ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

『南回帰線』の客

2011年11月26日 | 巡礼者の記帳
並べてある本を、両手一杯に広げるとおよそ75冊である。
そこに上から下まで大量に有る書籍の背表紙には傾向が隠れている。
この11月の中頃お見えになった人物は、寒い店内でも平気ですと電話の向こうで申されるので、まあそれならとご一緒にタンノイを聴いた。
その客人のデジカメのバッテリーが回復すると、先日『メグ』に行った画面を見せてくださった。
こちらの壁に飾って有る額縁の、手紙の話になって、
「ほほう、すると、南回帰線の作家のものですか」と、手裏剣を飛ばしてきた。
その内容については、以前英語に堪能なお客が登場したとき、「ここに書かれて有るのはいったいどんな内容です?」と、暗に翻訳を頼んだものであるが、その客いわく、これは専門用語が多く、わからない、とイミシンに言った。
H・ミラー氏の専門用語とは!?
日本語訳の違う『南回帰線』を何種類かながめていると、ニューヨークの情景描写が、どうもセロニアス・モンクの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』であった。
『先だって、ぼくはニュー・ヨークの街を歩いていた。なつかしいブロードウェイ。日が暮れて、空は、ルー・ド・バビロンのパゴダの天井に張られた金箔を思わせる燦然たる青色だった。それはちょうど、機械がかちかちと動き出すあの時刻だった。ぼくはその時、我々が始めて出会った場所のちょうど真下を通りかかった。ぼくはしばらく足を停めて、窓にともった赤い灯を見上げた。音楽が昔と同じように――軽快に、熱っぽく、魅惑的に、流れていた。』
南回帰線のほぼ終章で、主人公が過去を回想している部分である。
『先ごろ、わたしはニューヨークの街を歩いていた。昔なつかしいブロードウェイをだ。それは夜で、空はルー・ド・バビロンの『パゴダ館』で映写機がカチャカチャとまわりだすとき、金色の天井が青く染まるような、そんな東洋風の青さだった。ちょうどわたしは、彼女とはじめて出会った場所の真下を通りかかっていた。わたしはちょっとそこに足をとめ、窓の赤い灯を見上げた。昔と同じように、音楽が鳴り響いていた――軽快に、刺激的に、魅惑的に。』
さまざまな放浪のおわりに、自身がこれから書く本のことを考えているところであろうか。
『さほど遠くない昔、私はニューヨークの街を歩いていた。なつかしいブロードウェイ。夜で、空はベビーローン通りのパゴダの天井をいろどる金色のような青、東洋風な青であった。私はちょうど、私たちがはじめて会った場所の下を通りかかった。私は、しばらくそこで足をとめ、窓の中の赤い灯を見上げた。音楽が、昔と同じように、軽快に、魅惑的に流れていた。』
このように違う翻訳を何冊もだいぶ大昔にKG氏からいただいたことを思い出したが、ジャズの好きな我々が、つい売場の棚に見逃されてあるレコードにほっておけず手を伸ばしたように、あるいは、楽団の違う演奏を楽しむことと似ているのかもしれない。
二十代の初め、人に連れられていちどだけ訪問した茅葺屋根の非常に古めかしいお宅があって、四畳半ほどの書斎に通された。
三方の書棚に押し包まれるような中に当時めずらしいカラーテレビが本の隙間に有り、地方で受信できる番組は少ないが、スイッチが入ると、評論家が難しい対談している画面が映し出された。
五分ほど見ていたうえ、その家の御仁は言う。
「いま彼はこう言いましたが、正しくは○○と言いたかったのですね」
もっともな修正をすると電源は切られ、無口な灰色のブラウン管に戻っていた。
「そうだ、良いものが有る」
と立ち上がり、別室から小さなガラス瓶とビスケットを皿に乗せてくると、
「いただきものです」
おもむろに瓶の蓋を開け、スプーンで黒い粒状の濡れて光るものを掬いビスケットに塗って、どうぞと皿の上に置いた。
はじめて見る、キャビアというチョウザメの卵は、生まれて初めての形容しがたい塩味でビスケットとしばらく舌の上に残っていたが、そのときが世界三大珍味のひとつを初めて知ったときである。
「上等のものは、もっと灰色です」
と説明があると、なんとなく我々の反応を聞かなくてもわかっていますという感じて難しい可笑しそうな表情になり、それからしばらくヘンリー・ミラーの話題があって、航空便で届く手紙の様子や、アナイス・ニンの話があったような気がするが、それまで一切無言の当方はガラスケースに納まっている模型のことが気になって、その日ただひとつのこちらの発言に、
「あれは学徒動員のとき、工場でこしらえていた疾風という戦闘機です」
その部屋に通されたのはそれきりであったが、書棚のふちという縁に、格言のような短章の書かれた短冊が貼られて、棚に並んでいる書物の背表紙のほとんどは、古色蒼然とした謹厳な表題ばかりであった記憶がある。
後年になって、H・ミラーの手紙の一部を開店の祝いにとわざわざコピーしてくださって、あのときの三大珍味とは、キャビアでなかったのかもしれない。
DENONの真空管プリアンプを、棚に飾って時々スイッチに触ると、はたしてタンノイから、どのような音楽が聴こえてくるのか、夢想する秋である。







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タンノイGRFの客

2011年11月20日 | 巡礼者の記帳
レコード盤の回転を見て、外側のミゾは早く、内側はゆっくり回っていると気がつく人はスルドイ。
これで内と外では3倍以上の音質差があらわれる。
CDのように、リモコンで曲順を選択できるわけもなく、ミゾの途中の曲を指で操って聴くことも息を止めてなおむずかしい。
だが、茶室においてポットの湯で茶を喫することより、まずチンチンと平蜘蛛の湯釜へ備長炭をおこし、きょうの出来栄えを心に描いて楽しむのも良いのであるからしかたがない。
ピアノ演奏に技術をもっていたリストが、演壇で鍵盤を叩きながら、曲の途中でサッと観客席を振り向くと「これからが凄いからね」と合図した話を、いったいどう受け止めたらよいのか。
そのようなことを思い出して笑いながら湯釜の温度を眺めていると、もう音楽はすでに始まっているのではないか。窓の外に鳥の声が聞こえる。
つまり、レコードはめんどうではあるが、非常に楽しいものなのであった。
このレコード演奏における現代の平蜘蛛の茶釜とは、おそらく『トーレンス・リファレンス』のことである。
交響曲4番を最初に聴いたあの頃、テレビ画面ではカシアス・クレイがボクシングに華麗なフットワークをみせ、白いシューズに赤いリボンを結んで『蝶のように舞い、蜂のように刺す』とリングに踊っていたとき、ちょうど部屋で鳴っていた4番にイメージがかさなって聴こえた。
シューマンはこのべートーヴェン4番のことを『北欧の2巨人に挟まれて立つギリシャの乙女』と言っていたが、このように空中をただよう音楽のことを、番号で4番や5番といったり、なにか短い形容詞をあてては、アームの先のカートリッジが黒いビニール盤に掘られたミゾを揺れながら音楽を読み取っていく。
片面に詰め込んで2曲で売られたレコードと、1曲を外周のみにカッテイングしてゆとりをもって作られた音のよい盤があって、吟味し一喜一憂することもまた茶室のならいであった。
3番『英雄』
4番『北欧の2巨人に挟まれて立つギリシャの乙女、または蝶のように舞い蜂のように刺す』
5番『運命』
6番『田園』
7番『舞踏の神化』
8番『ボタンをはずしたベートーヴェン』
9番『合唱』
このように聴いていくと40年前に或る評論家が「ベートーヴェンは百年後には誰も聴かなくなる」、と言ったことを思い出して、自分はまだ聴いているが、レコード盤はそろそろ前世紀の遺物になりつつあることに笑う。
スピーカー装置も、アイポッドが世に現れ出て、昔は九番の合唱ともなればオーケストラと合唱団の数百人のスケールを自宅に再現するために願望としてオートグラフのような大型スピーカーをぜひ置いてみたいと願い、設置したあかつきの情景にひそかに興奮する。
そのとき関が丘の哲人がROYCEに入ってきた。
みると同行の御仁がおられて、一本差しか二本差しかすぐにわからないが同級会のために関東から来関したひとであるという。
「部屋にタンノイGRFを置いて聴いている申し分のない人です」と、ご紹介があった。
『葵の印籠』をさげてきたその御仁は、Royceのタンノイを見やると、にっこりした。
その席の隣には、横浜からお見えになったJBLの御仁もおられたが、室内の形勢はこれで五分である。
GRFスピーカーを鳴らす御仁は、ご自宅のサウンドと比べていま聴くことができるので、茶釜の湯の味も何倍か濃かったはずであるが、いつかご自宅の写真を拝見させていただいて、室内に爆発している緻密にして華麗な茶釜の湯加減をあれこれ想像してみたい。
外は、一瞬の暖気から、冬に向かいつつあった。










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朝の大船渡

2011年11月13日 | 旅の話
旅の宿に、鳥の声で目が覚めた。
薄くカーテンから外を覗くと、町はまだ寝っているが、遠くの景色はすでに明るい。
薬師堂温泉のみやげという『駒かすみ』を、ポケットから出されて
それを朝の茶受けに、けっこうな味である。
正面の山の形が、彫刻のようにおもしろい、スケッチしてみた。
まちは、しだいに変わってきた。
よくみると絵の建物が直立していないが、ペンが曲がってもうしわけない。
朝の、まだ陽のあたるまえの街。





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G線上に亀甲占い

2011年11月12日 | 亀甲占い
ヴァイオリンのG線は、眼下の湾曲した胴から象牙の駒のうえを張って、遠くフレットの先の糸巻くかなたにキリリと伸びている。
バッハがG線上のアリアを作曲した1720年は、ケーテン公のための業務上の納品作曲にいそしむ日々であり、それを当方もお相伴にあづかって、ソフィアゾリステンのゆっくりと堂々とした演奏で楽しんでいるのであったが、バッハの原曲を1871年に何者かがG線だけで演奏できるように音符を独奏曲に仕立てているという。
G線とは、4本のうちの下に張られた低い線であるが、ヴァイオリニストは本番では適宜ほかの弦も使って、音楽性を保っているらしい。
そこに、「こんにちは」と明るく入ってきたのは、半径50キロ圏にめずらしい髪の長い女性で、音楽をなんでも聴きます、と明るく言っている。
その形容しがたい容姿に、突然にふと二十代の頃、聖心○○大の学園祭の最中に用事があって訪問した某日の記憶が蘇った。
武家屋敷の門をこえたところに、その髪の長い女性はいたのである。
いまは別人のそれはともかく、タンノイを何曲か聴いたころその記憶を話すと、年齢が釣り合わない彼女はちょっとこちらをにらんでいたが、4歳からバイオリンを修得してきた才女で趣味のオーケストラに参加することや、周囲の楽器が一斉に鳴り出すサウンドの強烈な洪水のことを、瞳を啓いて話している。
数日前にROYCEに登場したカナダ人のジャズボーカリストの横顔が、トニー・ベネットにそっくりであったことを話すと、彼女はご自分の記憶の回路をけんめいに検索してくださった。






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ベートーヴェン『皇帝』

2011年11月11日 | レコードのお話
ベートーヴェンのピアノ協奏曲『EMPEROR』は『5』を背番号に持って、生涯の1曲にめぐりあう者に、五線譜から身を起こしオーケストラホールのステージに起つ。
なかでもこれが一番というGULDA、VIEN・PHIL盤をわざわざ重量盤で購入し聴いたところ、文句無く素晴らしく、ほとんど疑問もわかずお蔵入りになった。
気になるのは、いぜん門馬氏だけが強く推薦していたゼルキンのピアノをバーンスタインの指揮で録った孤高の存在があって、はたしてアダージョも含めどんなあんばいなのかまだ未聴である。
バーンスタイン氏もゼルキン氏も、タンノイで聴く当方に縁が遠かったのは、聴いてみるとすぐにわかるレコード録音のなにがミスマッチか原因がよくわからない盤で、高域がやかましい。
クラシック録音では、どちらかといえばフィリップス盤やEMI盤が当方の耳に触り善く、これが同じ五線譜からときおこされた曲とは、どうなっているのだ。
最近になって、日本の若いピアニストが『EMPEROR』に新境地をひらいたところをたまたまラジオで聴いて、急にゼルキン氏ならあの部分がどうであったのか?
倉庫からついにCBS盤を探し出して、いよいよ針をのせて聴いてみた。
やはり装置の変貌したROYCEに、バーンスタイン氏もゼルキン氏もいささか変貌を遂げている。
タンノイから聴こえるサウンドと旋律がジャズ風に圧倒的大暴れで慶祝、しかも一瞬のめくるめくアダージョには予想外にぎょっとして、最後まで針をあげることができなかった。
ピアノの音姿も、当方の部屋ではアップライト型のように砂かぶりの眼前に広がり、とくにベーシストの弦の鳴りが、松ヤニをよその規格よりは三倍塗っている鋸を挽くような音を起て、その結果、何人かの団体がニューヨークフィルの右手から圧倒的存在感を突然のようにくり出している。
たまたま奥の部屋で背を向けて聴いていて、思わず、ダ誰だ、と振り返ってしまうほどである。
そうこうしているとき、「ワインを一本、おねがいします」
と現れたのはシャコンヌ氏で、先日のダブルの上着の姿はやはりそうとう似合っていたが、夫人の前ではふれないでおいてあり
「こんど拉げた川崎の代わりのホールに『FAURE』を聴きに行きます」
と申されるので、前祝いに、フルネ指揮のアーメリングとクリュイセンの盤を聴いてみた。
はたして『EMPEROR』の完全盤は、この時間の先にあるのか。







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秋ふかし隣はなにを聴く人ぞ

2011年11月01日 | 徒然の記
石畳に並木の枯葉の舞うこのごろ、AL COHNとZOOT SIMSがフレッド・マイルス盤で枯葉を奏して楽しんでいる。
この盤は、ほんとうはもっと重量のある響きで、よそでは鳴っているのではないか。
東一番町から秋の絵はがきが届いた。






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