ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

街道343号線の謎

2011年12月27日 | 旅の話
奥大道と轍を並べるように走る国道4号線が江刺の國にさしかかると、そこから三陸沿岸に向けて343号線が始まっている。
この街道が、一関の方向から伸びる今泉街道と20キロのところで十文字に交わったところが『摺沢の宿』である。
343号線はここで今泉街道に乗り換えるように九十度折れて高田、大船渡に向かう。
一関から向かって摺沢宿にさしかかったとき、いつのまにか343号線に乗っていることに気がつくので、なにか事情のありそうな街道の元を地図をたどって見ると、そこには甍をきそう重文の古刹があった。
寺院の建物内に安置されている仏像の胎内から、貞観4年(862年)の記録があらわれて、千年以上さかのぼる古くから、つまりこの道があったことを知る。
交差している古道を千厩街道といい、南に八キロほど直進すれば、奥州藤原氏が全盛のころ馬産地のあった『千馬屋』と呼ばれる由緒の地名で、馬屋の表記は、厩ではなく日の下にヒを書くこだわりは、むかし同級生にハガキを書いたから。
ちょうどそのとき来客があった。
「ちょっとパーティに、深い味の赤ワインをいただきます」
みると、髪の長い記憶のバイオリニストがにこやかにそこにいて、ワインを手にした一瞬ののち、車に乗って去っていった。
このような伶人をみると、タンノイによって音楽を聴くだけではなく、ステージに演奏する人々の雅びな様子を拝見することもそうとう意義があると思われるが、うっかり最前列で眠ってしまっては取り返しがつかない。
あるとき、L・マタチッチ氏の指揮する第九交響曲を、N響ライブに招待してくださる人がいて年の暮れに駆けつけると、あいにく満席の二階の一番奥であり、そこではタンノイの放射する底知れないサウンドが非常に懐かしくなってしまった。
サイモンとガーファンクルが、ラジオから流れていたころである。
良いお年を。







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そぞみの千枚漬け

2011年12月24日 | 歴史の革袋
スイカズラ科のみやまガマズミ(深山莢迷)のことを一関では『そぞみ』といっている。
滋養強精で花言葉は『結合』という単刀直入な赤い木の実であるが、そうともしらず帰郷した冬の朝、「のうてばいのおばあちゃんに言ってあるから」と親に言われて、早起きして採りに行った。
カブの千枚漬けをつくるという。
のうてばいのおばあちゃんに案内されて、里山に登っていくと、みちみちキャサリーン台風の洪水の話が出て、この山から見下ろした市街地の方向は見たこともない湖のようなすごい景色で、ところどころに島が浮いていたそうである昔話を聞いた。
1947年九月十六日のキャサリーン台風は、日本の治水史上に残る大雨を降らせ磐井川と北上川も氾濫したので、生家も一階の鴨居のところまで水が浸き、幼児の当方は母に帯で縛られ迎えに来た小舟に二階から乗り移ったとき、グラリと揺れてとても怖かった話の記憶がある。
その小舟は配志和神社に漕ぎ着いて、この神社は、古刹の堂宇が深山の高みに拝殿のある、ちょうどあめのひすみのみやのような延々と高い石段を登っていくと、シーンとした清浄な境内に、それぞれ専門の霊験をつかさどる宮が一列に横にならび、千年杉のような大木が落雷をものともせず茂っている。
子供のころは、昆虫採集やソリ遊びに登った記憶が市内の誰にでも有るが、石段には運動部のトレーニングに励む若者の姿が有る。
そういえばこの蘭梅山に、ちょうど帰郷した夏に石段を登ってみると、付近の中学のグラウンドスピーカーから先生の号令が新緑の風に乗って流れてきたが、その巻き舌の特徴は忘れもしない桜中学の何十年も逢っていないクラスメートであり、あの中学から一足飛びにこの中学で先生になって現れた風の便りに驚いた。
何年かまえも、この神社の鳥居の脇から馬車道を登攀していくと、冬道は滑りやすいところが雪かきされていたり、馴れない二拝四拍手一拝のイメージを考えつつ敷居階段に足をかけると、足元に百円硬貨が置いて有ったり、おそらく天狗が杉の大木の上から笑って見ているのかもしれないが、不思議な社殿の森である。
先日この神社の会報を読ませてもらったとき、菅江真澄の『はしわのわかば』が天明八年戊申六月にこの神社を訪れたさいの周囲の記録を、神社のはしわから表題にとったものとはじめて知って、大勢の有職故実の控えている町内のありさまが印象に残った。
そぞみの千枚漬けの霊験も、どうもあらたかであったといえる。
そのとき寒いROYCEに、ちかくに20年住むと申される大船渡の御仁がやってきて、「ほほう、ゲイリー・カーはCDで聴いていますが、LP盤もあったのですか」と言いつつ、先ほどの三番はベームのようなテンポに思っていたが、カラヤンか!とひとりごとの博学ぶりで、珈琲をこちらが淹れていると立ち上がって「ちょっと失礼、このパソコンに映ってある文面は、はしわのわかばではありませんか」と言い出し、――自分はなにそれの版でもっているが、などと、配志和神社のカラス天狗か菅江真澄の代理挨拶とも考えられる、不思議な御仁であった。
しばらく、今泉の宿場のことを教えていただいた。









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Canon in D

2011年12月18日 | 旅の話
1680年のパッヘルベルのカノンの楽譜をながめていると、はじめにゆっくり通奏低音が始まって、高域のメロディが加わっていくサウンドは、ハープシコードを縦にした楽器がハープであるのはわかるが、いよいよ音符の数が増えていって、おたまじゃくしがとうとう縦に12個も並んでいるのをみると、指は10本なのに、どうやって12個の音符を同時に鳴らすのだろうか。
2台のハープで、パートをわける手が有るのか。
原曲に忠実に三丁のバイオリンと一丁のベースで演奏するところをしばらく聴いて、かりにジャズを堪能する者であれば、同じ音符をChambersがベースをかまえブルンブルンゆっくり走り出し、GarlandとColtraneがメロディを交互に鳴らし、Milesが金管パートをパーッと吹き鳴らして登場すれば、そのときカノンの全貌はどうなっているのか容易に描くことができる。
国道343号線を、粉雪を蹴散らしてしばらく奔って行くと、三陸は冬であった。
これで四つの季節を走り、今泉街道の景色をなぞって古人の旅をしのんだ。
現代の343街道は、つづらおりの急なイロハ坂も、融雪剤が早朝から撒かれて安全に走行することが出来たが、途中で、近道でなく沿岸部を大きく今泉の街路まで走ったところ、この突端部は、ホテルや旧家の港に並んだ非常に開けて賑やかな高輪通りのようなところであった。
いまじっさいに見る景色は、シルクロードのパルミュラの遺蹟のように、津波に呑まれた跡の高層の建造物が点々と残っている。
海面が高く感じられるのは、陸地がメインストリートを載せたまま全体に陥没しているからなのか、二メートル高の特殊な土嚢が整然と海に沿って積まれ、突堤には大きく堤防工事が始まっていた。
おや!前方に、赤色灯を回転させて警視庁と大きくボデイに表記の白黒車両が、三台も沿岸の突端を警備しているではないか。
昨日は、北海道警と埼玉県警の車両とすれ違ったのであるが、油断していると先日など運転席の天井にポンと電飾灯を載せる普通の車両が暗闇からあらわれ、これではもはやうっかり那須のジャガー氏のように、エンジンの調子をしらべることも気軽にできるものではない。
パッヘルベルのカノンは、ゆっくり時速四十キロで、あれほど大量に道を塞いでいた生活人の痕跡が、かぎりなく整理されどこまでも見通せる地面が広がっているなかを走って行く。
いつかふたたび陸地がもとの高さまで回復し、人々の賑やかな街にもどる景色を、おなじカノンの曲で前後を電飾灯に挟まれてもよいが、ゆっくり走ってみたい。
タンノイで聴くパッヘルベルのハープは格別である。

☆新潟県警も走っていると通報があったが、震災の廃棄物に、佐竹藩が申し入れて来ている噂があるのか。




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『ナグラSNST』

2011年12月04日 | タンノイのお話
熟した柿が自然に落ちる。――茶室のタンノイはおそらくそういう音を鳴らしている。
TEACz-6000というカセットデッキを昔、中古を買ったが、そのまま忘れていたのはナカミチ700を使っているからである。
ナカミチはデザインも音も当方の好みで申し分ない。
プチとスイッチを入れて、何かをしながら聴くときはナカミチにする。
ナカミチ社には、さらに性能の良いカセットデッキがあるとお客各位に教わって調べてみたが、使ってみたいデザインは無い。
音が良いデッキなら、アイワのシュトラッサーという金属テープを使う製品が、これまでのカセットデッキの時代をいっぺんに過去に葬り去った凄い音で引き出しに有るので、音は、このさきにあの業務用『ナグラ』が控えている。
これらは茶室の音の話であるが。
携帯タンノイに『ナグラSNST』でもつないで鳴らせば、未来の茶室の理想の完成図である。
あるとき思い立って忘れていたz-6000を、ドッコイショとつないでカセットを鳴らすと、どうもおかしいではないか、ナカミチ700より気品のある音がした。
書類をみると、当時TEACの技術の粋をあつめた最高デッキであると自慢げに目録にあり、ナカミチ700よりはるかに高額である値札に驚いて、本当かなと内部を開けてみると、部品物量がぎっしりと付いている基盤が縦にこれでもかと差し込まれ、前世紀の人知を結集した手仕事に恐れ入った。
持っている人は一度蓋を開いて内部を見ることを勧める、万が一にも音が良くないとすれば、シジュホスの岩である。
当方の音の良い定義は、車のアクセルをグイと踏んだとき、ブルンと唸りつつ何の振動もなく、静かにあっさりと高速で、いつのまにか左右の車が後方にいるような静かな安定感のことを言う。
だが、この音がよいz-6000については、様子が茶室向きではない。
高性能を訴求する見栄えが、勘違いだろうかどうも高級にみえない。
それゆえ届いた品を一目見て、やっぱり安い中古だと思い、忘れていたのだ。
あらためて聴いた音を気に入ってしばらく鳴らしていたある暑い日、突然、ブランデンブルグかマイルスであったかの最中に音がスッと停まった。
パネルは光っているが、この状態はフライホイールのゴムベルトが伸びてメカが空転し「もう休ませてください」といっている、中古品である。
それ以後ずっと休んだままで、またナカミチ700に戻った。
のんびり何かをしているときは、カセットテープが良い。
そういえば、水戸の御仁達が連れ立って登場し、インターネットで応募した五味先生のオートグラフを聴くキップを3度目にして入手できたと申されていた。
五味先生は、おそらくごくろうさんと言いつつ、復元するなら浄と掛かった書斎の様子ごと五味記念館にして、そのうえ鎌倉の御仁の蔵書付き復元館も並んでいたら江戸の名所ではないか。
このまえ関が丘の哲人の部屋を携帯写真で見せていただいたが、壁の書棚のたたずまいといい、新型パソコンも置かれた新境地に御仁はあっさり住まっていて、気分の良さにおどろいた。
その意味でまだ訪問していないが、先夜10分だけ現れたV6アウディの御仁は、こんどはブルーのジャガーに乗って来ましたヨ、といい、そぼふる雨のなかを当方同道に橙色の前後のライトの発光具合など指し示し、しばらく満足を堪能した。
そのときふと、以前目黒で見た同じ青いジャガーについて、ドアの立て付けが名刺一枚の隙間もないような密着構造であったのは年代価値的に言ってどうなのか、質問すると、
「フッフ何をおっしゃる。この間隔こそが良いのです」と眼が申されている。いかにも左様であった。
昨日たまさか「約束のワインをいただきにきました」とシャコンヌ氏が現れて、当方は惜しみつつ96年の隠匿御物を譲り渡してしまったのでいまシャコンヌ氏宅にあるが、開栓はおそらくクリスマスか、正月か。






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夜光物体

2011年12月01日 | 徒然の記
空から見れば、海に横たわる東北の大地に三列の縦皺が走っている。
日本海に沿って出羽山地は標高2200mの鳥海山、中央の奥羽山脈に1600mの須川岳、太平洋側の北上山地に1350mの五葉山が横一列に尖ってそびえている。
先日の夜、国道343を海側から内陸に向かって車を走らせていると、山道に分け入ったころダケカンバ、ミズナラ、ケヤキ、アカマツ森林の深くに人知れず生息しているシカやイノシシが、わずかにちらりと姿を見せた。
ここにはクマやサルも野生し、夜遅くに車の途絶えた343国道を自由に横断している獣に突然遭遇して、ヘッドライトに反射する眼がピカッと発光している。
静かに移動している傍まで寄っていくと、それはシカの群れであった。
漆黒の森の入り口でじっと振り返ってこちらを見ているシカに、車はどのように映っているのか。このシカどもにとっては、森や林を分け入る舗装道路に高速で唸りながら夜道を突っ走る得体の知れない四輪の発光物体である。
ふだん固い路面を走るばかりで森に入ってくることはなく、離れて見ている分には危害がない。
だが今日、その動物は闇に停まってエンジンの唸りをやめ、あいかわらず二筋の強い光を目から放射しながら、じっとしている。
国道343は、山地に分け入る道の多くが、フクロウや、キツネや狸、アカシジミ蝶など動物昆虫の宝庫であり、11月の初旬には青い空に山容を染める紅葉がすばらしかった。
この道は、急いでいる人には曲がりくねった難儀な峠であるが、いったん野生に目を転じてのんびり走ると、静かな時間が流れている。
その数日あと、巖美渓に泊まったと申される5人の剣客が、ウエスタン16Aの轟音を堪能したそれぞれの感想をもらされながら、ROYCEでコーヒーを喫した。
あの、一時広告に載ったWE-16Aの健在ぶりをうかがっていると、クリプッシュ・ホーンとWE-16Aの二つの装置が渓谷の流れを挟んだ吊り橋のうえあたりに、ステレオになって深甚なる轟音が咆哮しているありさまを想像するのは一安心で、おもしろい。

☆日本の四季を花札に造った『任天堂』は1889年京都東山に創業された。いまはゲーム機器を主に従業員数5,000人の1兆円企業。2011年 東日本大震災の寄付義援金3億円。








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