ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

水戸のタンノイ氏 vol.10

2011年05月28日 | 歴史の革袋
新緑も鮮やかな午後に登場されたのは、水戸在住のタンノイ使いの人である。
続いて初めてみる威儀を正した人と、そのあとに晴耕雨読の人がおり、急に声を潜めると言った。
「新しい彼は、そうとうめずらしい存在と思います」
こうして余技に全国コンクール参加のオーケストラ・コンダクター、テンパニー奏者、トロンボーン奏者の各位がタンノイに対峙していた。
タンノイのオーケストラの音が少し止んだとき会話が聞こえた。
「はて、本館のご様子があのようでは、あなたの退官までにはたして修復が間に合うものか、どうも心配だ」
笑顔で心配するというお仲間と打ち解けて、何十万冊もある散乱がかたずかないと言い、ベルリンフィルを振った日本人のできばえに話題を移していた。
2300年まえのアレクサンドリア図書館や、九百年まえの金色堂隣接の『経蔵』のような建造物も震災にあっている。
世界の七不思議に数えられる古代アレクサンドリアは、今世紀になって二千年ぶりに復興建設の世界コンペがあり160の応募作から、ノルウエーの建築事務所が二百億円で完成させた。
また、金色堂の付属図書館の『経蔵』は、二階部分の焼失した平屋が現在も境内にあるが、別当の荘園があの古代のまま残る『ほねでら村荘園』といわれている。
『吾妻鏡』によれば、京のみやこでも喉から手の出るほど貴重な経典を、平泉政権は砂金6トン、二百億円分を宋船に積んで古代中国五台山に送り、とうとう仏典一切の百科全書五千三百巻を手に入れたと書かれてあるが、これを持ち帰った平泉では二百人の僧で八年かけ、金泥文で写経しこの経蔵に保管した。
いま、中尊寺に残存する15巻が、国宝になっているのがすばらしい。
古代のアレクサンドリア図書館も蔵書の蒐集には手段をえらばず、専門の役人が港に入った外国船からことごとく書物を没収したのがハッカーのはしりなのか、コピーしたほうを返却したことで有名だ。
函谷関に五千字を残して消えた『老子』もアレキサンドリアと同じ時代の、周の国の図書館役人であったと、一部に言い伝えが残っているが、未来の図書館は、いったいどうなるとおもしろいのか。
蔵書だけでなく、公開講座や天文観測や満漢全席料理サービスや、お金儲けの手ほどきなど、広大な敷地に多岐にわたるものであれば、ぜひ行ってみたい。

☆『幻想』ミンシュ・パリ管弦楽団ジャケット写真部分





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塩竃市のエクスクルーシブ装置の客

2011年05月22日 | 歴史の革袋
一関から直線で70キロのところにある『塩竃市』まで芭蕉がやってきたのは、ちょうど今の季節の雨のそぼ降る5月である。
『奥の細道』に、塩竃に入る前の芭蕉は、清少納言の父の詠んだ歌『末の松山 波こさじとは』の松をたずね、多賀城の歌枕ポイントに立っていた。
この百人一首にもある句の情念にはただならぬものがあり、平安の御殿人のコンセンサスとして、「いかな津波ががんばっても、この松山を超えることはないでしょう」と歌われていることから、震災の二ヶ月毎日いろいろな人が、芭蕉も眺めた太い見事な松を遠方から確かめに来ているらしい。
千年言われて来たことが、はたしてどうなのか、世間のひそかな関心事があった。
雨の中、塩竃の宿について旅装を解き、海魚を酒のさかなにしみじみしていると、どこからともなく琵琶法師の音色がきこえたと本文に読めるので、音色もタンノイの世界であるが、よくじつ芭蕉が塩竃神社に詣でたところ、宮柱太く石組みも堂々とした境内に鐡製の古い灯籠があって、それには五百年前に平泉の『泉三郎』の寄進と銘があった。
義径を最後まで接待して落命した泉が城の館主のことで、平泉館藤原秀衡の三男は忙しく、広範囲の日常業務に気配りを持っていたことが忍ばれ、このことをわざわざ記した芭蕉の旅の下調べに、充分な気分は早くも平泉にあったようだ。
そこで先年当方も『松島』に足をのばしてみたが、明るく波間にうつろう風景のすばらしさに発句どころではなかったほどたのしい気分で、芭蕉も、いよいよせまった平泉に気を取られていたそのとき、ふと松島の波間に船を浮かべる油断が絶好調で、ただ遊んでしまったのではないか。
みちのく路を歩む芭蕉には最終目的地、平泉の歌枕がいつもこころに浮かび、五月雨に降られたりすると、あめに煙る金色堂のことが脳裏に浮かんでしまい、目的地に着くまえに早くも、 さみだれの降り残したり光堂 の句は出来上がってしまっていたのではないかと想像する。
塩竃、松島に居ながら、心は旅の全編の龍の眼になる平泉の句を創っていたとすれば、残るは、「てにおは」であるが、『ふりのこしてや、』の『や』がおもしろい。
たとえば
さみだれの ふりのこしたぜ ひかりどう    は、JBLの鳴りであり
さみだれの ふりのこしたり ひかりどう    は、その他のスピーカーで
さみだれの ふりのこしてや ひかりどう    の『や』の表現が、タンノイの世界である。
と、我が子をほめても怒っても、きかされた人々は迷惑なだけであるが。
芭蕉は、おくのほそみち最高傑作をいくつか心にしまって、この松島、塩竃ではそうとうスイングしていたのではないか、まるで期待のオーディオ装置をこれから聴くような気分のことである。
芭蕉の参詣した塩竃神社は『しおつちのおじのかみ』が下総、常陸のほうから渡って最初に杭を打ったので奥州一宮といわれたが、Royceに五月に現れた御仁は、この塩竃の地にエクスクルーシブのウッドホーンのついたタイトで剛毅な装置を備えて楽しんでおられるというので、先日の現地の景色が心に浮かんだものである。
考えてみると、マニアは、たいてい腰の抜けるようないい音を聴くと、まず無口になってしまう。
何度も「おっ、いいですね」と申してくださったので、とても気分の良い客人であったが、
「ああ!ちっ」などというマニアの独り言がレジオンドヌール勲章の褒め言葉とすれば、「いいですね」は、瑞宝章くらいか。
この御仁は、MC昇圧トランスに何を使って鳴らしているかタンノイの音を気にされているので、本気がわからず適当に答えると、わざわざマランツ♯7の奥に隠してある物体を御自分の眼で覗いておられたところが、本物のマニアの凄さというものである。
『さみだれの 降りのこしてや 光堂』
これが、いよいよ世界遺産になることについて、その功績は芭蕉にもありそうだが、芭蕉ほどになれば想像が現実にまさっているので、まだ見ぬ金色堂に気を取られるあまり、松島の地では情景に、刀を抜く暇がなかったのか。
ああ 松島や まつしまや
だなんて、当方も行ってみましたが、刀を抜かず手を抜いたのではありませんか?







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周の五千字

2011年05月13日 | 歴史の革袋
一関に、函谷関に近い風景をさがせば須川岳の渓谷沿いに、それはある。
いまから2300年前といわれる周の時代に、5千余字の殷の文字を、函谷関に残して歴史のかなたに去った者がいた。
殷文の意味にゾッコン感銘したのちの財力者は、印刷技術もない時代の知っているかぎり手を尽くし、全部は無理でも写筆収集して、自分の墓所にまで携えたものであるが、2千年後の現在にもそれは隠然と伝わった。
その字は殷の象形文字であったので、解釈に謎があって諸説がおこったが、数十年前のこと中国の貴人の墳墓から、突然2千年ぶりに数千字が掘り出され、時空をこえた原書の謎の半分は解消したらしい。
残る謎のひとつは、現代には失われた象形文の判読がいろいろに読めて、だれにも本意に迫れない未知の可能性が残ってしまった。
震災にあって時間のできた当方も、その上篇第一章の解釈に、ジャズ的に挑戦してみたのだが、しかしこの第一章はハンガリー舞曲5番の調べにのって脳裏に浮かぶのがなぜか似合っていると思う。

道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名万物之母。
故常無欲以観其妙、常有欲以観其儌。比両者同出而異名。
同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。

『好きなジャズの曲ばかり聴いて、それがジャズだと思わんほうがええ、って知っとるがな。タンノイとJBLで、どっちがジャズかって、かんたんに決まるもんでおまへんにゃ。名あるアーチストはんが欲ば捨てて、どえりゃぁノった録音だが、いんやー、めっぽう良さげな、あのビレッジ・ヴァンガード、たまらん。
そいで、JBLでもタンノイでも両方で聞いてみなはった人が言っとったが、ぎょーさん売れた同じ録音LPでも、スピーカー、やっぱ組み立てた工場が違えば味が違うモンやち。なんぼのモンや、などと言わにゃあで、音の出る門は意味がある。きばりなはれ』

その函谷関を連休に通過した秋田のアルテックたまゆら巧芸団とおぼしい人が、仙台の慇懃な紳士と立ち寄ってくださった。
秀麗なご婦人をかたわらにして、しばらくアルテックの汲めども尽きぬ魅力のかずかずを伺った。
仙台の御仁には、想という殷文が漂っているような、何か?と目を凝らしたところ、人の陰に見えなくなったのが不思議。
竹簡の歴史にも、今後まだ発掘はあるのか。






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ウエストミンスターの客 vol.8

2011年05月07日 | タンノイのお話
赤いジャガーを駆って高速道を疾駆する御仁は、コルビジェ風のロッジを那須に構えておられたが、とうとう500坪の庭の一角に茶室の完成あいなって、この連休の5月に登場されると楽しみの写真を御開陳くださった。
川辺で拾った石を並べて悦に入っている当方の感性からすると、それは異星の出来栄えであり、やはりコルビジェの庭なのか。
利休の物語では、露地を茶室にむかう庭石を踏みながら、そこに俗世間のしがらみを置いて身軽な別人になり変わるはずが、この写真を拝見してギョッと思った。
無事に戻ってこれるのか、楽しみではあるが覚悟が迫られている。
一関から眺める写真に名をつけて、三無の茶室。
庭石を行けども行けども、なかなかたどり着かない。
茶室に鳴るタンノイが手に取るように想像できるが、どうも聴こえない。
平蜘蛛の茶器から湯気が見えるようにある碗の、手を伸ばしたそこに侘茶はない。
茶室の内部を撮った写真に、ひとり和服の御亭主が大勢の御婦人に囲まれて微笑んでおられる姿があって、いつぞやこれとそっくりに、9人の女性たちと堂々Royceに登場した寺島先生の光景が思いおこされた。
この御仁にいわく、素封家であった兄から五十枚ほどLPを遺られたが、タンノイで聴くと昔の盤は非常に音が良い、そうである。
母屋にて、拝領の不思議な味噌が白米のうえに香るのを眺めながら、写真につらなる風雅な庭石の夏のかなたを想像して飽きなかった。





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朝顔の姫君

2011年05月04日 | 巡礼者の記帳
5月の風薫る連休に登場された客人は、アウディのドアから姿を現すと、堂々として朝起きてまだヒゲを剃っていないざっくばらんの感じが似合っている。
もう一方の女性は、ジャズにあわせて都会的に会話をつむぎ、吉祥寺喫茶にて「トロンボーンを吹いてみたい人?」と言われ「ハーイ」と手を挙げました、とジャジーなライフスタイルのあらゆる業務にひたむきな、源氏物語で捜せば『朝顔の姫君』の範疇にTaxonomyではなるのかと想像した。
それにしても、お二人の関係は、どうも謎めいていたなあ。
いや、どうでもよいじゃないのとタンノイのむこうでD・ゴードン氏が言っているのも、もっともではあるが。





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夜行列車

2011年05月01日 | 徒然の記
あれは小学生のある日、近所の遊び仲間が集まって言っている。
「今夜初めて、急行の夜行列車が通るんだって」
テレビのない暇な時代に話はすぐ広まって、晩御飯のあと蚊除けの団扇とロウソクを手に集まった。
薄暗い国道の町家並みを、瀬戸物店の側の水害用の船の置いてある細道から裏に抜けて、田んぼの稲の伸びている暗闇の向こうに、音だけでも聞こうと遠く線路が走るあたりに目を凝らして待っていた。
夜空に星が輝いて、カエルの声がうるさく大合唱している、人の顔もよく見えない夜の七時過ぎ、蚊を追うウチワをバタバタさせて待っていると、突然にゴーッと音が聞こえ、青森から東京に向かう夜のC62急行は、黄色い窓明かりをマッチ箱くらいの大きさに何両も連ねて、銀河鉄道の絵のように流れていった。
先日の震度6の日は、東京青森間を新幹線が初めて猛スピードで駆け抜けた記念の日で、さっそうと北に走ったというのに激震にみまわれて、しばらく終着点に停泊したまま、しかし運良く脱線もなく5月の連休に復旧した。
松島T氏は申されている。
「仙台の店舗の水道もやっと復旧しましたので、あすから営業しようと思います」
松島にあるご住居を気にはなっていたが、オーディオ装置は奇跡的に無事で、道向かいの公民館に、100人ほどの方が避難生活しておられるそうである。
松島T氏は、オンライフからマランツ7に変えてせっかくラインに繋いだ話であったのに、いま使用のプリは、こんどはアルテック純正と聞いて、はてな、と思った。
するとあんのじょう、迫SA氏のアルテック牙城を訪問したのが運の尽きで、そこにあったプリの音に、耳が目覚めてしまったと、どこか遠慮しながらも嬉しそうである。
当方は黙って、けしからん、と思った。
せっかくマランツを棚に飾る会を画策しているのに、である。
そのせいかどうか、ズート・シムスの演奏も、きょうはよそよそしく聴こえるのがおもしろい。
いつか訪問させていただいて、アルテックA-7がオール純正のラインによって、マリリン・モンローの『虹の彼方に』をアルテックが唄っているところをぜひ拝聴してみたいと、モンローのボーカルをあれこれ想像した。






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