並べてある本を、両手一杯に広げるとおよそ75冊である。
そこに上から下まで大量に有る書籍の背表紙には傾向が隠れている。
この11月の中頃お見えになった人物は、寒い店内でも平気ですと電話の向こうで申されるので、まあそれならとご一緒にタンノイを聴いた。
その客人のデジカメのバッテリーが回復すると、先日『メグ』に行った画面を見せてくださった。
こちらの壁に飾って有る額縁の、手紙の話になって、
「ほほう、すると、南回帰線の作家のものですか」と、手裏剣を飛ばしてきた。
その内容については、以前英語に堪能なお客が登場したとき、「ここに書かれて有るのはいったいどんな内容です?」と、暗に翻訳を頼んだものであるが、その客いわく、これは専門用語が多く、わからない、とイミシンに言った。
H・ミラー氏の専門用語とは!?
日本語訳の違う『南回帰線』を何種類かながめていると、ニューヨークの情景描写が、どうもセロニアス・モンクの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』であった。
『先だって、ぼくはニュー・ヨークの街を歩いていた。なつかしいブロードウェイ。日が暮れて、空は、ルー・ド・バビロンのパゴダの天井に張られた金箔を思わせる燦然たる青色だった。それはちょうど、機械がかちかちと動き出すあの時刻だった。ぼくはその時、我々が始めて出会った場所のちょうど真下を通りかかった。ぼくはしばらく足を停めて、窓にともった赤い灯を見上げた。音楽が昔と同じように――軽快に、熱っぽく、魅惑的に、流れていた。』
南回帰線のほぼ終章で、主人公が過去を回想している部分である。
『先ごろ、わたしはニューヨークの街を歩いていた。昔なつかしいブロードウェイをだ。それは夜で、空はルー・ド・バビロンの『パゴダ館』で映写機がカチャカチャとまわりだすとき、金色の天井が青く染まるような、そんな東洋風の青さだった。ちょうどわたしは、彼女とはじめて出会った場所の真下を通りかかっていた。わたしはちょっとそこに足をとめ、窓の赤い灯を見上げた。昔と同じように、音楽が鳴り響いていた――軽快に、刺激的に、魅惑的に。』
さまざまな放浪のおわりに、自身がこれから書く本のことを考えているところであろうか。
『さほど遠くない昔、私はニューヨークの街を歩いていた。なつかしいブロードウェイ。夜で、空はベビーローン通りのパゴダの天井をいろどる金色のような青、東洋風な青であった。私はちょうど、私たちがはじめて会った場所の下を通りかかった。私は、しばらくそこで足をとめ、窓の中の赤い灯を見上げた。音楽が、昔と同じように、軽快に、魅惑的に流れていた。』
このように違う翻訳を何冊もだいぶ大昔にKG氏からいただいたことを思い出したが、ジャズの好きな我々が、つい売場の棚に見逃されてあるレコードにほっておけず手を伸ばしたように、あるいは、楽団の違う演奏を楽しむことと似ているのかもしれない。
二十代の初め、人に連れられていちどだけ訪問した茅葺屋根の非常に古めかしいお宅があって、四畳半ほどの書斎に通された。
三方の書棚に押し包まれるような中に当時めずらしいカラーテレビが本の隙間に有り、地方で受信できる番組は少ないが、スイッチが入ると、評論家が難しい対談している画面が映し出された。
五分ほど見ていたうえ、その家の御仁は言う。
「いま彼はこう言いましたが、正しくは○○と言いたかったのですね」
もっともな修正をすると電源は切られ、無口な灰色のブラウン管に戻っていた。
「そうだ、良いものが有る」
と立ち上がり、別室から小さなガラス瓶とビスケットを皿に乗せてくると、
「いただきものです」
おもむろに瓶の蓋を開け、スプーンで黒い粒状の濡れて光るものを掬いビスケットに塗って、どうぞと皿の上に置いた。
はじめて見る、キャビアというチョウザメの卵は、生まれて初めての形容しがたい塩味でビスケットとしばらく舌の上に残っていたが、そのときが世界三大珍味のひとつを初めて知ったときである。
「上等のものは、もっと灰色です」
と説明があると、なんとなく我々の反応を聞かなくてもわかっていますという感じて難しい可笑しそうな表情になり、それからしばらくヘンリー・ミラーの話題があって、航空便で届く手紙の様子や、アナイス・ニンの話があったような気がするが、それまで一切無言の当方はガラスケースに納まっている模型のことが気になって、その日ただひとつのこちらの発言に、
「あれは学徒動員のとき、工場でこしらえていた疾風という戦闘機です」
その部屋に通されたのはそれきりであったが、書棚のふちという縁に、格言のような短章の書かれた短冊が貼られて、棚に並んでいる書物の背表紙のほとんどは、古色蒼然とした謹厳な表題ばかりであった記憶がある。
後年になって、H・ミラーの手紙の一部を開店の祝いにとわざわざコピーしてくださって、あのときの三大珍味とは、キャビアでなかったのかもしれない。
DENONの真空管プリアンプを、棚に飾って時々スイッチに触ると、はたしてタンノイから、どのような音楽が聴こえてくるのか、夢想する秋である。
そこに上から下まで大量に有る書籍の背表紙には傾向が隠れている。
この11月の中頃お見えになった人物は、寒い店内でも平気ですと電話の向こうで申されるので、まあそれならとご一緒にタンノイを聴いた。
その客人のデジカメのバッテリーが回復すると、先日『メグ』に行った画面を見せてくださった。
こちらの壁に飾って有る額縁の、手紙の話になって、
「ほほう、すると、南回帰線の作家のものですか」と、手裏剣を飛ばしてきた。
その内容については、以前英語に堪能なお客が登場したとき、「ここに書かれて有るのはいったいどんな内容です?」と、暗に翻訳を頼んだものであるが、その客いわく、これは専門用語が多く、わからない、とイミシンに言った。
H・ミラー氏の専門用語とは!?
日本語訳の違う『南回帰線』を何種類かながめていると、ニューヨークの情景描写が、どうもセロニアス・モンクの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』であった。
『先だって、ぼくはニュー・ヨークの街を歩いていた。なつかしいブロードウェイ。日が暮れて、空は、ルー・ド・バビロンのパゴダの天井に張られた金箔を思わせる燦然たる青色だった。それはちょうど、機械がかちかちと動き出すあの時刻だった。ぼくはその時、我々が始めて出会った場所のちょうど真下を通りかかった。ぼくはしばらく足を停めて、窓にともった赤い灯を見上げた。音楽が昔と同じように――軽快に、熱っぽく、魅惑的に、流れていた。』
南回帰線のほぼ終章で、主人公が過去を回想している部分である。
『先ごろ、わたしはニューヨークの街を歩いていた。昔なつかしいブロードウェイをだ。それは夜で、空はルー・ド・バビロンの『パゴダ館』で映写機がカチャカチャとまわりだすとき、金色の天井が青く染まるような、そんな東洋風の青さだった。ちょうどわたしは、彼女とはじめて出会った場所の真下を通りかかっていた。わたしはちょっとそこに足をとめ、窓の赤い灯を見上げた。昔と同じように、音楽が鳴り響いていた――軽快に、刺激的に、魅惑的に。』
さまざまな放浪のおわりに、自身がこれから書く本のことを考えているところであろうか。
『さほど遠くない昔、私はニューヨークの街を歩いていた。なつかしいブロードウェイ。夜で、空はベビーローン通りのパゴダの天井をいろどる金色のような青、東洋風な青であった。私はちょうど、私たちがはじめて会った場所の下を通りかかった。私は、しばらくそこで足をとめ、窓の中の赤い灯を見上げた。音楽が、昔と同じように、軽快に、魅惑的に流れていた。』
このように違う翻訳を何冊もだいぶ大昔にKG氏からいただいたことを思い出したが、ジャズの好きな我々が、つい売場の棚に見逃されてあるレコードにほっておけず手を伸ばしたように、あるいは、楽団の違う演奏を楽しむことと似ているのかもしれない。
二十代の初め、人に連れられていちどだけ訪問した茅葺屋根の非常に古めかしいお宅があって、四畳半ほどの書斎に通された。
三方の書棚に押し包まれるような中に当時めずらしいカラーテレビが本の隙間に有り、地方で受信できる番組は少ないが、スイッチが入ると、評論家が難しい対談している画面が映し出された。
五分ほど見ていたうえ、その家の御仁は言う。
「いま彼はこう言いましたが、正しくは○○と言いたかったのですね」
もっともな修正をすると電源は切られ、無口な灰色のブラウン管に戻っていた。
「そうだ、良いものが有る」
と立ち上がり、別室から小さなガラス瓶とビスケットを皿に乗せてくると、
「いただきものです」
おもむろに瓶の蓋を開け、スプーンで黒い粒状の濡れて光るものを掬いビスケットに塗って、どうぞと皿の上に置いた。
はじめて見る、キャビアというチョウザメの卵は、生まれて初めての形容しがたい塩味でビスケットとしばらく舌の上に残っていたが、そのときが世界三大珍味のひとつを初めて知ったときである。
「上等のものは、もっと灰色です」
と説明があると、なんとなく我々の反応を聞かなくてもわかっていますという感じて難しい可笑しそうな表情になり、それからしばらくヘンリー・ミラーの話題があって、航空便で届く手紙の様子や、アナイス・ニンの話があったような気がするが、それまで一切無言の当方はガラスケースに納まっている模型のことが気になって、その日ただひとつのこちらの発言に、
「あれは学徒動員のとき、工場でこしらえていた疾風という戦闘機です」
その部屋に通されたのはそれきりであったが、書棚のふちという縁に、格言のような短章の書かれた短冊が貼られて、棚に並んでいる書物の背表紙のほとんどは、古色蒼然とした謹厳な表題ばかりであった記憶がある。
後年になって、H・ミラーの手紙の一部を開店の祝いにとわざわざコピーしてくださって、あのときの三大珍味とは、キャビアでなかったのかもしれない。
DENONの真空管プリアンプを、棚に飾って時々スイッチに触ると、はたしてタンノイから、どのような音楽が聴こえてくるのか、夢想する秋である。