ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

マルチ・モーダル・ジャズ喫茶

2012年09月23日 | 巡礼者の記帳
「モーダル・ジャズとは、コード進行よりもモード (旋法)を用いて演奏されるジャズで、御承知のようにマイルス・デイヴィスは、モーダル・ジャズで商業的に最も成功したアーティストであり、あの『カインド・オブ・ブルー』で完成された」
ここまでを雑誌で読んで、
モダン・ジャズにも、むかし偉大な革新のエポックがあったのか、と感心しつつ、楽器演奏しない当方には気にもならず、あたりまえにレコード盤に針を乗せる。
「こんにちは。人を待つ間、ちょっと珈琲を呑めますか?」
入り口で柔和な女性が尋ねている。
あなたにジャズはどうかな?
と内心思ったが、水沢でパラゴンのジャズを聴いたことがあるという。
以前、ジャズの神様って誰?質問したところ
「それ、C・パ―カーでしょ、あたしアダレイのほうが好き」
といった油断のならない客もいた世の中である。
官庁広報の解釈によれば、マルチモーダル・インタフェースとは、貨物や人の輸送手段の転換を図ること。つまり、自動車や航空機による輸送を鉄道や船舶による輸送で代替する。
朝集殿にて国土交通省政策統括官もモーダルシフトの推進事業をかように発布したものである。
それって、さまざまな客に、こだわらずに休憩時間を提供して、いろいろなジャンルをタンノイで鳴らすのが、マルチモーダルインターフエイスかや。

「ビバップをはじめとするモダンジャズでは、コード進行やコードの分解に基づくアドリブ・ソロ各奏者の即興が行われてきた。ハード・バップに至っては、メロディーが洗練された一方で、コードに基づく一音階のうち元のフレーズから外れた音が使えないという状況が出て制限が増した。その大きな理由は、コード進行だけでなくメロディーでの進行感も出そうとしたことである。
そこで、コード進行を主体とせず、モードに基づく旋律による進行に切り替えたものがモード・ジャズである。バッキングなどの和声の面では多少困難にはなったものの、ソロプレイにおいては一気に自由度が増し選択肢も増えた。
欠点は、コード進行によるバッキングやメロディーによる劇的な進行がない事である」
先日の水戸の御仁は、我々はモード演奏でもビバップ演奏でも、始めから終わりまで集団のテンポは変えない、と言っている。
掲示の写真は、ハイヒールがポイントにクールストラッティンのマルチモーダルジャケット。






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秋の巌美街道

2012年09月16日 | 歴史の革袋
平泉から太平洋に向かう街道が343号線なら、反対の日本海に向かう街道が国道342号線といって、中世に大陸と交易した重要な街道である。
この砂金街道について、子供の時はピンと来なかったが、唐辛子、唐木、唐三彩、教典など、馬の背にゆられて入ってきたのであろうと想像する。
道の途中に、さきごろの烈震で中座した橋はそのまま残されてあり、中尊寺経蔵別当の中世荘園遺跡があり、岩山の隠し洞窟にはまだ砂金が入っているような噂もある。
久しぶりの秋の遠乗りで、荘園跡にたどり着けば、遺跡発掘の説明板にどれどれとつい見入ってしまう。
すると、背後に誰か立っている?
黄色のユニホームにアポロキャップの男性がにっこり「ゆっくり見ていってください」と言った。
――あの鐘楼の鐘は意匠が凝って見えますが、と
そこで、たずねたわけである。
「この駒形根神社は、栗駒山頂の神社の分社で馬の木彫刻が本殿に祀られたものが、明治の廃仏毀釈のときに、脇に移されました。あの古鐘は、大戦の金属供出で兵器の材料になるところでしたが、関係者が相談し土中に埋蔵しましたので、また鐘楼に釣り下がっています」
――荘園の中央を蛇行する川は、護岸がコンクリであるところが、わたしのような素人目には千年のイメージを妨げます。
説明の人物は、嫌な表情もなく、言った。
「昭和の中頃まで昔の小川でしたが、川底が非常に浅く、背後の連山に雨が多量に降る季節にはドッと溢れて、あたり一面が湖水になったのです。しばらく陳情し、いまのように深く掘った護岸工事ができました。排水には直線の水路が水はけに常識ですが、学者のかたがお見えになったとき、昔の蛇行そのままをたいそう喜ばれていました。
――わたしのような観光客には、山頂に東屋があったら空から荘園を見渡せるのに、とおもいます。
「以前と違って、景観保全区域になりましたのでそのかわり、左奥の山裾に段になった特別の水耕田があり、毎年豊作祈願祭りが催されるのですよ」
専門知識人の、抑制のある自在な説明を堪能した。
当方と連れが聞くだけではまことにもったいないが、谷を超えて空中を走ってくるダンゴといい、さりげなく現れる専門の説明者といい、不思議な土地柄であると思ったそのとき、背後の山から谷に吹き下ろす一陣の風が、荘園に広がる稲穂を黄金色の波にして中世そのままに渡っていくのが見える。
帰り道、マニュアルクラッチ車で、久しぶりに路面の振動を感じつつ巌美街道を戻ると、脇の森林から伐採木を山のように積んだトラックが割り込んで来たところが、風景に似合ってすばらしい。
平安の昔も、社殿建築に切り出された丸太を、義経の遠乗り一行は真近に見たのか。
この秋の342号線には、アール・ハインズの演奏するロンサムロードが聴こえてくるようだ。
喫茶に戻ると、3人の客が音楽巡りに立ち寄ってくださったが、ベイシー楽団とサラボーンの演奏がタンノイで鳴るところを聴いて、
「ちょうどまえのところでJBLとマークレビンソンで鳴るエラとベイシー楽団の演奏を聴いてきたところです」
たいそう喜ばれているが、マークレビンソンとは、はてな??
このお客はこうも申されている。
「サラ・ボーンの最後の日本公演では、うちのホールでも唄ってくれました」
淡々とした笑顔の、あやしい人々である。





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ミスティ。レッド・ガーランド

2012年09月12日 | レコードのお話
『これは、初心者のころによく聴きましたね』
レッド・ガーランドのシリーズをターンテーブルに載せると、秋風に乗って秋田路を来られたT氏の言葉を思い出す。
開業したての頃は、何を鳴らしても、使い手達の宣旨がある。
さすがに千葉の大先生も心配されて「いま東京では、おもに七十年代以降の演奏だから」と暗に諭しておられるのか、困った。
なあに、堂々と好きなものを鳴らしていなさい、とタンノイは言っているようだが。
中学の旧友も、わざわざ仙台から二十年ぶりに一瞬だけ姿を現すと「herbie mannはみんなはジャズでないと言っている」と言いに来て帰って行かれた。
それが、冬休み練習帳を五人で一日でかたずけた仲であった。真摯な親切である。
それではと以前より緻密に聴いてみたわけだが、タンノイで聴いてご覧なさい、これはジャズです。
ミステイ・レッドというLPは、ジャミールナッサーのベースが、すごい。何がと言って、指の皮が剥けている、と心配するほどドバーン、ミシミシッと弦が唸ってビビビビーンとテーブルが振動している。
ウチだけかもしれないが、タンノイの38センチコーンでこんなに鳴って、このLPは異常なのか。
ガーランドは、それをまったく好きにさせ、ガントのドラムスも抑揚気味に渾然一体、ともかくこればかりを鳴らしていたらそのうちスピーカーが破れるに違いない。
いったいジャズのフレーバーの何を聴いていたのか、あとになってどうも思い出せない。
さきごろちょうどロジカル氏からお電話をいただいたとき、アンプが故障中で鳴らなかったので残念であるが、かれは「味噌ラーメンを食しながらゴルゴ13を読んでいたら、秋田に向かうのをやめて家に帰りたくなった」天才開発者である。
一センチ動かしただけで差がわかると豪語する機関銃のような技術論にたまげたのか、ウチのアンプは賢くも壊れている。
そういえば、海岸の新居の東ドイツ励磁装置の御仁から久しぶりに電話をいただいて、当方、恐る恐る被害の様子をそれとなく問い合わせた。
互いに、その微妙な状況を脳裏に滲ませ、先方は、どうやらますます良い音で鳴っているらしく、新着の『岡山特製の黄色塗装のアンプ』がラックに鎮座しておられるそうな。
こちらは、しばらく故障中で無理ですね、と申し上げた。
だが、目を閉じれば、どのようなお宅の記憶の装置も、我々は、自在に思い浮かべるマニアのサガを持っている。









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『千馬屋』

2012年09月06日 | 歴史の革袋
野を横に 馬引き向けよ ほととぎす

一関から25キロ東南にある『千厩』は、平泉15万都の軍馬や農耕馬を供給調練する兵站基地があった所と言われている。
いったいその遺蹟は、いまも現地で見ることができるのだろうか。
当方が以前、町営のスケートリンクまで遠征したとき、滑り始めた母屋の住人がまもなくドシンと転倒し、物凄い音がリンクに響いて係の人が飛んで来たが、やはり調聯が足りなかったのである。
平安のかっての馬事調聯の名所は、いま大勢の人間がスイスイ走っていた。
当時の馬の重要性は現代の乗用車のようなもので、金売り吉次も、はるか京都まで牛馬の背に金塊を積んで交易し、東下りした義経もさっそく家来とここで名馬を誂えたに違いない。
当時の馬は、5月の東下り行列で見る体躯隆々の名馬たちのような、あれほど大きなものでなく、身長160センチくらいであったらしい。
昨晩見た夢の続きを、絵に書いた。




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