ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

横手市の客

2010年11月20日 | 巡礼者の記帳
中世の秀衛街道は、現代の342街道としばらくわだちを並べ、一路須川渓谷を越え、金売吉次の隠し金山や河川を眺めて、やがて秋田第二の十万堅都横手市に入る。
この横手市には、石坂洋次郎が青春の教鞭をとって『陽の当たる坂道』や『青い山脈』を著した記念館がある。
彼の伝記によれば、出版社に送った原稿が採用され、いよいよ印刷となったそのとき、叙情が時代の空気から浮いていると躊躇ったご本人、夜行列車に飛び乗って帝都の出版社を訪ね、辞退を申し入れた様子が記録にあっておもしろい。
もちろん、賢い出版社は「これは、よく書けています。どんどん書いてください」とはげまして取り合わなかったが、青い山脈とは、端のほうに須川岳も入っているのだろうか。
いつか横手という街の気分を、坂道でも探しながら、笊蕎麦と一緒に味わってみたい。
横手市から昼過ぎに現れてタンノイのジャズを聴いておられる客は、石坂洋次郎にどこか似た面持ちの誠実な雰囲気を醸していた。
「はじめてタンノイのジャズを聴きましたが、想像とはまったく違っていました」
珈琲をもう一杯お願いしますと言いつつ、メモを取り出してなにやら記録しているご様子である。
ルーブル美術館のプロムナードを行くと、大画のまえで画家が模写の筆を走らせて楽しそうな姿を見るが、このお客はタンノイから聴こえる初めての曲名を記録して、ジャズ世界の間口をご自宅の装置で広げるのかもしれない。
夜の八時過ぎに母屋の電話が鳴った。
「あの曲の入っているCDを見つけましたが、二枚組で、曲数も多いようです」
Royceで聴いた演奏とはたして同じバージョンであるのか、マニアの要諦を確認されていた。
ヨーロッパ・ツアーのベルリン・ライブとあれば、CDでも大丈夫ではないのかなあ、と思ったが。





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イヤフォン

2010年11月12日 | 巡礼者の記帳
黄昏時のしじまをついてジープが滑り込んで来た。
「珈琲をいただきながら、聞いてもらいたいことが有るのです」
市村羽左ヱ門に似ている御仁は、イスに中腰に座ってタンノイを眺めていたが、このような本格的な装置は、まだ聴いたことがないと言っている。
名刺に市の郊外でプラスチック成型加工の工場を営んでいるとあり、カタログを広げておいて、ビニール袋のイヤホンを取り出した。
「このイヤホンが届いたのですが、これまでのものと違いが、本当にきこえるのでしょうか」
当方は、イヤホンを使わない。
ともかくそれで、AIWAの『STRASSER』DATカセットを探しだして、これまでのイヤホンとその鳴り物入りのイヤホンをきき比べてみたのであるが、ソースも出力もこちら持ちというところが今ふうなのである。
そこで聴こえてきた音楽は、圧倒的臨場感がすばらしい。
当方はかねてより、平泉の旅籠に持ち込む小型のタンノイを自分で造ってみたいと考えていたが、その計画はこのイヤホンによって無期延期になるのかな。
ちょっとスタックスのコンデンサーヘッドホンに似た音のライブ録音が、AIWAの黒い弁当缶から細い紐を伝わって耳から空間に拡がった。
「これを企画した会社の首脳から先ほど送られて来たものですが、居合わせた○○氏がroyceに持っていきなさいと言いまして。わたしの工場でプラスチック整形の部分を、次に担ってもらっても良い、と先方は申してくださっているのです」
―――これはいくらで売り出されるのですか?
「1万5千と聞いています」
おー、たいした企画である。ヘッドホンでも高級品の価格帯ではないか。
しかしソニーというところは、むかしカラヤンがウオークマンを愛用したようにして、燎原の炎のように10万個くらいはあっというまに売られるのかもしれない。
アッピア街道沿いの古色蒼然としたマンションのベランダから、噴水を見下ろしているソフィアローレンの耳に、アクセサリのようなイヤホンが付いていて、聴いているのはローマ歌劇団かそれとも、ビル・エヴァンスか。
―――あのね、こんなところに居る場合ではありません。川向こうにいいところがありますから、工場で一番気立ての良い子を探して、このイヤホンと一緒に珈琲を喫しに行ってご覧なさい。
「それは、大変よいことをききました」
社長は当方のジャズ的演繹を知ってかしらずか非常にまじめな人のようである。
カタログにある井深氏という名前をきいて、むかしお世話になった会社の指示で、井深大氏の講演を聞いたときのことを思い出した。
規格協会のある建物はGHQに接収されたような姿をまだ残していたが、登壇した井深氏は、コップの水を呑むと、こんなことを言った。
「朝食の時、息子が、代々木の並木道を車で通った昨日、老人が道に倒れていたのを見たけど、お父さんも気をつけて。というので、おまえそれでどうしたとききましたら、出社に遅れるので、ほかに人もいたようだし一目散だよ。息子は、おやじが倒れていても、人任せで見ぬふりをして会社に急ぐのでしょう」
そのような枕詞から、時代の高齢者の有用について、話は進められていった。
その話に出たご子息の会社がリリースしたイヤホンなのか、とても良いデザインである。
このイヤホンの音は、タンノイ・ロイヤルにも似ているのは良いが、さすがの1万5千両であった。
「このように音楽を聴きながらでは、話もはずむものですね」
イヤホンの御仁は、いつも四角い事務所で真剣に経営しているような、面白い感想を申されて、帰っていった。





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アート・ティタム

2010年11月07日 | 巡礼者の記帳
ジャズの森を分け入ってしばらく行くと、クラブ古今和歌集というネオンの灯る建物がある。
「たのもう!」と声をかけると、現れるのが『アート・ティタム』である。
ラグタイムのリズムでピアノソロを延々と弾いているというレコードを、中古で購入し、いよいよトーレンスに乗せようとすると、中央の穴が小さくて、スピンドルが通らない。中古であるが新品である。
ティタムのピアノをクラシックで言うなら、ルービンシュタインではなくケンプのような気がしているが、そのままいまも新品で、あれからまだ針を乗せていない。
かわりに聴いているパブロのLPはやはりモノラルであるが、55年9月のLAで録音された五重奏団は、全員練達のジャムセッション、テイタムも埋没するのかと思うほど、面々はスイングしている。
L・ハンプトンのヴァイヴは、甘い音で走り、ハリーのトランペットに、バーニー・ケッセルのギターが響くと、珈琲のかおりまで特別に感じるタンノイである。
「パブロは音が悪いと言われているけど、そんなことはなかったね」
千葉の大先生はおそらく言うであろうゼリフが浮かんで、思わず笑みのこぼれるパブロ盤に、晩秋の時が流れていった。
母屋で昼食の時、二口ほど箸をはこんだところで客の登場があった。
――もしもしお客さん、いま食事中なので、ちょっと間があります。
「盛岡から、高専の異分野交流に来たのですが、そのまえにちょっと寄らせてもらいました」
頭のてっぺんから、足の先まで学問という風格の御仁が、ジャズを聴く。
「川向こうにも、まえにおじゃましていますが、わたしにはこのタンノイ、中央の小型でも十分の音に聴こえます」
お言葉にいたみいる午後であった。




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アパートの鍵?

2010年11月01日 | 巡礼者の記帳
ほうのきの葉も色づいた朝、ズバババ...というヘリコプターの音で眼が覚めた。
365度の天空を2本の空路が走って、高空を旅客機が音もなく浮かんでいるのを見かけるが、あの飛行機に乗って、ニューヨークの林立する摩天楼をながめてみたい。
タンノイから流れるモダン・ジャズ・カルテットの透明な旋律が一瞬ベースだけになって、ゆっくりと五番街を散策して行く。
そのビルの窓の一つ一つに仕事に忙しい男女がいて、アパートの鍵貸しますと言ったり、ショーウインドウを眺めながらブレックファーストしているイメージが昔はあったが、いまも、正午になると皆一斉に昼御飯を食べる光景を想像するのは面白い。
あるとき五反田から大沢商会に向かった。
ちょうど昼御飯時であったが、機械のことで緊急の打ち合わせに会議室に案内されたのである。
急いでいる課長がドアをバッ!と開くと、そこに三人のオフィス・レディが昼食していたが「キャッ」と言って、お弁当をかかえどこかに飛んでいった。
食べてもらっていても、いっこうにかまわなかったのに。
あとで地下食堂でご馳走になったこの会社の味と食材はすばらしかった。
そのころお世話になっていた当方の会社の食堂は四階にあり、眺めがよく、社長も社員と同じテーブルにつくことがあった。
「会社の固定資産のうち、ベランダの植木だけは年々成長して価値が上がっていくらしい」と、もれうけたまわったのを記憶している。
そうこうしている夕刻、ROYCEの前にタクシーから降りた恰幅のよい御仁が、「今夜の宿にしたホテルの名を忘れて、かたはしから緊急電話を、駅でやりました」と福島弁をまじえて笑っている。
盛岡で会議の帰りと申されて、ジャズとオーディオがことのほかお好きとのことである。
この威厳があってしかも気さくな人物の職業とは何か?どうも見当がつかない。
翌日その御仁が、「メガネを...」と立ち寄られたとき、名刺に『消防指令長』とあった。
菅野氏が、パイプを忘れた話も、たのしい。





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