ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

『E家』の電蓄

2006年03月30日 | 徒然の記
I氏に伴われて、その紳士はお見えになった。
「クラシック派だけどね」と、I氏はそっといわれたので、アンプを切り替える気になったのがおかしい。
オーケストラが鳴り響いている最中のこと、急に席を立たれたその人は急ぎ足でテーブルを廻ってアンプに近づくと興味深そうに覗き込んでおられたが、『WE300B』を使ったアンプと確かめてニッコリされた。マニアは音の何ゆえかを賞味するのか。
「大変勉強になりました」と、ほかに何かおっしゃりたい表情をちょっと浮かべて帰って行かれた紳士が、E先生と知らされたのは一ヶ月も経ってからのことである。
そのとき突然、駅前にあるその家に訪ねたことがあるのを思い出した。
詰襟を着た高校一年の頃、先輩の和久さんが「きょうは『E』の家に行きましょう」というのでついて行った、あれは日曜の暑い昼下がり。
玄関で品のよい和服のご婦人に三つ指をつかれ「どうぞ御上がりください」と招き上げられて、そういう習慣を知らないこちらはめんくらったが、廊下を廻って奥の和室に通されるとすでに五、六人の先客があって、揃っている顔は皆上級生だが学生服のままタバコの煙をモウモウ、トランペットの音がビャーッと電蓄から垂れ流れていた。
恐ろしいところに踏み込んだものだが、当時はまだレコードもステレオ以前の時代であったから、ソノシートで楽しんでいたこちらの常識では、その四角形の堂々とデカいモノーラル電蓄がとりあえず衝撃的にめずらしかった。
眼を皿にして、開いた天蓋のターンテーブルを覗き込んでいると、和久さんのいう『E』という上級生が寄ってきて、メガネの奥からやさしい眼でスペアのごついカートリッジを裏返し、針の構造を説明したりアームに差し替えてみせてくれたのである。
それがE先生ご家族の誰か、昔の記憶を申し上げれば、一本の線が繋がった気分がそうとう良かったはずであるのに...。

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水沢の『J』

2006年03月29日 | オーディオショップ

タンノイ・ウエストミンスターを試聴できると新聞広告でその店を知って、いつか訪ねてみようと思っていたが、時が過ぎた。ポチが西向けば尾は東で、国道4号線を三十キロ北上すると水沢市の佐倉に着く。しかし佐倉は広かった。金ケ崎のプールの帰り道、夏の日ざしの照りつける中、道ゆく高校生やらオヤジさんに尋ねてやっとたどり着くことができた『J』である。
モダンな店内に8組ほどセットされた現代スピーカーから、さっそくタンノイを鳴らしていただいた。アキュフェースのトランジスタアンプによる音は、ジャズもクラシックも整ったバランスである。オーディオ人口も減少するなか、これほど多岐に品揃えしてある店は少なくなっているが、やはり水沢市の底力というものか。
奥の方に、ガラスドアで仕切られた小さな別室があって、ビデオの大型スクリーンにサウンド・トラックをバックアップする装置があった。この音が、小型スピーカーとは思えない強烈な馬力とスケールで、堂々たるサウンドである。ジャズ・ビデオでも上映した場合、オーディオの王道はいったいどうなってしまうのか、と心配したが、時間をかけて聴いてみるとやはりそう簡単なものではないジャズの音。
ポパイのマンガでハンバーガーをつまむ人にちょっと似た人がこちらをみて笑っているが、その方が店員さんのようである。SPUの針交換をお願いしてみると一週間で戻ってくるとのことで、ついでにオルトフォンのコネクトケーブルをケースから出してもらって購入し、ひとまず凱旋した。
このケーブル、こう言っては身もふたもないが自作ケーブルとあまり違わない音でがっかりする。交換針を取りに行ったとき、上級ケーブルと交換してくれるのか淡い期待で言ってみると、あっさりO・Kと言われた。
いきさつをK氏にお話しすると、このハンバーガーさんのことはご存じで、K氏の宅にも水沢から出張されたことがあるらしい。「とてもよい人です」と話しておられた。
さて、次に『J』に行ったとき、店主の愛蔵盤と書かれたデスクが売り場に多数陳んでいて驚いた。箱に残っていたほとんどがクラシックの名盤であった。
先日Royceにみえたジャズ好きのI氏によれば、その昔『J』の社長から、クラシック入門の手ほどきを受けたことがあると聞いた。気さくで穏やかな方であったそうで、一度お会いしたかったものである。
この『J』の近くに、30品食べ放題の店があると、呉服商のかたが楊枝を咥えながらお腹をさすってROYCEにやってきてジャズを聴いた。御仲間と「当分もうけっこう」と言いながら、食べ残したカニとアワビを残念がっているのを聞くと、まだ食事前のこちらはロリンズのブローがおなかにこたえて、その会話が妙に忘れられず居た。
そこで『J』から足を伸ばし饗宴に参じてみたが、寿司から焼き肉、団子にケーキと進んで、時間制限の競技会をがんばって、秘書が帰りの車で「苦しい」とハンカチで顔を蔽い、「また行こう」と言っても返事がなかったのが残念だ。

☆はじめて「オレオレ、サギ」の相手と二日にわたってやりとりした。
親戚の大学生がライブドアの株で72万損して、親に内緒で...という設定だった。哀しそうな声が忘れられない。
☆さかもとコーヒーの「カフェ・タブロー」を初めて淹れてみた。七つくらい数える味の中に、煎茶の味がまじってどれも上等。

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モンタレーのビリー・ホリデー

2006年03月28日 | レコードのお話
市の中心から郊外に向かうと高速インターの付近にSという大型ショッピングセンターがある。
或る日のこと、外出していた秘書から電話が入った。
「ジャズの中古レコードがダンボールで4箱陳んでいる」と、急を告げている。Sではときどき一階の催事スペースでLPやCDのバーゲンがおこなわれた。それは演歌洋楽が中心で、ジャズの売られることは話題になく油断していた。急いで駆けつけたが、一抱えほど選りだすころには早くも閉店の時間であった。
「ロイスさんですね」と後ろから肩を叩く人がいてギョッとする。だいたいにおいてジャズのレコードを漁っている人はまわりが見えていない。離れたところから飛んできた売り場の責任者が「ボクの一存で」と申されて、レジで支払いのとき2枚プレゼントしてくれたのはセール終了間際のガサ入れだったのか。なにか魚河岸のような気っ風の良さがうれしい。
そのときもらったうちの一枚に、今はなつかしい「HERBIEMANN AT THE VILLAGE GATE」があった。
昔聴いたときは低音が出ない装置でよくわからなかったが、左側で太刀持ちのように控えてリズムを刻むアブダリマリクのベースが「先輩どうぞ!」といった感じで一呼吸あけると、ベン・タッカーが中央でブンブピン!とベースを構えて野太く土俵入りをはじめる。自分の作曲したテーマでニンマリするタッカーに観客の待ってました!と盛大な拍手がおきる。やはりロイヤルのバックロードホーンで聴く2丁のベースの位置取りとハモリはただごとならず美しい。尺八の極意とされる『黄鐘調』とおなじハーモニーが揺蕩って聴こえる。
ここで延々と通奏低音を繰り出すアブダリマリクは修験者の座禅のように歯がゆいほど控えめで、スコット・ラファロを持ち出してはならぬが、せっかくの2丁のベースに絡みがもう一つあったらと残念だ。
これが『B』ではさらに指力も強く剛弦が唸り、この左と中央の弦二丁がくっきりと分かれる黄金のパースペクティブが聴き取れるであろうか。ぜひ聴いてみたいものだが『ビレッジゲイト』をリクエストする勇気のある客はいるだろうか?
ROYCEがたまに変なLPをかけるのは客のリアクションを楽しむためではない。何がショックと言って...盛大に「ガーン」とくるお客も居るのでそこが楽しい。
ベイシーといえば、『AT MONTEREY/1958』というビリーホリデイのライブ盤がかかったときの、モンタレーを大型輸送機がグワーッと頭上すれすれにかすめて行く爆音が圧巻だ。ドドドド!っという、天井から下がった電気の傘も揺れるような爆音の響きが装置のレベルをズバリ雄弁に語っていた。このときの両耳に栓をされたようなフルボリューム、ジェット・コースターに乗って真っ逆さまに落ちているような浮遊感覚の金縛り状態は、めったにない経験の有難さで、なぜか笑いがこみ上がるのを隠して苦労したが、マスターも心得てマニアに特別サービスしているのだ。
この曲がかかったからには「どうやらオーディオマニアだな」とよまれちゃったゆえの粋なサービスであったか、マスターはスルドイ。
もちろんビリーの晩年の「ベリータイアード・・・」などとつぶやきがマイクから漏れてきて、まだ歌わせる気?とおどけながら聴衆を巻き込んで行く透徹した歌唱に惹かれる。そちらを気に入って手を合わせる人もいる。
ときどきチリンチリンと鈴が鳴るのは、ビリーの口のそばまで垂れ下がった風鈴のようなイアリングだ。一緒に聴いた葛飾のO氏が、ブラックホーク盤を後日捜して送り届けてくださったのが、恐るべき配慮。
ついでに夜更けのベイシーの体験で、とてつもなく単調なドラムソロを聴いたことがあった。誰もいない客席に一人居て、ダン!ダン!ダン!と雨垂れのような等間隔のドラムの音が延々と巨大なボリュームで増幅されて両方の耳の穴から脳みそに直撃を受けていると、漆黒の部屋でふわーっと生体離脱しそうになって驚いた。こりゃぁなんだ?ビーンと皮の張ったベイシーの装置ならではのドラムスは凄い。


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佐沼のオーディオ・ショップ

2006年03月27日 | オーディオショップ
丁度〈クインシー・ジョーンズバンド〉がブパブパッ!と「STOCKHOLM SWEETNIN」をやっていたそのとき、『オーディオマップ』という書籍を創っている人から電話がかかってきた。広告の話かと思って「今、レコードをかけているから時間がない」と口実を言って、やんわり断った。
電話の向こうで渋い声の男性が「また、かけなおすから何時がよいか」ときいている。熱心な人だ。おまけにどうも声のトーンが「こっちもメシよりジャズが好きですよ」と言っている。そこで「広告なら予定がない」といったのだが、一銭もいらないからお宅のような本格的なジャズ喫茶を全国的に初めて網羅して紹介する初めてのガイドブックである、などと二度もくり返している熱心さ。本格的とは何かの間違いのような気もするが、本当に指定した時間にまたかかってきたのには驚いた。これも何かの縁というのか。
あとで本になって載っているのを『T』のマスターが教えてくださった。
あのときちょうどRoyceにいらしたお客は宮城県佐沼の『H』というオーディオ・ショップの御曹司であるが、そのショップには永い歴史があって周囲には錚々たるマニアが顧客として控えている。いちどSA氏に案内されお邪魔したところ、コンクリートの堅牢な店内に『タンノイGRFメモリー』がとても良い音で鳴っていた。
この装置のためにお店にセットされていたパワーアンプがSA氏の制作になるもので、楽器演奏されるという店の方の調整されたサウンドはキリリとピントの合った音であった。
ROYCEのFMチューナーは、ニューヨークで84選局したとうたい文句の「SONY・ST-5000F」だが、風格のある『エクスクルーシブ・F-3』がやっぱり良いのではなかろうかという話になって、あいにく製造中止「顧客に求められ、やっとのことで探し出すことができました」と思い出を話されていた。
一関から南に37キロ、車で四十分のところにこの貴重な店は在る。

☆仙台から知人が訪ねて来て、砂子浜の母の実家に『小田○正』が遊びに来たと、写真を見せてくださった。ほかの7人くらいは皆正座だが、小田くんはアグラで、そこがとても良い。おしのびなので、その写真は掲載できません。
☆ご近所のK氏から、国府弘子の6拍子のワルツの説明をうけましたが、バンドをやった人は話が核心を突いている。

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仙人は聴く

2006年03月26日 | 巡礼者の記帳
昨年のこと、それは或る陽射しの強い日、かげろう揺らめく街路樹の葉陰からゆっくりと自転車を降りた人が「どうも、どうも」と相撲取りが手刀を切るような挨拶をとなえながら近寄ってきた。
見ればあのすばらしい『バイタボックスのマルチチャンネル装置』を聴かせていただいて以来、しばらくお会いしなかったS氏であったが、高雅な音色がいまだ耳によみがえる霊力の人である。
「にわかやまいで、しばらく入院しました」と、意外な言葉があった。驚いて良く見れば、温泉にでも行ってきたようにけろりと申されて湯上がりのような表情だ。
以前S氏からいただいた高山植物が、あれから三年も経つというのに毎年団扇のような葉ばかり大きくて、一向に花が咲かないことを怪しんでいたところ「里で花を附けさせるには、途中、二度ほど植え替えて標高を下げて順応させるといいます」と、ご近所の古老に教わって諦めかけ、昨年になってついに偉大な花を附けてみせた。
改造された845アンプを聴こうと、スピーカーのまえにピタリと座った音に集中する姿は剣豪のように一分の隙もないそのS氏、ジャズからクラシックまで黙ってきいておられたが、ふたたび春日大社のお告げのようなコメントが出されたので謹んで拝聴してみよう。
「高域の粒の立った音はやかましくなると、オーケストラにマイナスのようにこれまで思っていましたが、かえって生演奏のようなリアルな効果が出ると初めて知りました」音がよければあっさりそれを認める仙人の耳であった。
関が丘の哲人が届けてくださった佐久間先生の著書「直熱管アンプ放浪記」に、至高の300Bアンプのまだその先に845球アンプという富士の高みの存在があると設計の体験が綴られていて興味深い。
満足そうな山谷S氏のお帰りを見送ったあとも考えたことだが、まだRCA製845球という未聴のアイテムもあって、これをプッシュプルでいずれ聴きたいものである。
ROYCEの場合、300B、845二機種を日をおいて聴き比べて、すべての表現力で300Bに845球が優っているとは聴こえない。どちらを選択するかいまだに結論がないのは迫市のSA氏が、最近300Bアンプをレストアした結果、あたらしい魅力が聴こえてきたので甲乙つけがたくなった。
九州の博士KU氏によれば「ウエスターンは300B球を継ぐ球として845球の製造を研究しましたが、所期の性能を得られずついに断念したときいています」と、300Bのほうに理があるもよう、と慎重な見解を当方に教えてくださったので、それ以上のことはプリアンプとのマッチングにもかかわってくるのかと思われる。

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志津川街道の旅3

2006年03月25日 | 訪問記
【前の続き】
次にご紹介をいただいたところは、HS氏と申されるアルテック・スピーカーを各種管球アンプで鳴らされている方であった。訪ねてみるとお仕事の真っ最中であったが、突然の来訪者にさして慌てる様子も見せず、仕事場からのっしのっしと入口前の陽溜まりに姿を現されると我々に一瞥をくれ「いま両手がふさがっているので、勝手に見ていくように」と、鷹揚に申される。もちろんSS氏が遠来の我々をもてなすため、すでに携帯電話でゴニョゴニョッと話をつけてくださっていたのだ。ありがたいことである。
小心の自分などは身を小さくして、SS氏を先頭にぬしのいないお宅に上がり込んだ。オーディオの絡んだこのさいである。目指す装置は、玄関の隣の部屋から入って階段を登り直進して左に曲がった最初の部屋にあった。廊下には大量の「MJ誌」が本棚に収まって有り、お話は伺えなかったが、口火を切れば相当マニアックな会話となるであろう。
廊下の先に大きな天体望遠鏡が宙を見ていた。或る時は牡牛座カニ星雲などを眺め、また或る時はジャズに無限の宇宙を聴いておられるのであろうか。
初めて障子戸を開くと、そこにどどんとあったのは845管をプッシュプルで使用した巨大なモノアンプである。それを見たK氏はオオッ...!と息を呑んで眼を輝かせておられる。
ウーム、正直言ってやはりプッシュプルは良い!見た目からして贅沢で麗しい、と周囲にシングル党の居ないのを幸い「トニー・ウィリアムス」の食い込み鋭いハイハットなど思い出しながら3人でひとしきりプッシュ礼賛を口々に唱える。そう、シングル党の傍でこのての話は禁物であることは申すまでもない。どのような反論の嵐となるか知れたものではないぞよ皆の衆、か。
背後のラックには、上から下までずらりと管球アンプがコレクションされてあり、ご本人から詳しいお話を伺えば、今夜は管球の明かりを枕に一泊しなければならないところで、これが志津川金鉱の露鉱床である。
スピーカーはアルテックの『9844』と思われるが、ホーンを下に台座に据えられてあった。『9844』スピーカーはスタジオなどで壁面にぴったり設置するモニター用に見かけるが、箱のサイズからうかがい知れない堂々とした纏まりの良い音で定評がある。HS氏のように堅牢な櫓に据えて鳴らされると、いかような福音を奏でるのかぜひ聴きたかったが、そのときぬしのいないスピーカーは、黙して語らず音無しのかまえであった。


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JBLオリンパスと4350

2006年03月24日 | オーディオショップ
駅前でブテックを経営の『P・BOX』さんは四国のお生まれだが、一方で原子力に纏わるさまざまな事象に学問的に関わる不思議な人だった。論文を貸してくださったので、その博識が記憶に残っている。
或る日のこと「建て替えのため大町のほうにしばらく店を移転しました」と言われたので立ち寄ってみると、そこは以前『BON』が在った場所である。はてなと思った。それでは『BON』はどこに?
さて、これまでタンノイには英国オースチン社のKT88をプッシュプルで使用されたアンプが良いとの評判で、目黒に住んでいた頃、日本フィルのビオラを奏する人から譲っていただいたその『TVA-1』を永いこと使っていた。
やっとのことで手に入れた当時人気絶頂のそのアンプ、それによって感動した音楽の数々をいまもたまに思い出す。
これからアンプを取りに伺いますとお宅に電話を入れたそのときのこと「お気持ちは解りますが、一人で運ぶのは止めておかれたほうがよいですよ」とビオラを奏する人は忠告された。そこで知人を同道すると、ワイングラスを片手に玄関に現れたビオラの人は「持つべきものは友ですね」とおっしゃって微笑まれたが、ステンレスシャーシの本当に重いアンプである。
「ちなみに今度はどういうアンプをお使いになるのですか」と尋ねると、部屋に通されて「それが、また同じアンプを購入してしまいました」とにっこり笑い、真新しい『TVA-1』を指さされたのには驚いたものだが、この、また同じものを購入したくなるアンプというものもあると、『TVA-1』を使ってそう気がつかされた、凄いアンプだ。
そこで止めておけばよかったのに、あるとき、もっと良い音にしようと輸入代理店に『TVA-1』を送った。コンデンサーと管球8本を全部交換して新品同様、マニアのサガで一段と良い音を期待したところが、戻ってきたそれは自分の耳に恐るべき寂しい音であった。見解の相違ではある。
良くないことは続く、真空管がある事情で壊れた。ハーマン・インターナショナルに電話すると「一関には取引先で『BON』さんがありますから、そちらに真空管を送りましょう、そこで受け取ってください」となった。
「P・BOX」さんのこんど移られたところに、このあいだまでたしかにその老舗『BON』はあったのだ。
年配の社長はゆったりとイスに掛けて「それでどんなスピーカーを使っているのです?」と、微笑んでおられる。
「そのスピーカーなら、一度聴きに行きたいですね。ふーん、ハーマンがウチを指定しましたか」と、ちょっと喜ばれて「12AX7球だと2本で3千円くらいかな」と言った。
そこで内ポケットに手を、と思ったそのとき、
「社長、違います」とレジの女性がゆっくり申されたのが残念だ。
「ほほう、ずいぶん高くなったものだねぇ」と『BON』の社長は気の毒そうな顔になった。
球の値段は音に反映するのだろうか、そこが知りたいといろいろ買い揃えて解ったことは、各社それぞれ特徴があって、どれも個性の違う音がする。したがって、今聴いているアンプの音もそれで終わりではなく、短慮は慎み、いろいろ差し替えてみればアッと驚くことになるであろう。
その夏は凄い颱風が来て、磐井川に水が溢れた。
『BON』の倉庫には、ダンボールのケースに仕舞われた『JBLオリンパス』が在ると、地元マニアのあいだでまことしやかなうわさがあるのは、ほんとうだろうか。
JBLオリンパスの音は、駒沢通りに近い『H商会』にセットされてあったものが良かった。
ここのマニアックな経営者は、2トラック38のオープンデッキを繋いで『オリンパス』をデモンストレーションし、この店でJBLに開眼する客も多かった。
その音を例えると、ちり紙をバチで叩いてもチーンと音がするのかと期待の湧くような、まず『タンノイ』とは対極の恐ろしい装置である。
ところがそのころ『オリンパス』と入れ替わるようにJBL社が発表したのが『4350』で、五反田の東京卸売センターでオーディオフェアが行われたとき聴くことができた。
十二畳でも狭いと思わせるこのスピーカー、音を聴こうとブースは黒山の人だかりで、鳴らしていたフラメンコギターの音が、自分の耳にはどうもガット弦ではなく金属の剛弦に聞こえるのだが聴衆を圧倒して轟く。まさに釘付け状態で、誰も動けなかった。
「会場の音量が基準値を越えましたので各ブースの方はボリュームを下げてください」と場内アナウンスが警告しているが、もともと静かな日本のブースは、さようでございますかとさらに大人しくするのに反して、轟音でアナウンスの聞こえないJBLのブースはびくともせず一人気を吐いていたのがじつに良かった。

☆たぶんうまくいかないであろうと思っていた。ゲートウエイのノートパソコンに光ケーブルを繋ぐことだが、ランカード認識とか、これまでも『牛』には手をやいた。暴れ牛を乗りこなそうと剛者のあつまるメーカー品だ。
出張設定で颯爽と登場したTu氏は、ところがじっくり腰を据えて、見るとハードデスクのデフラグなんかをやりだした。何時間もかかるのにである。少しも騒がず澄ましているが時間の無駄ではなく、これが決め手か?。時間超過は奉仕だそうで、夜十時を廻ってデフラグが終わると、全てがあっというまに完了した。これから盛岡まで帰るそうである。コーヒーを飲んでいただいて「シェリーマン」などを聴いて「言葉でどういうかわからないのですが、そこに演奏者が居るようですね」などと、一線で働く人は皆、人間が出来ている。
☆AK氏からめずらしく電話をいただいた。「スピーカーケーブルの容量計算をして、こんど最適のラインケーブルを選択する」とオソロシイことを申されるので当方はギャップを感じる。このあいだのジャズボーカルCDも、どこから取り寄せたのか?と思われる逸品ぞろいで、うっかり口をきけなかった。

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ジャズ喫茶 「T」

2006年03月23日 | 訪問記
三月のある日にふと思った。
桜の散る音はオーディオではどう聞こえるのか。
誰が風を見たでしょう、と童謡にも詠われていたが、よその装置では音楽がどのように表現されているのか聴いてみたいと思うものである。
このあいだもあるところで、エバンスがメロディをラファロに受け渡す一瞬の静寂のあとのフレーズにびっくりした。そこで家に帰っては、なにかをしてみるのがマニアのさがであるが、200Vから100Vに変圧するトランスを、とっておきのものに変えてみたら「ソーホワット」だって、それがどうしたのと言えない変わりようだ。チェインバースがブッビビン、ブビビンと盛んに背後から煽り、とうとうソロを取ってあのベースがのっしのっしと迫ってくるタンノイ特有の、あまりの格好良さにコーヒーカップを持ち上げる動作さえも空中で止まる。
だがここで格好いいだけのジャズに終わらせたくない。それがタンノイを鳴らすという事である。フレーズとフレーズの陰影が申し分なく聴こえると、どうしてこんなに嬉しいのであろうか、はたして夢まぼろしの音を求めて名人宅を尋ね歩く。そのオーディオ道に非常に感銘を受けたのが、これまで記録した方々の装置であった。

メンがわれていないというのは、とてもベンリだ。「T」は同業者であるところの先輩のジャズ喫茶で一関駅前の一等地に隠然たる勢力をめぐらすツウのための店である。友人に「ちょっと偵察して来い」と頼んだら、ヘビィスモーカーの彼は灰皿を出してもらえなかったと泣いて帰ってきた。やるな、なかなか。
次に常連さんを送り込んだら相手にされなかったと悄然と戻ってこられた。うーむ。この目で聴いてくるしかない「T」のジャズである。
昔、「八戸市のジャズはわたしが仕切っています」という旦那風のお客が夜にRoyceにみえたことがあった。和服を召されたマダムを同伴してこられて、さすがに会話もジャズである。こちらもそれに習って秘書を同伴してみたが、マスターはしきりにテーブルやイスを清掃しておりまだ店は開けないという。しかたなく大町界隈で時間をつぶしてから、再度のトライとなった。「T」のマスターはどこか迷惑そうでさえあったが、とにかく席に付かせてもらえてそれだけでほっとする。見ると驚いた。アルテックの大きなホーンのついたフロアースピーカーが一台堂々と中央の上席からあたりを睥睨している。ジャズはおいしい時代がほぼモノーラルレコードであるから、この一台モノラルという選択は正しいが、勇気がいる。アンプはと見るとうーむ、これは問題作である。
あきらかにコリコリの回路で、取り付いている部品がウエスターンの業務用アンプを思わせる渋い造りだった。
「これは、名のあるアンプでしょう」というと、知りあいに造ってもらったと、それだけで、何の薀蓄がきかれるわけでもないのは、わかるやつにはわかる、宗旨の違うやからはムダと思っているのだろうか。
ジャズボーカルが流れているので、マスターはコーヒーの豆を挽こうとしてややためらってからアンプのボリュームを静かに下げた。ボーカルは止まってかわりに豆を挽く音がブイーンと鳴った。「T」のマスターは、充分沸騰したお湯を糸のように細く豆の中央に注ぐ。
「なにか聴きますか」とリクエストをきかれて、今日はついてると思った。目の前にレコードジャケットが出されてカウンターのトップと縦横をきちっと合わせて置かれると、さながら一品の料理のように見える。ソウルトレーンを聴かねばならない。
「きょうは、タッド・ダメロンを聴きたい気分ですね」とヤボな注文をつけるとマスターはせっかく取り出した青と白に上下に割れたジャケットを棚に戻した。代わりにレコード棚から抜き出した凄い早さに唸る。古今の名演の在処はすべて頭に整理されているらしい。
後日わかったことであるが、MJ誌でおなじみあれが有名な館山「コンコルド」の当主の製作になる「佐久間アンプ」そのものであった。真空管プリメインアンプでボリュームつまみが中央に一個あるだけのいたってシンプルな外観がかえって気を引く。その隣のアンプもこれがワンセットでプリメインアンプとなっているそうであるから、世の中油断がならない。マスターはスピーカー一台で「レコードを聴く分にはこれで良い」と、迷える子羊に啓示をたれてくださった。
佐久間氏のセレクションを聴く機会はめったにないので、これがただの一台のスピーカーと思って聴くとえらいことになるのだが。
「T」の名前にゆかりのタル・ファーロウのレコードを、仙台の「バークリーレコード」さんにお願いしてやっと五枚集めていただいたので集中ヒアリングしてみたが、ウエスやバレルと違ったサウンドで、「いつもステーキを食べているからきょうはフレンチ料理」と友人に言ったら返事がなかったので見当違いか。どうも「T」のマスターのジャズは深い。


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高田市のロイヤル

2006年03月22日 | 徒然の記
TMR氏からロイヤルの写真が届いた。
『845プッシュプルアンプ』もエージング中とのことで、このままゆけば残るは「マランツ#7」と「オルトフォンSPU」である。
たぶんTMR氏はROYCEよりさらに上等の、昔、夢に見み聴いた音を響かせようと、違った組み合わせになるのかもしれない。木の香りと響きが「ウエストミンスター・ロイヤル」の佇まいに調和して、早くも写真の中で音楽は轟いていた。
ロイヤルのハカマの下にプラスチックのキャスターが付いている。取り外す前に音を出してロイヤルを移動させ、響きと音像の兼ね合いを決めるわけだが、低音の量感を増すには奥へ、抜けをよくするには前に出す。響きすぎるときはカーペットやタペストリーやソフアで。吸音すれば定位は良くなり、音は痩せる。なお、ロールオフとエナジーに触ると音はタンノイでなくなってしまう、といわれる迷信は、本当である?

☆夕刻定休日の静けさを破って電話が鳴った。北上市から、これから高速で駆けつけると申される奈良県の2人組。ジャズに堪能、管球アンプ自作派の、勤務忙中閑有り忍び旅で。
☆O貿易のK氏が再び登場し、きょうのガソリンは6274円だとおしえてくれたが、何のことか解らずお役にたてなかった。家を間違われた。
☆日報新聞が裏玄関に現れ、大変良い新聞だと力説された。
☆その後女性が電話の耳元で「KDDIにしなさい」と、非常に元気な一関も暮れなずむ。

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ウエストミンスターの客【2】

2006年03月21日 | 徒然の記
四谷の紳士は、ご婦人と秋田の観光地を廻られていて、いましがた一関に到着されたのである。
なんでも、区画整理に屋敷がさわって、三つ有るオーディオルームのうち二つを壊さなくてはならなくなったそうな。するとこの写真の部屋も見納めであろうか。
『タンノイ・コーネッタ』のことに話はおよんで、『ⅢLZ』のユニットを抜いてコーネッタの箱に納めるプランをお話くださった。次回はその写真をぜひ見せていただきたいものだ。
ソプラノ歌手のご婦人がカウンターに回られて「主人の燗をつけて飲むお酒を選んでください」と申され、天下の銘酒「関山と磐乃井」を包装したが、縁なしメガネがとても似合っていた。

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オルトフォンRF-297アーム

2006年03月20日 | 徒然の記
人の五感は、六感ほどあてにならないところが良い。
針圧3.5gのSPUをひゅっと掬うと、日によって2グラムと感じたり4グラムに感じたり、あれっと我が人指し指を疑って、計りなおしてみる。
「RF-297オルトフォン・ロングアーム」はSPU-A専用でスリットが下に切ってあるが、四角形のシェルが「RF-297」にホールドされて、黒い円盤の上をゆっくりトレースしてゆくところは芸術だ。
だが、ロングアームを載せるプレーヤーは大きく場所をとるのが難儀である。音楽データがメモリーカードに収まる時代に、アナクロニズムではなかろうか。そうアナログニズムだ。
「クール・ストラッティン」のジャケットを裏返して読んでいると、SPU-Aが黒い盤上をイナバウアーに滑ってチェインバースをブビンと溝からいま掘り起こしているのが見えてほれぼれする。鳴駒屋!音羽屋!の字面を見ると、SPUのためにある言葉ではは。
その「RF-297」の針圧を加えるスプリングがあまりに堅く、レコード盤に針が突き刺さるようでいたましい。そこで一度、ドイで購入した柔らかなスプリングと交換したことが有る。同じ3.5グラムでも音はガタッと悪くなった。このスプリングはぜひとも硬い方が良い。敷延すると、引力で加圧するスタティックバランスの「SME-3012」はSPUのときには音溝に跳ね上げられてエネルギーが減弱しているのか。
そんなことを気にせず、音楽を楽しもう。
「わたしの耳は貝の殻..」と言ったが、音を捉える人の耳形はさまざまだ。横に張り出した耳の人は、そうとう高域特性が敏感そうだ。だが、そんなことを気にせず、音楽を楽しむ。

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ウエストミンスターの客

2006年03月19日 | 徒然の記
穏やかな陽ざしの或る初夏のこと、その静かな紳士はRoyceに登場されると、窓辺のテーブルに席を取って紫煙をくゆらしながらしばらくタンノイに耳を傾けていた。コーヒーをテーブルに届けると「この音は、出ませんね」と笑顔で申され、ジャズを聴く人でタンノイが解る人はめずらしかったので憶えている。
「球は故障のさい不自由ですから」と安定度の良いトランジスタアンプによって『タンノイ・ウエストミンスター』をご自宅で楽しんでおられるそうであった。
その昔、ラックスの銘器『SQ38FD』で『タンノイ・ヨーク』を鳴らしていた頃、劇場に足を運んだヒチコックの映画で、ショーン・コネリーが螺旋階段を降りてくるクライマックスに、突然ベートーヴェンの3番が強烈な総奏で鳴り響いて、その時38FDの性能の限界を一瞬にして知らされた。映画館ではベートーヴェンが深い地鳴りを伴って交響曲の猛々しい新境地を見せていた。
知人がウィーンフィルの演奏法について、第一バイオリンの7丁の弦が全員同じ音を出しているのではなく僅かに音程をずらしてハーモニーに厚みをもたせていると申していたが、そういう微妙な弦の音色を描き分ける38FDといえども、コントラバスのブルンブルンという腹の底に届いてくる低音は聴けない。
オーケストラの3管編成75人の楽器をジャズトリオなみにきちんと精密再生しようとすれば、『スペンドール』を5セット用意しマルチ・トラックで一斉に鳴らすところを想像し、ジャズ装置とつりあったクラシック用オーディオ装置が見えるであろうか。このようにリスナーがオーケストラをジャズ的に彷彿とさせようとすると部屋の広さと装置の大掛かりが仇である。ROYCEでは、75人のオーケストラを相手に『ロイヤル』1セットとつつましかった。
あるとき、BACHの「ブランデンブルク六番」を聴いた。佳境にさしかかったベルリンフィルのコントラバスのユニゾンが、ブルンブルンと六丁、松ヤニの粉を飛ばして入り乱れ、弦の揺れているのがあたかも見えるようにジャズを感じたとき、メロディの美しさもよろしい、パートをきわだたせた林立する音像のリアリティにはっと驚いて刮目した。
6人の世界的であるがジャズのようには名のらない禅僧のようなベーシスト達が、どうだとばかり24本の弦を高鳴らせ、少しだけ個人を露にするとまた何ごとも無かったように戻って行った。
四谷からお見えになった紳士に、こんど装置の写真を見せてくださいとお願いしたことを憶えていてくださって、この夏「これが現在の装置です」と3枚の写真を見せてくださった。
それは三つの部屋に三様のオーディオ装置がセットされて、聴き取る音楽にふさわしい部屋に移動するという、並外れた真理の希求への情熱が写っている。以前は所有されていなかった管球アンプが何台も写って、『マランツ#7プリアンプ』の雄姿も有る。カートリッジは『オルトフォンSPU』という完璧さであった。
このような方達が、西に東にブンブン飛び回っている日本で、ジャズの不思議な縁を思い、しばらく写真をながめて飽きることがなかった。

☆ダンボール2箱ジャズの名盤を車に載せて転勤の準備と申されていたお客。『リンホフ・テヒニカ』を触らせてくださって、撮影行脚の話がすばらしい。三脚はフランスの元機関銃座用のアレですが。山里の廃家を、光のうつろいにまかせて何時間も雪の上で撮った写真をぜひ見せていただきたい。

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ジェットストリーム

2006年03月18日 | オーディオショップ
炎天の青空に金魚売りの乾いた声が吸い込まれていった記憶は『JBLのオリンパス』。酢醤油でヒリヒリしたところてんを飲み込んだ縁台の記憶は『アルテックのA7』。
『タンノイⅢLZ』を購入した秋葉原のS無線の二階に上がると、そこは50畳はありそうなブルーのカーペットの敷かれた仄暗い柱のない試聴室に、びっしりと3段に並べられたスピーカーがオーケストラのような圧倒的な光景で並んでいる。このスピーカーが独立したチャンネルで一斉に音を出していればオーケストラと変わらない凄い音が聞こえたことであろう。
右手の棚には一世風靡のアンプがずらりと並んで、備えつけた用紙に①SPU②ラックス38FD③タンノイオートグラフ④クラシックと書いて白シャツの係員に渡す。男はランプの明かりにメモを見て、お客のリクエスト順に淡々とそれをこなしてゆく。
係員は、すでに鳴る音は承知していてオーディオの何かを悟っていたかもしれないが、説明を発するでもなく、しばらく順番を待って、次々と鳴らされてゆく装置と組み合わせの音を聴くのであった。
全国から詰めかけている客の中に、メーカーの社員とおぼしき仲間と連れだってヒソヒソとライバル会社の音についてコメントが交わされるものだから、興味深く聞き耳を立ててしまう。
部屋の一番奥の左と右にだいぶ離れて鎮座していたのが『タンノイ・オートグラフ』という複雑なホーンエンクロージャー構造で他を圧倒していた英国のスピーカーで、はたしてあんなに離れて右と左にあっては音像がつながるものか訝ったが、突然鳴り出した其の音は、タンノイの片鱗をのぞかせてはいたものの、やはりどこかおかしく、この程度であろうはずがないと聴こえる。
しかし、周囲の人が不平や落胆を気配にもみせず粛として聴き入っていたのは、五味康佑という審美の巨魁がすでに決定的な折り紙を付けて疑いの差し挟む余地がなかったことと、変であるとはいえども普通聴くことのできるどのような音像よりも、非常に並外れていたその音であった。
店側も、調整不十分と承知し堂々と鳴らし、まったく問題にしていなかったふしがある。
『オートグラフ』や『ハーツフィールド』は、其処にあるだけでありがたい別格の存在で、購入した人が趣味に合わせて部屋を造り、ドライブアンプを取りそろえ音を調整し、無限の可能性に挑戦する素材である。
『オートグラフ』の片鱗を味わうことができる、小型で廉価の求めやすい『タンノイⅢLZ』は、それでも月給数ヶ月分というバチ当たりの手当てに奔走し、とうとう或る土曜の夕刻住まいに届けられたときのことは忘れ難い。其の夜聴いたFM東海の深夜番組「ジェットストリーム」の甘露の音が、城達也のナレーションにのって昨日のことのようによみがえる。

遠い地平線が消えて、
ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、
たゆみない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただく、はてしない光の海を
ゆたかに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる、
夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょう。
光と影の境に消えていった、はるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります……
これからのひととき、月曜から金曜までの毎晩、
日本航空があなたにお送りする音楽の定期便
ジェットストリーム…

☆お客の運転してきたアーリーアメリカン調のワインレッドの車に見とれた。

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無音

2006年03月17日 | 徒然の記
むかし、有楽町の日中書道交流展をのぞいたとき、選抜された書家の能書が壁にそってズラリと並んで見事であったが、そのなかの或る一枚に大勢の人だかりがして、どれどれと物見高く吸い寄せられていった。驚くなかれ6尺ばかりの大きな半紙に、これはどうしたことか中央に点が一つ打ってあるだけの、宿題をやってこなかった小学生のような白い半紙がぶらさがって、朱印ばかりが鮮やかに隅をかざっていた。
白い半紙に打たれたひとつの『点』の書としての意味は、禅の境地か、冗談か、意表を突いた問いに人だかりのめいめいは息を呑んで、緊張したりこっそり笑ったり、どこか節穴から見られてこちらが試されている体でもあるが、会場の格式は静かな秩序を保たせて乱さなかった。
一人の婦人が困惑している仲間の前に立ち口火を切って「これはね、先生が朝起きて、墨を摩って筆を構えたが、さーて・・・書こうかなどうしようかなぁと、きょうも過ぎましたという、『点』よ」
筆にたっぷり墨を含ませて、虚空に筆を止めて静止したままの時間、白い半紙は待っている。顔真卿、温泉銘いかようにも能書を描ける無限の可能性をいまかと待つ半紙に、対峙した人がこの『空間』にありったけの創作力を働かせる番だ。
電源を入れて、静かに呼吸するタンノイにも、音のない音楽がある。

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葛飾のO氏【1】

2006年03月16日 | 訪問記
葛飾のO氏がオーディオ装置を一新されたことは風の噂にきこえていたが、その写真にアッと釘付けとなった。新しく導入されたスピーカーがイタリア製であると知って、愕然とした。そこにタンノイの姿は無い。
O氏といえば、北は北海道から南は宮古島まで三十を超えるオーディオ愛好家の「歌枕」を探方され、上杉邸でタンノイを聴いた経験の深いタンノイフアンだが、Royce設計のとき貴重な石井音響理論の資料を見せてくださった、大変お世話になった方だ。
これまでタンノイ一筋の人に何が起こったか、新しく選ばれたイタリアのスピーカーなる逸物を聴くしかないと決意した。
千葉の大先生にいきさつをお話しすると「おもしろい、ご一緒しましょう」と申されてスケジュールを空けてくださった。
葛飾駅前のロータリーは夕暮れ時の人と車でごったがえしていた。
雑踏を歩きながら、田舎と違い久しぶりに大群衆の中に身を置く体験に、妙な戸惑いをおぼえる。
一関のメインストレートは100メートル離れてもバレバレだが、ここは3メートルも離れると知人とすれ違ってもわからない人混みの具合がよい。
帰郷したばかりの或る時、一関の公会堂の道を大町に抜けようと曲がると、ちょうどそこに見るからにハイカラな空色のオープンカーが走ってくるのが見えた。おやおや一関にも妙な車を乗り回すキザな男が!眼のやり場に困ったが、あいにく路上に人っ子一人いないそれが田舎というものか。
木漏れ陽の射す白い路をあっというまに車は接近していやな予感がしたところ、あろうことかそこで車はスピードを落とし、どうだといわんばかりに通り過ぎた気分の太さに憮然としたが、まてよ?どこかで見た顔である。
それが川向うのジャズ喫茶のSなる人物で、旺盛なサービス精神というべき、見知らぬ当方に合図してくれた珍妙な光景を思い出す。
さてO氏と待ち合わせた薬局の前に、間もなく同好のY氏もお見えになった。
最近コンクリートのオーディオルームを新築されたY氏の美意識は当方充分承知、いずれ探訪させていただきたいものだ。
一年ぶりにお会いしたO氏はスーツの上着の下にストライプのネクタイをタイバーで止める一種礼装で、Y氏はなにか小声でひじを突いたが、三島由紀夫が初対面の映画俳優のズボンの折り返しを印象的に褒めていたことを思い出した。
(続く)

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