴らすなら、それはユービィソー・ナイス・トゥ・カムホーム・トゥの韻律かもしれない。
そういえば、おなじ春を歌った杜甫の『春望』という五言律詩はどうか。

国破れて山河在り、城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を潅ぎ、別れを恨んで鳥にも心を驚かす
烽火 三月に連なり、家書 万金に抵る
白頭掻けば更に短く、渾て簪に勝えざらんと欲す

春望にはコルトレーンの鳴らすディア・ロードが似合っているようだ。
そこに、フェァレデイZを駆って登場したのは、奥州市の御仁である。
なんでも水沢区に『レイ・ブラウン』というジャズ喫茶がある、と探訪の様子を聞かせてくださった。
先日一緒にソファに並んだ人のその後の様子や、16畳の自室に新しくアルテックを導入されて、アンプは『メロデイ300B』であると意気軒高に、音響世界の拡大路線をひた走っているご様子であるが、宮城の迫区のジャズ喫茶をめざして、春の道を4号線に消えていった。
持参の1枚のレコードを、どれどれと聴いてみたが、この『テイナ・ルイス』はまぼろしのLPといわれ一時は5桁の値をよんだ貴重なものらしい。
唐詩選も、いっきに春めいた。




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TRANS-BLUE

2009年03月14日 | 巡礼者の記帳
磐井川の流れの中央に、川面の波をわける形のよい秀れた石があることは知っている。
河原の石、幕府の直轄につきクレーンで拾うことまかりならず。
新車、メーターがすでに10万キロのあの御仁が、このたび空色の車に乗って現れた。
二人の同行者がおられて申されるには「レコードを見ると、つい買ってしまう。プレーヤーが無いのに」
ジャズは来るべき出番を心待ちに控えているらしい。
それは、どんなレコードですか?
「日本人ばかりです」
湯気のたつ珈琲を手渡しすると、10万キロの御仁は、左手で皿、右手でカップを保持した厳かな姿勢をたもちつつ次のテーブルまで移動する。それってあの小笠原流とか、新蔭流か?
あとで、当方も母屋にて、皆と試してみたが、このような素養は隠せないものだ。
1985年の日野皓正が、カークランド、エデイゴメス、ジムホール、テイトとフォービート・セッションをしたあの快演を、タンノイの青墨のかかったコルネットの音色によって心行くまで吹き鳴らすところを聴いてみた。




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オラクル

2009年03月10日 | 歴史の革袋
「ハーツフィールドの存在を知ったころ、わたしはJBLの本格的なマルチ・チャンネルを組みたいと思ったのですが、高根の花の輸入品に手が届かず、秋葉原にあった『YL音響』のショ―ルムを覗いて、国産でいこうと決心したのです」
そのお客は、持参の写真をめくり、静かにこれまでを物語っていく。
アキバの電気街がオーディオ一色に溢れていたあのころを知る世代は、オーディオ・ショーに発表される国内外の新製品の渦に翻弄されて、ボーナスを手に迷路のようなアキバの商店街を昇ったり降りたり引き返したり、楽しくさまよう群衆の中にいた。
山手線や京浜東北線で押し寄せる客を迎える側の、軒を並べるオーディオ店も腕っぷし良く、オルトフォンRS-212のS字アームを探していた当方に、「お客さん、いま在庫がないから、目黒なら今日中に届けるので勘定だけ済ませてください」と小さな店の店主に言われ、夜になって、若い店員が本当に持ってきた。
「すぐに聴きたいでしょ」とか言って、アンプのちょうど収まる布ショルダーを渡され、持ち帰ることもできたアキバ電気街であるが、しかし、店員は言った。
「先日、製品持ち帰りは満員の乗客の迷惑になるからって、突然、改札で全面ストップされたんで、俺たちは大勢で駅長室に押しかけ、撤回させたんです」
不敵な顔で、となりのお相撲さんのような体格の店員と笑っている。皆、駅に行け!と結束したライバルが軒並み動員され、みるみる参集したセールストーク活舌群の集中攻撃にたまらず、アキバ駅の落城も早かったようだ。駅の側も、皆オーディオが好きであったし。
一枚の美しいプレーヤーに眼が止まる。
分解するとナスカの地上絵のような奇妙なシャーシであるが、これで音が良ければナスカは永遠に自分のものになるのか。
「この値段は張りましたが造りが良く、プレーヤーは土台の振動の遮断に、子供の浮き輪など手を尽くして研究しました」
このいかにも反応の良さそうなアームの造形も、毎日触るところで体感的に楽しめそうである。
次に、もう一台のカメラを渡されて、覗くとオーディオ・ルームに4台並んだスピーカーが、スライドフイルムを見るように映った。そこにご自宅の装置があったが、音は見るものであることが、わかる。これが自分の装置の音ですよと、カセット・レコーダーを聴かせる人はいない。
菅野名人や、喜多男師、佐久間師、五味タンノイなど、一巻のテープやレコードで聴けたら楽しかろうが、バンゲルダー・スタジオの精巧なライブでさえもブルー・ノートで鳴った音はこちらの装置のサイズであった。
さて、それをよく見て気が付いたが、ライティングされたステージに堂々と並んだJBLのマルチ装置と、一方はアルテックのユニットによるアセンブリと申されて、YL音響の役目は、なかばで終えたように見て取れたが、あすの自分の装置がどこに向かっているか、行く川の流れは絶えずして、道具と目標は微妙に違っているのだろうか。
いわゆる道を究める剣豪も、二刀流が船の櫂になったり豹変をしている。
九州のあるホーム・ページを拝見していたら、壁のタンノイが突然JBLに変わっていて、ウッと驚いたばかりだが、さぞかしその音は未知のJBLの音に仕上がったのかと期待が湧く。
ひとつの装置を通してきたオーディオ・マニアも、音楽を聴くのに充分剣豪であろうけれど、あすのことはわからないのがよい。
『ゆうべに道を聴けども、明日のことは不可なり』
欲深いかもしれないが、古人の言葉をかみしめて、タンノイを聴く。




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歌謡曲

2009年03月08日 | 歴史の革袋
ラジオから「若原一郎」の歌が流れて、ふと思い出した。
詰め襟の時代はおそるべき、お隣のパチンコ店の軍艦マーチを363日聴いていたが、或る日、一方のお隣の旅館に若原一郎が泊まるといい、前日からなんとなく騒がしかった。人口比を都会に当てはめると、日本に現れたポール・マッカートニーかイブ・モンタンの騒ぎかな。
日曜の朝、二階の窓から通りを見おろすと、すでに一台のタクシーがスタンバイして、集まった女性たちが十重二十重に今や遅しと主役を待ちかまえている。
周囲の空気が熱く、そこに質感のリアリズムさえただよっていた。
真っ白いマスクで顔を覆ったスターが、コートを翻してタクシーに三歩で吸いこまれると、歓声とともに女性の人垣はうねって車を取り囲んだ。
一瞬の顔は、りりしい眉の下の眼がちょっと笑って、かくありたいその余裕が人気の証明である。

当方は、歌謡曲では若原もよいが、やはり上原敏の『流転』のほうを、タンノイで聴きたい。




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啓蟄

2009年03月06日 | 巡礼者の記帳
鯉すてふ 若菜を芋と 摘みにけり 

天球の黄道345度に太陽が姿を現すと、地球は二十四節気『啓蟄』。冬籠りのジャズメンも地上の陽気におや?と目覚めるこのころ、ブルー・ノートがステレオ・カッテイングをはじめるのは1957年の啓蟄からである。
ふとROYCEに現れたジャズの客は言った。
「わたしはJBLで聞いていますが、レスター・ヤングがこんなにたっぷり聴こえることはありませんよ、おかしいですねぇ」
ベースの音階がリアルでいいなあ、と日ごろ聴き慣れているCDと違うレコード音像のシズル感をおもしろがられている客に、タンノイは、まじめにしぶくなんでも鳴らしてゆく。次々、レコードを換えて行く。
「山形から、聴きに行こうとその気になりまして、小一時間で着いたのです」
山形は、ジャズの盛んな國である。
途中、山道を分け入るところに、もう蕗の薹は咲いてしまったか。
熱い味噌汁に、ぱらぱらと刻んだ新芽を散らすと、ふしぎな苦みが鼻腔をくすぐって春の香りがする。
ジャズを聴きながら、夕餉の味噌汁が浮かぶのも啓蟄のゆえ。



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ジャズの風景

2009年03月04日 | 巡礼者の記帳
ジャズの光景を撮りに三か所廻ることをアド筋からあらかじめきかされていたが、カメラマンはROYCEに入ってくるなり、前掛かりにレンズを構え、仕事にかかった。
いいね、このジャズ的単刀直入。
しかしその前に、一呼吸おいてナマエを名乗ったらどうです。
「これは失礼しました。ドアを開けてスピーカーを見た瞬間、我を忘れてしまって.....」
名刺の裏に印刷された、風景の一枚を見た。
この季節の宮古の「新里」の雪渓は、ごつごつした岩山から天に向かって幹を伸ばす自然林に雪が降っている。人の気配は感じられないどこまでもモノトーンの陰影に対峙している者は、いったい誰なのか。痕跡をおもわず探した。
撮影が終わってあとかたずけのとき、いかにも荒削りな三脚であるが、それは『ジッッオ』ですか?
「そうです、仕事の道具なので」

新しく届いた「究極秘伝プレミアム」という珈琲を淹れてみた。



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ベース・オン・トップ

2009年03月01日 | 巡礼者の記帳
ブルー・ノートの1569番はチェインバースの『ベース・オン・トップ』である。
DEAR OLD STOCKHOLM はタンノイによって、静かにグリニッジ・ビレッジから5番街を抜けフォー・ビートのフレージングが拡散してゆくところを概観する。
やはりジャズを、青墨色で鳴らすと、タンノイであった。
チェインバースは、あっさりとアルコのボーイングを弾き、また、いつものサイドワークとは変えた姿勢で、美しいメロディーラインをゆっくりと弾いてゆく。
そこに、ゲレンデバーゲンで登場した客が、「余っているカートリッジをゆずってください」といきなり道場破りである。
余っているものは、ありません。
「これからの音楽ライフは、パラゴンでレコードにしようと、ガラードのプレーヤーをあつらえたのです」
プリは何ですか?
「SA-600ですが、びっくりするほど低音がしっかりしていました」
それはうらやましい。すると、最終的にはあのへんになるのか、MCなら昇圧トランスがほしいでしょう。
「マーク・レビンソンのJCなんとかというものを、使ってみろと渡されました」
トランスでないとすれば、軽針圧か。良い製品が多くあってこれから長いですね。
おそらくこの御仁は、いきなりパラゴンではない。すると、およそのことは経験されているが、ガラードを選んだというところが墨守である。
そういえば、タンノイの好きな赤門か雷門のご友人と、まえに来たことがありますね。
チェインバースは、ブンブンと弾みをつけ美しいフォー・ビートで6曲を終えると、1957年のニューヨークをあとにした。

☆ブルーノートのジャケットデザインはフランシス・ウルフの撮影とリード・マイルスのデザインによるとされているが、彼等が風邪をひいたときは、誰が代わっておこなうのか?
当方は、オリジナル・デザインを積極果敢にも、とりあえず1枚こっそり創ってみたところ、まずまずの評判であるような、ないような。
というか、杉並のS先生からいただいた電話であるが、あれは抗議かもしれないところが微妙な雰囲気だ。
なお建物壁面のROYCEの字体は、アルフレッド・ライオンがドイツ時代に傾倒していた『バウハウス』のデザインを使ってみた。







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