ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

涼しい風

2011年07月25日 | 徒然の記
すでに配達はしていないので過去形でいうと、市内のいろいろな所に届けさせていただいた。
そのうえ昔は暇になると、無印の車で酒粕まで積んで、北は競馬場の方角も遠征したことをお詫び申し上げる。
それでどこの誰がお酒好きか、職業上の秘密だが、よく覚えている。
むかし、校長先生をなさっていたかたが居て、お若い奥様がぽっくり先立ってしまわれた。
非常に心配していた或る日、日本酒を届けると、
「もらったワインがあるが、まだ飲めるものかみてもらいたい」
そういって奥からギフトの箱をもって
「いや、なにも用心して、長生きしようというわけではないが」
と、諧謔をろうされるのが一流である。
またあるとき、
「これは孫の、画廊の展示会の1枚だが」
と、見せてくださった絵はがきが、写真か絵か?にわかには区別のつかない秀逸な現代アートである。
「ほんとに、小さいときから画家と小説家にだけはならないように言っておいたのだが」
それとなく自慢をにじませていることを察知しなければ、商人は勤まらぬが、
絵を見ていて、マンハッタンの5番街に近代美術館があることを思い出した。






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JBL-4348の客

2011年07月23日 | 巡礼者の記帳
一関の観光地厳美渓に、この地方のあらゆる人文博品を網羅蒐集している博物館があって、きょうポストに畏れ多くも『三賢人』の事績ポスターと招待券が届いていた。
半世期前の記憶で、小学生の当方が登校路の途中から坂道をそれ、林の小川の流れる小道を行くと、透明な緑の風景が朝の木漏れ日に彩られて広がっていた。
遠くに屋敷のようなものがかすかにあり、植栽に遮られ人の影もない。鬱蒼とした静かな大木の林が小川に沿って、小鳥やトンボが群れている秘境のようなところをいつも気に入って通ったことを思い出した。
後日、中里町に歴史的賢人の宗家の屋敷があるときいたとき、境界にそって見た風景を思いだしたが、子供の視界とそれはいまも同じに見えるのであろうか。
そうこうしていると、
「ちょっとお茶をいただけますか」
という声が関が丘の哲人そっくりの御仁が、ご家族でお見えになった。
駅から歩いてきたと申されて、そうですか、それではまあどうぞ、とドアを通したら、
「ああ、これタンノイを聴きたいのです」
ということであって、連日の地震ではあるが、せっかくなので電源を入れてみた。
タンノイはこれまで畏友がオペラを聴いているので、聴き知っているそうであるが、ご自身はJBL4348という最新の大型システムによってジャズを楽しまれている。
そこまでの御仁なら、そうとうな経験を積まれた剣客にちがいない。
「横田基地がそういえば遠くないのに、ジャズ喫茶はなぜか少ないですね」
と奥方が申されて、先日の、朝顔の姫君に似た令嬢があくまでほのかに微笑した。
しばらく何曲か傾聴しておられたが、エバンスのことに触れたので、ビレッジ・ヴァンガードの円盤を聴いていただいた。
「ウーム、ここのワルツ・フォー・デビィが、これまで聴いた一番でしょう」
と、御仁はあっさり音の出来栄えを感心されて申されると、オーケストラもさぞかしとタンノイスピーカーを眺めやって、七月の一時を楽しんでお帰りになった。







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タンノイ・コーナーヨークの客

2011年07月11日 | 巡礼者の記帳
コーナータイプのスピーカーは、モノラル再生の時代に洋室の部屋の角に1台を置いて、部屋全体に壁から反射させ雄大な音響効果を楽しむ。
箱の背後が、角にぴったりの3角形になっている、手のかかった高価なものである。
ステレオ時代になって二台を部屋に置くときに音響効果がどうであるのか、という以前に二つのコーナーを部屋に所有していなければならないのが、オートグラフも同様の悩ましさである。
その点をさいしょから二台の使用を前提にした、折り曲げバックロード付きのウエストミンスターは、四角型でコーナーにとらわれず設置できる。
ところで、オートグラフは、コーナーに置かないとどうにもならない音なのか?以前からそれに興味を持っていた当方は、某所において壁から離して普通に置かれている音を聴いたことがある。
うーむ、これは良い。
すこし痩せ型ではあるが、とんでもなく奥行きと立体感のある、聴かなければ良かった音である。しばらくその音の記憶に悩まされた。
柳腰の楊貴妃のような、そして時には堂々とした、いつまでも聴いていたいジャズが奥深く立体音象を広げて鳴っている。
まったく聴いたことのないジャズ世界ではあるが、タンノイを聴く人なら、もはや抜け出せなくなるのではないか。けしからん。
ROYCEの部屋の音とも違うタンノイが聴こえたが、それはあきらかに半分は部屋の音で、さらにはマークレビンソン・アンプの音である。
長野からお見えになった山岳写真家と申される御仁は、ご自宅にコーナーヨークを置いて、山岳写真を堪能されながらタンノイを聴いている、めっぽうの使い手である。
royceの音を、はじめはロイヤルの音に思って聴いておられたが、ご自宅と同じヨークの38センチゴールドの音と解ると、姿勢をすこし前に傾斜されて、おかしい、と申されている。
これまでサクスの音を喧しく思っておられたが、この音なら問題なく美しいそうで、ズートの同じレコードを秋葉駅の乗り換えで購入して聴き比べる決心をされ、手帳を取り出された。タンノイで、誰のサクスでも本当はこのうえなく非常に良く鳴る。
タンノイの好きな人の耳の周波数に合った音で、ピアノもシンバルもやっぱりタンノイらしく英国的に。






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NikonFTN

2011年07月09日 | 徒然の記
いまの季節に隠然と世情を潤すあのボーナスを、当方もそういえば手にしていた記憶がある。
大部分が、山手線の秋葉の沼に吸い込まれてしまったが。
男子元服してはじめて白河の関をこえて江戸にいくと、あてがわれた鷹番の社員寮に居たのが京都人の先輩N氏で、二間の部屋に暮らしながら『ミンガス』の直立猿人をドーナツ盤で聴き、A・アシモフの話をするのを聞いた。
彼のような人物で、京都はうまっているのか、と思った。
ある年末に旅行した京都近郊の旅館で近所に菓子店を探し、小さな電球を灯すガラズ戸をガタピシ曳いて入った。
奥から娘さんが出てきて
「そのウインドウの菓子をいつ食べなはる、おつもり?」
――あした、関東に戻ってみやげにします。
「ほな、無理です」
あっさり断られて、アーン、彼女は奥に入ってしまった。
そのとき自動的に、懐かしくN氏のことが思い出された。女もそうなのか。
全国各地の出身者のいた鷹番寮だが、隣室の同期が大きな水槽に熱帯魚を飼い始めて、ブクブクが湿気でたまらんと困惑する同室がいるのに、何処吹く風の人物であったのがすばらしい。
絵を描いてみたりする彼は、日曜の皆が出払った或る日
「もしもし、ちょっと」と呼びに来た。
行ってみると、大きなバットに紺色の表面が光ったものが入っていて、
「いま作った水羊羹だけど、食べる?」
まもなくこの頃、大阪万博は始まって、世界中からそうそうたるアーチストが大挙して日本にやってきたので、心得のある人々は大忙しであったはず。
このころ憧れていたカメラはコンタックスとニコンFTNだが高価で手が出ず、そういえば頼まれたわけではないのに、寮の全員が何は無くとも一眼レフや大判カメラだけは自慢そうに持っていたのがおかしい。
最近、ニコンFTNを使ってみた。
露出もヤマ感でバラバラなのに、ラボはさりげなく良い色で仕上げるのがすごい。
具合のよい長椅子にいて、ちょっと午眠しようとゴルゴ13のマンガを床に落としたら、杉並のS先生から電話があって、ウエストレークのその後をお聞きした。
地下要塞のボンジョルノ・アンプは、いま海を渡って九州に行っている。





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ベクレルの雲

2011年07月03日 | 徒然の記
誰がベクレルの雲を見ただろう。
テレビが教えてくれた計測800ベクレルの一関と、かの発電所との距離は、直線にして約150キロである。
京でいえば桂川の右岸に嵐山があり、一関でそれに比肩する末広町から見た磐井川の対岸。この嵐山の頂上に、いまでは大きな運動公園があり、そこのスポットポイントの公式測定結果がたまたま800ベクレルでした、という。
テレビと新聞でそれを知って、途中の仙台よりもどこよりも、負けない高出力の近所に見える山頂に、誰も、どこ吹く風で暮らしているが、地形と気流のせいなのか、顔なしがバケツでかってに汲んできたのかわからない。
先日のこと浪江町から3人のオーディオ人がお見えになって、コンラッド・ジョンソンを鳴らしたそうであるが、災害のおさまった後のお話が想像を超えている。
「津波がコンクリートのオーディオルームの中をそっくり浚って持っていき、あとで帰ってみたら砂の中からアンプが出てきた」
呆然とされながら、どこか堂々としていた。
オーディオの再構築をはかるこの方々に、こちらのどのような言葉も気泡であるが、800ベクレルというまぶしい測定値を、謹んでご報告したい。
この運動公園の夜景を、堤防の傍の写真の大先生のお宅から眺めたことがある。
サーチライトのような強い光が山の上に見えて、風流もこれまでか、とご感想をたずねると、
「あそこに人がいる、という眺めが、一人住まいの晩を忘れさせてくれるのでね」
柿右衛門の茶碗に、玉露をゆっくり注ぎながら、意外な答えが返ってきた。
翌日の昼、800ベクレルの空気とはどういうものか、クルマを走らせて運動公園の坂道から下界の景色を眺めてみた。
天気は良いのだが、こころなしか、光はベクっておられる。

六月や 峰に雲おく 嵐山





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ようこそ、ドナルド・キーン氏

2011年07月01日 | 徒然の記
シーボルトが会いたがった日本人は、カラフト探検家の最上徳内であるが、先日テレビでドナルド・キーン氏が日本人になって日本に住むと申される番組を拝見して、放射能の只中に来る剛毅を感じた。
彼が自身の名前を日本漢字にした変換字は、人柄から伝わる柔和と対極の、怒った字が選ばれてあって、子供にその字を登録しようとするなら物議をかもすものであるが、反面あの字に厄払いさせようというのか、漢字の秘密が笑えて似合っている。
数年前のこと、母屋にそのキーン氏から年賀状が届いて、何かのいたずらかあり得ない事件にしらべてみると、年末に投函した年賀ハガキに『あなたの著作を読んでいます』と一行書いただけのことという。
すぐにいただいたキーン氏の年賀ハガキには、たどたどしいあの縦文字で『お手紙を嬉しく拝見しました』とあったが、あのころからしもじもに気配りをみせて、忙しい日本人になる練習を始めていたのか。





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