ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

カレラ・ジェンセン・ビンヤード

2007年05月28日 | 徒然の記
連休の或る日、15年ぶりに里帰りされた静かな人物が登場した。
ミネルバのふくろうを肩にとめたバッカスのように、お酒の話には逸話がついている。
酒は、パッケージを見て、年代や産地を推量し、これまでの経験から、味と酔い具合と、一緒に呑んだ友人の顔や会話を思い出すタイムマシンのようなものである。
容器がなければ色の付いた水であって、いちいち呑んでみなければわからないが、古い年代の酒は変容しており、記憶の書き換えをせまられるものである。
当方は、その堪能で好奇心の強いお客に促されるように、いろいろなめずらしい酒をカウンターに並べるはめになった。
変色したラベルは時代と履歴を語っている。
中国の酒についても強い関心をみせて、一緒に味見をしたかったが、竹の葉を漬け込んだ壷酒は1本しかないので封を切らなかった。
キャプテンズテーブルは久しぶりに味を見ると濃厚なコクと香りで大変良かった。
10年前のリープフラウミルヒは三本どれも味が違っていたのは多少変容したからである。
強烈なセメダイン状の香りに驚いてクラッときたが「いやーなるほど」と客が言い、当方も負けずに「大変なものですね」と応じた。我慢競べのようだが、古い酒の意外な味を飲んだときの視線が宙を漂う表情と感想を聞くのは、タンノイの音楽に似て楽しいものである。
きくところによると、若い頃クラブのバーテンを経験されて、そのときの知識が素養の一端となっておられるのであった。
現在は、伊達藩の城下町にそびえるホテルの責任あるポストで活躍されている。
さて数日して、そのお客の知人と名乗る人から、いま巷で話題騒然の『あのワイン』を調達してほしいとオファーがあった。それはロマネ・コンティと呑み比べてだまされるといわれる『カレラ・ジェンセン・ビンヤード』である。
ロマネ・コンティは五十万両でも手に入らないのか、かってドイツ軍がフランスに攻め込んだとき多くのシャトーが目標にされて、酒とは恐ろしいものだ。
電話のヌシは軽いテンポで、前述の友人の話に聞いた酒の話題に触れ「こんど遊びに行きます」と申されている。
そのカレラ・ジェンセン・ビンヤードはカリフオルニア産で、ロマネと比べると値段は非常に安いが、味がどうもそっくりで、これはぜひ「確かめねばならぬ」と多くの粋人バッカスが囁くのであろう。
「ウーン、そうですね。顧客のために2本お願いしますか。取り寄せてください」と、あっさり申されるので伊達藩は、やはり伊達ではない。
きけばこの人もまた別の老舗ホテルの責任ある立場の人である。
無事に納品できるか躊躇したが、思いのほかスムーズにいったようで後日お礼の電話があった。
あのワインはいったいどのようなバッカスのために栓が抜かれるのであろう。
ロマネ・コンティに似ているというその味は、どのようなものか。

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メルセデス600の客

2007年05月04日 | 巡礼者の記帳
メルセデス・600はロイスの前にクジラのように乗り入れた。
ハンドルを切ったタイヤが、ゴロリと臼のようにボデイからはみ出ている。
「最近、やっと時間が出来たのです」と申されて、そのにこやかな客は当方の前に来ると、デジタルカメラをぷちっと点灯させ、どうぞと液晶パネルを見せてくださった。
それが名刺代わりのお客のオーディオ・ルームで、天上の高い響きの良さそうな空間に、タンノイとアバンギャルドが並んでセットされていた。申し分のない人物である。
「ある倉庫の写真を見て、すぐ電話しました。隅の方にころがっているのはトーレンス・プレスティジでしょう、おいくら?」
「これから整理して値付けをするのですが、180両はいただかないと...」といいつつ、抵抗する店主もその迫力にいつしか130両に。
歴史的出来事の開陳の合間にも、当方のロイヤルはつつがなくブルルンと鳴っている。
「音のスケールが...どうも違いますね」と申されて、音楽を目方で計るとすれば若干差の出るのか845管のことやマランツ#7の秘密をメモされた。
「レコードは3千枚くらい、すべてキレイな盤面になっているはずです」
その客はコレクションから、これはめずらしいセットですが最近手に入りました。お願いしますと分厚いLPを差し出されたデッカの貴重盤は、ROYCEのタンノイで、あざやかに一幕のシーンを演じた。
南部藩有数の使い手は、現在300Bシングルを使用されている。
いまプッシュプルの迫力を聴いて、ふとその表情によぎったアイデアを当方は見た様な気がする。
大きな響きの良さそうな部屋で、4管編成100人のオーケストラがブルブルンと鳴るところを、ぜひ聴いてみたいものと思った。

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是故形而上者謂之道、形而下者謂之器

2007年05月01日 | タンノイのお話
レコード音楽は素敵だと、誰が言ったのか、アームやカートリッジや真空管を眺めていると、しばし時の経つのも忘れるというのは本当だ。
オーディオという魔の山に登って、ゆくえしれずの人もいるというから命綱はほしいけれど、タンノイを壁に並べてウンウン唸っては、人は時々笑っているらしい。
この魔の山を、タンノイという尾根沿いに八合目くらいまで登ると、着流しであごひげに触って周囲を眺めているのは五味さんなのか。
ヘリコプターでエベレストの頂上に立った輩をどうと言わず、あの物の高い時代に五味さんの登ったタンノイ口をあとから行ってみて、その書き残されたタンノイの景色は考えさせられる。
ダンボール箱から出てきた芸術新潮の1976年7月号に五味さんの不思議な部屋の写真があった。
茶室のような部屋の壁に並んでいるのは、なぜか『オートグラフ』と『コーネッタ』と『ⅢLZ』である。
五味さんは、何者かが持ち込んだコーネッタを、ありがた迷惑に預かって、翌日試聴した感想を書いている。
そこにはオートグラフと違った良さを認め、生き返ったように鳴る10インチユニットのためのエンクロージャーの抜群の効果に驚きと賞賛を惜しまない。
「追放するつもりでほうり出してあったカラヤン指揮の交響曲第四番を掛けたのだが、正直、この時ほど近ごろ興奮したことはない。まぎれもないベートーヴェンのアダージョが鳴ってきた。こんな駘蕩たるアダージョをベートーヴェンでわたしは聴いたことがない。カラヤンの入念な配慮が臭みとしか受取れなかったし、俗っぽい嫌みと思えていた。それが適度なやさしさに変わるのである」―要約―
オートグラフと比べて、ややかぶりつきに居て舞台を眺める感じだが、10インチのユニットがⅢLZの箱とは比すべくもなく本当ににすばらしいと五味さんは堪能した。
以前、福島の天神村というところからおみえになった客が「6畳の部屋にロイヤルを据えて聴いています」と大いにマジメに申されて当方を感服させたが、それはジャズでもクラシックでもかぶりつきの間合いにあり、相撲で言えば砂かぶりの、そこでしかわからない興奮と緊迫の情景がある。タンノイはさまざまに鳴っている。



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