ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

春日部市の客

2009年06月28日 | 巡礼者の記帳
タクシーから降りて、静かにタンノイ・ロイヤルのまえに座した品のよい客は、やがて一曲終了したビレッジ・ヴァンガードの客と一緒に、パチパチと拍手した。
「どうしても来てみたくなったのですが、堪能しました」
勤務されていた会社の社長が趣味で造った管球アンプで、いつもブルー・ノートを楽しんでいると。
最近、『キャンディ』というジャズ喫茶に行ってきましたが、なかなか凄い音でした。と壁にサインを残しながら、お話によれば日々各地のジャズを楽しまれているご様子だ。

日輪が三時の蔭をつくる頃、現れた松島ST氏は、鼻腔をすこし膨らませているような。
ちかごろ、なにか変わったことは、どうです?
「マランツ#7を入れました」
Oh !
「後期の製造ロットですから.....」あくまで控えめのST氏であるが、あのマランツ#7のことである。これまでをブレークスルーした音であることは様子に隠せない。
周囲を俯瞰してみたとき、#7が次第に結集しつつあるようで恐ろしくさえあるが、これまで数々のジャズシーンを彩ってきたC-22やオンライフの名器はどうなさったのか。宇治十帖の顛末を紐解いてもらった。
「いままでのラインナップだって期待どうり楽しんできたわけですが、たまたま機会があって繋いだ#7の音を聴いたとき、あれっ、同じスピーカーなのにこの音はなにか?....と思ったわけです」
そこに音楽が聴こえていたと話すST氏と、こちらは一緒に音を聴いた気分になったが。
ロイヤルで鳴るズート・シムスの『JIVE AT FIVE』は、自在なテンポでブパッと壁に反射し空気を震わせると、
「おや、いまウチの#7と同じ音が聴こえたような」などと、すでに様変わりの、心得た言葉を抜く手も見せぬST氏であった。
松島町の二階の大きな窓を背景に、新しい音で空気を震わせている『アルテックA-7』をしばらく想像した。




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禁酒法時代の客

2009年06月26日 | 巡礼者の記帳
シカゴの『アンタッチャブル』が活躍した1930年代の禁酒法時代は、スウィングジャズやビッグバンドジャズの全盛期である。
千葉から登場した、エリオット・ネスの若い頃のような黒ずくめの客は、きわめて口が堅かった。それでは旅行ケースに入っている醸造酒のサンプルの商談も進まないはずだが、テレビで放映されたドラマのシカゴの風景を、街の寝静まったころ階下に降りてきてチャンネルを捻って見ていたので憶えている。
タンノイからブルブルンと鳴る“Ella and Basie!”に「良い」と言って、次に鳴ったB・ホリディの盤もつぎつぎ知っているシカゴ黒服は、やがてスイスのスピーカーで聴いていると言い、6年前に川向うを聴きに来て、今回一関は2度目であるそうな。
スーツ・ケースの中身の話には、ついにならなかったアンタッチャブルだ。




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弾丸男

2009年06月21日 | 巡礼者の記帳
J・ジョイスのストーリーにいささかとまどって尋ねると、或る時K氏は答えた。
「原文は、なんなくへいいでわかりやすいです」
ではミラーの原文と日本語訳では、どちらが味が良いですか。
「それは、原文のほうですね」
ブルー・ノートをタンノイとJBLで翻訳するとして、どうなのか?
ホレス・シルバーを聴いてみる。
ホレス・シルバーは、No1581盤のときから九年過ぎて、やっぱり滝壺の飛沫のようにかろやかな旋律を、ファンキーのすました数本の指を立てた音で、あくまで周囲と調和して演奏しているのが嬉しい。
しかし。かれはもとサックス奏者であった。
そのとき、
「車は、ここでよいですか」と登場された客人は、カワサキの900に跨って、休日に高速道を200キロで飛ばす、「ハーレーのような乗り方では、音速の壁は越えられません」と申される柔和な、じつは弾丸男であった。
「北海道は走ってみたいところですが、クマがこわくて、実現していません」
えっ?
「寝袋で野宿になるでしょうから」

はてな、黒いVolvoが停まったが....
V-12の客が、古川N氏のJBLを堪能されての帰りに立ち寄られて一言
「いやぁ、凄かったです」





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迫SA氏の第2室

2009年06月16日 | 訪問記
迫SA氏の第2室の写真も、これからそこで鳴る音楽の悦楽を、堅く約束しているかのような奥床しいたたずまいてあるが、はたして訪問した者がどの部屋に通されるか、一定の法則があるだろうか。
4号線を仙台に向かって、将監トンネルに入るための車線を左に取ると、一本のかこわれた道は空中になだらかなアーチをつくってほの暗いトンネルに吸いこまれて行くが、SA氏のこの部屋に入るには、ただコースを取っただけでは、難しい。
あるお宅のオーディオ・ルーム隣室で御茶をもてなされるも、ついに装置と対面できなかった、他流試合お断りの家もあったような伝聞は、いまも楽しいけれど、これは避けたいものである。
鳴っていたアルテック605の美音を思い出していると、めずらしく沼S氏が登場された。
修理のおわって一部回路変更されたROYCEの『845アンプ』の偵察に、嗅覚鋭く馳せ参じたのである。
是枝アンプや、東独の励磁スピーカーなど多彩な遍歴の氏は、抜群の聴取力と知識で一刀両断迫ってくるので目まいをおぼえることもあるが、その最初の一言はこんな風だ。
「この音は、さきほど電源をいれたばかり...とか?」
当方は、パイプを指に遊んで聞こえないふりをしていたが、過日テレビ放映されたジャズ番組での感銘などを聞くあいだに、『Farmers Market Barbecue』も音のかたちをみせてきた。
そこで沼S氏がご持参の、ケルテス・デッカ盤『新世界』を聴いてみた。
目玉の飛び出るような大枚を投じて入手の貴重盤のいきさつもおもしろいが、ティンパニーからトライアングルから、さまざまの音の総和が分離と集合をくりかえし、壁面いっぱいにしばらく広がって終章を迎えると、「うむ、このレコードからこのような音は、いまだ聴いたことがありません」とあっさり態度を変え、SA氏のあみだした管球回路の選択を分析するように、遠眼を凝らしてアンプを見ている姿があった。
前段の300Bはともかく、整流管は何を使っているのでしょうとの質問に、はじめて調べると「あっ、やっぱりムラードのGZ-37」と痛痒な表情をされ、これは、なかなか手に入らない名球なんですよ、とこれまでの音の全てが、この球にあったかのような説得ある解説が述べられる。
そういえば、費用はいらないと申されて...まさかそういうわけにも、と沼S氏に告げると、あっけにとられたような顔である。
845アンプを改造のSA氏は、工作について蘊蓄の一言もないばかりか、ROYCEで鳴り出した初めての音出しに、当方の反応を待って横顔をただ心配そうに窺っていたあの日のSA氏のことが懐かしく思い出された。
沼S氏は「わたしの部屋の装置も、必要なときには足の裏にびりびりっときますよ」と笑って符丁を申されて、刀を納め戻っていったが、いつかお訪ねして励磁のフルレンジが8個並んでいるという未踏の装置を聴きたいものである。







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赤いジャガーの客

2009年06月12日 | 巡礼者の記帳
「おや、タンノイから、このような音も出るのか」
那須の標高八百メートルの住居から、奥方の操縦する赤いジャガーに乗って登場したAB氏は挨拶のひとことを言った。
こんどお住まいの完成写真を見せてくださったが、これまで七回引っ越しされている何かと忙しいAB氏は、まえの住居と同じ設計者になるというコルビュジェ的フレームが、青い空を背景に揺蕩っている。周囲に森林もあって、ここならストーブの薪にも困ることはない。
AB氏は、多くの銘機を試されたがゆえに、マイフェイバリットに何を選ばれるか興味津々であったが、三っもあった大型装置はそこになく、縦型に切り取られた窓の風景を背景にしてタンノイ・コーネッタが置かれていた。
以前話題にのぼった『しろねアンプ』も棚に並んで、求める音楽再生のために何でも試されたことに驚く。
ちょうどそのとき入ってきたジャズ愛聴の面々と、何事かお話しされていたが、一つの言葉でも多重的経験が隠れていると、ときに禅問答のようになるのが、マイルス楽団のサウンドで適当に補足されている。
四人組のお客はJBLを腰に差し、三軒の喫茶を道場破りしてきたそうで、珈琲も四杯目であるところが、修行の厳しさを物語っている。
当方は、いさいかまわず、その四杯目になる天使の液体を差し出して、締めくくりになるかもしれないコルトレーンのバラードを流すと、つかつかと寄ってこられた一人が「ブログを拝見しているので、初めてのような気がしませんネ」と、一太刀あびせてきたのがいかにも使い手だ。

「来るときは大丈夫でしたから、帰りもなんとかネ・・・・・・」
再び車に収まったAB氏の言葉に、アウトバーンのはるかな記憶の飛翔体験が浮かんだ。





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古川N氏のJBL

2009年06月10日 | 訪問記
写真を見て、だいたい音が想像できる人は世に大勢いる。
ところが、この装置はダイアフラムの修正や位相合わせが繰り返された効果なのか、瑞々しい音像が聴こえて驚いた。
一方で、ジャズの場合、歪みも音楽であるとして、大向こうは一筋縄ではないけれど、N氏は当然マーク・レビンソンの傾向も精査され、かの有名な『川向う』にも足を運ばれて、そのうえメーカーにてアンプの設計に携わった技術を効果的に投入し、御自分の好みを極限まで追求した結果、N氏の指向する瑞々しい音像が林立して鳴り響いているのであった。
当方のグリーン・オニオンカップと刀を合わせたかのように眼の前に置かれた1脚3万円の珈琲カップの深い色にゾクッとしたとき、デューク・エリントンの強烈な演奏が眼前に展開されてキックドラムの最も低い重低音がドスッ!と鳴った。そのとき、充分な厚みの木の床からはじめて足の裏にびびびっと来るのが、にくらしいほど計算された効果だ。
これしきのことで、タンノイは驚いてカップを落としてはならぬ、か。
孫悟空は觔斗雲に乗って不老不死の音を求め、地の果てに聳えていたのはお釈迦様の手のひらであるが、N氏を遮るその手のひらは、はたして。







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歌枕古川N氏を訪ねる

2009年06月09日 | 訪問記
古川N氏の邸宅を訪問することが出来た。
迎えの車を出しますと言われたが、小説の世界ではスペクターやブロフェルドの接近もあるのが世の中である。独自のプログラムで一関を出発すると、途中、最近防衛省とネーミングされた宮城の特殊車両二台が、当方の車にぴったり着いた。
バック・ミラーでながめると、バズーカ砲のようなものにシートを被せて迷彩服の隊員はなにやらニコニコ嬉しそうだが、信号が青になったときアクセルをいっぱいに吹かして回避行動をとったのはいうまでもない。むかし入隊したチバくん、もし偉くなっていたら、緊急返電してちょうだい。
さて、N氏が四年前に御自分でデザインされた邸宅はいま闇夜に浮かんでいる。写真を、というと、オーディオ以外のご要望は初めてですと喜ばれて、建物の内部も気さくに案内してくださった。
ご夫人が挨拶にみえたので、当方は、宜しくお願いしますとこうべを垂れた。
すると、何かお願いしてしまったのであろうか、しばらくして二階の和室に招かれて筋違いにカットされた座卓に、大好物のものが....。
見事な色彩の陶器が床の間に幾つも並んでいるのは、ご夫人の趣味である。ご夫人にオーディオについての感想をうかがうと「前の家では、あまりにも音量が激しくて、天井からいろいろなものが落ちてきました」とにこにこ、これまでの思い出をお話しくださった。
隣りに、オーディオ・アンプのための各種の測定器やパソコンの置かれた個室があり、N氏の並ならぬ力量をうかがわせている。N氏は昔の会社で一時的に眼をいため、サングラスをかけて勤務していたそうであるから、さぞ職場でも異彩を放っていたに違いないと想像する。
神妙で奥の深い人物N氏は、サングラスが似合っているとして喜ばしいのであるが、当方には優しく接してくださるのがありがたい。
オーディオは、そもそも人であると古人いわく。つぎに、その装置のことを。






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SA氏の新装置1

2009年06月07日 | 訪問記
昔、SA氏に言った。
誰も造ったことの無いような凄いアンプを、いつか、造ってみませんか。
それがどんなアンプか当方は知らない。
SA氏のアイデアを傾けた、それの実現が楽しみである。
ところで、故障したアンプの修理に先日迫区にあるSA城を訪問し、そこに新しく置かれた装置を初めて聴いた。
全容を眺めた最初、思わず両の耳に綿を詰める用心も、念のため考えたが、センスと情熱の結晶は聴くものに深く感銘を与える。用心は全くの杞憂で、ブルー・ノートのサウンドは易々とあっけなく、あるときは優しささえ漂わせて眼前に展開され、おもわず、鳴らしているのはどのアンプですか、と尋ねた。幾つも並んでいるどのアンプの音なのか、知りたいものである。
SA氏は、小型のアンプでも、これほどの威力を聴かせる高能率のスピーカーであると、知らせたかったのか、出来上がった写真を見て、その時の音を思い出した。
当方の故障アンプは、まもなく整備されて届けられたが、SA氏が、牛のようにのんびりした言葉で「ウー、出来上がりましたが、うまくいったと思います」と、電話のむこうで話した様子から、当方はなんとなく良い結果を思った。
間もなく登場したSA氏と出来ばえをタンノイで聴いて、永い間、故障のまま待機していた845アンプが、以前とさま変わりしたことを知った。
SA氏が立ち去った後、しばらく眼前の音について考えたのだが、念のため管球のサイズをモノサシで計ってみると、845管の前段に挿っていたのはやっぱり4本の300Bそのものであった。すると直熱管のほうが良いのではないかナ、と漠然とつぶやいていたことは、このことであったのか。
これまで、845管が良いとか、いや300Bが、と悩ませていた、捨てがたい微妙な音の個性は、紫の上と夕顔を二人並べた相乗効果が聴こえているのか、源氏物語の世界をしばらく楽しもう。
どのような再生音が良いと追求して、何年か経った後に『あれは良かった』と忘れられない音が、やはり宜い。
さらに未知の音像世界を考えるとき、高度に完成された眼前に展開する凄まじい演奏音像はそれとして、その林立する演奏音像の隙間に、ふとあたかも向こうの景色が見えるようなことがあるとしたら、そして、演奏者の背後にまわって動きが見えるような錯覚が聴こえたら、それも慶賀なことである。
オーディオの七大難問は、まだ人知れず探されている。
言葉だけでは漠然としているが、今回の改造で、名人の技倆の未来にそういうことも考える。






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透明に近いブルーの時間の駐車場

2009年06月06日 | 旅の話
旅先の朝六時の、限りなく透明に近いブルーの時間に、一枚撮る。
駐車場傍らの自販機でモーニング・コーヒー缶を買う操作すると、御札がはいらない。
遠くに人が現れて、箒と塵取りで映画のエキストラのように掃きながら通り過ぎようとする。
「あのー、ちょっとこの操作?」
チリひとつない朝六時の駐車場は、心地よい。

たまきはる 宇智の大野に馬並めて 朝踏ますらむ その草深野





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迫SA氏の修理ピットに遠征

2009年06月02日 | 訪問記
天気のよい休日に『ディア・ジョン・C』を鳴らして、修理の845アンプを積んだ車は4号線を南に向かった。
アルテック宮殿、迫SA氏の修理ピットを目指したこの日、迫区に入るルートは四本あって、ドン・ペリニョンをJ・ボンドが嗜んでいる『007 Goldfinger』の、ゴルフ勝負のあと、熔かした金塊で組み立てた車を運転して、ヨーロッパの工場に密輸するコースと同じ雰囲気を味わうことのできる道がある。
左側に森、右側に田園風景のひろがるコースは、スメルシュが金塊を熔かす工場を隠し持つあたりさわりのないアスファルトの伸びるのどかな道に、それらしい建物もおあつらえに見え満足であるが、そのとき前方に怪しい車が停車しているな、と追い抜くと、その車は背後から突然全速で追いかけてくるのがミラーに映る。ここまで役者のそろっているコースはちょっとめずらしい。
そういえば、前回の伊達藩遠征の四号線も天気が良かったが、前方を走る大型四駆がスピードを加速したり戻したり、わりに軽快な足回りを見せて、高い位置にある運転席に濃紺のツールドフランスの格好をしたドライバーが座っている。
「あれぇ?AK氏に似ているなあ」とつぶやくと、それが聞こえたかのように運転者はソワソワはじめ、左右のバックミラーを見たり、アポロキャップに手をやったり動作が活発になった。
このように、森羅万象を想像しながら安全運連すれば、居眠り防止になるわけであるが、その前日の深夜の走行では、前方にやっと車も無くなりヨシ!このへんでエンジンに活を入れてやるかとアクセルを踏んだとたん、前方の暗闇に電光表示板が点灯しているのが見る間に大きくなって『スピードに注意』とあったのがゆきとどいている。
さて、ところで訪ねた迫SA氏は、唐の都から3年で帰郷すると、すかさずオーディオ・ルームをもう一部屋増やし、アルテック605など傑作装置を増設し新境地を見せていることが噂になっており、期待と興奮に思わず武者震いしたが、新しくタイヤをセットしてもらった快調な当方の車は、とうとう迫川の橋を渡って見慣れた建物の横に停車した。
そこに、SA氏のご母堂が盆栽の手を休めて「先程から待っていますよ」と言葉をかけてくださった。
さっそく新しい部屋に招かれて聴かされた605バックロードなど音像の佇まいはすばらしい。アルテックにしてはしっとりした奥行きを感じさせて、やっと運転のハンドルを握っていた手が解れるころ、SA氏は、言う。
「これでいいかな、としばらく聴いていたのですが、何日もすると、あの音の壁がドーッと迫ってくる大型装置がなつかしくなりまして」と申されて、次の部屋に珈琲を用意してあるというが、どうやらもう一つの部屋の方が謁見の間であったのか。
そこにはA-7を横位置に四台並べた4組のウーハーがあり、ダブルスロートのセクトラルホーンとスーパーツイータが乗っている日本海軍の空母信濃といった豪壮さを漂わせているが、カウント・ベイシー・ビッグ・バンドも、左右のセパレーションも分離する奥行きを聴かせて、見事な音像であった。
駆動しているアンプを探すと、大工さんの弁当缶サイズに2ワット出力の管を挿したようなものを示して「これです」と申されたが、思うにSA氏としては、研ぎ澄ました切れ味の全て見せるということではなく、ハラハラと空を落下してくる懐紙を、きょうはちょっと横に払って見ました、という奥床しさで、このうえどのような音が現れるか底が知れない。
そしてそのあと、思いがけない話を聞いた。
あのもう一方のアルテックの牙城、N氏の装置をSA氏は先日のこと早くも訪ねて、奥の院に鎮座している噂の轟音に全身を浴びてこられたそうである。
以前、N氏のお話では、厳美の仙境で翼を広げている怪鳥『ウエスタン16A』を聴取のため訪問されたことを申されていたので、これらのことから思うに、割拠している群雄が静かな緊迫感もひそかに随所に遠征行軍をかさねている様子だ。








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五反田の客

2009年06月01日 | 巡礼者の記帳
五反田からお見えになったM氏は、にっこりしながら、いまあなたに見せている自分の隠れた才能は、まあ氷山の一角ですといった感じの、それがイヤミでない雰囲気がある。
この人物の仕事は何?超美人モデルのマネージャーか?
しばらくタンノイを聴いて、珈琲カップを置くとその客は言った。
「この音の意味は、たしかにわかりますが....」
腰に大刀を差して歌枕を逍遙する者は、コアキシャルや静電タイプやバックロードなど、さまざまの刀鍛冶の鍛錬した切れ味と刃紋を観賞するように、サランネットの向こうから聴こえてくる音楽に耳を澄ましては、無上の喜びを味わってきたのであるが。
ところで、最近まったくきかれなくなったあの一世風靡の構造の、高額なスピーカーはいったい歴史のどこに消えたのか。
「わたしども異能集団がこのたび開発したのは、かってAR社の追求していたとおなじアコーステック・エアサスペンションの密閉型スピーカーです。ほかに手がけていることもあるのですが」と、口を開いた。
手作りの一品生産を、お客の嗜好に合わせてチューニングしデザインも誂える、趣味性の高いプロジェクトであるといい、そして、ビールを呑みたいと申された。
当方だって、各種ビールを誂えている。
ユニットはデンマークのSCANSPEAK社を使い、75万が2台で、ジャズからクラシックから....そのあとの言葉はビールの向こうのモブレイのサクスが受け継いで鳴った。
「大森山王口にあるJazzCafe『Lydeまじなは』で聴くことが出来ますから、上京のさいはお立ち寄りください」と、名刺までいただいたが、『ハイハット』というジャズ喫茶の店主から、ROYCEの壁に2001年に残してきたサインがあると言われて、必死に探しておられたのがとても良かった。






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