ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

金賞蔵

2008年05月31日 | 徒然の記
つね日ごろ、いろいろのアルコールを飾棚に、囲まれて漠然と生きている。
その或る日の昔、昼食後の油断を突いて「こんちは」とやってきた隣町の営業人は言った。
「これが清酒鑑評会で全国金賞をとった清酒です」
へえへーっ、金賞のそれを、どうやって造ったの?と尋ねたが、いまひとつ話がむずかしい。
ポラロイドカメラを渡して「これでその現場を撮ってきて」とむりやり頼んだ。
戻ってきた写真に、緑色のタンクが静かに写っていたので、初めて見る御物に感激した。
「超特選純米大吟醸」というそうだ。
あれからだいぶ月日もたって、ことしは、地元の多数の蔵が金的を射止めたと聞かされ、タンノイの奥のマイルスも興奮。
そのとき、久々に水戸のタンノイ氏が登場されて、地元の室内楽団のことなど解説してくださった。
水戸芸術舘の吉田秀和氏のことや、小澤征爾氏の話をうかがうと、タンノイ・ロイヤルで弦楽を聴いてみた。
「管球マニアの制作発表会があり、アルテック銀箱でそれが大変良い音で、自分も○○の御認可を得てWE300Bのアンプを早くオート・グラフに繋いでみたいものです」と申されると、シングルとプッシュプルの音楽表現の差について、本当のところはどうなのか、そのときの会では聴き漏らしてしまわれたそうである。
金賞蔵のタンクが、プッシュプルで映っているのが興味深い。





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ビルボード・チャート

2008年05月23日 | 巡礼者の記帳
地球の上で、人は60秒に140人、1日に20万人誕生している。
一方で、さまざまの人生のドラマを繰り広げ1年のあいだに6千万人が隠れてゆく太陽系第三惑星に生きている。
66億の人の住むという地上で、これまで一番大勢の人間の集合を実感として見る事が出来たのは、祭りのあった或る日曜日の上野駅界隈であったが、眩しい初夏の陽光の下、駅構内から上野公園の奥まで楽しそうに押すな押すなの人でごったがえしてあふれていたので、これには人類の大群を実感させられた。
その地球の一角で、ROYCEの前に濃紺の車が停まり、現れた御仁は『オーパ!』の開高健そっくりの人である。
1曲聴いて、目を細めるとその御仁は言った。
「大きなタンノイでジャズを聴くのは初めてですが、思いのほか、さすがに良い音です」
どういう音楽ライフを過ごしてこられたのか、コーヒー豆をブイーンと挽きながら考えた。
「先日、蓄えから30万ほど捻出して、わたしもいよいよ、知人に管球アンプを造ってもらいました」と、極めつけの管球アンプの話題を開陳されている。
いずれオーディオ装置の収まりのよい部屋を造り、そして、と申されて、やさしい奥方のことを少し話すと、多忙な御自分の仕事を「30年、さる店舗でレコードを販売してきました」とのたまう、人間ビルボード・チャートのような人であった。
以前秋田から、2万枚長者がお見えになったことがあるが、この開高氏はレコードを手放すのが仕事の、桁違いにさまざまなジャンルの音楽を聴いて考えて、求める老若男女とカウンター越しに流行り廃れる音楽をながめてこられたのか。
御自身の趣向をともかく、流行にアンテナを向け、日々、お札を握って押し寄せる人々と対峙したこの人となりを、あらためて見た。
このような音楽が商品である御仁には、もしかするとタンノイもJBLも無く、多くのLPやCDが新宿の交差点のように通りすぎて行ったのかもしれない。
「川向うの『B』にも、このあと初めておじゃましたいと思います」
アマゾン河のピラルクーを釣り上げるような期待と余裕を見せて申されている開高氏であるが、まれに灰皿も飛んでくるというあそこに、当方も昔、行ったことがある。
エルヴィン・ジョーンズのドドズバ!ジンチッ!と鳴る異様な音響を背景にして、そこの主人はこちらのテーブルのそばを通りざま、抜く手も見せず眼の前のコップを割りばしでチチチーンと叩いて行った、オイ!いまのあれは??...。
開高氏によく似た御仁は、それを聞いてたのしそうに笑って車上の人になった。
WE300Bのプッシュプルは出力15Wとはいえ、バッハの4台のピアノを鳴らすロイヤルのブリテン・サウンドは足の裏まで楽しい。


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インヴェンションとシンフォニア

2008年05月21日 | 巡礼者の記帳
ホレス・シルバーのフィンガー・ポッピンが、翼は失速するところまで音を下げて静かに鳴るジャズも良いものだ。
客人3人の、特許商談中の究極の空気を揺らせてタンノイはおかまいなしに鳴っている。
そのとき当方の傍らで『男の隠れ家・ジャズを巡る旅』を開き、寺島氏のアヴァンギャルド、藤岡氏のパラゴンの部屋をつぶさに検討している謎の人物は申されている。
「この写っているコルトレーンの百科全書は、山形の某喫茶の主人も持っていましたね、横文字です」話題のBiographyのことである。
大きく載った写真の部屋は、ジャズの舳先で仁王立ちする人の目指す音が聞こえるような良い映像だが....山形の著名な某ジャズ喫茶といえば、むかし寺島某氏に渡される予定だったLPジャケットが、北京原人の頭骨のようにぱったり行方知れずであったところ、いまはそこに在るらしい。
曲もグラント・グリーンのサンデイ・モーニンに変わったころ、商談の終えた御仁のお話を聞くことができた。次に取り組まれるプランは、メダカの回遊する水郷的なものがメインフレームになるといい、ふと夜汽車の灯りが稲穂の向こうに走り去る暗闇に、ホタルの青い航跡を引く情景をどこかで見たように思い出した。
2人と3人といえば、バッハの世界では『インヴェンションとシンフォニア』である。
賛否両論あるが、試されている音楽だろうかグールドはリラックスしていても本気だ。


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ハンプトン・ホーズ

2008年05月17日 | 巡礼者の記帳
朝から庭の小石の組替えをしてくたびれ、ひとまず珈琲でもと50年代の『ハンプトンホーズ』を聴いている。
ホーズ氏の黒人とも白人ともつかないフレージングの、ジムノペディを45回転で再生したようなところどころは手ごわい。うまいのかヘタなのか、気にすれば本を読むこともままならない、困った指先の不思議な盤である。
先週、応接間のJBLを鳴らして心得ているS建設社長が登場したとき、同伴の御仁(男性)が「えーと、あのアレ」と、すぐには名前も浮かばないように工夫されたハンプトン・ホーズの盤であるが、それほどのモノならと、いろいろ探して見つからなかった。
「古いブルー・ノート、まだ100枚くらい残っています」と申されて、一方でワインを毎日呑む酒豪であらせられるその御仁に、ムートンの94年などのこれから10年も先の楽しみと物々交換したいという「閃き」が生じないともかぎらない、いまはLPの不透明な世の中である。
そこに松島のT氏が登場した。
T氏は最新の超小型ビデオカメラを取り出すと、御自身が伊達藩のいろは横町で商っている『純粋菜食料理』の店内を画面に再生して見せてくださった。
「旨いとか味が良い、とかの論評で集合離散するお客とは、なじまない料理ですから」と、シェフの骨太のアルテックのような心構えをうかがったので、よろしい、当方もいずれこうべを垂れつつ賞味しよう、と楽しみになった。
棚の上のオーディオ装置のジャズも、非常に気になるし。

☆ROYCEの壁にサインを残し京に旅立たれたKAI氏の著作初版本が、ついに古書店で3万両の値が付いている。ウチにも1冊有る、と浮き足立った春の宵。


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言問橋

2008年05月13日 | 旅の話
こと問いダンゴを食べながら『ジュニア・マンス』を聴くという手もある。
江戸湾から隅田川を遡ると、最初に勝鬨橋が見えて、永代橋や両国橋をくぐって14番目の橋が言問橋である。
この水戸街道が隅田川を渡る言問(こととい)橋に「こと問いだんご」があり,昔おさななじみが住んでいたので、だんごを食べに訪ねたことがあった。
だんごの代わりにいろいろな手料理を供されて、夜も遅く、最終電車に間に合うようにご主人が車で浅草駅まで送ってくださった。
そのとき話がはずんで、言問橋を下ったところの広い交差点をぴゅーっと渡ってから、アレ、いま赤信号だったね、と運転していた御仁は首をすくめた。
赤信号を渡ったのはその一度きり。
浜美枝嬢とひさしぶりに電話で話したとき、言問橋夫人の最近の様子をきいてみた。
「彼女、先日、胸が痛いと検診したら再検査ですって、真っ青です。」
診断の出る前に浅草の神社まで二人でお参りに行きました、と当人は深刻だったのか。
「結果は何事無く、よかったねお礼参りにいかなくちゃと勧めたら、違うところにお食事にでもいきましょう、って...ほっほほ」
人生に何度か引っ越しがあるが、6回目の引っ越した先の或る日、ご近所の老婦人がお見えになった。
店先で失礼とは思ったがお茶をお出しすると、ご自分のこれまでを、秩父に生まれた子供時代のお話や、浅草言問橋の近くに住んでいた思い出も話されたが、訪ねてきたのはその一度きりで、そのあとは道であってもちょっと挨拶をする程度のことで、あれはわざわざ先方から自己紹介に来てくださったと知った。言葉によどみなく気品のあるひとであった。
だんごは花より良いのか、一関には、かっ○うだんごやごま○りだんごがあるので、北上川を船で下りながら言問だんごとゆっくり食べ比べをやってみたい。
ジュニア・マンスは50年代にダイナ・ワシントンの伴奏もつとめていたが、レイ・ブラウンのベースが、オスカー・ピーターソンのときとくらべ、マイクを10センチ近付けたようなサウンドが聴こえスイングの違っている。


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石鳥谷町の客

2008年05月09日 | 巡礼者の記帳
到来したMA師御手ずから焙煎の4種ブレンド珈琲豆を、さまざまな用事で夜間目覚めている人口の意外に多い現代に、さっそく賞味すべく抽出していると、フラスコがカタカタして、壁際のラジオが「これから大きな地震がありますので、ご注意ください」などと、非常識なことを言っている。
夜勤のアナウンサーも大変だ...珈琲でも呑みなさいと思ったが、それは地震予知報の記念すべき第一歩であったと知った。

或る日、石鳥谷町からおみえになった客は、官公庁の大きなデスクに身を構えているのが似合いそうな印象の、ジャズの魅力を日々燻らせている御仁である。
「わたしの装置ではブルー・ノートがどうしたものかいまひとつの鳴りですが」と申されたので、そこをタンノイではどうなのか『OUT TO LUNCH-HAT AND BEARD』を聴いてみた。
「おぅ、これを聴いては帰って自分の装置を聴くとき覚悟が要りますね」と喜ばれ、楽器の生々しい鳴り音を響かせるマランツ#7でコントロールしたロイヤルのブリテンサウンドを、意外に思われたご様子である。
REID MILESのジャケット写真が印象的なこのLPは、バンゲルダーの四千番を印象させる録音が、ハチャーソンのバイブをはじめウイリアムス、デイビス、ハバートの鮮烈なサウンドで展開して、かずかずの楽団を渡り歩いたドルフィーが向かった先をこれでもかとアピールする。
このLPがリリースされた1964年を振り返ると時代離れしている音楽も、ドルフィーにとっては急ぐ理由があったというのか「終わった演奏は空中に消えて二度と帰らない」と言葉を残してこの四ヶ月あとに旅立っていった。
タンノイはドルフィーの覚悟に反して、帰らないはずの全ての音符を限りなく忠実に再現しようとし、当方の希望は、タンノイで自由に、はてしなく鳴るところを聴きたいものである。
せっかくの機会なので最後に、バッハの「BWV1007」に針をのせると「これは誰の演奏ですか、わたしのヨー・ヨー・マの盤とは違うようです」と、石鳥谷の客はぽつりと申された。
やはり、二本差しの剣豪であったのか。


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夜のタンノイ

2008年05月08日 | タンノイのお話
夜のタンノイが、昼と違った音で鳴ることにはわけがある。
「夜の音を知りたくて、やってきました」
と申される客は、オーディオ装置の振動の景色が、楷書体が草書体のように、昼と夜で違うものになることを知っているのであろうか。
光は振動であると物理の現象に言われているが、タンノイの音も振動であって、飛び交う音波は光の振動の満ちた空気中を、鼓膜まで到達する。
この、光と闇を伝播するときの周波数の違いは測定器上には計測されないといい、議論の対象にはならないが、なるほどそういえば『昼のデイトと夜のデイト』では、たしかに違ったなあ...と、人間に置き換えて理解しようとする人には、周波数以前の心得があるのだろう。
良寛作の歌のこと。
『月よみの 光を待ちて 帰りませ 山路は 栗の いがの多きに』
この歌が読まれたのは、五合庵に遊びに来たふもとの庄屋さんにあてたものときき凄いと思ったが、三十才歳下の貞心尼が訪ねてきたおりのものと異説があり、これはタンノイとJBLいじょうに月の下でも歌の「鳴り」が違ってきこえるのが妙だ。


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パティ・ペイジ

2008年05月04日 | 巡礼者の記帳
桜散る神田川をあとに、南部藩校の教授を訪ねる途中ROYCEに立ち寄られた客人は、昼夜を分かたず特殊なシステムの維持を仕事にする人だ。
「あなたのように、永くクラシック音楽を聴かれていると、バッハやモーツァルトが中心になっていくのでしょうか?」とたずねてみた。
「夜間一人で仕事のこともあって、たまたま聴いた『ボロディン』に予想外の衝撃をうけました。あるとき『フリッチャイ』のコンダクトするチャイコフスキーに驚き、その勢い余って、ほかのチャイコフスキーを全部処分してしまいました」
アレクサンドル・ボロディンのノクターンなど、時を忘れる桂曲であるが、
静かに構えて話すこの御仁は、テレビ画面で探せば将棋の谷川九段と雰囲気が似て、ロシア語を学んでいたころからロシア音楽に惹かれてと申され、しばし春のタンノイを楽しんでくださった。
パティ・ペイジの柔らかでアクセントの末尾に少しハスキーをのせたボーカルは、タンノイに合ってボロディンと甲乙つけがたく、珈琲を呑むことも忘れる。


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屋根

2008年05月03日 | 徒然の記
屋根は陽除け雨避け、とはいえ、空に描かれた伝承文化である。
「隣家の屋根の葺替えをします」と棟梁が来て言った。
翌日、いなせな若い衆達が空に駆け上がって、手際よく分解と組立てを始めたのを見た。
長方形の鋼板を二列合わせた接合部を、大型の万力でギュッ、ギュッとかしめつつウエイトリフティングのように弾みをつけて降下していくのが見える。
10時と3時にいっとき静かになるのは、親が呼んでも中休みの珈琲タイムで、そのとき廊下のウサギも思案顔に隠れた姿を現し、いつも松の枝から覗き込むカラス・ギャングとは一風違う光景に驚いている。
棟梁が、作業の終わりにヒモの先に吊るした磁石で道路を探るのは、落ちた金貨か古釘なのか。
翌日、塗装師の親方が店舗に現れてリーチイン・クーラーを開け「ザ・ゴールド」を掴むと、言った。
「お宅のモスグリーンの屋根を見て、ぜひ塗り替えてみたいという意欲に駆られています」
高い場所で恐縮だが、だいぶ傷んでいるので望むところ。
「どうぞお願いします。こんど富籖が当たった、その時に」
すると塗装師はにっこり名刺を手渡して去った。
塗りたてペンキのうえに桜の花びらが散らないように、季節のタイミングは大切だ。


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酒田市の客

2008年05月01日 | 巡礼者の記帳
酒田市は、日本一の大地主『本間家』のあるところで「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と囃され、古くは平泉藤原氏が中国や京との海洋交易のために開いた湊として言い伝わる歴史の深い土地柄である。
「30畳の天上の高い部屋ですが、アルテックもタンノイも鳴らしてみました」と、酒田市から霞とともにたちしかど遠征された御仁は、いまROYCEのソフアでロイヤルのブリテン音に耳を傾けながら「インターネットで発見した『プロケーブル』なるアンプの出来栄えが聴取の結果非常によろしいです」と賞賛されて、長旅にお疲れもみせず、新しい情報をしばらく講義してくださった。
これから太平洋側の港、気仙沼市までオーディオ観賞の旅の道すがら、ROYCEにも立ち寄ってくださったそうであるが、この酒田の人のように風格をただよわせ、隣りに慎み深くご婦人を侍らせて、日本の各地を旅してみたいものだ。
エリス(g)バレル(g)ブラウン(b)ジョーンズ(ds)シグペン(ds)と、これだけのバッキングを揃えているとなれば、ぜひ聴いてみたくなるブロッサム・ディアリー(vo, p)である。


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