ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

金沢の客

2007年04月22日 | 巡礼者の記帳
ROYCEの前を一羽の雉が横切った日、石川県から奥の細道を辿られた客が到着した。
「気に入ったカットはやっと1枚でしょうか」
桜前線の北上にあわせて風景写真の撮影を楽しんでいると申され、いずこも桜の勢いが芳しくない様子に、害虫の繁殖を心配していた。
金沢は百万石の歴史の深い良い街ときいていますが?
「なにがよいのか、外で暮らしてみるまではわからなかったのですが。おかねもちは...ふむ、殿様一人だけ...ではないでしょうか」
最近、それまでのお仕事から離れ、自分の時間を取り戻された客人は、ゆっくりとグライダーが旋回するように話す人であった。
兼六園や、五木寛之の話をきいていると「モーツァルトをお願いします」とご所望があった。
芭蕉は『奥の細道』のおわりに金沢に入るところを、つぎのように記した。
卯の花山、くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日なり。ここに大阪よりかよふ商人何処と言う者あり、それが旅宿をともにす。
そのとき芭蕉は、金沢城下で門人やフアンを集めた句会を催している。
行灯を点して、いわばジャズ俳句のライブ・セッションをにぎにぎしく静粛に、KG氏のようなアドリブをきかせて敢行したそのあとに、金沢名物の宴が待っていたのかもしれない。

あかあかと 日はつれなくも あきの風 芭蕉、金澤にて

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ナポリ

2007年04月20日 | 旅の話
『ナポリ』というところを、東洋の島国からはるばる見物に行ったことが有る。
観光バスでいよいよナポリに入ったとき、幼時から花のパリとナポリのあこがれをB氏に聞かされていた当方は、先を越したなんともいえない満足感に、じゃっかんひそかに興奮したのである。道端の草花でも証拠に1栞手帳に挟んで持って帰ってあげようか。
だが、ナポリの何を見ろ"Vedi Napoli, e poi muori!"と諺に言うのか、イタリアならどこにもある煤けた石造りの街並みをグルグル廻りながら疑問はつのるばかりだ。
すると、それまで日本人ガイドアルバイトにまかせっきりで沈黙を守ってきたナポリっ子ガイドから何かお言葉があるという。全員注視してジョゼッペ氏の口元を見た。
立ち上がった彼は喋れるのであった。しかも饒舌な巻き舌で。
「カメラを持っている者は、みな右の窓に寄って、シャッターを切る合図を待て。おもしろいものを見せる」と、お言葉は通訳された。
「あー」という一瞬のうちに通りすぎたそこは、残像によれば、アパートとアバートのあいだにロープが渡されて洗濯物がいっぱい翻っている、健康的なのどかな光景だが、それがどうしたというのであろう。一斉に切られたシャッターを満足そうにジョゼッペ氏は、再び沈黙の人になった。
あとで、日本人ガイドをつかまえて、ジョゼッペ氏のこだわりの風景に解説を求めた。
ジョゼッペ氏は、あのアパート住民群とライバル関係の土地っ子で、ロープの洗濯人種を世界中の笑い者にしたいのだ、とのことである。ナポリ人は手強い。
やがてバスが小高い丘に上がったとき、紺碧の地中海と弓形の湾が眼下にどこまでも展望して、遥かにベスビオス火山が見えた。
坂道の途中にて、バスを待ちかまえている屋台のおやじさんが売っていたアメリカンチェリーをつまみながら、歴代のローマ皇帝が好んだ絶景を見て、一句と思ったが、気分がなぜか芭蕉にならないのが不思議だ。
ガイドブックにこう書いてあった。
"Tutte le strade portano a Roma." 全ての道はローマに通ず
"Se son rose, fioriranno." もし(それが)薔薇ならば咲くだろう

☆当方がイタリアを訪れた2年後の69年と72年にエバンスはヨーロッパツアーでイタリア興行をし、そのときの放送局テープが後年発掘されて話題になった。再び渡ったとき伊フィロロジー盤をついでに探して、買ったのはナイキのTシャツ千円だった。
☆多賀城市から『LE-8T』を愛聴するジャズ好きが登場した。シェリーマン・ホールの『Round Midnight』を聴きながら、古代日本の陸奥の国府と長安の都を想った。そうとうな隔たりではあるが、いつか七重の塔のあった街を探検してみたい。

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THE SIDEWINDER

2007年04月18日 | レコードのお話
庭木に水を注いでいると、上空をヘリコプターが旋回した。
バタバタバタ。
椿の花弁が1個落ちて、ガラス窓がビビビリ、と鳴っている。
そういえばバッハの『トッカータとフーガ』のオルガンに耳を澄ますとき、ROYCEの室内も共振することがある。かげろうのような一瞬の儚い清明が、時の証に韻を踏んでいるようだ。
バッハの盛大なオルガン音は、さるところではどのように鳴っているのか聴いたことが有る。
空の曇っている日、ロンドンのウエストミンスター寺院に入ると、たまたまそれが、石の壁に音の波がしみわたりつつこだまし、上空にゆっくり煙りのように立ち登っていくのが聴こえた。
小耳に挟んだそれは、甘いやわらかな低い音である。
タンノイで、バックロードホーンの威力を聴こうとボリュウムを上げると、トッカータとフーガも脱穀機のようなすさまじい音で鳴るが、それは是非もない快感だ。
現実には、ウエストミンスター教会の遠いオルガン音は、ちょうどそのとき『スペンドール』で小さく鳴らしたような、それで良い音だった。
ジャズでもクラシックでも経験する「鳥肌の瞬間」とは何だろう。
それは鯉に似た、感動なのか。
あるとき六法全書に『恋』という字は無いといわれて、法典に鯉は必要でなかったのか、意外だが、約束も証明も要らない、いらない興奮をタンノイに求めてきたのかな。
『サイドワインダー』をまだ5回しか聴いていない人は、聴かないためにそれを持っているとか言って、感動を冷凍パックして、針を置く日を先延ばししている。
何度も同じ女人とデイトしていれば、鯉も次第に薄らぐから『ワルツ・フォー・デビィ』などの場合は、少々聴き通して、鯉からアイにフェーズが変わってしまったのである。
新鮮な出会いのために、多くのフアンは斬新なカッティング盤の再登場を待っているのかもしれない。

☆ウエストミンスター寺院には、ニュートン、ダーウイン、ヘンデル、チョーサー、ディケンズ、ハーディなどなど、起こしては大変な人物たちが眠っているそうだ。

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テアトロ・レアルの咳

2007年04月14日 | レコードのお話
期待に違わぬピアノのメロディが美しく揺蕩うタンノイの風景。
張りつめて音を追いかけていると「ゴホン!」と聴こえた。
ライブ録音における聴衆の咳払いにびっくりした最初の記憶は『ヴァン・クライバーン』のレコードである。
若かったので「なんてこった」と驚いた。それではじめてライブ録音の意味を知る。
レコード針がそこにさしかかると必ず聴こえる咳、1回。
その部分を、ノミで削れるものなら必ずそうしたであろう違和感。
これがジャズ・ライブとなると、手拍子、足拍子、口笛、コップの音、笑い声、電車の音、赤ん坊の泣き声まで聴こえるライブもある。暗騒音がかえって雰囲気を盛り上げて、問題なくすばらしい。
同じ音楽なのだが、そういうものなのか。
ゴホン、ゴホンの「最長の咳こみ」と認めるものは、1974年のパコ・デ・ルシアによるマドリード王立劇場ライブ演奏に聴かれるが、さすがにこれは...と、腕組みするほど延々とせき込んで長かった。
一定の方角からゴホン、ゴホンが間断なく続けば、さすがにパコ・デ・ルシアも調子を落とし加減になるのがわかるほどだ。が、立ち直ってよかった。
この咳の実存哲学だが、ヌシはそれほどまでして会場にいなければならなかったのか。
解説文を読んで気が付いた。
パコ・デ・ルシアのジプシー音楽が、歴史と格式の王立劇場に演奏を認められたこの日は、民族の誇りを発露する記念すべきお祭りで、地方から参集した熱烈な同胞で立ち見が出るほどの盛況であったと。
なんとしても顔を出したかった人の咳こみには、演奏にひけを取らない情熱がある。これはセッションなのだ。
「ああ、あれは楽器」と誰かに言われても、当方には咳にしか聞こえないので『咳』としておこう。
来日のおり、ライブをエアチェックして驚いた『ガルシアロルカ賛歌』の演奏が、スタジオ演奏とまったく様変わりのリズミカルなスイングに、人間、音楽も一様ではないと思った。
よく考えてみると、当方が気に入って聴くサウンドは『サビカス』というアメリカに渡った奏者の演奏の方である。
カルロス・モントーヤは立派すぎて、銀の手プラタは強すぎるのかもしれない。


☆タンノイでジャズを聴くROYCE。その合間に、モーツァルトのK299を鳴らしたら、思いがけなく二人の女性から拍手が起こった。やはり、タンノイの出自は争えないのか。前夜『S・ワタナベ』のライブを楽しまれたこの人々は渋谷から来られたアーティスト・プロデューサーで、もう一方のかたは「自分を何と紹介したものでしょう、主婦ですが」

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青春

2007年04月10日 | 巡礼者の記帳
「それは、何というライフスタイルですか?」
松島T氏をまえにして、考え込んだ。
氏によれば、どうやら菜食主義の本命は『穀物菜食料理』である。
純粋英国料理ときこえ、それを困惑の、当方。
伊達藩の青葉城下で、その店を静かに商っておられる氏であるが、肉類は口にしないのに、アルテックA-7でバリバリの音を浴びるように聴いているのを知っている。
穀物菜食の生活を長く続けて、ご病気知らず。
先日、山形に旅行され、さすが穀類の味に敏感な山形県民だけあって「蕎麦の味が本物」でしたと申されると、この『青春18切符』は、なかなか使いみちがありますよ、とチケットが出た。
「これでおそらくここから山口県あたりまで1800円で行けるはずです」
どれどれと、遠い青春をしみじみ見ると、窓口にいけば気分が青春の人は誰でも買えるそうである。

ちょっと気候の緩んだ昼下がり。
「おー、ここだ」と、明るい眼差しで登場された青少年達(24歳だった)
「我々は、某氏から、「おまえら、すぐ行ってこい」と言われ、恵比須から一関に参上しました」
タイプの違いをみせる道場破りは、物怖じせず進取の気性で共通しているようだ。
その一人が本棚を見て言った。
「まさか、ここで経書大講を見るとは思いませんでした。いまそれを勉強しているのです」
いうまでもなく、それらは某先生からお預かりしているものである。
当方が愛読していると勘違いしたか、やにわにケータイを正眼に構えると「記念写真を」....。
その勘違い訪問に、勘違い写真だが、受けて立って、モンタレー・ライブ上空の空軍の爆音を、盛大にロイヤルのバックロードホーンで轟かせてみた。

☆効果的な低音再生を研究されて、図面を見せてくださった宮城の開発者から、お電話があった。
「昨日、ロイスさんを出た後、北上まで行く予定でしたが、水沢の陣屋で夕食『ゴルゴ13』を読んだら家に戻りたくなってしまいました」
たとえばスタックスのコンデンサー型ヘッドフォンの音を、耳から離し大型スピーカーで聴きたいというところで意見の一致を見てかえって驚いたが「ゴルゴ13」に何かヒントが書かれてあったらしい。


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TURRENTINE BROS.& MAX ROACH

2007年04月08日 | 徒然の記
当時新進タレンタイン兄弟の1960年NY録音に、トミー・フラナガンやマックス・ローチのサイドメンが耳を捉える。
エバンスと違って、暗記するほど聴いてはもったいない「通」のジャズである。くれぐれも、たまに聴くのがよいと、思う。
『Let’s Groove』が小さなスピーカーで流れているとき、ドアが開いた。
「先日、VOLVOを修理に出し、代用に軽を借りましたが、これが一日走ってもガソリン代が千円で済むのに驚きました」
ボルボもラテン語でいちにち走り回るという意味だった。
「妻は、ずーっとそれにしなさいと言いまして、店は0万で譲ってくれるというが、VOLVOの車検修理代より安いので感心して『今、手持ちがないから貸しておいて』と外車は預け、しばらくこれに乗っているわけです」
それで、その客人がいつものVOLVOでないわけを知った。
「3日まえのこと、懇意のオヤジさんの所に寄りました。すると、なーに、そんなら倉庫に2台入っているから、好きな方をもっていけ、代金はいつでもいいから。と、なんとも世はさまざま...」
和漢朗詠集の気分のような。
「昨日も立ち寄った-はなちゃん-が店をはじめるとき、言ってきかせたのです。――客はみなりや様子で判断してはいけない。だれが『福の神』か、うっかりしたら、福は逃げて行く。誰でも大事に接するのがいい...」
「いま、アワビを15トン仕込んでいますが...収穫が楽しみです。このベンツのバックルは社長に貰ったものです」
「それでは、きょうはコーヒーご馳走になっていきます」
....

杜甫の詩に「人生七十古来稀なり」とあるような、眼が離せない古希の人だ。

山風にとくるこほりのひまごとに打ちいづる波やはるの初花
-朗詠集-


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ビ・バップ

2007年04月06日 | 巡礼者の記帳
「わたしには北海道の水が良いのでしょうか、関東から移って17年になりました」
腕っぷしの強そうな剣客風の客は、太い眉の下に思索の眼眸をそなえ、しばらく黙然とタンノイを聴いていたが、これまで「道場詣」してきた数々のジャズ喫茶の印象を、ゆっくり話してくださった。
店の名を挙げ、特長を掴んだ一言は『ジャズ喫茶の世界』を楽しんでいる人だ。
「あなたはノミを持つ左手に覚えがあるのでは?」とたずねると、いかにも、とのことで、地元の新酒『おっほ!』などをちびりちびりやっていただいたが、
「ところで入ってきたとき小さいスピーカーで鳴っていた楽団は、誰ですか?」と心延えがよい。
四十年代のガレスピー楽団は「BODY AND SOUL」や「フェイマス・アルト・ブレイク」などビ・バップが発動機の唸りを響かせて好調だ。
いろいろ良いジャズ喫茶のある札幌で『マイルスの枯葉』というレイ・オーディオのシステムを聴かせるところもあると「ぜひいつか、北海道においでください」と申されてお帰りになった。

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ライトハウスのハワード・ラムゼイ

2007年04月04日 | 徒然の記
「わたしの店では、オーナーの趣味の『タンノイ・ヨーク』が備えつけてあるのです。アンプはマッキンの240で、鳴っています」
恵比須から来られたその客はテーブルにメモを広げると、いまのレコードは?とジャケットをメモされて、眼の大きな奥方とロイヤルのサウンドを楽しんで居られる。
そのお店のカウンターで、来客の話題にのったロイスのタンノイの音を、こうして卯月の4月に黄砂の風に乗って探検にきてくださったのであった。
ところで、川向こうの『老舗』について、電話のネゴシェーションが、やや御不興のおもむきである。昨夜の客の話では、新刊を出されて意気軒高とうかがったばかりだが...。
「まあ、行ってごらんになっては...、では特別に秘蔵のROYCEの車を出しましょう」
するとそれまで、つつましく無言を通しておられた奥方がはじめて言った。
「それは、ひょっとして、ロールス・ロイスですか?」

☆ジャケットは50年代ロス郊外のハーモサ・ビーチにあるライトハウス。
ハワード・ラムゼイはスタンケントン楽団出身のベース奏者。シェリーマン、ハンプトンホース、ショーティーロジャースなどの顔が見える。


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春は、あけぼの。

2007年04月01日 | 歴史の革袋
春は、あけぼの。
ようやく白くなりゆく山ぎわ、少し明りて、紫立ちたる雲の、細くたなびきたる。
山は、小暗山、鹿背山、御笠山。
木の暗山、入立の山。
忘れずの山、末の松山、方去り山こそ、「いかならむ」と、をかしけれ。
五幡山、帰山、後頼の山。
朝倉山、「よそに見る」ぞ、をかしき。
大比礼山も、をかし。
臨時の祭の舞人などの、思ひ出でらるるなるべし。
三輪の山、をかし。
手向山、待兼山、玉坂山。
耳成山。........【枕草子一段、十段】

一関において、名前の通った山といえば、関山中尊寺。
西行が桜の歌を詠んだ束稲山。
芭蕉の句碑のある蘭梅山。
日本昔話に唯一名の載る観音山。
夜桜に顔を染める釣山。
勇壮な山は室根山。
遠景に見える一番高い山は須川山。
その須川山頂から見える一番高い山は鳥海山である。

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