ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

年の瀬のタンノイ

2007年12月31日 | タンノイのお話
地球を横切る月の影のスピードは時速1800キロである。
それは軒下の風鈴をさえ鳴らさず通りすぎたが、最近、右の耳に、時計の秒針の音が聴き取れなくなって驚いた。
いつか、そんなことはどうでもよくなっていたある数ヶ月後、元のように聴こえているのに気が付いた。
「この今鳴らしたレコードのジャケットを見せていただけませんか、誰の演奏でしょう、ぜひ買いたい」
女性の言葉に連れの人が言っている。
「これは、ボクは2枚持っているけど、エバンスの『Waltz for Debby』だよね」
「あら、それならわたし持ってるわ。ふーん、そうだったの。ピアノの音がとても良かった」

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空に伸びるアンテナ

2007年12月30日 | 巡礼者の記帳
街を覆う空の記号にときおり見かける、にゅっと伸びて腕を広げている鉄の櫓はなんの合図か、しばらくかかえていた疑問を解いたのは花泉のK氏である。
「それはアマチュア無線のアンテナで、遠くの人に電波を送受するため高く大きくしますが、アレを立てるときには、どこからともなく見知らぬ無線仲間がソレッと駈けつけ、手伝うのがならわしです」
そういえば昔、『ラックス38FD』を使っていたときの或る日、タンノイから「こちらJQ、JQ」とコール・サインに呼びかけられ肝をつぶした。
それはとんでもない事態であり、しばらくフロントネットに眼を凝らし腕組みしたが、もしタンノイ様にその意志があるというなら拝聴してもよいけれど、たんなる電波漏洩でラックスアンプが受信したものだ。
そこで湯島にあったサービスセンターに相談すると、出力端子につける抵抗2個が送られてきた。
できれば音のためには無い方がよいといわれ、使わなかったが、無線もそれっきり聞こえなくなったのがよい。
ROYCEの窓からも遠方にそのアンテナの見えるところがあって、いま『ジミー・スミス』を持って登場した人物は「あのアンテナの近所に住んでいます」と申されている。
そこにまた男女の客が登場し、アンテナ付近の人は問い掛けた。
「どちらから、いらしたのですか?」
「ぼくは山形からです」
「私は仙台からです」
さて、それ以上の質問はちょっとむずかしいが....。
アルフレッド・ライオンプロダクトのバンゲルダー・サウンドがタンノイから鳴り響いて、クウェンティン・ウォーレン(g)とドナルド・ベイリー(ds)のトリオがいよいよ深遠なる想像を羽ばたかせる。


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マイルス・クリスマス

2007年12月25日 | レコードのお話
クリスマスに、マイルスの有名なクリスマス・セッションを聴いて1954年にタイムスリップする。
そのとき地震があって貴重なクルヴォアジェ・ブランデーが落下するのもおそろしいが、SPUの針飛びを心配する。
当方が蓄音機を最後に聴いたのは、クリスマス・セッションのころの体育の時間で、木造の講堂に遊戯の輪をつくりチーチーパッパ、チーパッパと盛大に鳴っていた曲に合わせて踊っていたが、突然調子が緩んで音楽がメロメロになるときが来る。
先生は大急ぎに演壇に走り寄ってゼンマイのハンドルをクルクル回すと、またげんきんにラッパは調子を戻すのを、生徒は誰も笑わなかったのが今となっては、なつかしい。
電気増幅でないのに、そうとう大きな音で鳴っていた。
やがてその小学校の6年のとき、C先生が「明日は皆で水沢市に行く」と言った。
緯度観測所に同級生が働いているので、大望遠鏡を見せてもらえるのである。
C先生と観測所の同級生は「おう」という感じで、久しぶりに会ったわりには無駄口少なく、芝生の庭のドームにある、太陽に向けた黒い望遠鏡の筒元に画用紙をセットすると、こう申してはナニだが、ネズミのフンのような黒いシミがぽつぽつと現れ、鉛筆の尖った先でそれをマークしてゆくのを、我々小学生は見た。
当時はこのシミが、地球の気候や、地震や、景気や、ひいては女性のスカートの丈の変遷にかかわりがあることなど、つゆ知らなかった。
タンノイの調子と、太陽の黒点がかかわっているか、それはどう?
マイルスとモンクの不穏な空気は、太陽の巨大黒点フレアーによってかくのごとく緊張さや走る演奏になっております、とご託宣した人も、いない。
「オレがトランペット・ソロを吹くとき、バックでピアノを弾かないように!」
ムム...。
とりあえず、ケーキで珈琲。

☆観測員はこんな話もしてくれた。
「終戦直後の物資が欠乏したとき、水沢緯度観測所で乾湿計の針に繋ぐ女性の毛髪が底をついたことをアメリカで新聞が記事にしたらしく、ベティやマリーンなど、米国の女性からどんどん髪の毛が送られてきたのでびっくりしました。日本人の長い黒髪がほしかったので、多くが使えなかったのですが、嬉しかったですよ」

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Jimmy Smith and Wes Montgomery

2007年12月15日 | 巡礼者の記帳
いま、紺のストライプのネクタイをしてNHKの画面に映るバンド奏者は、ROYCEに遊びに来た人物だ。
このまえは、楽器ケースではなく診察鞄のようなものを提げてあらわれると、そこからフランスパンとLPが取り出された。
「このレコードから、ジャズに踏み込んだのです」と申される思い出の『Jimmy Smith and Wes Montgomery』1枚だが、時間をはるか遡った先を、いま『タンノイ・ロイヤル』で聴く。
その客が聴くのは、このまえはマーラーであるが、やはり勿論ジャズだって聴く。
「そういえばテレビで見ましたネ」と当方がいうと、まさかわたしを見てくださる方がいるとは....とあくまで控えめに、赤ワインのボトルを据えフランスパンをちぎった。
ワインをことのほか好まれるこの客は、忙しいので、今ついでにきょうの食事とするための臨時のパンだ。
当方もお相伴にあずかって、どうかな?というワインを隠し扉から出して幸いついでに味をみよう。
しまった、コルクが中に落ちた。

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八戸市の客

2007年12月09日 | 巡礼者の記帳
アインシュタインさえも、時間はきのうから明日に流れるという。
ジャズ喫茶の時間は、現在から過去に流れていた。
しじまを突いて、車は矢のように滑り込んで来た。
八戸市を発って、水沢のジャズボーカルショーに駈けつける途中の、二人の紳士である。
そのむかしにも、青森県から「八戸市のジャズ世界は、わたしが仕切っています」というたのもしい紳士が貴婦人を伴ってお見えになったことがある。
この店を捜して、ついに一泊しましたとソファに寛いでグラスを傾ける人は、楽しそうにこれまでのジャズの遍歴、江戸界隈の懐かしいジャズ喫茶をかぞえあげた。
エラとサッチモのデュエットが止まったとき「ところで八戸市はどのくらいの人口か、ご存じ?」との問いに、迂闊にもひとけた違えた答えを「アーン、なにいってんの」おおげさな身振りで残念がっておられた。
眼の前の二人の紳士は、その仕切っている人物の突如の存在を知らされて、それまでの静けさをかなぐり捨てるように「だ、誰だ...」と口走って、必死に心当たりを脳裡にさがしている様子がとても良かった。
どうも、八戸市は只者の街ではないような気がする。
ちなみに八戸市の商圏は六十万人である。
当方は、いまも時々復唱して、それを忘れまい。


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宮沢明子バッハアルバム

2007年12月08日 | 巡礼者の記帳
タンノイで聴く菅野録音は、2トラック38センチテープが深い音を聴かせて、ボリュームを上げるほど、この奏者が演奏でみせる質感のリアリズムと静寂は貴婦人などというなまやさしいものではないようだ。
「ああ、これはタンノイの音ですね」と申され、「ジャズのお店でこのレコードをお持ちになっておられるのは、とても嬉しいです」と宮沢明子のLPについて感想をのべられた人は、週末仙台からふらりと訪れた。
先日、近郊から訪問した5人のオーディオ好きの人から、ROYCEのことを聞いて、どれどれと遠征されたのであった。
機械のことはわかりません、と言いつつ、トーレンスにガラードとSPU・MONOカートリッジまで揃え、マランツ#7とオースチンTVA-1で鳴らすオート・グラフの音楽に時を忘れる日々を過ごされている。オーディオを語る修辞が巧みな人である。
先日SPUの昇圧トランスを、これぞという品に替えて期待した当方、これまで足りなかったところが具体的に聴こえて、低音の押し出しもよく、驚いて喜んだのもつかのま、翌日になって欠けている或る事に気が付いて、愕然としてもとのトランスに戻した。
オーディオの難儀なところだが、忘れていた発見もあるので人はみな精進するのかもしれない。
そのオート・グラフの客は、御自分のタンノイとロイヤルの新旧の出来栄えを賞味されたいとのことで、『WE-300B・PP』を接続し、まず第九合唱の4楽章からはじめて、向かってくる音像を正面から楽しんだ。

☆お帰りのとき「ちょっと失礼して」と300Bモノアンプの傍まで寄るとしみじみと眺めて、本当に左右対称の配線ですねェと喜ばれたが。
あとで、このとき駆ってきたクルマが、小型ながら大変なシロモノであると某氏から聞かされ、シマッタと思ったが遅かった。



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サングラスの客

2007年12月02日 | 巡礼者の記帳
タンノイのまえでマリーン・グラスを外さない客が登場した。
「まえに長岡スワンを自作してみましたが、それは実家に置いて有ります」オーディオの不思議に魅入られた人は、或る日、関東から奥の細道に舵を取った。
駅前の案内所でサービスされた図面をたよりに東北の街を逍遙しながら、公園で遊んでいる子供たちに目を留める、ふと見上げるとそこにROYCEはあったという。
テーブルの冊子を手に取ってしばらく読んでおられたが「とても良い文章です」とお言葉を述べると、はじめてサングラスをはずし、こちらを見た。
それは、どこかで会ったような気もしたのであるが、わからない。
むかし仕事場にサングラスを絶対外そうとしない男がいた。
バンド・リーダーのような采配は、臨時社員を突き抜けて気合いをこめ、風貌がどこかマイルスを漂わせるので、そのままにということになったが、あるときふいに来たお偉方に「あのメガネはなんだ」とバレて、存在を深夜ワークのほうに隠した。
特別待遇だ。
そうまでしてサングラスにこだわったから、奇特で良いと考えるが、何事かに青春を燃焼した彼は、いまでもサングラスをかけているような気がする。
サングラスの人では、KAI先生も人後に落ちない存在感があった。
いよいよ京都の家に向け旅立たれるとき、先生はお見えになって、タンノイに向かっていた姿勢をまげ、ちょっとのあいだ偏向グラスをはずし「また来ても、良いですか」と申されて当方を見た。
あとで次第にわかったことだが、貝のように無言を貫くひとも、ROYCEでは刹那の名言を無尽蔵に放射してくださって、それは3つ離れたテーブルの客まで痺れる。
その話を聴きにまた訪れた人もいたから、ロイヤルも青ざめたが、ホルミシス効果はもったいなくも当方の喫茶におさまるひとではなかった。
冬の日溜まりのうつろいは早く、マリーン・グラスの客は、おわりに845アンプの巨大さをめでると、ひとりうなずいて颯爽と帰っていった。


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ゴーカートの客

2007年12月01日 | 巡礼者の記帳
ピカピカの「ゴーカート」を駆って現れたこのジャジーな人物は、ジャズのいろはを承知のうえで、どーれ、タンノイのジャズとやらを盛大に聴きましょうというスタンスが、あなどれぬ。
一関に来て三年になり、まもなく盛岡に職場が変わります、と申されて「それにしても、この音は、きょうの誕生日が因縁の、羊水のなかに浮かぶような心地良さです」などと、タンノイの響きが耳に合っているのか、新聞の記事を読んで、ROYCEを捜すのに街を三周したそうである。
タンノイ・サウンドの誘惑は、いま戸口に立ったばかりで、ゴーカートからジエット・コースターに乗り換える運命になってはあぶない。

☆「まだ、生きてます」と入ってきて、リーチイン・クラーの前にすっくと立った人物は、手術も無事にワニ皮サイフの長老だ。

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