ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

映画館

2013年06月01日 | 亀甲占い
当方が大町に住んでいた頃、150メートル離れたところに裕次郎や小林旭の出ずっぱり映画館があった。
かりに京都の地図でその住家を四条烏丸にあてると、映画館は四条大宮である。
良く見た映画館は、京都駅から少しさがった東寺のあたりで、シェーンのラストでズドーンという拳銃が凄く良い音の、星座名の館である。
磐井川を桂川に見立てると、西院の付近に三軒、そうそうたる映画館が有り、西京極にも時代劇専門の映画館があった。
このように、以前は六軒の映画館があったが、テレビが普及し、誰も自宅で小さな画面で映画を見るようになったので、少なからず本物は閉館されてしまった。
オーディオも、いまでは耳にイヤホンを差し込んで、一般的に聴いているのは知っている。
油断のならないのはこのような時代の流れである。
以前お客が、一関にもうひとつ西五条大路あたりにも映画館があった、と話してくださった。
「製糸工場で働いていた女工さんが大挙して押し寄せる映画館で、蚕の匂いでいっぱいだったね」
レコードを聴くのに、そういえばプレーヤーと針が必要だが、先日会報を配布する御仁のお話はこうである。
「チゴイネルワイゼンを聴こうと昔のプレーヤを押入れから出しソニーの針を取り寄せたら、一万両でした」
そうこうしているとジーンズでショーを仕切っているBS番組の良く似たご婦人が「ここは何のお店か」と申されている。
針を使ってレコードを聴く店ですがな。

目にかかる 時やことさら 五月富士





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二本松

2013年05月09日 | 亀甲占い
箱庭の一部改修を終え休憩しているとき、入ってきたのは融通無碍の御仁である。
しばらく見かけなかったが、腰だめに話してくるあいかわらずのサードギヤが決まっている。
これをどうぞ、と差し出された紙に、原稿用紙いっぱいの地図のような記号と、流暢なサインが有った。
彼が、だいぶ以前に訪問した川向こうで、なにかの紹介状をしたためてもらったことは聞いたが、真贋まぎれもない書そのものであるという。
――ほほう、どれどれ。
見ると、字の太さ、インクの色、大文字のBの崩しかたなど、増田孝氏ほど権威ではないが、真蹟とみてよい。さては丸テーブルの原稿用紙の上に2本並んでいるうちの、右のモンブランを用いたようであるが。
――あの訪問からしばらくたちましたが、その後JBLの様子は?
「先日、二人の女性を伴ってジャズと珈琲を楽しみに行きました」
――ふむ、それで
「ちょっと用事で席を空け、戻ったら二人の女性の姿は無かったのですヨ!」
――*?
「奥を見ると二人は丸テーブルに座して、マスターと話しているではないですか」
通常、それをなんというのか。
「わたしは、しかたなく一人でジャズを聴きました」
物理現象では単なる空間移動だが、心理学では次の解釈をしたい。
――おそらくあなたに箔を付けようと、歓迎役をなさったということです。
「はあ」

あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒





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G線上に亀甲占い

2011年11月12日 | 亀甲占い
ヴァイオリンのG線は、眼下の湾曲した胴から象牙の駒のうえを張って、遠くフレットの先の糸巻くかなたにキリリと伸びている。
バッハがG線上のアリアを作曲した1720年は、ケーテン公のための業務上の納品作曲にいそしむ日々であり、それを当方もお相伴にあづかって、ソフィアゾリステンのゆっくりと堂々とした演奏で楽しんでいるのであったが、バッハの原曲を1871年に何者かがG線だけで演奏できるように音符を独奏曲に仕立てているという。
G線とは、4本のうちの下に張られた低い線であるが、ヴァイオリニストは本番では適宜ほかの弦も使って、音楽性を保っているらしい。
そこに、「こんにちは」と明るく入ってきたのは、半径50キロ圏にめずらしい髪の長い女性で、音楽をなんでも聴きます、と明るく言っている。
その形容しがたい容姿に、突然にふと二十代の頃、聖心○○大の学園祭の最中に用事があって訪問した某日の記憶が蘇った。
武家屋敷の門をこえたところに、その髪の長い女性はいたのである。
いまは別人のそれはともかく、タンノイを何曲か聴いたころその記憶を話すと、年齢が釣り合わない彼女はちょっとこちらをにらんでいたが、4歳からバイオリンを修得してきた才女で趣味のオーケストラに参加することや、周囲の楽器が一斉に鳴り出すサウンドの強烈な洪水のことを、瞳を啓いて話している。
数日前にROYCEに登場したカナダ人のジャズボーカリストの横顔が、トニー・ベネットにそっくりであったことを話すと、彼女はご自分の記憶の回路をけんめいに検索してくださった。






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優駿

2010年04月01日 | 亀甲占い
春の便りが届いた。

万年筆の具合と絵柄に、優駿公園の桜の香りがする。

万馬券のほほえみを握りしめて、一着といわず大名行列で乗り入れたいものである。




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クリスマス・イヴの客

2009年12月24日 | 亀甲占い
店が寒いので断ろうとする当方の気配を遮るように、電話のむこうの女性は、「ぜひ!」と言っている。
クリスマス・イヴに一人で現れて、ピンク色のブーツの紐をほどくと、名古屋近郊のふるさとのことを、海と山に近い雪の降るところで寒さには慣れているそうである。
タンノイ・スピーカーの並ぶ部屋の景色を喜んでしばらく耳を傾けたN嬢であるが、ジャズにそうとう溺れているのかそれとも、いっとき流行った亀甲占いであろうか?
「ジャズ・ピアノを少々やります」とあくまで控えめにつぶやくと、自分の始まりは世良ユズルとラムゼイ・ルイスに惹かれ、喫茶『いーぐる』も『キャンディ』も『メグ』も知っており、鳴っているレコードのジャケットを裏返しワルター・ノリスの名前を見ると、あぁ一緒にやったことがあるとつぶやいた。
Monteroseの『STRAiGHT AHEAD』をすごい良い音だと喜んでいたが、どうにも不思議な音がするらしく、パーカーと、マイルスと、ロリンズとコルトレーンを聴きたいと言っている。
そういうことをめんどうに思った当方は、特別にバックヤードに招いて、好きなものを選ぶようにいうと、ハンプトン・ホースのワニのジャケットをなつかしそうに笑いしばらく何事か思い出していたようだが、彼女はふるさとに帰るとき持っていたレコードを処分したのである。
5杯目の珈琲を注文しようとするN嬢に言った。
――うちは同じ人に二杯以上出さないので、四杯呑んだのはあなたが初めてだが、ところで、現在のあなたに自分の行動を制約しているなにか、が有る?
彼女はいささか真剣な表情になってしばらく考えていたが、もしそういうものがあれば、この時期、ここに一人で居るはずはない、とのお言葉である。
それは、喜ぶべきかそうでないのか、世界の謎であるが。
今回の一人旅は、所用のついでがあったそうで、一関に来ることを友達にいうと周囲は「うらやましい」と言ったらしい。
タンノイで鳴るチャーリー・パーカーを、まったく想像もしなかった別人と言い、ロリンズ、マイルスと聴き進むうち、「いままで知っている音とは違うが、たぶん低音の不安定さの効果がとてもおもしろい」と遊んでいたN嬢は、やがてイヴの夜の街に一歩踏み出しながら言った。
「なにか、キツネにつままれたようです」






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作業場

2007年03月10日 | 亀甲占い
『トリストラム・シャンディの生涯と意見』(ローレンス・スターン)とはまいらないが、ここでタンノイをめぐるよしなし事を綴っています。


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スウィングル・シンガース45盤

2006年10月21日 | 亀甲占い
ネズミ・ドンドルは、夕暮れに激しく火花を吹き出して回転し、子供たちは悲鳴を上げて逃げ回る。
佐竹藩の方角から、めずらしく友人を伴って現れたJP氏。
「おーっ、ジャズよりもオレはこっちのほうが....と書棚の前に立つと蔵書の背を眺め動かないのは、四角い枠から少しはみだしたジャジーな風貌の人物。ソナス・ファベール社のスピーカーを愛用とのことで、クラシックも聴かれるのであろうか。
ところでこの日、あのY嬢が「こんにちは」と高原でフグを養殖するという事業家と登場し、たまたま居合わせた5人の客がすべて『A型血』とわかるといっきに彼女のジャズ・ボーカルも高揚した。
Y嬢は、これまで4人の男性を連れてきたが、そのくらいにしておきなさい、と言うより先に携帯電話のメモリーバンクが500をだいぶ越えたと、楚々とした笑顔を浮かべ報告があった。
3年前に5つ年下の輩に騙されたのが、いまでもくやしい、と相当ネツを上げた様子が本人には深刻であるぶん、皆で大笑いとなった。
『ジャコ・パストリアス』を気に入るJP氏であるが『スイングル・シンガーズ』が等身大で鳴り出すと「あー!俺の好きな...」と身をよじったのが意外である。人間、良いものは良いのか...。

☆1962年パリで「ダブル・シックス・オブ・パリスLes Double Six」というジャズコーラスのメンバーだったアメリカ生まれのミュージシャン、ウォード・スウィングルが、ジャズのスキャットを用いてバッハの曲を演奏するというアイディアを実現するために結成した8人編成のヴォーカル・グループが、「Les Swingle Singers」
スウィングル・シンガーズは、懲りもせずいろいろ蒐めてみたが、45回転盤を一度聴くと他はまったく聴く気になれないことが解った。圧倒的ボーカル音像を引締めるシンバルの冴え渡ったスイングが聴きどころ。


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亀甲占い

2006年09月15日 | 亀甲占い
これは亀甲占いか、妙齢の女性が登場。
「父親のオーディオ装置をいじっていたらドン!と音がしてそれっきり、お蔵入りになりました」
ホルンを吹かれるそうであるが、手短にタンノイを楽しんでいただきました。

☆写真はスコット・ラファロのベース

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GYブルース3

2006年02月11日 | 亀甲占い
昼下がり、やってきたクマさんにY嬢のことを話したら「ジャッキーマクリーン」はそっちのけで、イスに斜めに座ってこちらを向くと、ぜひ自分も温泉に、約束ですよ一緒に。と大喜びに帰っていったが、そのとき、決して最後までいっては粋になりません、と最後まで逝くことに何事かこだわって気を回すのが妙である。
クマさんやG君と一緒に宴会するのもおよそ誰も思いつかない組み合わせで、これはそうとうな快挙かもしれない。宝くじでも当たったらぜひ実現させたい。
ところでどうなっているのか、今日夕刻、話題のY嬢が牧場主と登場した。ホルスタインK氏は芸能プロダクションも兼業されているフランクな人で、「マヘリア・ジャクソン」のような女性が好みという。Y嬢は知り合いの詩人の作品をわざわざ持ってきてくれたのでBookを開くと、現実をぶっきらぼうに切り取る岩のような言葉が、「山頭火」のようなイメージで激しく、あるいは溜息のように書かれてあった。
Y嬢はジャズシーンで探せば「ビリー・ホリディ」のジャケットが近いといっては正確ではないが。
尋ねてもいないのに「わたし、Fカップ」だと言い、はは、有馬記念の優勝カップ?「その優勝カップ、見たいね」と言うとK氏は自分の立場をわきまえてます、とでもいうようにちょんとY嬢の腕に触り「じつは、マネージャーは絶対商品に手を出しません」とたずねてもいないことをニッコリ言った。
最近、混みいった事情があるらしく緊張してジャジーに弾けないのがまた違った一面であるが、言葉のマジックが独り歩きしているのかもしれない。

☆先日夕刻一人でお見えになった恰幅の良い紳士について過去の記憶をたどっていたが、たぶん『マルサリス・ライブ』の時、丸テーブルに座っていた一人ではないか。



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GYブルース2

2006年02月08日 | 亀甲占い

マクリーンのサクスがそらぞらしく鳴る午後のひとときも、またジャズだ。
Y嬢の土産のバームクーヘンを摘みながら、世の成り行きに困惑は隠せない。
それは数日前のことであったが、なんと、彼女も負けずに仲間の女性を連れて白昼堂々とROYCEにやってきたのである。
「こんにちは」と言って創る笑顔は、あらゆる前提を溶解させる魔力を秘めて手強い。人をそう疑うものではないと、いにしえの教えにあるけれど。
あの女将の様子から、どうやら当方の電撃訪問を警戒したであろう事は想像に堅くない。
「Yちゃん、知らなかったの?」連れの女性も気を利かせて、当方のかわりに尋ねると「ウン、東京に行っていて家に帰ってなかったから...」Y嬢は、知らなかったこととしたいらしかった。
自分の魅力につられて当方が追いかけてきたか、それとも何かを調べに来たのか、文句を言いに来たのか考えた事だろうけれど、混み入った事情は、わかるまい。
連れのG君に関心を示し、こんどG君も一緒に温泉に...とフランクな提案があったのにはすこし泣けて笑った。そのうえ、同伴の女性の魅力をそれとなくうったえて、はたして当方の趣味?が、誰でも良いのか、自分の魅力が本物か、さりげなく束ねた髪の縁をマッキントッシュの金文字のごとく縁取って、答えを待っている。今年の川柳の入賞作は「疑えばきりがない世に住んでいる」である。
するとその時、同伴の女性の携帯電話が鳴って「Yちゃんごめんね。Yちゃん御免ね」と繰り返しつつ御二人はお帰りになったのでありました。


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GYブルース

2006年02月01日 | 亀甲占い
GYブルース

ホイジンガによれば、中世末期の文化の基調とは一種の夢と遊びであった。
とはいえ、ホイジンガもROYCEのような経験をすれば、そうとばかりも言っていられなかったかもしれない。
空を覆っていた寒気団が少し緩んだ年明けの定休日、ROYCEの前に車が停まった。めずらしいG君が登場したので招き入れてジャズを聴いた。
正午を迎える前、時計の針を見ていてふと思いついたことがあり、長距離ドライブに車を出してくれるかたずねると、彼は快く了承した。国道を南下しながら、これは北上川を見るためのドライブだから、と言うと「ハイハイ」と、うるさいことは尋ねなかった。
さっそくルート342を快調にしばらく行くうち、G君は「ああ、わかりました」と言った。エエッ、どうして?何が解ったのかたずねると、この道路は以前仕事で何度か通ったそうである。G君がワンボックスカーを購入し、ピカピカの車体をROYCEに横付けした日をいまも憶えているが、あれから数年をへて、だいぶ活躍した車は、少々くたびれつつある。ところが、カーステレオのジャズの音は別物だった。
「車内をシールドしたり音響にはだいぶ手を入れました」まんざらでもない笑顔をうかべると、カウントベイシーとデュークエリントンの名盤「ファーストタイム」を取り出した。
「これが手に入るとは思いませんでした」とショップでの運命の出会いを詳細に開陳しながらサイドボックスを開いてマイフェイバリットCDを何枚も見せてくれたが、そのとき車内に充満したコンポの絶妙なスイングに、彼はふーっとため息をついて、破顔した。
周囲の景色は背後にゆっくり流れ、穏やかなハンドル捌きの車は時速60キロでしばらく走って、とうとう冬の北上川に到達した。川面は淋しい空色で、芭蕉も万葉調で一句詠む間もなく、突然大きな橋が目の前に現れて、道は大きく曲がっていた。
今さらに何をか思はむ梓弓 
駒駈けて立つ北上の岸
どうやら道を間違えてしまい、白い雪の上でうろうろしていた農家の人を見つけ車を降りて追いかけると、オヤジさんは土蔵の向こうに隠れたが、立ち去るでもなくこちらが近づいてくるのを待っていた。これが能舞台なら太郎冠者のたたら踏みの場だ。
「栞」という料亭の場所を尋ねると太郎冠者は「まだだいぶあるが、あの橋をわたって川の向こうだから」と遠くを見やりながら「あそこはむかし旅館だったので行ったことが有るけど、何の用事ですか」と、まけずに尋ねてくる。二郎冠者はそれには答えず自分だけ聞いておいて、橋懸りをさっさと車に戻って申しわけない。
平泉にも能楽堂があって、帰郷したころ丁度ウイーンフィルの室内楽アンサンブルがコンサートを聴かせるというので聴きに行ったことがある。人込みをかきわけると目の前にコンタックスカメラがニュッと現れて道を塞いだので、視線を人物に移してよくみると、それは川向うの「ジャズ喫茶B」の主人とそっくりの人だった。
能楽堂は音響的に、タンノイバックロードホーンのような構造と違い、ジャズ的にストレートでふくよかさがたりない。だが床の下には、大きな壺甕が幾つも埋め込まれてあって、太郎冠者が床をトンと踏めばその壺に音が反響するようなバックロードホーンになっているそうだ。仙台からROYCEにお見えになった釣鐘制作者とその話しになったとき、寺によっては、音の響きを増すために釣鐘の下の地面に大きな壺を埋めるそうである。
そうした音響の機微を賞味するのは、耳ではなく人の心ではないか。KG氏から届いた本「唯脳論」では、こころは構造ではなく機能だとあったが、これらの能楽堂やタンノイやROYCEを分解しても、機能のままでは、そこに音楽はない。
そこで、これが音楽の始めと終わりかと思われたROYCEの最近のある現象を思い出す。
昨年の10月、懇意のSS氏が2年ぶりにお見えになったとき、2人の女性を連れてめずらしい土産話をたくさん聞かせてくださった。それは聴いたことのない話の連続で、JBLとタンノイの競演のようなもので笑った。
それからややあって、正月6日に一人でやってきたY嬢がその時の人であるとわかったが、ROYCEに女性が一人で現れるときは、亀甲占いを待つまでもなく凶である。
以前ROYCEに出現した女性のときも、雇い主が堅くなって恐る恐る来店し、当方のご機嫌を様子うかがいに来るほどであったので、気付かないふりをすると何者のアイデアか、またしても、その「くノ一」を送り込んできたものだ。
動物は、副交感神経で会話しているというのはほんとうらしく、メッキは剥げ2回でホストの役は終わった。
このたび「あなたはわたしの好みだ」と言い放って颯爽と登場したちょこざいなY嬢のことは、統計的にいっても怪しい出現ではあるが、見栄え良く含蓄のある会話がおもしろいのでしばし拝聴させていただいた。
押したり引いたり、なんとかこちらを動かして、解らないことは本を読んで調べようとする努力家であると自分を言い、コンパニオンとして、黒のスーツで会社の重要な契約の場を無言でサポートしたり、布団の上でも、どのような演技でも、場に合わせて振る舞うことが出来ますと、いっきにオクターブ音符を跳ね上げて豪語するではないか。ジャズのボリュームを下げて続きを聞く。
和服でも、チャイナドレスでも、お好みの服装で、いろいろ持っています。海外旅行でも大丈夫というプロフェッショナル?であると申されて、Y嬢のわかりやすいボギャブラリーに当惑しつつ、女学生が卒業式の送辞を読むような楚々とした表情も見せ、能楽鑑賞以上の民族芸能があった。
「どこか行きたいところあります?温泉はどこがお好き」Y嬢は、旅行や温泉が好きらしい。二万円くらいだから自分が出しても良いという。ふーむ、挑発している。
会話の間に、早くに亡くなったという父親の思い出と子供時代のドラマチックな出来事を織り成し、その人生の絵巻物が目に浮かぶようなリアリティに、チャックウエインのフライミートウザムーンがタンノイから流れて、オクターブスイングもいよいよ佳境だ。
異性との交際について、父の教えを金科玉条のように「オンナは、亭主が求めたら、いつでも断らないで応じなさい」とか、本気でそう思っているのか、首をかしげるようなものもあるが、聞けば抱腹絶倒。どうやら理想のタイプが、早くになくなった強烈な個性の父親なのだろうか。
「男性は、どうせ生まれつき何人の異性とも平気で遊べるのでしょう、父がそう言っていたわ」と、ソロボーカルで催眠術をかけてくる。
45度の角度から見るY嬢は、あの有名なビリーホリディのジャケットに似た個性的なマスクを日本的お嬢様ふうにして、「SSさんに、何度も頼んだのにここに連れてこようとしなかったのは、やっぱり焼いて、二人を会わせるのを警戒したからなのね」と、澄ました声で、いかにも一筋の運命をたどるような、Y嬢自作のアドリブジャズボーカルが、タンノイから流れるジャズにあわせて快い。
だが、時あたかも前日のテレビ新聞が、この後の当方の運命を警告するかのように、仕掛けにはまった中国外交官の事件をニュース報道していたではないか。
「そうと決めつけず、だまされて聴いていれば良いじゃないの、コルトレーンだと思って堅いことを言わずに」と無言で揶揄されれば返す言葉もないジャズ喫茶だから、やはりどこの先人のジャズ喫茶も会話厳禁にしてしまって、店が正しい機能を果たすようにされたのであろう。
「ところで、だれか結婚したい相手でもいるの?」と、集中攻撃をかろうじて牽制すると、特定の人物を思い浮かべているらしく少し動揺し、自分でそれは無理と決めているふしがある。
Y嬢はビールが飲みたいといって、当方にも勧めるが、それは遠慮してリンゴとナイフを彼女に渡して皮を剥いてもらった。
「ジャズがガンガン鳴っていたら1時間ぐらいで帰ろうと思ったけど、」と、Y嬢はスピーカーの上の時計を見るといつのまにか針は午前二時を廻っていた。
理屈はどうあれ、隣の県から遠征したこのような芸能有段者の育まれた町というところを見たいものだ、と、口にすると、
「わたしの経験をいっぱい話してあげるからどんどん書いていいわ。わたしも書くのが好き」
決して言葉ほどには崩れない、背筋を伸ばし膝に手を揃えてあくまで上品なY嬢はちょっと首をかしげて考えていたが、自分のフアンクラブがあると言って、携帯電話にメールアドレスを5百ほどメモリーバンクしていると微笑みながら、当方も採集されK501番にしてくださるところであったので、「ウチの電話は、内緒話も筒抜けるから」と固辞した。
やがてY嬢は車を運転して颯爽と夜の闇に消えていった。
これは、今後が心配されるケースに違いない。こんどはこちらが越境して答礼し、事の実態を俯瞰しようとやってきたわけであるが、ホイジンガ氏ならどうされたのか。
Y嬢の料亭の入り口に立って「入る」と決めるのはその時の気分だが、
「母にはなんでも全てを話しているの」Y嬢は言った。それはとても好都合なことであった。
当方の思惑を何も知らず、入り組んだ街路を懸命に左右の標識を気にしながらハンドルをあやつっておられるG君に声をかけた。
「さて、どこか食事できるところを探して、ね」
G君は、そうですかハイわかりましたと答え、こんどは商店街の左右の看板を忙しく眺め出した。通りかかった郵便局員を見て、車を降りて「栞」の場所を尋ねると、局員は不動の姿勢で教えてくれた。
近くの信用金庫の駐車場に車を止めさせてもらって、目的の料亭にむかった。「エンジンは自動的に切れますから」とまだ唸っている車を尻目にG君も後ろに続いた。
昼食には少し早く客は我々だけで、女将は入ってきた客を一目見て他所者と感じ用心しているのであろうか、能舞台の摺り足のような静かさで応対に出た。
女将とは昨年の十月にROYCEで一度会っている。あのときの、Y嬢の母親と称する人には、海に漂う海洋生物のように柔らかく、時の流れを楽しむ雰囲気があったものだが、今、そこに居る人は別人のようで、なぜか哲学者のようだ。SS氏とY嬢と一緒にみえたときの記憶と、どうも別人のようで、はてなと思ったが、仕事とプライベートで変身するのが正しいか。Y嬢はいなかった。
定食でいこうと決め注文したあとで、G君はトイレを、とか電話を貸してくれとか騒々しいのが残念だ。にわか結成で、もうすこし演技指導せねば、チームとして深みがない。
「今、宮城県に知り合いのマスターと来ていますが、本当です、ウソではありません。遅れますが宜しくお願いします」などと電話の向こうの何者かにG君の言うのが聞えて、はじめて彼がどこか事業所のようなものに属していることを知った。
そういえば、あらためて気が付く。自分のプライバシーについて妙に口が堅く、気にも留めなかったが、JAZZとダーツに凝っている以外のことを当方は知らなかった。G君について初めて気が付いたことがまだあって、運転中、後続の車に運転席から指で合図を送って先行させたり、あしらいに非常に慣れている。
G君は電話が終わると、厨房まで追いかけて女将に通話代を払うまめさだが、出発の時も、
「車の暖房はつけなくても良いですか」と確認し、食事代を払おうとしたり、駐車を他人に注意されるとさっさと折り合いをつけ、ガッシリした体型から受ける風圧の割りに繊細であった。ROYCEにおける彼はほとんど口数が少なく、置物のような人なので、あらためて発見したことである。
一段落したG君が席に戻ってジャズの話題を言ったとき、会話が遠く厨房まで聞えたらしく、JAZZと聞いてはじめて女将はROYCEを思いだしたか、得心した様子が遠目にうかがえて、ジャズ好きな瀬戸内寂聴のようにいよいよ賢く黙ってしまった。この殻に籠もってしまった様子には、いささか気の毒と思わないわけではない。
もしいま女将に、なんでもジョークにする余裕があれば、とっておきの挨拶があるだろうか、ストーブをもう一台点けてくださって、当方と決して視線を合わそうとしなかった。
箸を動かしながらふと我に返ると、大きなどんぶりに顔を伏せていたG君は、メガネを曇らせておいしそうに汁物をたいらげるとJAZZの話にもどった。
女将は姿を現して、こちらと視線を合わせずに、煎れたお茶をスーッと当方の前に差し出して置いた。
寺島靖国が駅前のTのマスターを評して「沈黙が、客の苦にならない人」とスイングジャーナルに書いていたことを、女将の振る舞いを見ていて思い出した。Y嬢の申していた母の好物の缶チューハイも、それゆえとうとう土産に出せずじまいになった。
テーブルの上の2枚の紙幣に、「別々ですか」とお尋ねがあった。我々の居るあいだ、他に家人の気配はなかった。
「さあ、いこうか」なぜかナポレオンのような気分になったのがおかしい。
G君に声をかけて腰を上げた。
駐車場で、車はエンジンがかかって待っていた。
「自動的にかかるんです」と、さらりと言ったG君は、先に立ってドアを開けると、何事もなかったようにハンドルを握って、ジャズを鳴らした。ひょっとして無断駐車なのでエンジンはかけたままにしたのであろうか、表情から何もわからない。
当方の一切の思惑と別次元で、透明に存在したG君は、山のあなたの空遠くドライブに来て、たまたま見かけた料亭で昼食をしただけであった。女将にとっても何事も無かったが、無いということが、これほど色を含んでいたのはおもしろい。
一杯の抹茶の景色に、泡立つところと平らな部分に庭の池を見るのは茶道だが、最後に女将が差し出したお茶にも深い景色があったのかもしれない。
先日のSS氏は、ある事情があって一か月ほど料亭に逗留した日々の様子を三人で大笑いに話していた。そのさまざまの舞台となっていたのが、いま昼食をとった料亭であった。
人は一日生きればそこに気泡が生じ、日々に新しい気泡を抱えていずこへか歩んでいる。その間隙を縫って現れた当方の出現に、そしてG君の素性に、Y嬢は、こちらがそうであったようにさまざまに思い巡らすのかもしれない。どうです、いかようにも思われるスマートな越境答礼。
ゆえに観世三郎は「秘すれば花なり」と室町期の乱世に極意をのべたが、それはいまだに本当だ。秘する値のあるものは花になるであろう。
自分は突然耳の聞えなくなったオーディオマニアのように、今鳴っている音を、他人の表情から読み取ろうとした。今日の出来事で、思いがけない収穫は、浮かび上がったG君の風体であった。かれは料亭で、一緒に本棚から雑誌を取ったが、わたしが読むのを止めたら彼も読まなかった。また、時速60キロのスピードを堅持しながら、長い距離を一度も身体を揺らすようなショックがなかった。これはまるで、社長のお抱え運転手の技量を持つ怪しい男である。
車をROYCEの前で停めると、透明なG君は再会を約束して機嫌よく発進していった。
最後に鳴っていた曲はたぶんSTEP LIGHTLYである

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