ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

地下鉄の音

2009年11月27日 | 巡礼者の記帳
問いかけに、そつのない受け答えで、ちょっと加えるフレーズの楽しい客もいる。
クーダーかJ・グリフィン的なのか、珈琲を置いたその客は「いま3万キロになりました、中古車ですけれど」と、これまでとおなじように忙しく移動しているご様子であった。
一方の、さいぜんから沈黙の客は、同じように珈琲カップを置くとバッグから書類を取り出した。
「昨日はセミナーに参加して。いろいろ新展開が....」と無言の客の方を見て、ビジネスの森羅万象を思い出すようにされている。
そのとき、あきらかにヴィレッジ・ヴァンガードの地下鉄とおなじユサユサ音が、ブルー・ノートの10月23日水曜日のスタジオで、チェインバースのベースの下の方で鳴っているのだが。
はてな?
タンノイから聴こえているその通過音らしきものが、これは学界における新種の発見か。
夕刻、下水道工事の現場監督と思われる御仁が、おそらく朝からと同じ円満な表情をみせてドアを入ってきた。
棚の二段目の、ウィスキー瓶をもとめると、言った。
「きょうから、一週間ほどうるさくなりますが。トンネルの地盤が考えていたより堅固なもので四メートル進むのが、やっとでしたね」
すると先ほどの地下鉄音は、掘削機がROYCEのそばの地下を進んでいる振動を、オルトフォンが拾っているライブ・オン・チェインバースだったのか。







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ベルリンフィルハーモニック劇場のテイク・ファイヴ

2009年11月23日 | レコードのお話
62年、カーネギー・ホールで聴衆を喜ばせたブルーベックの『テイク・ファイヴ』という曲が、72年にメンバーを変えてベルリンフィルハーモニック劇場でライブを録った16分の長丁場を聴く。
テイク・ファイヴは、タイムアウトに入っているスタジオ録音が記憶にあるが、G・マリガンのバリトン・サクスを加え、アラン・ドウソンの鬼太鼓のような乱れ打ちとJ・シックスの巨大なベースの音に眼が白黒まばたく。
かの2万枚長者殿も「これは、まだ聴いたことがなかった」と呆然とした、千人をまえのテイク・ファイヴには、ドイツ人聴衆の興奮さえ音楽であった。
俊英なJBL装置で時代の先端を行く古川のN氏や『カプリチョス』のカレーライスを話題にしたT氏も、足元をさらわれた気分に苦笑いである。
マイルスやパーカーのジャズも絶景であるのは承知しているが、やっぱりタンノイに劇場サウンドは向いているのか。
N氏は東山御殿の『パラゴン』にSPUをセットしてこられたそうで、「かれこれ10か所ほどのパラゴンを聴いておりますが、あの音を越える装置は、しばらく現れないかもしれません」という新機軸の調整が加えられた、いったいそれはどうなっているのかパラゴン。
東山にあるパラゴンは、パラゴンのために材木を蒐めて部屋を設計したときいて、多くの名工や名業者やバックアップの集大成を聴きに、砂鉄川を越えていつの日か訪れてみたいものである。





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志津川町の客

2009年11月21日 | 巡礼者の記帳
「これはどこの盤?」
マーキュリーとの答えに、ウームそうか。と納得するお客。
ニュージャージー州にあったマーキュリー・レコードの貴重なオリジナル・ジャズテープ倉庫。
クリフォード・ブラウンのエマーシー盤も、この倉庫のテープであった。
そういえばキャピトル・レコードのジャズもタンノイの音と相性が良く、スタジオ・モニターに或る時タンノイが使われていたからでは?という説がある。
この年代の盤を聴くには、時代に合った機材が良いということで、ウェスタンの絹巻き銅線を「使ってみて」と持ち寄ったお客もいたが、音楽はラジオでも楽しめるのに、それでは済まない一群の人々である。
エヴァンスもキャピトルのスタジオでやっていれば、ジャズの景色も変わっていたかもしれず、キャピトルの音色によるエヴァンス・トリオの立体感を想像するとき、ことの重大性はさすがにラジオではわからない。
志津川からはじめて登場した客は、当方が珈琲を届けると、サッと立ち上がった。
エッ、なに?
「いや、奥の人に珈琲を渡しやすいように、と」
ホテルにお勤めなのかもしれず、どうぞ、くつろいでください。
あるとき志津川湾に行こうと国道398に乗って南三陸町に行ったとき、この半島と湾の連続は、はるか上空から見るとマンデルブローのフラクタル幾何といわれ、複雑に美しい風景が連なっていた。
そのひとつが志津川湾で、海浜公園から陽光を反射する蒼い海のあちこちに、海苔の養殖イカダが点在し、ここでジャズをオーディオで楽しむ人々を紹介していただいたことがある。
どの人も、良く来たねと迎えてくださって、細部まで説明があったのは、話を通した人の人徳であったのか。
窓際にいた元船長さんとそのころのエピソードになって、ジャズのかなたに人模様が浮かんだ。





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SS氏の厳美溪

2009年11月15日 | 歴史の革袋
SS氏は、あるとき磐井川の上流の名所、厳美溪にいた。
厳美溪も暦を巡れば、増水期と渇水期がある。
磐を抉る激しい奔流が、いっとき静まって、隠れている風景が現れる。
いつもなら立ち入りできない岩棚の低いところまで下りたSS氏は、逆の方向からレンズを向けると、空中のあるものの登場を待つ人々をめぐる光景を撮った。
さらに上流の、荘園遺跡も見てみたいものである。






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SS氏の毛越寺庭園

2009年11月15日 | 歴史の革袋
「どうも」と入ってきたSS氏は、店先に立って「このワンカップ、いくらです?」といいながら、当方の都合を尋ねている。
これまでと違う新しい写真の束を持っていた。
初めのころ、怪人か、と思ったSS氏も、百枚ほどの作品を拝見するうちに、揺るぎない流儀の統一されてあきらかになると、風雪を越えて森羅万象を追い求めている時の旅人かもしれない。
さっそく見せていただいたなかに、とうとう『毛越寺庭園』が現れて、内心でヤッタ!と思ったのは、SS氏の対峙した毛越寺庭園をいつか見る日が来ると、期待していたからである。
バッハの無伴奏チェロ組曲のように、最高の技倆と機材と天候が要求されている難解な対象であることは、撮影してみるとわかる。
これまで多くの芸術家が挑戦しているが、浄土庭園という極楽のような見た目のイメージが定着し、あくまで穏やかな風景も、もう一方の激動の歴史が背後にある。
芭蕉はこのことを、『夏草や つわものどもが ゆめのあと』 と言葉で撮影してみせたが、吾妻鏡によれば、この池の対岸に荘厳な寺院建築が林立していて、藤原氏は、内陣に安置する仏像のために満を持して大金を延々牛馬の背に積んで、みやこの運慶集団にノミを持たせることに成功したのである。
ところが、完成間近にうわさをききつけてチラリと仏像を覗きに、わざわざ駈けつけた都の権力者達は、見て驚いた。
このような絶品を、奥の細道の先に渡すなど、とんでもないことです。
さっそく洛中より持ちだし禁止のみことのりを発したので、藤原氏はやむなく「見た目に多少、中の上でもやむをえず、よろしく」と踏みとどまりながら、こんどは時の大納言にも、砂金を積んだ牛馬の列を向けて「大門の扁額に雄渾な一筆をお願いします」と、『吾妻鏡』は二枚腰である。
いま毛越寺庭園は、一瞬にして消失した歴史のことなど何事も無かったように、若いカップルの華やいだ会話や外国語の声が聞こえているようだ。






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唐桑町の客

2009年11月14日 | 巡礼者の記帳
北緯38度54分に位置している唐桑町は、むかし唐から渡ってきた貿易船が難破して、その積荷の桑が植林された由来のある、海から広がる風光明媚なところである。
唐桑から、おひさしぶりですと登場したベレー帽の似合う客は、大型車に積んで書きかけの油彩の作品を見せてくださったことがある。
当方は、この秋も深まった須川岳の、いよいよ仮開通した国道342号線をどこまでも登って、紅葉の谷川の景色を見に行った話をした。
あの地震で、もうひとつの橋は崩壊して有名になってしまったが、SS氏の撮影したこの写真に見える橋はいまも無事であった。
道の所々に修繕工事は続いて、谷川に架かる橋にさしかかると、開けた絶景に誰もおもわず車を停めたくなる、いつもの光景があった。
写真の道からしばらく登った向こうに、山の小さな学校があった。
昔、はたちの夏休みに教員住宅に一泊させてもらったことが有る。
そこに夜分に遊びに来た村の人が言うには、「谷川には良い庭石があって、子供を督励して一緒になんとか引き上げたまでは良いが、それから子供に数日寝込まれた」と。
いまもあいかわらず庭石として引き立ちそうな石が、谷の水に洗われて無数に転がっているが、思い出してその学校のあった場所まで行ってみると、かっての校庭は記憶より小さくなって植物が茂り、校舎であったところは、集会所になっていた。
さて、唐桑のお客は当方の話を受けて、さきごろの大地震の丁度あの時、須川岳のそのあたりにいたと言って、世にも数奇な体験話を、タンノイのジャズと同時に漠然と聞いていたが、事の大事に気がついて耳の方向を変え、あらためて聞きただした。
この御仁が得意にする、淡々とした伝聞のような話し方に、当方はまだ半信半疑である。
「地面がグラグラ揺れるありさまが車の中でも感じられ、同乗の彼が、地震だ、と言ったのでスピードを緩めましたが、道の先に他の車も停まっていました。結局下山できず、ヘリコプターで救出されたので、車が戻ったのは最近です」
その大型四駆車もなんとなくご自身と疎遠になったか、いま西欧の名車に乗り換えられてROYCEの前に駐まっていたのを見た。





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スウェーデン『スタンペン・ジャズクラブ』

2009年11月12日 | レコードのお話
「営業にレコードだけでは、操作にくたびれるでしょ」と大先生の深遠なる配慮によって、大昔に頂戴した折角のCDも、あれからほとんど聴いたことがない。
タンノイでオーディオ的に聴いて、どうも感動が記憶に残らないというか、当方の再生器機のお粗末さのゆえ、存在を忘れてしまう大量のCDの山であった。
ところで、ふとしたおりに聴いたポーンショップ・シリーズの音場がなつかしく、再び指定席に座ってしまうのはなぜか。
このようなことは昔パチンコを研究していた頃の、ピッとゾロ目に揃った甘美な誘惑と、似ていなくもないか。
北欧人のあっさりとしたスイングのジャズ的センスに感じ入ったこともあるが、76年の12月7日の『ジャズ・クラブ、スタンペン』における客席の微妙なリアリティと潤いのある音色は、めったに聴いたことがないと思って、ケースの小さな活字を虫メガネで拝読すると、ノイマンU-47、スチューダーミキサー、ナグラⅣS高性能アナログテープレコーダー使用とクレジットがり、まあ三十年も昔のメートル原器を、この文明発展の世にいまさらだが、冷蔵庫に仕舞った吟醸酒に呼ばれているようなあと味が惹いている。
冷寒の迫りつつある街道の枯葉を散らして、秋田の二万枚長者殿とランサー101氏が、あの例の高級車を駆って登場されたのでお伺いすると、「これはレコードでも手に入れることができます」と申されていた。ジローラモ氏は博識だ。
ランサー101氏のことは、ジャズについて見識の深いところを最近ぼちぼち解ってきたが、先輩のまえに立ち位置を心得て、めったに言辞をスイングさせないのも、またジャズなのか。






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スタンペン・ジャズクラブのTake the ''A'' Train

2009年11月09日 | 巡礼者の記帳
ストックホルムで1976年にアーネ・ドムネルス・クァルテットが演奏したスタンペン・ジャズクラブ・ライブの3枚目に、『Take the ''A'' Train』は入っている。
エリントン楽団のオープニング・テーマであるというそれだけでなく、ベルリン・フィルハーモニーが荘重にやっても、タンノイで似合うのではなかろうか、この名曲を、しばし想像して珈琲をのむ。
これまでもクリフォード・ブラウンやチャールス・ミンガス、ベティ・ローシェやアニタ・オディなどの好演が、誰でもつぎつぎ脳裡にフラッシュしてくるという、なまじの演奏では聴き劣りのするやっかいなところ、カウント・ベイシーの''A'' Trainも、黒金の蒸気機関車の迫力で突進する満足の鳴りである。
最初から最後までエリントンでなくて良いから、唸らせるスイングを聴きたいと期待して、スタンペン・ライブをいまかと聴いていると、そこに「こんにちは」と、荘重な印象の二人のご婦人は''A'' Trainのかわりに入ってこられた。
「先日の、あの『いろは』さんの歌唱を聴かれて、いかがでしたか?」
ああそうだ。何者?ですかと尋ねて、そのままになっていたご婦人だが、その経緯を伺ってみると、若い取締役のことを子供の時から知っているご近所の応援者であるそうな。
「帰ったら主人に、地元のマネージャーですと言えばいいじゃん、と言われて....」
当方は、大変な勘違いをしていたことを、お詫びした。
ご婦人は言う。
「さっきキッチンで手仕事をしていたときも、このCDを聴いていましたが、ただの歌唱力ではないですから」と膝詰め談判風に、CDをリリースした若い社長の母親の人と、一緒におみえになったこのご婦人の熱意はただごとではない。
正直な当方は、預かったまま未開封のCDを指して言った。
――ここでは、もっぱら四十年前のレコード・ジャズを聴く店なので、CDは鳴らしませんが、テレビ番組で歌を拝聴しました。
「あら、それならこのわたしが持ってきたCDをタンノイで聴きましょう」と、そのご婦人が開いたケースはカラだった。
意を決してCDの包装を破くと、いろは嬢の名唱をタンノイで拝聴させていただく。
窓の外は、暮れなずむ秋の光がゆっくり陰って、聞こえてきたのはその情景に溶け込んで、のびのびと、そしてときには可憐に、ファースト・リリースのCDとは違った帯域で自在な歌唱が聞こえてくる。
アーネ・ドムネルス・クァルテットの『Take the ''A'' Train』もたしかに興味深いが、かなうことなら彼女の歌う「Aトレィン」を聴いてみたいものである。
ジャズ・シンガーが 紅白のトリを歌う日もいよいよとぞ思う 秋の夕暮れ 
と、御二人に一句。










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白石市の客

2009年11月08日 | 歴史の革袋
蔵王山の麓に位置して栄える白石市は、鎌倉時代からこの周囲を治めていた豪族の名を残して、城郭公園に往時のよすがを偲ぶ、静かな街である。
「わたしは、くつろぐ旅に集団の行動は苦手で、妻さえも家に残してきました」と言って、或る意味もっともなのかジャズ的セリフをのべたその客は、筆より重い物を持たない雰囲気の剣の使い手であるが、ご自宅にそなえるJBLによってピアノ・トリオを楽しまれたり、先週、山形のジャズ・ライブを楽しみましたと日常の種々を開陳されると、「おいしい珈琲です」と耳よりも先に舌の感想をのべた。
仙台の『定禅寺ジャズ・フェス』が始まる時になると、パイプイスを持って駈けつけ腰を据えジャズを楽しむ一方で、土日の休みには推理小説を枕の傍にして過ごしているそうである。
そういえば、この定禅寺ジャズ・フェスの会場について、先週通りかかった作並街道の脇道からながめた秋も盛りのケヤキ並木の光景を、当方はふと思い出したが、仙台城の鬼門にあたる方位を封じている定禅寺の参道が、いまこのように市民の憩いをまかなうスペースとなって、鬼もたたらを踏みつつジャズを聴くのか。
いぜん駅前の『T』のマスターのお話しによれば、「さすがにペッパーを凌ぐ腕前の人がやっているとは言い難いですが、楽しさに惹かれて二日も通った」と、折り紙のついた祭りである。
マル・ウォルドロンのno more tearsなど、良いですね、と申されると「これから食事のあとは川向うに寄ってみます」と、ハイブリットで34キロ走るという名車に乗って秋の路を去っていった。







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スタンペン・ジャズクラブのオーヴァー・ザ・レインボウ

2009年11月01日 | 巡礼者の記帳
いつのことかジュディ・ガーランドの披露した『オーヴァー・ザ・レインボウ』も、サラ・ヴォーンや美空ひばりや、フランク・シナトラが唄い、モダン・ジャズ・カルテットやキース・ジャレットも演奏している。
もはや新曲ではないが「このようにミディアム・レアに料理してみました」という技芸の達人が次々あらわれて、どれどれと、食欲は昂進するのであった。
むかし大先生からいただいた、ストックホルムで1976年にアーネ・ドムネルス・クァルテットが演奏したライブは、ちょっと聴いただけではまるでアート・ペッパーである。
そこに入ってきた元船長さんは、香川と徳島の若者を連れて、コーヒーをお願いします、と言っている。
徳島といえば阿波踊りの國であるが、われわれシロウトでも踊れるものなのか尋ねると、桟敷席のコースではない一般の広場で一杯ひっかけてやるのが良い、という。
その客が肩からすっと持ち上げた2本の腕が、ちょっと空に踊ったのを見たが、まぎれもなくそれは阿波踊りであった。
一方の香川の客は、自分の生まれたところは田園風景が広がっているが、丸亀藩の領域であると申され、このスピーカーは聴いたことのない音であると聴いて、「きょうはもう、このまま休みたい気分」と言いながら営業車に戻っていった。
丸亀藩といえば、宮部みゆきが小説に書いた丸海藩の『ほう』のことかもしれない。








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